パクパク日記7年3月2週

          寒いトロントを経由して行った先は、常夏の国キューバだ!

コロンブス上陸地 チェ・ゲバラ

3月 5日(月) 今日も暖かいが、南風びゅーびゅー! 夕方から雨

朝のおめざ 「金沢鳥鶏庵」の鳥骨鶏カステラ、加賀「音羽堂」の紫雲石、「播磨屋」のおせんべい、加

賀棒茶

  

目が覚めた途端、異常な音に気がつく。風の音だ。何せ高層マンションの23階に住んでいるから、強

い南風が容赦なく建物に吹き付ける音がスゴイんである。揺れてはいないが、揺れているような気もす

る。こんな状態ではおちおち朝食なんか作れないなぁ、と言いながら朝風呂。朝は北陸土産のお菓子

で済ませてしまおう。鳥骨鶏の卵で作ったカステラ。10日で1個しか卵を生まないから卵1個500円も

する、って以前話題になったよね。4切れ位の厚さで1360円。やっぱ高いわなぁ。紫雲石も美味しい。

昼 三栄町 「じゃがいも」 野菜カレー辛口(スープ、サラダ付き) 840円+コロッケのトッピング 

       130 円、曜日サービス茹で卵付き

    月曜は玉子サービス

N原先生の治療院で、またも盛大な毒が出た。多分金曜夜の蟹の味噌3ハイ分だろうな。「それにして

も夢子さん、尾張屋のカツ丼よく食べているよねぇ」と言われ、行くのをヤメタ。カレーだ。ビーフカレー

専門店と看板に書いてあるのに、店名は「じゃがいも」。オーダーを聞いていると、ビーフカレーを注文

した人は15人中1人だけだった。月曜日は卵サービス。茹で卵に、コロッケ乗せてね。量があり過ぎ。

いろいろ事情があって、何と今日南極の写真のプリントをすべて取りに行った。エジプト分の写真は全

部終わったというのにね。重―い写真を持っていると、この私でさえ強風で飛ばされそう。ホントだよ。

夕方のおやつ 歌舞伎座 「欅」 さくらアイスクリーム 600

    今月も通し狂言だす

雨が降り始めた頃、歌舞伎座に急ぐ。今月に限って、夜の部が415分から始まるのだ。今月の歌

舞伎座は通し狂言の「義経千本桜」。それをうっかりして夜の部を先に観ることになっちゃった。ま、何

度も観ている芝居だから、後半からでは筋がわかんない、なんてことは無いけど。「義経千本桜」とは

言うが実は義経はちょい役で、それを囲む人々の話。夜の部は四幕目「木の実」、「小金吾討死」、五

幕目「すし屋」、大詰「川連法眼館」、「奥庭」。今日のお目当ては、「すし屋」でいがみの権太に扮する

仁左衛門。どうしようも無い不良息子の権太だが、どこか憎めず、最後はマットウになろうとして父親に

殺される。最前列の真ん中で、死にゆく権太に涙する夢子・・・。あぁ、死んじゃった。大詰「川連法眼館」

の主役は佐藤忠信(実は源九郎狐に扮する菊五郎。源九郎狐には、主に「澤潟屋型」と「音羽屋型」の2

つの型があって、私はこれまで市川猿之助丈が演じるケレンに充ちた「澤潟屋型」を見続けて来た。今日

は菊五郎だから、もちろん「音羽屋型」。情重視の狐は可愛いらしいが、「澤潟屋型」に比べて迫力はない。

夜 銀座 バー「Lamp」 オイルサーディン(竹中商店) 有馬山椒添え、フレッシュチーズの盛り合わ

せ(ショートポーション)、ソフトバゲット、ドラフトビール、タンカレートニック 2杯 @7200

  

「奥庭」は観なくていいや、と終演10分前に歌舞伎座を出る。やっぱり雨。すごい雨。そのまま帰ろうと

か思ったが、久々に「Lamp」に行く。今日の舞台では、弥助(実は三位中将維盛)を演じた時蔵が良か

ったなぁ。そうそう、すし屋では、我當、秀太郎、仁左衛門の三兄弟と仁左衛門の息子の孝太郎が舞台

に上がっていたことを思い出す。え?N山さん、お酒買って来て欲しいの?もう3本頼まれているのに。

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3月 6日(火) 晴れ 午後一時雨 夜になって風強し

朝のおめざ 「金沢鳥鶏庵」の鳥骨鶏カステラ、加賀「音羽堂」の紫雲石、「播磨屋」のおせんべい、加

賀棒茶

 2日続きのおめざです

南極の写真を、次の海外に出かける前に決着をつけたい。それで昨夜午前2時まで頑張って、宛名書

きやアルバム作りに励んだ。今朝も朝刊読む間もなく、作業の続き。こうゆう反復作業得意なんですわ。

だから、朝飯の代わりにまたも甘い物だ。昼の営業が終わらないうちに「礼華」に行きたい。2時まで?

昼 新宿御苑 「礼華」 酸辣湯麺 1000円、特製杏仁豆腐 300

  

区役所に住民票を取りに行くついでに、「礼華」に行こうと思っていたのに、時間が迫っていたから昼飯

を優先。急ぎ足で歩いて来たので汗びっしょりだ。その上、ゆるいトロミのついた酸辣湯麺のスープを

全部飲み干したから、滝のように汗が流れた。うまい!ここの料理は丁寧に作ってあるのがいいなぁ。

ランチタイムは2時半までと知る。あーあ、である。区役所で住民票を貰ってゆっくりと歩いて帰った。

夜 丸の内 「東京會舘」 着席式パーティ 東京會舘のご馳走いろいろ

  

3部の司会者はこんな扮装で登場!      ありがとう!A森                    

午後5時まで明日の夜の予定とカン違いしていた。7時に荒木町で飲むんだ、って。突然気がついた。

ちゃうよ!今晩は東京會舘で6時からパーティだったぁ!!!大慌てで支度してタクシー。何のパーテ

ィか。19年間走り続けたランナーへの感謝の会。彼女は先日現役選手から引退したのだ。新入社員

の時から職場で私の部下であったが、誰も期待しない選手だった。本人以外は。遅咲きではあったが、

ある時から花を咲かせ、日本中を、いや世界中に感動を巻き起こした。アトランタまで応援に行った私

の前で、2つ目のメダルを取った。彼女をよく知るごく少人数の集まりだったが、彼女のスピーチにジジ

もババも涙がぼろぼろ。泣かせ上手でもあるのだ、彼女は。本当に長い間、感動と勇気をありがとう!

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3月 7日(水) 晴れ 昨日より7度低くて、ちっと寒い でも平年並み

朝 家食 「福屋ベーカリー」の海老バーガーとクリームデニッシュ、マカロニサラダ、コーンスープ、りん

ご、アロエヨーグルト

  

先週の振り返りで、通常雪が降る地域には雪を!とお願いしたら、早速雪が降ったようで、一安心。ま、

いまさら降っても役立たずってこともあるかもしれないが、春の水は雪解け水を当てにしているところも

あるしね。四谷3丁目界隈から、軽井沢のパン屋「浅野屋」が消えて数ヶ月。泣きたくなる程淋しいが、

そうなったら、新宿通りの向かい側の「福屋ベーカリー」を利用するしかなくなった。この店、パンの他に

もお弁当やおかずも売っていて地元の勤め人から絶大の支持を受けている。まぁ普通の味だけどね。

昼 代々木 「プロント」 空豆・グリーンアスパラ・ベーコンの和風スパゲティ 680円、コーヒー 180

    春らしいスパゲッティ

代々木の整体で信じられない程の大汗を流した。史上最高かも。私の特技と言えば「大汗かき」くらい

しか無いの。四谷ランチのつもりが、入院させていたご飯カメラのピーちゃんを新宿に迎えに行くことに

なり、急いで代々木でカンタン飯。「プロント」でコーヒーを飲んでいると、よくスパゲッティを食べている

人がいたが、今まで一度も食べたことがない。結論。そんなに悪くない。下手なイタ飯屋よりいいかも。

午後のお茶 新宿 「但馬屋珈琲店」 パプアニューギニア 620

ピーちゃんは病院(メーカー)で、「どこも悪いとこありません」と言われて元気で帰って来た。どこも悪く

ないのなら、どーしてレンズが閉まらなくなったのよ!でもタダだったから許す。ついでに、デジタル一

眼レフをもう1台買ってしまった。世界中に連れて行かれ、毎回数千枚も撮らされ、山椒太夫のような夢

子さんに酷使されているペンタ君を少し休ませて入院させようと思うのだ。2年前に買ったのに、同機種

はもう売っていないのだって。弟分にあたるバージョンアップした機種にした。手ブレ補正が出来るヤツ。

久々に大ガードの前のペットショップで、子猫や子犬を暫し見た後、珈琲店に「本日のストレートコーヒ

ー パプアニューギニア」の文字を発見。そんなところでコーヒー取れるの?と入ってみた。結構いい。

夜−1 荒木町 「ます味」 コース(前菜:穴子の肝・さざえ・さいまき海老・公魚の南蛮漬け・あん胆・

ほたるイカの酢味噌、お造り:穴子の薄造り・イナダ・平貝、穴子のたたき、ふぐ白子の卵とじ、穴

子蒲焼の蕗巻、揚げ物:穴子と竹の子・タラの芽、穴子丼、蜆汁、香の物、水菓子:グレープフル

ーツゼリーとイチゴ)、生ビール、冷酒 「立山」 @1万2千円

  

  

  

そうそう、約束は今日だったわ、昨日カン違いした「ます味」での飲み会。ご一緒したアッコちゃん(♂)

は、パクパクを熟読しており、飲みに行く日が決まると「仙水」「おちあい」「ます味」でお願いします、っ

てその都度、具体的に希望が出てくるから楽チン。今日の一番は穴子蒲焼の蕗巻。2人で唸って「うん

まい!」と叫んだのだが、あららー写真撮るの忘れちゃったよ。空の皿ですんません。最後の穴子丼も

実に旨かった。香ばしくて、穴子の魅力が凝縮された丼である。南極の写真を20枚程もっていたので、

アッコちゃんとご主人にお見せしたら、カンドーされちゃった。「これなら、何度も南極に行く人がいるの

わかります」って。カメラのペンタ君が優秀なのか、カメラマン(私 ひひ)の腕がいいのか?借りたい?

夜―2 荒木町 「Blue Sanya」 ジントニック 2杯

以前荒木町の二次会は度々「ワイングラス」に行っていた。ところが閉店してしまいガッカリしていたの

だが、新しく「Blue Sanya」として営業していた。ブルースーニヤ。青空+ブルースバーって意味を感

じて欲しいらしい。内装は以前のまま。近くの「坊主バー」のご主人が2軒目として営業されている由。

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3月 8日(木) 晴れ

朝 家食 玉葱カレーうどん、「あらや」の温泉卵、アロエヨーグルト

    出発前は汁緬になる

今日の午後、スーツケースを預けねばならない。然るに、何の準備もしていないのだよ。当日だってへ

いちゃらさ、慣れているからね。ほら、1時間10分で終わっちゃったぞ。玉葱たっぷりのカレーうどん。

昼 三栄町 「ドトール」 サンドイッチ 230円、アイスコーヒーM 230

郵便局に行く。今朝届いた小さい掃除機用のカドニウム電池の不要になったものをメーカーに回収して

貰うために送ること、和歌山の農園に支払いすること、この2つが用件。郵便局に着いたら振り込み用

紙が見つからない。出て来る前、段ボールを開けて振り込み用紙出したじゃん。でも、無い。仕方なく家

に戻ったら、玄関の棚に置いてあった・・・・馬鹿か、お前は。もう一度郵便局に行ったのだよ。そういえ

ば、電池交換する時、どうしても接続端子が外れない。汗ぽたぽた。1階の入り口にいるマンションのコ

ンシェルジェのオジサンに「これ外してー!」とお願いに行った。15秒で外れた。私はやっぱり阿呆だ。

夜 家食 三色稲荷ずし(醤油、黒糖、黒酢)、天麩羅うどん、もずく酢、りんご、黒烏龍茶

  

午後4時、福山通運がスーツケースを取りに来た。ほとんど同じオジサンが来る。毎月来るので、「毎

度!」って言葉にも実感がこもっている。洗濯、冷蔵庫の整理、5月・6月の旅行の申し込み、手荷物の

準備、木曜日までのパクパクの作成、帰国後の飲み会や観劇の相談メール、古新聞の整理、段ボー

ルの整理・・・・用事はいくらでも涌いてくるようにある。夕食なんかどーでもいいって感じになる。大好き

なお稲荷さんとうどんのチョーカンタン晩ご飯。条件は10分以内にできることってことで作った。無酒日

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3月 9日(金) 晴れ

第1食 家食 そぼろと煎り卵の2色ご飯、天麩羅きしめん、温泉卵、りんご、アロエヨーグルト

    朝から元気にモリモリ!

7時起床。出かけるまで忙しいぞー!と言いながらノンキに朝刊読んでいる。そうそう、今年は記録的

な暖冬だから、桜の開花もメチャンコ早いって数日前から騒いでいる。東京は3月18日?数年前16

日に桜が咲き始めて、靖国神社の桜祭り(4月1日から)には全く桜が無い!なんてことあったよな。20

日に帰国するので何とか花見はできるか。朝からきしめんなど作って食欲旺盛なのだった。さて出発。

第2食 新宿ハルク 「メゾン デ カレールー」 きのこの和風スパゲティ、サラダ、コーヒー 1050

  

新宿駅西口のビッグカメラに先ず行き、カメラのペンタ君を入院させる。壊れているのではなく、お掃除

するためだから検査入院みたいなものね。留守の間にキレイになっているんだよー。だから今回の旅

にはペンタ君と同機種で手ブレ防止装置のついた新顔「テブ君」がデビュー旅を飾る。腹ごしらえはま

たしても「メゾンデカレールー」。だって同じビルの地下にあるから便利なんだもん。余り旨くなかった。

第3食 エアカナダ 成田=トロント ビジネス機内食 和食コース、ジントニック2杯、白ワイン、

       赤ワイ ン 2杯

  

  

成田の第一ターミナルで、関西組と合流。成田組は5人、関西組は8人で添乗員のN村さん合わせて

14名が今回のメンバーだ。当初、3月27日成田出発のハズであったが、そのグループにキャンセル者

がドッと出て催行中止。止む無く1週繰り上げて、この組に合流することとなった。毎月海外の私にはス

ケジュール調整がタイヘンであった。エアカナダは、スターアライアンスに加盟しているから、ANAのビ

ジネスラウンジを利用できる。蕎麦やうどん、稲荷寿司などあって食べ物関係が充実しているけど、お

腹空いてないよ。機内食は和食を注文。ジントニックやワインをグビグビ飲んでバクバク食べて寝た。

第4食 エアカナダ 成田=トロント ビジネス機内食

  

成田=トロント間は12時間10分。時差は14時間だ。去年の2月、やっぱりエアカナダでトロントに飛

んでアルゼンチン&ブラジルに行ったっけ。あの時は気温マイナス10度で雪も降り、ムチャ寒かった記

憶がある。隣の席が怪しい。デッカイ男性がおにぎりと和食コースをムシャムシャ食べて寝ていたかと

思うと、次は痩せたおじさんが座ってジュースなんか飲んでいる。次に目が覚めたら、またデッカイ男性

が寝ていた。??CAに聞いたところ、隣はパイロット席で、3人が交代で休憩しているのだそうだよ。

第5食 トロント 「ヒルトン・トロント・エアポート」 トマトとシーフードのスープ、パン、サーモンのフ

      ィレ 温野菜添え、チョコレートケーキ、ビール 5カナダドル、ワイン 10カナダドル

  

午後335分トロント着。日本時間では午前535分だ。シャトルバスで、空港近くの「ヒルトン・トロ

ント・エアポート」に行く。空港近くのホテルはどこもこんなものだが、殺風景で機能優先のホテルでは

ある。今日は24時間+14時間で38時間もある。だから、ご飯も5回食べるのだ。食欲があまりなく、ち

ょっと料理をつついただけ。いきなりここで自己紹介ですかい?喉に鮭がつまっちまうぞ。よろしくです。

                 _____________________

3月 10日(土) トロントは雨 ハバナは晴れ

朝 トロント 「ヒルトン・トロント・エアポート」 朝食ヴュッフェ

    レストランには1番乗り

455分起床。何せ昨夜は950分に、しかも誘眠剤レンドルミンを半錠飲んで寝たからぐっすり。

朝食レストランには一番に行き、作り立ての料理をパクつく。7時10分にはチェックアウトして出発だ。

昼 エアカナダ トロント=ハバナ ビジネス機内食

  

カナダのトロントとキューバでは遠いのでは?なんて思っているでしょ。そんな人は地図を見んしゃい!

トロントから真下(南)にピーッと下りると、ほらキューバがあるでしょ?経度はほとんど同じだから時差

も同じ。3時間40分で、厳寒のトロントから灼熱のキューバに着いてしまうんである。同じカナダのバン

クーバーまで5時間かかるから、それより近い。日本で言えば、グアムに行くような感覚ね。その他キュ

ーバに行くには、国交断絶しているアメリカ経由は不可。メキシコ経由、或いはアメリカ諸都市からバハ

マ諸島やジャマイカなどを経由する。隣の席には、10歳位の女の子が1人で乗っていた。それもビジネ

ス席に1人。お金持ちの祖父母がキューバにいるのだろうか。家出してキューバ旅に出たわけじゃあな

いだろうなぁ。機内食にとても美味しいパンが出て来る。2つも食べた。成田=トロントとは違うパンだ。

深夜 キューバ・オルギン 弁当

    今何時だと思います?午前210分!!!

午後2時過ぎ、ホセ・マルティン国際空港に着いた。ユーロを兌換ペソに両替。ユーロやカナダドルなど

からは手数料8%だが、アメリカドルは20%も取られる。こうゆうところにも「アメリカ憎し」が感じられる

なぁ。観光業に力を入れているってわりに、空港にはポーターがいない。自分でゴロゴロスーツケース

を引いてバス。国内線の空港までは10分だ。3時前に着いた。そこからがイケナイ。国内線のオルギ

ン行きは夜7時頃のフライトらしいよ、という情報だけしかない。それが8時になりました、とアナウンス

があり、機材が着いていないので遅れます、機材はどこから飛んで来るのかわかりません、9時半には

搭乗開始するかもしれません・・・結局ちっぽけな飛行機に乗ったは午後10時!この7時間、狭くて汚

くてハエがビンビン飛んでいて暗くて設備がなっていない空港待合室にずっといたのだ。ギューギュー

詰めで乗った機内では、夜遅いにも係わらず飲み物だけのサービス。CA2人はエラク美人だったが

何と口もとに薄っすらとヒゲを生やしているのである!キューバではこれが流行?ゲゲゲであったぞ。

キューバ南部というか東部のオルギン空港でバスに乗ったら1150分。「みなさーん、明日からキュ

ーバはサマータイムになりまーす。時計1時間進めてくださーい!」。ホテルに着いたら午前2時を過ぎ

ていた。夕飯はどうなる・・・。ロビーに弁当が積み上げてあり、そのへんで食べてって。泣きたくなる。

                 ______________________

3月 11日(日) ハバナ・オルギンもサンチャゴ・デ・クーバも晴れ    1兌換ペソ=約120円

朝 オルギン 「ホテル ブリサス グアルダ ラバカ」 朝食ヴュッフェ

昨夜3時半に寝たのに6時半に面白い鳴き声の鳥に起こされた。このホテルは海に面したリゾートホテ

ル。たくさんのコテージに分かれていて、昨夜真っ暗な中で部屋を探すのがタイヘンだった。滞在中は

黄色のテープを腕にパチンと嵌められ、これを見せればホテルのゲストである証明になり、レストランで

は食べ放題、飲み放題になるんですって。でも深夜着いて朝9時に出発するのではタイシテ意味が無

いし、ホテルの囚人の気分だ。添乗員のN村さんの姿が見えない。部屋に電話して起こしてあげた。

バスから馬車に乗り換えて   ハイビスカスやブーゲンビリアが咲き乱れ    ここにコロンブスが上陸した

先住民のインディオが住んだ家はこんな       先住民の祈りの儀式     そこにスペイン人(左)がやってくる

キューバ最初のホテルは、見た目「リゾート!!」って感じなのに、メンテナンスがなっていない。バスタ

ブはあったが、栓が無い。風呂に入れないからシャワーしか使えんわな。しかもお湯が出ない。水シャ

ワーだ。冷蔵庫はカラッポでドアが開いており、スイッチは抜いてある。金庫は壊れている・・・・・。9

出発してバリアイ湾に行く。バリアイ湾のある島には馬車に乗り換えて。ここにコロンブスがキューバに

初めて上陸した。14921028日のことだ。それまでキューバの地に住んでいた先住民のインディ

オ達は、スペイン人移植で齎された伝染病や、サトウキビ畑での過酷な労働で全滅させられてしまう。

湾の前に、そのインディオ達が住んでいたであろう椰子の葉で葺いた家が再現され、インディオの宗教

的な踊りなどが披露された。そこにコロンブスなどのスペイン人がやって来るというストーリーが演じら

れるのだが、暑くて見ているのもシンドイ。しかし真っ青な海と空、大王椰子の木、咲き乱れる花々。コ

ロンブスが「この世で一番美しい土地」と言った(らしい)のもムベナルかなという美しい場所であった。

           オルギンの革命広場   細長い石には独立戦争・革命の偉人達の肖像が       十字架の丘

オルギンの町。革命広場でバスを降りたら、照りつける太陽にクラクラする。これから訪れる町にほとん

ど革命広場があった。2回に渡る独立戦争、現政権の革命を忘れまいぞ、という国の意志なんだね。

昼 オルギン 「サロン1720」 サラダ、パン、チキンソティ 温野菜添え、ライス、アイスクリーム、コー

ヒー、マンゴジュース 1,5ペソ

  

  

  

街の広場には夥しい人々が集まっていた。何でも「本の市」が開催されていて、それに集まった人達と

いう。キューバの人はそんなに本好きとも思えないのだが、そうか、今日は日曜日だから遊びに来たの

ね。ランチは、その店名通り1720年に建造されたお洒落なお店で。食事が始まると、トリオバンドが現

れ、「ベサメ・ムーチョ」、「キサス・キサス・キサス」などの懐かしいラテン音楽を演奏し始めた。昔は日

本でもトリオ・ロス・パンチョスとかトリオ・ロス・チカロスとかラテンコーラスが大流行した時代があった。

夜 サンチャゴ・デ・クーバ 「メリア サンチャゴ・デ・クーバ」 夕食ヴュッフェ、ビール 2,5ペソ、白ワ

イン&赤ワイン @3ペソ

  

昼食後、バスはサンチャゴ・デ・クーバに向かう。「この旅一番の悪路ですから、皆さん気をつけて」とN

村ミホちゃんが叫んでいたが、2時間全員が爆睡していて悪路にも気がつかなかった。昨日1日の疲

れがドッと出た。440分、サンチャゴ・デ・クーバのホテル到着。この町はキューバ第二の都市であり

ハバナの前の首都でもあった。ホテルのロビーで待っていると、向こうの方から手を振って走って来る

人がいる。1年前、一緒にアルゼンチン&ブラジルに行ったまゆみちゃんだった!長野県駒ヶ根市に住

む父娘で参加していた。父上もキューバに来る予定だったが、足の具合が悪くてキャンセルしたらしい。

それにしても奇遇だねぇと暫くお喋りした。夕食はホテルの巨大なレストランでヴュッフェ。少食にした。

                 _____________________

【今週の振り返り】

キューバという国は、私の人生に何度か顔を出したり、消えたり、またひょっこり出て来たりする不思議

な存在であった。子供の頃、キューバ危機というのがあった。食べる以外は、歌っているボーっとした少

女時代を送っていた私だから、ニュースが伝えるその「危機」ってのがどういうものかはトンとわからな

かったが、大人達の緊張した様子はビンビンと伝わっては来た。当時のソ連がアメリカのすぐ足元にあ

るキューバに核ミサイルを配備し、米ソの冷戦が一挙に緊張した事件であった。革命後共産圏に近づ

いていたキューバのカストロは、ソ連から兵器を提供して貰う代償として自国に核ミサイルの配備を承

認した。あわや第三次世界大戦開始かと世界中が凍りついた13日間であったが、飽くまでも冷静でし

かも強気のアメリカのケネディ大統領に、ソ連のフルシチョフ首相が譲歩し、ミサイルは撤去された。キ

ューバに、カストロに何の相談もなしに。そのニュースの中で、アナウンサーが「カストロ、カストロ」と何

度も叫んでいた。この事件は「13DAYS」という映画になったね。子供の私はカストロ、カストロ、カステ

ラ食べたーい!!

大学の第二外国語に何を血迷ったかフランス語なんか選んでしまった。ヤメレバいーのに都知事3選

を狙うっていうあの石原さんがフランス語なんて理に叶わない言葉だなんて言っていたけど、私は入り

口でマゴマゴしているうちに、クラスメートはずーっと先まで進んでしまって、1人取り残された。2年のフ

ランス語の先生は、隣の大学から講師として来た方。その先生は、フランス語の授業はほとんどせず

に、心酔しているチェ・ゲバラの話ばかりしていた。アルゼンチン生まれの医大生だったゲバラは、南米

各地をバイクで放浪すること2回。そんな中、メキシコでカストロの弟ラウルと知り合う。53年サンチャ

ゴ・デ・クーバで革命の始まりモンカダ兵営舎襲撃に失敗し、逮捕されたが2年間の収監の後恩赦でメ

キシコに来ていたカストロ兄弟。兄カストロとも意気投合したゲバラは、軍医として1955年キューバに

上陸する。その後革命軍の副将格の存在となり、19591月1日成功したキューバ革命軍の重鎮とも

なった。カストロ兄弟達と新しい国作りをするゲバラであったが、彼にはキューバ一国は狭過ぎた。解

放されていない国々を社会主義の国にしたかったのだ。アフリカに渡ったり、ボリビアで独立戦争の支

援を続けたりするが、ボリビアの地で処刑され39歳で命を落とした。20歳の私は、週に1回チェ・ゲバ

ラ、チェ・ゲバラと聞かされ続けて来た。

4年4ヶ月前、そんなキューバに行ってみようじゃないか、と思い立った。1月のツァーに申し込んだ。そ

こに電話がなり、社長から折り入って話があると。で、キューバの旅はオジャンになった。今年80歳に

なるカストロさんが昨年から入院しているというニュースが流れた。一応元気になったとも伝えられたが

急がねばならん。カストロ・キューバを一度味わって来なくっちゃ。そんなことで今この国にいる。キュー

バの顔は、次の3月3週のお楽しみ!急いで作るから、ちょっとだけ待っててねー。

         で、フランス語の成績は? 「可」? ニャーんだ

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