パクパク日記6年6月3週
オーストラリア戦の負けを握りつぶしてアイルランド島に飛んだ
シャムロック
ケルト十字ハイクロス
6月 12日(月) 曇り いよいよ日本代表初戦だぁ
朝 家食 十宝菜、麻婆豆腐、味噌汁、ご飯、オレンジとアロエヨーグルト
昨夜W杯、どっちを応援するか多いに迷ったが、オランダがセルビア・モンテネグロを1−0であっさり
退けた。それにしてもスタンドは自国開催のごとくオランダのオレンジで埋め尽くされていたなぁ。そこで
寝ればいいのにやっぱり次も見ちゃうのよね。メキシコVSイラン戦は3−1でメキシコの勝ち。続いて
ポルトガルが1−0でアンゴラに勝つ。こうなるとポーランドとスェーデンが番狂わせという事。たっぷり
作った料理があるから朝ご飯の準備はカンタン。温めてOK。でも朝食にしてはボリュームあり過ぎ?
昼 家食 「ドトール」のポテトコロッケサンドとシナモンロール、「日清」のフォー
11時N原先生の治療院。1ヵ月ぶりだ。オーストリアで悩まされたこむら返りの治療を中心にやって頂
く。足のムクミでリンパ液と血液の流れが悪くなり・・・・神経が刺激され痛みが・・・足の冷えもリンパ液
が溜まっているから・・・・わかった?ううん、全然。でも足のムクミに効くという低周波のスリッパを貰っ
た。これ履いて治しなさいって。キャッホー!朝食が遅かったのと、午後は忙しいのでカンタンランチ。
夜 家食 鰻丼、十宝菜、もずく酢、味噌汁、ご飯、無花果
あー今日は忙しかったぞー!全部終わったのは午後7時。やれやれである。今夜は大事な試合がある
から、外で飲んだりしないで家食にする。昨夜も前夜祭やったけど、念には念を入れて気合い丼にしよ
う。中国産なんかじゃない高級な鰻の蒲焼きで必勝鰻丼を食べて景気づけ。午後10時試合が始まっ
た・・・・・・・・・・・・終わった。何か狐のつままれたような試合であった。後半30分まで1−0で勝ってい
たのに、終わってみれば3−1で負け。珍しく宮本が働き、中澤もよく動いた。そして川口がよく守った。
結局幸運の先制点で気を良くして、何度もあった追加点のチャンスをことごとく無駄にしてしまったのが
敗因だろう。「いつでも取れる」みたいな気持ちがオフェンスの選手にあったような気がする。「ここで決
めたる!」という気合いに欠けていた。オーストラリアに負けてしまっては、あとの2試合とも勝つか(ブ
ラジルにも!)、少なくとも1勝1分で予選突破の可能性が無くはない、ということか。あぁ気がぬけた。
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6月 13日(火) 曇り
朝 無し
アメリカVSチェコ 0−3、イタリアVSガーナ 2−0.昨夜は敗戦後サッカーを見る気持ちが失せて、
HDDに録画してあった自然物の映像をぼんやり見ていた。起きても力が入らない。なんて言ってられ
ないでしょ!今日スーツケースを預けるのだから!そうだった。荷物まとめていて朝食食べ損なった。
昼 白山 「レザン」 カレースパゲッティ ハンバーグ添えセット(サラダ、アイスコーヒー付き) 890円
月1回といえば、海外旅行の他に通院というのもあった。朝のテレビ出演者も敗戦の影響で元気が無
いし、タクシーの運転手さんもダンマリ、病院までガラガラだった。ランチに「レザン」に行くと客もシーン
としていて「悪夢」「逆転される」「苦杯」なんて大きな文字に埋め尽くされた新聞を不愉快そうに読んで
いる。商店街には「2006 SAMURAI BLUE」の青い旗がズラリと並んでいるのが悲しい。「レザン」
の料理は特に美味しいというわけでもないのに、白山に来ると行ってしまう。クセになる店なのだろう。
夜−1 築地 「某」 付き出し:とろろ、〆鯵、ししゃもの稚魚のあぶり、青柳のあぶり焼き、平目の煮
魚、ポテトサラダ、出汁巻卵、ポテトサラダ、出汁巻卵、穴子のあぶり焼き、ビール、冷酒 「立山」4合
@4900円
この店何を食べても旨い!
明後日出かける国の参考書として司馬遼太郎氏の本を暫く読んでいたのだが、その「下」が見つから
ない。1時間以上探したが見つからないので、新宿 「紀伊国屋」に買いに行く。もちろん、他の書籍も
どっさり買い込み、持ち帰り以外はお届けで。雨がポツポツと降り出したのでタクシーに乗る。四谷3丁
目を通り越し、四谷駅を過ぎる頃には雨が全く降っていないことに気がついた。局所的な雨だったのか
ぁ。築地。早過ぎたので、アイスティーを飲んでから「某」へ。別に「某」という店名ではないけど、敢えて
ね。待ち合わせた小S子さんが登場し、こむら返り用の薬を下さった。旅に出る前に用意してくれる優し
い小S子さんではある。さてと今日は何を頂きましょうか。ししゃもの稚魚を初めて見た。痩せているけ
ど、細面で可愛い顔している。でも私にはちょっと硬い。青柳のあぶり焼きはいつ食べても旨い。そして
煮付けた平目は絶品である。カレイは煮るけど平目なんてゼータクだ。お兄さんは退院されたと聞く。
夜―2 築地 「カフェ・カーボ・サンルーカス」 ジントニック 2杯
築地「某」の帰りはこの店に行くのも習慣になってしまった。これからの旅についてじっくりと話し込む。
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6月 14日(水) 曇り
朝 家食 コンビニのサンドイッチと赤飯おにぎり
明日から早起き生活が始まる。今朝は練習のために7時前に起きた。韓国はいいなぁ、勝ったからね。
そうそう、優秀な柳歯次子でも「噛み切る」ことができなかったのだが、最近柔かいものなら出来るよう
になったのだよ。ま、次子が進歩したというより、オーナー(?)の私の歯茎が発達したと言った方が正
しいか。ツナと卵のサンドイッチなんて軽いよ。ちょっと前まで出来なかったのだから有り難いと思おう。
昼 四谷 「嘉賓」 半五目チャーハンと半五目湯麺セット(杏仁豆腐付き) 950円
代々木に整体治療に行った後、四谷でランチ。そろそろ「エリーゼ」に行く頃だが、これから2週間ずっ
とヨコメシなので中華の「嘉賓」に行った。「労麺フルサイズと湯麺のハーフサイズを一緒に注文出来ま
すか?」との質問に「ダメダメダメ!!!メニューに書いてないのダメよ!!」。そんな冷たい言い方し
なくてもいーじゃん、プンプン。もちろん優しい中国人の方もいるだろうが、サービス精神低い人多い。
夜−1 成田・成田日航ホテル 「桃李」 蒸し鶏の特製ソース 1617円、酸辣湯 1155円、砂鍋
豆腐
@8500円
帰宅して洗濯&カンタン掃除&ゴミ捨て。手荷物の最終点検して、さて、出かけよう。いつものように新
宿西口から成田行きのリムジンバスに乗り、第2ターミナルで両替と損害保険加入まではスンナリ行っ
たのだが、ホテル行きのシャトルバスは外国人客が長蛇の列をなしていて、30分近く待たされた。今回
の前泊ホテルは日航ホテル。夕食は迷った末に「桃李」へ。あららー、昼も中華だったのに・・・。料理も
たくさん注文したし、お酒を飲みながらゆっくりやりましょか、と思ったら、左側にワイガヤの10人の中
国人グループ、右側に神経質なアメリカ人女性に囲まれちゃって、ビール2杯で失礼することにしたよ。
夜―2 成田・成田日航ホテル 「サンセットラウンジ」 ジントニック 2杯
お酒が中途半端なので、最上階のラウンジに行く。なーんだ、ここでもボリュームのある食事出来るん
じゃないの。最初からここという手はあったな。成田空港の夜景を眺めながらジントニックを2杯飲む。
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6月 15日(木) 曇り
朝 成田・成田日航ホテル 「セリーナ」 朝食ヴュッフェ
5時50分起床。シャワーを浴びて朝食。2ヶ月前ここで朝食を摂った時は、歯がグラグラしてそーっと
食べたのだった。昨夜のW杯は、スペインがウクライナに4:0で圧勝し、ドイツはポーランドに1:0で
勝った。昨日のシャトルバスがそうだったが朝食会場も世界のあちこちの人が揃って朝食W杯である。
午前中のお茶 成田空港・ラウンジ バナナスムージー
今回乗るヴァージンアトランティック航空は第一ターミナル。ホテルのシャトルバスは決まって第二ター
ミナル、第一ターミナルの順に止まる。このラウンジは、自由に飲み物を取るのではなくオーダー制だ。
昼 ヴァージンアトランティック航空 成田=ロンドンビジネス機内食 ジントニック2杯とピーナッ
ツ2皿、ガーリックトーストと赤ワイン、ポタージュスープ、白ワイン、松花堂弁当、吸い物、ご飯、
冷酒2本、アイスクリーム
ヴァージンアトランティック航空は、人気航空会社ランキングでは常に上位を占める。初めてそのビジ
ネスシートを見たら、皆びっくりするに違いない。1列に4席しかなくしかも全席が斜め前を向いている。
それぞれの席には高い仕切りがあって、隣はあまり見えない。オットマンの上に足を伸ばした客がずら
っと並ぶと、大きな「足もみパーラー」の店のようでもあるなぁ。ヨーロピアンスタイルと和食があり、どれ
でも組み合わせて好きなだけ食べることが出来る。食事が終わると、配られたパジャマに着替えて、シ
ートをフルフラットのベッドに変身させ、グーグー眠るという仕掛けになっているのでござる。グーグー。
夜 ヴァージンアトランティック航空 成田=ロンドンビジネス機内食
暗闇の中で軽食
他の客が熟睡しておられるが、2時間寝ただけで目が覚めてしまった。日本時間では真昼間だし。2回
目の食事は、鮨とピタパンサラダ。実を言うと、この前にカップラーメンも食べてしまたのだよ。どうして
もカップラーメンを食べたいとお願いすると、クルーの食事からお分けしましょうか、って。クルーがカッ
プラーメン持っているって可愛い。しかし英国人の乗務員はそれをスープ皿に調理?して持って来た。
夜のお茶 英国ヒースロー空港ラウンジ コーヒー
超久々のロンドン・ヒースロー空港。第三ターミナルから第一ターミナルのゲートに辿り着くまで1時間
もかかった。ベルファストまではエコノミー席だったのだが、マイレージの登録をすると「マダム、あなた
ラッキーだよ、このチケットエコノミーだけど、ラウンジ使って良い種類だよ」とウィンクされた。それなら
利用させて貰いましょうかね。ラウンジに入ると、大勢がテレビの前に陣取っている。イングランド対トリ
ニダード・トバコの試合がまさに始まろうとしていた。4年前札幌までイングランドVSアルゼンチンの試
合を観に行ったら2万人のイングランド応援団がいてびっくりした。試合は1−0でイングランドが勝った
からススキノ周辺は平和な夜となったが、翌朝大通公園を埋め尽くして寝ている英国人に二度びっくり。
そんなお国柄だから激しい応援ぶりだろうと思ったら、気持ち悪いくらいに静かなのだ。惜しいシーン、
危ないシーンでも「oh・・」と小さい声でつぶやくだけ。皆が皆熱狂的というわけでもないのだね。1時間
15分のフライトでベルファスト着。空港の近くのホテルに到着したのは夜9時半であった。あぁ疲れた。
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6月 16日(金) 曇ったり降ったり
朝 北アイルランド・ベルファスト 「ホテルストールモント」 朝食ヴュッフェ
朝からボリュームたっぷり
シティホールにはタイタニック号遭難の碑が立つ このヘンで酒飲むな!
4時50分起床。昨夜も足が攣ったが、小S子さんに頂いたツムラの68の薬を飲むと痙攣が和らいだ、
簡素な朝食が多いヨーロッパの中で英国はたっぷり摂るが、アイルランドもそれは同じ。朝からこんな
に食べていいのか!と良心のカシャクを覚えちゃうよ。って、きっちり食べるんだけどね。8時15分出発
だから、このホテルには12時間もいなかったことになる。ベルファストの市内をささっと観光。アイルラ
ンド島の北部に位置するアルスター州には9つの県があるが、そのうち6県はイギリス領の北アイルラ
ンドである。このベルファストは、北アイルランドの最大の都市で造船業など重工業が盛ん。その中の
一つハーランド&オルフ社であのタイタニック号が造られた。北アイルランドでは今年から公共の場は
禁煙になったと聞いたが、街のあちこちに「ここらへんで酒飲んじゃアカンよ。罰金100ポンド(約2万1
千円)だよ!」という看板がある。キャリック・ファーガス城を撮影してからアントリウム海岸道路を走る。
昼 北アイルランド・ブッシュミル 「SMUGLERS INN」 キッシュと生野菜のサラダ、自家製ケ
ーキ、
キッシュは冷たくてガッカリ バリーキャッスルベイ近くの風景 休みだったブッシュミルの工場
「エ?ウッソー!今日だけ見学中止って何で?」。アイリッシュウィスキーの最古の「ブッシュミルズ社」
を見学することになっていたのだが、何だか知らんが今日1日だけ見学客は入れないことになったとい
うアナウンス。ウィスキーはスコッチから生まれたような印象があるが、実はアイルランドが発祥。6世
紀には「ウィスケバッハ」という名前で作られていたそうな。それを英国本土の人間が発音出来ずに「ウ
ィスキー」と言ったことからそうなっちゃった。因みに「ウィスケバッハ」は「命の水」という意味だそうです。
ってことは、「ブッシュミルズ社」は世界最古のメーカーということになりますな。それを見ることが出来な
いということですな。じゃ、外観だけでも撮りましょう。ツマラナイ昼食の後、スーパーで酒を買う人多し。
世界遺産のジャイアンツ・コーズウェイ 柱状節理というんだとか ダンルース城と牛たち
アイルランド島には、世界遺産は3つある。その一つのジャイアンツ・コーズウェイをさぁ見に行きましょ
う、という時ザーット雨が降って来た。何だか今日はツイテイナイ日のようだ。大昔地殻変動と氷河期を
繰り返して出来上がった無数の六角形の石柱である。こういう地形を「柱状節理」と言うのだそう。自然
が造り上げた雄大な奇景が楽しむ「巨人の土手道」のハズなのだが、何せ雨がバチャバチャ、風がピュ
ーピューで写真を撮るのにも苦労する。諦めて早めにシャトルバスに乗ったら、太ったオッサンが声を
かけて来た。「日本人?俺オーストラリア人。ワハハハ」。チェッ。W杯のことで笑っているんだろう。帰
って来たら雨が止む。チェッ。その代わり絶壁に立つダンスール城を見に行く。英国プロテスタントが攻
めても攻めても陥落しなかった城だ。その前でのんびり牛が草を食む。浜辺の結婚式も遠くに見えた。
夜 北アイルランド・デリー/ ロンドンデリー 「タワーホテル」 マッシュルームのクリームスープ、
白身
アイルランド民謡の一つ「ダニーボーイ」の歌詞に出て来るリマバディという街を通って、夕刻デリー/
ロンドンデリーに着いた。アイルランド人にとってはデリーという町だったのだが、英国プロテスタントが
住むようになってロンドンデリーだと言い出す。で、デリー/ ロンドンデリーとスラッシュで繋ぐ町名にな
ったらしいよ。「英会話」という答えのご褒美に、仲良し3人組からビールをご馳走になる。ゴッツァン。
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6月 17日(土) 午前雨 午後から晴れ
朝 北アイルランド・デリー/ ロンドンデリー 「タワーホテル」 朝食ヴュッフェ
焼き立てホカホカクロワッサン
5時半起床。な、なんと8時間も熟睡してしまった。これで2日間の睡眠不足は解消。このホテル部屋
は狭いわ、バスタブの栓無いわで、あまり良いことは無いが、街の中心地にあるロケーションと焼き立
てのクロワッサンが出てくるのが嬉しい。ほわほわ湯気の立つパンを2つも食べてしまいましたー。朝
食後は、城壁内の見学。この街の中心地には17世紀初期にプロテスタント入植者によって築かれた
周囲1,6キロの城壁がある。カトリックのアイルランド各地では、押し寄せて来た英国プロテスタントと
の深刻な確執が続き、やがてカトリックは追い込まれて行くのだが、ここデリー/ ロンドンデリーでは戦
いの時プロテスタントが城壁内に閉じこもった。一番有名なジェームス2世とウィリアム3世の名誉革命
戦争時ジェームス2世+カトリックが数ヶ月城壁を包囲したが、ウィリアム3世+プロテスタントの勝利
に終わった。城壁の上を歩き、今でもプロテスタントしか住まない街や聖コラムズ聖堂などを見学した。
ボグサイト地区は北アイルランド紛争の舞台となった。「血の日曜日」の悲劇が起きた場所には、慰霊碑が立つ。
今日のガイドはアイルランド人の男性。城壁内のプロテスタントの説明も冷静で温和な表情を崩さない。
どころかアイリッシュユーモアたっぷりで笑わせる。その彼が城壁の外、主にカトリックが住むボグサイ
ト地区に行くともっとイキイキとして来た。擦れ違う人は皆友人で知り合い。説明の途中でも始終挨拶し
手を振って影の市長さんみたい。ボグサイト地区に纏わることは今週の振り返りに記すが、暗くなった
私達の気持ちを立ち直らせてくれたのもこのガイド氏であった。彼のスピーチに拍手が巻き起こった。
昼 北アイルランド・デリー/ ロンドンデリー 「タワーホテル」 アイリッシュ・ローストビーフ マッ
シュポ
でっかいアップルタルト 完食したのはM田さん1人だけ 城壁の中心ザ・ダイヤモンド
昼食はホテルに戻って。メインはローストビーフで、その皿に温野菜と茹でたじゃが芋をこれでもか、と
添えて食べる。これがアイルランド風の食べ方であり、滞在中ずっとこのスタイルが続いた。じゃが芋好
きなのよ、この国。〆のデザートのデカイこと!22人中完食したのは、同テーブルのM田さん1人だ。
夜 北アイルランド・デリー/ ロンドンデリー 「BADGER’S PUB」 エッグマヨネーズ、フィッシュ
&チ
昼食が終わる頃、サッと日が差し込んで来た。アイルランド島に来て初めて見る太陽と青空である。す
っかり明るくなった郊外にバスを飛ばしてグリアナンのストーンフォートに出かけた。丘には、ゴーシュと
いう黄色の花が満開で澄み切った青空に映えて美しい。標高250メートルの頂上には2500年前に作
られたと思われる石造りの建造物がある。誰が何のために作ったのかは定かではない。天気が良くな
ると気持ちも軽くなって、夕食は近所のパブに出かけた。地元の人と一緒にビールを酌み交わすのか
と思ったら、パブの2階の部屋は貸しきり。なーんだ。イギリスに行くと名物料理のフィッシュ&チップス
を一度は食べないとイカンというプレッシャーを感じる。それが恐ろしくマズイ。だから苦手。ところが、こ
の店のフィッシュ&チップスはとても旨い。魚がいい。油がいい。油切りがいい。なーんだ、美味しいも
のだって作れるんじゃん。それをモリモリ食べながら、冷えたギネス1パイントグラスでグビグビと飲み
干す。プッハー!!うまい!生だと泡が細かくて、苦味もソフトで美味しいなぁ。お替り!グビグビグビ。
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6月 18日(日) 雨 時折嵐のような強い風と雨
朝 北アイルランド・デリー/ ロンドンデリー 「タワーホテル」 朝食ヴュッフェ
5時50分起床。18日は日本代表とクロアチア戦だと思ったら緊張したせいか昨夜はあまり眠れなかっ
た。「勝てよ」と願いつつ、今朝も焼き立てのクロワッサンを食べて8時半出発。やっと晴れたと喜んだ
のに、今日もまた雨が降っている。いよいよアイルランド共和国に入るんだな、と車窓を眺めていたら
10分で国境を過ぎてしまった。国境と言ってもゲートも無ければ表示も無く、気がつけばアイルランド共
和国ドネゴール州に入っていた。え?昨日の午後行ったグリアナンのストーンフォートもアイルランド側
だったの?ハハハ。表示がゲール語と英語となる。5世紀にキリスト教が伝来してからアイルランドに
は修道院が盛んに作られた。そのうちのフランシスコ派の修道院跡を見学。この国に紀元前200年か
ら住み始めたケルト人は生きとしいけるものには神が宿る多神教や自然を崇拝して来たが、キリスト教
を伝えた聖パトリックは、古来の信仰を否定することなくキリスト教を巧みに取り込んだ。だからアイル
ランド独得のキリスト教が発展して来た。その象徴ともいえるのが、ケルト十字(ハイクロス)で十字に
円が組み合わされている。円は太陽や輪廻を表現しているそうだ。やがてスライゴーの街に近づいた。
ここには、ノーベル文学賞を受賞した4人の1人、詩人のウィリアム・バトラー・イェーツの祖父が牧師を
つとめていたドリムクルフ教会があり、「天国行きを待つ詩」とイェーツの像、イェーツ家の墓があった。
昼 アイルランド・スライゴー 「RIVERSIDE HOTEL」 ベジタブルスープ、鶏のブレストソティ マッ
シュポテトと温野菜添え、コーヒー
イェーツが愛したスライゴーの町 身体中に作品が書かれたイェーツの銅像 この船でアラン諸島へ
スライゴーはイェーツの母の出身地で、イェーツは度々この地で過し愛した町。彼の詩にあるように59
羽はいなかったが、白鳥の親子が河で遊んでいた。ランチを摂るレストランが見つからず、皆でウロウ
ロ探す。美しい街だからいいか。温かいスープとデカイチキン、それにマッシュポテトがたーーぷり。こ
れ毎回完食していたら、とんでもないオデブになる。雨の中、バスを飛ばしに飛ばしてコナート州の中
心地ゴールウェイに到着。ドライバーのディビットは抜け道をよく知っていて時間を稼いだので、余った
時間でゴールウェイを見学する。豊穣な東部に比して、西海岸のこの地域は土が少なく、ゴツゴツした
岩場が地表に出ているような土地だ。コロンブスが航海に出る前に安全を祈願した聖ニコラス教会を
通り過ぎる。この町には「リンチ=私刑」という言葉の元となった名家リンチ家の城がある。15世紀の終
わりに県知事だったリンチは、自分の息子を殺人罪で絞首刑にして正義を守ったという実話があるそう
だ。時計を見る。もう試合は終わっている頃だ。勝ったか?せめて引き分けにしておくれ。ロッサヴィー
ルの港からイニシュモア島行きのフェリーに乗るとテレビにはブラジル戦が映っていた。え?日本はク
ロアチアと引き分けた?うーん、勝てなかったのか。でもドローなら未だ微かに望みはある。船揺れる。
夜 アラン諸島イニシュモア島 「オスタン・アラン」 チョイスメニュー(クリーミーシーフードチャウダー、
ペンネトマトソース、フルーツサラダ、ギネス 1.5パイント、白ワイン
船酔いは酒で治すぞ
アラン島と人は呼ぶ。しかし、アラン島なんて島はない。イニシュモア島、イニシュマーン島、イニシュア
島の3島をアラン諸島というのである。アラン諸島は、アイルランドの中でも最もケルト文化が残り、ゲ
ール語が日常使われている島々。今アラン諸島で一番大きなイニシュモア島にいる。イニシュはゲー
ル語で島を意味するらしい。このホテルのオスタンはホテルという意味だ。外は強い風が吹き荒れてい
るが、ホテルのレストランではチョイスメニューに頭を悩ます。シーフードのチャウダーとトマトソースの
ペンネを選択。船酔いで身体が揺れていたが、ギネスをグビグビワインをガブガブ飲んだら治ったよ。
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【今週の振り返り】
私のアイルランド初訪問は、北アイルランドから始まった。ベルファウストからデリー/ロンドンデリーへ。
英国本島の西側の海にひっそりと浮ぶアイルランド島。それがアイルランド共和国だと思うと違うのだ。
その意味でも、アイルランドの首都ダブリンから入るのではなく、ベルファウストから旅を始めたことは
この国を理解する上でとても良かった。
長く英国とプロテスタントに虐げられて来たアイルランドは、1949年に独立を果すが、ここ北アイルラン
ドの6県(福島県位の面積)は英国領として切り離されてしまった。アイルランド共和国は北海道と同じ
位の面積だから、アイルランド島の大きさをイメージする時、北海道+北部に福島県がくっついている
感じ。英国化に最も執拗に抵抗していた北部が英国領に取り残されたのは皮肉な話である。北アイル
ランドの住民は、プロテスタントが多く、カトリックは少数派であった。そしてカトリックは信じる宗教が故
に様々な不平等な仕打ちを受け続けていたが、1968年から公民権運動が盛んになる。
デリー/ロンドンデリーの城壁を出て緩やかな坂を下りて行くと、主にカトリックの人々が住むボグサイト
地区となる。あちこちの建物の側面に巨大な紛争時壁画が描かれ、異様な雰囲気である。命を落とし
た17歳の少年を抱き上げる神父にも銃をつきつける英国兵士、14歳で命を落とした少女と武器を捨
てようというメッセージ、民家のドアを打ち破る兵士、逞しい女性闘士・・・・。1980年に投獄されたIRA
の10人は自分達を政治犯として扱うように求めて拒否され、獄中でハンガーストライキを実行して全員
餓死した事件があり、彼らの写真を貼ったパネルもある。中でも1972年に起きた「血の日曜日」の悲劇
は余りに惨い。13人の犠牲者の多くが十代の若者だったことに怒りを覚える。立候補権も選挙権も与
えられず、職業の選択も限定されていたカトリックが人間らしい権利を求めて1月30日の日曜日、平
和行進していただけなのに。そこに英国軍襲った。わずか22分で数十人が傷つき、13人が命を落とし
た。この事件を英国の軍事裁判は「正統な行為」と裁定した。犠牲になった若者や遺族、カトリックにと
っては到底受け入れられない。IRAの過激派は、北アイルランドのみならず、英国本土でもテロを行い、
これにプロテスタントの過激派が応酬するという泥沼状態。かつてIRAのテロ事件が報道される度に
アイルランドの真の悲劇を知らずに「平和を乱す過激集団」とあっさり考えていた自分を恥じる。しかし
1990年代半ばになって対立は好転し、98年に和平を合意、99年にはプロテスタント、カトリック双方が
参加する北アイルランド自治政府が発足した。
デリー/ロンドンデリーを案内してくれたガイド氏は、聞けばアイリッシュ・カトリックの方。子供の頃、自分
の家のドアを英兵が叩き壊して入って来た時は本当に恐かったと体験を話す。しかし、夫人は何代も続
く古いプロテスタントの家の出身で周囲の反対にめげず結婚された。今では2人のお嬢さんとの4人家
族で幸せだと言う。彼は、「アイルランドも英国もIRAもカトリックもプロテスタントも関係なく、武器をす
べて捨てて、この平和守っていきたい」とスピーチして喝采を浴びた。現ブレア首相も、正式に「血の日
曜日」の事件について謝罪をしたという。アイルランドはW杯に代表を送ることが出来なかった。ガイド
氏にイングランドを応援するの?と聞くと「するものか!」と答えた。
アイルランド共和国の国旗は、右から緑、白、オレンジの三色旗。緑はカトリックを、オレンジはプロテス
タントを、真ん中の白は両者の平和を表すそうだ。
なんたって平和が一番だニャア
はぁー、これで1週分完成。あと2週分も作るのかぁ?あぁ・・・・・・