パクパク日記7年4月1週
花盛りの南北キプロスに行った。そこってどこだ?東地中海だよん。
サラミス遺跡
ヴィーナス誕生の海
(先週の続き) 4月1日(日) 東京は晴れ 24度を越えた
夜−1 浜松町 「PALATIN」 コーンクリームスープカップサイズ 260円、但馬牛ハンバーグと蟹コ
ロッケ 1180円、ライス 210円
平日昼しか、辛いカレーは無いんだってさ
夕刻長いフライトに備えてお風呂に入ってから、5時45分家を後にする。今回は関空経由なので、成
田でなく羽田に行くのだ。機内食は深夜になるので、浜松町で腹ごしらえ。例のムチャ辛いカレーを食
べようとメニューを見ると無い!食べる人が少なくてメニューから外されたのか。それだと困るぞ。中国
人ウェイトレスが「それ夜ナイです。土日もナイです」と言う。平日昼だけのメニューらしい。安心したぞ。
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4月 2日(月) キプロス・ロルナカとニコシアは晴れ キプロスポンド=約280円
夜―2 エミレーツ航空 関西空港=ドバイ機内食 和食コース
羽田から出発組は4人。その中に、O竹さんがいたのにはビックリ。彼女とはちょうど1年前、旧ユーゴ
の旅でご一緒したのだ。日程表には関空までエミレーツ航空と表示されていたが、JALとの共同運航
便なのね。実はなぁ、私、関空行くの初めてですねん。思ったより、こじんまりした空港やね。関西発の
方々は既にチェックインを済ませ、添乗員のI田ユーコさんだけが待っていた。さぁさぁ時間ないねん、
はよ乗らな。実はなぁ、私、エミレーツ航空に乗るのも初めてですねん。そのビジネスクラスはどないや
ろ。ほぉ、豪華でんなぁ。エアバス500のピッカピカの機材でカプセルのような座席。やたらボタンがギ
ョウサンあって、ほぉ、座席にマッサージ機能もついてますやん。電話もかけられんや。食事は普通。
朝−1 エミレーツ航空 関西空港=ドバイ機内食 和食コース
メインがこの後出て、朝飯としては多過ぎますわなぁ
関空=ドバイ間は約11時間。酒もガンガン飲んだから、酔っ払ってよく寝たようだ。着陸2時間前に朝
食が出る。これがまたたっぷりで、全部食べたら確実に豚になりそうな食事だった。茶蕎麦とフルーツ。
朝―2 エミレーツ航空 ドバイ=ラルナカ機内食
ドバイ空港に到着したのは午前5時半だった。実はなぁ、私、アラビア半島も初めてですねん。「中近東
はこれから」と決めているから。ドバイもこれから何度も来ることになるのだろうな。エミレーツ航空のビ
ジネスラウンジは、早朝にもかかわらず乗客でゴッタがえしていた。ここを起点に中近東、欧州、アジア
に飛んで行くのだ。8時半発のラルナカ=マルタ行きに乗り込む。今日3度目になる食事がまたも朝食
という不思議な経験だ。バスケットに入ったパンがどれも温かくて、美味しい。3つも食べてしまったぞ。
聖ラザロ教会は内部撮影禁止 ハル・スルタン・ティッケ・モスク ミモザが満開だった
ドバイと日本の時差は5時間、キプロスとは6時間。キプロスの玄関口ラルナカに着いたのは午前10
時50分であった。入国審査で「ウエルカム キプロス!」と言われてビックリ。スルーガイドのイリーニさ
んが待っていた。「煎り煮」と覚えることにした。イスラエルで死亡し、キリストによって蘇生されたラザロ
は、キプロスに来て主教として30年過した後、ここで2度目の死を迎える。その墓の上に建てられたの
が聖ラザロ教会である。120枚のイコンが見事だったが、撮影は禁止。次にラルナカ考古学博物館に
行くが、ここも撮影禁止だ。これから観光に力入れるなら、こーゆーことじゃ困る。フラッシュ焚かないよ
うにすればいいと思うのだが。1万年の長い歴史を持つキプロスだけに、BC7000年ヒロキティアの遺
跡から発掘された出土品が興味深い。ラルナカ観光の最後は、塩湖のほとりに佇むハル・スルタン・テ
ィッケ・モスクへ。別名ウム・ハラム廟といい、イスラム予言者ムハンマドの叔母が祀られているのだそ
うだ。だから、イスラムではメッカ、メディナに次いで3番目に重要なモスクという説明があったが、その
わりに祈りに来る人も見学する人も少ないのだった。ホメイニ師の祖母はここで亡くなったのだそうよ。
昼 キプロス・ニコシア 「Byzantinos」 サラダ、2種のディップ、パン、ポークチョップ ポテトとピラフ
添え、ケーキ、コーヒー
バスを飛ばして首都ニコシアに着いたのは午後3時過ぎ。これからようやくランチなのだよ。前菜代わり
かディップが出て来る。メインのポークはデカイぞ。なるほど、量が多いと聞いていたが、キプロスの食
事は期待できそうだ。食後、未だ観光するの?もう疲れたよー。はいはい、わかりました、行きましょ。
実質初日の今日、どうしてこんな強行軍なのかと言えば、帰る日に予定していたラルナカ観光が、イー
スターのためすべて閉館されるため、今日に繰り上げているのだ。ビザンチン美術館(イコン美術館)、
聖ヨハネ教会、大主教の館、自由の記念像などを見学して、ようようホテルに辿り着いたのは5時半。
夜 ニコシア 「ホリディイン・ニコシア」 トマトスープ、パン、チキンソティ キノコソース温野菜添え、ア
イスクリームとフルーツ、ビール 5ドル、ワイン赤&白 @4ドル
(レストランが暗く、写真の出来が余りに悪いので写真は割愛します)
ホテルでチェックインを待っている間、キレイな女性が手を振っているのに気がついた。1月に南極にご
一緒した名古屋支店のK村さんだった。O竹さんといい、K村さんといい、バッタリが面白い。ランチが
遅かったので、夕食は8時から。ほの暗過ぎて料理の写真が撮れない。やっぱりご飯カメラのPちゃん
じゃないとね。Pちゃんは入院中で、ホテルカメラのテンちゃんが料理も兼任しているのだ。たっぷりのト
マトスープ。わぁ嬉しい!熱々だぁ。「こんなに食べられんわ」と皆言う。じゃ、ちょーだい!デッカイ器の
トマトスープ。おいちい!嬉ちい!メインは無くてもいいわ。チキンは突付いただけ。でも満足の夕食。
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4月 3日(火) 晴れ
朝 ニコシア 「ホリディイン・ニコシア」 朝食ヴュッフェ
悪くもないが、特段美味しくもない朝食
昨夜クタクタで眠り、暗いうちに起きて顔を洗う。着替えようと、ふと時計を見ると、何と午前1時半だっ
た。もちろん寝直して6時起床。良い天気でである。6時半に朝食を食べにレストランに行くと、1日前に
名古屋出発された同じ旅行会社の皆さん21人が食事されていた。私達のグループは、12人という小
人数でしかも夫婦が1組もいない。料理こそたくさん並んでいるが、たいして旨くも無い。ここで3泊か。
キプロスは今花の季節だ 聖バルナバ教会のバルナバの墓所 教会にはたくさんのイコンがある
キプロス島は、四国の半分位の小さな島だが、キプロス共和国はその島の63%に過ぎない。残りの
37%は、北キプロストルコ共和国なのだ。皆さんもキプロス紛争があったこと記憶があるでしょ?1983
年北キプロストルコ共和国として独立宣言されてから、国連軍が見守るグリーンラインという緩衝地帯
が出来て島が分断された。首都ニコシアは、街のちょうど半分のところにグリーンラインがある。今日は
その北に行くのだ。メサオリアという平原地帯を走るとディジーとミモザの花で真黄色だ。ヨーロッパの
人々は「地中海の黄色の島」と呼ぶそうよ。聖バルナバ教会。キリスト教の十二使徒の聖パウロと聖バ
ルナバはここキプロスに布教に来た。そしてこの地でバルナバは死す。430年後、聖者の墓がイチゴ
豆の木の下に眠ると夢のお告げがあり、掘ってみると聖バルナバの遺骨が出てきたということなのだ。
サラミス遺跡の円形劇場 4世紀大地震後に再建されたサラミスには聖パウロも訪れたという
キプロスが1つだった頃、最大の港町であったファマグスタは、北キプロスになってから、トルコ語でガ
ズィマウサと呼ばれているらしい。その郊外にローマ時代のサラミス遺跡がある。4世紀にあった大き
な地震で破壊されたが再建され、時の皇帝コンスタンティアと名付けられたらしいが、7世紀押し寄せ
たアラブ軍がまたもや破壊してしまった。それでもアグラの円柱は見事に残り、円形劇場、浴場、体育
館などが残っている。次はオセロの塔。シェークスピアの「オセロ」は、このキプロスが舞台となっている。
但し、この塔が小説の実際の舞台だったわけではなく、イギリス統治時代に「きっとこんな場所だったん
じゃないの?」ってことで、今は観光名所の1つのなったというわけ。ま、小説だからそんなものかもね。
昼 北キプロストルコ共和国・ファマグスタ 「Dingo」 サラダ、パン、イカのカラマリ、蛸のグリル、
フラ
キプロスの食事の量が余りに多いというので、今日のランチは軽食。それでも、たっぷりのサラダ、パン、
フライドポテト、イカのカラマリに蛸のグリル、そしてデザートのフルーツ。ここ北はトルコ系の人々が20
万余住むが、南はギリシャ系の人々が住む。ギリシャ人は大喰いだからね。これでお腹は一杯になる。
北キプロストルコ共和国の国旗は上写真の右端である。赤がトルコの国旗だから、よーく似ているね。
「オセロ」の塔入り口のヴェネツィアの紋章 確かに舞台としては相応しい 聖ソフィア教会は今ムスタファ・パシャモスク
夜 キプロス・ニコシア 「10Fanaria」 3種の前菜ディップ、温かいパン、サラダ、豚肉のスブラキ(炭
火焼) ポテト添え、デザート、ビール 3ドル、ワイン赤(オセロ) 3ドル、白ワイン 3ドル
蜜がかかったお菓子が多い
夕方ホテルに帰って部屋からニコシアの街を見る。気をつけてみると、数百メートル離れた場所に点々
とモスクのミナレットが見える。その数5本。そうか、あのミナレットのちょっと手前にニコシアのグリーン
ラインがあるのね。逆に手前はギリシャ正教の教会が多い。グリーンラインを越えて、夕方のお祈りを
告げるアザーンがよく聞こえるのである。夕食はバスで住宅街にある人気レストランへ。店名の通り店
の前には10のランプが灯っていた。温かいピタパンにディップを塗って食べると旨い。地元の人はサラ
ダにもディップを混ぜて食べるらしい。豚の炭火焼きスブラキは香ばしくて美味しいなぁ。気に入った。
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4月 4日(水) 晴れ
朝 ニコシア 「ホリディイン・ニコシア」 朝食ヴュッフェ
昨夜から咳が激しい。ゴホゴホやっていて熟睡出来なかった。6時に起きたものの、咳は益々激しく、
熱もあるのか寒気もする。これでは8時からの散歩はヤメだ。どころか、観光も無理とちゃう?幸い医
者から風邪薬を貰って持参している。「そのうち旅行中に風邪引くと思うので薬おくれ。どんな症状の風
邪か?そうねぇ、咳が出る風邪」といい加減に言ったら、その通りの風邪となった。薬を飲むためにちょ
っと朝ご飯は食べたが、やっぱり観光はパスすることに。今日も北キプロスの観光だったのだけどね。
薬飲むためにちょっと食べた昼 ホテル部屋にて パン2個、紅茶
麗かな春の晴天を眺めながら寝ている。ゴホゴホ。今日は島の北部キレニアや北ニコシアの観光だっ
たなぁ。午後1時、薬を飲むためにお茶を煎れ、パンを食べる。朝のヴュッフェで貰って来たものだよ。
夜 ニコシア 「Varoshiotis」 前菜ディップ、パン、イカカラマリ、魚のスフレ、海老のサガナキ、カジ
キのケバブ、黒鯛のグリル、胡桃菓子のデザート
観光サボって1日寝ていたら、熱は下がった。咳もかなり良化。よかった、よかった。他の皆さんは歩き
尽くめだったと疲れ果てて6時前帰って来た。「行かなくて正解だったかも」と言われ、残念な気持ちが
軽くなる。昼食がああだったから、もうお腹ペコペコ。夕食は行きまーす!キプロスの要人も度々訪れ
るというシーフードの名店とか。次から次へお皿が出て来て並びきらん。本調子じゃないので、少ししか
食べられなかったが、魚のスフレと海老のサガナキがメッチャ旨かった。酒は我慢することに。無酒日
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4月 5日(木) 晴れたり曇ったり 時々小雨
朝 ニコシア 「ホリディイン・ニコシア」 朝食ヴュッフェ
昨日一日寝ていたので、夜眠れないかもと誘眠剤を飲んだらぐっすり眠った。5時半起床。あら、咳は
時々出るだけだわ。咳風邪は長引くものなのに昨日の休養が良かったみたい。さて、食欲も出たぞ!
キプロス共和国初代大統領マカリオス3世 世界遺産の聖ニコラウス教会とキコス修道院の聖ルカのマリアとイエス像
3泊したニコシアとお別れして、バスは山道を走る。トロードス地方。キプロス島は南西(左下)方向に向
かって飛ぶムササビに似ていると言われる。そして北東(右上)方向に立てかけたエレキギターのよう
にも見える。その背骨部分の左側に1953メートルのオリンポス山を始めとした丘陵地帯が続く。海岸
部分より気温は数度から10度程低く、冬はスキーリゾートにもなる地方である。この地方に9つの教会
が点在し、この教会群はユネスコの世界遺産の登録されている。どうしてこんな山深い場所に教会が
あるかと言えば、異教徒のアラブが盛んにキプロスを攻め立てたため、聖杯やイコンを守るために教会
を移すというか隠したんだね。その成果あって、今も素朴な教会が残るのだ。そんな中でキコス修道院
(キッコー修道院)は金持ちで、教会内部は金箔のイコンがいっぱい。中でも聖ルカのマリア像がある。
聖ルカは実際のマリアを知っていて描いたということから価値が高く、ホンモノは厳重に包まれて教会
内部にあった。公開されているのはもちろんコピーだけどね。猫もたくさんいて可愛い。嬉しかったぞ!
昼 ロフォウ 「Tavema Kameres」 サラダバー、キプロスメゼ、フェタチーズとピタパン、ソーセー
ジ、ラビオリ、ミートボール、ほうれん草と卵の炒め物、デザートバー(アナりー)、コーヒー
ランチはロフォウ村で。私達のような異教徒はマゴツクのだが、この時期キリスト教徒にはイースター
(復活祭)という重要なものがあるの。キリストの死から3日目復活した日を祝う祭だが、春分の日後の
最初の満月の次の日曜日と決められているから毎年違う。グレゴリオ暦を使う西とユリウス暦を使う東
とも日が違う。しかしだいたい3年に一度の割合で東西が同じ日となる。今年がそれで4月8日が復活
祭である。本来ならその準備で閉店にするところ私達の予約が入ったというので、山間のタベルナが店
を開けて待っていてくれた。次から次へと出されるスゴイご馳走。9品はあったか。本来は18品あるの
に日本人は少食ということで半分位に減らした由。温かいパンは外側がカリっと、中はふわふわで美味
しいこと!キプロスは全般的に料理が美味しいが、パンの旨さは又特別である。アナりーの菓子旨し。
午後のお茶 オモドス村のカフェ キプロスコーヒー 0,5ポンド
標高800メートルの高原地帯を走る。「マリアの涙」という薄紫色の高山植物、国の花シクラメン、山桜
の花、梨の木、段々畑には植えたばかりの葡萄の木、オレンジ、レモン、オリーブ・・・・・。同じ国でも全
く違う顔を持つ地方だ。この辺りは高地なので夏涼しく、湿度も低いことから夏場の避暑地として人気
があるらしい。オモドスの村。人口500人の村は夏場は700人に増えるとか。聖十字架教会では、復
活祭のために、イコンに黒いカーテンを取り付けていた。仲良しになった87歳のT島さん、O竹さんと
キプロスコーヒーを飲んでお喋りする。デミカップに入ったドロッとした液体。トルココーヒーと同じだね。
ランチを摂ったロフォウ村は菜の花が盛り お茶を飲んだオモドス村はのんびりした小さな村だった
夜 パフォス 「アルミラ」 フェタチーズとオリーブ入りキプロス風巻寿司、夕食ヴュッフェ、ビール 3ポ
ンド、ワイン赤&白 @3,5ポンド
トロードス地方の高原を一気に下りて来ると、バスの先にキラキラ光る海が見えて来る。キプロス島の
南のパフォスは街ごと世界遺産でもあり、シーリゾート地でもある。ココ・シャネルがデザインしたと言う
シンプルモダンな「アルミラ」ホテル。子供連れのリゾート客がプールではしゃいでいる。ロンドンの人気
フュージョンレストラン「NOBU」で修行したシェフが作る巻寿司はヘンテコリン。酒が飲めて嬉しいぞ。
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4月 6日(金) 晴れたり曇ったり 夜雨
朝 パフォス 「アルミラ」 朝食ヴュッフェ
新進気鋭のシェフの料理も昨夜はどうかと思ったが、朝ご飯は素晴らしい!どこにでもあるグレープフ
ルーツジュースが違う。クレープも旨い。中でも焼き立てのクロワッサンの美味しいことと言ったら!!
地下の建物が見事な王族の墓 左の白い柱が聖パウロを縛った柱 一時は牢獄ともなったパフォス城
ディオニッソスの館の見事なモザイク 自分しか愛せないナルキッソス テセウスの館のモザイクもスゴイ!
午前中はパフォス近辺の観光。王族の墓。キプロスは長い歴史の中でたくさんの国の統治されて来た
が、ここはエジプト・プトレマイオス時代の建築物。プトレマイオス朝はあのクレオパトラが自殺して歴史
を閉じたのだっけね。未だ発掘を続けているが、200基の墓があるそうだ。但し人骨や埋葬品は見つか
っていない。聖パウロの柱。聖パウロは布教に来たのだが、ヘンテコなことを言うヤツだ!とこの柱に
縛られて39回ムチ打ちにあったのだとか。その後、総督を改心させたとか。ディオニッソス(バッカス)
の館とテセウスの館は、モザイクが見事。パフォス城を見てからアギオス・ネオキトス修道院に行った。
昼 クークリア 「Thanos」 3種ディップとサラダ、パン、チキンフィレのグリル ポテト添え、デザート、
コーヒー、
奥の岩の真ん中でヴィーナス誕生?
アポロン神殿
ここもモザイクが見事なクーリオン古代遺跡
昼食を摂ったレストランの近くにアフロディーテ神殿跡があった。アフロディーテとは、あのヴィーナスで
ある。愛と美と豊穣の女神ね。神殿はぐちゃぐちゃに壊れて、しかも金網が張られて入ることも出来な
い。ならばと、アフロディーテが泡から誕生したというパトラトゥロミウへ。高台から撮影して、「いかにも
アフロディーテが誕生しそうな美しい海だなぁ」と心にもナイことを呟く。その後クリオンの守護神アポロ
ン神殿、クーリオン古代遺跡と観光が続き、最後はヘトヘトになってリマソールに辿りついたのだった。
夜 リマソール 「ホリディイン・リマソール」 夕食ヴュッフェ ビール2ポンド、赤ワイン 2,5ポンド、
ウ
(レストランが暗く、写真の出来が余りに悪いので写真は割愛します)
途中、英国の基地を通過する。キプロスには4ヵ所あるのだそうで、合計するとその面積は150平方k
m。日本におけるアメリカもそうだが、統治者というのはカンタンには全部を手離さないものなのだね。
リマソールはキプロス第二の都市で、大きな港があって商業の中心地でありビーチリゾート地でもある。
海側の部屋のベランダからは、プールや地中海が見渡せて気持ちがいい。ここまでほとんどセットメニ
ューだった夕食も今晩はヴュッフェ。キプロスの人が大食いなら、観光客(日本人を除く)も負けない位
に大喰い。皆こぼれそうになる程てんこ盛りにしている。私が飽きれる程。今回初めてウゾを飲んだ。
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4月 7日(土) 午前中小雨 午後晴れ
朝 リマソール 「ホリディイン・リマソール」 朝食ヴュッフェ
目覚ましなくても、6時に目が覚めた。旅に出ると一転早寝早起きになるYUMEKOである。ニコシアも
そうだったから、ホリディインの朝食は期待しない。やっぱりね。でも、猫が外にたくさんいてごキゲン。
復元されたヒロキティアの住居 9000年前のヒロキティア遺跡の住居跡 標高800mの上のレフカラ村
今日は雨だ。キプロスでは1年で晴れない日は25日しか無いという程晴天が多い国とか。何も今日降
ることもないのにさ。テンプル騎士団の遠征基地であった四角いコロッシ城を見た後、世界遺産のヒロ
キティアの遺跡を見に行く。紀元前7000年というから、今から9000年前、この地に円筒形の石の住居
を形成していた集落があった。当時は近くにあったらしい川から石と土砂を運んで、険しい山肌に住居
を作ったようだよ。ここから出土された品々はラルナカ考古学博物館に展示してあった。ホントにキプロ
スは古い歴史を持つ島なのだなぁ。レフカラ村に向かう。標高800メートルの高原に、下のレフカラ、上
のレフカラ、2つの村で500人が住む。ここはレース編みが有名でレオナルド・ダヴィンチも村を訪れて
レースを購入したという話だ。ちょっと買い物してからT島さんとお茶を飲んでお喋りをして楽しんだ。
昼 リマソール 「Pantopolio」 グリーンサラダとビーツのサラダ、ムサカ(挽き肉と茄子のオーブ
ン焼
ムサカはムッチャ旨いぞー!
リマソール市内に戻って、マーケットに行く。普段なら買い物客でごった返している市場なのに、イース
ターのせいかガラガラ。魚屋、肉屋、八百屋の皆さんが気の毒だったので、私達はガンバってお土産を
買う。市場に併設されたレストランで昼食。ギリシャの名物ムサカが出て来た。茄子、ズッキーニ、ホワ
イトソース、ミートソースを重ねてオーブンで焼いた料理で、ボリュームがあって旨い。でも量が多いよ。
夜 リマソール 「Artyma」 マッシュルームスープ、パン、サーモンのオリーブ風味、チョコレートキ
ャラ
今日は早目にホテルに帰ったので、ゆっくり風呂に入り、海を眺めながら過す。それにしても、他国の
人はどんな太っている人でも堂々とビキニなど着ているのには感心する。私も水着持ってくれば良かっ
たなぁ。アハハ。夕食はサヨナラパーティ。旧市街のカロブの実のシロップ工場を改装したモダンなレス
トランで。キプロスはこの店に限らずお洒落なレストランが多い。皆さんお世話になりましたぁ。乾杯!
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4月 8日(日) 快晴
朝 リマソール 「ホリディイン・リマソール」 朝食ヴュッフェ
今日は最終日だが、イースターとぶつかってほとんど何もすることが無いから、チェックアウトは正午。
夜のフライトまで時間を稼ぐために、ウォーキングなど予定しているが、それでも時間は余る。ランチは
3時頃にするから、朝ご飯も遅くしてねーとI田添乗員に言われ、8時半に食べに行った。猫もいたよ。
昼 ラルナカ 「Varoshiotes」 ヨーグルトディップ、パン、フライドポテト、茹で野菜、ポークスブラキ、
イカのカラマリ、鯛のオーブン焼き、フルーツ、紅茶 1,5ポンド
バスで40分程山を上ったイェレマソイヤという場所で皆さんはウォーキングに出かけられた。私は行か
ない。だって、今日の暑さはハンパじゃないし、ただ歩くなんて疲れるだけでタイクツだもの。で、バスの
中で本を読んでいたんさ。帰って来られた方が「疲れただけ。行かなかったあなたは先見の明がある」
って。ね?ランチを食べ始めたのは3時半だった。海に面した眺望の良い店で、魚介類や肉のスブラキ
が美味しい。パンも熱々でこれまた旨い!これでキプロスの食事もオシマイ。美味しいキプロスだった。
夜 エミレーツ航空 ラルナカ=ドバイ ビジネスクラス機内食
たっぷりの夕食は9時半から
来る時も深夜便だったが、帰りもドバイ行きは夜8時10分の出発。3時間半のフライトでも、機内食は
しっかり夕食である。たくさん食べてお酒もいっぱい飲んでウトウトしているうちに、4月8日は終わる。
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【今週の振り返り】
キプロス島は、地中海でも最も東に浮ぶ島だ。東地中海。すぐ北にはトルコ、東はシリア、南はエジプト
という位置どりである。EU加盟が認められたから、ヨーロッパの端と言うのが妥当だとは思うが、距離
的には中東やアフリカにずっと近いのである。そんな場所にあったがために、太古の昔から、中東、ア
フリカ、ヨーロッパからの交通の要所であり、多くの国から侵略される運命にもあった。紀元前はヒッタ
イト、アッシリア、エジプト、ギリシャの支配下、BC76年にはローマ共和国に併合され、後にローマから
キリスト教が伝えられる。ローマが東西分裂してからは東ローマ(ビザンチン)帝国の支配下、1191年
には十字軍としてやって来たイングランドのリチャード獅子心王に征服され、その後フランク人がキプロ
ス王国を建設。1470年それが途絶えると、ヴェネツィア共和国の支配が始まり、1571年にはオスマン
トルコがやって来る。キプロスの人々も、はぁーっ、ふーっである。
国力の衰えたオスマントルコはロシアと戦っていた。そこに英国はトルコの支援するから、キプロスの
統治権チョーダイと言ってマンマと手にする。それが1878年。その後第一次世界大戦で、トルコと敵対
することになると英国は1914年キプロスを併合してしまう。キプロス人は、またもや、あーぁなのだ。第
二次世界大戦が終わると、キプロスに住むギリシャ系はギリシャに併合すべきだ!と叫べば、キプロス
のトルコ系はイヤイヤトルコに併合すべきってことで大モメ。イギリス、ギリシャ、トルコの3国で協議し
た結果、1960年キプロス共和国としてイギリスから独立することになったのだ。しかし、小さな島にギリ
シャ系・キプロス正教徒が77%、トルコ系・イスラムが18%住むのだから、国の舵取りを巡って争いご
とは絶えない。1974年、ギリシャ系の右翼が軍事クーデターを起こし、初代大統領のマカリオス3世を
追放してしまう。これをチャンスとトルコ軍は「トルコ系住民を守るため」と軍隊を出動させ、島の北部を
占領してドッカリと腰を下ろしてしまったのだね。それまで島にはギリシャ系もトルコ系もあちこちに住ん
でいたが、この時から占領部分にはトルコ系住民が、非占領部分にはギリシャ系住民が移り住むよう
になった。ニコシアの街部分で前述したように国連が引いたグリーンラインの緩衝地帯が生まれ、1983
年10月トルコだけが認めた北キプロストルコ共和国の独立宣言がなされる。以来、南キプロスと呼ば
れるキプロス共和国の国旗は、キプロス島全体が描かれたままなのだけれど。
EU加盟を申請した2004年、国連は南北キプロスの和平を提案。貧しい北が経済的に取り残されない
ための措置であったが、統合の是非を問う国民投票した結果、南が圧倒的のノン!と言って分裂は続
いたままとなった。だからEU加盟は南だけ。2008年には、ユーロ導入も予定されている。キプロスは
銅の産出国で、その銅山を2つ持つ北キプロスの経済力は分裂前、75%もあったと言う。観光を主力と
する国で、サラミス遺跡やオセロの塔のあるファマグスタ、キレニアという二大観光地も北にある。然る
に、今北のJDPは、南の三分の一しか無いらしい。医療費1100万ポンド、福祉費800万ポンドも毎年
支援しているというのに、と南の人は嘆く。とはいえ、観光客は南から北へ行ったり来たり出来るように
なったし、軍事上も特に揉め事は現在無い。
ここまではキプロスの暗い一面の話であったが、例えば港区のコリン星から来たアッケラカンとした優
子リンなら、キプロスに来てそんなことを全く知らないで楽しんで帰るだろう。キプロスってコリン星より
キレイかもしれない、ご飯も美味しいし、お花もいっぱいだし、ビーチリゾートもたくさんあるし、猫リンも
うじゃうじゃいてサイコー!!って言うような気がする。優子リンの感想にYUMEKOの感想をつけ加
えるなら、パンは熱々でムッチャ旨いし、その上料理は大盛りだし、どこでも煙草吸える喫煙天国だし、
気候はいいし、治安までいい。南北のことを考えなければ、まさにキプロスは天国のようであった。
そうニャの。キプロスは猫にも天国なんダニャ