パクパク日記6年7月2週

          「アルプスの元少女ハイバー」はスイスアルプスに見惚れていた

サンモリッツ湖   逆さマッターホルン

(先週のつづき)

7月 8日(土) 

夜 成田 全日空ホテル 「スカイラウンジ 彩風」 房総コース(空豆豆腐と鮑、銚子沖刺身鯵の

     なめ ろう仕立て、とうもろこしとじゃが芋冷製スープ、海の幸の洋風殻焼き:鮑・イカ・海老、房州沖

    イサ キのオリーブオイル焼き、青りんごのシャーベット、牛フィレ肉ステーキ 野菜添え、冬瓜と味噌

    の グラタン、豆ご飯、漬け物、デザート:クリームブュレ・アイスクリームとフルーツ) 9240円、生ビー

   ル×2杯、冷酒 「長命泉」 693円×2杯、ジントニック @13300

  

  

    結構なコースでございました

成田前泊もこう続くと同じホテルじゃ飽きて来る。夕食を摂るレストランがね。で今回は全日空ホテルを

予約した。鉄板焼は満席で8時半から?ヤダヨ、そんなに遅いの。ってことでその隣の創作料理「彩風」

という店で一番高いコースを注文。前泊の夕食はカンタンに済ませるものかもしれんな、と食べながら

思った。でもこのコースなかなかイケマス。酒が進んで困るという欠点はあるが。マッサージ頼み曝睡。

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7月 9日(日) 成田は曇り

朝 成田 全日空ホテル 「セレース」 朝食ヴュッフェ

5時50分起床。アッチャー!時計のバンドが壊れてしもうた。腕時計無しで旅はできない。成田で買う

か。これからスイスに行くというのに皮肉だ。朝食ヴュッフェまずまず。3万3千円払ってチェックアウト。

昼 スイスインターナショナル航空 成田=チューリッヒ ビジネスクラス機内食

成田第一ターミナルに7時35分到着。スイスインターナショナル航空はケチな会社で、団体で購入した

ビジネスチケットではラウンジを利用できない。一度倒産したことがあるからケチケチになったのだろう

か。でも、私はスターアライアンスのゴールドカードを持っておる。5900円のスオッチを買ってからレッド

カーペットラウンジというところに行った。禁煙。赤い絨毯はどこにも無かった。機内食は日本食をチョイ

ス。座席はとても寝難くてイヤなのだが、日本酒「眞澄」も積んでいるし、スリッパが立派だから許すよ。

夜 スイスインターナショナル航空 成田=チューリッヒ ビジネスクラス機内食

さんざん酒を飲んだのだが、やっぱり1時間半しか眠れなかった。ホント私眠りベタだわ。久世光彦著

「蕭々館日録」を読みながら、おにぎりやアイスクリームを食べて過す。降りる前に軽食も食べました。

夜―2 ホテル客室にて バナナ、クッキー、ウィスキー

午後3時25分(日本時間午後10時25分)チューリッヒ空港着。バスで10分ほどのヒルトンホテル着。

直行便でそのまま泊まるって楽チンだ。2ヶ月前は同じ便で来て空港で4時間待ち、ドイツのミュンヘン

に飛び、そこからバスで2時間半走ってようやくインスブルックに辿り着いた。あの時に比べれば今回

は天国のよう。しかし、空腹である。今日は1日31時間あるものの、もう色々食べちゃったもんなぁ。午

後8時のW杯決勝戦までバナナを齧ってウィスキーをチビチビ飲んで紛らわす。フランスVSイタリア。

眠いから90分で決着つけてくれー。延長?頭突きしてジダン退場?イタリアDFのマテラッツィがジダ

ンに何か言っていた。一瞬の暴挙を誘った言葉はなに?PK?イタリアの優勝?後味が悪い決勝戦。

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7月 10日(月) チューリッヒとサンモリッツは晴れ    CHF=スイスフラン=約100円

朝 スイス・チューリッヒ 「ホテルヒルトン チューリッヒ・エアポート」 朝食ヴュッフェ

5時半起床。テレビをつけると、大騒ぎのイタリア、うなだれるフランスが映しだされていた。イタリアは

強かったから優勝してもいいのだけど、ジダンの一件が後味を悪くしちゃったよね。さーてと、昨夜から

ひもじさをガマンして来たのだ、モリモリ食べよっと。同じ旅行会社の関西組と一緒に食事する。満腹。

昼 スイス・サンモリッツ 「HAUSER キャロットクリームスープ、パン、仔牛のソーセージとレシュ

     ィ グリーンピース添え、チョコレートムース、グレープフルーツジュース5.5 CHF

  

バスで南に向かう。「ハイジの里」のマイエンフェルト。日本では最初「カエデ物語」として翻訳されたが

その後「アルプスの少女ハイジ」として多くの子供達に愛された作品。ヨハンナ・シュピリが188053

歳の時書いた由。「ハイジの泉」でトイレを借りただけで、ユリア峠を上る。紀元前1世紀ローマ時代の

石の道標が残っている。ユリアス・カエサル(シーザー)がガリア遠征した時、こうしてアルプス越えをし

て行ったのだね。昼前にサンモリッツに到着。ここサンモリッツは、1年365日のうち322日太陽が拝

める町という高級リゾート地である。宿泊する3軒先のレストランでランチ。デッカイ仔牛のソーセージに

添えられたものはレシュティというポテト料理。ハッシュドブラウンのスイス版って感じかな。味は普通。

  

            サンモリッツの町             ピッツ・ナイルのロープウェイ      眼下にはサンモリッツ湖が

食後ケーブルカー2つ乗り継ぎ、更にロープウェイに揺られながらピッツ・ナイル展望台へ。標高3057

メートルだから、眼下にはサンモリッツの町、サンモリッツ湖、それに続くシルバープラナ湖、チャンプフ

ァー湖まで見えるぞ。展望台の遥か遠くには、イタリアのピッツ・ベルニナなどが白い姿を見せている。 

下りはフリータイム。途中の駅からハイキングの提案があり、参加しなかったのは私ひとりであったぞ。

夜―1 サンモリッツ 「ホテル CRISTAL」 バンケットルーム ミックスサラダ、パン、サーモン

      のフィ レ ハーブソース じゃが芋とほうれん草のソティ添え、チョコレートムース、ガランダ(生ビー

     ル)  CHF、白ワイン 10.5 CHF、赤ワイン 10.5 CHF

  

早く下山したお陰で風呂に入ったり、本を読んだりしてゆっくり過そう。しかしだ。このホテル、最近改装

したのを機に全室禁煙にしてしまった。吸えるのは、1階ロビーとエレベータホール、そしてバーだけ。

客室で吸った形跡があれば、罰金100フラン払え!ってホーガイなことを言っているらしい。よって、薄

暗いエレベーターホールで本を読む。夕食はホテルのバンケットルームで。女性2人連れの皆さん二組

と一緒のテーブル。いつものアルコール3点セットを注文したら驚かれた。いつもそうなんですってば。

夜―2 サンモリッツ 「ホテル CRISTAL」 バー ジントニック 2杯 30CHF

部屋に帰ればスコッチが待っているが、煙草は吸えない。じゃ、バーに行こう。カウンターではイタリア

語を喋る夫婦とバーテンダーがW杯優勝の新聞を見ながらニコニコ嬉しそうだ。ようござんしたねぇ。

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7月 11日(火) 快晴

朝 サンモリッツ 「ホテル CRISTAL 朝食ヴュッフェ

6時起床。な、なんと8時間熟睡したぞ。海外旅行の場合、この2晩目にしっかり寝ることが出来れば旅

の間は疲れを引き摺らない。昨日に続いてエレベーターホールに朝の煙草を吸いに行くと先客あり。私

達のほかにも少なくとも3グループの日本人客が泊まっている。お喋りを始めると、石巻市からいらした

ご夫婦で旧十条製紙、小粒で旨い石巻牡蠣、珍しい牡蠣鍋の作り方なんて話で盛り上がった。朝食後

撮影散歩に町に出てみると擦れ違う人の日本人比率が何と多いことか。誰かが「軽井沢みたい」って。

  

      セガンティーニ美術館のポスター         セガンティーニ美術館外観            サンモリッツ湖

徒歩10分程のところにエンガディン地方をこよなく愛した画家セガンティーニの美術館がある。北イタリ

アの生まれだが、スイスに移り住み、1900年開催のパリ万博に出品する予定だった大作「生」「自然」

「死」の3部作は、彼の突然の死で未完に終わったが、それでも精緻にしてスケールが大きい彼のやさ

しい絵画は人の心にジワリと訴えかけて来るものがある。日本では大原美術館に彼の作品があるよ。

昼 氷河急行食堂車 ランチコース(グリーンサラダ、パン、仔牛の薄切りクリームソースチューリッヒ風

 押し麦と温野菜添え、ラズベリースポンジケーキ)、コーヒー 3.8CHF

  

  

サンモリッツ駅112分発の氷河急行1等席に乗り込む。赤い車体、骨組と天井以外は窓ガラスとい

う見渡しの良い列車だ。「みなさん食堂車に移動して下さーい!」添乗員の石Gさんが叫んでいる。日

本人グループが4組もいたため、朝食は815分からだったのに、昼飯は11時15分かよ。軌道が狭

いため横揺れが激しい。サーブしてくれるオジさんはジョーク好きで車内の客を笑わせる。このランチコ

ースは42CHFだそうだ。右に左に車窓から見える景色が美しい。日が当る席は暑い76年目の列車。

 

サンモリッツを出発してから5時間弱、アンデルマット駅で下車。バスに乗り換えて、フルカ峠を上る。

日光のいろは坂なんて目じゃない急カーブの連続をぐんぐん走って高度を上げ、あっという間にアンデ

ルマットの町が小さくなった。頂上を越えて暫く走ったところにローヌ氷河がある。ここも世界の氷河の

例に洩れず、地球温暖化の影響で凄いスピードで縮小しているとか。2ヶ月前に行ったオーストリアの

パステルツェ氷河もそうだったし、33年前(!)に行ったカナダのコロンヴィアアイスフィールドなんて今

世紀中には全部融けてしまうらしいよ。氷河を中心にしていた観光産業は真っ青だ。今度は坂を下って

マッター谷を進みテーシュ駅に到着。ここでバスとはお別れしてスーツケースをゴロゴロ引っ張って汽

車に乗り込む。何でこんなメンドーなことをするかと言えば、これから行くツェルマットの町はガソリン車

の走行は禁止なのだ。12分電車に乗ってツェルマット駅到着し、ホテルのおにいさんが電気自動車で

スーツケースを運んでくれる。町で走っている車は全部電気自動車なのである。歩いて5分ホテル着。

夜 ツェルマット 「ホテル NATIONAL ミックスサラダ、パン、フォンデュ・シノワーズ(牛、豚、鶏

      肉) サラダ副菜ヴュッフェ、ヨーグルトシャーベット、スイスビール 4.5CHF。白ワイン 7.4CHF

      赤ワイン 8CHF

  

ホテルに歩いている間も、部屋からもマッターホルンが見える。パラマウント映画のタイトルバッグで何

度も見た「生マッターホルン」だ。夕食は各種肉をコンソメでしゃぶしゃぶして食べるフォンデュ・シノワー

ズ。肉が小さいためか、食べた気がしない。スイス料理名物といえばチーズ・フォンデュだが、あの料理

は店中が臭くなるので、ホテルや高級レストランでは出さないらしいよ。今晩のこのホテルの客は全部

日本人。何か安曇野あたりのペンションにいるようだなぁ。関西弁のおっちゃん達のお喋りが隣室から

夜遅くまで聞こえて来て煩い。シャーナイこと愚痴りよって、もうヤメンかいな。月夜にマッターホルン。

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7月 12日(水) 快晴 夕刻小雨

朝 ツェルマット 「ホテル NATIONAL」 朝食ヴュッフェ

    朝飯にありつくにも行列してタイヘンですだ

目が覚めてマッターホルンを見ると、頂上あたりだけ雲がかかっている。ベランダに出て見ていると、そ

の雲が朝陽に染まってピンクになった。朝食レストランに下りて行くと長蛇の列。745分発、8時発の

人たちばかりなのに、レストランは7時過ぎになっても開かないのだ。通勤列車並のラッシュを味わって

ようやく朝ご飯となった。スクランブルエッグが甘く、まるで煎り卵のようだ。添乗員の石Gさんは、客の

1人がバスの中に忘れて来たカメラを取りに行って深夜ホテルに帰られたそうだ。お疲れさまでしたね。

左からモンテローザリスカム、カストールとボリュックス  孤高のマッターホルン        展望台には観測所もある

      イタリア最高峰ドーム       リッフェル湖とマッターホルン          美しいハイキングコース

824分発のゴルナーグラート鉄道に乗り込む。マッターホルンが見える右側が人気だ。おぅおぅ見え

るぞ、マッターホルン。42分後、スイス一高い標高3130メートルのゴルナーグラート展望台到着。いき

なり観光写真屋さんが全体写真と個人写真を撮影しちゃう。世界中観光業者の中にはこうゆうゴーイン

な人たちがいる。ま、買いたくない人は買わなければいいんだけど。素晴らしい天気だ。強い紫外線に

真っ白なアルプスの雪が眩しく光っている。左に位置するモンテローザ(4634m)は、朝晩の太陽を浴

びると最もバラ色に輝くのでローザという名前を貰った。つづいてゴツゴツしたリスカム(4527m)、カス

トール(4226m)とボリュックス(4091m)の双子座から命名された双子のような山。いくつかの低い山

が続いてマッターホルン(4478m)が聳える。高さでは負けてもこの山が「特別」に見えるのは、他の

山々が連なっているのに、マッターホルンだけ離れているからか。「孤高の巨人」と言った人がいるが、

まさに独り屹立している姿には孤独な崇高さを感じる。逆の方向を見ればミシャベル連峰が見えて右

側にはイタリアの最高峰ドーム(4545m)の雄姿も。下界の35度なんて気温に比べれば涼しいが、思

った程は寒くない。ここで一応解散。電車で1駅下りた所からハイキングをしましょうという案に皆さん乗

るようだ。どうすっかなぁ。景色は撮りたし、歩きたくなし・・・。じゃ行きますか。ローデンボーデン駅では

他の乗客もどっと降りてハイキングも大混雑だ。小さなリッフェル湖では、逆さ冨士ならぬ逆さマッター

ホルンが拝める。緑の丘と咲き乱れる小さな花々、上を見上げれば真っ白なアルプス・・・・。もう天国だ

わ。しかし、途中で左足の膝の裏が痛み出した。最後に長い急坂が待っており、往生した。もういいわ。

昼 ゴルナーグラート鉄道 リッフェルベルク駅 レストラン ミートソーススパゲティ、キャロットケー

     キ、 ミネラルウォーター 27CHF

やっと辿り着いたリッフェルベルク駅近くのレストランで昼食。カフェテリア形式で、その値段の高さにび

っくりした。外のマッターホルンに一番近い特等席で食事したから許すか。このまま、もう一駅分ハイキ

ングして下りる人達もいらしたが、H川さん、T安さん、N島さん、S打さんと5人で別ルートに行くこと に。

一旦ツェルマットに下りて、スネガ展望台へ。1980年に完成したケーブルカーは、地下に掘られた

トンネルの中を標高690mをたった3分で上ってしまう。スネガは、一番美しいマッターホルンを見るこ

とが出来ると聞いたが、まさに真正面から見た姿は神々しい。4人はハイキングへ、私は撮影三昧だ。

夜 ツェルマット レストラン「CHEMIEE ガーリッククリームスープ 8.5 CHF、パン、グリーンサラ

ダ 6CHF、スライスポークブラウンソースチューリッヒ風 ポテト添え 25 CHF、ビール 2杯、白

ワイン 計46.5 CHF

  

    3分で690m上るスネガケーブルカー           スネガから見たマッターホルン 拝みたい!

今日はゴルナーグラート展望台でフリータイムとなった。で、夕食もフリー。ツェルマットの町までトマトフ

ォンデューを食べに行こうと誘われたが、6時前から雨が降って来た。雷も聞こえる。メンドクサガリ屋

の私は、隣のレストランで食べます、と1人で食事をする。ガーリッククリームスープがヤケにうまかっ

た。40人いた客の非日本人客は4人、店の前を歩いている人は9割が日本人。いったいここはどこ? 

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7月 13日(木) 快晴  夕方から雷雨!                 1ユーロ=約145

朝 ツェルマット 「ホテル NATIONAL」 朝食ヴュッフェ

5時半起床。マッターホルンの左上空に月が浮び、やがてかかっていた雲が朝陽に染まる。昨日の朝

よりすんなりと朝食を済ませて、出発。またスーツケースを持って電車でテーシュの駅に移動し、ここか

らバスでフランスに行く。え?今回はスイス旅行でなかったの?えぇ、ツァーの名前は「ワンダフルスイ

ス」ですけどね。アルプス3名山を巡るには、ちーっとフランスに行く必要があるんですよ。あのモンブラ

ンを見にフランスのシャモニーに行くんですわ。国境はフリーパスで通過して、昼にはシャモニー到着。

昼 フランス・シャモニー 「LE BLANCHOT ミックスサラダ、パン、魚のムニエル ラタトイユとタ

リアテッレ添え、アップルケーキ、グレープフルーツジュース 3.2 CHF

  

シャモニーの町はあちらこちら工事中で蒸し暑い。工事が多いのはここに限ったことではなく、スイスも

道路、ホテルなどの工事が盛んに行われていた。夏の観光シーズンに何故って思うが、ついこの前ま

で雪が積もっていたのだから仕方ない。今年の冬、来年の夏のために工事をする。メインストリートを

歩いてレストランへ。スイスの素朴な山の町と違って、ショーウィンドーや品揃えも垢抜けているところ

はやっぱりフランス?ロープウェイ駅のすぐ前のレストラン「LE BLANCHOT」はロープウェイとお同

じ経営で、切符と食事のランチパッケージを売り出している。そのパッケージを買えば、オンシーズン何

時間も待たされるロープウェイの予約が出来るということで団体に人気なのだそうだ。詰め込まれたレ

ストランの2階を見渡すと、やっぱり全員日本人客であった。バッチ処理みたいで美味しく感じないな。

  

さて、モンブランを見渡すエギーユ・デュ・ミデュ展望台に上る。その前に薬屋に寄って高山病にならな

いためのトローチを購入。20個5ユーロ。これが無くても、甘いココアなど飲めば血糖値が上がるので

OKらしい。そんな対策をするのも、このロープウェイの上り方が凄いから。1035mのシャモニーから8

分間で一気に2317mのプラン・ドゥ・エギーユへ上り、更に乗り換えて8分で3770mのエギーユ・デュ・

ミデュ展望台まで行ってしまうのだ。66人乗りの車内はギューギュー詰め。ロープを支える鉄塔を過ぎ

る時、一瞬止まってガクンと下がる。車内は嬌声と叫び声に満ちて大騒ぎさ。やがて切り立った岩の頂

上エギーユ・デュ・ミデュ展望台に到着。乗り換え含め20分で2800m上ったのだから、カラダが気圧の

変化についていくのがやっと。「深呼吸はダメ。息をゆっくり吐くのです!ゆっくり」と石Gさんがアドバイ

ス。心臓がドキドキし、息苦しい。軽い眩暈も覚える。更に山頂までの高速エレベータで3842mへ。富

士山には登ったことがあるが、3842mは生涯で一番高い所だ。ふらふらしながらも感動。こんな凄い展

望台とロープウェイだが、1911年に工事を開始して、1929年の第一回冬季オリンピックシャモニー大

会に間に合わせたというのだからタマゲル。日本の大正時代だよ。生憎モンブラン(4810m)には薄い

雲がかかって山の姿は薄っすらとしか見えない。その代わり左隣のグランド・ジョラス(4208m)はよく

見えた。カフェでお茶を飲み下山。麓のアンゴラの店で買い物をしていると激しい雷雨が降って来た。

夜 フランス・シャモニー ブラッセリー「LM」 ミックスサラダ、パン、ビーフシチュウ パスタ添え、

     フロ マージュ・ブラン フレッシュブルーベリー、ハイネケンドラフトビール(1リットル) 12ユーロ、白

     イン 2.2ユーロ、赤ワイン 2.2ユーロ

  

エギーユ・デュ・ミデュとは「正午の針」という意味だ。夕方から降り出した雷雨はその後も止まずびしょ

濡れになってホテルに帰って来た。お風呂に入ってから夕食のレストランへ。1リットルの生ビールのジ

ョッキがドカンと置かれた時は、皆さんから呆れられる。すーっと飲んだ。口に合わないメニューであっ

た。明日714日はフランス革命のキッカケとなったバスティーユ監獄が民衆によって襲撃された日。

カトルズ・ジュイエだ。その前夜祭が隣の公園で行われていて賑やかな音楽の合間に町のあちこちで

個人が上げる花火の音がヒューヒューと聞こえる。午後11時打ち上げ花火がドカンドカンと上がった。

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7月 14日(金) 快晴 36度! フランス革命記念日、スイスではマッターホルン初登頂記念日

朝 フランス・シャモニー 「ホテル ALPINA 朝食ヴュッフェ

         ホテルのテラスから山々を臨む        朝陽に映えるモンブラン     グランド・ジョラスとモンブラン連峰

5時半起床。昨日は晴れていたのに、お姿を拝見することが出来なかったから早速着替えてモンブラン

の撮影散歩に出る。朝陽に白い山頂が光って美しいぞ。ブルッとする程寒いが、朝の空気は美味しい。

朝食レストランは、またもや日本人100%であった。どういうこっちゃ!モンブランさーんさよーならー。 

  

            岩の城、シヨン城              シヨン城の内部         三日月型のレマン湖に白鳥が

フランスは1泊だけの滞在で、またスイスに戻る。そうそう、今日7月14日はマッターホルン初登頂の

日でもあるのだ。25歳のエドワード・ウィンパーを始めとする7人のパーティが7回の失敗の後、イタリ

アパーティに僅かに先んじて初登頂したのが、18657月14日のことだ。しかし、登頂の喜びも束の

間、4人が滑落してウィンパーとピーター・タグワルダー父子だけが生き残る。結局無罪とはなったが、

「切れたザイル」を巡って査問会まで発展した。バスはレマン湖に向かっている。シャモニーから95

ロだからすぐ着いてしまう。湖畔に建つシヨン城。案内してくれた日本人ガイドの女性に聞くと、このとこ

ろスイスは毎日お天気が良く、最高気温は30度を超えていると言う。昨年の7月は連日の高温晴天で

あったが、8月になった途端雨ばかりで気温もグンと下がり夏休み中の子供が可哀相だったとのこと。

フランスとスイスに跨るレマン湖の周囲には、ジュネーブ、ローザンヌ、モントルーなどの町がある。か

つてチャップリン、オードリー・ヘップバーンが住み、今でもアラン・ドロン、シューマッハ、ミック・ジャガー

それにゴクミ(後藤久美子)が住むそうよ。財産税が安いのですってさ。大金持ちの方、どうぞこちらへ。

昼 スイス・ベルン 「SCHMIEDSTUBE ミックスサラダ、パン、ラクレット(お替り!)、バニラアイス

クリームとオレンジ、アイスティー 3.8 CHF

  

首都のベルンでランチ。私はどうゆうワケかスイスの首都はジュネーブだとずっと思っていた。スイス料

理の名物の一つラクレットが出て来た。高熱で溶かしてアツアツのチーズと茹でたじゃが芋。運んで来

るスタッフが「アッチッチ!」と言いながら皿を配る。焦げたチーズが香ばしい。お替りは?はーーい!

午後のお茶 スイス・ベルン 何とかというカフェ カプチーノ 4CHF

  

暑いハズで今日の最高気温は36度だった。16世紀に出来た仕掛け時計の前で待つが、2時とあって

仕掛けはアッという間に終わる。ドイツの影響の濃い町で、所々に見事な水飲み場がある。大聖堂の

見学。15世紀に工事が始まった時はカトリックであったが、完成する頃には宗教改革の影響でプロテス

タントの教会になってしまった。絢爛な装飾はその時外されたらしいが、正面「最後の審判」の極彩色

の彫刻は素晴らしい。1時間のフリータイムは町の中をぶらぶらするが、とにかく暑いのよ。カプチーノ

を飲んで休憩した後、橋を渡って熊公園に。ベルンの町のシンボルは熊で、町名もベアからつけられた

と言う。2匹の熊がプールを巡って縄張り争いをやっていた。丘の上のバラ公園から町を一望できた。

夜 グルンデルワルド 「ホテル KREUZ&POST 宿泊用レストラン ブロッコリーのクリームス

   ープ、ポークステーキ フライドポテト添え、ラズベリームース、ビール(大) 5.1 CHF、白ワイン 9.5

    CHF、赤ワイン 10 CHF

  

左手にトゥーン湖を眺め、山間を上って夕刻グリンデルワルトの町に到着。ホテルは駅の真横で5階の

部屋からは電車の先頭車両が見下ろせる。アイガーの山が迫っているが、有名な北壁は見えない。ホ

テルの宿泊者専用のレストランで夕食。今回のグループは21名。ご夫婦が5組、うち1組は7月上旬

挙式された新婚ほやほや。もうすぐ80歳というお母さんと姉弟の14人、母娘1組、女性仲良し2

人が2組、一人参加は私だけ。喫煙者はだいたい私だけなのだが今回は4人もいて心強い。皆さん感

じの良い方ばかりでグループの雰囲気は和やか。添乗員の石Gさんは、5ヶ国語を操る2児の母で頼

もしい。料理が旨く酒も進む。部屋で暮なずむアイガーを見ながらスコッチを飲み、10時コテッと寝た。

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7月 15日(土) スンバラシイ快晴 今日も36度だぁ!

 グルンデルワルト 「ホテル KREUZ&POST 朝食ヴュッフェ

5時半起床。よく寝るねぇ。空には雲が無く、今日も良いお天気らしいぞ。7時朝食を食べて、7時45分

集合。目の前だから30秒前に出ればいい。この旅行で最後の名峰アイガー、メンヒ、そしてユングフラ

ウヨッホを眺めに行く。WABで30分走るとクライネ・シャイディック駅。ここでJBに乗り換える。アイガ

ーグレッチャー駅でメンヒとユングフラウヨッホが目前に迫る。ここからは7,2キロの長いトンネル。つま

りアイガーとメンヒのアルプスに穴を開けてあるということ。トンネルの途中、アイガーヴァント駅とアイ

スメーア駅で5分停車する。写真ストップでもあるが、この2駅は登山者のための避難場所なのだそう

だ。50分後ヨーロッパで一番高い駅ユングフラウヨッホ駅(3454m)に到着。ゆっくり上って来たからモ

ンブラン程ではないが、ちょっと息苦しい。高層エレベータで一気に3573mのスフィンクステラスへ。氷

の厚さ900m、長さ22キロというヨーロッパ最長のアレッチ氷河や修道僧の名のメンヒ(4099m)もよく

見える。そしてアレッチ氷河の右側には乙女の尾根ユングフラウヨッホ(4158m)。真っ青な空に真っ白

な山頂。ただただ溜め息。この素晴らしい景色も登山鉄道があるお陰。何と明治時代から工事を始め、

16年後の1912年(大正2年!)に開通させたというから頭が下がる。最大勾配250パーミル、シュト

ルプ式ラックレールで最初から電気で走ったとか。氷のトンネルで肝を冷し、名残り惜しいが下山する。

  

  Top of Europa ユングフラウヨッホ駅         ヨーロッパ最長のアレッチ氷河    ユングフラウヨッホから下界を望む

  

       氷のトンネルはムッチャ寒い!      左からメンヒとユングフラウヨッホ          真ん中がアイガー北壁

昼 クライネ・シャイディック レストラン「Eiger Nordwand」 本日のスープ(パンの器のトマトク

      リー ムスープ) 10.5CHF、スパゲティトマトソース 13.5CHF

  

グループの皆さんは、一つ手前のアイガーグレッチャー駅で下車してハイキングにお出掛けだ。私は一

人でクライネ・シャイディックへ。表現が難しいほどのスンバラシイお天気で、幸運を感謝せずにいられ

ない。5月のオーストリア、6月のアイルランドとお天気が悪かったので、余計に感謝の気持ちが湧き上

がる。レストランは何軒もあるが、一番眺めの良い店にしよう。「Eiger Nordwand」は、テラス席から

アルプスが真正面に見えて眺望が素晴らしい。本日のスープを頼んだら、大きなパンの器の中はトマト

クリームスープ。スパゲティのトマトソースと重なってしまった。ハイキングする人、丘の上でピクニック

する人、マウンティンバイクで移動する人、走っている人・・・。そうそう、毎年インターラーケンからここク

ライネ・シャイディックまでの42,195キロを走って上るユングフラウヨッホマラソンというのがあるのだそ

うで、聞いただけでも気持ちが悪くなった。山の景色も堪能した、麓まで下りよう。車内でも撮影三昧。

 グルンデルワルト 「ホテル KREUZ&POST」 レストラン グリーンサラダ 7CHF、温かい

      パン、クロイツカレー 38CHF、モカアイスクリーム 3CHF、生ビール 2.9CHF×2杯、白ワイン 

      3.6CHF 計57.4CHF

ホテルに帰ってお風呂に入り、窓辺に座っていると何とも気持ちの良い風が入って来る。火照った肌に

爽やかな風が実に気持ち良い。風に酔うなんて初めてだ。ついウトウトしてしまった。宿泊しているホテ

ルにはレストランも併設され美味しいと評判らしい。日本の雑誌がこのレストランを紹介したコピーがエ

レベータに貼ってあり、カレーが名物?じゃ食べてみようじゃないの。レストランの前にはハイキングか

ら戻られたグループの人々。人気レストランなので予約した由。私は入れなかった。グスン。でも外のテ

ーブルならいいわよ、と言われて1人で駅を見ながら食事。カレーはポークと海老とクロイツカレーの3

種でいずれも38CHFと高いがパイナップル、バナナ、黄桃を添えた美しいカレーだ。味もいいじゃん。  

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7月 16日(日) 今日も快晴 何と37度じゃあ!!!

 グルンデルワルト 「ホテル KREUZ&POST 朝食ヴュッフェ

昼 山頂のホテル ロートホルンクラムレストラン グリーンサラダ、白身魚のフライ タルタルソース

 じゃが芋添え、アイスクリームケーキ

        ミニSLのロートホルン鉄道    山頂からはプリエンツ湖とアルプスが         美しい花が咲き乱れる

朝食後、バスでインターラーケン東駅に行き、プリエンツ湖の観光遊覧船に乗る。湖畔の美しい景色を

見ながら1時間10分プリエンツに到着。ここからミニSLのロートホルン鉄道に乗り込む。真赤な2両の

車体を、後ろから蒸気機関車が押して行く。シュッシュッポッポの世界だジョー、嬉しいなぁ。プリエンツ

湖がどんどん小さくなって、ロートホルンの山肌の緑が目に沁みる。あちらこちらで草を食む牛の群れ

がヤケにくっついている姿が笑いを誘う。山頂から下って来た汽車と擦れ違う時、後ろを振り返ると2

の汽車がおっちらと上って来る姿が見えた。2245mの山頂駅到着。去年までは比較的空いていた場

所なのに、ここもランチパッケージを売り出したら途端に大混雑になったそうよ。お決まりの日本人客が

並ぶレストランでランチ。メインは熱々の白身魚のフライだったが、撮影を忘れた。ゴメン。料理が出て

来るのが遅く、帰りは走って汽車に乗る。高度が下がると眠くなるらしく、殆どの方はぐっすりお眠りだ。

夜 ルッツェルン・ラディソンSAS 地中海レストラン「LUCE」 アミューズ、ガスパチョスープ 8.5

CHF、パン、ペンネアラビアータ 15.5 CHF、パンナコッタマンゴソース 10.5 CHF、ドラフトビー ル 

5.5 CHF、白ワイン 6.5 CHF 計 57.4 CHF

  

ブリエンツの木彫りの学校&ショップを覗いてから、ルッツェルンへ。2週間前にオープンしたばかりの

ホテルラディソンSASのレストラン「LUCE」で夕食。今晩も食事はフリーだから一人だよーん。ランチ2

回、夕食3回フリーのこのコース、一人ご飯が大好きな私は歓迎だけど、喫茶店にも1人で入れない人

は困るだろうねぇ。あっ、そうゆう人は一人で海外旅行には来ないか。地中海料理で味はまぁまぁか。

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【今週の振り返り】

スイスが小学校時代憧れの国であった人は私だけではあるまい。「永世中立国」、「国民投票」、「アル

プスの峰々と牧場」、「高級時計の精密工業」、「世界の金融を扱う国」、そして「アルプスの少女ハイ

ジ」・・・・。だから、「どこの国に住みたい?」と聞かれれば、「スイス!」と何の躊躇いもなく答える子供

達が多かった。私だけでなく。初めてこの国を訪れたのは、今から27年前一人でヨーロッパをうろうろし

た時だ。毎日ユングフラウヨッホに行こうと思いながら、早朝起きると真っ暗で、「明日にしよう」とまたベ

ッドに倒れ込んでしまい、行かず仕舞いであった。その頃は、子供時代の憧れとは別の感情も持って

はいた。

スイスはローマ時代、「ヘルベティア」と呼ばれる土地だった。だから、ヨーロッパでのスイスの略称は

「CH」。コンフェデレーション ヘルベティアである。スイスフランをCHFと書くのもそうゆうことだ。シーザ

ーがガリア遠征に向かう時、ヘルベティアは重要な通り道だったから当然ローマの支配下にあった。そ

れが400年続き、そしてゲルマン民族の大移動の波にもまれて200年。現在のドイツ語が主力の語学

地図の元となる。やがて南欧の地中海商業圏と北欧の北海・バルト海商業圏の交易が始まると、アル

プス越えをする彼らから通行税を取り、旅の宿泊所などで潤い出す。そうなるとスイス北東の領主から

大発展を遂げたハプスブルグ家がこの土地(ウリ地方)に目をつけて押し寄せて来る。そうはさえまじと

ウリ、シュビーツ、ウンターヴァルデルの3地域の代表が129181日にリュトリの草原に集まっ

て自治獲得のための相互援助を誓約した「永久同盟」を結ぶ。これがスイスという国の原型というもの

であり、3地域を「原初3州」と呼ぶ。そしてスイスの建国記念日を8月1日にしているのも、このリュト

リの草原の誓いに寄っている。その後、ルッツェルン、チューリッヒなどが同盟に加わり、1513年アッペ

ンツェルが加わった時は13州同盟となった。18世紀終わりにナポレオンが食指を伸ばして来るも2

で断念。地方自治の緩やかな連合体であったスイスが国として形成されたのは、1848年自治と中央

集権を組み合わせた憲法が制定された時からだ。永世中立国として、第一次大戦、第二次大戦の2つ

の大戦を薄氷踏む思いで無事凌ぐことが出来たのは奇跡的と言えるだろう。

バチカンのサンピエトロ寺院に初めて行った時、スイスの衛兵が寺院を守っていた姿が印象的だった。

九州より狭い国土に西から東まで中央アルプスが1200キロ横断している。その幅は200キロから300

キロに及び、その上酪農の牧草地も多いから、耕す土地、住む土地は少ない。現在人口は750万人だ

が、貧しいスイスの男達は各国の傭兵になって生活を支えた。そうなると、戦争をする2つの国にそれ

ぞれ雇われたスイス人同士が血を流し合うことにもなる。血の輸出と言われる所以だ。スイスの兵士は

勇敢で粘り強く各国で歓迎されたという歴史を持つ。子供時代「永世中立国」とは戦争を全くしない国と

思っていたが、とんでもない誤解であった。バスで走っていると、あちこちに軍用飛行場があり、人造湖

の底には発電所が隠れている。いざという時は、山腹から大砲の発射台が出て来るらしい。一般家庭

の家にはシェルターが設置され、長期間の非常用食糧も備蓄していると聞く。攻められた時の準備を

万全にした上に成り立つ「永世中立国」だったのである。そのスイスも、国民投票の結果、国連加盟す

ることを決め、20029190番目の加盟国となった。

アルプスは中世の時代、悪魔が住む恐ろしい場所と信じられていたそうだ。それが19世紀になって美

しい姿と憧れを持たれ始めてスイスは観光立国となった。シャレー風の家々には赤や黄色の花々が飾

られている。観光客には嬉しい光景だが、花を飾ること、窓をきれいに拭くことなどは自治体の決まりご

と。これをしないと厳しく叱責され、罰金モノらしいよ。家族の数だけ共通地域の芝刈りなども割り当て

られていて、自治を守るというのは義務とセットなのだなぁと改めて思った。自由だけ享受して、仕事も

家事もヤラナイYUMEKOさんはどうするのよ!

           スイスで猫見なかったから木彫の犬のボクが出るの?

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