パクパク日記6年12月2週

       ジョドプールからジャイプールへ、そしてアグラでタージ・マハール!

風の宮殿   タージ・マハール

12月 11日(月) もちろんインドは晴れさ

朝 ジョドプール 「タージ・ハリ・マハル・パレス」 朝食ヴュッフェ     Rsルピー=約2,7

   タージ・ハリ・マハル・パレス

午前中はフリータイム。いつもより遅く6時半に起きた。それでも朝風呂の後、7時過ぎには朝ご飯を食

べに行く。朝食ヴュッフェでは珍しく中華っぽい料理がいくつか。朝から焼きそばだ。絵葉書(インドの印

刷はエラク品質が悪い)を2枚書いて投函に行くと、ガイドの丁半が「この町で手紙出すと到着しないか

もしれないから次のジャイプールで出した方が安全だよ」と教えてくれる。着かないなんてあるのか。希

望者は野菜市場に出かけたが私はいしいしんじ著「東京夜話」を読んでいしいワールドに浸っていた。

 ジョドプール 「タージ・ハリ・マハル・パレス」 ランチヴュッフェ

   インドならカレー食べなきゃアカンなぁ

1215分集合を12時半と間違え、ちょっと慌てる。午後の観光の前にホテルでランチ。カレー中心。

高台に建つメハランガル城塞      上から見るとまさにブルーシティ        王宮内部は華やか

ジョドプールはブルーシティと呼ばれる。街を走っていても、どうしてブルーなのだろうと理解できなかっ

たが、高台に建つメハランガル城塞に登り(エレベータで)、町を見下ろして一瞬で理解した。家々の屋

根がブルーだ。そのブルーが塊となって町全体がブルーに見える。なるほどねぇ。メハランガルは「荘

厳な岩」という意味で、1459年ラーオジョーダ王によって建設された。遠くに現在もマハラジャ一族が住

むウメイド・バワン宮殿が見える。赤砂岩の美しい透かし彫りや宴会場の金の装飾が見事であったよ。

  

  黒牛さん、そんなところに座っていると邪魔でーす  オートリクシャーの運転手と交渉する女性   安物商品ばかりが並ぶ

オートリクシャーに乗って行ったサンダル・マーケットは人々と商品でごったがえしていた

ジョドプールは、西に400キロメートル行けばパキスタンという砂漠に近い町だ。だからか、町を歩く駱

駝が増えたように思うし、女性達のサリーも一段と色鮮やかになった。旧市街のサンダル・マーケットに

はバスからオートリクシャーに分乗して向かった。車高が低く、目線が地元の人々と同じになったら、彼

らが発するエネルギーの凄まじさをモロに浴びる。ウネルような人々の波と安っぽい夥しい商品の山、

それを縫うようにして走るリクシャー。そんな中で大きな牛が道路の真ん中に寝そべっている。インドに

日本人観光客は多いハズなのに、ここまで来る人は少ないのか、彼らからジロジロと見られる。坩堝。

夜 ジョドプール 「タージ・ハリ・マハル・パレス」 ディナーヴュッフェ

  

夕食もホテルでまたもやヴュッフェ。今夜は7時半発の寝台車でジャイプールに向かうので、5時過ぎ

の早い夕食だ。朝、昼、晩と3食ホテルでヴュッフェかと不満であるが、この町にここ以上のレストラン

は無いということで諦める。カットフルーツは出さないでね、とお願いしたようだが、間違って出て来た。

夜食 寝台車にて 添乗員T橋さんが握ったユカリおにぎり

真っ暗になってから、駅に向かう。駅の入り口には警察だか軍隊の見張りがいて物々しい雰囲気。駅

の中、列車の中でも撮影は禁止と聞いた。当初ジョドプールからジャイプールまでは、飛行機の国内線

で向かう予定であったが、突然「その路線は廃止します」と発表され、急遽列車に変更した。だから、数

少ない一等車は取れず、次のレベル2等2段ベッド冷房付きの車両となった。プラットホームで(禁煙で

す)待っていると、風呂には長い間入っていないような子供達が物乞いに来る。警察に追い払われても

すぐにやって来る。ストリート・チルドレンなのだろうか。30分遅れ(これで上出来らしいです)で夜汽車

はゆっくり出発した。スピードが出ないから300キロなのに5時間半もかかる。カレーの駅弁や水売り

も来る。洗濯はしてあるが、バリバリのシーツ、枕、毛布が配られ、やがて眠りにつく人も。インド鉄道

の歴史は日本より18年早い1854年に始まり、総レール距離は世界一という鉄道王国である。グルー

プの皆さんとは離れた車掌席の上の寝台で、本を読んでいるうちにウトウトしたようだ。午前1時過ぎ、

ジャイプール駅到着。こんな時間なのに駅は人々で大混雑。プラットホームで毛布を全身に巻きつけて

寝ている人がいると思ったら、待ち合いロビーには避難所かと思う程大勢の人が寝ている。どころか、

バスで走ると路上生活者が道路で寝ている姿が道路脇に延々と続いているのである。異体験の夜だ。

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12月 12日(火) 今日もまた晴れだ

朝 ジャイプール 「ジャイ・マハル・パレス」 朝食ヴュッフェ

   このホテルほんとのパレスで立派だよ

昨夜チェックインして部屋でやれやれと時計を見たら午前2時だった。なかなか寝付かれず、寝たのは

4時過ぎだったが、7時半には起床。昨夜の夜行列車の汗やら何やらを風呂で洗い流してサッパリした。

このホテルは豪華。レストランの正面にあるアズマヤではインド音楽の生演奏。何もかも清潔で豪華な

ホテルと、昨夜の列車体験で見た記憶が余りに対照的で、暫しボーっとする。オムレツいま一だった。

  

       郊外にあるアンベール城    宮殿の随所に暑い夏を快適に過す工夫がなされている

バスで郊外に向かい、途中ジープに乗り換えてアンベール城に行く。丘の上の巨大な城で、16世紀ア

ンベール王国の首都であった。豪奢な宮殿は、暑い季節、水と風で涼を取るよう工夫されている。12

の妃がいたというハレムは12室が平等な広さに作られていて王様も苦労したんだ、と可笑しくなった。

これまで訪ねたウダイプール、ジョドプールと違って、これからは本格的な観光地。物売り攻勢が激しく

動き出したジープにしがみついてまで「10個千円、20個千円」と叫んでいる。たまげた商魂ではある。

昼 ジャイプール「何とかというレストラン」 トマトスープ、インド料理ヴュッフェ

  

  

          ナン焼き対決! お兄さんたちはタンドリーで焼き、おばあさんは炭火で焼いた

昼食レストランで、初めて日本人グループに会った。ここまでは珍しいことに全く会わなかったのだ。何

と同じ旅行会社の皆さんで、北インド12日間周遊とか。「あぁ、宮殿ホテルに泊まるゼータクなコースの

方々ね」と1人のおじさん参加者に言われた。この店は中庭でお兄さん達がタンドリー釜で、その隣で

おばあさんが炭火でナンを焼き、焼きたてを配ってくれる。トマトスープが上品な味で美味しく頂いた。

        ジャイプールはピンクシティ             ボロボロのバスが走る       これ男性用公衆トイレです

ジャイプールはラージャスターン州の州都で大きな町。ジョドプールはブルーシティであったが、ここジ

ャイプールはピンクシティである。実際はピンクというより赤砂石の明るいオレンジが町中溢れている。

その象徴は、風の宮殿(表紙左側の写真)。その昔宮廷の女性達が、彫刻を施した小さな窓から町を

見下ろしていたらしいよ。正面から見ると大きな建物なのに、奥行きが実に薄っぺらい作りで風通しが

良いことから「風の宮殿」と名付けられたみたいね。町では時折、立ち小○をしている男性をみかける

が、上右のような公衆トイレもあるにはあるのだ。それにしても、車や人の通行量の多さにはタマゲル。

 

   ジャイプールのシティパレス     パレスの入り口ではコブラのおじさんが笛を吹く    世界で一番大きな銀製品の壷

  

   今日はマハラジャがお城にいらっしゃるらしい   ターバンの長さは10メートル     それを警備員は器用に巻いた

現在もマハラジャが住まわれるシティパレス。門からピンクだねぇ。門を入ったところにコブラ使いのお

じさんが笛を吹いてコブラを働かせていた。男性の頭にあるターバン。どの位長いと思いますか?答え

10メートル。守衛のおじさんに一度ターバンを解いて再び巻いて貰った。あららら、名人芸だわぁ。

 ジャイプール 「ジャイ・マハル・パレス」 ディナーヴュッフェ ビール 230Rs、赤、白ワイン450Rs

 

観光後布屋でベッドカバーやサリーを買ったが、宝石屋では何も買わなかった。スリランカ、南アフリカ、

インドと世界の名だたる宝石やダイヤモンドの本場に行ったのに、興味がないからやっぱり買わないの

だ。夜の「ジャイ・マハル・パレス」はお祭りのように賑やか。本館の中庭には操り人形や占いのテント、

民族舞踊や光の演出、それに花火までガンガン上がって夏祭りみたいね。ヴュッフェは、気をつけない

とごたまぜ料理になってしまうので、1皿目は冷菜、2皿目は目の前で作って貰ったパスタ、それにデザ

ートと工夫して食べた。日本でもいきなり焼きそばをてんこ盛りしてしまう人がいるけど、あれはダメよ。

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12月 13日(水) 晴れに決まっている

朝 ジャイプール 「ジャイ・マハル・パレス」 朝食ヴュッフェ

5時半起床。2泊した「ジャイ・マハル・パレス」ともお別れだ。広大な庭園が美しいホテルであった。朝

食でガイドの丁半さんとお喋りした。彼は日本に1年半ほど暮らしたことがあり、好きな日本食を聞くと、

揚げ出し豆腐、海老天麩羅、お好み焼ですってさ。日本のカレーは牛が入っているから食べない由。

昼 何とかという町の何とかというレストラン インド料理ヴュッフェ

  

  

   道路を歩く様々な動物達        象さんも歩けば、駱駝も働く   ええ?イノシシもぉ??

バスはアグラに向かっている。数日前のジョドプールまでの道よりはかなりマシだが、それでも揺れは

激しい。インドは今、鉄道社会から道路社会に変貌しようとしている。あちこち、どの道も工事だらけ。

工事が終った途端、積載量を超えた車がバンバン走るから、道路の磨耗が激しい。8時に出発して、昼

食のレストランに着いたのは午後2時近かった。お馴染みのヴュッフェだが、どこのヴュッフェにもある

焼きそばがエラクまずく、一口で止めた。今日の私は何故か不機嫌で、むっつり黙ったまま。イカンね。

  

       わずか14年で打ち捨てられた都、ファーティプル・スィクリーも世界遺産です

アグラまであと40キロという所に、ムガル帝国の第3代皇帝アクバルの城址がある。ファーティプル・ス

ィクリーといい、世界遺産である。後継ぎに恵まれなかったアクバルは、ある時この地の出身の予言者

に「後継ぎが生まれる」と言われ、それが実現したので感謝として城を築いて遷都した。アクバルは、ヒ

ンドゥーとイスラムの融合を図った皇帝だが、妃もヒンドゥー、イスラム、それにキリスト教徒の3人を持

ったというから徹底している。5年をかけて見事な城が完成したが、水不足で14年で捨てられてしまっ

たファーティプル・スィクリー。しかし、だからこそ当時の姿を残すことが出来、世界遺産になった皮肉。

夜 アグラ 「ジェーピーパレス」 ディナーヴュッフェ ビール 220Rs、赤、白ワイン250Rs

  

宮殿ホテルに泊まる旅最後のホテル。結論から言えば、ここまでのホテルと比べてかなりレベルが落ち

る。ムガル帝国の都だったという過去はあっても、タージ・マハールを中心にした観光に頼りきった町の

観がある。サービスが少々悪くても、世界中から観光客は来るってことだな。そういうの良くないよね。

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12月 14日(木) 素晴らしい晴天

 アグラ 「ジェーピーパレス」 朝食ヴュッフェ

珍しく6時半まで寝ていた。巨大なホテルで、レストランに行くにも緊張する。お粥があって嬉しかった。 

  

  これも世界遺産アグラ城       ヤムナー河の向こう遥かに見えるタージ・マハール    前皇帝を閉じ込めた幽閉の塔

アグラ城。昨日行ったファーティプル・スィクリーを作ったムガル帝国第3代アクバルが1565年に作っ

た城。そのアクバルの孫にあたる第5代皇帝シャー・ジャハーンが今日の主人公である。カンタンに言

えば、亡くなった妻ムムターズのために22年の歳月をかけて墓=タージ・マハールを建設したシャー・

ジャハーンは、息子によって皇位を奪われてアグラ城の塔に幽閉されてしまう。そこから、ヤムナー河

の向こう遥かに見えるタージ・マハールを毎日眺めながら泣き暮らしたという。右の写真が幽閉の塔。

  

  門越しにタージ・マハールが見えて来た  これが世界一美しい墓タージ・マハール!       入り口の見事な象嵌

  

          裏に流れるヤムナー河 対岸に王は黒の自分の墓を作りたかったのだ       新郎新婦も記念撮影

いよいよ観光のハイライト、タージ・マハールの見学である。途中で電気自動車に乗り換える。排ガス

対策。入り口で厳しい手荷物検査。時計とカメラ以外の電気製品は一切ダメ。携帯電話も計算機もビ

デオもダメ。ライター、マッチダメ。水以外の一切の水分、飴、ガム、一切の食品ダメ。マジック、大量の

ボールペンダメ・・・・。身体検査もある。マッチを5箱取られたところで入場できた。門の向こうに見えて

来たぞ!ジャーン!雲ひとつ無い青空を背景に白亜のタージ・マハールが鎮座ましましている。高さ43

メートルのミナレット(塔)を4本従えた完全な左右対称の姿。う、う、美しいぞ。歩けば5分かかる長い

左右の参道の真ん中には噴水が並ぶ。これが世界一美しい墓なのだよね。15歳と12歳で初めて知り

合ったシャー・ジャハーンとムムターズは2年後結婚し、18年の間に14人の子供を作る。その王妃ム

ムターズが亡くなる時、3つの約束を願った。1、結婚しないで、2、子供達を可愛がって、3、美しい墓

を作って。皇帝シャー・ジャハーンはその約束をすべて守ったどころか、22年間で現在の貨幣価値なら

150億円もの巨費を投じて愛妻の墓タージ・マハールを作ったのである。更にシャー・ジャハーンは、ヤ

ムナー河の対岸に自分の墓である黒のタージを作り、2つのタージを結ぶ橋まで架けようと思っていた。

その願いは、息子の陰謀によって幽閉されてしまったから、叶わなかったが。ロマンチックな話やねぇ。

昼 アグラ 「中国料理 マンダリン」 中華料理ヴュッフェ マンゴージュース 150Rs

  

タージ・マハールを見学して夢見心地に襲う物売り攻勢の凄まじさ。物を売るというより、脅迫している

みたいだ。そんな粗悪品、どんなに安くても買うもんか。ランチは中華だ!アグラ一の中華レストランと

聞いたが、まずまずだったのはスープとバナナのデザートだけ。まぁアグラ一だったら、こんなものか。

夜 アグラ 「ジェーピーパレス」 ディナーヴュッフェ ビール 220Rs、白ワイン250Rs×2杯

  

夕方民家見学というプログラムがあったが、億劫なので参加しなかった。夕食はサヨナラパーティ。乾

杯のワインはサービス。帰国は明日の夕方だが、ここまで一度もお腹を壊さず、健康でこられたことに

ホッとする。今回の参加者は、夫婦4組、親子1組、女性友人2組、一人参加男性1名、女性2名の17

名、そして添乗員のT嬢。スルーガイドの丁半から日本語とヒンディ語のメッセージカードを貰ったよ。

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12月 15日(金) 最後の日も晴れだった

 アグラ 「ジェーピーパレス」 朝食ヴュッフェ

5時半起床。帰国する日なのでスーツケースの荷作り。それでも6時過ぎには終了する。粥を食べる。

昼 デリー 「Waves」 中華料理いろいろ

  

アグラからデリーまで200キロちょっとなのに、バスで5時間もかかった。しかし、これも予定通り。あの

悪路を、デリーに入ってからの渋滞をくぐり抜けてちゃんと1時にレストランにつけたターバン巻いたドラ

イバーの腕に驚く。最後の昼食も中華。アグラ一よりずっとイケタ。でも年寄りが多いから大量に残る。 

午後のおやつ デリーの空港 「マハラジャ・ラウンジ」 ビスケット、コーヒー、ハイライト5本! 

デリーの空港には一切喫煙場所は無いと聞いていた。だから、ランチを摂ったレストランの中庭で「末

期の煙草」を2本吸った。「これで14時間吸わないんだよ」とカラダに言い聞かせて。ところが。ビジネ

スクラス「マハラジャ・ラウンジ」に行ってみると、奥に喫煙コーナーがあるじゃないか!5本も吸った。

夜 エア・インディア デリー=バンコック ビジネスクラス機内食

    ジントニック5杯も飲んで酔っぱらい

午後6時半発のエア・インディアは7時に出発。ほぼ定刻じゃん。隣に日系企業インド工場に勤務する

方とお喋り。インドで暮らすこと、インドで働くこと、インド人とつき合うこと、いろいろ聞けて楽しかった。

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12月 16日(土) 東京は晴れのち曇り

朝 エア・インディア バンコック=成田 ビジネスクラス機内食

バンコックで数人降りビジネス席に空きが出来たので座席を勝手に移る。バンコックで出発が1時間

れた。3時間程ウトウトしたところで朝食タイム。美味しくないのでほとんど食べなかった。あと1時間。

昼 四谷三丁目 「大戸屋」 炭火焼き鯖塩和定食 610円+ご飯普通 20円、冷奴 105

    日本食鯖の塩焼き原点だ

月曜日の朝だからか、道は空いている。タクシーで50分ちょっと家に着いた。仏壇に帰国の報告をし

た後は洗濯とスーツケース整理。あっという間に終る。留守中姪のカオルが受け取ってくれたお歳暮、

郵便物、膨大なメール、留守電チェックするのも帰国後のオキマリ仕事。旅行で撮影したすべての写

をパソコンに取り込んでから、さてと昼食。何食べたい?鯖。「大戸屋」で鯖塩食べる。ご飯旨いなぁ。

夜 家食 そうめん、薬味(油揚げ・きゅうり・大葉・茗荷・長ネギ・細ネギ)、野菜のかき揚げ

  

ひところ、海外からの帰国日夕食メニューは決まってそうめんだった。最近それをしていない。真冬とは

いえ今年はとても暖かいのでそうめんにすっか。美味しいなぁ。こうゆうのインドに無いものね。無酒日

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12月 17日(日) 朝曇り のち晴れ

朝 家食 具だくさんのかき揚げ煮麺、アロエヨーグルト

    あぢあぢと汗を流して食べるなり

昨夜遅くまでかかって、12月1週のパクパクに目処をつけた。それでも7時半には起床。昨日茹で過ぎ

たそうめんに具をたくさん入れて煮麺作る。冷たいそうめんも好きだが、温かい煮麺も大好きなのだ。

昼 無し

帰国早々だが、午後1時にマンションの何かの点検がある。何の点検か忘れてしまったので、どこを片

づけるか迷う。テキトーに整理。そんなことをしていたら昼を食べ損なった。和室が点検の場所だった。

午後のおやつ オジョー特製スィートポテト、「フォション」のアップルティ

    冷凍を生き返らせてポテト喰う

お昼抜いたらやっぱりお腹が空く。そうだ、冷凍庫にオジョー特製のスィートポテトがあったっけ。2個。

夜 家食 特製おふくろ中華そば、マカロニサラダ、もずく酢

  

午後12月1週をアップし、引き続き2週の作成にかかる。帰って来てからのこの作業はホントにシンド

イ。インドで食べた麺といえば、ヴュッフェと中華レストランの焼きそばだけだ。汁緬が無かった。その汁

緬を食べたーーーい!久々におふくろ中華そばを作ろうか。えー、材料は白菜、もやし、竹の子、人参、

豚肉、干し椎茸・・・・・。ピラミッドのように野菜を積み上げて完成!食べ過ぎて気持ちわりー。無酒日

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【今週の振り返り】

インド共和国には11億人の人々が住む。世界一の人口を持つ中国は、ご存知のように一人っ子政策

を強力に推進して人口増加の抑制をした。それではインドはどうなのか。地域や宗教、所得層によって

違うらしいが、都会では1人か2人の子供が主流らしい。教育にお金がかかるのでそうたくさん産めな

いということで、どこかの国々と事情は同じなのだね。しかし、例えばイスラムでは子供は神からの贈り

ものであるから今でも子沢山が多いと聞く。現在の人口増加率が続けば、2050年には中国を越えて

インドが世界一の人口となる。

インドには20の州がある。国土は日本の9倍だから、大雑把に言えば1つの州は日本の半分弱の大

きさということになる。実際の州の大小はあるものの、スゴイでかさだ。何かの本で読んだのだが、イン

ドを90度横にしてみると、ほぼヨーロッパと同じ面積になる。ここに人種も言葉も宗教も食べ物も気質

も違う人々が住み、インドという一つの国を形成している。言葉は大きく4分類され、細かくは260もの

言葉が存在する。今回スルーガイドを務めてくれた丁半さんは、家庭では出身地のヒマラヤ地方の言

葉で会話し、会社では英語を使い、外ではヒンディ語で交渉し、日本人客には日本語で話すという語学

達者な方だったが、その彼も南インドに行けば、タミール語は全くわからないと言う。

中国もそうだが、インドも北は小麦粉、南は米が主食である。私たちが「カレー」とひと言で呼んでいる

マサーラー料理だが、これも地方によって違うらしい。南のカレーはさらさらで水っぽい。辛さで言えば

うんと北か南が辛い。そんなことより、ベジタリアン(菜食主義)かノンベジタリアン(非菜食主義)が大事

なようだ。宗教上の理由がその主な理由だが、地域や家庭によって「主義」があるらしい。先週書いた

ジャナ教は、野菜でも根菜までも口にしないという徹底ぶりだが、卵までは食べるベジタリアン、魚は食

べるが肉は食べないノンベジタリアンなど様々。こういう食事事情だから、人を招いて食事を用意する

とか、会食などになると、相手の食事主義を細かく聞き出す必要がある。「好き嫌いはある?」と聞けば

良い日本とは大違いだ。

多いのは人間ばかりではない。町を車で走っていると、突然ブレーキ。牛が2、3頭道路の真ん中で座

りこんでいる。ぶらぶら歩いていっこうにどかない牛もいる。最初、道の両脇にたくさんの牛がいること

自体が新鮮だったが、どこに行っても牛だらけなのでやがて興味を失った。農村地域には餌を貰って

労働している牛もいるが町にいる牛は何も生産しない。そこにいるだけなのだ。牛の次に多いのが犬。

ほとんど「インド雑種」と私が名付けたツルンとした犬ばかりだ。飼っているわけでもなく、野良でもなく、

何となくいつもそのヘンにいるという犬たち。日向でぐったりと死んだように寝ている犬が多い。世界で

年間狂犬病で死亡する3万5千人のうち、インドの死亡者は2万人と言う。猿も多い。民家や商店の軒

先で動くものがいるとすれば、それは猿だ。リスもそこらじゅう走り回っている。羊や山羊もいる。時々馬

が荷台を引いて走っている。あら?今いたのはイノシシではないかしら。背中に斑点のある小さなうり

坊が数匹纏わりついている。バスの横を駱駝がゆっくり歩いて行く。時には象もノッシノッシと歩いてい

る。肝心の猫は・・・・いることはわかっているのだが、隠れていてめったに顔を見せない。こんな動物だ

らけの道路で車の運転することは慣れていなければ「不可」である。

最近「BRICs」という言葉がよく使われる。Bブラジル、Rロシア、Iインド、C中国の経済発展が著しい4

カ国を意味するが、時にS南アフリカを含む場合もある。いずれは、BRICsが現在の経済大国G7を抜

いて世界の経済をリードするとまでの推測がある。その一員がインドなのである。特にIT関係の優れた

技術者を輩出するインドと、牛や犬だらけのインド。これもまた一つの国なのだ。

ガイドの丁半さんは「インドを理解するなら、最低4回は来て下さい。それでなければインドはわからな

い」と言った。北インドをちょろりと回っただけの今回の旅では、確かにインドはわからなかった。

         だからニャア、インドにまたくればいいンド

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