パクパク日記7年7月1週

            パプアニューギニアで「ウルルン体験」して来ましたー!

        ビルビル村のシンシン

(先週の続き)

6月30日(土) 東京は曇り

夜−1 成田第二空港 チャイニーズレストラン「momo 坦々麺 940

成田空港集合午後7時5分。今回は9名という少数グループでご夫婦1組、母娘1組、一人参加5名

(男3、女3)、男性の添乗員A坂氏を入れると男女5対5という珍しい拮抗した面々。ある時など女性

24名に男性1名なんてグループもあって、いつもは女性が圧倒的に多いものね。初めて乗るニューギ

ニア航空の機内食を疑うわけじゃあないけど、麺モノで夕食。この店は、以前モヤシそばがとても美味

しく評価していたが、いつしかメニューから消えてしまい復活せず。他の麺の味はたいしたことは無い。  

夜―2 ニューギニア航空ビジネスクラス 成田=ポートモレスビー 機内食

    機内食はこんなです

ニューギニア航空は週1便、パプアニューギニアの首都・ポートモレスビーと成田を飛んで5年になると

言う。週1便だから最低8日間は滞在する必要がある。帰りの飛行機に乗り遅れれば15日間いなくち

ゃアカンわけやね。ビジネス席は24席、快適そのものとは言い難いが、まぁ6時間半だからいいか。機

内食は良くも無いけど悪くも無い。坦々麺食べたばかりだったのでちょっとつまんで赤ワイングビグビ。

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7月 1日(日) パプアニューニギニア・ポートモレスビーは晴れ        1キナ=約45円

朝 パプアニューニギニア・ポートモレスビー 空港近くのホテル 朝食ヴュッフェ

4時半(日本時間3時半)ポートモレスビー着。時差1時間。時計を進める。国内線のチェックインをして

から空港近くのホテルに朝食を摂りに行く。未だ真っ暗である。蒸し暑い町と聞いていたが、早朝のせ

いかとても涼しい。可愛い猫が歩き回るレストランで軽い朝食を摂り、休憩。7時半再び空港に向かう。

昼 ポートモレスビー国内線待合室にて チキンパイと水

え?7時45分に空港に着いたのに、未だ待合室にいるの?8時45分発のマウントハーゲン行きに乗

ったんじゃないの?はい・・・・。2時間遅れでようやく飛行機に全員乗り込み離陸を待つばかりになった

時、「こちら機長、コンピュータが故障しちゃったんで、悪いけどみんな降りて」・・・・。だから未だ空港に

いるの。A坂さんがパンを買出しに行って皆に配る。別の行き先の便もいろいろで「明日飛びまーす」な

んてアナウンスも。この国ってどうなっちゃってるんだ!結局7時間半待って午後4時離陸。はぁ・・・・。

夜 マウントハーゲン 「ハイランダーホテル」 ベジタブルスープ、パン、ポークチョップ、チョコレート

      ケ ーキとアイスクリーム、ビール 9.5キナ、白と赤ワイン @11キナ

  

午後5時マウントハーゲン着。小さな空港には人々が群れていた。飛行機が珍しいので見物しているら

しい。今日一日ポートモレスビー空港で過したので、予定されていたタプカ村訪問は無しとなった。初日

から、アーァである。その代わり、ハイランダーホテルはとても良いホテル。午後ゆっくりする予定もフイ

になり、急いでお風呂に入って、そそくさ夕食。わりと美味しいじゃん。もう全員の名前覚えちゃったよ。

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7月 2日(月) ハイランダー地方は曇ったり降ったり晴れたり

朝 マウントハーゲン 「ハイランダーホテル」 朝食ヴュッフェ

マウントハーゲンはハイランド地方の山岳地帯の町。標高は1500メートルを超えるから朝晩は寒いく

らいだ。5時起床。暗いうちからプールサイドのレストランで朝食。オムレツとトースト、それにふんだん

なフルーツとコーヒーという内容だ。たった1泊しただけで早くもパッキングして8時チェックアウトする。 

ハイランド地方はコーヒー栽培で有名な場所。小さなバスを走らせる途中にコーヒー農園が広がる。コ

ーヒーの実ってグミみたいに赤く色づくのだなぁ。採取した実は洗って外皮を剥き、3週間天日に干す。

その上で薄皮を剥いて焙煎工場に出荷する。採取したコーヒーの実は1キロ1キナ(約45円)だが、こ

こまで処理すると3キナとなり、焙煎すると28キナに跳ね上がるらしい。激しいスコールが降って来た。

  

        クマン族が住むミンディマ村で骸骨踊り始まる  村人が漁に出ている間に獰猛な悪霊(ゴジラ似)が子供を襲う

  

          子供を連れ去られ嘆く母親          村人は団結して悪霊を追い払う                 ショーの後は記念撮影

ミンディマ村付近に到着した時スコールは止んでいたが、急な坂道で車では進めないと言う。仕方なく

片道20分を歩いて行くことになった。バスを降りる辺りたくさん人々がいたがそれは我々を迎えに来て

くれたことを後で知る。道は滑りやすくて歩くのもおっかなビックリ。転ぶなよーと念じた時、前を歩いて

いたY崎氏がスッテンコロリ派手にすっ転んだ。すかさず村人が助け起こして支えてくれる。子供達は

はしゃいで走りまわる。何だか世界うるるん滞在記の旅人になった気分になって来た。汗びっしょりで

村に着く。ここでクマン族の骸骨踊りを見学。踊りと言っても、狩りに出てい留守に悪霊が子供を殺した

り誘拐するのを村人がやっつけて平和になるという4幕ものの演劇スタイルになっていて、なかなか面

白い。もちろん、現在のクマン族はこのような扮装をしているわけではないが、観光客にショーを見せる

ことが、子供達の教育にもなると言っていた。殺された悪霊も起き上がって、一緒に記念撮影パチリ。

昼 クリアワ村 「ウィルヘルムホテル」 チキングリル ライスと野菜添え

  

                  西ハイランド地方にあるウィルヘルム山は4509mで最高峰        珍しい動物クスクス

帰る時、村の入り口で子供達が摘んだ花を花束にして待っていた。益々うるるんじゃないか。そんなミ

ンディマ村の人々とお別れして汗だくだくで滑り易い坂を上ってバスへ。広くもない道が何ヶ所も大きく

抉られていて肝を冷す。クリアワ村のホテルのレストランでランチだ。デザートも含めて一皿限りの物足

りない食事だなぁ。これからゴロカまでは青空トイレというので、ジュースもお茶も飲まないことにした。

夜 ゴロカ 「バードオブパラダイス」 スープ、特製手巻き寿司、ヴュッフェ ビール7キナ、白と赤ワイ

ン @11キナ

  

    手巻き寿司は1つだけ

ゴロカ着。人口2万5千人でこの国で4番目の町である。ホテルは町のど真ん中にあるが、危険なので

1人で外に出るな、と注意を受ける。パプアニューギニアでは、6月30日から7月10日まで5年に一度

の総選挙が行われていて、どの町も騒然としている。5年前の選挙時は、ハイランド地方で対立候補同

士の暴力沙汰があって投票をやり直す事態があったとか。昨日のホテルでも、ここでも、武器をもった

警備員が目を光らせていた。夕食はホテルで。我々のグループ用に手巻き寿司が用意されていた。で

も1個づつね。この国のビールは「SP」。サッパリした味だ。ワインはオーストリア産かこれも飲み易い。

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7月 3日(火) 快晴

 ゴロカ 「バードオブパラダイス」 朝食ヴュッフェ

    毎日、パパイアやバナナをたくさん食べる

6時起床。8時間も寝たことになる。これで初日からの寝不足が解消された感じ。昨日までいたマウント

ハーゲンに続いて、ここゴロカも標高1600mあるから、朝晩はとても涼しい。ハイランド地方にいる限

り、赤道直下の国にいるとはとても思えない。公用語は英語だが、カンタン訛り英語のようなピジン語

の方が通じる。おはようは「モーニング」、こんにちは「アピヌーン」、ありがとう「テンキュー」。レストラン

に入り、こちらが「モーニング」と言えば、スタッフは「おはよう!」と返してくれる。焼きたてのオムレツ。

  

       人とモノが溢れるゴロカの公設市場     ココナッツを売る子供達は今学校はお休みですって

公設市場に行く。広い敷地にところ狭しと野菜、果物、日用品が並べられている。日本にもある野菜の

他に、見たことも食べたことも無いものも。野菜や果物の安さに比べれば、衣類や日用品は高い。韓国

製のゴム草履が15キナ!現金収入の無い自給自足生活者が圧倒的だから、道理で裸足の人が多い

ハズだ。こちらは見学に来ているのだが、市場にいる人々から逆に見物されちゃった。続いてマッカー

シー博物館。唯一の国立博物館で、1927年この地を訪れたオーストラリア人ジョン・ケーシー・マッカー

シー氏を記念して1966年作られた。海岸地帯の金が掘り尽くされてようやくオーストリア人達の目が初

めて山岳地帯に向けられたから、それまで原始生活を営んでいた数百に及ぶ部族が発見(?)された

のは1930年代前後になる。異人種同士のファーストコンタクトの写真が興味深い。お互いビックリした

のだろうね。そして太平洋戦争で旧日本軍がこの島国に残した戦争の爪痕も・・・。フクザツな気分だ。

昼 カマリキ村 アベ村長宅にて ムームー料理(さつま芋、タロ芋、焼きバナナ、チキン、フルーツ)

  

          アサロ渓谷にあるカマリキ村      長老がペインティングして笛を吹く    マッドマンダンスが始まった

  

      敵を威嚇するための扮装     アベ村長の家はこの地方の典型的なスタイル     蒸し焼きのムームーが出来上がった

  

           熱々のさつま芋、タロ芋、バナナとフルーツのランチ            早く食べ終わらないかなぁ、と子供が待っている

アサロ渓谷にあるカマリキ村を訪れる。部族の数は600とか800とか色んな説があるが、とにかくたく

さんの部族がそれぞれの言葉と文化を持っている。ここはフシエト族の村で、カラダが小さいせいか部

族同士の戦いには連敗していたらしい。そこで相手を威嚇する目的で、全身をドロで塗り、粘土で作っ

たお面を被る扮装を考えついた。すると・・・勝ち始めたんですって。マッドマンダンスを真っ青な空の下

で踊ってくれた。このお面が重い!7,8キロはあるんではないか。弓による狩猟のデモンストレーショ

ンの後は、ムームー料理。熱い石を穴に並べ、バナナの葉で芋類、バナナ、チキンなどを包んで蒸し焼

きにする。アベ村長が蒸し上がった料理を取り出し、私達も頂いた。白い色のさつま芋がとても旨い! 

     焙煎したばかりのコーヒー豆      これがブルーマウンティンだじょー!          ラウンラウンシアター

ゴロカ郊外のコーヒー焙煎工場見学。60キロのコーヒー豆を十数分煎って、一挙に釜から出される。プ

ーンと香り高いコーヒーの匂いが拡がる。この国のお土産と言えば、木彫品とビルムという袋くらいな

ので、みなさん大量に煎れ立てのブルーマウンティンコーヒーをご購入だ。私もごっそり買ったけどね。

 ゴロカ 「バードオブパラダイス」 ミネストローネスープ、赤身魚のダンプリング マッシュポテト温

野菜添え、トロピカルフルーツサラダとアイスクリーム、ビール7キナ、白と赤ワイン @11キナ

  

このホテルはヘアドライアーが無い。去年の誕生日にSブーとキョウコがプレゼントしてくれたドライアー

が大活躍。今回のメンバー、男性陣は酒は控えめ、女性陣3人がグビグビ。今夜もこのパターンだ。

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7月 4日(水) 曇り 一時スコール

 ゴロカ 「バードオブパラダイス」 朝食ヴュッフェ

  

         総選挙は各州2名の定員に50〜60名が立候補。樹木でも空中でもポスターがベタベタと

今日のロングドライブを考慮して、チェックアウト&出発は午前8時。全員集まったところで、緊急事態

が起こる。ドライバーのフィリップ氏が体調を崩したらしい。ドライバーを代えるか、バスごと代えるか調

整するということで、再び部屋へ。45分後、フィリップ氏がガンバルということで出発。大丈夫かぁ??

昼 ゴロカからマダンに向かう途中 弁当(チキン、サンドイッチ、茹で卵、バナナ)+A坂添乗員特製赤

飯のおにぎり

  

     映画「ロビンソンクルーソー」の撮影の舞台にもなったバレク自然公園には硫黄泉が川になって流れていた

もの凄い悪路である。細い上、舗装していない砂利道もある。パプアニューギニアでは道路の4%しか

舗装されていないそうだ。山を下りに下ってようやく平地になると、椰子の木、さとうきび畑が広がる。さ

とうきび工場の従業員宿舎の庭を借りてホテルが作ってくれたお弁当を広げる。トイレ?青空の下だよ

ん。やっと山を下りたのに、午後の道は登り坂があると思えばまた急激に下がる繰り返しで、最後列に

座った女性3人はジェットコースターに乗っている気分。砂利道では全身が振動するのでジムにいるみ

たい。ゴロカから330キロ近くそんなであった。マダンから30分程手前のバレク自然公園で休憩。この

国は特有種4割の植物2万種、昆虫3千種、世界で42種いる極楽鳥の38種を数える屈指の自然の

宝庫で1992年に森林法を定めたものの経済発展の妨げになると2001年には撤廃。だからこの公園

の自然が貴重なものになるのだ。「ロビンソンクルーソー」の映画のロケ地にも使われた公園だと言う。

夜 マダン・マダンリゾートホテル「HOUS WIN ワカメの味噌スープ、パン、牛肉と野菜のオイ

      スタ ーソース炒め、フルーツとアイスクリーム、ビール 8キナ、白と赤ワイン @10キナ

  

ようやくビスマルク湾に面したビーチリゾートの町マダンに到着。あぁ、疲れてぐったりだ。ビョーキだっ

たフィリップ氏よくガンバってくれたよね、テンキュートルー!コテージタイプの部屋はいいのだが、4つ

のスタンドの2つは電球が切れているし、タオルは置き忘れているし、バスタブの蓋は無いし。電球2つ

代えて貰うのに1時間15分もかかる。今まで高地で涼しかったから、海辺特有の蒸し暑さが堪える。

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7月 5日(木) 曇り 夜から激しい雨

朝 夜 マダン・マダンリゾートホテル「Janek Aben Restaurant」 ジュースオムレツ、トース

      ト、フ ルーツ、コーヒー

  

          フルーツの種類がグンと増えた       これが最大の鳩オオギバト       一度も泳がなかった海水プール

このホテルはマダンの最高級ホテルなのだそうだ。広大な敷地には、鳩で最大種のオオギバトが頭に

扇をつけてピョコピョコ歩いている。蘭の種類も多い。見たことも無い鳥が飛び回って面白い声で鳴く。

 マダン・マダンリゾートホテル「Janek Aben Restaurant」 チキンロースト フレンチフライ

      と野 菜添え、パン、デザート、コーヒー

  

9時にホテル近くの市場に行く。野菜が中心の売り場の一角に独得の袋・ビルムを売る女性がいたの

で、買う。植物の蔓を使ったものと、クスクスの毛などで作ったものと2通りある。30キナから100キナ

位の価格で現地の貨幣価値から考えれば高額だが、パプアの女性はほぼ全員、男性でも多くがビル

ムを持っている。多分「一生物」として使うのだろう。これに野菜でも芋でも、時には赤ん坊も入れて使う。

湿度がハンパじゃない。これから郊外の小学校と旧日本軍の飛行場跡に行く予定だったがパスする。

       素焼きの壷で有名なビルビル村              多勢の村人がシンシンを見せてくれた

         シンシンに参加した子供達           何て可愛いんでしょ    帰り道に寄った椰子の美しい海岸

午後マダン州博物館へ。1年前にここに来たというキノシタ氏が案内してくれた。アメリカ、オーストラリ

アの連合軍に追われて、パプアニューギニアの高い山々を逃げ回った旧日本軍がマダンに辿り着き、

最後に降伏した時の写真などがあり、ウームという気分になる。演劇を指導する勉強している青年が

部族の扮装で楽器の演奏を披露してくれてちょっと気分が晴れる。その後郊外のビルビル村へ行く。

我々が到着すると、大きな太鼓で「今からシンシンをやるよー」という合図が叩かれ、やがて三々五々

衣装をつけた村人が集まって来る。シンシンは部族独自の踊りであり歌でもある。英語SingSingが語

源らしい。赤ん坊の誕生、結婚式などの行事以外でも魚の大漁やタロ芋の収穫を祝ってシンシンは踊

られる。女性は全員トップレス。モデルになれそうな美人も数人いた。素晴らしいソプラノの歌い手も。

夜 マダン・マダンリゾートホテル「HOUS WIN」 ポテトとセロリのクリームスープ、特製天丼、野菜

サラダ、デザート、ビール 8キナ、白と赤ワイン @10キナ

  

夕食のメインは特製の天丼だった。参加した旅行会社のツァーが毎週のようにあるから、日本人グル

ープのサービスとして定着しているらしい。久々で美味しいのだが、ご飯が長粒米だから食べ難いね。 

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7月 6日(金) 朝から大雨 午後3時から雨止む

 マダン・マダンリゾートホテル「Janek Aben Restaurant」 ジュース目玉焼きと煮豆、

      トースト、フルーツ、コーヒー

昨夜9時頃から降りだした雨は夜中に大雨となり、朝になっても勢いは納まらない。今日一日フリータ

イムで、のんびりプールサイドで読書でもしようと思っていたからガッカリだ。希望者は、ビスマルク湾ク

ルーズ+BBQランチにどうぞ、と誘われたが、雨じゃなぁ。ホテルはどの部屋も禁煙なので、部屋のベ

ランダで雨の音を聞きながら読書。もう4冊目だ。隣の部屋のN雲さんの部屋で紅茶をご馳走になる。

 マダン・マダンリゾートホテル「Janek Aben Restaurant」 トマトスープ、パン、ビーフと

     野菜煮  ライスココナツミルクかけ添え、コーヒー

  

午後3時過ぎ、雨が止んだ。ようやく。カメラを持ってホテルの敷地を撮影して回る。また汗びっしょり。

  

      たくさんの島には子供だけのカヌーも      ヴィリア村では島民全員のお出迎え    子供達はシンシンの衣装で

  

          貝や花の首飾り、山のような果物の贈り物を用意して待っていてくれた         子供達と握手するF崎ママ

5時サンセットクルーズに出かける。美しい夕焼けは期待できないが、雨が止んだだけでもいいじゃな

いか。子供連れで島に帰るカヌーや子供達だけでカヌー遊びをしていると、近づいてはキャンデーなど

をプレゼント。そして・・・ヴィリア村の島に近づくにつれ驚きが広がる。遠目にも海岸に人々が走って集

まって来るのがわかるのだ。何十人いるのよ!長老のような方は孫達に晴れのシンシンの衣装でお洒

落までさせている。そして人々が花のレイや果物を持って待っていてくれたのだ。Tシャツや文房具や

お菓子をあげると喜ばれますと言われても、急なことで準備が無い。こっちがプレゼントされまくりで恥

かしい。しかし、そんなことには全く関係なく、屈託なく笑い喜んでくれる島の人々にただただビックリす

るばかりであった。彼らの笑顔をたくさん撮影したから、キレイなプリントにして後刻届けることにしよう。

夜 マダン・マダンリゾートホテル「HOUS WIN」 ムリサタニーカレースープ、ビーフウェリントン、

     ブロヴァとアイスクリーム、ビール 8キナ、白と赤ワイン @10キナ(サヨナラパーティで1杯サー

ビス)

  

早くも今晩がサヨナラパーティ。成田便は週1便だから8日の旅なのだ。明日は4時起き。早寝する。

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7月 7日(土) 朝からどしゃ降り 東京は曇り

朝 マダン空港の待合室にて 弁当(ベーコンエッグトースト、フルーツ、コーヒー)

4時に目が覚めると又もや大雨の音だ。何てこった!スーツケースを作って出し、6時には出発した。マ

ダンの空港で、ホテルが作ってくれたカンタンな朝食を摂る。715分発ですよね?え?飛行機が来

ない?また?来る時、7時間半も空港で待たされたから驚きもしないが、国内線は安定してないねぇ。  

朝のお茶 マダン・マダンリゾートホテル「Janek Aben Restaurant」 コーヒー

結局空港で待っていても疲れるからとホテルに戻って来た。9時過ぎ、飛行機が来るらしいというので

再び空港へ。プロペラの飛行機が飛んだのは定刻から4時間遅れの11時過ぎであった。1時間10

分ポートモレスビーに到着した時は心底ホッとした。これで帰ることが出来る。間に合わなかったら1

間滞在するか、それともオーストラリア経由で帰るか。ポートモレスビーでは極楽鳥もいる植物園を見

学する予定だったが、その時間も無い。と思ったら1時間でそこに行こうと言う。私は行きませんよー。

遅い昼 ニューギニア航空 ポートモレスビー=成田 ビジネスクラス機内食

    午後4時頃にランチ

私以外は植物園に行かれたのだが、往復で1時間かかり、植物園にいたのは数分で極楽鳥もよく見る

ことが出来なかった由。国際線はちょっと遅れただけ。だってこの便が成田に着いたら1時間後折り返

して来るんだもの。ビールと赤ワイン3杯飲んでちょっとウトウトしたら、もう成田に到着したのだった。

夜 舟町 「赤道」 ラーメン700円+煮卵 100円

    太くて硬い麺のラーメンです

成田からタクシーに乗ったら50分で着いた。しかし、もう午後10時近く。買い物して作るのはメンドウだ

からどこかで食べよ。少し前に近所に出来たラーメン屋に行く。その名も「赤道」。道を挟んだ隣の日本

一の細緬「一心ラーメン」に対抗したわけでもあるまいが「赤道」の麺の太いこと!その上硬くて、麺を

啜ることが出来ない。トンコツの濃厚な味で、私はこうゆうの苦手だわ。喉が渇いて仕方ない。 無酒日

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7月 8日(日) 曇り 午後から晴れ

朝 家食 寿司盛り合わせ、ひぃふぅ味噌汁、アロエヨーグルト

午前1時に寝たのに6時起床。毎朝早起きしていたからクセになったのか。昨夜ラーメン屋の帰りにコ

ンビニで買って来た寿司で朝食。さてと、昨夜しなかった洗濯やパクパク作成で今日一日は忙しいぞ!  

昼 四谷三丁目 「尾張屋」 カツ丼 820

    フランス戦480の完封を祝って

午前中、3つ荷物が届いた。買い物がてらお昼を食べに。やっぱここはカツ丼でしょ。昨日からアメフッ

トのW杯が始まったが、日本代表はフランスと戦い48−0で完封したのだ。遅ればせなが勝つ丼ね。

夜 家食 「楽粋」の極吟ぼっかけ冷奴、茄子とピーマンのしぎ煮、もずく酢、ネギ納豆、味噌汁、ご飯、

パイナップル

  

午前中届いた荷物には「楽粋」の豆腐も。極吟ぼっかけ豆腐には薬味もついていて鰹節や揚げ玉も入

っている。冷奴に揚げ玉?これがね、結構イケルのだ。納豆ご飯食べてようやく帰宅した気分。無酒日

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【今週の振り返り】

「YUMEKOさん、次どこに行くの?」と問われて「パプアニューギニア」と答えると、多くの人はちょっと

戸惑った表情を浮かべる。「えー、そこってどこにあるんでしたっけ」。パプアニューギニアは聞いたこと

はもちろんある。でも、それがどこにあると正確に意識している人はとても少ない。しかし、戦争を体験

している人生の先輩連ならすぐにわかる。パプアは日本軍の海軍基地があった♪さーらーば ラバウ

ルよー また来る日までー♪のあのラバウルがある国だろ?と。正解でーす、ラバウルはパプアニュー

ギニア(以下PNGと表記)のニューブリテン島にある。

オーストリアの最北端ヨーク岬から僅か160キロ北に横たわるニューギニア島の東半分がPNGだ。因

みに西半分はインドネシアのイリアンジャヤ州。ニューギニア島の半分と小さな島の合計とはいえ、そ

の面積は日本の1,25倍だ。パプアはマレー語で「縮れ毛の人」を意味し、ここに住むメラネシア人の縮

れ毛を見てパプア人と呼んでいたらしい。ニューギニアはアフリカのギニアの人に似ているので、「ニュ

ー」+「ギニア」。19世紀後半、オランダ、ドイツ、イギリス(後にオーストラリア)の領土となり、オランダ

領だった西半分はインドネシアに、パプアとニューギニアが合併して今の国のカタチとなった。1975

独立して英国連邦下に入り、正式な国名をパプアニューギニア独立国と言う。名目上の元首はイギリ

スのエリザベス女王である。

公用語は英語で620万人の国ではあるが、実際の言葉の種類は800とも1000とも言われるらしい。

数十人から数百人の部族が「ワントーク」と言って独自の言葉、習慣、伝統を持っているからだ。世界

の土着言語の三分の一はPNGの言葉というからスゴイじゃないか。その部族同士の争いも多かった

せいか、戦う時以外男達は部族特有の衣装や極楽鳥、貝殻、動物の歯などで飾り付けたヘッドドレス

の工夫に余念が無かった。ニューギニアの地形は厳しい。飛行機で2度上空を飛んだが、海岸部のわ

ずかな平地以外は山また山の連続だ。それも3千メートル級の高い山、深い谷、最高峰は4500メート

ルを越える。だから、海外からトレッキングに来る人も多い。そんなことで、海岸部と、内陸部・山岳部

の交流は、20世紀も大分過ぎてからのことになる。だからこそ、手つかずの内陸部・山岳部には、多く

の部族に昔ながらの生活が残っているのだろう。私の叔父は2人戦死し、1人は生還したが、この島で

旧日本軍と連合軍が熾烈な戦いを繰り広げたことを思い出すと胸が塞ぐ思いだ。こんなに険しくかつ美

しい島を戦場にしてしまった同じ日本人としての苦過ぎる思いと、ここで命を落とした多くの兵士の無念

さを思って。

国民の90%が自給自足の生活で、余分な作物を物々交換で暮らす人が多い。熱帯だから着るものも

さほど要らないし、多くの人は裸足だし。それにどこにでもたわわに実るバナナやパパイア、パイナップ

ルなどの果物がある。飢える心配は無い。いくつかの村を訪ねてたくさんの子供達に会ったが、モノや

金をねだったりはしない。大人は煙草くれとうるさかったけどね。貧しいのに、貧しさらしさを感じていな

いし、感じさせない不思議な人々。どこの町でも村でも、笑いかけると老人も大人も子供もニッコリ笑う。

とても人懐こい笑顔だ。写真を撮って映像を見せると、子供達はポカンと口を開けてびっくりする。海外

を旅していても、これほど現地の人と触れ合うことは無かった。最後に出会ったヴィリア村の人々の大

歓待には胸が熱くなり、船が出る時、「世界うるるん滞在記」の旅人のように涙がこぼれそうになってし

まったよ。PNGのみなさま、お世話になりましたー。テンキュートルー!!!

           ボクもうるるん体験したかったニャア

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