山代湯の曲輪 あらや滔々庵
北陸温泉の源泉はここ
金沢の西に位置する加賀温泉郷。片山津温泉、山代温泉、山中温泉、粟津温泉の総称である。その
一つ山代温泉の開湯は神亀2年(725年)で、温泉縁起によると行基上人が白山に行く途中、烏が水溜
りで翼の傷を癒しているのを見つけて温泉を発見したのだそうだ。やがてこの湯は広く知られるように
なり、明智光秀や加賀藩初代藩主前田利家なども湯治に訪れるようになった。その後加賀藩から分封
され1639年大聖寺藩十万石の初代藩主となった前田利治は、この地に特別な湯壷を所有していた。
その利治から湯壷の鍵を預かる湯番頭の役目を仰せつかったのが、「あらや」の初代館主荒屋源右衛
門なのだね。その鍵は「あらや」の前の敷地に総湯が出来る時まで、館主が代々預かっていたのだそ
うな。山代温泉の湯は烏湯と呼ばれ、その源泉を持つのが現在の「あらや滔々庵」。隣の敷地には、源
泉公園を作って無料の足湯を提供し、宿の前には源泉が滔々と涌き出て、土地の人が飲みに来る。
あらやの全景外観 隣接した源泉公園の足湯 烏湯の源泉ここにあり
北大路魯山人とゆかりのある宿
玄関を入ってまず目に飛び込んで来るのは、広々と敷かれた九州の結城畳。半畳程の大きさで、縦目
と横目が組み合わされて実に美しい。左手には北大路魯山人の筆による烏湯縁起にまつわる暁烏の
衝立がある。ロビーの右手奥には、魯山人の篆刻、書画、初めての陶芸作品の赤絵皿などが展示さ
れている。明治16年(1883年)京都上加茂神社の社家北大路家の次男として生まれた魯山人(房次
郎)は、生後間もなく里子に出され不遇な幼少時代を過すが、幼い頃から美に惹かれて書家を志す。
篆刻家ともなり、30代初め福田大観と名乗って金沢の大商人細野家の食客だった時代、山代温泉を
訪れた。ここで吉野屋旅館の別荘を提供されて、陶芸家の初代須田菁華の指導を受け陶芸家への道
も開くのである。趣味人でもあったあらや館主15代源右衛門は、他の旅館の旦那衆らと共に魯山人と
親しく接し、刻字看板や書画の注文をしたり、他の客を紹介したりして彼の生活を支えた。だから、この
宿には北大路魯山人の作品がたくさんあるのだ。1年近く吉野家の別荘で過した魯山人は、その後料
理の道をも切り開き、美食倶楽部や「星岡茶寮」を開いて有名になった後年でも、「山代温泉の別荘は
どんな様子かね」と尋ねたと言う。因みに、北大路魯山人をご存知ない方がいらっしゃるかもしれない
ので補足すると、人気マンガ「美味しんぼ」の海原雄山は魯山人がモデルなのですよん。
結城畳が美しい玄関ロビー 左手の衝立が魯山人の絵 「あらや」の看板も魯山人の篆刻作品
初代須田菁華の指導を受けた最初の赤皿の作品 ロビーの奥に魯山人の作品が展示されている。
源泉かけ流し温泉風呂が部屋にある
ロビー正面のこじんまりした中庭には、朝鮮から加藤清正が持ち帰り、加賀の豪商銭屋から譲り受け
たと言われる古灯篭がある。ロビーからの結城畳は廊下にも続き、左手には初代須田菁華の写真や
九谷焼きの茶碗などが収められたケースがあった。ここは6階建てだからエレベータもあり、エレベータ
天井には京都の神社の派手な縁起物があってビックリした。廊下に畳が敷いてあるのは2階でも同じ。
2,3段の低い階段でも、中途半端な場所でも畳がびっしり。笑ってしまう程に畳敷きは徹底しているの
だ。
私が2泊した207号室は千草の間で、もちろん部屋に入っても畳敷きは続く。十畳二間続きで、一部屋
は寝室。既に30センチのローベッドに蒲団が(私一人で予約したのに何故だろう)2組敷いてある。主
室の片側には広めの露地テラスがあって、皮張りの白いチェアと黒い寝椅子が座り手を待っている。
入り口から畳廊下を直進すると、洗面所に続いてシャワーブース、そして内湯。源泉かけ流しの温泉で
吉野桧の湯船にはお湯がたっぷり溢れていた。風呂場のドアを開け放つと、露地テラスに通じており、
半露天のような風呂場に早代わりする。広さもたっぷり、清潔に掃除された室内は気持ちが良く、部屋
に帰る度にわが家に帰った気分になる。誰もいなくても「ただいまー!」って。
中庭には朝鮮渡りの古灯篭が 結城畳は廊下にも続く 由緒ある宿なのね
館内にはお洒落なものが一杯 エレベータの天井にびっくり 徹底的に畳敷でーす
千種の間入り口の明かり 部屋の廊下にも畳が 畳廊下から露地テラスを望む
露地テラスから見た主室和室と寝室 座り易い皮張りのチェア 源泉かけ流しの温泉の内湯
寝室は30センチの台の上に和式蒲団 寝室の奥にはテレビと書斎コーナーがある
客室は20室(最大収容人員80名)で、うち源泉半露天風呂付きの部屋は8室ある。中には代々大聖
寺藩主ゆかりの「御陣(おちん)の間」もあって、魯山人もその部屋に逗留したと聞く。メゾネットタイプの
部屋や、内風呂無しの部屋もあり、それぞれの部屋が個性を持っているようだ。
寝室には浴衣2枚、半纏、丁子の香りのする足袋型靴下、バスタオルが用意されている。寝室奥の書
斎コーナーの反対側には押入れ型クローゼットがあり、金庫も完備。但し、半畳程の広さなのに、専用
の照明が無いため暗くて不便である。折角こんな良い部屋なのに画龍点睛を欠く感じで残念なので、
早速改善されるよう指摘をさせて頂いた。
飲み物関係は素晴らしい品揃えだ。畳廊下の一角にすべて準備されている。お茶は加賀市にある丸
十製茶の加賀棒茶、有名なほうじ茶である。到着時には和菓子と抹茶で歓迎を受ける。ポットにはい
つも熱い湯が用意され、別のポットには冷水も準備。冷蔵庫の品揃えもまずまずで、常温のワインが3
本置いてある。夜のお菓子として出された「音羽堂」の紫雲石は上品な甘さで実に美味しい。
滔々と湧き出す烏湯の源泉
冒頭に記述したように、この宿は山代温泉の烏湯の源泉を持つ。湯量は一日530石(1石は180リット
ル)で山代一番の湧出量である。これが1300年涌き続けているのですな。湯温は66度で泉質は含
石膏含食塩芒硝泉、大正時代にはドイツで開催された万国鉱泉博覧会で金賞を受賞したと資料に書
いてあった。飲用では動脈硬化、糖尿病、高血圧などに、浴用では腰痛、神経痛、婦人病、美肌効果
があるらしい。大浴場は1階の奥にあり、風呂に通じる廊下だけ畳が無い。左の壁には、やはり魯山人
の「闃y」の書がある。「閨iしずけさ)を楽しむ」という意味だそうで、大正10年の作品だ。正面には3
つの湯が並んでいる。左右の浴場は時間で男女が交代し、真ん中の特別浴室「烏湯」は、ほの暗い浴
室に湯温の違う2つの湯があってミスト効果もあると言うが、ここには入らなかった。左右の浴場にはそ
れぞれ露天風呂がついている。
風呂上りには、水、小さい缶ビール、シャンパンが用意されている。朝6時に浴場に行ってみると、朝刊
各種とコーヒーがたっぷりポットに用意されていて、細かな心遣いが嬉しい。
大浴場に続く廊下(ここだけ畳敷きではない) 魯山人による「闃y」の書
美肌効用もあるお湯だよ 洗い場は常に整頓されている 露天風呂だよ
シャンプーなどアメニティは良いもの 小さいタオルはふんだんに用意されている 山代温泉の由来の看板
お風呂上りは冷たいお水?ビール?それともシャンパン?
冬のずわい蟹が無くても大満足の食事
食事は部屋食。毎年11月7日から3月末までは名物のずわい蟹の季節となり、食卓もずわい蟹づく
しのコース(生ずわい蟹コースもあり)になるようだが、敢えて初回(って、再訪するつもりなのだね、私)
は蟹シーズンの直前に行った。蟹の力に頼らない食事を味わってみたかったから。宿から近いところに
日本海の幸が水揚げされる橋立漁港があり、毎日新鮮な魚介類が仕入れられる。また京野菜のように
加賀地方独得の加賀野菜も豊富。海の幸、山の幸の料理が、美しい器に盛られて次々と登場するの
だよ。ある日の夕食コースと朝食コースは以下のようなものであった。
夕食コース(食前酒:菊姫のにごり酒、前菜盛り合わせ:柿・マスカット・海老の白和え・衣かつぎ・子持
ち鮎・菊花和え・焼き茄子のウニ胡麻だれ、松茸と鱧の土瓶蒸し、お造り:うちわ海老・平目・えん
がわ・アオリ烏賊、小坂の蓮根蒸し、のどぐろ塩焼き、無花果の揚げ出汁、鯛と松茸のちり鍋、毛
蟹、とろろ飯、赤出汁、漬け物、水菓子:メロン・抹茶アイス・芋羊羹)
朝食セット(カワハギ焼き、出汁巻卵、煮物、湯豆腐、イカのせ引き割り納豆、きんぴら、きゃら蕗、佃煮、
漬け物、温泉お粥、味噌汁、ご飯、コーヒー
幽玄的な酒遊茶論 「有栖川山荘」
この宿に滞在したら是非行ってみたい場所があった。バーラウンジの酒遊茶論 「有栖川山荘」。「あら
や」の山庭に建つ一軒屋で、皇族有栖川家や小松宮家の皇族方が山代に逗留された折に使われた離
れを建築当時の趣きをそのまま残して改築した建物である。中でもこよなく山代の湯を愛された有栖川
宮熾仁親王に因んで「有栖川山荘」と命名したそうだ。有栖川宮熾仁親王は、幕末尊皇攘夷派の旗頭
となり、明治維新後は陸軍大将などを歴任して陸海軍創設に尽力された方だそうです。夜8時半から
オープンして2時間後の10時40分には閉店してしまう「日本一営業時間が短いバー」で、1泊目はゆ
っくり夕食を食べているうちに閉店されてしまった。2泊目は早めに夕食を開始し、日本酒も抑えて万全
の体制で「有栖川山荘」に向かった。4階でエレベータを下りて畳廊下を進むと、この宿で初めてのスリ
ッパにお目にかかる。この先に渡り廊下があるから。足元に灯りはあるものの薄暗い廊下を渡ると心
細い。やがて右手に建物が薄っすらと見えて来る。スリッパを脱いでイザ中に入るぞ。角を折れると、
ほの暗い畳廊下が続く。幻想的で怖いくらいだ。密やかな話し声を頼りにある部屋を覗いてみると、そ
こにはこじんまりとしたカウンターが仕切られていた。掘り炬燵式で足をカウンターの下に投げ出すと床
暖房が暖かい。開け放たれた隣室の和室にも堀炬燵式の長いテーブルがあり、照明が効果的だ。静
かな空間で、グラスの中の氷が動く音だけが響く。幽玄的な空間だ。
4階エレベータを下りて渡り廊下を進む 建物に入ってからもドキドキする空間
絵画と照明の見事な演出 小さなカウンターが設えられていた この部屋もいいなぁ
行き届いたサービス
どんな立派な建物や部屋を作っても、美味しい料理が供されても、やはり宿の価値はサービスで決ま
ると思っている。応対が悪かったり、サービスに手を抜いたりすれば宿の印象はたちまち悪化する。そ
の点「あらや」はサービスも素晴らしい。2泊3日の滞在中、ずっと同じ仲居さんがついてくれる。とても
気の合う女性で、出過ぎずかつ引っ込み過ぎずでお世話になった。羽毛蒲団が苦手な私に、汗をかき
ながら毛布に替えてくれる時もイヤな顔など全くしない。1泊目に「有栖川山荘」に行きそびれてガッカリ
していたら、2泊目は必ずお待ちしていますからと気配りしてくれた。他の部屋担当の仲居さんも、私の
名前を覚えていてくれる。女将は控え目に気を遣う。「有栖川山荘」のバー担当の男性は、聞き上手で
楽しい時間を過ごしたのだが、翌朝は加賀温泉駅まで送る担当もされていた。宿の入り口にある売店
の女性も快活で愛想が良く、ついお喋りしながらたくさん買ってしまった。離れた場所にオープンした「う
つわ蔵」の女性は、落ち着いた感じの良い方だった。まさに、宿は「人」である。
予約する時、キライな食べものを聞かれた。「赤貝、生の鮑、豚足、臓物・・・」。すっかりそんなことを忘
れていたのだが、「調理長が夢子様は貝類が苦手と伺ったが、これならいかがでしょう」と仲居さんに言
われてハッとした。客室の一角にある書斎コーナーにはレターセットが用意されている。その中の絵葉書
2枚には既に50円切手が貼ってあった。山代温泉には小松空港まで飛行機で行ったのだが、そこ
定のタクシーに乗られるなら、半額は宿で持ちますと言われて楽チンをさせて貰った。宿は心遣
たった2泊しただけなのに、帰る頃にはすっかり常連客のような気分であった。「次はいつ頃いらっしゃ
ますか?」と聞かれ、「そうですねぇ、じゃ蟹の季節のうちに伺いますよ」と私は答えていた。結構本気
のである。
おしまい
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「あらや滔々庵」データ 「日本の宿を守る会」会員
住所 〒922-0242 石川県加賀市山代温泉湯の曲輪
TEL 076−177−0010(代) FAX 076−177−0008
チェックイン:午後2時 アウト:午前11時
交通 JR北陸線・加賀温泉駅からバスで15分(予約すれば送迎バスあり)
小松空港からバス40分、タクシー30分(半額サービスあり 詳細は直接お問い合わせてね)
料金:客室、人数、曜日、季節によって変動
例)4月1日~11月6日 2名:@2万7300円〜4万7250円
11月7日〜3月31日 2名:@2万9400円〜4万7250円 (ずわい蟹の季節)
詳しくは以下のサイトを参照ください。宿への問い合わせもしてね。
http://www.araya-totoan.com/index.html
泊まった日:2006年10月から11月 書いた日:2006年11月