パクパク日記6年9月1週

              木曜日から地球の真裏、冬のペルーに飛んで行きましたー

リャマとペルーの女性 マチュピチュ

9月 4日(月) 晴れ

朝 家食 ぶっかけそーめん、天麩羅煮麺、アロエヨーグルト

  

昨夜茹で過ぎたそーめん冷たいままと煮麺とで冷温両方食べる。ぶっかけもいいけど温かいのいい。

昼 新橋 「スマトラ」 スマトラカレー(ルーのみ大盛り) 600円、らっきょ 60

    時々ムショーに食べたくなる

午前中、荷物を出すのに苦労した。郵便局でゆうパックの袋を100円で買い封入。送付先等を記入し

て順番を待つ。「あのーお客さま、送付指定日が18日となっていますが、郵便局では10日以上先の指

定は出来ないことになっておりまして」。事情を説明しても「ルールは曲げられん」ってことであった。仕

方なく、その重い荷物を持って新橋へ。宅配便ならいいだろうとローソンに行くと、あら、ここもゆうパッ

クだけだわ。確かゆうパックを扱うと宣言したローソンに対し、大和運輸が怒って引き上げたのだった。

7−11に行くと、ここは黒猫扱い。ところが。「1週間先の指定は預かれませーん」。なんてことだ!!

結局カレーを食べてから美容院に行き、「お駄賃上げるから、数日後に出してね」と押し付けてしまう。

夜―1 荒木町 「おく谷」 お通し:五目切り干し大根、だだ茶豆 550円、カレー大根 500円、薬

        味い っぱい冷奴 500円、特製ビーフコロッケ(1つ!)、生ビール、冷酒 「〆張鶴」、「浦霞」 

        @4900

  

  

美容院から銀座の履物屋へ。ここで漆塗りサンダル下駄を買うのは6足目だ。銀座から新宿へ。ペンタ

君の望遠レンズがスリランカで動かなくなったので修理に出していた。「大至急!!」とお願いした甲斐

あって旅行に間に合う。でも、1万5千円近くかかっちまった。帰宅してからN原先生の治療院へ。たい

した用事ではないけど、東京をグルグル回ったので疲れちまった。食事を作るのも億劫なので、久々に

「おく谷」にいく。6時半なのに大入り満員。何とか詰めて貰ってようやく座る。この店は、寡黙だけど腕

のいいご主人と家庭的な奥様とお二人でやっている。カレー大根相変わらず旨い。ビーフコロッケは和

牛の切り落としを使っているのだそう。2個が普通なのに急に摂食が頭に浮び1個にした。くやしいぞ。

夜―2 荒木町 「Deep ジントニック 2杯 @千円

最も荒木町界隈を感じさせるのは、ここ「柳しんみち通り」かもしれない。4ヶ月くらい来なかっただけで

随分様相が変わった。何年も通った「ワインライト」の跡には坊主バーの2号店のバーが。「カルミネ・エ

ドキャノ」も正面の造りが変わっている。新しく和食の店も出来ていた。「Deep」でジントニックを2杯。

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9月 5日(火) 晴れ

朝 無し

ここ数日寝る時にエアコンを入れなくなった。今まで一番高い温度の「ドライ」で3時間かけていた。そ

れだけ秋が近づいた。しかし、起きる頃はびっしょり汗をかいている。寝起きのシャワーは気持ちいい。

昼 歌舞伎座・地下食堂 「花道」 「銀座井泉」のフライ弁当 しじみ汁付き 2000

    カロリー高そう!

9月の歌舞伎座は「秀山祭大歌舞伎」。初代中村吉右衛門生誕120年なのだそうで、その初代吉右衛

門は高濱虚子の門下で「ホトトギス」の同人でもあったそうな。「秀山」は彼の俳号である。因みに夢子

はワタシの俳号だよ。えらくレベルが違うなぁ。アハハハ。それにしても、世の有名人の生誕、没後を当

て嵌めると、毎年何かの年になってしまう。それはともかく「秀山祭」なので、初代中村吉右衛門に因む

役者がズラリ。最初は「菅原伝授手習鑑」から「車引」。松王丸に曾孫の染五郎、梅王丸に松緑、桜丸

に亀治郎。2列目のど真ん中の席だったが、隣のバアちゃんがゴソゴソ動いてばかりいるので集中でき

ない。次は「双蝶々曲輪日記」から「引窓」。登場人物に悪人が1人もいない、という珍しい物語だ。地

下食堂で「銀座井泉」のフライ弁当を食べてから、舞踊を2つ観た。「六歌仙容彩」から業平小町と文屋

2曲。業平小町では、86歳の雀右衛門が小野小町に扮するのだから歌舞伎の世界はオドロオドロ

しい。昼の部最後はやはり「菅原伝授手習鑑」から「寺子屋」。一番上演回数の多い人気の演目だ。武

部源蔵に当世吉右衛門、その女房戸波に魁春、松王丸に幸四郎、その妻千代を芝翫。菅原道真の嫡

子菅秀才の身替りに松王丸夫妻が我が子を差し出すこの芝居は涙なくして観られないのね。何度も観

た芝居だが2年前の6月仁左衛門、勘三郎、玉三郎、福助の配役でやった芝居では滝の涙を流した。

夜―1 舟町 「峨嵋山」 紅らっきょ、5500円のスペシャルディナー(花咲きクラゲ・ピータン豆腐・鶏

       肉 葱と生姜ソースかけ)、ふか肉黒豆辛しソース炒め、海老と黒にんにく炒め、フカヒレの姿煮込み、

豚肉と米粉蒸し、青海苔と湯葉のスープ、麻婆チャーハン、黒胡麻プリン)、生ビール、紹興酒(ロ

ック) 2本 @7500

  

  

  

歌舞伎の後は、銀座松屋に呼ばれていたので、ちょこっと寄った。え?注文していた品物無いじゃん!

夜、何ということなくちょっと辛いものでも食べようかと5人が集まった。場所は近所の「峨嵋山」。「峨嵋

山」と言えば、四川省にある有名な山である。ってことは四川料理だと思うよね?コースは4500円から

あるが、5500円を頼むとフカヒレの姿煮込みが出て来るそうなのでそれを予約した。料理はフツーっ

て感じで四川らしい辛さは無い。帯状疱疹で刺激物を禁じられているK2クンには良かっただろうが、

他の4人は物足りない。それでも青海苔と湯葉のスープと麻婆チャーハンはかなり美味しかった。食事

の途中で、この仲間で会を作ることが決定され、「薔薇の会」と命名された。書画に薔薇の文字があっ

たから。私も含め「手書き」なら誰も書けない薔薇。いつも怖いマダムがそれ程恐くなかったのが怖い。

夜―2 舟町 「カラオケルーム アゼリア」 ジントニック 2杯 @4700

2次会はカラオケに行くことに。4月末に一子を、5月初旬次子を入れた私は生涯カラオケは無理かと

思っていたのだが、今晩はそれを試すチャンスだ。結論を言えば「不自由」はなかった。私の独断で「昭

和以外の歌禁止」。グチはつまらない歌ばかり歌う。しかもそんなつまらない曲を小学生時代シングル

買って持っているのだとか。最後に全員が知っている歌の「駅伝歌唱」というものをやってみたら存外

これが楽しくて「薔薇の会」では2次会の必須イベントにすることに。私、幾つの会に入っているんだろ。

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9月 6日(水) 曇ったり降ったり  紀子さま皇室41年ぶりの男児ご出産

朝 無し

朝テレビをつけると、紀子さまのご出産関連特別番組だらけ。秋篠宮さまが午前7時過ぎ愛育病院に

到着されたということで、すわ!ご出産か、ってことで大騒ぎダス。なぜだか男の子であることをみーん

な知っているのに、それを隠すのに苦労しているって感じだった。827分男のお子さまをご出産!!

と第一報が入って、大騒ぎは更に助長された。まずもって母子共にお健やかということはメデタイのだ。

昼 荒木町 「宮さわ」 宮さわ定食(金目鯛の煮付け、鯛と〆鯖の造り、茶碗蒸し、サラダ、卯の花、

     香 の物、味噌汁、ご飯) 1000

  

風邪は95%治ったように思う。しかし、明日から出かける国は現在冬。そんな寒い所に行って風邪が

ぶり返しても困るので、念のため医者に薬を貰いに行く。特番を見ていて、つい朝食を食べ損なったの

で空腹でタマラン。こんな時は、おかずがいっぱいある「宮さわ」だ。これだけの品数で千円って安い。

家に帰ってテレビを付けると、朝ドラの達彦さんが出演していた。スタジオに集まった女性陣が興奮して

「タツヒコさん、お帰りなさい!」と騒いでいた。そう、今朝戦死したと思っていた達彦さんが戻って来た

のだった。でもワタシは絶対彼は戻って来るのだと予言しておったのだ。夕刻スーツケースを預けた。

夜 四谷4丁目 「金吹」 お任せコース(枝豆、白胡麻豆腐、稲庭饂飩温ぶっかけ とんぶりと卵黄

      汁、ぶりの煮付け、鶏のせせりと野菜炒め)、ビール、凍結酒 4合 @6700

  

  

明日の出発は早くも無いので、小雨降る中「金吹」に行く。主人の匠ちゃんは暫く行かないとスネルしね。

三つ目に出た稲庭饂飩温ぶっかけが妙に旨かった。ナニ?スリランカにエベレストはあるかぁ?バカタ

レ!スリランカはインドの先ッポにある島だじょ?私は子供の頃から歴史・地理好きだけど、フツーの人

ってこんなものなのかなぁ。就任以来、サウジアラビア戦で初の負け試合をしたオシム日本代表。午後

9時の放映にあわせて帰る。標高が高いといえど何だかすっきりしない試合だが、ガナハがシュート!

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9月 7日(木) 曇り

第1食 家食 キャベツと卵炒め、トマト、「浅野屋」のオニオンブレッド、「日清」のフォー トムヤムクン

風、アロエヨーグルト

7時起床。今日は出発の日だ。午後5時過ぎのフライドだから楽チンだね。キャベツをどっさり炒めて朝

食。ちょっと多過ぎて食べ切れん。洗濯物をたたみ、そのヘンをちょっと片づけて家を留守にする準備。

第2食 新宿 小田急ハルクB2「メゾン・ド・カレールー」 オムライス風チキンドライカレー1000円、

サラダ 100円、アイスコーヒー 200

    日本食の最後はカレー?

出かける最後の食事はもちろんカレーだ。先週初めて行って結構気に入ったので「メゾン・ド・カレール

ー」へ。オムライス風チキンドライカレーというのを注文したが、お子様ライスっぽい。ちょっとだけ辛い。

午後のお茶 成田 「さくらラウンジ」 コーヒー、クッキー

いつもならフライト時間の2時間前に行けばOKだが、アメリカ経由とあって早めに行く。手荷物検査の

時、アメリカ行きは「ダブリュです!」と係官が叫ぶ。アメリカ基準で注意深く見よ、という意味らしいよ。

第3食 JAL 成田=ロスアンゼルス ビジネス機内食 日本食コース、ジントニック2杯、白ワイン、

     ワイン、日本酒

  

JALの国際線に乗るのは1年半ぶりだ。この間JALもいろいろあったよねぇ。乗客が減って業績もキ

ビシーと聞いたけど、サービスはどうなんでしょ。カーディガンサービスがあった。ヴァージンアトランテ

ィックのパジャマには敵わないが、寒い機内では嬉しい。それに機内食がかなり美味しくなったのだよ。

第4食 JAL 成田=ロスアンゼルス ビジネス機内食

    2食目も日本食ダス

機内眠りベタの私であるが、結構寝たのですよ。日本時間でも丁度夜に当ったということもあるけど、3

時間は眠ることができたので嬉しい。2階席は小人数でいい。午前1時には早くも朝ご飯になるのだ。

第5食 ランチリ航空 ロスアンゼルス=リマ ビジネス機内食

    何だかよくわからないご馳走でした

ロス時間午前11時過ぎ到着。この町に来たのはいつだっけ?9年前?10年前?それほどアメリカと

いう国を避けていたのだ。その上、5年前のテロ事件から取締りが格段に厳しくなったし。トランジット客

も荷物を出し、入国審査を受けるのだ。一人ひとり両手の人差し指の指紋と顔写真を撮られて色々聞

かれるからやたら時間がかかる。空港内の建物はすべて禁煙だから、外に出て一服し、またもや手荷

物検査。これが厳しいのなんの。リュックを開けられて、皮膚病軟膏薬2種類、1本1万5千円もしたプ

ラズマ乳液など没収された。チェッ!仕方ないっすか。次は午後2時過ぎのランチリ航空に乗り込む。

第6食 ランチリ航空 ロスアンゼルス=リマ ビジネス機内食

初めて乗るランチリ航空だが、一つ素晴らしいことがある。毛布がいい!アルパカ製ね。軽くて温かくて

掛けていると幸せな気分になる毛布。これ欲しいなぁ。と思っているうちにウトウト。午前0時過ぎ、よう

やくようやくペルーの首都リマに到着。肌寒いですなぁ。ホテルに着いて寝たのは午前3時過ぎだった。

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9月 8日(金) ペルーのリマは曇り

朝 リマ 「ホテルメリア・リマ」 朝食ヴュッフェ

    スパニッシュオムレツが旨い

6時起床。たった3時間寝ただけだが、意外に元気。シャワーを浴びて朝食。じゃが芋がたっぷり入った

スパニッシュオムレツと焼きサンドが旨い。空は厚い雲に覆われた曇り空。この時期リマはいつも曇り。

  

   リマの中心地アルマス広場   リマの旧市街は世界遺産  バルコニー付きのファサード  サン・フランシスコ教会

9時半からバスに乗ってリマ市内観光。16世紀、インカ帝国時代の黄金を求めて侵略して来たスペイ

ン人は、当時の首都クスコから、このリマに都を移した。奪った莫大な金銀を本国スペインに送るには

海に面したリマの方が好都合だったからだ。町はアルマス広場を中心に築かれ、コロニアル時代の旧

市街はいま世界遺産に登録されている。ミゲル・ムヒカ・ガーヨ氏が個人で収集した「黄金博物館」に行

く。すべてがスペインに持って行かれたかに思えた黄金の冶金、細工がスンバラシイ。1つおくれよー。

昼 リマ 「ラ・ロサ・ナウティカ」 前菜盛り合わせ:セビーチェ(魚と野菜のマリネ)、イカリングフライ、

帆立貝のコキール、ムール貝など)、魚介類とトマトソースのパスタ、ルクナ(さつま芋科)のアイス

クリームクレープ包み、コーヒー、ピスコサワー、白ワイン

  

       高級店らしくビジネス客で満員            これがピスコサワー      海に突き出たお洒落なレストラン

ランチは海に突き出したお洒落なレストランで。肌寒い海にはサーファーが、海鵜が飛ぶ灰色の空には

パラグライダー。何だかペルーらしくない風景ではある。先ずは全員にピスコサワーが配られる。ペル

ーでは国民的なアルコールなのだそうで、強い焼酎のようなピスコにレモン汁、卵白などを混ぜた酒で

ある。昼間は絶対飲まん!主義だが、こういう場面では禁を破って飲んでみた。サッパリした味でなか

なか旨いが、昼間飲む酒としてはちょっと強過ぎる。前菜の盛り合わせは数人分がドカーンと登場。セ

ビーチェはこの国の代表的な料理で魚介類を玉葱、レモンなどと和えたマリネのような料理。揚げたて

のイカリングフライも美味しい。メインはチョイスメニューでパスタを選んだが、撮影をうっかり忘れた。

午後は天野博物館へ。故天野芳太郎氏が個人で収集されたチャンカイ文化の土器と織物の小さな博

物館である。特に素晴らしいのはチャンカイ時代の織物の数々。2千年前、千年前の織物、編み物、レ

ース編みは色鮮やかでデザインの質の高さにも舌を巻く美しさである。この国の芸術ってスゴイんだ。

 リマ 「ホテルメリア・リマ」 スープ、パン、ロモ・サルタード、ヨーグルトムース、ピスコサワー、

      ビー ル、白ワイン

  

    旨いけど眠い・・・・

夕方ホテルに帰ってシャワーを浴びてから夕食。サービスでピスコサワーが振舞われ、乾杯。メインは

これもペルーの代表料理ロモ・サルタードである。牛肉と野菜を炒めた料理でライスが添えてある。長

旅の疲労に加え寝不足で食事の途中から眠い。部屋でメモしながらずっと居眠りしていた。さ、寝よう。

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9月 9日(土) リマは曇り クスコは快晴

朝 リマ 「ホテルメリア・リマ」 朝食ヴュッフェ

4時45分起床。昨夜9時45分に寝てしまったが、4回も目が覚めた。7時出発だから、6時前にはスー

ツケースを出し、朝食。昨日の朝と料理がかなり違っていて感心した。ゆっくり食べたいのに急いでね。

午前中のお茶 クスコ 「ホテルモナステリオ」 コカ茶

  

          雪を頂いたアンデスの山々  アルマス広場に面すラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会    民族衣装の子供

飛行機でクスコに向かう。何しろクスコは標高3360メートルだから、飛行機の中から緊張してしまう。ペ

ルーは西側の海岸砂漠地帯を越えると国を縦断するアンデス山脈となる。雪を被った5千メートル、6

千メートル級の山々を機内から眺めながらクスコに到着。恐る恐る機外に出たところで、激しく咳き込

む。高山病対策に飴を舐めていたのだが、それが気管に入った。足が重いなぁ。息切れがするぞ。ゆ

っくり歩かないとね。町一番の「ホテルモナステリオ」でコカ茶を飲んでアルマス広場へ。太陽が眩しい。

昼 クスコ 「LA CAVA D SAN PEFEAL チュペ・デ・カマロネス(川海老のスープ)、チキンソテ

ィ、パン、サラダバー、トウモロコシのアイスクリーム、コカ茶

  

このクスコはインカ帝国の首都であった。インカの石材建築は高度な技術を持っており、カミソリ一枚す

ら通さない、ということで有名。その中でも「12角の石」は、12面がピッタリと周囲の石に組み合わされ

ていた。ランチは、賑やかなフォルクローレ楽団の演奏を聞きながら。チュペ・デ・カマロネスは川海老

のスープだが、残念なことにぬるくて本来の魅力が失われていた。メインはチキンを選ぶ。今回一緒に

旅している小S子さんは、アルパカのステーキを注文。どんな味が問うと「表現できない味」だってさ。

 

  

           サントドミンゴ教会は、インカ時代のコリカンチャ=太陽の神殿の上に建てられた

侵略者スペイン人は、金細工で覆い尽くされていたコリカンチャ=太陽の神殿から、すべての金を剥が

し、神殿の上部を破壊した土台の上に教会を建設した。大きな地震で教会は壊れたが、土台の石組み

だけはそのままの姿を保った。皮肉な話である。クスコの町を出てサクサイワマン遺跡、ケンコー遺跡、

タンボ・マチャイ遺跡を回る。歩くだけで息苦しいし左膝が痛くなったので2つの遺跡見学はパスする。

夜 ユカイ 「ポサダ デルインカ/ユカイ」 野菜クリームスープ、ガーリックトースト、ラザニア、フルー

       カクテル

  

「聖なる谷」に下りて、ユカイ村に到着。高度調整するために、今晩は2800メートルのユカイに宿泊す

るのだ。広い敷地に何棟かのロッジが点在するお洒落な作りなのに、どうも居心地が良くない。ホテル

の案内嬢は、案内すべき建物がわからずに客を連れてウロウロするし、ようやく入った客室の床は木

製でギーギーと煩い。高地では酒は控え目にすべしと教わったので思い切って酒無し食事。スーツケ

ースを開けると、袋入りの菓子などがパンパンに膨らんでいる。空気が薄いってことですなぁ。無酒日

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9月 10日(日) マチュピチュは晴れ

 ユカイ 「ポサダ デルインカ/ユカイ」 朝食ヴュッフェ

  

340分起床。添乗員のT中さんが「早起き旅行会」と笑っていたように今朝の出発は6時半なので

ある。ここの客室にはドライヤーが無いから、朝洗髪するため早起きした。部屋の向こうに行くにもハー

ハーと息切れがする。何とレストランは朝5時半にはオープン。鉄板で焼いて貰ったオムレツが旨い!

ウルバンバ村を通過して暫く走ると遠くに塩田が見えた。オリャンタイタンボ遺跡に着いたのは午前7

時。オリャンタイは将軍の名、タンボとは「旅籠」の意味だそうで、段々畑の石段を登って息切れした。

昼 マチュピチュ 「サンクチュアルロッジ」 ランチヴュッフェ

  

  オリャンタイタンボ駅からビスタドームに乗り込む   マチュピチュにはこんな山が  バスはサンクチュアルロッジ前に着く

    憧れのサンクチュアルロッジ

815分オリャンタイタンボ駅からクスコ発ビスタドームに乗り込む。車両の上部が透明で見晴しが良

い。列車はウルバンバ川と共に下って行く。これからマチュピチュに行くのだから「登る」と頭は思ってい

るのに、実は下って行くのだ。列車の終点アグアス・カリエンテス駅は標高2100メートル、バスで上っ

て行くマチュピチュは標高2400メートルなのである。連絡バスで細いつづら折りの道を上って行くこと

30分、遺跡の入り口のサンクチュアルロッジに到着した。ワクワクするなぁ。遺跡の至近距離にある高

級なこのロッジに泊まりたいがために、このツァーを選んだのだよ。クッキーを齧りながらコカ茶を飲ん

でいるうちにチェックインできる。10時半だった。11時半にランチヴュッフェを摂り、さあマチュピチュだ。

 西側の丘からマチュピチュを見下ろす         ここから遺跡に入る         美しい曲線の太陽の神殿

段々畑が美しい緑を演出           ここが石切り場        遺跡には十数等のリャマが放し飼いされている

  遺跡で一番高い場所にあるインティワタナ(日時計)は石のパワーがあると伝えられている

マチュピチュとは「老いた峰」という意味だ。対して遺跡の向こうにある山ワイナピチュは「若い峰」。マチ

ュピチュ遺跡はスペインに滅ぼされたインカ軍が立て篭もったというジャングルの奥地に築いたビルカ

バンバを探していたアメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムによって19117月に発見された。ロッジ

から遺跡にはすぐ行くことが出来るのだが、先ずは全景を見える丘に登ることに。これがキツイ!ハァ

ハァ、ゼーゼー、汗だらだら、心臓爆発しそう。「私帰ります」と何度も言ったが、その度にT中さんに「も

うすぐ絶景」と励まされてようやく登り切る。やや、確かに確かに絶景だ。ワイナピチュを従えた見事な

空中都市が目の前に広がる。汗びっしょりの所に風が吹く。ハーックション。この時何と風邪を引いた。

 マチュピチュ 「サンクチュアルロッジ」 アミューズ:アーティチョークのスープ、カボチャのクリーム

スープ、バジルのリゾット、(レモングラスのムース)、ビール、白ワイン、赤ワイン

  

    風邪のためここで退場

3時間半余り遺跡を見学してロッジに帰る。鼻水が止まらない。何でこんな時に風邪なんか引くのよ!

と自分に腹を立てる。午後5時頃各部屋にピンチョスが配られたが、食欲が無い。このロッジはバカ高

い代わりに、冷蔵庫の飲み物、食事中の酒、バーの酒はすべて無料。というかインクルードされている

ってことね。だからというワケでもないが、夕食では3点セットを注文。盛り付けが派手なフレンチ風の

ディナーであったが、熱っぽくてシンドイのでデザートの前で失礼して部屋に帰る。ツイテないなぁ・・・。

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【今週の振り返り】

ペルーという国は日本の3,4倍の広さだが、南北に長い。南の隣国チリには遥かに及ばないが、北に

位置するエクアドルからチリの国境まで約3千キロだ。その海岸線に沿った地域は海岸砂漠地域で、

首都リマは北から2千キロの地点にある。太平洋の海水は南極から流れて来る冷水で、6月から9

にかけての冬は、ガルーアという湿気を帯びた霧が立ち込めて曇天が多い。私がリマで過した日は一

度も太陽を見ることなく、厚い雲で覆われていた。もっと南のナスカでは年間の降雨量が5ミリから10ミ

リというまさに砂漠地帯であった。この海岸砂漠地域はコスタと呼ばれ、国土の10%を占める。30キロ

から50キロの幅でコスタが続いた東側は、国を縦断するシェラと呼ばれる山岳地域。2500メートルか

3500メートルのケチュアと3500メートルから4500メートルのスニがあり、更に上にはアンデス山脈

が続く。ケチュアにはクスコやチチカカ湖、プーノが位置し、旅する者を高山病で苦しめる。この山岳地

域は30%だ。そして殆ど知られていないが、国土の60%を占めるのが、山岳地域の東側に広がるア

マゾン熱帯雨林地域(セルバ)である。アマゾンといえばブラジルというイメージを持つが、実はアンデ

ス山脈から流れ出た水がペルーのジャングルを通過し、ブラジルを横断して大西洋に注いでいるのだ

よ。行ったことは無いが、蒸し暑い雨の多い地域のようだ。長い海岸線、砂漠、6千メートル級の山脈、

そしてジャングル。赤道直下から南緯18度に渡るペルーは豊富な地形を持つ国なのだ。

さて、地形の他にペルーという国について何を知っているだろうか。そしてペルーが世界にもたらしたこ

とは何だろうか。フジモリ元大統領、199712月に始まった日本大使公邸人質事件、インカ帝国、エ

ルドラド(黄金郷)、マチュピチュ遺跡、ナスカの地上絵、チチカカ湖、フォルクローレ、コンドル・・・・・。し

かし、それはそこにある(あった)ということであって、他の国々と直接は関係ない。私が力説したいの

は、この国が原産である素晴らしい食べ物のことだ。トマト、とうもろこし、唐辛子、そしてじゃがいも!

高地の多い赤茶けた土地が産んだ素晴らしい野菜や穀類である。3600メートルまでの地域で栽培さ

れるとうもろこしは36種あり、食用以外にチチャという酒にもなる。3500メートル以上の高地で作られ

るじゃがいもに至っては230種を数えるというからスゴイじゃないか。エルドラド(黄金郷)を求めてこの

地を侵略し、インカ文化を破壊尽くし、金銀を奪い去ったスペイン人も、この野菜と穀類を欧州に持ち帰

ったことだけは認めることが出来る。結果的にその後多くの人々を飢えから救ったからだ。ペルーで鍛

えられらじゃがいもは寒冷地でも痩せた地でも丈夫に育ち、主食となった。だから、ドイツ人もアイルラ

ンド人もその他じゃがいもを主食とする国々、カルビー食品はペルーに足を向けて寝てはアカン。トマト

で暮らしているイタリア人もペルーを拝みながら暮らさなアカン。唐辛子で生きている中国・四川省、韓

国の人もペルー様様と感謝せなアカン。とうもろこしを焼いて茹でて儲けている北海道の人も「ペルー

はいいんでないかい?」って褒めねばアカン。そして、それらが全部好きな私も感謝しておりますぞ。ペ

ルーの旅はまだまだ続くのである。

            ボクはメェ、唐辛子は苦手だメェ

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      * これで1週終わりと。ペルー2週目はもうちょっとお待ちくだされ。