パクパク日記6年2月4週

           アルゼンチンは遠かっタンゴ!  ブラジルは暑―イグアス!

  タンゴショー   イグアス大瀑布

2月18日(土) 晴れ (先週の続きです)

第2食 成田空港 「チャイニーズカフェ Momo」 五目ラーメン 1050円、アイスコーヒー 310

    モヤシラーメンは無くなった

成田に向かう途中で花屋に寄る。旅行中にA藤さんの一周忌が来るので奥様にお花を送るためだ。空

腹を抱えて成田空港に着き、「チャイニーズカフェ Momo」へ。えー?モヤシラーメンは作るのヤメた

のぉ? 2ヶ月第1ターミナルだったのでようやく来てみればこうだよ。プンプン。五目ラーメンは普通。

第3食  エア・カナダ 成田〜トロント ビジネスクラス機内食 和食懐石コース、シャンパン、ジ

       ントニ ック×2、白ワイン×2、赤ワイン×2

  

スーツケースは20キロピッタリだった。せっかく30キロまでOKのビジネスクラスに乗るのに、ブラジル

国内のフライトはエコノミーということで20キロの荷物を作って来た。何か損した気分。30分遅れで18

15分離陸した。席は3Gでピッチは広い。離陸前からシャンパン飲んで、和食の懐石コースを食べな

がら酒もがんがん。機内食は美味しいか?旨いわけ無いじゃん。その分酒飲むぞー。もっとくれー!!

第4食  エア・カナダ 成田〜トロント ビジネスクラス機内食 鮭、蒲鉾、お粥、フルーツ、コー

      ヒー

エア・カナダは、パーソナルフライトプランとか称して第2食目の内容、時間を指定できる。食事の量を

ちょっとにするか、ドカンと食べるか、中身は何にするか、いつ食べるかをカードに書いて指定する。私

は着陸2時間前に、お粥を中心にしたドカン食を注文。お粥はちょっぴりだった。12時間15分かかっ

て同じ日の1715分トロント着。さぶー!零下10度?空港近くのホテルまでちょっと休憩に行った。

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2月 19日(日) ブエノスアイレスは晴れて暑い!

第1食 エア・カナダ トロント〜チリ・サンチャゴ ビジネス機内食 サラダ、サーモン、ケーキ、

      コーヒ ー、シャンパン、赤ワイン、白ワイン

ホリディ・インで歯磨きし、顔を洗って休憩。久々の煙草が旨いよ。いつでも夏姿になれるよう着替えて

再び空港へ。2145分発の飛行機に乗り込む。一晩過したハズなのに、またもや夜なのだよね。って

ことはまたお酒を飲むのかな。またシャンパン飲んでウィー!ワインをじゃんじゃん持って来てよねー。

第2食 エア・カナダ トロント〜チリ・サンチャゴ ビジネス機内食

10時間乗って、ブエノスアイレスに着いたと思ったら、そこはチリのサンチャゴだった。経由便だったと

は全く知らずびっくり。ほう、ここがサンチャゴですかい。清掃のため飛行機を降りて、煙草を3本吸う。

第3食 エア・カナダ チリ・サンチャゴ〜アルゼンチン・ブエノス・アイレス ビジネス機内食

午前11時15分離陸、アンデス山脈を越えて2時間でブエノスアイレス着。いやいや長い旅でありまし

た。外に出ると31度!暑いぞ。バスに揺られて35キロ。ポラ・ボラーチョという酔っ払いの木にピンク

の花が咲いている。家を出てから何と39時間かかって市内のNHフロリダホテルに到着した。ふー。

第4食 アルゼンチン・ブエノス・アイレス「ラ・パレラッチャ」 イカとじゃが芋の前菜、ピザのパン

     など各 種パン、アボガドマヨネーズ、海老のリゾット、アイスクリームとフルーツ、プチフール、お茶、

     赤ワ インマルベック、白ワイン シャルドネ

  

  

ホテルで旅の汗を流した後は、お洒落なプエルト・マデーロ地区のイタリアンレストランで夕食。アルゼ

ンチンに来てナンデイタリアン?とも思ったが、この国の大半の国民はスペインとイタリアからの移民な

のであります。海老のリゾットがバカウマで、この旅の食事は期待できるぞ!とこの時は思った。ワイン

も旨いじゃないか。満腹のお腹を抱えて運河沿いを散歩する。空を見上げれば、ほら、南十字星だよ。

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2月 20日(月) ブエノス・アイレスは晴れ

朝 ブエノス・アイレス・NHフロリダホテルレストラン 朝食ヴュッフェ

  

                      世界三大劇場の一つ コロン劇場        南米のパリと称されるブエノス・アイレスの街

昨夜余りに疲れていたのか、部屋に帰った途端うたた寝をしてしまった。夜中に起きて今度は眠れず

読書をしたりして。こうゆうのが時差ボケのツライところさ。それでも6時過ぎには起きて朝食。このホテ

ルの朝食ヴュッフェはたいしたこと無いなぁ。早速市内観光に出かける。ミラノ・スカラ座、パリ・オペラ

座と並んで世界三大劇場と言えば、コロン劇場なのだそうだ。4千人収容できる。今日はカラッと晴れ

た暑い日。因みにブエノス・アイレスとは「良い空気」という意味。青い空と咲き乱れる花。美しい街だ。

  

  アルゼンチンタンゴ発祥の町カミニート          街角では若い踊り手が        観光客もタンゴ姿。2USドルで3ポーズ

五月広場に立ってカサ・ロサーダ(ピンクの家)と呼ばれる大統領府を眺める。なんでピンクの家かと言

えば、高い湿気から守るために漆喰に牛の血を混ぜて壁を塗ったらしいよ。カテドラル・メトロポリター

ナ(大聖堂)を見学した後、ボカ地区に行く。ここにはかつて同国随一の港があり、ヨーロッパから移民

して来た人々は皆この港に着いた。イタリア移民の多い街でその中のカミニートはアルゼンチンタンゴ

の発祥地として観光客を集めている。ほんの100メートル程の小径には、色とりどりの建物に挟まれて

画家達の作品が並ぶ。踊り手と組んで記念写真を撮る観光客、どこかで演奏しているタンゴの音色に

併せて、若い男女が踊りを披露して金を集めている。この労働者の町からタンゴは生まれたのだねぇ。

昼 ブエノス・アイレス 「ハプニング」 ミートパイ、パン、サラダ、ソーセージ、ビフェ・デ・チョリーソ 

       ポ テト添え、ナッツアイスクリーム チョコ添え、コーヒー 

  

  

北のパレルモ地区に移動してランチ。牛が人間の数倍いる国らしく、ドデカイ牛のステーキがドドーンと

出ました!一人分で400gはあるなぁ。余りの大きさに皆笑っている。食べられんよ。脂身を外しても残

300g。半分もイカンかった。26人中、完食者(脂身除く)は2名。いずれも60代の女性であったぞ。

  

    ラ・プラータ川の向こう側はウルグァイ        高級墓地のレコレータ墓地            あのエビータの墓だよ

レストランの前にはたゆたゆとラ・プラータ川が流れている。その源泉は遠くアマゾン、一番川幅の広い

ところは220キロ、一番狭いところでも40キロというからタマゲル。プラータとは「銀」。その昔銀を求め

て遡った川という。茶色の川の向こう側はウルグァイだそうですよ。レコレータ地区はブエノス・アイレス

屈指の高級住宅街だが、そこにあるレコレータ墓地は最古にして由緒ある超高級墓地である。6400

納骨堂には、歴代大統領13名の墓が含まれ、どの納骨堂も贅が尽くされている。一番人気があるの

は、あのエビータの墓。恵まれない境遇から女優、大統領夫人になったものの若くして病に倒れたエビ

ータは今でもアルゼンチンの人々に圧倒的な人気を集めているらしい。たくさんの花が供えてあった。

夜 ブエノス・アイレス 「ラ・ベンターナ」 野菜スープ、パン、白身魚のソティ 野菜添え、フルーツポン

チ、白ワイン

  

  

夜は楽しみにしていたアルゼンチン・タンゴを聞きに行く。食事はどーでもよろしー。注がれるままに白

ワインをがぶ飲みしいるついに10時過ぎにショーは始まった。最初は前座ね。最後に待ってました!

カルロス・サーサリー率いるタンゴバンドの登場。甘く切ないバンドネオンとバイオリンの音色、魂に呼

び掛ける歌声、アクロバティックで官能的な踊り・・・・。学生時代の思い出も蘇り、感動の涙が流れる。

大興奮の演奏の後、カルロス・サーサリー氏と握手をして貰ったリ、CDにサインして貰ってまた感動。

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2月 21日(火) 晴れ 一時雨

朝 ブエノス・アイレス・NHフロリダホテル 朝食ヴュッフェ

昨夜ホテルに帰ったのは、1時近かった。今回のツァー参加者の年齢には、アルゼンチンタンゴって特

別に懐かしい音楽なのだよね。ベッドに入っても、タンゴの音色の残音が頭を駈け巡ってなかなか寝付

かれなかった。そんなワケで今日は寝坊して7時起床。ゆっくり朝食を摂り荷物を作る。今日も暑そう。

昼 空港にて 和食弁当

    嬉しいね、こんなお弁当

日本を発って数日だが、空港で配られた和食のお弁当に歓声を上げる。海苔巻、太巻き、キンピラに

酢の物、おっ、煮物まで入っている。飛行機が遅れたので空港のベンチに座ってムシャムシャ食べる。

午後のおやつ アルゼンチン航空 ブエノスアイレス〜イグアス機内食

ブエノス・アイレスから国内線でイグアスに飛ぶ。イグアスはアルゼンチン、ブラジル、パラグアイの3つ

の国の国境近くにある。空港に迎えに来ていたのはアルゼンチンのバスだったが、どうゆう理由か途

中でブラジルのバスに乗り換えた。バスの中で滝見学用の支度をする。私は7分ズボンにゴム草履。

夜 プエルト・イグアス ナシ!!

  

夕食抜き?はーい、不名誉な負傷をいたしまして・・・。ビジターセンターからトロッコ列車に乗った途端

に激しいスコールに見舞われた。屋根などついていても何の役にも立たない横殴りのド激しい雨。レイ

ンコートや合羽を着た私達が浮いてしまう程、他の観光客は気楽な軽装であったが、彼らは今濡れ鼠

で寒さに震えておるぞ。激しい雨粒の中に固いものが・・・・あら?これ雹ではありませんか!この辺り

では夏に雹が降るとか。30分ほどで雨も止み、アルゼンチン側の最大の見所「悪魔の喉笛」まで歩く。

片道1,7キロの鉄製の歩道橋は滑り易いから気をつけてねー。気をつけてねー。あと200メートル位

ね、と足元から目を離した途端、スッ転びました!!!気がついたら歩道橋に倒れていて、苦しくて息

が出来ない。痛みに目も開けられない。ワラワラと人が集まって来る様子を感じる。口々に何か言って

いる。ようやく目を開けて喋ることが出来た。ツァーでご一緒のO山田さんは何とドクターでいらして、私

の後ろを歩いていたらしい。肺に異常が無いことを確かめて起き上がらせてくれたが、あちこと痛いの

何のって。足はすり傷程度だが、右胸を強打して息をするだけでもイダダダ。それでも滝がもうそこだか

ら頑張って見に行く。向かい側から滝が怒っているようにもの凄い水量で落ちて来る。これが「悪魔の

喉笛」かぁ。私はその前に悪魔の仕業で怪我してしまったよ。空で旋回していた鳥達が水しぶきの中に

次々と飛び込んで行く。岩燕だ。ちょっと前にテレビの番組で見たぞ。この滝の裏側に巣を作っている

のだ。感動的な場面なのだが、転んだショックで、どこか遠い世界を浮遊しているような気分。ホテルに

帰っても傷みは増すばかりなので、湿布をして患部をグルグル巻きにして寝た。夕食はパスだ。無酒日

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2月 22日(水) 晴れ

朝 イグアス・シェラトンホテル 朝食ヴュッフェ

  

6時前に起きるも胸の痛みは依然としてある。起き上がるのにも2分程かかる。旅は始まったばかりと

いうのに、この先どーなるの?と不安でいっぱいだ。朝食のレストランに降りて行くと、皆さんが心配の

声をかけて下さる。ホテルのベランダからもイグアスの滝を見ることができる。このホテルは国立公園

に唯一あるホテルなのだ。今日はブラジル側からの滝観光、是非行きたい。半日なら大丈夫だろうか。

昼 ブラジル側イグアス 「ポルトカノア」 ランチヴュッフェ(イタリアンとブラジル料理)、パイナップ

     ルジ ュース 3ドル

  

  

観光のためでも国境越えには時間がかかる。アルゼンチン側が滝が流れ落ちる所なら、ブラジル側は

滝が落ちた所。「イグ」は水、「アス」は壮大なという意味らしいが、幅3キロ、最大落差80メートル、毎

65000トンの水量という世界最大の滝だけあって、その眺めは壮大そのものだ。2キロ程の遊歩

道を歩いて最大の見学所に行くのが通常だが、足の弱い人や私のような怪我人用に、それをパスして

エレベータで行く手もある。ということは、いきなり最大のポイントに行ってしまうということ。滝に近づくと

嵐の風雨の真ん中に立つようで、ずぶ濡れになる。音も凄いぞ。滝を堪能してからランチ。イタリアンと

ブラジル料理並べたヴュッフェだった。豆入りのスープがブラジルらしい。レストランからも滝が見える。

夜 ナシ!!!

  

      国鳥TUCANO-TOCO            三国の国境 手前アルゼンチン、右ブラジル、左がパラグアイ

昼食後、滝の真下を走るボートや、滝全体を鳥瞰するヘリコプター見学のオプショナルツァーがあって

多くの人が参加したが、私はそれどころではない。息を吸うだけでも胸がイタタタなのだから。当初ホテ

エルで休む予定であったが、グループで国境を越えたのなら、帰りも一緒でないとダメということで、ツ

マラナイ土産屋で3時間も待っていた。帰りに三国の国境に行く。もともとイグアスはアルゼンチンとパ

ラグアイの土地であったのに、どういう風にやったのかはわからんがブラジルがイグアスの滝欲しさに

強引に土地を我がモノにしたらしいよ。道理でブラジルは大きな国だ。今夜も夕食はパスする。無酒日

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2月 23日(木) 一日中降ったり止んだり

朝 イグアス・シェラトンホテル 朝食ヴュッフェ、M藤さん特製のお粥

    お粥が嬉しいね

今日は正式に国境を超えるので、7時半出発という早出である。よって4時に起きた。腫れないので骨

折ではないことはハッキリしたが、骨にヒビが入っている可能性もある。包帯でのグルグル巻きも毎朝

毎晩やり直さないとならないので、えらく時間がかかるのだよ。痛みはちっとも弱くならんぞ。2日続けて

夕食を抜いたので、朝は腹ペコだ。取り戻すかのようにグワシグワシと食べる。添乗員のM藤さんが

お粥を炊いて下さり、私らグループだけ有り難く頂く。パン食ばかりだから、こうゆう配慮は嬉しいなぁ。

昼 ブラジル・フォス・ド・イグアス市 「中国飯店」 中華ヴュッフェ

  

アルゼンチン=ブラジルの国境を幸運にも短時間で越えて、今日からブラジルの旅となる。近くに世界

最大の水力発電所「イタイプー水力発電所」に向かう。ブラジルとパラグアイの2カ国共同プロジェクト

で、タービンが20基もある。14ヶ月ぶりの放水場面にも遭遇できてラッキーと思ったらスコールが。

昼は「中国飯店」で中華ヴュッフェ。旨くも無い。食後、現地ガイドの奥さんと息子さんが、市内の薬局ま

で包帯を買いに連れて行ってくれた。合計25メートル程太い伸縮する包帯を購入。異国での優しさだ。

午後のおやつ TAM航空 イグアス〜サンパウロ機内食 

ブラジル最大の都市サンパウロに向かう。南米の飛行機は当てにならん、と聞いていたが定刻飛行。

夜 サンパウロ 「千代」 鮨盛り合わせ、うどん、漬け物、日本茶

  

    旨いうどんであった

大サンパウロの人口は1500万人を越えるという。飛行機から見た街は高層ビルが林立していた。この

街は日系人が多いことでも知られ、40万人を越すらしいよ。夕方のラッシュで混み合う中をバスで東洋

人街に向かう。かつては日本人街と言っていたらしいが、中国、韓国の人も多く住むようになったので

東洋人街と変えたようだ。日本語の看板、大阪橋という高速道路にかかる橋、赤い大きな鳥居、提灯

型の街路灯、小さな日本庭園・・・・ここはまさに日本。店を覗けば、日本食の材料で無いものはない程

の品揃えである。市内に住む日系人の需要の他に、遠く離れた開拓地からもバスで50時間もかけて

貴重な食材を買いに来る人々がいると聞いた。ブラジルで育てたジャポニカ米や味噌、醤油を山のよう

に買い、日本語の雑誌や本をもとめて、うどんを食べてまた50時間かけてバスで帰っていくと言う。泣

ける話だなぁ。日本語新聞も三紙発行されていて、ニッケイ新聞の一面には「トリノ、荒川ショートプログ

ラム3位メダル圏内」の見出しがあった。出発してから日本のニュースはゼロであったから皆喜ぶ。今

夜の夕食は「千代」。センダイと読む。ここで鮨の盛り合わせとうどんをつるつる。コシがあって出汁も効

いた意外に美味しいうどんであった。ホテルのNHK海外放送で荒川静香の優勝を知ったよ。無酒日

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2月 24日(金) 曇り

朝 サンパウロ・ブルーツリー・タワーパウリスタホテル 朝食ヴュッフェ

  

海外でNHK海外放送は実に有り難い。但し、スポーツネタになると急に「放送権の関係で映像はお伝

えできません」と静止画像になるのはがっかり。せっかく荒川の雄姿を見たいのにさ。このホテルはブ

ルーツリーだが、それは青木さんって意味かしら。朝食には和食コーナーが充実していて、納豆ご飯に

味噌汁を飲んだ。S賀さんのご主人は生卵をご飯にかけて食べている。ただご飯も納豆も今一だけど。

午前中のお茶 サンパウロ空港「マクドナルド」 ガラナ

マナウス行きの飛行機はオーバーブッキングしているらしいというので、11時のフライトだが8時半に

は飛行場に着いた。今日からリオのカーニバルが始まるということで、国中がごった返しているような

感じ。飛行場の中では、ド派手な衣装の踊り子と4人の楽団が練り歩いて雰囲気を盛り上げている。チ

ケットは無事取れたものの、出発は3時間遅れて午後2時になるというので、一旦外に出てマックに行

く。飲み物はガラナ。ブラジルではこのガラナが強壮飲料水として愛飲されている由。カフェインはコー

ヒーの5倍でガラニック酸が滋養の効力らしい。頭すっきり、血液さらさら。但し飲用は午前中までに。

昼 サンパウロ空港 レストラン カフェテリア

    何てマズイんだ!

午後2時過ぎているのに未だサンパウロの空港におりますねん。2時のフライトは何時になるかわかり

まへーん、となって「まぁご馳走するきに、昼飯でもどうぞ」ってことで空港の不味いランチを摂ることに。

夜 サンパウロ・モナコホテル「モンテカルロ」 夕食ヴュッフェ

夜というのに未だサンパウロにおりますねん。結局フライトはキャンセルとなり、夜中には飛ばすからそ

れまでホテルで休んでいてね、と怪しげなホテルに200人以上がバスで送り込まれた。ブラジルの国

旗には「秩序と進歩」と書いていあるけど何が秩序だい!何が進歩だい!この飯の不味さはどうだ!

夜―2 バリグ・ブラジル航空 サンパウロ〜マナウス 機内食

結局飛行機が飛んだのは、午前1時半でありました。前日の午前11時から遅れること14時間半遅れ

でありました。この間私はすっかり風邪を引き、クシャミ百連発で胸の痛みに厳しく堪えた。飯イラン!

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2月 25日(土) 晴れ

朝 マナウス・トロピカルホテル 朝食ヴュッフェ

    パパイアが旨いぞ!

マナウスのトロピカルホテルに着いたのは、午前6時過ぎであった。もうヘトヘトを通り越して、頭が痺

れる。胸は痛いし、鼻はずるずる出るし、クシャミは連発。それでも、朝飯摂ってアマゾンクルーズに出

かけるのだ。だってこれを止めたら1日がかりでアマゾンまでやって来た甲斐が無くなっちゃうものね。

昼 アマゾン 「水上レストラン ラインハデセルバ」 ピラルクのフライなどヴュッフェ、ガラナ 4ドル

  

    上の茶色がソリモインス川、手前の黒がネグロ川。何キロも並行して流れる。       子供のペットはナマケモノ!

  

暑い!それもそのハズ、ここマナウスは南緯3度、ほとんど赤道直下に位置しているのだ。アマゾン川

の中流域にあって、アマゾン盆地東部にある人口140万人の大都市である。ホテル近くの船着場から

貸し切りの船に乗る。川の色は黒い。アマゾンの支流であるが、その名もネグロ川といい、波が砕ける

水の色はコーヒー色に近いか。ここから10キロ下ったところに、本流ソリモインス川との合流点があり、

アマゾン独得の風景が見られる。やがて合流地点に近づき、右のソリモインス川から流れて来る水が

見える。やや、色は茶色だ。そして合流しても、その黒いネグロ川と茶色のソリモインス川は互いに混じ

ることなく並行して6キロも流れるのだ。広大なツートンカラーの川である。水の含有物比重と速度の違

いでこんな珍しい光景になる。壮大だ。興奮するよなぁ。水上レストランでランチ。ここのメニューの売り

物は、アマゾンに棲む世界最大の有鱗魚ピラルク料理。ソティとフライがあったが、白身でさっぱりとし

た美味い魚であった。疲労したカラダにはガラナも飲まないとね。さてさて、午後はピラニア釣りだぞ。 

夕方のおやつ 船中で 釣果のピラニアの唐揚げ

  

       巨大なオニバス               これが我が船で釣ったピラニア       小骨は多いが白身で美味しい

釣り場に行く途中で、オニ蓮を見た。アマゾンには珍しい動物、植物、魚介類が見られるようだが、この

蓮の大きさにもたまげる。船は5艘、1艘には5人づつ乗っている。さてと、ピラニア釣りだ。牛肉を針に

つけ、激しく水面を叩いてから針を下げる。ややあって、引きを感じるが慌てない。十分にピラニアちゃ

んが餌に喰らいついた頃を見計らって棹を上げる。おぉ!腹の赤いピラニアが釣れたではないか!我

が大漁船の漁師達は優秀で、次から次へと釣り上げる。ピラニアは鋭い歯を持つので、魚を外すのは

船長にお願いする。おっまた来たぞ、あららー餌摂られたわ、赤身だけ食べて脂残しておるぞ、と賑や

かに釣ること1時間15分。90匹近くの釣果があった。私は時々カメラマンをやったが10匹釣った。後

刻5艘で釣果の見せ合ったが、群を抜く数で優勝した。帰りの船でカラリと揚がったピラニアを食べる。

 マナウス・トロピカルホテル 夕食ヴュッフェ、ビール 4ドル

  

5日ぶりに夕食でビールの小瓶を飲んだ。昨夜寝ていない上、一日中暑い外にいて疲れていたからア

ルコールが効き過ぎる。昨日誕生日だったA川さんの奥さんのお祝いもする。早めに寝ることにした。

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2月 26日(日) 午前中激しいスコール

朝 マナウス・トロピカルホテル 朝食ヴュッフェ

アルゼンチンもそうだったが、ブラジルは果物が豊富で美味しい。スイカ、メロン、パイナップル、パパイ

ア、バナナ・・。毎日3食ごとにフルーツを食べている。パパイアなんか2つ割りしたのを食べるのだよ。

昼 マナウス 「鈴蘭」 和定食

  

   高級熱帯魚もアマゾンでは食べる       贅を尽くしたアマゾナス劇場            アマゾンに棲む蝶の数々

  

予定では午前中休息するスケジュールであったが、一昨日のフライト遅れで流れたスケジュールを入

れることとなった。朝、マナウスの市場へ。ブラジル人の強壮の友「ガラナ」の粉末を大量に買い込む。

肉売り場の次はアマゾン上がる珍しい魚が並ぶ。昨日食べたピラルクの大きな切り身の横には、高級

熱帯魚がゴロンと並べられているではないか。日本では110万円はするなぁ。その時、市場の屋根

に激しい雨音。またスコールだ。19世紀後半、天然ゴム景気で巨万の富を築いた欧州からの移住者

が建てたアマゾナス劇場、アマゾン自然科学博物館を見学した後、日本料理の「鈴蘭」へ。テーブルに

は、キンピラ、卵焼き、冷奴、鱒の塩焼き、刺身、煮物、ほうれん草のお浸し、味噌汁、漬物、ご飯とヨダ

レが垂れそうな和食が並んでいた。ツァーの皆さん嬉しそう。ご飯3杯、味噌汁2杯お替りしてしまった。

夜 ブラジリア・ホテルカールトン サラダ、パン、チキンソティ ポテトと野菜添え、フルーツとプリン、ビ

ール 4ドル

  

アマゾンに別れを告げて、ブラジルの首都であるブラジリアに飛ぶ。時間通りに離陸した時は、一昨日

のこともあって全員安堵の溜め息。ホテルはカールトンとあったので、リッツ・カールトンと思っていたら

私ら以外に2組しか宿泊者がいないトンデモカールトンであった。夕食ヴュッフェでないだけいいかな。

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【今週の振り返り】

2月18日成田を発って、カナダ、チリを経由してアルゼンチンに着いた。家を出てから、実に39時間か

かっての到着である。南半球に来たのは、オーストラリア、ニュージーランド、インドネシアに続いて4回

目だが、南アメリカ大陸に足を踏み入れるのはこれが初めて。ワクワクしたと書きたいところだが、あま

りの長旅にへろへろであった。南半球といえば、南十字星だ。それを見るのだ、とオーストラリアに行っ

た時もニュージーランドの時も楽しみにしていたのに、毎晩飲んだくれて気がつけば朝になっており、見

逃した。今回ブエノス・アイレスで「あれが南十字星」と教えられて夜空を見上げた。あら、結構小さくて

暗い星じゃん、というのが率直な感想だった。しかも横の軸がちょっと曲がっているのね。そういえば、

東北の旅で昴を教えて貰って、ゲーゲーっとびっくりしたことを思い出した。

大学時代ギタークラブでコントラバスを弾いていた。レパートリーは、ラテン、クラッシック、フラメンコな

ど色々あったが、一番の得意ジャンルはタンゴであった。コンチネンタル・タンゴもアルゼンチン・タンゴ

も演奏した。コンチネンタルは「真珠とりのタンゴ」、「蒼空」、「ジェラシー」など上品で美しい曲が多かっ

たが、アルゼンチンの曲は土臭い哀愁が何より魅力だった。タンゴという音楽を通じて感じていたアル

ゼンチンは、果てしなく続くパンパと牛の群れ、そして官能的な情熱の国というイメージであった。然る

に現実は、1982年に突然起きたフォークランド紛争は世界中を驚かし、その後の5000%というハイ

パーインフレ、1万分の1のデノミ、そしてデフォルトと国家経済破綻の様相を呈し、暗澹たるアルゼン

チンなのであった。しかし、薄い水色と白のストライプのユニフォームを着たアルゼンチンのサッカーチ

ームはかっこいい。その昔活躍したマラドーナはあまりにも有名だが、私はバティストゥータのファンで

あった。

南米のパリと言われるブエノス・アイレスの街は美しい。国民の多くはスペインとイタリアの移民で、街

並みもヨーロッパにいると錯覚させられる。酔っ払いの木はピンクと白の花をつけ、盛りを過ぎたジャカ

ランダの紫の花も咲く。あの黄色の花はイビラプイタというのね。その美しい街に、教会の外では幼い

子供を抱いた物乞いの女性がいる、公園のベンチにはそこを棲家にしている男達が寝ている。イグア

スの滝近くの町では失業率は45%と聞いた。ただ、そんな厳しい状況でも、人々の表情は明るいし、

レストランでは大きな肉をじっくりゆっくり食べている。タンゴを聞きに行った夜、最後にカルロス・サー

サリータンゴ楽団の演奏が始まった。カルロスの奏でるバンドネオンは魔法のように人の心を引きつけ

てやまない。「ラ・クンパルシータ」、「アディオス・パンパミーナ」、「カミニート」、「パリのカナロ」、「エル・

チョクロ」・・・・・・・これほど全身を鷲づかみにする音楽は他にあろうか。ファインダーで舞台を見つめて

いたら、タンゴを熱心に弾いていた若き時代のことが思い出されて涙が止まらなくなった。日本の裏側

にいるというのに、そこは若い私に一番近い場所でもあった。

アルゼンチンで過した日は余りに短い。この国の一瞬を見たに過ぎない。しかし、タンゴは私を引きつ

ける。今度は南部のパタゴニアまで含んだアルゼンチンを訪ねてみようか。

             さてさて、次はブラジルだニャ

           バックナンバーのトップへ    夢子倶楽部のトップに戻る

      やっと2月4週作りました。風邪もヒドイしねー、ツライのよねー。

  3月1週はもうちょっとお待ち下され。ゴホン、ゴホン。