夢子のホテル大好きシリーズ

軽井沢万平ホテル

新幹線で軽井沢駅に着いた。一瞬冷気で身がすくむが、素晴らしい秋の晴天である。駅前からタク

シーに乗り、白糸の滝を目指した。新軽井沢と呼ばれる駅前通りの街路樹が鮮やかに色づいている。

やがて旧軽井沢ロータリー。右方向に進めば、旧軽井沢銀座の賑やかな商店街が続く。街道時代は、

軽井沢宿だったところで、奥まったところに文人が愛した「つるや旅館」もある。車では5分程だが、2キ

ロあるから歩くと30分はかかるようだ。直線なので距離を感じなかっただけか。ロータリーを左方向に行

けば三笠通り。草軽鉄道があった頃は、ここを電車が走っていた。鬱蒼としたカラマツ林が続き、上下

線の分離帯にもカラマツが続く。サイクリングで走ると気持ち良いだろうなぁと思った写真は、ここだった

のか。やがて右手に旧三笠ホテル。明治38年(1905年)に建てられたこのホテルは、「軽井沢の鹿鳴

館」と呼ばれ、皇族や政財界人が夜な夜な華麗なパーティを開いていたらしい。その後「三笠ハウス」と

なって昭和45年まで超高級ホテルとして営業していたが、現在は重要文化財となって一般公開されて

いる。館内に入るのは有料だし、時間も無いので外観の写真だけ撮影させて貰った。そこから更に山を

登る。ここからは有料道路(300円)で、高度を増すに従って紅葉が一層鮮やかになる。そして白糸の

滝。高さ3メートルの無数の山肌から水が勢い良く流れ落ち70メートルの半円形の滝を形成している。

この水が湯川になり、やがては千曲川に注ぐんだとさ。平日にも関わらず、大型観光バスがズラリと並

び、山間の滝は大賑わいであった。さてさて、今日のホテルに向かおう。今来た道を戻り、旧軽井沢ロ

ータリーと駅の中間くらいを左折すると、今までの賑やかさがウゾのような静けさが戻って来る。この先に

ホテルなどあるのだろうか、と不安になる頃、ようやく瀟洒な万平ホテルが見えて来た。

  

      カラマツが続く三笠通り                  旧三笠ホテル(入場するには有料)

                         白糸の滝と北軽井沢の見事な紅葉

1894年生まれのクラッシックホテル

クラッシックホテルというジャンルがあるようだ。「クラッシックホテルの仲間たち」というポスターには、

日光金谷ホテル、箱根富士屋ホテル、横浜のニューグランドホテル、東京ステーションホテル、奈良ホ

テル、そして軽井沢万平ホテルの6つのホテルが紹介されていた。蒲郡プリンスホテルは違うのか。昔

あった麻布プリンスホテルも現存したいたら、そう呼ばれたのだろうか。日光金谷ホテルと横浜ニューグ

ランド以外は全部泊まっている私は、きっとクラッシックホテル好きなのだろう。

 1894年創業というから、明治27年。いくつかの棟がある中で一番古い建物は、1936年昭和11年に

造られたアルプス館である。どうせ泊まるならアルプス館に、と思ったが人気が高く予約時にあと1歩の

ところで満室になってしまった。アタゴ館にしたが、出掛ける2日前にホテルから電話を頂いた。「キャン

セルが出たのでご希望のアルプス館をお取り出来ますが」。親切だなぁ。幸先良いスタート。アルプス

館は、一番前面の建物で木造3階建て。1階はメインロビー、フロント、レストラン、売店などがあり、その

上に客室がある。正面玄関からメインロビーに入ると、意外とゴチャゴチャした印象だ。右手にフロント、

正面左にメインダイニングの入り口、左手は緑と白のチェック柄のソファセットが幾つか置いてある。玄

関すぐ右手の赤い絨毯が敷き詰められた階段を上がっていく。赤い絨毯は白い糸くずが落ちているだ

けでも目立つが、掃除がよく行き届いている。ツインルームは48.76uと36.36uの2タイプあり、私は2

階の小さい方の部屋だった。部屋に入ると異空間があった。天井が高い。壁の白さと木の枠のコントラ

スト、くもりガラスを嵌めこんだ障子が印象的だ。入って左側がバスルーム、廊下部分にライティングデ

スクと大きな鏡、その前に大きな寝室、一番奥がこじんまりした居間部分だ。寝室と居間の間に大きな

開口部があり、ガラスの障子がある。開けておけば、寝ながら居間越しに外の景色を楽しめる。ベッドは

ツインだが、巨大なダブルに2つのマットレスを敷いたスタイル。真っ白なベッドカバー兼羽毛蒲団であ

る。ベッド際のナイトテーブルの下に皮製とパイル地のスリッパが2つずつ、ベッドの上にはバスローブ

が置いてあった。面白いところが定位置なんだなぁ。廊下部分と寝室はカーテンで仕切る。

   

   

   

居間はごく狭い。左奥にテレビと床の間、ピンクの椅子2脚とテーブル、右に大きなクローゼットと冷

蔵庫。部屋の手前には、軽井沢彫の見事な箪笥がある。軽井沢彫は、外国人の別荘に合う家具をとい

う要望から、日光彫の職人が花鳥風月を絵柄に家具を作ったものと言う。桜が好まれたことから、今でも

桜模様が主流。母国に帰国する時持っていけるようにと組み立て式になっているのが特徴らしい。ここ

にあるのも、桜模様で深い飴色をしたアンティークな箪笥である。洋室に床の間もヘンだが、それがクラ

ッシックホテルならではの魅力かもしれない。ちゃんと掛け軸もあり、鶴の絵柄の花瓶があった。そうい

えば、テレビが全く映らなかったのはどうしてだろう。故障?クローゼットは大きい。バカデカイ。なのに

ハンガーは6つしかない。色違いの浴衣が2枚ある。ライティングデスクにも引き出しが8段あるし、箪笥

もあるので収納は十二分。1ヶ月滞在しても大丈夫そうだが、そのためにはハンガーを増やさないとね。

寒冷地のホテルらしく、部屋の2箇所にスチームがあり、既に部屋を温めていた。

   

   

 バスルームのドアは上部がくもりガラス。広々とした明るいバスルームだ。部屋の奥には猫足のバスタ

ブ。奈良ホテルもそうだった。外国人のサイズに合わせたのか、悠々と寝そべることが出来る。バスタブ

の中で動くと、ちょっと傾いで、その度にキーキーと音を立てるのが面白かった。ハンド型シャワー、シャ

ワーカーテン、洗濯ローブ有り。洗面台は大理石。アメニティグッズは、歯ブラシ、固形石鹸、ヘアブラ

シ、クシ、シャワーキャップ、レーザー、耳棒、シャンプー、リンス、バブルバス。トイレはシャワートイレ。

タオルは3種類が2枚ずつあり、柔らかな感触。ドライヤーはバスルームには無く、探したらライティング

デスクの引き出しの中にあった。使用したバスローブやバスタオルを掛けるフックが1つしか無い。私は

シングルユースだったが、2人の客がいたら困るだろうな。

   

   

 飲み物は楽しい。冷蔵庫には飲み物の種類も多いが、嬉しいサービスがあった。たっぷりとした容器

に飲み水が用意されていた。「飲料水 無料」と書かれて冷されている。ミネラルウォータが1本無料で

すよ、とあるより、この方が心がこもっていて嬉しい。その代わりと言うことでも無いだろうが、ビール600

円、ペリエ400円、ソフトドリンク350円、小さいワイン850円と高い。冷蔵庫を開けると一番下段の赤と

白のワインがポコッと頭を出して、その都度笑う。冷蔵庫の上には、ワイングラスとアイスペール。氷は入

っていない。ライティングデスクの上にお茶のセットがある。スティック型のこぶ茶、煎茶、コーヒー、ブラ

イト、日東紅茶のティーバッグ、砂糖が各2。ポットは自分で水を入れて沸かすのだが、15分で沸き、保

温になった。日本茶用の茶碗と茶托、コーヒー茶碗、グラス各2セットあった。

   

ご予算次第でどの部屋も

 館内を歩いてみる。ロビー上の階段のもう一方の階段を降りると、ちょうど老夫婦を案内のスタッフが

エレベータに送ったところだった。「お部屋は2階でございます」と一礼し、扉が閉まると今私が降りて来

た階段を、荷物を持って脱兎の如く駆け上がって行く。やがて上の方でポンとエレベータが到着したチ

ャイム音がした。彼は間に合ったのだ。それにしても、こんなサービスを続けている万平ホテルはスゴイ

なぁ。ほの暗い廊下には、ホテル開設当時の古びた新聞や書籍、このホテルを愛した著名人の思い出

の品々などがガラスケースに展示されている。ジョン・レノン一家の写真もあった。ちょっとしたギャラリー

だ。館内の展示を隅々まで目を通すと万平ホテルの歴史が垣間見える。ロビーの左手窓側にあるカフ

ェ「テラス」はジョンが愛したコーヒーショップ。毎朝9時半になると彼は降りて来て、お気に入りの席に

座ったそうだ。さほど広くはないロビーはいつも賑やかだ。宿泊客だけでなく、軽井沢の観光客がホテ

ルの写真を撮りに来たり、カフェ「テラス」でお茶をするために訪れるのだろう。ステンドグラスが、何ヶ所

かに嵌められて一層レトロの印象を深めている。売店がある。ホテル特製のジャムやジュース、軽井沢

彫などが売られている。

   

   

アルプス館の2階の奥には、アタゴ館(愛宕館)がある。そしてその奥には完成したばかりのウスイ館

(碓氷館)。アルプス館には、36.36uと48.76uの2つのタイプのツインルームがあるが、セミシーズン

料金で、2万5千円、3万5千円である。アタゴ館のツインルームは32uで2万3千円、ウスイ館にな

ると、46.8uのツインが3万5千円、93.6uのスィートが8万円である。新しく出来ただけに全室インタ

ーネット接続可能、CDプレイヤーを設置している部屋が21室ある。もちろんルームチャージだけの料

金である。ロビーから右手にアタゴ館・ウスイ館があるが、左手の廊下を進むと会員制のハーベストクラ

ブの宿泊棟がある。会員資格や会費などについての質問はしていないので不明だが、きっとお高いの

でしょうねぇ。これらの建物に囲まれるように中庭がある。右手の上方から水が流れ込み、中程には小さ

な池がある。緋鯉が泳いでいる。池の上には小さな赤い鳥居。庭の木々も見事に紅葉していた。ハー

ベスト舘の前には、巨大な木があり、注連縄が巻かれている。樹齢はいかほどなのか。せせらぎを遡っ

て行くと、右手の奥には2人用と4人用のコテージがひっそりと建っていた。後刻料金を尋ねると1泊8万

円と14万円とのこと。普通の人間には、敷居が高いホテルだが、お金持ち用にはたくさんのチョイスが

出来るようになっているのだ。

   

       アタゴ館                                       ウスイ館

   

    ハーベストクラブ会員の宿泊棟                    2人用と4人用のコテージ

   

正面玄関から少し離れた場所に、別館「ザ・ハッピーヴァレイ」がある。軽井沢が現在のような有数の

リゾート地になった最大の功労者は、英国公使付き宣教師A・C・ショーなのだそうだが、彼は軽井沢を

訪れてこの地がいたく気に入り、別荘を建てた。やがて外国人が避暑のために軽井沢を訪れるようにな

り、洋風建築の別荘が増えていったそうな。1885年A・C・ショーは万平ホテル界隈を、「ハッピーヴァレ

ー幸福の谷」と名づけた。その名を貰った施設は、パーティやコンベンション会場である。チェックアウト

した日、結婚式に集まった人々で賑わっていた。

迷い多き多彩なレストラン

 夕食は大いに悩む。最も万平ホテルらしいのはメインダイニングの洋食だろう。和食も2つある。京料

理・たん熊「熊魚庵 ゆうぎょあん」か割烹の「熊魚庵」か。しかも中華料理の「萬山楼」まである。もちろ

んルームサービスもある上に、私の好きなバー飯をバーで摂ることも選択肢にはあるし。大いに悩んだ

末、結局、喫煙席があるか無いかでたん熊「熊魚庵」の鉄板焼を食べることにした。玄関から外に出て

右手に回り込んだところに桧館がある。三井財閥十一家連家の一つ鳥居塚家の建物で、明治中期に

一部を移築した総桧造りの建物である。戦前万平ホテルの日本館として、戦後は米国将校用スペシシ

ャルサービスホテルとして使用されていたが、現在はたん熊「熊魚庵」である。たん熊は、2001年の8月

から万平ホテルで営業を開始している。冬場11月10日から3月末までは休み。鉄板焼コーナーは、7

席だが、東京ドームホテル店と行ったり来たりしているシェフが目の前で神戸牛を焼いてくれる。私が選

んだ高尾コースの内容は次のようであった。前菜盛り合わせ(胡麻和え、蕪鮨、栗の渋煮、こ んにゃく、

生麩、はじかみ)、高原野菜サラダ、京都の豆腐(水菜とシメジ入り)、野菜焼(満 願寺唐辛子、まこも茸、

下仁田葱、白シメジ、刺身湯葉、栗)大根おろしとマスタードソース、 神戸牛ヒレステーキ 中伊豆の山

葵、ガーリックチップ、ガーリックライス、赤だし、漬物、 デザート。生ビールをグビグビ飲み、店の名前の

ついた冷酒熊魚庵4合瓶を飲んでしまったの で、かなり酔ってしまった。

   

   

   

   

    かなり酔ってはいたが、バーがあるのなら行かずばなるまい。ロビーの隣にあるのに、佇ま いが地

  味なせいか知らずに通り過ぎてしまいそうだ。カウンターに座ると、軽井沢のこと、 平ホテルのこと

  なら何でもご存知のベテランバーテンダーの方、これからこのバーを背負って行くぞ、 といった恰好

  の青年バーテンダーが、温かくもてなしてくれる。こんなことなら、もうちょっとシラフで来れ ば良かっ

  た。何時間でもいたいバーである。

   

     朝食は、洋食と和食とルームサービス。やっぱりこのホテルに泊まってメインダイニングに

行かないのも無いな、と洋食にする。ダイニングに入ると、天井が高く、赤い椅子と真っ白な

テーブルクロスが印象的だ。年配の方がサービスをしてくれて、一層レストランに重みが加わ

る。昨夜の酒が未だ残っていて、ハムや卵を食べる気持ちになれない。メニューを見るとサラ

ダ朝食というのがあった。これだ、助かった。たくさんの選択肢の中からグレープフルーツジ

ュースを選び、ヨーグルトと蜂蜜、高原野菜サラダ、全粒パンのトースト、コーヒー。サラダ

の野菜の切り方も丁寧になされていてサスガと思う。パンはよく焼いてね、と注文すると程よ

く焼かれた全粒パンが運ばれて来た。隣のカップルは、2人ともパンをお替りしている。テーブ

ルには、自家製のジャムが3種類あり、ホテル特製の信州りんご、ブルーベリー、グーズベリ

ーのジャムがあったが、グーズベリーが特にうまい。この場所で、昔は華やかな晩餐会などが

行われたんだ、と思いながらの朝食であった。

   

   

悠久の時を超えて

 ホテルを出て万平通りを右手に曲がると静かな別荘地になる。湿気の多い軽井沢だけあって、床を

高くした建物が多い。少し歩いたところに川があって橋を渡る。その先左手にはユニオンチャーチ、右

手に日本で一番有名な軽井沢テニスコートがある。ふ〜ん、ここだったのね、運命の出会いは。更に進

むと小さな店が並び始め、一挙に賑やかな旧軽銀座に出る。あれほど静かだったホテルを出て10分も

しないうちに、この賑やかさに辿り着けるのも魅力だ。

万平ホテルの創業は、1763年江戸時代のことと言う。万右衛門という人が旅籠「亀屋」を営んでいて

いたが、1894年明治27年洋館造りの「亀屋ホテル」をオープン。この年を「創業」と位置づけている。2

年後の1896年には「萬平ホテル」とホテル名を変更し、明治35年に桜沢に移転。1919年大正8年に

は日本館を建設し、室生犀星や堀辰雄が宿泊した。1935年昭和10年に本館を取り壊し、翌年の昭和

11年に現在のアルプス館の新館が完成した。45室定員75名、同時に萬平ホテルから万平ホテルへ。

しかしここで戦争となり、1945年昭和20年、万平ホテルはGHQに接収されて営業は休止せざるを得な

くなる。暫らく米軍の将校用の施設として使われていたが、その後返還されて、7年後の1952年昭和2

7年営業を再開したということだ。1970年にはジョン・レノンが初めて宿泊し、その後度々訪れるようにな

る。そして、1994年100周年を迎えた。この万平ホテルが辿って来た歴史を頭に入れて、ロビーに座り、

廊下の手摺りに触れ、ステンドグラスを眺め、木々を見上げると、長い年月の間にここに集った人、旅立

った人に思いを馳せて、熱い思いにかられて来た。

                

                                                      おしまい

泊まった日:2002年10月下旬

軽井沢万平ホテル:〒389-0102 長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢925

電話:0267-42-1234 ファックス:0267-42-7766  http://www.mampei.co.jp/ 

行き方:軽井沢駅からタクシーで「万平ホテル」と言う。歩いたことは無いが徒歩なら30分?

駅前から北に向かって三笠通りをまっすぐ進み、途中ホテルの看板のある所を右折。突き当たり。

宿泊料金    料金 :ルームチャージ料金  シーズン(11/4ー12/27、1/3−4/26)、セミシーズン(5/6−7/26、

        9/1−11/3)、ハイシーズン(7/27−8/31)、特別期間(4/27−5/5、12/28−1/2)で料金は異なる。

       例えば、私が泊まったアルプス館の36・36uの場合

       シーズン2万円、セミシーズン2万5千円、ハイシーズン3万8千円、特別期間3万円である。宿泊棟

       や部屋の大きさによって色々あるので、ホテルのHPでチェックしてしてね。

       因みに、私の場合は、ツインルームに1人で泊まったので5千円引きの2万円であった。 

 

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