パクパク日記7年1月2週

        アトランタ、ブエノスアイレス、ウシュアイア、フォークランド諸島を経由して

私は南極に向かっている。それにしても遠い・・・・・・・・・

アトランタ   フォークランド諸島

(先週のつづき) 1月 6日(土) 雨

第2食 新宿駅西口 カレーショップ「C&C ポークカレー辛口ソフトエッグ入り 440

    初めてのカレーチェーンのカレーだす

朝からのドシャ降りは止みそうにない。風邪を引くかもしれないからと病院で風邪薬を貰おうと思ったが

ヤメにする。昼タクシーで新宿駅西口へ。地下のカレーショップ「C&C」でポークカレーを食べる。これ

だけカレー好きなのに、実はチェーン店のカレー屋には一度も入ったことがないのだよ。何となく美味し

くない気がしてね。辛口はポークだけか。じゃ、それ。旨いか?うーん、まさに440円のカレーであった。

第3食 デルタ航空 成田=アトランタ ビジネスクラス機内食(日本食)

新宿発のリムジンバスは混雑していた。第二ターミナル着。長旅なので、旅行損害保険も1万円以上

取られちゃったよ。今日乗るアメリカのデルタ航空は、預ける荷物の制度が変わっている。エコノミーで

もビジネスでも1個23キロまで、但し2個預けられる。スーツケースを1つずつ計量しセーフかアウトか

判定するのである。アウトの人にはその場でオーバー分の荷物を取り出すか、超過料金を払うか迫る。

何かヘンなの。私は重量はOKだったが、ライターを取られた。サクララウンジで右胸が痛いような苦し

いような。長兄が心筋梗塞で倒れたしなぁ・・。あっ、心臓は左だった。じゃ、大丈夫ね。行ってきます。

第4食 デルタ航空 成田=アトランタ ビジネスクラス機内食

アトランタまでは12時間。ジントニック2杯、白ワイン2杯、赤ワイン2杯も飲んでしまったさ。うつらうつ

らしながら本を読み、2回目の機内食。リングイネを食べた。飛行機は何度も揺れに揺れているぞー。

第5食 アメリカ・アトランタ・ルネッサンスホテル宴会場 シーザーズサラダ、海老とビーフのコ

      ンボ 温 野菜添え、桃の丸ごとシャーベット、ビール、白ワイン、赤ワイン(計20ドル)

  

日本時間なら17日の午前5時だが、アトランタ時間16日午後3時に到着。例年なら東京と同

じ位の気温のはずなのに20度ととても暖かだ。この空港はとてつもなく広く、2度もスーツケースを取っ

たり預けたり、電車で移動したり、入国審査などしていたら2時間も経ってしまった。ルネッサンスホテ

ルは全館禁煙。部屋で吸うと罰金取るよ、なんて表示がある。チェッ!いいもん、ベランダで吸っちゃう

から。今日5回目の夕食はホテル地下階の宴会場で。関西組を除く3グループ全員での食事となった。

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1月 7日(日) アトランタも雨だったぁ

朝 アトランタ・ルネッサンスホテル「レストラン509」 朝食ヴュッフェ

  

6時半起床。昨夜眺めた美しい夜景から一転、雲が低く雨空だ。朝食では、黒人のオジサンに大きなオ

ムレツを焼いて貰った。午前中はフリータイム。南極の資料やいしいしんじ著「トリツカレ男」など読む。

昼 アトランタ「ピティパットポーチ」 サラダバー、ビーフ・チキン・ポークのコンビネーション、桃のデザ

ート、コーヒー 

  

  

  昔スケートリンクだったCNN本社      元レーガン大統領もコカコーラの広告に      39歳で暗殺されたキング牧師

アトランタは2度目だ。1996年に開催されたアトランタオリンピックを観に来た。いや観るのではなく、部

下の応援に来たのだった。あの時は夏だったからモーレツに暑かった。ビジネス街は日曜日とあってガ

ランとしている。本来なら定休日だが、60名の団体とあって特別に営業する店でランチ。食べ物が美味

しいとは言えないアメリカだが、南部と北部は結構イケルと思っていた。でも、この店のメイン料理はダ

メだね。アトランタがあるジョージア州は桃の土地で、昨夜に続き、デザートは桃だった。食後、アトラン

タの市内観光。CNN本社、コカコーラ博物館の見学に続き、キング牧師のお墓と博物館へ。昨年10

月行った南アフリカでのアパルトヘイトはかつて世界中の非難を浴びたが、アメリカだってキング牧師

が中心となって繰り広げた公民権運動が成就するまでは白人と非白人の差別が激しかったのだよね。

夜 デルタ航空 アトランタ=ブエノスアイレス ビジネスクラス機内食

夜便でアルゼンチンのブエノスアイレスに向かう。またしてもデルタ航空で、荷物重量検査の厳しいこと。

23キロ=51パウンドを500グラムでもオーバーすると「25ドル!」と言われる。私は50パウンド。外は

ドシャ降りで雷も鳴っている。地図で1箇所ある喫煙室を見つけて、出発までニコチンの摂取を楽しむ。

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1月 8日(月) ブエノスアイレスは晴れ

朝 デルタ航空 アトランタ=ブエノスアイレス ビジネスクラス機内食

ブエノスアイレスまで10時間。激しい雨で1時間半遅れて出発した飛行機では、7杯も飲んでしまって

二日酔気味。夢子さんいい加減にしなさいよ。隣席のN崎さんは南極5回目なんですってさ。へえー。

昼 アルゼンチン・ブエノスアイレス「ラ・トランケーラ」 前菜:ソーセージや内臓の炭火焼き、サ

      ラダ、リ ブステーキ、フレンチポテト、アイスクリーム、エスプレッソ

  

  

ブエノスアイレスには朝9時半に着いた。アトランタとは時差2時間、日本とは12時間だから、昼と夜

が丁度逆になる。迎えてくれたガイドは、あららー、去年2月に来た時と同じメルセデスさんだわ。アル

ゼンチンは今真夏。日中は30度を越える。ホテルに入れる時間までは市内観光だ。タンゴ発祥の地ボ

カ地区のカミニート。11ヶ月前に来たばかりだから、何だか気が抜ける。ランチはアルゼンチン名物リ

ブステーキの店。前菜もメインも肉、肉、肉。食欲が失せる。飲み放題のワインをガブ飲みする人多し。

夜 ブエノスアイレス・メリアホテルのレストラン カプレーゼサラダ、コンソメスープ、鱈のソティ、ビ

      ール、ワイン

  

ブエノスアイレスの街は緑が多い。百日紅(さるすべり)、ジャカランダ、アカシア、ニセアカシア、酔っ払

いの木などの花々が美しい。食後は高級住宅地レコレータ地区の墓地へ。ここも去年来たので、入り

口近くにタムロする猫の撮影に専念した。ホテルで関西組と合流。1年前チェニジアでご一緒したH

さんと再会して握手。そう言えば、同じグループに昨4月旧ユーゴスラビアでご一緒したI渡さんもいらっ

しゃるのだよ。部屋でスーツケースを開けたら、半分がビショ濡れ。どうも昨夜アトランタの空港で濡れ

てしまったらしいのだ。ったくもう!乾燥作業に忙しい。明日朝は3時半出発だって!デザート要らん!

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1月 9日(火) ウシュアイアは曇り

朝―1 ブエノスアイレス・メリアホテルのレストラン パン、ジュース、コーヒー

ウェイクアップコールは245分だったが、1時半に起床。フツーならこの時間、未だ起きているよ。こ

のホテル、禁煙と喫煙のフロアーをフロントが覚えていないなんてトボケた真似をしてくれたが、3時に

カンタンな朝食を用意したから許す。ホテル外ではサンバの音楽で酔っ払った若者が踊り狂っていた。

朝―2 アルゼンチン航空チャーター機 ブエノスアイレス=ウシュアイア 機内食

    空腹がガツガツ喰わせる機内食

国内飛行場からチャーター機で南アメリカ南端のウシュアイアを目指す。チャーター機なんて言っても

さ、ボロボロの飛行機で、乗客は今夜ドイツ船ブレーメン号に乗る客だけ。半分はドイツ人なのだった。

朝―3 アルゼンチン航空チャーター機 ブエノスアイレス=ウシュアイア 機内食

途中で給油。再出発したら、またもや機内食が。朝ご飯だけで3回もぉ?コーヒーだけ飲むことにする。

昼 アルゼンチン・ウシュアイア 「CASA DE TE-RESTAURANT」 いろんなサラダ、ソーセ

      ージ、ラムのソティ、アイスクリーム、コーヒー

     

飛行機から雪を頂いた高い山々が見えて来た。ウシュアイアは最南端と言いながら、フエゴ島という大

きな島にある。南アメリカ大陸とフエゴ島の間にはマゼラン海峡。しかもフエゴ島はチリとアルゼンチン

が二分している。ようやく船に乗るのかと思いきや、それは夕方でウシュアイアの観光をするのである。

つまり船の準備が整うまで、ブレーメン号で費用は持つから遊んでてね、ということらしい。ウシュアイ

アは、南極半島から約1000キロの位置にあることから南極観光の船の寄港地として賑わう6万人の

街だ。20世紀初頭には、主に政治犯の流刑の地で刑務所が作られた。黄色と青の囚人服を着せられ

た囚人達が木を切り出して敷設した「地の果て鉄道」に乗る。駅舎で場違いなタンゴを演奏している蒸

気機関車である。鉄道のスタッフが囚人服を着ているのがご愛嬌。7キロの距離を途中写真ストップし

ながら1時間で走る。ブナの木々は中国提灯という宿り木にヤラレているものが多い。アラスカから延

びているパンアメリカ道路の終点にも行った。1万7千キロですか。ウシュアイアの街で買い物をする。

夜 ブレーメン号 メインレストラン 蕪のクリームスープ、蟹肉、鱈のフィレ、桃のスフレ、ドイツビ

     ール べックス、白ワイン、赤ワイン 10.5ユーロ

  

    地の果て鉄道と囚人服来た駅員         これがドイツ船ブレーメン号                ベランダ付きのツイン603号室は私専用

  

  

夕方5時過ぎようやく乗船。6階の客室に入った途端、避難訓練があった。国際船舶何ちゃらで決まっ

ていて、出航前に全乗客に義務づけられている由。80人の日本人、60人のドイツ人、6人のアルゼン

チン人が一堂に会した。赤い救命胴衣着てね。煙草は所定の場所以外で吸うなとか、人が海に落ちた

ら「Person Over Boat」と叫べとか注意があった。午後7時からブレーメン号での初のディナーが始

まった。立派なメニューには日本語訳もあって困らない。ふむふむ、前菜、スープ、in‐Between、メイ

ン、デザート、(チーズ)、お茶のフルコースなのだな。軽めのコースもあるし、メインをベジタリアンメニ

ューからも選べるのだな。わかった。今晩は魚介類から選ぼう。ビールは、ドイツビールのべックスとハ

イネケン、白ワイン、赤ワイン、梅酒、日本酒をそろえている。ワインはクォーター(4分の1本)あり、グ

ラスで2杯あるから飲みでがあるぞ。料理はまずまずの味であった。夜910分出航。客室に着いて

いるベランダでビーグル水道を撮影しようとコートを着込んで座っていたらそのまま転寝。2時寝直し。

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1月 10日(水) 曇ったり晴れたり

朝 ブレーメン号 メインレストラン オムレツソーセージ他はヴュッフェ

  

6時半起床。空はどんより曇っているが、船は快調にフォークランド諸島を目指して進んでいるようだ。

朝のシャワーを浴びる。一人部屋だからこうゆう時は楽ちん。朝食はクルーズだけの日は8時から4階

のメインレストランか5階のラウンジで摂る。オムレツとソーセージを注文したが、美味しくない。これか

らはヴュッフェにしよう。幸い料理の中にはお粥、味噌汁、ご飯もある。但し余り美味しくはないけどね。

昼 ブレーメン号 メインレストラン サラダバー、赤蕪のスープ、ズッキーニパスタ、ケーキとコーヒー

  

    スープとメイン以外はヴュッフェ

午前中は忙しかった。9時半から上陸用のゾディアックボートの乗り方講習会、10時からブレーメン号

の主要スタッフの紹介、11時過ぎ長靴の貸与、11時半パルカの貸与。長靴は苦労して探して持って来

たから借りなかった。もっとも23,5センチの足に27センチはチョー大き過ぎるけどね。昼食後、客室に

配られた共同ニュースを読む。長い船旅だから、毎日日本語のニュースを読めるのは便利だ。2時から

同行いただいている大瀬正美先生の南極アカデミーが始まった。今年日本の南極観測も50周年を迎

えるが、その記念すべき第1次だけでなく、2次、3次、4次、7次、8次、12次、19次と8回も観測隊に

加わり、その何回かは越冬された南極博士のような方だ。大正14年生まれとは思えないお元気な方

で南極は今回で29回目。なーるほど、そうゆうことですか・・・と興味深く聞いていたが、最後の方はう

とうとと。午後から船は大きく揺れ始め、夕方の自己紹介タイムには船酔いで寝込んだ人たちは欠席。

夜 ブレーメン号 メインレストラン 貝柱のマリネとアンティチョーク、クレソンのクリームスープ、カ

     シス のシャーベット、ロブスターマンゴバターソース アスパラガスの白リゾット添え、ダークチョコと

     ホワ イトチョコのピラミッドアイスクリーム、ビール、白ワイン

今日の夕食も魚介類を中心にオーダー。どれも美味しいじゃないか。船酔いしている人の中には今日

1度も食事していない人も。私は乗船してすぐ酔い止め薬を飲み、24時間ごとに飲んでおるから大丈

V。その代わりもの凄い眠気が襲って来る。明日早朝フォークランド諸島ジョージ島とバレーン島に初

上陸する。そこで王様ペンギンを見るのだ!ドキドキするなぁ。明日の準備をしているうちにうたた寝。 

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1月 11日(木) 晴れのち曇り 風が強い

朝 ブレーメン号 メインレストラン 朝食ヴュッフェ

  

515分起床。フォークランド諸島の島々が見えるが、風が強いなぁ。7時に朝食を摂っている間に停

船。ご飯に味噌汁をぶっかける「猫まんま」を食べ、以来下船までずっと食べ続けることに。コックが目

の前でカットする山盛りのフルーツからマンゴーだか取って食べる。ゼータク。8時からゾディアックボー

トで上陸が始まるから緊張する。大き過ぎる長靴は小S子さんから借りたテントシューズを履いてから

履くので時間がかかる。15分前から履こう。何だかうまくいかない。自宅で練習した時はスッキリ履け

たのに。ごちゃごちゃ・・・・えいえい・・・あらあら・・・全然履けんぞ。あぶら汗が滲む。だんだん時間が

無くなる。10分経ったところでようやく右足が入った!ところが左足がどうしても長靴に入らない。今朝

はボートから海に降りるウエットランディングだから長靴は必須。この左足が入らなければ上陸を諦め

ねばならん。ど、ど、どうしよう。8時。泣きそうだ。その時放送が始まった。上陸開始でも私は行けませ

ん、グスン。「・・・・上陸の予定でしたが、今パトロール班がテストしたところ、強風による高波で皆さま

の上陸は危険と船長が判断し、誠に残念ながら断念することに・・・・」。気が抜けて右足だけ長靴履い

たまま床に転がった。全身汗でビッショリだ。私だけパスは避けられたが、楽しみにしていた王様ペンギ

ンが見られない!!安堵と落胆が入り混じり深い溜め息。上陸したわけではないのに全部着替えた。

昼 ブレーメン号 メインレストラン 前菜:刺身(鮪と鮭)、巻き寿司、キャロットジンジャースープ、マ

     レー風ミーゴレン、コーヒー

  

これから上陸の度にこんな騒動(一人でだけど)をするわけには行かない。履けたらピッタリのテントシ

ューズは諦めて他の方策を考えよう。1時間かかって、各足ハンカチ2枚、バンダナ1枚、厚い靴下2

枚で何とかすっと長靴履きが出来るカタチを完成。その後5分で片足が出来るようになるまで練習し

た。エライ!ジョージ島だけでなく、バレーン島も上陸無理と判断を下し、船長は東部のスタンレーを目

指している。11時から7階のパノラマラウンジで南極アカデミー第2回が開かれたが、船が大きく揺れ

るので手摺りに掴まりながらヨタヨタと歩いて行く。昼食には巻寿司が出た。もちろん美味しくは無いよ。

夜 ブレーメン号 メインレストラン ビーフのマリネ、森のきのこのクリームスープ、ローストラム ラ

     イムのソース 焼き茄子添え、プラムの焼き団子バニラソース、ビール、赤ワイン

  

  

朝の上陸の代わりに夕方予定していたスタンレーの観光も強風・高波のため接岸できず中止。仕方な

い、シャワー浴びて洗濯でもすっか。船内にはランドリーサービスもあるけど、下着や靴下は自分で洗

う。乾燥しているからすぐ乾く。風が弱まり、午後6時ポートスタンレーに入港。6時半から明日の予定

のレクチャーがあった。夕食。毎日違う人たちとテーブルに座ることにしている。今晩は肉系。ビーフの

マリネもローストラムもとても美味しかった。部屋に帰ると、大きな虹が出ていて感動。920分就寝。

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1月 12日(金) フォークランド諸島は晴れたり曇ったり 今日も風が強いぞ

朝 ブレーメン号 メインレストラン 朝食ヴュッフェ

6時起床。あらら8時間以上も寝てしまった。毎日酔い止め薬を飲んでいるからお陰でよく眠れる。今日

は午前と午後ポートスタンレーに上陸しての観光だ。多少風と波はあるけど大丈夫。だって船は港に着

いているのだから、普通の靴でタラップを降りればいいのだ。9時、迎えのバスでスタンレーの中心地

へ。ご存知と思うが、フォークランド諸島はイギリス領。地理的には断然アルゼンチンに近い。昔から色

んな国がこの島々を巡ってスッタモンダしたが、1982年混乱期のアルゼンチン軍事政府がサウスジョ

ージア島に無断で上陸し、フォークランド島を占拠したところからフォークランド紛争は始まった。当時

のイギリスはサッチャー首相、紛争は4月に始まり6月には終結したところから75日戦争と言われた

っけ。負けたアルゼンチンは以来、国中からイギリスと名のついた場所はすべて名前を変更し、イギリ

ス人の入国さえ拒否していた。因みにフォークランドはアルゼンチン名でプエルト・アルヘンティーノと言

う。、人口は約2千人で若者はイギリス本土か他国に出てしまって、深刻な高齢社会と言う。そんな島

にフォークランドポンドという独自の貨幣があるのだ。珍しいので持ち帰った。真っ先に郵便局に行く。

投函した葉書は、ロンドンを経由して日本に送られる。土産を買う。雨まじりの風が強く寒い街だった。

 

      観光客に人気の郵便局    PDジェイムズの小説に出て来るような海と空      スタンレーには教会も2つある

昼 ブレーメン号 メインレストラン サラダバー、ロマネスフレタスのクリームスープ、グリーンビーフカレ

     ーマドラススタイル、ルハーブアイスクリーム、キャロットケーキ、コーヒー

  

一旦船に帰り、ランチ。何となく今日のメニューにはカレーがあるのではと予想したら、ピタリと当った。

でも、グリーンビーフカレーマドラススタイルってのはどうも私の好きなカレーとは程遠かったけどさ。

  

   亜南極に生息するマゼランペンギン           ジプシーコープには今でも地雷や戦車が残っている

午後はドイツ人グループと入れ替わりで、ジプシーコープに行く。美しい入り江が見渡せる丘で、マゼラ

ンペギンの営巣地である。風がメチャンコ強く、向かい風だと私でさえ、オットットとよろける位だ。遥か

下の真っ白な海岸には漁から帰ったペンギン達が整列している姿が見える。気をつけて見てみると丘

の中腹のあちこちにペンギンの巣があり、穴からペンギンが顔を覗かせるのだった。通路の両脇には

柵が巡らされていて「地雷あるかもしれないから気をつけろ!」と注意書きがある。紛争の後が残る。

夜 ブレーメン号 メインレストラン チキンのテリーヌ、オニオンスープ、フォークランド産の銀鱈、フル

ーツのクレープ風デザート、ビール、白ワイン、赤ワイン

  

    ドイツ人客の誕生祝い

ブレーメン号はフォークランド諸島を後にし、一路南極に向かう。だが、その前に荒れるドレイク海峡を

渡らねばならぬ。外海に出た途端、船は大きく揺れ始める。やっと着替えて、ふらつきながらレストラン

へ。今晩は10人用の丸テーブルに座る。フォークランドで仕入れたらしい銀鱈がとても美味しい。残っ

たら味噌漬けにして明日の朝食べたいと思ったら、船が揺れてあっちの方で誰かが椅子ごと倒れた

らしく騒ぎが起きる。誰が倒れたの?と聞こうと思った途端、目の前のお二人が消えた。二人揃って椅

子ごと倒れてしまったのだ。揺れる船ではこんなこともあるのね、と皆びっくり。ドイツ人の誰か誕生日。

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1月 13日(土) 曇り 風強く波高し

朝 ブレーメン号 メインレストラン 朝食ヴュッフェ

寝ている間も船は揺れに揺れ、あちこちでモノが落ちる音がしていた。6時に起きて客室を見渡すと、

灰皿は吹っ飛んで吸殻が部屋のあちこちに散らばっているわ、書類はバラバラと床に落ちているわで

空き巣が入ったような有様。こんな時はなかなか起きる決心がつかない。ようやく朝食を終えて、朝10

時から「IAATO」南極条約説明会。南極に上陸するすべての人が受けねばならない。ペンギンには5

メートル以上、その他の動物からは15メートル離れること、煙草吸わない、トイレもダメ、苔や植物を踏

まない、何も持ち込まない、何も持ち出さない・・・・。その他の説明会は海が荒れているので中止に。

昼 ブレーメン号 メインレストラン サラダバー小海老のサラダ、ポルトガルキャベツスープ、バレ

      ンシア風パエリア、パンナコッタ、コーヒー

  

こう揺れていては、本も読めないし、字もかけない。仕方ないので、「南極物語」のビデオを見る。タロ・

ジロとの再会の場面は、その場にいた大瀬先生から実際はそんな風ではなかったと聞いてはいたが、

ちょっと涙なんか出て来ちゃって。しょっちゅうストップモーションが入るので半分位しか見えなかった。

夜 ブレーメン号 メインレストラン レタスとモッツレラとトマトのマリネ、ピスタチオ団子入りチキン

     スー プ、マドラス風ベジタブルカレー、ネクタリンのテリーヌ、フルーツ、ビール、赤ワイン

  

    まるでベジタリアンでしょ?

3時から南極アカデミーの3回目があったが、船酔い続出で欠席が多かった。今朝、2人目のケガ人が

出る。昨日はデッキのドアに指を2本挟み、今日は部屋で頭をぶつけ裂傷。お二人とも3階の医務室で

数針縫うケガであった。夕食はデザート以外どれも感心しない。コンソメ系のスープは濃くて飲めんぞ。

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1月 14日(日) 雨時々曇り

朝 ブレーメン号 メインレストラン 朝食ヴュッフェ

相変わらず船は揺れているのに、珍しく7時半まで寝ていた。昨夜のうちにエレファント島の上陸は中

止と決定された。ただでさえ渡るのに難儀するドレイク海峡に大きな低気圧がドッカリと座っており、船

は東に大きく迂回している。船は南緯56度にあって、南極収束線の60度までは未だ距離がある。エレ

ファント島が舞台のひとつになったシャクルトン物語のレクチャーがあった。590日間、28人全員が生

還した話はカンドー的だがそのエレファント島に上陸できないんじゃなぁ。全部中止になったりして??

昼 ブレーメン号 メインレストラン 特製ソーメン、サラダバー、ブロッコリーのクリームスープ、ウィ

    ー ン風カツレツ、チョコシュークリーム、フルーツ、コーヒー

  

    今日の昼は旨かった!

昨夜から「氷山発見クイズ」が出されている。このまま南緯度を増して行けば、氷山のメッカだ。その氷

山が初めて姿を現わすのは何日の何時かというクイズである。「14日午前1145分」と書いて出し

た。昼を食べている時、白い物が見えたので歓声をあげると、大瀬先生から「あれは氷板だ」と冷たく言

われる。昼には特製のソーメンが出た。船からではなく、旅行会社の添乗員の方々が苦労されてね。

船は揺れるし、上陸は中止ばかりで皆イライラしていたからタイミングが良かった。でも1人1杯だけ?

氷山は午後25分に南緯58度で船長が発見した。私は2時間20分差。果たしてニアピタかしら。

夜 自室にて サンドイッチ2ヶ、インスタントのめんたいこおにぎり、味噌汁

  

何もすることがないから、部屋の椅子に座ると、そこは鏡の前だ。船に乗って特に何も運動せず3食、

それもご馳走ばかり食べているから、顔が真ん丸くなって来た。満月のようである。このまま行くと、帰

りにパスポートと違う人物と問われるかもしれない。それよりも防水パンツや長靴が履けなくなるかもし

れない方が心配だ。今晩はレストランに行かない!と大英断(何を大袈裟な)を下す。今晩はシャクルト

ンディナーとかで楽しそうだが私は行かんぞ!でも腹は減る。こうゆう時の非常食。お湯を入れて20

待つとおにぎりが出来る。小さいけど。ティータイムに貰って来たサンドイッチもある。味噌汁も。節食。

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【今週の振り返り】

日本を出て9日目が過ぎた。14日の午後ようやく氷山が見えて、間違いなく南極に向かっているらしい

ことはわかった。しかし、来る日も来る日も、荒波に揺られて景色も何も見えないと、「この船ホントに南

極に向かっているのかしらん。もしかして東に迂回し過ぎて大西洋でも走っているんでないの?」なん

て疑ったことも一度ならずあったことも確か。南極は遠いことはわかっていたが、こんなに遠いとは思わ

なんだよ。

どうして私が南極に行こうと思ったかを書こうと思う。でも、本当は書きたくない。恥かしいから。

昨年の6月、アイルランドに行った。アラン諸島として名を知られるウシュモア島に向かっている船の中

であった。その日は嵐で、島に行く小さな船は大きく揺れた。そんなだから、3人しか甲板にいなかった

が、Y田さんが私に言った。「夢子さん、南極行った?私は今年行ったんだけど、船旅なのよ。その時乗

ったドイツのブレーメン号の食事が美味しいの何のって。毎食バラエティに富んでいて、和食もあるし、

何と言っても味付けが素晴らしい。私はあんな美味しい食事を食べた船は初めてだった。夢子さん喰

いしん坊だから是非いらっしゃいよ」。「はい、行きます」。

その場で、添乗員のK藤君に南極旅行を申し込んだのだった。

Y田さんだけでなく、毎月の海外旅行でお会いする旅の猛者は、決まって南極がいい、と言う。1位に南

極、2位に南極、3位に南極、4位、5位該当なし、なんて言った人もいる。南極の何がいいのか尋ねて

も、「それはご自分で感じなさい」と言うのだ。その点、Y田さんだけが具体的な魅力を熱く語ってくれた

が、よく考えるとそれは南極の魅力とは外れていたのだよね。

毎月忙しくて、旅行会社の説明会というものに行ったことがなかった。でも一度だけ行ったのだ。南極

の説明会に。集まった数十人の方の中には親しげに挨拶を交わす人たちがいる。聞けば、南極はリピ

ート率が極めて高いのだと言う。今回も5回目、4回目の方もいたし、2回目の人はたくさんいた。

現在南極観光する船は全部で32隻に上り、年間約2万人の人々が世界中から南極を訪れると言う。

何が人々を南極に惹きつけるのか。それは来週からのお楽しみ。

              ホントに南極に着けるのか疑わしいニャア

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      お待たせしました。「夢子どこ行ったかクイズ」当りましたか?ガハハハ。

風邪でちょいと体調不良ですが、あと2週間分の作成、がんばりまーす。