パクパク日記7月 4週
週末からインド洋に浮ぶ島、暑い暑いスリランカの旅が始まった
ダンブッラ
黄金寺
7月 24日(月) 曇り
朝 無し
E藤チカから訃報が届く。R祖美香の父上が昨日の朝亡くなったとのこと。金曜日に代々木で会った時
かなりお悪いと聞いてはいたが。その訃報を広報して貰おうとSブーに転送すると、カタナカ会社の大
先輩ワシミさんご本人が土曜日に亡くなったことを知らせて来た。うーむ、うーむ、うーむである。合掌。
昼 白山 「レザン」 プレーオムレツのせドライカレーセット(サラダ、味噌汁、福神漬け、アイスコーヒ
ー付き) 940円
土曜日に封入したスイスの写真を郵便局に出しに行く。今回の郵送代は3200円。そのままタクシーで
白山の病院へ。月1回の病院、月1回の美容院、月1回の海外旅行。血圧は82−130で正常。ランチ
はいつもの「レザン」だ。隣のおっちゃんが食べているナポリタンにも引かれるがオムレツとドライカレー
にした。たっぷりドミグラスソースがかかっている。ここのアイスコーヒーはダッチ式水出しだから旨い。
夜のおやつ 歌舞伎座 「檜」 アップルタルトとコーヒー 900円
7月は泉鏡花作品
一旦家に帰って歌舞伎座の夜の部。夜なら寝坊して見損なうことはなくて安心だ。先週も書いたように
7月の歌舞伎座は泉鏡花の作品を昼夜2本づつ上演している。夜の部は「山吹」と「天守物語」。「山
吹」は本当にタイクツだった。泉鏡花といえば、「滝の白糸」や「婦系図」に代表される新派向きの台本
が多いと思うのだが、「山吹」は何も歌舞伎役者がやるこたぁないじゃないの、と思いながらウトウトして
いた。ところが「天守物語」になると、もうそこは鏡花しか書けなかったような奇想天外の妖しい世界。白
鷺城=姫路城の天守閣は魔界の世界。ここに住む豊姫(玉三郎)の元へ妹分の亀姫(春猿)が空を飛
んで毬つきをしに遊びに来る。お土産は岩代の国主の生首。そんなこんなをやっているうちに、人間世
界から天守閣に上って来た若き鷹匠(海老蔵)と豊姫に恋が芽生えて・・・・」という物語なのだが、豊姫
を何度も演じている玉三郎が怪しい美しさで魅了する。「海神別荘」では精彩を欠いたかに思ったが、
この美しさは何だ!と腹が立つほど。海老蔵の図書之助もストレートな役柄なので安心して見られる。
夜 東銀座 「おさき」 付きだし:いんげんと油揚げのさっと煮、いさきの白子ぽん酢、れんこんの挟み
揚げ、新秋刀魚と大根おろし、加茂茄子と海老煮、塩らっきょ、生ビール×2杯、冷酒 「枡笑」 3
本
ちょっと盛り上がり過ぎて・・・
午後8時半舞台はねて空腹。久々に「おさき」に行くか。カウンターに座ると先客3人がエラクお賑やか
だ。お賑やか過ぎてウルサイ!そこへ別の3人がいらしたのでウルサイグループは退散して助かった。
いさきの白子なんて初めて食べるよ。ほう、もう秋刀魚が出たの?じゃ焼いて。加茂茄子も時期ですな
ぁ。いつの間にやら3人組の話に割り込んで、まだらボケだのプチアルツなんて話題で盛り上がる。「認
知症」を一番早く思い出したご褒美に冷酒お店から1本ご馳走になった。なんでこんな話題になった?
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7月 25日(火) 小雨 曇り 晴れ
朝 無し
昨夜盛り上がり過ぎたのか今朝は二日酔気味である。シャワーを浴びても未だ頭が痛い。午前中N原
先生のところに治療に行く。「二日酔中心に治療をお願いしますだ」。淑女はこんなことはしないよなぁ。
昼 四谷三丁目 「尾張屋」 カレー南蛮きしめん 760円
うまいっす
さて、今週は週末出発なので忙しい。先週は帰国週だったから忙しかった。しかも、明日の夜は宿泊さ
れる客人もあることだし。ささっと食べられるランチは・・・尾張屋だ。この店のマイベスト3は胡麻だれき
しめんとカツ丼、それにこのカレー南蛮きしめんだな。きしめんはコシが強く、カレーの汁も全部飲む。
夜 家食 焼き秋刀魚のおろし煮、麻婆豆腐、トマトとアボガドのサラダ、もずく酢、味噌雑炊
夜8時まで目いっぱいちょこまかと動いて夕食の準備。二日酔だったから家食にするの。また秋刀魚で
すかい?はい、昨夜「おさき」で秋刀魚の下半身(魚の場合はこうゆう風には言わないか)をオミヤにし
て貰った。そのまま温めるのも芸が無いので、大根をたくさんおろしておろし煮にした。麻婆豆腐、冷奴、
それに味噌雑炊にも豆腐を入れて豆腐三昧。夕食が終ったら次は荷作りに取り掛かるかな。 無酒日
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7月 26日(水) 久々の晴れ 暑いぞ! 九州は梅雨明け
朝 家食 味噌雑炊、ヨーグルト
晴れた。東京の太陽を見るのはいつぶりだ廊下。スイスでは毎日太陽と仲良しだったが、東京で晴れ
たのがいつだったか記憶がない。暑いのは苦手だけどやっぱり梅雨空より気分が軽いね。シャワーを
浴びて汗だらだらなのに、今朝も味噌雑炊を作って大汗をかく。そのまま荷作りの最終仕上げをする。
昼 四谷・しんみち通り 洋食 「エリーゼ」 ビーフトマト定食(味噌汁付き) ライス大盛り +50円、
ミ
どーしてメンチもつけるの!
代々木で整体を終え、四谷駅で8月末の信州行きの切符を買う。窓口だと行列に並ばねばならないが
最近は新幹線の自販機があって便利。お手伝いしてくれた若い女性が、「どちらまで行かれますか?」
と聞くので「長野新幹線の上田まで」と答える。「お客さま、ウエダは植田でよろしいのですね?」「あな
たそれ常盤線じゃないの!」。そのまま四谷ランチ。先週U井クンが「エリーゼ」でビーフトマト定食を食
べてカンドーしたと言っていたので、私も久しぶりに食べたくなった。「エリーゼ」には自販機が無いから
行列に並ぶ。店に入ると、店内は改装されていた。それはともかく、どうしてご飯を大盛りにするのです
か?「・・・・・・・・・・・・・・・」。その上、どうしてミニメンチカツをつけるのですか?「・・・・・・・・・・・・・・・・」。
午後のお茶 三栄町 「カフェ・ドール」 コーヒー 500円
今日の夕方、大阪在住の恭子親子がわが家に泊まる。明日の朝食は「カフェ・ドール」のアップルパイ
と決めている。買いに行った。いつも「アップルパイ焼き上がりました」の看板が店の前に出ている。今
日は「アップルパイ売り切れました」。ガツン!諦め切れず店内へ。「そうゆうことなら急いで焼きましょう。
1時間、いや40分で」。コーヒーを飲みながらアップルパイが焼きあがるまで待たせて貰う。凄い執念。
夜−1 早稲田・都バス車庫前 「亀吉寿司」 お任せ刺身(スミイカのゲソと赤ちゃん刺身、ウニ、大ト
ロ、シマアジ)、はだがり巻、鯵、穴子、おしんこ、ビール、冷酒
4時半過ぎ恭子親子3人到着。2年4ヶ月前ここに引っ越して来た時、大阪から家族を置いて2泊3
日で手伝いに来てくれた恭子である。彼女はあの時以来だし、大介君、有里ちゃんは初めて。元々恭
子は明日木曜日に来る予定だったのだが、大好きな「亀吉寿司」の定休日が木曜だと思い出し、1日
上京を繰り上げた。彼女の執念もまた凄い。4人で「亀吉寿司」、そこへSブーも加わって久々の夜。恭
子はこの店で「3大健啖女傑」の1人に数えられており、ネタを全部食べ尽くしてから最後に鯵8貫をペ
ロリと食べたこともある。めったにお目にかかれないスミイカの赤ちゃんイカが仕入れてあり、ゲソも旨
ければもちろん刺身も絶品。何せイカ1ぱいでお鮨1貫しか握れない程の小ささなのだ。ウニもいいね
ぇ。穴子も相変わらず旨いわ。「昔ほど食べられなくて悔しい」と言いながらたくさん召しありましたよ。
夜―3 早稲田・リーガロイヤルホテル東京「セラーバー」 枝つき干し葡萄とオレンジピールチョ
コレー
そのまま「セラーバー」に行ったのは良いのだが、入り口でマネ-ジャーの三輪さんが考え込む。「この
子達は絶対騒がないし、走り回ったりしないと保証するから」とお願いして、ようやく入れて貰った。そう
いえば、バーは子供を連れて来るところじゃあ無かったよ。子供2人はオトナシク、大人3人が煩い。
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7月 27日(木) 曇ったり晴れたり 今日も31度を超えて蒸し暑い
朝 家食 野菜とハムのサラダ、「カフェ・ドール」のアップルパイ、茹で卵、青森メロン、アロエヨーグル
ト、コーヒー
子供達を寝かしつけた後、恭子とオペラのDVDなど見ながらおしゃべり。それでも5時半に起きてシャ
ワーを浴びる。普段自分のためだけにしか作らない朝食だが、今朝は4人分。卵を茹でてサラダを作り
コーヒーを煎れる。7時「みんな朝ご飯だよ!起きなさい!」。アップルパイは好評であった。良かった。
昼 日本橋室町 「インド風カリー」 カリー 1200円
隠し撮りしたけど、長年食べ続けた「印度風カリー」とは別モノだよね
恭子親子と一緒に上野の国立科学博物館に行こうと言っていたのだが、よく考えてみると、出発前に
パクパク日記を作成する時間が無い。帰国した頃は「今週の5日」分なんて忘れちまうので出発する前
に作っておく必要がある。しかも明日は一日中忙しい。ってことでゴメンねと謝って、皆を送り出す。午
前中パクパク日記と洗濯に追われ、神田で用事を済ませてから遅いランチ。2時半だった。日本橋室
町 「インド風カリー」。35年前から通った店だが、あまりに感じが悪いので暫く来なかった。撮影もしち
ゃイケナイって言うし。出されたカリーを見てあら?長年食べて来たのと違っている。以前はターメリック
の黄色が強く、さらさらだった。肉は確かポークでじゃが芋も入っていた。ところが。濃い茶色でドロドロ、
チキンと人参のカレー。辛さも唐辛子の刺さるような辛さ・・・。数年前1400円だったのに1200円だし、
全く違うカレーだ。オーナーが変わったのだろうか。知らん顔して写真をパチリ。これならもう来ないな。
夜 家食 京都「わらびの里」のお惣菜、ばら鮨、ソーメン、「リケン」のひじきスープ、青森メロン
帰宅してからパクパクの続き。5時半にスーツケースを出した。忙しい日は買って来たお惣菜で夕食。
料理屋で作る煮しめは、醤油と砂糖の味が濃いですなぁ。それにしても「リケン」は、どうしてひじきスー
プの生産を止めてしまったのだろう。こんなに美味しいのにさ。是非生産再開してくださいな。 無酒日
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7月 28日(金) 曇り
朝 家食 「カフェ・ドール」のアップルパイ、茹で卵、「クノール」のスープ春雨ほんのり紀州梅、青森メ
ロン、ジャージーヨーグルト、ケーキ
早起き練習2日目、6時半起床。昨年4月から仕事ヤーーメタ!と遊びまくっておったが、今月から月2
時間だけちょこっと仕事らしいことをすることになった。ま、パートね。でも黒塗りの車が迎えに来てくれ
る。昨日の朝食用「カフェ・ドール」のアップルパイはもう1つ余計に買ってある。温めてサクッと食べる。
昼 日比谷・帝国ホテル 「ユリーカ」 スープランチ(本日のスープ:じゃが芋のポタージュスープ、サ
ラ
会議は2時間ちょっとで終了。膨大な資料を見ながら「あぁ、働くってこうゆうことだったよなぁ」と思い出
した。一生思い出さなくても良かったんだけど・・・。日比谷まで送って貰い帝国ホテルでランチ。「ユリー
カ」では今カレーフェアをやっている。カレー好きとしては嬉しいが、ここで辛いカレーを期待するのは無
理だよなぁ。じゃ、スープランチだ。メインは大山鶏のソティもあったが、ピラフを選ぶ。ピラフって洋風チ
ャーハンのように思っている人が多いようだが、正しく作れば、炊き込みご飯ですからね。このピラフに
濃厚なアメリケーヌソースが付いて来るのよ。これがメチャンコ美味しくてね。3千円でも惜しくないよ。
夜 家食 ハムと卵のトーストサンド、トマトとレタスのスープ、岡山の種無しぶどう、ケーキ
帝国ホテル横の東京芸術劇場やみゆき座があったビルは取り壊され、ガランとしている。銀行、ビッグ
カメラなどを回って用事を済ませる。午後3時から旅行の説明会に出席。説明会なんて初めて行く。そ
れも来年1月の旅行の。DNDを見ながら説明を聞き、益々興味が沸く。もう申し込んではあるのだが。
5時半帰宅して何げなく開いたDMで、またもや高い買い物をしてしまう。いいのか!わかんない・・・・。
夕食は冷蔵庫整理料理。トマトとレタスはコンソメの中でさっと熱を通してスープに。トーストにはシャン
パンマスタードを塗って。優秀な「柳歯次子」でも厚いトーストサンドはカブリつくのは無理だね。無酒日
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7月 29日(土) 晴れ
朝 西新宿 「Negishi」 モーニングCセット(厚切りトースト、ミニサラダ、茹で卵、アイスコーヒー)
580円
モーニングサービスは急いで食べるべし
朝寝坊することなく無事起床。もしもの場合に備えウェイクアップコールをお願いしていたイトミに「起き
たよー」と逆に電話する。8時16分に部屋を出たら、新宿に8時28分には到着。近いって便利だな。
「Negishi」でモーニングサービスを急いで食べる。トーストと茹で卵が喉にツカエそうになるのがいい。
昼のお茶 成田空港 「ASUKAラウンジ」 コーヒー
新宿発9時のリムジンバスに乗ると10時20分に成田に着いてしまった。集合時間は11時15分だ
から早過ぎる。保険加入して、ぶらぶら時間を過ごしチェックイン。再集合は失礼してラウンジで寛ぐ。
このラウンジは喫煙コーナーがあり助かる。同じツァーに参加されるらしい方々が続々とラウンジへ。
「ワタシはねぇ、42回ニッコーさんにお世話になったんですよー!」と大声のオバア様。あぁ、って感じ。
ちょっと遅い昼 スリランカ航空 成田=コロンボ ビジネスクラス機内食(ナッツとジントニック2
杯、ガ
天丼、チ
食べ過ぎ、飲み過ぎだジョー
スリランカ航空に乗るのは初めて。スッチーは緑色のサリー姿。浅黒い肌に似合う人もいれば、お腹の
お肉が抓めそうな人もいてね。日本人スタッフはいない。ジントニックを注文したら、ライムの代わりに
オレンジが入っていてびっくり!ナッツが旨い。日本食のメインは野菜天丼であった。フーン。今日は料
理に合わせて酒類を選ぶ。ジントニック、白ワイン、赤ワイン最後はブランデーだジョー。眠くなったぞ。
夜 スリランカ航空 成田=コロンボ ビジネスクラス機内食
成田=コロンボ間は、約9時間。たくさん酒を飲んで、コロリと寝込んだが1時間半で目が覚める。あと
はひたすら読書。暑い国に行くのに「南極」の本である。機内食の2食目は何だかよくわからない料理
であった。午後7時コロンボ国際空港着。3時間遅らせて現地時間に時計を合わせたハズなのに30
分ずれてヘンだなぁと思っていたら、ちょっと前に時差は「3時間半」になったのだとか。バスでコロンボ
に向かう途中、ペラヘラ祭の行列を追い越した。ウィスキーの水割りをグビリグビリと飲み11時就寝。
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7月 30日(日) スリランカは晴れじゃあ 1ルピー=約1.2円
朝 スリランカ・コロンボ 「ガラダリホテル」 朝食ヴュッフェ
5時半起床。ここ「ガラダリホテル」は、コロンボの1等地フォート地区にあり、客室からもインド洋が見え
る。シャワーを浴びる。スリランカの水道は絶対飲むなと言われているので、口に入らないよう注意す
る。朝食。ジュースは・・・ヤメテおくか。カットフルーツは・・・・ま、ヤメトくか。初日なのでどうしてもオクビ
ョー風が吹いちまう。オムレツ、スープ、コーヒーなど。酸っぱいヨーグルトは水牛の乳から作ったとか。
昼 ダンブッラ 「ギマニハラレストラン」 ランチヴュッフェ(卵とコーンのスープ、青菜のソティ、ペペロ
ンチーノ、野菜カレー、ポテトなど、ケーキとコーヒー)
バスは島の最中央部を目指し北東に進む。今日からダンブッラを拠点として、ポロンナルワ、アヌラー
ダプラ、シーギリヤといった文化三角地帯の中心地を観光することになっている。道中パイナップルの
村、ライチ(ランプータン)の村、カシューナッツの村、藤細工の村などを通過し、その都度下りてフルー
ツの味見をした。道幅は狭くドライバーは終始クラクションを鳴らしている。擦れ違う乗合バスはインド
製で窓もドアも開けっ放し。冷房していないから風を入れるのね。昔は日本もそうだった。冷房設備の
ある大型バスは日本製の中古で私達のバスも「四国高速バス株式会社」と書いてあった。クルネーガ
ラという町でカーレースが開催されているとかで迂回したためランチは2時過ぎになってしまう。残り少
ないヴュッフェ料理をかき集める。カレーだのパスタだのと国籍不明の皿になって何を食べたんだろ。
ダンブッラの石窟寺院第1窟から第5窟まで なんて美しいの!この仏像に惚れましたぁ!!!!
石窟寺院の中でも第二石窟のマハー・ラージャ・ヴィハーラはスンバラシイ!! 麓の黄金の大仏
午後は世界遺産の石窟寺院へ。ここに登るのがタイヘン。しかしバスで半分登って貰ったので一般の
人よりは楽をした。ハーハー登ると周囲の景色が美しく、風がそよそよ気持ちいい。いたる所に猿がい
て、餌を取り出すとカン違いされるのでバックを開けないよう注意がある。BC1世紀、シンハラ王のワラ
ガムワーフ王が南インドのタミル軍の攻撃を受け追放され、当時の都アヌダープラからソーマ王妃と逃
れたのがここ。その後奪回に成功して感謝の意としてダンブッラに寺院を寄贈した。一番古い第一石窟
から第五石窟まで公開されている。その中でも第二石窟は最大の広さで56体もの仏像が。天井もい
たるところに壁画が描かれて圧倒される。涅槃仏のお頭の左側の仏像にすっかり魅せられる。あぁ・・。
夜 ダンブッラ 「アマヤ・レイク」 ディナーヴュッフェ(スープ、3種のカレー、野菜、フルーツ、ケーキ)
3点セット(ライオンビール(大)、白ワイン、赤ワ
イン 計1040ルピー)
夕刻ダンブッラの郊外にある「アマヤ・レイク」のホテルに到着。ウェルカムドリンクとして供されたアイス
ティーの何と美味しいことか。「お替りしたい!」と言っただけの私だが、実際お替りした人がいたと後刻
知ってグヤジー!全客室がコテージとなっており、まさにアジアンリゾートだなぁとゴキゲン。広大な敷
地を歩いて「私のコテージ」に着くと、あら?ヘアドライアーが無いわ、セーフティボックスも無いわ、で
がっくり。夕食もヴュッフェで今日1日3食ともヴュッフェだった。カレーだけ選んで食す。気の合いそうな
方々と楽しい夕食を摂ったのだが、途中で激情型行動を取られる方もいてなかなか刺激的ではある。
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【今週の振り返り】
今年8回目の海外である。1月にチェニジア(その後マルタ共和国に行ったが)、2月にアルゼンチン、
ブラジル、カナダに行った以外は全部ヨーロッパだったから、久々のアジア。昨年12月のマレーシア以
来だなぁ。自分の心にもいろんな面があって「不潔な所はイヤだ」、「トイレが不便な所には近づきたくな
い」という気持ちもあれば、「キレイな文化的なところだけでは物足りない」、「本当の感動は生活面の快
適さを求めては得られない」という気持ちもある。その点、アジアは気候面で快適とは言えないし(暑さ
に弱い私には特にね)、町の景観も、衛生面でも問題点が多い。それでもアジアには何と言ったらいい
かわからない独得の魅力があるので何度でも足が向いてしまう。
スリランカは少し前までセイロンという国名であった。1948年英国領セイロン自治領から、1972年共和
国として独立する時、光り輝く島=スリランカの国名に変更された。「インド洋の真珠」、「インドが落とし
たマンゴー」。この国を表現する言葉は多々あるが、位置的に言えばインドの先っぽの東にポツンとイ
ンド洋に浮ぶ小さな島である。大きさは北海道より少し小さく、インドとの最短距離は50キロ強しかない。
人口は約1900万人。シンハラ人が74%、インドからの移民であるタミル人が18%、ムーア人8%弱、
ワルガイ人が0,1%。シンハラ人はシンハラ語を話し、タミル人はタミル語、ムーア人はアラビア語を話
す。シンハラ人の多くは仏教信者だが、キリスト教信者もいる。タミル人はヒンズー教、ムーア人はイス
ラム信者である。北海道より小さい島に、民族、使用言語、宗教の違う1900万人が犇いているのがス
リランカである。島の北、東、南東部にマイノリティであるタミル人、ムーア人が主に居住し、スマトラ島
沖の大津波で被害を受けたのは、まさにその地であった。数千キロ離れた他国で起きた地震の津波は
時速550キロの速さで押し寄せ、4万人の命が奪われた。
紀元前から続いて来たシンハラ王国。小さな島に豊かに実る香辛料や島だけに産出される宝石、象牙
を求めて先ずはポルトガルが16世紀に現われる。次はオランダ、そしてイギリス。各国とも王に許可を
得て海岸部を支配しながらセイロンの宝物を本国に送り続ける。シンハラ王国は、ポルトガルと始めは
うまくやっていたのだが、利権を巡って軋轢が生じると、待機していたオランダにポルトガルの追い出し
を要請する。オランダと付き合いだし、そこに齟齬が生まれると次はイギリスに乗り換えるという風に結
構現実的な外交手腕を発揮したようだ。しかし、最後の王様となったキャンディ王国の王様がインド人
で人柄に問題があったことから、セイロンの大臣達はイギリス軍に王の廃止を依頼するという信じられ
ない行動に出る。結果、2000年以上続いて来たシンハラ王国は、1815年幕を閉じることになる。セイ
ロンというかスリランカは、インドと余りにも近い。遠泳が得意なら、数日で泳いでも渡れる距離である。
王国の長い歴史はあるものの、南インドから度重なる攻撃で、都は何度も変えざるを得なかった。最古
のアヌラーダプラからポロンナルワ、ダンバデニア、ヤーパウワ、クルナーガラ、ガンポラを経て、最後
の都キャンディへ。捨てられた都は長い間、森や雑草の中で眠っていた。そこに考古学好きのイギリス
が統治することになり、現在世界遺産となる古代の遺跡が次々と発掘された。セイロン=スリランカの
苦難の歴史だからこそ、現在それらが世界遺産となって私達観光客を楽しませてくれる。皮肉な話で
はある。
スリランカでは便利な言葉がある。「アーユボーワン」。おはよう、こんにちは、こんばんは、さようなら、
すべてアーユボーワン。言葉の意味で言えば「長生きしますように」。必ず、両手を胸の前で合わせて
言うのである。スリランカの旅は始まったばかり。今日も「アーユボーワン」。
アーユボーワン 「おやすみ」でもあるんだニャア
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スリランカ旅行満載のパクパク日記8月1週はもうちょっと待ってね。
アーユボーワン。