パクパク日記5年7月1週

           リトアニア・ラトヴィア・エストニアのバルト三国にいまーす

トゥラカイ城 カドリオルク公園

7月 4日(月) 東京は雨 モスクワとヴュリニュスは晴れ

第1食 新宿駅 「サンマルクカフェ」 野菜と玉子のサンドイッチ(半分)、アイスコーヒー

6時に起きて外を見るとドシャ降り。へなへなー、今日からバルト三国に行くというのに何ちゅうこった。

傘をさして早めに家を出る。新宿駅の地下でサンドイッチを食べるも雨で落胆したのか半分残したよ。

第2食 ロシア航空ビジネスクラス機内食 アミューズ:小さなミートパイ、サラダ、前菜盛り合わせ、

      パン、スープ、サーモン、アイスクリーム、コーヒー、ジントニック、白ワイン、赤ワイン

  

  

正午発モスクワ経由ロンドン行き、ロシア航空に乗り込む。以前アエロフロートと呼ばれていた飛行機

会社だ。何となく乗りたくない飛行機だったのだが、ビジネスクラスの食事が始まってから驚いた。アミ

ューズから始まって、6品のコース料理が出て来たぞ。しかも器は陶器とガラスで、味も良いのに二度

ビックリ。スープを出す時オジサンが「ミソ」と言った。ボルシチ風だが、仄かに味噌味もするのだった。

第3食 ロシア航空ビジネスクラス機内食 軽食、トマトジュース

    いろどりも美しいので完食

料理が旨いから、酒もがぶ飲み。アハハ。しかし、映画もなーにもやらないので退屈な機内であった。

夕方のお茶 モスクワ・ノボテルホテル アメリカンコーヒー 90ルーブル

午後1025分モスクワ着。時差があるので時計を5時間戻して午後525分。モスクワはトランジ

ットで何度か空港内で過ごしたことはあるが、入国したのは初めて。空が広く良い天気だ。次の便まで

4時間以上あるので空港近くのノボテルホテルで休憩がてらお茶。モスクワでアメリカンコーヒーかぁ。

第4食 リトアニア航空ビジネスクラス機内食

    これ味がいいのよ、でもお腹いっぱい・・・

さっき入国したのに、早くもロシア出国。ロシア航空と共同運航しているリトアニア航空午後910

発ヴュリニュス行きに乗る。2人の客が遅れて来たので30分遅れ。国際線とはいえ、1時間半のフライ

トだからメシは無いと思いきや、良い匂いの料理が出て来た。柔らかい豚肉とじゃが芋。美味しいのに

お腹いっぱいじゃー。でも半分食べた。もう11時近いのに、機内から夕陽を眺める。美しい夕陽だ。今

7月4日は、30時間もある長い長い一日だった。ようやくバルト三国最初の国リトアニアに到着した。

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7月 5日(火) 快晴

朝 リトアニア・ヴュリニュス「ホリディイン」レストラン 朝食ヴュッフェ(焼きたてパン、スモークサー

    モン、焼きトマト、豆の煮物、マッシュルーム、生野菜、茹で卵、グレープフルーツジュース、ヨーグルト、

    コーヒー、フルーツ、

    リトアニア最初の食事

買ったばかりのスーツケースの鍵番号を忘れてしまったり、ノースモーキングルームだったりでゴタゴタ

して寝たのは2時近かった。しかし、ちゃーんと5時半には起きる。旅に出ると私は早起きだからね。い

つものように、6時半のレストランオープンと共に朝食。ザッと料理を見渡す。1週間こんな感じなのね。

昼 リトアニア・ヴュリニュス「Neringa」 マッシュルームスープ、ツェペリナイ(挽肉のマッシュポ

     テト包 み)、パン、ストロベリームース チョコレート添え、エスプレッソ、リンゴのフレッシュジュース

    6リタ ス(240円)

  

  

  

ヴュリニュスって覚えにくい名前だが、リトアニアの首都。ある時代はポーランドの領地になっていたこ

ともあるのだ。聖ペテロ教会の見事な漆喰レリーフに見惚れ、大聖堂、大統領官邸、ヴュリニュス大学

などを見学。この国は教育水準が高い。聖マリア教会はナポレオンが侵攻して来た時、余りの見事さに

「掌に乗せてフランスに持ち帰りたい」と言ったらしいよ。それにしても良いお天気で、空は真っ青で澄

んでいる。湿度が低いので、さらさらした空気が気持ち良い。ランチには、リトアニア名物のツェペリナイ

が登場。挽肉入りの巨大なマッシュポテトの団子だが、飛行船ツェッペリンに似ているからこんな名前

になったとか。じゃが芋の皮は、モチモチ。イタリア料理のニョッキの食感に似ているかな。でもデカイ。

夜 リトアニア・ヴュリニュス「ホリディイン」レストラン カリフラワーのスープ、仔牛肉の煮込み ワ

     イル ドライス、パン、ベリーアイスクリーム、コーヒー、ビール(大) 6リタス、白ワイン 10リタス

  

午後から郊外のトゥラカイ城に行く。真っ青な空とキラキラ光る湖に茶色のお城が映えるんですわ。リト

アニアの特産品といえば琥珀。バルト三国、ロシアにもあるが、ここが一番品質も良く安いと聞けば、み

な目の色が変わる。私はそうでもないけど、買いましたよん。夕食はホテルで。食事を終えて「この旅行

中こんな食事が続くなら私痩せちゃう」とポツリと本音を漏らしたら、周囲が驚いた。だってそうでしょ?

バルト三国は北過ぎて葡萄の生産は出来ないからワインは輸入品。今晩のワインはスペイン産だよ。

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7月 6日(水) 快晴 ほんの一時小雨

朝 リトアニア・ヴュリニュス「ホリディイン」レストラン 朝食ヴュッフェ

昨夜、夕食は終わってからホテルの近くのスーパーに買い物に行く。ホテルには、歯ブラシもシャンプ

ーも何も置いていないので洗面用品を買いに行ったのだ。全部で10リタス(400円)でお釣りが来た。

10時でも明るい。日の出は4時半頃だろうか。444分起床。今日は移動もあるし忙しいのだよ。

昼 リトアニア・カウナス 「Pompeje」 コルドゥーナイ(リトアニア風水餃子)、焼いたチキン 温

      野菜 添え、フルーツカクテル、エスプレッソ 

バスでリトアニア第二の都市カウナスに向かう。カウナスはヴュリニュスがポーランドに接収されていた

時代首都だった。みなさん、カウナスって聞いたことあるでしょ?日本のシンドラー」とも呼ばれた杉原

千畝さんが日本領事代理を勤めていらした町。今日7月6日はリトアニアの建国記念日の祝日で、もぬ

けの殻になった旧市外を歩いてから丘の上の杉原記念館に行く。1940年7月、迫り来る死を逃れるた

め、ユダヤ人が小さな日本領事館を取り囲んだ。日本を経由してアメリカ大陸に脱出するためのビザ

の発給を求める人々だった。当時ドイツと同盟を結んでいた日本政府はビザ発給の許可を拒否。困り

果てた杉原さんは独断でビザを発給し、6千人もの命を救った。ご出身の岐阜県八百津町が制作した

20分程のビデオを観て、部屋の中からはすすり泣きも聞こえる。小さな門には「希望の門 命のビザ」

と書いてあった。さてランチ。コルドゥーナは、これもリトアニア名物で水餃子と思えば良い。旨いのだ。

夜 ラトヴィア・リガ・ドミナイン 「Da Antonio」 野菜とパスタのスープ、ポークソティ マッシュ

    ルーム ソース、ほうれん草とサラダ添え、ティラミス、ビール、赤ワイン

  

  

リトアニアは別名「十字架の国」とも呼ばれているそうで、途中無数の十字架がある「十字架の丘」に立

ち寄った。ここには亡くなったパウロ2世法王も訪れたようで記念の碑が立っていた。さて、第二の国ラ

トヴィアの首都リガに到着。バルト三国最大の都市で、地元の人は「リーガ」と発音する。ホテルのレス

トランは「Da Antonio」というイタリア料理の店。茹でたほうれん草のソティにチーズをたっぷりかけた

付け合せがとても旨い。あららー、皿いっぱいにお替りまで来たじゃありませんか。日頃、明るいうちに

は酒は飲まん、と宣言している私だが、こう日の高い国に来てはそうも言っておられん。ワインはチリ。

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7月 7日(木) 晴れ 午後にわか雨  ロンドンテロ事件勃発

 ラトヴィア・リガ・ドミナイン 「Da Antonio」 朝食ヴュッフェ

  

6時起床。まやもや開店していないレストランの前で待ち受ける。料理はリトアニアとさほど変わらない

が、茹でポテトと挽肉を挟んだクレープのようなものがあった。ライ麦パンにサーモンを挟んでパクリ。

 ラトヴィア・リガ 「Livonia」 ニシンのフィレ、パン、川カマスのピカタ 温野菜添え、アイスクリ

    ーム とフルーツ、、コーヒー

  

  

  

リガは大きな街だ。日本ではアール・ヌーボー様式と言った方がわかりやすいユーゲントシュティール

様式の建物が並ぶ一角があった。名画『戦艦ポチョムキン』のエーゼルシュテイン監督の父上が設計し

た建物。旧市街を散策。今日も素晴らしい天気。ハンザ同盟に加盟していた街だけにギルドの紋章が

目立つ。どこを撮っても絵葉書になるような美しい街並みで撮影に忙しい。昼飯どーということはない。

夜―1 ラトヴィア・リガ 「SOHO」 卵とコーンのとろみスープ、春巻、酢豚、牛肉炒め、白身魚の

    甘酢 和え、野菜炒め、白飯、ジャスミンティー、フルーツ、ビール 1ラッツ(200円)、日本酒 3ラッツ

    (600円)

  

  

  

午後3時からの見物をサボってホテルでテレビを観ていたら、ロンドンで大変な事件が起こっていた。

朝9時半に地下鉄とバスで爆破テロ発生。難しそうな顔をしたロンドン警察のエライ人が「被害の実態

は未だ把握できない」と英語で言っていた(ような気がする)。旅も4日目となり旅行社としても、このヘ

ンで食事に変化をと思うのか、今晩は中華だった。しかし、レストランの看板には「SUSHI BAR」の表

示。ラトヴィアでは、鮨も中華も同じなのかしらね。中華料理の味は悪くない。しかし白飯はひどい。こ

のシャリで握る鮨は食べたくないなぁ、と思った。日本酒も飲んでみたが地ビールの方が断然旨いよ。

夜―2 ラトヴィア・リガ 「New York BarMore」 ジントニック

Y田さんとK瀬さんを誘って、バーで一杯。2軒目のバーで飲んでいても外は明るいのだからヘンだ。

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7月 8日(金) 快晴

朝 ラトヴィア・リガ・ドミナイン 「Da Antonio」 朝食ヴュッフェ

6時起床。「今日もお天気なんでしょ」と外を見ると、ホントに良い天気なので嬉しい。7時からモリモリ。

昼 エストニア・パルヌ 「Trahter Postipoiss」 ボルシチ、パン、ビーフシチュー、バニラアイス

    クリ ーム、コーヒー

  

ラトヴィアから最後の国エストニア共和国へ。北海道の6割の国土面積で、一番北に位置する。昨年

EUに加盟した三国だが、国境通過時はカンタンな検査がある。バスの中でパスポート出して、スタン

プ押して貰うだけだけど。で、通貨も違うので、その度に両替するのがメンドー。今度はクローネ。1クロ

ーネは約9円。エストニアのロサンゼルスと呼ばれるパルヌで昼食。ロシアに着かないうちにボルシチ

が登場。海岸に行ってみると男性陣が喜ぶトップレスの水着姿の女性達がウジャウジャいましたよん。

夜―1 エストニア・タリン 「エルミタージュ」 サラダ、パン、七面鳥の胸肉 リゾット添え、クレー

     ムブリ ュレ、コーヒー、ビール、赤ワイン

  

  

エストニアの首都はタリン。何か足りん?なんてね。山の手のトームペアのすぐ近くのホテルで、のっぽ

のヘルマンという塔が部屋からも眺められる。どうということの無い食事をビールで流し込んで食べる。

夜―2 エストニア・タリン 「エルミタージュ」 バー ジントニック2杯

とても小さなホテルで、バーと言ってもフロントのカウンターの一部だけ。席はロビーの椅子を兼用だ。

今日嬉しい拾い物をしたので4人にご馳走する。え?添乗員のS井さんのオススメはヨルダンなの?

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7月 9日(土) 快晴

朝 エストニア・タリン 「エルミタージュ」 朝食ヴュッフェ

    

疲れが出て来たのか、起きたら6時40分だった。三ヶ国目となると朝食の期待も膨らまない。どうせ同

じようなものだろうから。スクランブルエッグの代りが日本の卵焼きのようで、それだけは旨いと思った。

朝食後、散歩がてら坂を登ってトームペアに行ってみた。真ん前にある玉葱屋根のロシア正教教会、

アレキサンドル・ネフスキー教会の大きな影が、朝陽を浴びるエストニア城にくっきりと落ちて、ロシア、

ソ連支配を受けてきたこの国の歴史を象徴するようで複雑な思いに襲われた。独立して未だ14年だ。

昼 エストニア・タリン 「Maikrahv」 レバーパテ 小さな玉葱添え、ポークソティ ポテトとザワー

    クラ フト添え、ベリーのタルト、コーヒー

  

  

  

トームペアの展望台から街全体を見渡すことができる。バルト海に面していて、フィンランドのヘルシン

キまで高速艇で1時間半、一日40便もあるそうだ。因みにタリンとは「デンマーク人の城」という意味と

か。近郊のカドリオルク公園内にはピョートル大帝が妻エカテリーナT世のために作ったピンク色の離

宮が青い空に映えてキレイだった。この国で一番楽しみしていた「歌の原」。独立の重要な場となった。

タリンの旧市街の中心地ラエコヤ広場では、ちょうど中世のお祭りをやっていていろんな民族衣装を纏

った売り子が屋台を出して賑やかだ。旧市庁舎の塔の上にはトーマスおじいさんが空を眺めている。

夜 エストニア・タリン 「Beeahouse」 ハムと野菜入り豆のサラダ、エストニア風豚肉ロール、バ

    ラ風 味のクリーム、赤ビールの1リットルジョッキ 75クローン(670円)

  

  

  

ホテルに帰ってシャワーを浴び、またもやラエコヤ広場のレストランへ。ビヤホールね。茶色と普通のビ

ール、1リットルと500mlのジョッキがあるというので、茶色の1リットルビールを注文したら、私1人だ

けだった。ジョッキが重くて飲むのに苦労する。食事が終わった頃、民族衣装を着た踊り子が6人登場。

飛んだり跳ねたりの踊りで、私達のグループからも誘われて何人かが踊った。皆お上手でありました。

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7月 10日(日) 快晴

朝 エストニア・タリン 「エルミタージュ」 朝食ヴュッフェ

5時半起床。今日は旅の最大の難関、ロシア入国が控えている。難関と言っても共産時代ではないか

ら緊張するようなことは無いのだが、手続きに数時間待たされる可能性もあるという。745分出発。

昼 エストニア・ナルバ 「Rondeel」 チキンヌードルスープ、鱒のソティ 茹でじゃが芋l、生野菜、

    ザワ ークラフト添え、フルーツ、コーヒー

  

  

タリンから200キロ離れた国境の町ナルバ。国境に隣にはナルバ城があって、今はレストランとなって

いた。付け合せの茹で立てのホカホカのじゃが芋が運ばれて来た。何て美味しいんでしょ!つい4個も

食べてしまいましたー。鱒もイケマス。食事の間アコーディオンの演奏があって傍らにそれはそれは可

愛らしいお嬢さんが父親のCDを売っている。その娘と写真を撮りたいからと買う人もいた。商売上手。

夜 ロシア・サントペテルブルグ・ホテルルネッサンス 「キャンバス」 ポテトとグリーンピースの

     サラダ、スズキのピカタ トマトバジルソース、チーズケーキ、コーヒー、ビール 170ルーブル

     (680円)、白 ワイン 150ルーブル(600円)

  

  

平均で2、3時間、下手するともっと待つこともあるというエストニア=ロシア国境だったが、今日は奇跡

的に早く済んだ。エストニア出国18分、ロシア入国20分!!よって、サンクトペテルブルグ到着は7

時半か8時かと予想していたのに、5時半にはホテルに到着。幸運であった。エストニアのホテルの部

屋は息詰まる程狭かったが、今日から「ルネッサンス」で広々として豪華である。皆上機嫌でレストラン

に集まり、楽しい夕食となった。鶏肉、豚肉、魚が嫌いというT中さんのご主人は野菜を食べていた。

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【今週の振り返り】

高校の地理の授業でバルト三国という国々があることをボンヤリと覚えてから、次にしっかりと頭に焼

きつくキッカケになったのは一番好きなヴァイオリニストだった。ヴァイオリニストでは、アンネ・ゾフィー・

ムターや五嶋みどりさんもいいが、ギドン・クレーメルが一番好き。彼がラトヴィアのリガ出身だったので

ある。そして15、16年前だったか何げなくつけたNHKの番組に引き込まれた。広場でとんども無い人

数の人々が歌っていた。この日、エストニアの首都タリンの「歌の原」には、エストニア人の三分の一に

当る30万人が集まり、合唱していた。「♪エストニア、エストニア・・・・・・」30万人の混声合唱である。

その歌声の素晴らしさ、ただならぬ悲壮感に流れる涙が止まらなかった。いつかバルト三国に行こう、

エストニアの「歌の原」に行こう、と思った。

バルト三国は、北からエストニア、ラトヴィア、リトアニアから成る。いつも三国とは言われながら、その

民族も、言葉も、宗教も、通貨も違い、独自なものを持っている。国土は北海道の6割、8割、8割のい

ずれも小さな国だ。バルト海を挟んで北欧の南、ロシアの西、ベラルーシとポーランドの北に位置する。

そんな位置だから、それぞれがドイツ、デンマーク、スェーデン、ポーランド、ロシアそしてソ連に攻め込

まれて統治を受けた。他国に翻弄され続けた小さな国の歴史だ。しかし、彼らは自分の言葉を忘れず、

民族の誇りも失わなかった。その愛国心と民族の誇りの象徴が「歌と踊りの祭典」である。

一旦独立したものの、第二次世界大戦でドイツとソ連の間に結ばれた秘密協定で、バルト三国はあっ

という間にソ連に併合されてしまった。抵抗した多くの人々は処刑され、シベリアに強制的に送られた。

今は時差1時間のヨーロッパ時間に位置するのに、モスクワ時間を強要された。ツラク苦しい時代、彼

らの心の拠り所は、既に100年以上の歴史を持つ「歌と踊りの祭典」だった。リトアニアとラトヴィアで

は4年に1回、エストニアでは5年に1回開催される。1988年9月。エストニアのタリンに集まった30万

人は、独立の思いを歌にした。心の底から独立を願って必死に歌った。私が観たNHKの番組は、この

場面だったのだ。それが三国の独立運動の高まりを呼び、1991年リトアニアがいち早く独立を宣言、

翌1992年ソ連の最高決定機関は、バルト三国の独立を認めた。「歌いながらの独立」と言われた所

以である。

小国で寒い三国は独立を勝ち得たが、生活は苦しいようだ。昨年EUにも加盟を果したが、物価が上

がるのが先で、未だメリットを享受するところまでは行っていないらしい。ラトヴィアでは、賃金の高いフ

ランスやドイツに職を求めて若年層が流失するのではと危惧も抱いている。美しい街に住む、素朴で色

白の人たち。澄んだ空気のような印象のバルト三国。きっとこれからは良いことがありますよ、良い方

向に進みますよ、と祈らずにはいられない。長い長い苦難の歴史を背負いながら、ようやく独立と自由

を手に入れて14年。タリンのラエコヤ広場で買った1988年の祭典のライブCDを聞きながら、私は腹

を空かして、そんなことを考えている。さて、次はロシアだ。

             そうそう、将来は明るいと思うニャア

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