パクパク日記6年1月2週

             アフリカのチェニジアだが、冬はやっぱり寒いのだった

大塩湖の朝焼け  サハラ砂漠と駱駝

1月 9日(月・成人の日の祝日) 晴れ

朝 家食 味噌雑炊、もずく酢、信州大根漬け

    味噌雑炊が好きですねん

昨夜寝たのは、午前4時過ぎだった。目をつぶってやっても出来るハズのパクパク日記の更新が躓い

た。ちゃんとやったハズなのに、どうした訳かクリックしても最新のパクパクの画面に飛ばない・・・。困り

果ててもうお休みだったA先生を電話で起こして助けを乞う。スンマセン。45分悪戦苦闘した結果、何

とかアップできた。それから賀状返事書きの続きをやったので、深夜になった。四谷に蟹工船もあるの

だよ。寝不足も祟ってか鼻水が止まらない。こうゆう時はカラダが温まる味噌雑炊がいいね。うんまぁ。

昼 家食 煎り卵・サニーレタス・サラミのトーストサンド

    煎り卵も好きなんだよ

昨日卵3個で作った煎り卵が残っている。エディアールパンをトーストしてガブリと。ホンマこれ旨いわ。

夜 家食 「れんが亭」のコロッケと鯵フライ、レタス、トマト、福島三春の三角揚げ・白滝・椎茸煮物、も

ずく酢、キャベツと豆腐の味噌汁、お赤飯

  

拙者終に風邪を引き申し候。こうした事態を招かぬよう日々万全の備えをして参りし候らえば、至極無

念にて候。鼻がしきりに垂れて困惑し候。鼻を紙にて拭いしも、後から後から滝のごとく鼻水が垂れし

候。紙を丸めて鼻の穴を塞ぐことも考えし候が、見目芳しからずと諦めし候。若干の熱も感じ申し候。咳

なども時折し候らえば、益々苦しく慌て申し候。近日異国に向け出立する身ゆえ、万難を排して治癒せ

ねばならむと治癒策を小さき頭を大いに使いし候。滋養豊かな食事を摂りし後、ビタミンC、ユンケルな

る小さき瓶の液体を摂取致し、暖かき部屋にて早めに就寝なさるが宜しきかと知恵モノの家老(誰よ、

それ)が申す故、拙者その通りにし申し候。さてさて風邪の治癒はいかに。よってくだんの如し。無酒日

          _____________________________

1月 10日(火) 晴れ

朝 無し

大奥にも朝がやって参りました。昨日夢子局さまがお風邪をお召しになり、私ども腰元も心を痛めて案

じておりました。ご家老さまのお言いつけを素直に守られ、亥の刻前にはお休みになられた夢子局さま

でしたが、今朝のご様子はいかがでしょう。まぁお顔に艶が戻られてお元気そうなこと!何と何と治られ

ましてございまする。ただ、梅庵先生が煎じられたお薬をお飲みになられるためにも、朝餉を召し上が

った方がおよろしいのにお召し上がりにならなりませぬ。ほんに夢子局さまは食が細くていらっしゃる。

昼 新宿御苑 「L Bohe‘me」 青じそと小海老のスパゲッティ 800円、Aセット:クランベリージ

       ュー ス、サラダ、コーンスープ、ガーリックトースト +350

  

来月行く予定の某国はビザが必要ということで、区役所まで住民票を取りに行く。本人確認を厳しくとい

うのが役所にも押し寄せていて、本籍地は?誕生日は?なんてクイズのように聞いて来る。某国が要

求する顔写真は、縦7センチ、横5センチ、顔の大きさだけで4センチと証明写真にしては馬鹿デカイサ

イズである。取り置きしておいた写真では用が足りず、取り直した。ランチを摂ろうと思っていた「礼華」

はお休みだった。御苑が休園の時は休むのね。で行ったのが「L Bohe‘me」 。ヴェルディのオペラ

から店名を取ったのだろうが、お針子のミミはいなかった。Aセットには、白か赤のワインが付くのだが、

昼間から酒もなかろうとジュースにして貰う。味可もなく不可もなく。店員の声が大き過ぎる店である。

夜―1 上野池端 「鳥栄」 鶏鍋コース(青菜の古漬け、大根おろし、軍鶏の正肉、ハツ、レバー、

      ネギ、焼き豆腐、軍鶏のたたき(お替り)、スープ茶漬け、漬物)、ビール、冷酒 @11000

  

  

    毎日でも食べたい「鳥栄」の鍋

明日スーツケースを事前に預けねばならない。旅支度はなーにもやっていない。訪ねる国は、東京より

ちょっと暖かい位の気候だが、朝晩寒暖の差が激しいのでコートも必要?水着も?傘も帽子も?12日

分の下着も入れてと、凄い荷物になった。昨日必死に風邪を治そうとしたのは、今晩「鳥栄」に行く予定

になってこともある。それほどこの店が好きで、中でもミンチ状の鳥のたたきは夢に見る程である。今日

のメンバーは4人。11月1日に予約を取ってくれた食いしん坊Tの仕事仲間、三っちゃんとM利さんであ

る。M利さんとはいったい何年ぶりだろうか。真夏冷房もない上、冬場暖房の無い部屋に、チンチンと

真赤に焼けた備長炭が運ばれて来ると、部屋はポッと暖かくなる。鳥スープを火にかけて、さぁ鳥鍋開

始!ケンカにならぬよう、4の倍数づつ肉を入れる。うんまぁー!!待ってました!ミンチが煮えた。あ

ぁ、くらくらするほどの旨さだぁ。お替り必ずすべし。最後の〆は白いご飯にスープをかけて。お替り!

夜―2 湯島 「ドレミファ」 水割り @6千円

風邪引きなのだから帰れば良いものを、「鳥栄」があんまりうんまくて、はしゃいでしまいやした。で、カ

ラオケに行こうと言うことになりやした。「ドレミファ」のマイクがとても良いので歌い過ぎてしまいやした。

             ____________________________

1月 11日(水) 晴れ

朝 無し

目が覚めると、風邪がひどくなっていた。熱がかなり出ているのか、寒い。カラダがだるい。頭痛もする

が、これは二日酔のせいかもしれない。明日から出発なのに、マズイんでないかい?こんな調子でさ。

昼 四谷 「マハラジャ」 カレーランチヴュッフェ(カレー:キーマ・野菜・チキン・卵、キャベツ、コーン、

       ラ イス、焼きたてナン、苺ゼリー、コーヒー 840

  

寝ていたい気持ちを必死で奮い立たせ、風呂に入ってから代々木の整体に行く。風邪が治る整体をお

願いしやす。ちょっと元気になって、四谷で遅いランチ。風邪を引いて以来、口の中がやたらに渇く。汁

緬がいいかも。何度食べても味がピンと来ない「こうや」のわんたん麺を食べて、その理由を探るか。

「エリーゼ」も「こもり」も通り過ぎ「こうや」の前に行くと、何と工事中であった。がっくし。気を取り直して、

ガツンとカレーでも行きますか。4種のカレーではキーマカレーが一番辛くて美味しい。ナンは、焼きた

てを持って来てくれる。ご飯とナンでお腹いっぱいになった。インド人って、言葉覚えるのうまいよね。

夕方のお茶 四谷三丁目 「オレンジ」 コーヒー 440

明日から12日間、風邪引きのまま異国で過すのは不安だ。近所の医者に行く。もしかしたらインフル

エンザかも、なんて物騒なことを仰る。今インフルエンザかどうかは、鼻にナンか入れてチョコチョコっと

検査するとすぐ分るのね。「絶対違いますって」「イヤ、インフルエンザの方が治りは早い」「ダメですよ、

インフルエンザで旅に参加したら他の皆さんに叱られますよ」なんてやり取りしているうちに、無罪の完

全勝訴となった。ほっ。いろいろ薬を貰ったが、それでも不安で薬屋でゼナ、ビタミンC、マスクを買う。

珍しく、テレビでアニメを見た。「アイシールド21」。へぇー、面白いねぇと見ていると、何と3日のライス

ボウルの試合が映ったではないか!!そうそう、声優の子役3人がライスボウルに来ていたっけね。

夜 家食 風邪撃退あったか夕食(万能なめこと生姜入りきしめん、生姜入り味噌汁、「PAUR」のフラ

ンスパンのホットドッグ

   万能なめこ入りだす

冷蔵庫の整理もあるが、風邪を撃退するあったかーいご飯にしよう。きしめんにも味噌汁にもおろした

生姜をたっぷり入れた。薄めの味にしておつゆもごくごく飲む。汗が出る。万能なめこというものをきし

めんに入れてみたがオカシナ名前だ。万能ネギなら何となくわかるが、万能なめこ?ヘンなの。無酒日

            _________________________

1月 13日(木) 晴れ

第1食 家食 PAUR」のアップルパイ、カスタードクリームパン、「日清」のフォー

    甘い朝食

7時起床。今日からチェニジアに出かけるが、成田集合は昼前なので、ゆっくり朝ご飯を食べる。とはい

え「PAUR」のアップルパイ、カスタードクリームパンと甘いものばかりでおやつのような朝食となった。

第2食 成田空港ラウンジにて 持参した「PAUR」のチョコレートタルト、小さなサンドイッチ、コーヒー

     これも甘いぞ!

成田に行くには、新宿西口からリムジンバスを利用することが多い。時間帯にもよるが、早ければ70

分、遅くとも85分位で到着する。然るに、今日は出発直後か渋滞にはまり、第2ターミナルまで100

もかかってしまったぞ。しかも乗るアルタリア航空は第1ターミナルで、集合時間ギリギリ。ようやく、旅

行会社の受付を済ませる。飛行機会社のチェックインの前にX線の検査で「ライターらしきものが3つ

ありました」とトランクを開けさせられた。煙草屋さんがサービスでライターを入れてくれたのを袋毎入れ

て来てしまったらしい。何か出発前から、いろいろとケチの付く旅行ではあるなぁ。禁煙のラウンジでは

持参のチョコレートタルトを半分齧る。出発前喫煙室で気持ち悪くなる位マトメ吸いをする。これでOK

第3食 アルタリア航空ビジネスクラス機内食

  

  

出発の数日前、行きの機内食で日本食を希望するかどうか、と電話で問われた。アルタリアの場合、

日本食は予約制なのだと。私しゃあイタリアンで良いよと答えた。いつもは、ビジネスクラスで一人とい

うケースが多いが、今回のツァーは「ビジネスクラスで行く○○」という旅だから、全員ビジネスクラスに

座っている。しかも25人だ。ナヌ?ジンを積み込んでいない?じゃあウォッカトニックで手打つわ。その

代わり、ワインはじゃんじゃん持って来てねー。前菜の2種のショートパスタは、選ばずに両方食べた。

第4食 アルタリア航空ビジネスクラス機内食

  

飛行機はミラノに向かっている。マイケル・コナクーのハリー・ボッシュシリーズを読み出したら、面白く

て眠るどころではない。孤独な悲哀感が詩的でいいよねー。えー、またご飯食べんのぉ?腹減らんぞ。

第5食 チェニジア航空機内食

ミラノで乗り換えてチェニジアのチェニスに行く。ミラノ空港は何度も来たことがあるから、内部は知って

いる。13時間強禁煙をしたから、空港で一服するのが楽しみだ。ゲゲゲ!!ビジネスのラウンジでも、

空港内のレストランでも禁煙になったぁ???ショックと怒りが収まらず、空港の隅々まで歩いてみる。

ホントだ、どっこも吸うとこないわ。どうしても吸いたいなら、イタリアに入国して、空港の外で吸い、また

出国して来いと言う。煙草は堪えることにしたが、怒りを堪えるのに苦労する。すっかり不機嫌になった。

3時間空港で過して乗ったチェニジア航空。機内食?そんなの要らん!!プリプリ怒ってフテ寝する。

            _________________________

1月 14日(金) 晴れ 夜小雨             TD=チェニジア ディナール=約87円

朝 チェニジア・チェニス「チェニス・シェラトン」 朝食ヴュッフェ

  

チェニス空港に着いたのは夜中11時半。日本時間では午前7時半だ。19時間ぶりに空港の外で煙草

を吸い、久々のニコチンでフラッと来た。これがタマラナイ。ホテルの部屋でヤレヤレと腰を下ろしたの

が午前1時。徹夜明けの朝9時になるのだが、その後眠れなかった。疲れ過ぎると神経が高ぶってそ

うゆうことがある。7時に朝食レストランへ。某航空会社のスッチー5人がスパスパと煙草吸っていた。

昼 チェニジア・シディ・ブ・サイド 「ピラーデ」 シーフードサラダとファティマの指、パン、小鯛のグリル 

ペンネ添え、オレンジ、ミントティ

  

    量が少ないとこうも哀しいか・・・・

チェニスのメディナ(アラブ時代の旧市街)に行く。1979年世界遺産に指定された。チェニジアで一番大

きなメディナではあるが、数年前行ったモロッコのフェズやマラケシュのそれに比して随分こじんまりし

ている。でもメディナは、いろんな店が並び、人々がいて、猫がいて楽しい。次は「バルドー美術館」。18

19世紀の王宮跡の建物が美術館となっており、カルタゴ、ローマ、ビザンチン、アラブと4つの時代の

展示。ここの見せ場は、何と言ってもモザイク美術である。天然の石を使った精密なモザイクに驚嘆し

た。昼食のチェニジア料理を楽しみにしていた。しかし、内容はさんざんだった。寒いのに冷たいサラダ、

骨ばかりの小さな小さな魚で、悲しくて涙が出そうだった。しかも、狭い店に次から次へと団体客が押し

寄せ、それが全員日本の団体観光客なのだった。日本語だけが飛び交うチェニスでの寂しい昼食だ。

午後のお茶 チェニジア・シディ・ブ・サイド「カフェ・デ・ナット」 松の実入りミントティ

  

  

午後は、カルタゴへ。チェニスから12キロ離れており、古い都跡の今は、高級住宅地に変身している。

カルタゴの歴史は古く、ローマ、アレキサンドリアに次いで3番目の大都市として栄え、常にローマを脅

かす存在であった。ローマ帝国との戦いは3度あり、第2次ポエニ戦争でアルプス越えをして勇猛に戦

ったハンニバル将軍の名は余りにも有名だ。紀元前146年の第3次ポエニ戦争で、カルタゴを破ったロ

ーマ帝国は、町を徹底的に破壊し尽くし地面に塩まで撒いてその再興を恐れた。カルタゴの遺跡は、

小さく静かに佇むばかりで、猫が番人役を務めていた。私は、シディ・ブ・サイドを訪れることを楽しみに

していた。チェニジアン・ブルーの街だからである。真っ白な壁に、窓枠、屋根、ドア、階段、庇、何でも

ブルーに塗られている。蚊がブルーを嫌うということで、始まったことらしいが、今ではそれがこの街に

観光客を呼ぶ。どこを撮っても絵葉書のような景色。世界で一番古いということで有名な「カフェ・デ・ナ

ット」で名物の松の実入りミントティを飲む。フーん、面白い味だね。坂の途中黒スーツ姿の日本人が数

人立っていて異様な感じ。ナンダナンダと覗きこむと、河野洋平衆議院議長と息子の太郎さんだった。

 チェニジア・チェニス メディナ「エンサラーヤ」 チェニジアのつまみ3点、前菜盛り合わせ、ラハ

      マ トン、ナットムージャ、ミントティ、ビール 6TD、赤ワイン

  

  

夕食はメディナの中にあるチェンジア料理のレストラン「エンサラーヤ」へ。「エンサラーヤ」とはトルコ語

で家とか屋敷という意味だそうだ。私のテーブル横で男性が弦楽器を弾きながら歌を歌っていた。「マ

ルッフ」というチェニジア音楽で、アンダルシア、フラメンコの特徴も織り交ぜた哀愁に満ちた音楽であっ

た。ステキな演奏にチップを払う。今日はちょっと高級なチェニジア料理ですと言われたが、どうもピンと

来ない味。つまみに出たハリッサは、韓国のコチジャンのようで辛くて良いが、他は旨いというほどでも

ないなぁ。今回の25人のグループは男性7人、女性18人という、よくある男女比ではあるが、女性の

大半が1人参加というのも珍しい。ご夫婦は6組いらっしゃるが、T葉さんに赤ワインをご馳走になる。

          ____________________________

1月 15日(土) 晴れ

朝 チェニジア・チェニス「チェニス・シェラトン」 朝食ヴュッフェ

  

  

丸2日寝ていなかったこともあり、昨夜は9時半には寝てしまった。今朝は4時に起きる。このホテルは

チェニスでは最高級ホテルらしいのだが、朝食レストランが6時オープンなのに温かい料理が出て来る

のは7時頃。早立の客は、金返せって感じだね。料理がたくさん並んでいるようで食べるもの少ない。

おまけに、チェックアウトの際、使ってもいないミニバー代を請求されたのは、私以外にも数人いたぞ!

昼 チェニジア・エルジェム 「ホテルカーサエルジェム」 サラダ・チェニジア、パン、魚のソティ サ

      フラ ンライスと野菜添え、みかん

  

  

実は、出発の2日前旅行会社から電話があって、予定していた飛行機の運行が無くなった結果、コー

スを変更しますと言って来た。つまりチェニジア旅行のハイライトとしてチェニス観光が最後に控えてい

たのだが、最初になってしまったわけ。ハイライトが先に来ると、あとはどうなるのでしょ。空は晴れてい

る。まさに、チェジアンブルーである。ベンツ製のバスは途中ローマ時代の水道橋を見たりしながら南

下を続け、エルジェムを目指す。ここには、世界文化遺産で3万人を収容したという円形闘技場がある

のだよ。エルは「THE」、ジェムは「BIG」の意。ローマのコロッセオがイタリア語で「大きい」というのと同

じだね。その前に「カーサ」というホテルのレストランで食事をしたが、レストランの中は氷室のように寒

い。そして料理は冷たいサラダに小さな魚・・・・。皆絶句だ。スープを出せー、温かいスープを出さんか

いなー!!!そこに団体客が入って来る。またもや日本人グループだ。ここはトイレの水も流れない。

夜 チェニジア・カイラワン 「ホテル ラ・カスバ」 夕食ヴュッフェ ビール 4TD,白ワインボトル

      (2人 で) @11TD

  

  

夕刻カイラワン到着。フランス語読みすれば、ケロアンとなるそうだ。一応5つ星ホテルではあるが、星

の1つ2つはどうなんでしょうねぇ、というホテルだった。この街はアフリカにおけるイスラムの発祥地で

イスラム世界ではメッカ、メディナ、エルサレムに次いで世界で4番目に重要な地とされている由。そし

てこの街も世界遺産なのだ。夕食はヴュッフェ。ヴュッフェは好きではないが、チェニジアに来てからカ

ラダが温まる料理を食べてないので素直に喜ぶことにする。旨くはないが、スープもあるしね。イスラム

信者が大半の国ではあるが、ビールもワインも生産している。頼んだ白ワインは、すっきりしたまずま

ずの味。M井さんが頼んだ赤ワインは「飲めたものではない」というので貰って飲んだが、本当だった。

         ___________________________

1月 16日(日) 晴れ

 チェニジア・カイラワン 「ホテル ラ・カスバ」 朝食ヴュッフェ

  

4時50分起床。イスラムの国では5時20分頃、その日最初のアザーン(お祈りを呼びかける声)が聞

こえるが、余りに大きな声でびっくり。モスクが近いせいだと思うが、アフリカのイスラム発祥の地だから

か、なんてことも考えてしまう。朝食会場に一番に行った。料理全部揃ってエライ。が、冷たく不味い。

昼 チェニジア・ガフサ 「ガフサ・パラスホテル」 野菜のスープ、パン、カリフラワーの詰め物、牛

      肉と 豆の煮込み アーティチョーク、ライスとポテト添え、フルーツカクテルとナツメヤシの実

  

  

アラブ朝時代の貯水地、グランドモスク、シディ・サハブの霊廟、メディナを見学。メディナでは、「マクロ

ウド」というナツメヤシとセモリナ粉、蜂蜜を使った名物菓子を売る店がずらっと並んでいた。バスを飛

ばして3時間。土砂漠の風景になって来た。砂漠のオアシスの町ガフサで昼食。この日、皿に温かいス

ープが配られた。たったそれだけのことなのに「嬉しい、温かい、アリガタイ」と皆カンドーしていた。今ま

で気温を慮らないメニューだったからね。続く料理2品も美味しく、初めて満ち足りた食事だったのだ。

夜 チェニジア・タルメザ 「タルメザ・パラス」 トマトのスープ、パン、トマト・卵・ソーセージのオジャ、

       ロ ーストビーフ、アップルパイ、ビール 5TD、赤ワイン 15TD

  

  

  

周囲は、完全な土砂漠となり、しかも山間部へ入った。砂漠のタルメザ山岳地帯に、突然高級ホテルが

現われるのだから、驚くじゃありませんか。「タルメザ・パラス」という4つ星なのである。中庭のプールに

は満々と水が張られ、ロビーのインテリアもセンスが感じられる。部屋はいくつかのブロックに分れるの

だが、私の部屋は、プールの下の一番遠いブロック、しかも最奥の部屋で往復に苦労した。しかし、部

屋に入って窓からの景色を見た途端、余りの美しさに唖然とした。水の無い川ワジを挟んで、35年前

の大洪水で流されたタルメザ村の廃墟が目の前にあるのだ。周囲はナツメヤシの林、そして夕陽を浴

びるタルメザの山々。まさに太陽が沈もうとしている。チェニジアに来て良かったなぁとシミジミ思った。

夕食はホテルで。本館のレストランへの往復は寒いのでコート着用。食後夜空を見上げると満天の星。

          __________________________

【今週の振り返り】

次の週の数日もチェニジアに滞在したが、ここでチェニジアをまとめて書こうと思う。

アフリカの北西部を「マグレブ地方」と言い、モロッコ、アルジェリア、チェニジアを「マグレブ3ヶ国」とも

言う。数年前にそのモロッコを訪ね、初めてのイスラム圏ということも手伝って毎日髪の毛が逆立つよう

な(オーバーですが)カルチャーショックを受け続け、夢中で楽しんだ。先ずはあの蛇がのたくったような

アラビア文字。どう足掻いても判読不能だ。フェズやマラケシュの巨大なメディナに入る前、ガイドがい

なければ迷子になると出て来ることが出来ないと脅かされた。中のクネクネ道に入って、その言葉が大

袈裟でも無いと納得した。肉屋の前にズラリと並ぶ動物の首に顔を背け、細い路地でロバが曳く馬車と

擦れ違う時は、壁にヘバリつき、ナメシ皮工場近くでは余りの臭さに鼻がもげそうになり、ドヤシつけて

も諦めない物売りに辟易し、笛を吹いてコブラを操るおじさんと目が合って・・・・。砂漠で駱駝に2回乗

ったが、その度に振り落とされそうになって怖い思いをした。しかし、未だ真っ暗な砂漠に駆け上がって

拝んだ日の出の美しさは今でもしっかりと脳裏に焼きついている。タジン料理も美味しかったし、マグレ

ブは私を強く引きつけた。

真ん中のアルジェリアは観光で行く国ではないので、次にチェニジアに行きたいと思うのはごく自然な

なりゆきだ。それに、チェニジアには古い都カルタゴがあり、チェニジアン・ブルーの街シディ・ブ・サイド

があり、見事なモザイク画があるのなら見てみたいじゃないか。いろいろ書いているフリをしているが、

チェニジア行きの動機はそれだけです。

結論から言えば、チェニジアはモロッコをコジンマリさせたような穏かで安全な国であった。私達のグル

ープのガイドをしてくれたセキブ氏曰く、「チェニジアは世界で余り有名ではありません。なぜなら平和だ

から。なぜなら大きな事件がないから。なぜならテロも伝染病もないから。世界的なニュースが少ない

のです。でも、チェニジアは歴史が古いです。ローマから恐れられたカルタゴがありました。ハンニバル

将軍を生んだ国です。アフリカで初めてイスラムが始まったカイラワンもあります。ローマ時代の水道橋

もきっちり残っています。3層では一番保存状態が良いエルジェムのコロシアムもあります。砂漠もあり

ます。見所いーーーっぱいです。治安もいいです。でも、世界であまり有名ではありません。それは平

和だから」。この話を彼は何度もした。そしてその通りだと思った。

チェニジアは、アフリカ諸国の中で、経済発展レベルは南アフリカに次いで2番目と言う。その背景に

は、隣国リビアのように石油が出ることもなく、資源に乏しい。よって独立政府は教育に熱を入れて来

た。遊牧民がぽつりぽつりとしかいないどんな田舎に行っても、小さいながら小学校がある。教育は、

大学まで無料と言うことだ。資源が無いから人を育てる?どっかで聞いたような・・・あっ、かつての日本

でした。高い教育水準を維持している結果人材も輩出して経済発展の成功に結びついているとのこと

だ。「リビアの大金持ちも、病気になるとチェニスの病院に来ます。チェニジアは医療技術も高いからで

す。お金持ちの国は、それだけで安心して教育に力入れません。チェニジアはビンボーだったから、教

育熱心にやりました。それが良かったです」。それだからかは別として、チェニジアの人の表情は概ね

穏かだ。

日本・韓国共同開催のワールドカップは5試合見たが、20026月14日大阪で見た試合は、日本×

チェニジア戦だった。0−0で折り返した後半、ゴールの真横の席で、森島、中田ヒデの連続ゴールをこ

の目でしっかり見た。その時は、ベスト8に入る勝利に浮かれて、チェニジアの選手のことも、ちょっとだ

けいたチェニジア応援席のことも目に入らなかった。セキブ氏は、その試合のことを話すと、今でも悔し

そうな顔をした。メディナを歩いていて、日本人とわかると「こんにちは」と声をかけて来る。そして次に

出て来る言葉は「ナカタ」、「ナカムラ」、「ミヤモト」だ。その国の首相や大統領の名前は知らなくても、

サッカー選手の名前は知れ渡っている。

セキブ氏は、ぽっちゃり顔の独身青年だが、「私の名前忘れそうになったら、チェニジアの「紫式部」と

覚えてください」と大らかに笑った。国名のチェニジアはフランス語読みで、アラビア語では首都と同じく

チェニスなのだそうだ、チェニスの意味は「幸せ」。ずっと幸せでいてね。

         チェニジアを負かしたのは森島にナカタ?ぐやじーニャー(古い!)

         バックナンバーのトップへ     夢子倶楽部のトップに戻る

13週も大急ぎで作りますので、暫しお待ちを!