パクパク日記7年2月2週

        南極の次は、ビューンとエジプトに飛んで、数千年前の歴史にタマゲテいた

アブ・シンベル神殿 ハトシェプスト女王葬祭殿

2月 5日(月) 晴れ

朝 家食 「緑のたぬき」蕎麦、天然酵母クリームパン

    クセになりそうな緑のたぬき

6時半起床。早速朝風呂に入る。風呂は朝に限るね。朝食は、と。♪赤―いキツネと緑のタ・ヌ・キのた

ぬき蕎麦を食べよう。年越し蕎麦の季節、中居君が盛んに食べておったな。これ食べるの何十年ぶり

だろう。かき揚げ後乗せでサクサク。旨い!カップ麺は避けていたのに何だかクセになりそうな予感。

昼 新宿 「中村屋」 インドカリー 1470円、ランチセット(サラダ、飲み物) 105

  

10時半N原先生の治療院。先週に続き、デトックスは盛大に毒が出た。どんなもんだい!これで南極

毒は全部出たでしょうか。毒出しをした後は、妙に足が軽くなり、スキップしそう。そのままスキップして

新宿に行く。新宿でランチと言えば・・・そう「中村屋」のインドカリーね。私って保守的。伊勢丹で、ロク

シタン製品どっさりと、黒七味など買って帰宅。南極の膨大な写真からプリントするものを選んでいると

インタホーンが鳴った宅配便かしら。ギョギョ!税理士のK村さんだぁ。今日約束していたんっすか?

私の手帖書いていませんけど。どうやら、去年約束したらしいよ。慌てて片づけて打ち合わせをする。

夜 四谷4丁目 「金吹」 お任せコース(きゅうりの胡麻油和え、クラコットのとんぶりマヨネーズ、と

      ん ぶり卵熱うどん、スモーク鯖焼き、ビーフシチュウとバゲット)、ハートランドビール、凍結酒

 @6000

  

    出発前夜だから酒も控え目

明日スーツケースを預けなければならないから荷作りも気にはなるが、その前に写真選びを優先した。

出かける前に南極でご一緒して住所がわかっている方には送ってしまいたいのだ。閉店間際に写真屋

に駆け込み、明日2時までに仕上げて!と無理なお願いをする。そのまま「金吹」。2月5日だけど今年

初めてだから明けましておめでとう。今日は男性のお客さんが妙に多い。24日早出してとお願いする。              

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2月 6日(火) 晴れ イヤになる位暖かい!

朝 家食 メンチカツトースト、「日清」のフォー、パイナップル、アロエヨーグルト

    食べ甲斐があるなぁ、これ。

今日こそ、荷作りに決着をつけねばならない。午後3時に受け取り人がくるのに、まだ何もやっていな

いのだ。その前に腹ごしらえ。南極ブレーメン号では極限まで太ってしまったが、帰国して調子が悪か

ったので2、3キロ痩せた。それをいいことに、ボリュームある朝食。メンチカツトーストをがぶり。旨い!

昼 四谷3丁目 「尾張屋」 カレー南蛮きしめん 780円

    オツユもごくごく飲み干します

写真を受け取る前にランチ。大好物のカレー南蛮きしめんを啜っていたら、ひらがな会社でご一緒だっ

N瀬さんが店に入っていらした。まぁお久しぶり。彼の事務所は近くなのでお会いしても不思議はな

いのだ。近況を報告しあいながら、きしめん完食。それではまたお会いしましょうね。次は写真、写真。

午後のお茶 三栄町 「ドトール」 アイスコーヒーM 230

無事スーツケースも預けた。とんでも無い枚数の写真から送る分を仕分けし、郵便局で投函。ついでに

帰国後に出す挨拶状用の切手700枚も買った。ホッとして「ドトール」でお茶。あと何するんだっけな。

夜 家食 魚介と野菜の中華煮、メンチカツとキャベツ、人参サラダ、ネギ納豆、ひじきスープ、ご飯、苺

  

筆耕の方にお願いしそびれた年賀状を元に、シコシコと挨拶状の宛名書き。ケッコー好きなんですわ、

これ。但し、好きな文字の住所、名前はまあまあの字になるのだが、キライな文字、苦手な文字が入っ

ていると小学生並の稚拙な字になる。いい年して恥かしいが、そうなっちゃう。「藤」「園」「也」「渋」「雅」

なんて文字はからっきし弱い。夕食の準備は10分で。だって買って来たものを温めてお皿に盛ればい

いんだもん。楽チンだ。で、美味しかった。食後は切手貼り。スポンジメンドーだから舌でやる。無酒日

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2月 7日(水) 晴れ

朝 家食 「マミーブレッド」のサンドイッチ、ポテトサラダ、グレープフルーツ、アロエヨーグルト

昨夜遅くまで頑張ったので7時に起きる。風呂、朝食を済ませてからは、手荷物の準備やざっと掃除、

ゴミ出しなど。いつものことだが、出かける前は忙しいのう。10時前に地下鉄で新宿西口からバスに。

昼 成田空港第二ターミナル チャイニーズレストラン「momo もやしラーメン 940

    もやしシャキシャキで旨いぞ!

空港に着くと、私の行動は班で押したように決まったパターンの行動をする。リムジンバスを降りると先

ずは1本煙草を吸い、旅行損害保険カウンターへ。登録してあるから手続きも簡単。下に下りて空いて

いる銀行で両替し、トイレに行った後は喫煙室でゆっくり1服。それから集合場所に行くというもの。受

付、チェックインを済ませた後はチャイニーズレストラン「momo」。おっ!もやしラーメン復活している。

夜−1 エジプト航空 成田=カイロ間 ファーストクラス機内食(日本食)

  

今日はエジプト航空に乗る。しかもファーストクラスだ。「ファーストクラスと申しましても、あのうそのうあ

まり期待されない方が・・・」と事前に聞いていたから期待せずに乗る。やっぱりそうだった。普通の航空

会社ならビジネスクラスでも歯ブラシ、耳栓、アイマスク、靴下などを入れた立派なアメニティボックスな

どくれるが、ここは剥き出しのスリッパを「はい」と渡すだけ。しかも「宗教上の理由により機内ではアル

コールは出しません」。トルコ航空は出すけど、イスラムでもいろいろあるのだね。日本食を希望するに

は3日前までに予約する必要がある。予約した。隣のオジサンが「俺もあっちがいい!」と駄々捏ねる。

−2 エジプト航空 成田=カイロ間 ファーストクラス機内食(日本食)

  

アルコール抜きのビールというものを飲んでみたが、不味くて1口でやめた。蒲鉾の前菜なら日本酒欲

しいなぁ。でもダメなのね。酒もダメ、煙草ダメ。着いたら夜だから眠らず本を読み14時間過す。1時間

遅れでカイロ空港到着。到着ロビーは日本人グループで溢れ返っている。ホテルの部屋に着くと深夜。

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2月 8日(木) エジプトのカイロもアスワンもアブシンベルも快晴    エジプトポンド=約20円

朝 カイロ・ヘリオポリス・シェラトン 朝食ヴュッフェ

このホテルでぐっすり寝ようと飛行機で眠らずに来たのに、昨夜は一睡も出来なかった。寝不足も風呂

に入って髪を洗ったら少しはすっきりした。朝食。生野菜、カットフルーツを避けると食べるモノ少なし。

午前のスナック カイロ=アスワン間機内食 ケーキ、ジュース、コーヒー

カイロ空港から国内線でアスワンへ。もちろんエジプト航空だから遅れる。え?ホテルにコート忘れた?

昼 アスワンのバスの中にて お弁当

  

                走るバスから撮影した蜃気楼。望遠レンズでしか撮れないよね。       ピラミッドではなく自然が作った造形美

荷物をピックアップして、バスに乗ったのは午後240分だった。そこで大きなお弁当が配られる。蓋

を開けてみると、サンドイッチ2つ、生のきゅうり半分、塩にぎり2個、きゅうりの漬け物、バナナ、ジュー

ス、水が入っていた。おにぎりと漬け物が旨い。左右はヌビア砂漠。「金の土地」を意味するヌビアはエ

ジプトでは無かったが、ラムセス2世に統治され、ルクソールから南は「上エジプト」と呼ばれるようにな

った。目指すアブ・シンベルは隣国スーダンとは間近い。見渡す限り不毛の砂漠・・・・あらら?あれはも

しかして蜃気楼ではないかしら。バスの中も騒然となる。確かに、遠くに見える景色は地面から浮き上

がっているじゃないか。トルコでも見たことがあるが撮影に成功したのは初めて。イヤー感動的だなぁ。

  

  人工のコンクリートの丘に神殿を嵌めこんだ     音と光のショーでは亡き城達也氏のような声のナレーションが

アブ・シンベル着。もちろん、かの有名なアブ・シンベル大神殿と小神殿を見るためだが、この土地に宿

泊する人だけが可能な「音と光のショー」を楽しむことと、朝日を見るあめに宿泊する。着いた途端、6

時から日本語バージョンのショーをやるよー!と言われ、慌ててスーツケースから防寒のコートなどを

引っ張り出して神殿に急ぐ。丁度日が沈むところで太陽を追って走った。おぉ、これがアブ・シンベル神

殿であるかぁ。大きな山にくり抜かれるように造られた神殿の正面には4体のラムセス2世の像。左か

ら2番目の像は造られて30年後地震で崩落したままだ。その100メートル離れたところに王妃ネフェ

ルトアリのための小宮殿がある。3300年前に完成し、世界遺産でもあるこの両神殿には大きな運命が

待ち構えていた。ナセル大統領時代、アスワンハイダム建設のために出来た巨大な人造湖(ナセル

湖)のため水没の危機に晒されたのだ。ユネスコの呼びかけに、世界の専門家の叡智を集め、1964

年から4年間かかって、元の位置から60メートルの現在の位置に移築したのである。神殿は東に向い

ている。その角度が1度ずれてはしまったが、荘厳な神殿は生き残った。光と音のショーが始まった。ラ

ラムセス2世の生涯、水没する危機などが神殿をスクリーンに映し出されるプロジェクターを駆使して幻

想的に演出されていた。見上げれば漆黒の夜空に降って来るような満天の星。感動の夜空であった。

夜 アブシンベル・ホテルセティ・ファースト 夕食ヴュッフェ ビール(ステラ) 20エジプトポンド、

      赤ワ イン 24ポンド

  

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2月 9日(金) 快晴じゃあ!

アブ・シンベル大神殿に朝の月が残る           ナセル湖から上る太陽    朝日を浴びて赤くなったアブ・シンベル大神殿

左が大神殿、右が小神殿          大神殿入り口のレリーフ    愛と美の女神ネフェルトアリの小神殿

3時半起床。この土地では一番良いホテルで、リゾートコテージ風なのだが、どうも衛生面やサービス

面でどうなんだ、と首を傾げるホテルであった。こんな早起きするのも朝日を見るため。5時10分には

朝のお祈りを呼びかけるアザーンが聞こえる。5時45分出発。夜明け前のアブ・シンベル大神殿は寒

いが空いていていい。今回スルーガイドとしてついてくれているMH氏から、歴史的な解説を聞く。彼

はカイロ大学で考古学を学んだ人で、その方面に造詣が深く、日本語も上手。そのうちナセル湖の向こ

うからスッと朝日が昇った。朝日を浴びた高さ20メートルのラムセス2世像の表情が一段の輝かしくな

った。大岩窟の神殿内部に入る。残念ながら撮影禁止。大列柱室のラムセス2世8体の後ろには、王

の海外遠征戦いの様子や神の捧げ物をするレリーフなどがあり、その写実的かつ美しさにただただ溜

め息・・・。3300年前にこんなもの作るかぁ?日本は縄文時代で土偶作ったり、製塩を始めた頃だよ?

す、す、素晴らしい!!古代人の構図の素晴らしさには、こと芸術に関して現代は負けているよなぁ。

 アブシンベル・ホテルセティ・ファースト 朝食ヴュッフェ

  

  第一ピラミッドの17倍もブロックを使ったアスワンハイダム                  世界一になるハズだった切りかけのオベリスク

たいしたことのない朝食を食べた後、バスでアスワンに戻る。当初飛行機で行くハズであったが、大幅

なオーバーブッキングで急遽バスに変わった。こんなことがあるから、フライトが遅れるなんてことで怒

ってはイケナイ。乗せて貰うだけでもアリガタイと思わねば。アスワンは、人口100万人の都市で、アス

ワンダム、アスワンハイダムで知られる。当時のソ連の援助でハイダムは作られた。ダムの完成で、莫

大な発電を可能にし、ナイル川の洪水を阻止し、ワニの被害を防いだ反面、アブ・シンベル大神殿を代

表とする遺跡の水没、そして全長500キロmの巨大なナセル湖が現れたために気候が変化して雨が

降りやすくなったのだそうだ。真冬の今でも30度を越えているが、真夏は60度近くになるらしいよ。ぞ

っとする。「切りかけのオベリスク」に行く。ルクソールの神殿に立つオベリスクはこの地の石を運んだ。

昼 アスワンナイル川 「アマルコT号」 レストラン ランチヴュッフェ

    今日から3泊するアマルコT号

  

  ファルーカという帆船がナイルに浮ぶ        これが私の部屋ロイヤルスィート      アマルコT号を背にファルーカに乗る

遅いランチは、5ッ星のアマルコ1号のレストランで。270隻余りあるナイル川観光船の中で、何度かベ

ストシップ賞に輝いた5つ星の船である。今日から3泊4日過すことになっている。奮発して3階船首の

ロイヤルスィートの客室を借りた。1人で使うには広々し過ぎているし、トイレも2つあるが、肝心のバル

コニーが無いではないか!パンフレットにはバルコニーあり!とあったぞ。そこで煙草を吸おうと思った

ので大きな違いだ。プンプン!夕刻、ファルーカという帆船に乗ってナイル川クルーズ。静かだからと自

己紹介を始めたが、川の銀座通りのように船の通航量が激しく、半分以上の人の声が聞こえず残念。

夜 「アマルコT号」 レストラン トマトクリームスープ、パン、パイのクリーム煮、シーザーズサラダ、

サーモンフィレ ライス添え、チョコムース、バースディケーキおこぼれ、ビール 20ポンド、白ワイ

ン 30ポンド、赤ワイン 30ポンド

  

    今日はK村さんのお誕生日でーす

夕食は午後8時から。他の日本人グループとスペイン人グループが一緒に乗っている。メイン料理はビ

ーフかサーモン。サーモンをチョイスしたのは私だけだった。結構美味しいじゃん。エジプトはイスラム

の国だから飛行機でもアルコールを出さないが、ビールもワインも国産がある。4千年以上も昔、ピラミ

ッドを造った人々は、仕事を終えてのビールが生き甲斐だったらしいし、ツタンカーメンなど王の墓には

ワインも埋葬されていたという。アブ・シンベルのホテルで飲んだ赤ワインは養命酒のようであったが、

この船ではまぁ飲めるワインだ。K村さんのお誕生日ということで、ハッピーバースデーの夜となった。  

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2月 10日(土) 今日も雲ひとつない快晴

  

私達が乗ったマルコス1号は5つ星の船          コムオンボ神殿の向こうから朝日が上がる

  

    ギリシャ風に見える二重神殿のコムオンボ   これが2100年前の暦だす           柱もエンタシス風ね

アスワンに停泊していた船は午前4時出航し、6時半コムオンボ着。1階のラウンジバーでコーヒーを飲

んでから6時45分コムオンボ神殿の見学。神殿は目の前にあるのだ。こういう時、川舟の旅って便利

だな、と思う。BC332年アレクサンダー大王がエジプトを征服し、臣下を置いて統治させたプトレマイオ

ス朝時代に作られたからかギリシャチックな神殿だ。そしてハヤブサのホルス神とワニのソベク神の2

つの神を祀る二重神殿になっているところが面白い。当時はワニに襲われる被害は多く、強きモノとし

てワニも神様になった。そうそうワニのミイラまでありましたよ。目を引いたのは、当時の暦のレリーフ

があったこと。当時は、1週間は10日、1月3週間、30×12360日+神の祝日5日という構成になっ

ていた。1年が365日あるということを古代エジプト人が発見したのは4千年以上も前のことで、洪水

の時期もそれが引く時もわかっていたというからたまタマゲル。我らのご先祖は土偶作っていたのに。 

朝 「アマルコT号」 レストラン 朝食ヴュッフェ+日本食朝食(鯖の塩焼き、ほうれん草のお浸

      し、漬 け物、玉子焼き、肉じゃが、ご飯、お粥、大根の味噌汁)

    嬉しい和朝食でーす!

別の船に乗ってしまい、走って出航時間に間に合った。さぁさぁ朝食。何と私達のために、エジプト人の

日本食シェフが船に乗り込んで、美味しい和朝食を作ってくれていた。鯖の塩焼き、ほうれん草のお浸

し、漬け物、玉子焼き、肉じゃが、ご飯、お粥、味噌汁は千六本の大根だ。出汁が利いていて旨い!!

屋上には水溜まりのようなプールがあるが誰も入らず  ナイル川のあちこちに中州がある       サッカーを楽しむ子供達

午前中は、屋上にあるスカイデッキでのんびりとナイル川のクルーズを楽しむ。実は、部屋で煙草を吸

えないことになったので、夕食後は部屋で濃いウィスキーを作って屋上で煙草をスパスパ吸っているし

朝一番には起きぬけの煙草も吸いに来る。昼間も煙草吸いながら読書したりで、結局スィートの部屋よ

り屋上にずっといることになった。南極の船旅はきつかったが、ここは全く揺れない。滑るように進む。

だから船酔い無問題ね。両岸には、エジプトの地方の人々の生活が垣間見えて興味深い。小さな土地

に野菜を育てている人、ロバに荷物を引かせる人、釣りをする人、放牧されている馬や牛、岸でサッカ

ーに興じる子供達・・・・のんびりした風景だ。ダムの完成で洪水の心配が無くなったから岸のギリギリ

まで畑が作られている。12時にエドフに到着し、2人づつ馬車でホルス神殿に向かう。ホルス神とは時

350キロで飛ぶというハヤブサの神だ。因みにエジプト航空のシンボルマークは、このハヤブサなの

だが・・いつも遅れるし・・・オカシイなぁ・・・・。馬車から町中を通る。人々の生き生きした様子を楽しむ。

          2人づつ馬車に乗って            ホルス神殿の立派な塔門       神殿の最奥にある至聖室

ホルス神殿はエジプトの遺跡の中でも保存状態が良いことで知られている。36メートルの塔門も立派。

中庭を経て歩を進めるとホルス神殿。大きなハヤブサの像がドシリと置かれている。古代人にとって、

ハヤブサ=速いものへの憧れだったのだろうか。列柱室の奥の至聖室は見事な作り。照りつける太陽

がジリジリと肌に痛い。今晩行われるガラベイヤ(民族衣装)パーティのために買い物。値引き交渉⇔

値上げ交渉の凄まじさに、最後にはヘトヘトだ。それでも50ドルというのを17ドルにしてやったぞ!!

昼 「アマルコT号」 レストラン ランチヴュッフェ

  

遅いランチは帰ってから。ランチではスープは2種、どっちも頂く。コンソメにレモンを絞る。その場で作

るスパゲティがなかなか。昨日から「マハラベア」というデザートが出されている。澱粉とミルクと砂糖で

作るらしいのだが、昨日はチョコレート味、今日はナッツとシナモン味だ。すっかり気に入ってしまった。

夕方のティータイム スカイデッキ 羊羹と日本茶

    ここのベンチが気持ちよかー

夕方、TBSの世界遺産のビデオを観る。あの頃のナレーターは緒方直人クンだったよね。5時から屋

上のサンデッキで羊羹と日本茶のティータイム。添乗員のSさんが持って来てくれたものだ。ご馳走様。

夜 「アマルコT号」 レストラン ディナーヴュッフェ ビール 20ポンド、白ワイン 30ポンド、赤ワイ

ン 30ポンド

  

エジプト料理のディナービュッフェの後、9時半からガラベイヤパーティがラウンジで開かれた。私もそ

れなりの恰好をしたが、どうも仮装大会のようで恥かしい。踊りながらのゲームで大いに盛り上がって

いたが、私はカメラマン30分やってから部屋に引き上げる。屋上で夜風に吹かれて酒を飲んでいた。

               __________________________

2月 11日(日) 毎日雲ひとつない晴れなのだ

朝 「アマルコT号」 レストラン 日本食朝食(鯖の塩焼き、漬け物、玉子焼き、大根おろし、肉じゃが、

ご飯、お粥、大根の味噌汁)

  

6時起床。窓の外を見ると船はルクソールに着いていた。今朝も美味しい和朝食を頂き満足。お替り。

  

                             メムノムの巨像           ピラミッドに似ているイル・クルン山            ラムセス4世の墓入り口

  

「トゥトアンクアムン」の黄金のマスクの写真      62番目に発見された「トゥトアンクアムン」の墓の看板と構造

8時下船してバスへ。そうそう下船についてお話しよう。観光船の場合、下船する場所はほぼ一緒。接

岸するには船が多過ぎる。そこでどうするか。既に他の船が接岸していたら、次に来た船は隣に横付

けする。その次も横づけ・・・・・って具合に多い時は4隻位がぴったりくっつけて横付けする。で、乗客は

いくつかの船のロビーを渡り歩きながら、岸に下りるという仕組み。アタマいいねぇ。今日はルクソール

の西岸観光。古代は、ナイル川を挟んで東側は「生きた町」、西側を「死んだ町」と位置づけていた。太

陽が出る東、沈む西である。だから今日は墓巡りだ。メムノンの巨像の近辺は、あちこちで遺跡の発掘

がせっせと行われていた。マダマダ出るのだろうな。いよいよ王家の谷。3500年前位前から始まった

新王国時代は、古王国時代、中王国時代ギザや今のカイロ近辺に作られたピラミッドという墓を止め、

都テーベ(ルクソール)の郊外の山奥に王の墓を作って隠すようになった。そんな工夫をしたのに、墓

はすべて盗掘の被害に遭い、ミイラや財宝はことごとく奪われてしまった。500年間に63の墓が発見

されたが、ただ一つ被害に遭わなかった墓が62番目に発見されたツタンカーメンの墓。「トゥトアンクア

ムン」が正式名で、ツタンカーメンと発音するのは日本人だけらしいよ。ラムセス6世の墓の下にあった

ので、盗掘を免れたようだ。ラムセス4世、ラムセス9世、「トゥトアンクアムン」の墓を見学したが、4世

の墓のヒエログリフ(聖刻文字)レリーフなどは色も鮮やかで、黄、青、白、赤など配色の素晴らしさに

舌を巻く。太陽神夜の航行「アムドゥアトの書」の絵もスンバラシイ。世界の宝だから納得はしているが

撮影できずに残念だ。「トゥトアンクアムン」の墓では人型棺が一つガラスに覆われ、12頭のマントヒヒ

が守っていた。王家の谷がここに作られた理由の1つはイル・クルン山がピラミッドに似ていたからね。

  正面に見えるのがハトシェプスト女王葬祭殿      楕円形の文字はカトルーシュ        破壊が激しく復元した像

ハトシェプスト女王葬祭殿は王家の谷の反対側にある。トトメス2世が亡くなった時、娘は20歳、息子

は6歳で、2人で共同統治することになっていたが、姉は腹違いの幼い弟は無視して女王の座に20年

間君臨した。ハトシェプスト女王である。この時代盛んに作られた葬祭殿だが、1997年「ルクソール事

件」と知られる悪夢のようなテロ事件が起こったことは記憶に新しい。971117日午前9時、待ち

伏せていた6人のイスラム原理主義過激派は200名の観光客に無差別銃撃を行い、ドイツ人、スイス

人、日本人(10人)、守衛など61名を殺し、80名以上が重軽傷を怒った陰惨な事件だ。エジプト政府

にとって30%を占める観光収入を激減させて政府転覆を図ったものらしいが、その事件の舞台がここ

だったのだよ。結果激減した観光客を呼び戻そうと、主な観光施設や大型ホテル、大型飲食店はすべ

て金属探知機を設置するなど保安体制は整えてはいる。でも10年経過していい加減だけどね。昔の

話に戻すと、腹違いの弟は姉の死後トトメス3世となったが、この葬祭殿に刻まれた姉の名前や姿をす

べて剥ぎ取ってしまう程の憎しみであったらしい。暑いし、また事件があったら大変だから急いで帰ろ。

昼 「アマルコT号」 レストラン ランチヴュッフェ

最後に貴族の墓に寄る。知事をやっていた貴族の墓だったが、壁に描かれた宴のレリーフが素晴らし

かった。美男・美女揃いで、今の世に連れて来ても十分にモデルやタレントになれそう。泣き女もいた。

夕方のティータイム 「アマルコT号」スカイデッキ コーヒー

  

  トゥトアンクアムン王はこんな顔だったらしい  ヒエログリフ教室で自分の名前を書く       タイヘンだ!隣の船が火事だよー!

夕方4時から考古庁の方がいらして「トゥトアンクアムンの死の謎」のテーマでレクチャーをしてくれた。

18歳の若さで亡くなったミイラの後頭部に傷があったことから、当初は暗殺説が有力であったが、後に

足に骨折の跡があり、馬車に乗っていて転倒した事故死であることが判明したんだって。頭蓋骨を元に

生前の顔を再現したのが上左の写真。ふーむ。続いてヒエログリフ講座。自分の名前を書いてみるが

文字というよりお絵かき。鳥が何度も出て来る人は苦労していた。ティータイムに屋上に上がってみる

と、横づけしたオーケストラ号からもくもくと煙が上がっている。ボヤでは報道カメラマンになれないね。

夜 「アマルコT号」 レストラン  マッシュルームスープ、パン、サーモンの前菜、ローストビーフ、フ

ルーツとチーズ、アップルタルト、ビール 20ポンド、白ワイン 30ポンド、赤ワイン 30ポンド

  

    夜のルクソール神殿とベリーダンスショー

アマルコ1号の船旅も今晩が最後になってしまった。速いなぁ。結局、アスワンからルクソールから200

キロ余りを3泊かけて走っただけだから、ほとんど停泊していたことになる。酔わないハズだよね。サヨ

ナラディナーということで、レストランはほの暗くキャンドル演出。料理はたいしたことなかったけど。10

時過ぎからベリーダンスショーが始まったが、明朝7時半下船予定なので、早めに失礼して荷物作り。

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【今週の振り返り】

「サバハラヘルー」。これがエジプトでの朝の挨拶だ。「鯖腹減る」と覚えると一発。ま、エジプトに限らず

アラビア語圏はみなそうだけど。こうみえて、結構歴史好きな私としては、もうずい分前にエジプトに来

て「鯖腹減る」じゃなかった「サバハラヘルー」で挨拶するハズだったのだが、実際に辿り着くには今日

まで時間がかかってしまった。仕事が忙しかった頃はジリジリとしながら諦めていて、ようやく8日間位

なら海外に出られるかと思ったら、97年のテロ事件だ。9月にカイロにあるエジプト考古学博物館前で

バスが襲撃されて外国人観光客が10名死亡し、エジプト人にも多数のケガ人を出した。その2ヶ月後

には前述した「ルクソール事件」が起こってしまった。日本人10名を含む61名の観光客が無差別射撃

で殺された事件は、世界を震撼とさせた。今でもハトシェプスト女王葬祭殿の大きな見取り図に殺され

た人が倒れた個所に×がたくさん入った新聞をよーく覚えている。私も震撼としちまったわけね。「ほと

ぼりが冷めて、安全を確信するまでは行かん!」ってことで。

この事件は観光が重要な産業のエジプトに大打撃を与え、もう本気の本気でテロ対策を始めた。アス

ワンからアブ・シンベルに向かうバスに乗ると一列目の座席に大きなピストルが置いてあってびっくり。

観光地に向かう大型バスには、警察官が警備のため乗り込むことになっているのだそうだ。遠い観光

地には、コンボイ(護衛隊)の先導車が無ければ行くことは出来ない。コンボイ先頭に、数十台のバス

が数珠繋ぎで進むのである。観光地、ホテル、飲食店も入場には、金属探知機のチェックと手荷物検

査を受ける必要がある。観光地にはゴロゴロと警備する警察官がいる。その厳重体制が巧を奏したの

か、それ以降は小さな事件はいくつかあったものの概ね安全で、またもや世界中から観光客が押し寄

せている。

世界四大文明の中でも、その古さ、遺跡の多さ、保存状態でエジプトは群を抜いている。エジプトの歴

史はざっと5千年あるから、カンタンにまとめるのはタイヘンだ。紀元前3千年、今から5千年前メネス

王が上下エジプトを統一したのが初期王国時代。それから3大ピラミッドで知られる古王国時代が465

0年前から4190年前ね。特に何の成果もなかった中王国時代の後の第二中間期には早くもヒクソス

が押し寄せて来て王朝を築いたこともある。そして古代の輝ける時代、新王国時代が3570年前から

3080年前だ。この時代はトトメス王、ハトシェプスト女王、ラムセス王11人なんてキラ星のごとく著名な

王を輩出している。が、王国は徐々に衰退し、2670年前の末期王朝時代になると、アッシリア、ペル

シャ、そしてアレキサンダー大王などが次々とエジプトを支配し、この時点から他国、多民族に支配さ

れ続ける歴史が始まる。ギリシャのプトレマイオス朝時代(クレオパトラ7世はここよ)、ローマ帝国・ビ

ザンチン帝国時代を経て、そこにアラブ民族が押し寄せイスラムの時代が始まる。ウマイヤ朝、アッパ

ース朝、トゥールーン朝、イフシード朝、ファーティマ朝、アイユーブ朝・・・あぁ疲れた・・・で、ナポレオン

が来た3年後にはオスマントルコの支配下に入る。オスマン朝時代の初代総督のモハメット・アリはじゃ

んじゃか金を使ったらしいね。イギリスの保護国、独立、革命を経て、エジプトが自分の国となったのは

何と1953年のことだ。あの素晴らしい文明を持っていたエジプトが、2660年もの長きの間、他国、多

民族に支配されていたことが事実であり、不思議なことでもある。さて、来週は、新王国時代、古王国

時代を旅する。スゴイよ!期待してね。

 来週はもっとスゴイんだニャア  期待しニャ

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