夢子の旅館大好きシリーズ

修善寺「あさば

大きな池と能舞台のある宿

「いつかは憧れのあの宿に」と思いながら、たくさんの宿を諦めて、忙しい仕事生活に追われて来た。

憧れの宿、と思っていたが、私はいったいそういった宿の何に憧れていたのだろうか。高級な建物と客

室の施設か、自慢の風呂か、痒いところに手が届くようなサービスか、名旅館という知名度か、それと

も美味しい料理か。うーん、そう整理してみるとよくわからない。「あさば」は能舞台が敷地内にあり、官

能小説家の作品にも逢瀬の場として登場する宿としては知っていた。数年前、食や旅、宿に関する師

匠というべき方から、「旅館でメシを食うならあさばが一番だよ」と教えられた。その時から、能舞台も滝

もどうでもよい、師匠の推薦する「あさば」の料理を食べたい!!と思って来た。

東京から首都高と東名に乗って沼津インターまでは平日なら2時間そこそこで着く。高速を下りて、1号

136号をゆるゆる進んで約40分。伊豆修善寺に到着する。平成の大合併ということで、日本全国は、

もう覚えられない程の規模で市町村の合併が相次いだ。ここ修善寺も、2004年4月1日土肥、戸田、中

伊豆と合併して伊豆市となった。因みに、2005年には大仁、伊豆長岡、韮山が合併して伊豆の国市と

なったのだそうで、なかなかにややこしい地名が並ぶ。修善寺温泉には、「竹庭 柳生の庄」や「修善寺

石亭 鬼の栖」、国の登録有形文化財の「あらい旅館」などの高級旅館や、お手頃料金の宿も含め20

数軒の宿がある。

  

    

街の真中に流れる桂川からちょっと奥まったところに、何度も写真で見た「あさば」の門が見えて来た。

瓦を乗せた歴史を感じさせる大きな門。車寄せの前にはこれまた由緒ありげな正面玄関に白い大きな

暖簾が風に揺れている。番頭さんが待ち受けていて、客の名前を聞くと奥に伝えてから鍵を受け取っ

て車を移動してくれる。暖簾は麻だろうか、くぐった途端に涼しげな風と共に、目の前に能舞台と600

坪の大きな池がパッと目に飛び込んで来る。劇的な仕掛けだ。あの有名な能舞台はどこにあるのかし

ら、なんて思う暇もなく、建物に入れば一瞬のうちに見渡せるのだ。横に広々としたロビーと、池から吹

き寄せる風、そして能舞台の佇まい、池の向こうは夥しい程の竹林の山、瞬く間にこの宿が好きになる

作りなのである。左手にある小さなレセプションデスクでチェックインをして、ロビーで一休み。座り心地

の良さそうな椅子が配置されているが、思わず池と能舞台の撮影に没頭。客室の前には、石製の岩見

床がジグザグに配置され、能や狂言の公演時には宿泊客以外に開放される由。やがて黒服を着たレ

セプショニストの女性に案内される。館内の隅々まで掃除がゆき届いており、実に清潔。「修善寺芸術

紀行」と題した張り紙には、能舞台の公演が表示されている。2005年は、6月22日は野村万作氏の狂

言、8月11日は野村萬斎氏の狂言、10月11日は観世銕之丞氏の「蝉丸」の能、何度か新内があるよ

うだが、予約開始すると数分で満室になってしまう人気なのだそうだ。19室ある客室はすべて池に面し

ていて、私達が泊まる「巻絹」の部屋はロビーから2番目の部屋だった。

  

  

どの客室からも能舞台が見えて

狭い踏み込みの右側には、洗面所とトイレが続く。唐紙を開けると、広縁の先に池と能舞台が見えて、

分かってはいても嬉しい驚きがある。池の左側には滝があり、結構な水量が音を立てて池に流れ落ち

ている。この辺りに源泉の1つがあるらしい。左手から、楽屋、鏡の間、橋懸り、そして野外能舞台の月

桂殿が続く。鏡の間からは石舞台が突き出ている。この月桂殿は、七代浅羽保右衛門さんが宝生流に

興じて、明治後期東京深川の富岡八幡宮から移築したとのこと。そして富岡八幡宮は、加賀前田家の

分家大聖寺藩主前田子爵から寄進されたものだ、と宿のパンフレットに書いてあった。十畳間に短め

の畳4枚が敷かれた広縁。部屋は大きくは無いが、2人なら十分の広さである。押入れには、金庫と着

替えが入った籠。浴衣は坊ちゃんが夏着たかもね、と思うような白の絣柄と紺地の2種ある。S、M、Lと

3サイズあるが、決して細くない私でもMサイズでぴったり。帯も締め易い素材を使っている。使い捨て

の足袋を置く宿が多いが、ここには無い。トイレはシャワートイレ、洗面所のアメニティ類はあっさりして

いる。冷蔵庫の飲み物はそう多くは無いが、扉の裏に収納されたおつまみ類は充実していた。部屋に

ついて出されたお饅頭は美味しかったが、夕食に備えて半分づつとした。

  

  

  

  

この宿の客室数は19。すべて違う間取りとなっていて、離れの「天鼓」、「鉄仙」、「萩」、「藤」など風呂

付の部屋が9室、一番小さな部屋は8畳で2部屋あるそうだ。どの部屋からも池と能舞台を見渡すこと

ができる。池の左側にある滝は、宿泊客の安眠のため、夜間は堰き止める。朝7時頃、ゴウゴウと水が

流れ落ち出してびっくりした。その他、4つの宴会場もある。今度泊まる時は、どんな部屋になるのか楽

しみになる。

温泉風呂は5つある

浴衣に着替えて風呂に行く。婦人風呂は円形の伊豆石彫で、スノコは高野槙の白さが眩い。5月末の

湯船には菖蒲の葉が浮んでいたが、冬になると柚子に代わるのだそうだ。アルカリ性の単純泉で湯温

は61.2度。しかし、入ってみると、あらら?ヌルイわ。61.2度の源泉掛け流しなのになぁ。上がって

「お湯加減はいかがでしたか?」と宿の方から聞かれたので「とてもヌルイお湯でした」と正直に答える

と、慌てて対応に走られた。翌朝は適温だったが。部屋に比して、風呂場に備えてあるアメニティグッズ

は充実していて、タオル類もたっぷり用意されているのが嬉しい。一方、池に突き出すようにある野天

風呂は男女入れ替え制。朝7時半から入ってみたが、池に浮ぶような藤棚を眺めながらの温泉は野趣

味に溢れて気持ちが良いことこの上ない。その他「卯の花」、「南天湯」の名がついた家族風呂もあって

予約制ではなく、空いていれば鍵をかけての入浴が可能である。温泉に浸かって火照ったカラダを癒

す水が涼しげにバケツの中で冷されている。汗をかいた後の水がことのほか美味しい。竹林からサッと

吹き込む風が爽やかで気持ち良かった。

  

  

宿周辺の散歩

修善寺に遊びに来たのは初めてだから、散歩に出かけた。宿を出てすぐ竹林の小経に入る。竹林の中

をブラブラと歩くと、途中にゆったりとした休憩所がある。竹林の左手には桂川が流れて、清流のせせ

らぎの音が心地良い。川を覗き込むと、まるで誰かが並べたかのように等間隔に大きな石があって不

思議な気がした。橋は真っ赤に塗られて、周囲の緑に映えて美しい。その昔、弘法大師が、川の岩を

独鈷(仏具)で叩いたところ、お湯が湧き出たと伝えられる「独鈷の湯」は、伊豆最古の温泉らしい。真

新しい木の湯船は混浴だそうだが、隠れる場所も無いせいか誰も入っていなかった。独鈷の湯からち

ょっと左手に上がったところに、修善寺温泉の発祥の地でもある「修善寺」がある。平安時代の初期に

弘法大師が開祖となった寺ということだが、現在修復中で大きなシートに隠れて見ることはできなかっ

た。竹の多いところだから蚊が多いのだろうな、と思った途端太ももをチクリと刺されてしまった。オー痒

い!桂川を挟んで、温泉宿が20数軒並んでいる。足湯の店、土産屋、飲食店、火の見櫓などがポツリ

ポツリと並ぶが、いずれも落ち着いた風情で好ましい。生い茂る木々は、梅、桜、紅葉が多い。花菖蒲

も多いと聞くから、いろんな季節が楽しめる温泉地ではある。同時に、入浴中に23歳の若さで命を絶

たれた鎌倉幕府2代将軍源依頼家や、源範頼の墓もあって、源氏の悲話の舞台となった場所でもある

のだ。

  

   

さて、自慢の料理は

「あさば」の食事は部屋食である。夕食は6時にお願いして待ちかねた。まずは地酒を赤塗りの杯で頂

く。続いて胡麻豆腐。季節の盛り合わせは大きなタライのような器で運ばれ、仲居さんが銘々の皿に取

り分けてくれる。金目鯛の昆布〆・牛肉の八幡巻・さいまき海老・浜防風の酢の物・小茄子の素揚げ。

金目鯛の昆布〆は昆布がデシャバラズ旨味だけを魚に移している。八幡巻の牛肉も旨い。鯵のたたき

吸鍋とは何だろうと手書きの献立を見て思っていたのだが、普通なら吸い物碗とする料理を目の前で

鍋仕立てとして供する料理だった。そのまま食べたいような鯵のたたきをサッと鍋の出汁にくぐらせて、

白身のネギと共にお碗に盛られる。あぁ・・・余りの上品な美味しさに深い溜め息をついてしまう。お造り

は鯛とアオリイカ。歯応えのある鯛とネットリとしたイカが対照的。可愛い新玉ねぎの煮浸しの次は大

見川の鮎の塩焼き。狩野川の支流なのだそうだ。おくらとトコブシの酢のものは柑橘類の酢でさっぱり

頂ける。そしてこの宿の名物でもある穴子黒米鮨。黒米はこのへんの名産と聞いたが、餅米のような

口当たりでもっちりしている。偶数でお出しするのは失礼ということで、2人の部屋にも3つの鮨が出さ

れる。3人なら3個、6人なら7個だそうよ。このヘンでは芋茎のことを「だつ」というとかで豚の角煮と

一緒に出て来た。そろそろお腹も苦しくなって来る。お酒は「立山」の冷酒を頂いたが、法外な値段を取

る宿や店が多い中で、一合1200円と良心的。こってりとした料理には、さらっとした「立山」が実に合う。

そして炊き立ての鮎ご飯が運ばれて来た。鮎から水分が出るので、残したものをおにぎりには出来な

いと聞いて、満腹でも2杯食べてしまう。味噌汁はもずくの実で、きゅうり・茗荷・沢庵の3種の漬物も浅

漬けで美味しい。デザートは葛切り、メロン、ブラマンジェから1つ選び、更に生姜・カボチャ・ブラマンジ

ェのアイスクリームが付く。地元の食材をふんだんに使った「あさば」の料理は、修善寺の料理である。

もう身動きできないほどの満腹、そして大満足の夕食であった。  

  

  

  

  

一夜明けて、あれほど夕食をたっぷり食べたのに、早起きをして温泉に浸かったりしていると、またもや

空腹となる。朝食は815分から3つの時間帯を選べるが、もちろん一番早い8時15分にお願いす

る。昨夜から風邪気味だと仲居さんに伝えると花梨のジャムとお湯を持って来てくれた。だいたいどの

宿でも朝食はズラリとお膳を並べるものだが、ここはコースのように料理が出て来る。まずは焼き立て

の出汁巻と新取菜のお浸し。出汁巻は焼き立てが美味しいからすぐ召し上がって下さい、と言う。卵3

つは使って焼いたようで、そのままでも大根おろしをつけてもしっとりと旨い。続いて白和え。秋からは

生椎茸の焼物になるようだ。仙台麩と若竹の煮物と一緒に、たっぷり盛られた白菜の漬物。そして、こ

れも焼き立ての金目鯛と自家製の山葵漬け。味噌汁の具はシジミでお碗が大きくていい。これだけオ

カズがあれば、ご飯3杯はいけたが、2杯で我慢。デザートはスイカであった。そうそう、この宿は蒲団

を敷いて寝室の体制になる時、夜のお菓子というものがあるのだ。椎茸のお菓子とこんぺい糖ね。

  

  

  

過ごし方いろいろサロン

母屋の一番左側にL字型にサロンがある。真っ白な壁にくり抜かれたような棚に書籍が並び、右側一

面はガラス戸で池と宿を直角に見渡すことができる。到着した日は、とても良いお天気で西日を避ける

シェードが開け放った窓に半分下ろされていた。連泊したら、このサロンでゆっくり読書を愉しみながら、

ウツラウツラするのもいいな、と思う。夜は洋酒を、朝は無料でコーヒーのサービスがある。和室も隣り

合わせにあって、好みでこちらの部屋から庭を眺めるのも良いかもしれない。

  

  

創業は何と330年前

「あさば」という宿の歴史が同宿のパンフレットに書いてあった。それに由れば、先祖の浅羽弥九郎幸

忠さんは、遠州華厳院から修善寺開山のために派遣された隆渓繁紹禅師に従ってこの地にやって来

たそうな。で、弥九郎さんはこの地がすっかり気に入って住み着くことにしたそうな。その後、子孫の浅

羽安右衛門さんが温泉宿を起こして、今に至ったのだそうよ。午後3時から翌朝の11時過ぎまでの20

時間の滞在であったが、終始安らいで過ごした。女性も男性も、この宿のスタッフは表情が優しい。笑

顔が似合う。私達の部屋の担当をされた仲居さんは、丁寧な応対の中にも親しみがあって、寛がせる

人柄であった。レセプショニストの女性も、売店で応対した女性も、湯加減を心配した男衆も、蒲団を敷

く段になって急に羽毛蒲団を毛布に代えて、とお願いしてもイヤな顔一つせず整えてくれた男衆も、誰

一人として感じの悪い人はいない。小ぶりの鯨(私と連れの女性)が2頭ゴロリと転がっているところに

マッサージに来られた女性2人でさえ、この宿で働いていることが嬉しい、という感じを受けるのだ。会

計をロビーのレセプションデスクで済ませたところに、担当の仲居さんがスッと近づいて来た。何かと思

えば、昨日お渡しした心付けの領収書を私に渡して「ありがとうございました」と深々と頭を下げられた。

支払い業務は機能的に行いながら、個人のお礼は仲居さんが直接する、というカタチを取っているらし

い。長年続く宿なのだ、ということをこの時も感じた。一番安くても1人3万6900円は決して安い料金で

はない。しかし、それが高くない、と思ってしまう程の満足を与えてくれる。連泊したら、お料理はどうな

るの?と仲居さんに聞いてみた。「全部お料理は代えさせて頂きます」と。「3泊したら?4泊なら?」と

意地悪に聞いても、「何泊されても大丈夫でございます。板長は困るでしょうが」とニッコリ笑った。じゃ、

今度は連泊でね。5月の爽やかな季節でもあったが、宿のどこにも澱んだところの無いそよ風のような

「あさば」であった。

                                                       おしまい

              ______________________

 「あさば」データ

 410-2416 静岡県伊豆市修善寺3450-1 電話:055-872-7000 FAX:055-872-7077

 料金:3万6900円から6万3150円 (1泊2食 サ・税・入湯料込みの1人分)

 チェックイン:午後2時半 チャックアウト:午前11時半

 行き方:車の場合→東名高速沼津インターより、R1、R136号で約40分

      電車の場合→三島から伊豆箱根鉄道で「修善寺」下車 そこからタクシー(かな?)

 同宿のホームページはありませんが、修善寺温泉旅館組合の共同ウェッブを参照↓ 

http://www.wbs.ne.jp/bt/shuzenji/asaba.htm

 泊まった日:2005年5月 書いた日:2005年6月

 

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