パクパク日記7年6月1週

           生涯初めての「食欲不振」のままルーマニアを旅するのであった

 「国民の館」内部   ペレシュ城

6月 4日(月) ルーマニア・ブカレストは晴れ トランシルヴァニア地方はドシャ降りのち晴れ

朝 ルーマニア・ブカレスト・ハワードジョンソングランドプラザ 朝食ヴュッフェ

    料理はサスガって感じなのにオムレツはダメ・・・

5時半に起きて朝風呂に入る。アメニティも充実しているし、髪を洗ってから柔らかなバスローブを着る

と何とも気持ちがいい。それにしても、昨日朝を迎えたホテルと何という違いか。2階のレストランには

「紅花」があって「千客万来」なんて額がウヤウヤシク客を迎えている。ほぉ、さすがハワードジョンソン、

料理もキレイに揃っておるな。あらら、ヤスコさんがもう食事をしている。仲良しになった歯医者さんは

いつも寝坊介でギリギリにならないとレストランに現れないのに、今朝は化粧もしないで朝食ですって。

美味しい朝食なら食欲が出るでしょうか?ダメ、1つ誤算があった。焼いて貰ったオムレツが不味いの。

  

       これが「国民の館」というチャウシェスク宮殿。内部は国中のゼータクな建材を集めたまさに宮殿だ

  

      各国から集められた大理石、チーク材、シャンデリア・・・・         バルコニーからは噴水通りが一望できる

後ろ髪引かれる思いでチェックアウトし、「国民の館」の見学に行く。昨日外観の撮影だけはしたが、日

曜日のため入館できなかった。ルーマニアのことをご存知ない方は「国民の館」って言われても、日本

の国民宿舎みたいなものしか想像しないと思う。トーゼンである。何故なら、実際の建物とネーミングが

これほどかけ離れたものは世界中に無いからだ。別名は「チャウシェスク宮殿」、またの名を「悪魔の宮

殿」。そう、「国民の館」の実体は、ルーマニアが共産主義から抜け出すまで独裁を続けて来たチャウシ

ェスク大統領が自分のために作ったパレスなのだ。そのヘンのことは今週の振り返りで述べるとして、

中に入ろう。カメラ撮影は10ユーロ(約1600円)?ゲゲ、チャウシェスクは死しても庶民から金を巻き

上げるのか!アメリカ・ペンタゴンの次に大規模な建物は部屋数2500。贅を尽くした内部に呆れたよ。

かつてマイケル・ジャクソンがコンサートに訪れた時、「国民の館」のバルコニーに立ち集まったファンに

呼びかけた。「ハロー!ブダペスト!」。マイケルちゃん、ここはブカレストでブダペストでないよ!ル

ーマニアとハンガリームッチャ仲悪いんだよ。大ブーイングの嵐が起ったさ。彼はキョトンとしていたって。

とんでもなく遅い昼  ブラショフ 「R97」 ルーマニア風サラダ、サルマーレ(ロールキャベツ ポレ

     ンタ 添え)、パパナッシュ(ルーマニア揚げパン)、洋梨のジュース 7レイ     1レイ=約50円

  

11時過ぎ見学を終えてブラショフに向かう。ブカレストは南部のワラキア平原にあるが、ブラショフ

北西のトランシルヴァニア地方にある。トランシルヴァニア地方は17世紀末オーストリアに、更にハ

ンガリー王国に属しており、第一次世界大戦勝利後1920年ルーマニアに戻って来た地だ。どこまでも

続くワラキア平原を突っ走り、やがて山間部に入る。トランシルヴァニア地方では天候が急激に変わる

と聞いていたが、みるみる間に雲がかかり、大雨となった。33度だった気温は18度まで下がったぞ。

再び山を下り、ブラショフの町に入ったものの大渋滞。ランチにありついたのは何と4時過ぎだった。そ

れでも私は食欲が無いのだ。どーしたんだYUMEKO!味は悪くは無いんだけどねー。食べたくない。

  

            ドイツ風のブラショフの町      聖ニコラエ教会(ルーマニア正教)       ホテルの窓からの景観

5時過ぎ(!)にランチを終えてブラショフの観光。食事中に雨が上がり、空気が澄んで気持ちがいい。

この町はザクセン人(ドイツ人)が移住して来て、先住民であったルーマニア人を現在のスケイ地区に

強制退去させて作られた。スケイ門で区切られたザクセン人の街とルーマニア人の街。そんな歴史が

あるブラショフは、ルーマニアで第二の都市であったが、現在人口は4番目と言う。聖ニコラエ教会は

外観は西欧風だが、内部は東欧風でルーマニア正教。対して、町の中央部にある黒の教会はプロテス

タントの教会である。皆さんは町の散策に出かけられたが、私はどうも力が出ないのでホテルに直行。

夜 無し!!!

今夜から泊まるアロバラスホテルは、ガイドブックに4ツ星と5ッ星の2つの表示があった。旧館は4ツ、

新館は5ッということがわかり、私達は新館。しかし禁煙!フロントに部屋の交換を申し出ると、慣れた

口調で「バスルームに灰皿があるから、そこで吸え」って。どーせほとんど残してしまうのだから、夕飯

はパスしちゃおうかな。日本から引き摺って来た気管支炎はほぼ治ったと思ったら、前代未聞の食欲

不振になり、その上お腹の調子が悪いし。おせんべ2枚と水を飲んで今夜の食事はオシマイ。無酒日

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6月 5日(火) 晴れ

朝 ブラショフ・アロパラスホテル 朝食ヴュッフェ

    卵、ヨーグルト、フルーツは食べた。あとジュースとコーヒーね

昨夜食事を抜いたので空腹で目が覚めるかと思ったら、そんなことも無いのである。朝食に行くと、大

丈夫かと何人かの方に声をかけられる。お腹空かなかっただけですから、はい。ちょっとだけ食べた。

昼 シギショアラ 「ブラド・ドラクルの家」 肉だんご入りスープ、パン、薄切りビーフ、パンケーキ、

      苺と バナナのジュース 7レイ

青空に映えるシギショアラの町        これ(右)がヴラド・ドラクル(ドラキュラの父)の家

  

ヴラド・ドラクル(ドラキュラの父)の家内部   ブラド・ツェペシュ(ドラキュラのモデル)の肖像などを展示

  

ブラショフから北西に行くこと130キロ。シギショアラの町には、吸血鬼ドラキュラのモデルと言われるブ

ラド・ツェペシュの生家がある。ルーマニアは歴史的に言えば、南のワラキア、北西のトランシルヴァニ

ア、  北東のモラヴィアの3つの国に分かれていた。そのワラキア公であったブラド2世(ヴラド・ドラクル)

がトルコとの戦いに敗れてこの地に逃れ、軍隊長のような仕事に就いて暮らした家が現在レストランに

なっている。息子ワラキア3世ブラド・ツェペッシュの生家ということにもなる。ブラド・ツェペッシュは串刺

し公として有名だが、この逸話をアイルランドの作家ブラム・ストーカーが「吸血鬼ドラキュラ」として小

説にしたことから世界中に有名になっちまったというわけ。息子の4世ミフネア公は悪行公と呼ばれた。

  

         12世紀に出来たシビウの町は今も中世の雰囲気が色濃く残る   「猫の目」と呼ばれる屋根の明かり採り窓

        プロテスタントの福音教会   6002本の管を持つパイプオルガン      15世紀の商家が囲む大広場

シギショアラから88キロ南西に行ったシビウも、トランシルヴァニア地方の都市がそうであるように12

世紀ハンガリー王の要請でザクセン人(ドイツ人)が移住して発展して来た商業の街だ。福音教会に行

くと6002本も管のある自慢のパイプオルガンが奏でられていた。この教会で4世ミフネア悪行公は殺さ

れたらしいよ。それにしても、トランシルヴァニア地方の都市にいると東欧らしさを感じない。ここもルー

マニアですか?と聞きたくなる程。そして中世の雰囲気を色濃く残しながら美しい景観を守っているね。

夜 ブラショフ 「CRAMA」 前菜盛り合わせとワイン4種、チキンスープ、パン、サラダ、魚のソティ、

      イスクリーム、赤ワイン 8レイ

     

     

シビウからブラショフまでの帰り道がタイヘンだった。数十箇所に工事現場があり、その都度長い信号

待ちをせねばならない。5分も待って工事現場を通ると、何と誰も工事なんかしていないじゃないの!

ルーマニアもEUに加盟したから、援助金で道路も整備されるんだね。おかげで時間がかかり、レスト

ランに直行するも8時前になっていた。市長の元邸宅を改装したレストランでは、まず地下のワインセ

ラーに通され説明を聞く。大きな貯蔵樽の間を歩いて行くと、そこは試飲室。生演奏を聴きながら、4種

のワインを試飲する。酒飲めない人は私のグラスにドボドボ入れる。全部飲む。次は上階のレストラン。

またもや日本人グループで溢れていた。ここでも民族舞踊のショーがあったがブルガリアよりは派手。

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6月 6日(水) 晴れ

朝 ブラショフ・アロパラスホテル 朝食ヴュッフェ

6時起床。今日このホテルをチェックアウトする。食欲のわかない朝食であったが、エジプト 旅行を

一緒したI崎さんとおしゃべりした。6月2日バラ祭の朝、プロブディフのノボテルを5時半前に出発して

行ったのはI崎さんのグループだった。何でも先導車が必要で(何でさ?)、その車と早い時間に待ち

合わせていたので早朝出発。しかし、その車が来ずに途中1時間半待ち(バカみたい)、遠い(何で遠

い所に行くのよ!)バラ畑にバラ摘みに行く。バラ祭の会場に戻って来ると祭は終っていた・・・って悲し

い話。H急交通という会社のツァーであったが、客はそれで文句言わんのか!!私の方が腹立った。

  

ヴラド1世の居城でもあったブラン城      フェルナンド公妃マリー    この部屋でマリーは・・・・・

ブラン城に行く。ドラキュラのモデルになったブラド3世の話は前述したが、その祖父ブラド1世も居城に

していた城だ。ブラン城に限らず、このあたりにはオスマントルコの来襲に備えた要塞兼城がたくさんあ

るのだ。ブラン城の屋上に行ってみると、城まで敵が押し寄せた場合に石や熱湯、油などを落とす装置

が備えてあった。ここで興味深いエピソードを聞いた。ルーマニア王国2代目の王フェルナンド公の妃マ

リーの話だ。この夫婦は仲が悪く、美人マリーはブラン城に来てはお盛んだったそうで。不倫城かぁ・・。

城を出ると美人マリーにあやかって女性陣はジェロビタールクリームを買いに走る。大金使い果たす。

昼 シナイヤ「グランドホテル」 野菜スープ、パン、サラダ、チキンソティとマッシュポテト、バナナ

  

シナイヤはカルパチア山脈のブチェジ山の山腹にある標高800メートルの町。「カルパチアの真珠」と

呼ばれ、夏は避暑地、冬はスキーのリゾート地である。午後観光したカロル1世のペルシュ城が築かれ

たこともあってベオグラードの王族貴族の高級別荘地が多かったそう。そのシナイヤで一番高級なホテ

ルでランチ。スープとサラダはちょこっと食べたけど。もう4キロくらい痩せたんでないの?嬉しい・・・・。

              シナイヤ僧院          僧院の入り口の見事なフレスコ画     カロル1世が建てた大教会   

  

            カロル1世が夏の離宮として建てたペレシュ城は壮麗な城である

1881年ドイツからカロル1世が皇帝として招かれ、ルーマニア王国を宣言。そのカロル1世が、ルーマ

ニア王宮の夏の離宮として建造したのが、ここペレシュ城だ。ペレシュとはベルトという意味だそう。城

と名がついても要塞のようなものばかり見て来たが、ここは名実ともにリッパな城である。広い敷地の

庭園も美しい。内部の撮影には、30レイ(1500円!)必要というのでヤメタ。ルネッサンス、バロック、

ロココを取り入れたドイツ・ルネッサンス様式というのだそうで、絵画、彫刻、陶器など世界の名品がズ

ラリと並ぶ。この城はガイドの先導で見学するが、一緒に回ったお年寄りがフランスのサルコジ大統領

のオバさんと言う。一人が直接聞いたらノンって言ったらしいけど。チャウシェスクはここを独り占めした。

夜 ブカレスト 「モンテカルロ」 茄子のペーストサラダ、パン、ビーフシチュー、アップルクレープ、

ビール 7レイ、白ワイン 7レイ、赤ワイン 7レイ

  

カルパチア山脈とお別れして、またワラキア平原をひた走る。どうせまた夜になるんじゃないの、と思っ

ていたが、意外にスイスイ走って6時半ホテル到着。ルーマニア最後のホテルは、インターコンチネンタ

ルである。客室のある16階に行ってみると、筋骨隆々のコワイお兄さん達がうろうろしている。どうも同

じフロアにタイヘンなVIPが宿泊しているらしい。彼らはSPなんだ。以来、エレベーターを乗り降りする

度に冷たい目でジロリと見られて痩せる思い。そうそう、痩せたんですよ!客室に初めて体重計があっ

たので、服を着たまま測ってみたら・・・4、5キロ減!!すっかり嬉しくなって、夕食もほとんど食べず。

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6月 7日(木) 曇り

朝 ブカレスト 「インターコンチネンタルホテル」 朝食ヴュッフェ

    意外と質素なヴュッフェだった

5時半に起きるつもりだったが、ようやく6時過ぎにノロノロと起きる。昨夜最後の夜だからと部屋で寝

酒のウィスキーを飲み過ぎたみたい。そうだ、お風呂に入って体重はかろ。おぉ、5キロ減だぁ!!!

食欲がないのは何ともツマラナイものだが、体重減というご褒美があるとなれば、ちと嬉しい。だからと

いうわけでもないが今朝もちょっと食べただけ。インターコンチにしては朝食ヴュッフェの質がどうもね。

昼 オーストリア航空 ブカレスト=ウィーン ビジネスクラス機内食

    洋食はフツーの味ですな

1140分発ウィーン行き。ブカレスト空港のビジネスラウンジは喫煙室もあって余裕で過ごし た。

ウィーンまでは1時間半の距離だから飛行機は小さい。よってビジネス席は、前方のエコノミー席と

同じ座席3席に客が2人ということになる。男性のクルーが「フィッシュ ホタテ」と機内食を持って来た。

 オーストリア航空 ウィーン=成田 ビジネスクラス機内食(和食)

  

  

ウィーン発145分のオーストリア航空のゲート前は日本人客が長い行列を作っていた。いろいろな

旅行会社から、いろいろな地方を回って来た人々が今ここにいる。食事は和食をお願いした。オースト

リア航空は和食を頼んでも、インターナショナルコースのスープはお願い出来る。良い心掛けだ。メイン

はキハダ鮪の煮付けか豚カツの卵煮という。トンカツ好きとしてはトーゼン豚カツの卵煮。半分食べた。

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6月 8日(金) 東京は晴れ

朝 オーストリア航空 ウィーン=成田 ビジネスクラス機内食

リッパな朝食のセットであったが、ヨーグルトとフルーツだけ。せっかく5キロ痩せたんだもん。ふふふ。

昼 四谷三丁目 「稜花」 おろし蕎麦 800円

  

午前8時過ぎ成田着。スーツケースの取っ手が壊れたので空港で交渉すると、本体が壊れたのなら修

理費用は持つが、取っ手は対象外と言う。プンプン怒ってタクシーに乗る。1時間で到着。早速洗濯と

スーツケースの片付け。すぐ終る。メールチェック、写真のパソコン取り込みを済ませて郵便局へ。来月

行く国はビザが必要なので旅行会社に送るのだ。ランチ。お腹が空かない。カレー屋の前に立っても食

べるイメージが湧かん。カツ丼屋の前でもダメ。ってことで初めて行く蕎麦屋へ。麺類ならOKみたい。

夜 家食 そうめん、醤油だれと胡麻だれ、薬味(油揚げ、きゅうり、茗荷、大葉、長ネギ)、野菜かき揚

  

買い物をして家に帰るも、気分がシャッキリしない。ブルガリアのパクパク日記をだらだら作っていたが

途中で止めた。夕食もどうすっか。このまま痩せ続けて洋服が全部きれなくなるし、ちょっとは食べよう

ね。昼蕎麦だったが、麺類なら食べたい。じゃ、そうめん。いつもと同じ量を茹でてしまったぞ。無酒日

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6月 9日(土) 曇り  全国各地で雷雨と大雨

朝 家食 具だくさんのかき揚げ煮麺、メロン、苺とアロエヨーグルト

  

昨夜茹で過ぎたそうめんで煮麺を作る。日本に帰って来て、これで3食連続麺類であるな。あぁ美味し

い!食べ進んでいるうちに、私は食べることが一番好きな人間だ、ということを思い出し始めたのだよ。

昼 無し!

昨日サボったブルガリアのパクパク日記をせっせと作成。写真が多くて、どれを使おうか迷う。食事の

写真を見ると、その地を思い出すなぁ。昼ご飯もギセーにして頑張った甲斐あって、夕刻には完成!!

夜 家食 エボ鯛の干物、マカロニとリンゴのサラダ、ネギ納豆、白菜キムチ、もずく酢、ご飯、味噌汁

  

お腹が空いたぞ。ご飯を炊いて味噌汁を作る。何かマヨネーズものも食べたいな。マカロニとリンゴで

サラダ作るか。ネギ納豆は必須だよ。というわけでこんな夕食。ワシワシと食べる。YUMEKOさん、食

欲不振は治ったみたいですね?え?ナニそれ、食欲不振って何なのよ。お替りしてご馳走様。無酒日

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6月 10日(日) 雨のち晴れ

朝 家食 味噌雑炊、マカロニリンゴサラダ、メロンとスイカ、アロエヨーグルト

  

7時に起きるつもりだったのに、目が覚めたら9時半!ギョエー、タイヘンだぁ。今日は歌舞伎座のチケ

ット売り出し日(ゴールド会員のね)だったぞ。7月はいつもと違って「十二夜」の単演目公演だから、昼

か夜どちらか買えばいい。よしよし、目当てのカブリ付きの席が買えたぞ。完全に食欲が戻ってお腹が

空いてたまらん。好物の味噌雑炊を作って食べよ。チュルチュル、うんまい!やっぱり日本はいいわ。

昼 家食 具だくさんきしめん

    また麺でーす

このところ日本は各地で雷雨が降って大荒れの天候が続いている。東京でも昼過ぎからゴロゴロの後

激しい雨が降り始めた。出かけない日の雨は大好きだ。ハハ。今日はルーマニア編のパクパク作成。

夜 家食 エボ鯛の干物、マカロニとリンゴのサラダ、ネギ納豆、白菜キムチ、もずく酢、ご飯、味噌汁、

   熊本のでこぽん

  

午後4時というヘンな時間にお風呂に入った。体重はどうなっているだろう。ルーマニアで5キロ減だっ

たけど、昨夜から食欲戻ったしな。ドキドキ。ウッソー!!1キロ減になっちゃった。ってことはあれから

4キロ増えたのかぁ?おかしいなぁ。ヤケになって夕食はご飯2杯食べてしまったぞ。ヘンだ。無酒日

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【今週の振り返り】

ルーマニアと聞いて、みなさん何を連想します?何を知っています?何も知らん?今年のカンヌ映画祭

で最高賞のパルムドールを受賞した「4ヶ月、3週間と2日」はルーマニアの監督クリスチャン・ムンジウ

だったでしょ?うーむ、知らんか。そうだ!コマネチだったら知っているでしょ?え?ビートたけしがやる

ギャグの名前?まぁ、あのギャグは長く続いているけど、ホンモノのコマネチはルーマニアの体操選手

だった。私らの世代では「白い妖精」と世界から絶賛を浴びたコマネチの愛らしい顔と躍動する肢体、そ

して完璧な演技はまざまざと眼に浮ぶが、若い世代は知らんかもしれないなぁ。

ナディア・コマネチは、6歳の頃全国から才能のある子供としてスカウトされ、体操の英才教育を受け始

める。オリンピックで優秀な成績を残す選手を養成するために。当時共産圏の国々は、国の威信をス

ポーツで高得点を取ることでも示そうとしていた。ソ連然り、東ドイツ然り、そしてルーマニアも。猛特訓

の結果メキメキと頭角を現わしたコマネチは、1975年モントリオールオリンピックで、オリンピック史上

初めての10点満点を連発し、金メダルも銀も銅メダルも手中にして、一躍世界のスターに踊り出た。弱

冠14歳の少女時代である。私ももちろんその映像に釘付けになった一人である。ルーマニアにこんな

少女がいるんだ、とびっくりし、ルーマニアは恐ろしげな国ではなかったかとぼんやり思っていた。

その頃のルーマニアは共産主義の政権で、チャウシェスク大統領が独裁政治を行っていた。国民は生

活苦の上、1977年には大地震に襲われる。その4年後チャウシェスクは自らの満足を得るために「国

民の館」を作る。1981年から始めた建設には、1500億円もの巨費を投じた。日本と貨幣価値の違う

ルーマニアではとんでもない金額である。旅行中笑ってばかりでゲラオとニックネームをつけられた陽

気なガイドも、この時だけはマジメな顔で「あの頃私達はいつも飢えていました。本当に食べるものがろ

くにありませんでした」と述懐している。セクリタテアという秘密警察が人々を監視し、言論統制が行わ

れた。女性には5人以上子供を産むことを強制した。カンヌで受賞した映画はその頃の堕胎禁止時代

を題材としたそうだ。チャウシェスクは、長い大統領時代を経て「王朝」を夢見て「国民の館」を作ったの

ではないかと言われている。

そのチャウシェスクの次男ニクが、国民の英雄となったコマネチに目をつけ、ストーカーのようにつけ回

し始める。次期大統領候補と誰もが思った男ニクの誘いを断り切れないコマネチは困り果てた。そして

1989年ハンガリー、オーストリアを経由してアメリカ(のちにカナダ)に亡命してしまう。しかし、皮肉なこ

とに、彼女の亡命から1ヵ月もしないうちにチャウシェスクはエレナ夫人と共に処刑されてしまうのだ。

19891221日官製集会で集まった群集を前に、共産党本部のバルコニーから演説を始めたチャ

ウシェスクの表情が途中で凍りつく。群集の声は、大統領の自分への糾弾の言葉だった。彼は屋上か

らヘリコプターで逃亡を図った。この映像は全世界に流されたから、私もテレビのニュースでしっかり見

たよ。そして数日後捕えられた夫妻は、1225日クリスマスの日に銃殺刑に処された。共産党政権の

終焉である。今から、たった17年半前の話なのだよね。

南の隣国ブルガリアと共に、ルーマニアは20071EUに加盟した。ブルガリアより、よほど洗練さ

れているとはいえ、やっぱり素朴な国。その国が今日本の女性から熱い視線を浴びようとしている。化

粧をしない私は全く知らなかったのだが、ルーマニアはジェロビタールというアンチエイジング製品で世

界を席巻しそうなのだ。何でもアナ・アスラン博士という方が長い間、老いを遅らせる化粧品の研究をし

て完成させたジェロビタールH3は今やルーマニアの国家プロジェクトになっているという話。ジェロは

(老い)、ビタールは(生命力)。マッサージクリーム、アイジェル、アイクリーム、シワ取りクリーム、シミ

抜きクリーム、化粧水・・・・。目の色変えて買い捲る皆さんに巻き込まれて私も買ってしまいましたー。

14歳の頃のコマネチみたいになってしまったらどーしよう。うふふ。10点!

               ジェロビタールH3

でさぁ、猫用もあるのかニャア

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         * ブルガリアのパクパク日記は 5月 5週 に掲載されています。