パクパク日記6年5月4週
スイス・ドイツ経由でオーストリアへ。雨雲連れて西から東へ移動しました
グロスグロックナー
デュルンシュタイン
5月 21日(日) (先週は昼まででした)
夜 成田 ホテル日航ウィング成田 「エトワール」 きのこサラダジャーマン風 900円、チーズの盛り
合わせ 1700円、小海老と小柱のピラフ 1600円、生ビール×2杯、ジントニック×2杯
@7620円
今回参加する旅行社は午後1時以前の出発便の場合、成田のホテルに前泊するのが原則。寝坊を恐
れて私は勝手に前泊することが多いが、そんなことでホテルは指定されている。先月は日航ホテルに
泊まったが、今日はシャトルバスの順番で言うとその奥のホテル日航ウィング成田。朝食は付いている
けど夕食はご勝手にとあった。じゃ、最上階のバーだな。この店、空港の一部を上からジロジロ見下ろ
せて眺めは良い。しかし人手が足りない。眺めが全く見えないカウンターに座ったら、全く存在を無視さ
れてオーダーするのに一苦労。その度に「すみませーん!お替りー!!」と叫ぶのだよ。疲れるなぁ。
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5月 22日(月) 成田は曇り
朝 成田 ホテル日航ウィング成田 「ジャルダン」 朝食ヴュッフェ
昨夜飲み過ぎなかったので二日酔も無い。シャワーを浴びて朝食会場へ。年配のご夫婦がいると、あ
の人達同じグループかしら、なんて観察する。8時にホテルロビーで集合し、第二ターミナルに向かう。
昼 スイス・インターナショナル・エアラインズ成田=チューリッヒ間 ビジネスクラス機内食
日本食の
スイス・インターナショナル・エアラインズは、昨年の8月と9月に乗った。ここのビジネスクラスは、洋食
を「オテルドミクニ」の三國氏、日本食を「吉住」の松本氏に協力を得ている由。日本食にした。食前酒
のジントニックを飲みながら、おつまみの袋を開けると森林ちゃんの自画像そっくりのビスケットが出て
来て笑った。アルタリア航空と違って、このエアラインはジンもあるし、冷酒の「眞澄」だってあるんだよ。
夜−1 スイス・インターナショナル・エアラインズ ビジネスクラス機内食
夜―2 スイス・チューリッヒ空港 「スイスラウンジ」 ジントニック×2杯
このツァーは当初、オーストリア航空の予定であった。オーストリアに行くのだからオーストリア航空。順
当な考えだ。なのに、旧ユーゴに行っている間に、航空会社が変更になったという連絡が留守電に入っ
ていた。しかも、チューリッヒから目的地のインスブルックではなく、ミュンヘンに飛ぶ。ミュンヘンってド
イツだよ?そこからバスで3時間かけてインスブルックに行くって言うのだから、私しゃカンカンさ。キャ
ンセルしようかと思った程気分を害した。その上、チューリッヒでは3時間も待つのだよ。私はビジネス
クラスで行ったからスイスラウンジを使えたけど、他のお客さんはヘトヘト。お気に入りのバーで2杯。
夜―3 スイス・インターナショナル・エアラインズ チューリッヒ=ドイツ・ミュンヘン間 チョコ
レートと水
夜―4 オーストリア・インスブルック ホテル客室にて サンドイッチひと口と水
日没寸前のミュンヘン空港からバスでインスブルックに向かう。ミュンヘンはあと10日ばかりでW杯の
熱狂に沸くことになる。夕日が沈み、真っ暗の中を疾走。午後11時近くにようやくホテル着。ヘロヘロ。
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5月 23日(火) オーストリア・インスブルックは曇り時々雨
朝 インスブルック 「ヒルトンホテルインスブルック」 朝食ヴュッフェ
ベッドの上掛けが苦手な羽毛蒲団だったせいと、足が何度も攣れてほとんど眠れなかった。今夜は毛
布に替えて貰わねば。朝食後、ホテルの外に出てみると霧雨が降っている。気温はブルッとする程だ。
昼 インスブルック 「WEISSES ROSSL」 クネーデルズッペ、サラダ、チロル風ラビオリ、パン、ア
イ
今年の冬、雪が多かったのはオーストリアでも同じらしい。ゼーフェルダーヨッホ展望台に行く予定であ
ったのに、ケーブルカーが運休していて行くことが出来ない。で、ハプスブルグ家の末裔のご家族が今
も住んでおられるトラッツベルグ城に行く。城は山腹にあり、バスから赤と白の可愛い乗り物に乗り換え
る。皇帝マクシミリアンT世も狩猟用の館として使っていたらしいよ。ここに住むってどうなんだろうか。
ランチはインスブルックに戻って。「WEISSES ROSSL」って「白馬亭」の意味。クネーデルという水団
みたいなのが入ったスープ。チロル風ラビオリは水餃子程の大きさ。旨いかって聞かれると、うーむ。
午後のおやつ インスブルック 「カフェ ムンディング」 ハウジングカフェ 3ユーロ
夜 インスブルック 「ヒルトンホテルインスブルック」 サラダバー、仔牛肉の赤ワインソース、パン、
チ
小雨が降る中、インスブルックの旧市街を見学。インスブルックって、1964年と1976年に2回も冬季オ
リンピックがあったウィンタースポーツの町だ。しかも両回とも同じ市長さんだった。チロル地方の中心
地で小さな王宮もあった。18世紀マリア・テレジアがバロック様式に改装した王宮は黄色と白の外観で
彼女が愛した「テレジアンイエロー」は他では使ってはいけなかったそうよ。男子継承者が無く彼女から
女帝が認められ、16人の子供を産みながらもしっかり国を治めたらしい。身長150センチ、体重100キ
ロを超え「オデブのテレジア」の愛称で呼ばれた。それを聞いて安心した。夫君がこの城で亡くなって
から「オデブのテレジア」はこの城には来なくなった。夕食はホテルで。特に旨くも無いので半分残す。
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5月 24日(水) 曇り後小雨 山の上は吹雪 後曇り
朝 インスブルック 「ヒルトンホテルインスブルック」 朝食ヴュッフェ
毛布に替えて貰ったが、2枚のオーダーが1枚だった。お陰で寒くて風邪引きそうだ。ハックショーイ。
昼 ツェル・アム・ゼー 「LANDHOTEL ST.GEORGE」 チロル風サラダ、グレーストゥル、苺
のケ
今日も小雨がぱらついているぞ。晴れて欲しかったなぁ。だって、午前中は「オーストリアで一番美しい
村」と「ヨーロッパで一番美しい花の村」に選ばれたことのあるアルプバッハに行くのだもの。村につい
ても晴れない。三角型のシャレーという建物には色とりどりの花が植えられて、オモチャの村のようだ。
途中、あのトニー・ザイラーの出身地キッツビュールで休憩した後、ツェル湖の近くでランチ。メインのグ
レーストゥルは、塩味の濃いジャーマンポテトに目玉焼きを載せたような料理。美味しくて全部食べた。
夜 ハイリゲンブルート 「HOTEL POST」 スープ、レッドフィシュソティ 温野菜とポテト添え、苺
ヨー
昼食後、グロスグロックナーアルペンルートに入る。険しい山に1935年作られた有料山岳道路である。
バスはコーナーを曲がる度にぐんぐん高度を上げて行く。小雨が雪に変わり、そして吹雪になる。窓の
外は真っ白でほとんど見えない。ホッホトーア展望台では除雪車が2台うっすら見えるばかり。こんな所
で外に出たら、写真撮影どころか遭難しそうだ。ところが、峠を下って行くと雪は止み、景色も見え始め
る。山の向うとこちらではこんなに気候が違うのだなぁ。有料道路を出た谷底のような場所にハイリゲン
ブルートという小さな小さな村がある。「聖なる血」という意味だ。キリストの聖血を納めたヴィンツェンス
教会と数軒のホテル、レストラン、土産物屋だけのメインストリート。あちこちの村で見かけた春を喜ぶ
「マイバーム」(五月の柱)がここにも堂々と立つ。今夜のホテルは山小屋風の「ホテルポスト」。部屋の
中も、食事も山小屋のように素朴。こんな小さな村に泊まるツァーは少ないだろうなぁ。夕食時、21人
の参加者の自己紹介タイムがあった。ご夫婦が7組、姉妹2組、女性友人1組。1人参加は私だけだ。
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5月 25日(木) 快晴! でも夕方小雨
朝 ハイリゲンブルート 「HOTEL POST」 朝食ヴュッフェ
昨夜も足が攣った。何度も何箇所も。困ったよねぇ。5時50分に起きて外を見ると雲が少ない。もしか
したら晴れるかも。オーストリアに来てから一度も太陽を拝んでいないのだ。朝食は、生産能力が小規
模らしく、添乗員のTさんが「新しい目玉焼き来ましたー!」、「ベーコン焼き上がりましたー!」と叫ん
でくれる。2度目玉焼き取りに行っちゃった。外はどんどん明るくなっている。いいぞ、今日は晴れるね。
昼 グロスグロックナー山岳道路 「FUSCH ERLACKE」 パスタ入りスープ、ウィーナーシュニ
ッツ
昨日吹雪の中を上って下りて来たグロスグロックナーアルペンルートに再び入る。何というお天気だろ
う。何も見えなかったバスの車窓に、こんなスンバラシイ景色が隠されていたなんて!後で聞いたらこ
れほど見事に晴れるのは一年でも何日しかないらしい。右手にオーストリア最高峰のグロスグロックナ
ー山(3797m)、周囲もオーストリアアルプスの山々が太陽の光に真っ白な雪をピカピカ光らせて聳え
ている。少女時代信州の北アルプスを仰ぎ見て育ったから懐かしさも感じる。やがて2369mにあるフラ
ンツ・ヨーゼフ展望台に到着。フランツ・ヨーゼフ帝は、ハプスブルグ家の実質的な最後の皇帝であった
が、昨夜私達が泊まったハイリゲンブルートから4時間かけてここに登られ、数時間過されたと言う。足
元を見下ろせば、この国で一番長いパステルツェ氷河。何でも異様な速さで縮んでいるそうで、地球温
暖化の影響なのだろうね。冬季で休止していた氷河まで下りていけるケーブルカーが今日から運転開
始したというので乗ってみた。雪や岩肌に兎のような鼠のようなマーモットが遊んでいる。何百枚写真
を撮っても飽きることが無い。まさに絶景である。ホッホトーア展望台で景色を楽しんでからランチへ。
メインにはシュニッツェルが出て来たが、小さいのでハーフサイズと思うことにする。この店のご主人が
マーモットを肩に乗せている。子供の頃迷って来て以来、いつもご主人の肩にいるのだとか。可愛い。
夜 バート・イシュル 「HOTEL GOLDENES SCHFF」 ブロッコリーのクリームスープ、ポークの
薄切り肉のクリームソース ライス添え、ロールケーキ、ビール、白ワイン、赤ワイン 計10ユーロ
アルプスの山々に別れを告げ、景勝地のザルツカンマングート地方に入った。久々の好天気も夕方に
は早くも崩れ、バート・イシュルに着く頃にはまた降り出した。今日は昇天祭の祝日。今日移動した町々
では、民族衣装をまとった人達や音楽隊もたくさん見かけた。このバート・イシュルの町は、フランツ・ヨ
ーゼフ帝が愛した欧州きっての温泉保養地。温泉と言っても飲む温泉だけどね。夏になると、皇帝と共
に著名な音楽家達もこの町にやって来て、温泉町をテーマにした作品をたくさん作曲したらしい。泊ま
ったホテルは「オーストリアクラッシックホテル」の一員と表示されていたが、狭い客室、手で扉を開ける
エレベータと重い鍵以外どこがクラッシックなのだろう。食事は可もなし不可もなし。酒は3点セットだ。
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5月 26日(金) 曇り 時々雨 シャーフベルク山頂は嵐
朝 バート・イシュル 「HOTEL GOLDENES SCHFF」 朝食ヴュッフェ
川の向うにはレハールヴィラ
今朝もシトシト雨が降っている。んもうっ!今日は晴れて欲しかった・・。ホテル前の川の向うには、レハ
ールが晩年30年近くを過したレハールヴィラが建っている。レハールのオペレッタ曲は優しくて好き。
昼 ザンクト・ヴォルフガング 「WEISSES ROSSL」 サラダ、鱒のムニエル ポテト添え、チョコレー
トケーキ、コーヒー 3ユーロ
世界遺産のハルシュテッター湖とハルシュタットの小さな村 オペレッタ「白馬亭にて」の舞台となった「白馬亭」
雨の中、世界遺産のハルシュテッター湖に行く。ドイツ語で「ハル」とか「ザルツ」は塩を意味する言葉だ
そうでこのハルシュタット周辺はヨーロッパ最古の岩塩の鉱脈があり、BC3千年から採収が始まって今
も現役というから驚くではないか。それにBC800年から400年にかけてオーストリア最古のハルシュ
タット文明が花開いたらしい。小さくて可愛らしい村をぷらぷら歩き、土産物屋で塩をごっそり確保した。
ヴォルフガング湖を抱くようにあるザンクト・ヴォルフガングに向かい、オペレッタ「白馬亭にて」の舞台
になったレストラン「白馬亭」でランチ。デッカイ鱒のムニエルが登場。ふと気がつくと、1階レストランに
いた客は、すべて日本人のツァー客であったぞ。あっちのグループはスープでいいなぁ。寒いからね。
赤いシャーフベルグ山岳鉄道で上ったが・・・ モーツアルトの母親の生家 ヴァイオリンを弾く7歳のモーツアルト
映画「サウンドオブミュージック」の大大ファンである私は今日の午後を楽しみにしていた。映画にも出
て来たあの赤い登山電車に乗り終点のシャーフベルグ山の頂上からはザルツカンマングート地方が
360度素晴らしい景色を堪能できる。ハズだった。電車に乗って20分もするとガスが出て来て、そのう
ち周囲は真っ白で何も見えなくなった。40分弱で山頂駅到着。汽車を下りるとをヨロケル程の強風が吹
き荒れていた。ガスで5メートル先は見えない。「遭難」の二文字が頭に浮ぶ。あーぁ。仕方ないので、
待合室で紅茶をちびちび飲みながら次の列車を待つ。山を下りヴォルフガング湖を遊覧船で渡るとそ
こはザンクト・ギルゲン。モーツアルトの母親が生まれた土地で、姉のナンネルもこの町に嫁いで来た。
夜 ザルツブルグ 「HOTEL SACHER」 春のミックスサラダ、仔牛のグヤーシュ ほうれん草のピ
ューレとホースラディッシュ添え、自家製ザッハートルテ、プチフール、 ビール、白ワイン、赤ワイ
ン 2杯 計14ユーロ
夕方ザルツブルグに着いた。今日から名門の「ホテルザッハー」に2連泊する。ホテルザッハー?そう、
あの有名なザッハートルテの本家本元のホテルだ。ロビー階には、これまでホテルに宿泊した世界の
著名人の写真がズラリと貼ってあり、天皇陛下ご夫妻の写真も見つけた。客室は入るなり、「まぁ!ゴ
ージャスですこと。オホホホ」と言ってしまいそうなお上品で豪華な設え。今晩はホテルでのディナーだ
からちょっとお洒落して行きましょうかね。メニューには仔牛のグヤーシュとあった。グヤーシュは、代表
的なハンガリー料理で、私の大好物である。しかし・・ちょっと・・かなり・・全然違う料理でした。ガッカリ。
牛肉をブイヨンで茹でてあるので、グヤーシュではなくターフェルシュピッツなのではないだろうか。そう
書け!でもデザートは、ザッハートルテ。生クリームキライなのでチョコレートケーキだけ。甘いが旨い。
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5月 27日(土) 曇り夕刻から小雨
朝 ザルツブルグ 「HOTEL SACHER」 朝食ヴュッフェ
6時起床。昨夜2回足が攣って往生した。起きても未だ攣っている。朝晩効くというカルシウムとマグネ
シウム飲んでいるんだけどねぇ。「ホテルザッハー」の朝食はどうか。温かい料理は2台で意外と質素。
昼 ザルツブルグ 「福楽飯店」 コーンスープ、鶏と野菜の炒め物、白身魚の甘酢餡かけ、モヤシ炒
め、麻婆豆腐、白菜ときくらげ炒め、ご飯、りんご
「美しい眺め」の意味のミラベル宮殿とその庭園
モーツアルトの生家ハーゲナウアーハウス
モーツアルトと「サウンドオブミュージック」ファンに、ザルツブルグの町はコタエラレナイ。ホテルから歩
いて2分程の再建されたモーツアルト一家が住んだ家を見てからミラベル庭園へ。知っているぞ、ここ
映画のドレミの歌で登場するあの階段がある庭園だもの。それにしても、このミラベル宮殿は大司教が
愛人と子供のために建てたと聞いたが、当時大司教は凄い権勢を奮っていたのだな。今は市長公邸
や結婚式場として使われている由。結婚式は土曜日が多いということで、数組の新郎・新婦を見かけ
た。世界遺産の旧市街にも徒歩で。モーツアルトの生家の前には各国からの観光客が押し寄せてデジ
カメを構えている。建物の4階に一家は住んでいたから階段をゼーゼー言いながら上る。でも、あの天
才もこの階段を上り下りしたのね、と思うと感慨深い。モーツアルトは7人兄弟だったが、5人が夭逝し
て姉と彼しか成人しなかった。幼いモーツアルトはこの窓から町を眺めていたのか。その後は馬車に乗
ってザルツブルグの町を一回り。ランチは中華料理だ。料理はレベル高くないが、久々だから嬉しい。
夜 ザルツブルグ 「STIFTSKELLER ST. PETER」 カッテージチーズとトマトのサラダ、舌平目
の
午後はフリータイムだった。皆さん勇んで町で出かけられたが、私はスーパーに水を買いに出ただけで
部屋で休息していた。何していたか?テレビ観てましたーよー。家を出て1週間、ようやくこのホテルで
NHKの海外放送を見ることが出来たのだ。ジョグジャカルタの大地震は被害が大きかったようだ。風
呂に入ってからは巨人×ロッテ戦。延長の末ロッテが勝った。ヨッシャー。昨夜は「チャングムの誓い」
をやっていたなぁ。夕食は旧市街のレストランへ。9世紀創業したという由緒ある店で、最後に出た名物
サルツブルガーノッケールの大きさに皆びっくり。メレンゲだからふわふわだけど、それにしてもデカイ。
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5月 28日(日) 雨後曇り 午後遅くから晴れ
朝 ザルツブルグ 「HOTEL SACHER」 朝食ヴュッフェ
5時半起床。朝風呂に入ってすっきりする。「ホテルザッハー」さん、お世話になりました。また来るね。
昼 メルク 「STIFTS」 ハムサラダ、エスタルハージ家風ローストビーフ、アップルシュトゥルーデン
(アップルパイ)、コーヒー 2,5ユーロ
これが美しき青きドナウ? 沿岸には古城や教会が見える 聖堂参事会修道院教会
アウトバーンを100キロで飛ばして西に向かう。今日は午後からライン下りをするので、みな心の中で
は晴天を願っている。しかし、途中でバスの窓に雨がタタキつける程降って来た時は全員で笑ってしま
った。もう願っても報われないから「どうにでもなれ!」って感じ。それにしてもこんなに雨ばかりの海外
旅行は初めてである。去年の4月16日を最後に開いたことが無い傘をこの旅では毎日さしている。世
界遺産のヴァッハウ渓谷のメルクまで250キロ。メルクにはベネディクト派の大きな修道院がある。修
道院の敷地にあるレストランでランチ。エスタルハージ家風ローストビーフがメイン料理だった。そのエ
スタルハージ家はハンガリー最大の貴族で作曲家のハイドンもリストの父君もエスタルハージ家に仕え
ていたのだった。もったいない話だが、私の口には余り合わないのでちょっと食べただけ。さてと、これ
からドナウ河クルーズだ。ドナウ河は今までも何度か見たことがあるが、ガイドブックには、メルクからク
レムスまでの35キロが最も美しいドナウとあった。お天気が悪いということもあろうが、どうも「ドナウ河
のさざ波」、「美しき青きドナウ」って感じじゃないのだよなぁ。船のアナウンスには日本語もあって、右に
見えるのは・・・左手山の上の古城は・・・と説明がある。あら?残り30分ほどのところから青空が見え
て来た。ヤッホー!1時間半乗った船をデュルシュタインで下りる。青と白の聖堂参事会修道院教会が
実に美しい。このデュルシュタインはイギリスのリチャード獅子心王が第3回十字軍遠征の帰りに捕え
られ幽閉されていたケーンリンガー城址があることでも有名。青空の下のデュルシュタインを散策した。
夜 デュルンシュタイン 「RICHARD LOWENHERZ」 生ハムとメロンの前菜、ポークステーキ 温
野菜とクネーデル添え、ラズベリーとアイスローフケーキ、ビール、白ワイン、赤ワイン2杯 計15
ユーロ
今夜の宿「RICHARD LOWENHERZ」は、元女子修道院だったところをホテルに改修した4ツ星ホ
テル。ヨーロッパにある「ロマンティックホテル」の一員でもあるようだ。ホテルの前まで大型バスは入っ
て来れないし、しかもエレベータが無いから、客のスーツケースをバスから部屋まで運ぶのは大変なご
苦労のようであった。期待していなかったのに、今晩の夕食はアタリ。前菜、メイン、デザートもグート。
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【今週の振り返り】
今年の海外の旅はヨーロッパ北上作戦を進めている。1月シチリア島の南に浮ぶマルタ共和国を皮切
りに、3月ギリシャ、4月旧ユーゴスラビア諸国、そして5月はオーストリアだ。今までオーストリアは数
回来たことはあるが、ゆっくり回った経験は無い。奇しくも今年2006年は、1776年に生まれたモーツア
ルトの生誕250周年。良い機会だから行っちゃおっと旅を始めた。
訪ねる国の歴史を調べるのが好きだ。国によっては、例えばモロッコの歴史はたくさんの王朝が生まれ
ては消え、首都もあっちゃらこっちゃらに移るので、理解するのも、わかりやすく纏めるのも大変だった。
しかし、オーストリアはその点シンプルでいい。金曜日に訪れたハルシュタット文明時代が紀元前400
年間続いた後、AD1世紀にローマ軍がやって来る。976年初めての王朝であるハーベンベルグ王朝
が始まり、約200年間続いた。13世紀後半、西南ドイツと北東スイス辺りの小貴族であったハプスブル
グ家のルドルフT世が神聖ローマ帝国の皇帝に選出されたことから、以降ハプスブルグ王朝の長い支
配が始まる。このハプスブルグ王朝は約650年続くことになるが、戦いを好まず、政略結婚で領土を広
げて行った。1493年即位したマクシミリアンT世の「戦いはほかのものにさせるがよい。汝幸あるオー
ストリアよ、結婚せよ」は有名な言葉だ。1519年即位したカール5世の時代には最大の領地を確保し
て「日の沈まぬ国」を豪語した。大砲や鉄砲の代わりになるのだから、ハプスブルグ家は子作りに励ん
だようで、女帝マリア・テレジア(在位1740年から1780年)の16人の子供の一人も16人の子供をも
うけている。余談だが、マリア・テレジアさんは、即位する20歳までには既に4人の子持ちであり、100
キロを越す巨体を揺すりながら計16名の子供を産んで、40年間も国政を執り、当時では長生きだった
60歳まで生きたのだからスゴイ女性だったのだね。16、17世紀2度に渡ってオスマントルコ軍に攻め
られ包囲されたが、撃破した。そのお祝いの記念に作られたのが、トルコ国旗の三日月型のパン=ク
ロワッサンだという話を昔聞いたことがある。17世紀にはウィーンでペストが大流行して多数の死者を
出した。
19世紀からハプスブルグ王朝に危機が迫る。まずはナポレオンがウィーンに現われた。メッテルニッヒ
はナポレオンと皇女マリー・テレーズを結婚させることで緩和策を取る。しかし、プロイセン軍に負けてし
まう、メキシコ皇帝だったフランツ・ヨーゼフの弟は処刑されてしまう、皇妃エリザベートが産んだただ一
人の息子は自殺してしまう、孤独の皇妃エリザベートはスイスで暗殺されてしまう、そして皇位継承者
がサラエボで暗殺されてしまうと、堅固だった王朝はガラガラと音を立てて崩れていくのである。サラエ
ボ事件がきっかけとなって第一次大戦が始まり、敗戦。1918年最後の皇帝カールT世が国外に退去
してハプスブルグ家の650年の歴史は終わった。しかし受難は続く。オーストリア共和国となって20年
後、1938年ナチス・ドイツに併合されてしまう。そのへんは「サウンドオブミュージック」を観た人なら知
っているよね。併合されたために、第二次大戦の敗戦国となり、英仏米ソ4カ国の共同占領、分割統治
が10年も続いた。そして1955年、ようやく主権を回復して独立国となった。同年の10月、議会は軍事
面での永世中立国になることを採択し、オーストリアはその日10月26日を建国記念日としている。次
の週行ったウィーンのベルヴェデーレ宮殿大理石の間には、その記念プレートが床にはめ込まれてい
た。昨年の2005年、オーストリアは建国50周年を盛大に祝ったと聞いた。
北海道ほどの東西に長い国土にはスイスから続くアルプスの山々が聳え、ウィンタースポーツのリゾー
ト地がうじゃうじゃある。国土の半分以上は山岳地帯だ。国の真ん中には美しいザルツカンマングート
地方があり、ザルツブルグは神童モーツアルトを産んだ。ドイツから流れてくるドナウ河はヴァッハウ渓
谷で人を楽しませる。そして永遠の都ウィーン。来週からそのウィーンに行くのだよ。
小学生時代の社会科の時間に、オーストリアとオーストラリアを混同する子供が多かった。地図の上が
「ラ抜き」、下が「ラ入り」と私は覚えた。ツァーでご一緒になったS藤さんという方は70代と思うが、今ま
でオーストラリアにしか行ったことがなく、そして2国目がオーストリアなのだと言う。不思議な組合せだ
よね。
観光業に従事するボク達、ウマが合うんだな