パクパク日記7年9月2週
森と ンカツ 湖に ンニク 囲まれて ンプラ そんなフィンランドに行きましたー!
コリ国立公園
ピエリネン湖の夜明け
9月 10日(月) 降ったり止んだり
朝 家食 味噌雑炊、もずく酢、甲州ぶどう「藤稔」、黒烏龍茶
7時に起きる予定が、誰かが(誰って誰よ!一人暮らしで)目覚ましを止めたらしく、起きたら8時半だっ
た。ガバッ!慌てる。急いでシャワーを浴び、ちゃちゃっと朝ご飯。冷蔵庫はほぼカラッポになった。10
月の宿の手配、10月歌舞伎座チケット購入など朝から忙しい。そんなことでN原先生の予約時間を
15分も遅刻しちまった。意外かもしれないが私はかなりパンクチャルな人間なので遅刻するとメゲる。
昼 新橋 「スマトラ」 スマトラカレー 540円、ルーのみ大盛り+60円、らっきょ 60円
今日のカレーボケてない?
朝から雨が降ったり止んだりヘンな天気だ。写真屋に四つ切サイズの紙焼きを依頼し、新橋へ。スマト
ラカレーも久しぶり。奥さんは私の顔を覚えていて「この席なら写真撮りやすいわよ」と配慮してくれる。
ありがとね。何十年も食べ続けているカレーだが、今日はちょっとだけ味がボケていたような気がする。
午後のお茶 新橋 「エクセルシオール」 アイスコーヒー 250円
美容院は空いていたので早めに終了。髪のカット&カラーをお願いに来るのだが、一番の目当てはH
塚さんの肩揉み。大きな手で揉んで貰うと力が強いからヨダレが出そうなのだ。あちこちにある「○もみ
ん」なんて店は、下手ッピ―ばかりで行かなくなったが、ここは実に効く。銀行に寄って、コーヒーチェー
ン店の地下に行くと、カタカナ会社時代の部下S井君がいた。やぁやぁ久しぶり、元気でやっている?
夜 四谷四丁目 「金吹」 お任せコース(とんぶり豆腐、玉葱とオカカのサラダ、鶏ゲンコツスープ、
ぶ
主人の匠ちゃんに、「久しぶり過ぎる!」と叱られる
帰宅して洗濯。立つ鳥跡を濁さずってね。帰国後の宴会の店を予約したりで結構忙しいぞ。よく「ホテ
ルや飲食店の予約をする」って文言が出てくるけど、後輩との飲み会であっても「YUMEKOさん、予
約お願いします」となる。飲み屋、食べ物屋はYUMEKOに任せておけばいいんだよ、という空気があ
るのと、馴染み客の私の方が店の良い席が取れるとかサービスがいいと思い込んでいるのだと思う。
ほぼ旅の準備が出来たので「金吹」に飲みに行く。私が今の住まいに引っ越して来るキッカケになった
店の一つである。お任せの最後に出て来たオイスターソース炒めがかなり旨かった。早めに退散する。
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9月 11日(火) 今日も曇ったり降ったり
朝 白山 「プラス」 モーニングサービスBセット(サラダ、茹で卵、トースト、ジャム、コーヒー) 450円
昔から喫茶店のモーニングサービスが大好き!
早めに起きて、シャワー浴びて、家中のゴミのまとめ。お腹ペコペコだけど、新たなゴミを出さないため
に朝食は「待て!」。西洋系病院に行く前に、喫茶店でモーニングサービス食べるんだもん。昔はこの
モーニングが大好きで、通勤の途中あちこちの喫茶店で寄り道したものだ。茹で卵とトーストが好き!
昼 四谷三丁目 「尾張屋」 勝つ丼 820円
私がいなくても勝つんだよ!
寒い国に行くので風邪を引くかもしれないし、足も攣る可能性も高いし、とたくさん薬を貰って来た。え
へへ。留守中、アメフットチームは第2戦で重要な一戦を迎える。その試合の応援が出来ないことが心
残り。それなら、今から勝つモノ食べる?うん、それがいい、と「尾張屋」の勝つ丼。絶対勝つのだよ!
夜 成田・日航ホテル 「サンセットラウンジ」 きゅうりと白菜の甘酢漬け(小) 900円、野菜の
クリー
円、生ビー
夕刻成田空港で両替と保険に加入し、ホテルへ。前泊も度重なり、ホテルをあちこち変えていたが、最
近はメンドーなのでこのホテルに決めている。しかも夕食を摂るレストランさえも。最上階のラウンジで
お酒グビグビ飲みながら、2階の中華レストランから出前を取るんさ。小さいポーションにすれば何皿も
頼めるし。きゅうりと白菜の甘酢漬けがムッチャ旨いぞ。さすがに炒飯は半分残した。あぁ満腹である。
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9月 12日(水) 成田はドシャ降り 1ユーロ=約160円
第1食 成田・日航ホテル 「セリーヌ」 朝食ヴュッフェ
ヴュッフェのおかずが減ったぞ!
6時起床。お風呂に入って髪も洗ってと。外はドシャ降りである。国内旅行に行くのでなくて良かったよ。
いつものように1階のレストランは色んな国の人達で大混雑。あららー、和食系のおかずが減ったか?
朝のお茶 成田空港 「サクララウンジ」 アイスコーヒー
今朝は空港でとんだドジを踏んでしまった。しかも3度。ドジ1。セキュリティチェックを受けてから、受付
カウンターにリュックを忘れたことに気付き戻る。ドジ2。うっかりしてウィスキーを2本買ってから乗り継
ぎがあることに気付く。ヘルシンキで没収された。ドジ3。シャトルに乗って喫煙コーナーのある「アスカ
ラウンジ」に行くと既に廃止されていて、またシャトルで戻って「サクララウンジアネックス」へ。アホか!
第2食 フィンランド航空 成田=ヘルシンキ ビジネス機内食
11時発ヘルシンキ行きのフィンランド航空。何とこの航空会社は初めて乗るのだ。そういえば、フィンラ
ンド航空は、最後まで国際線で喫煙席を残していた会社だったなぁ。よしよし。エアバスの新しい機材で
乗り心地良し。前回ファーストクラスとはいえ、酒も出ないエジプト航空だったからね。酒が出るからって
調子に乗りジントニック2杯、白ワイン1杯、赤ワイン4杯飲んでしまった。ヒック!飲み過ぎちゃったよ。
第3食 フィンランド航空 成田=ヘルシンキ ビジネス機内食
ほんのちょっとツツいただけでオシマイ
ヘルシンキは日本から一番近いヨーロッパ。行きで約10時間なんだよん。時差はサマータイムで6時
間差。他の北欧諸国とも時差が1時間ある。現地時間で3時ピッタリにヘルシンキに到着したのに、使
用ゲートが塞がっているとかで、飛行機は1時間近くも空港をうろうろ。こっちは国内線に乗り換えるん
だからね、早くしてよ!さんざん待った上、一番遠いゲートで下ろされ全員で急ぐ急ぐ。待ってくれー!
夕方のおやつ フィンランド航空 ヘルシンキ=ヨエンスー クッキーとコーヒー
ヨエンスー行きが遅れたお陰で、煙草1本吸い、トイレにも行くことが出来てホッとした。1時間で到着。
第4食 フィンランド・ヨエンスー 「ソコスホテル・キンメル」 サラダ、パーチ(淡水魚)とマッシュポ
テト、パン、アイスクリーム、3点セット(ビール、白ワイン、赤ワイン @5ユーロ)
北カレリア地方の玄関口ヨエンスー空港に降り立つや寒いぞ!瞬間、洟水がこぼれた。あらもう風邪引
いた?自分ながら反応が早過ぎてびっくり。その上ホテル到着早々安倍首相が辞意を発表したと聞い
て2度ビックリ。このタイミングなのかぁ?旨くもない夕食は半分以上残し、3点セットの酒。疲れたな。
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9月 13日(木) 曇り時々小雨
朝 フィンランド・ヨエンスー 「ソコスホテル・キンメル」 朝食ヴュッフェ
パンとヨーグルトが旨い
昨夜9時半にお風呂にも入らず寝てしまったので起きたら4時半だった。夜中に足が攣って痛かった。
よじ登るようなバスタブで苦労して入浴と洗髪。お腹が空いた。北欧の国はナゼか朝食にレバーペース
トが出るのよね。レバーは嫌いだけどこれは好き。そこにA木さん登場。おはようございます。A木さん
は11日前帰って来たケニアの旅行でもご一緒だった。昨日成田で会ってビックリ。添乗員のI原さんも
ケニアで一緒だったしケニア11人のうち3人がフィンランドに来たことになる。ケニアの思い出話など。
カレリア地方の民族楽器「カンテレ」 岩波文庫からも「カレワラ」が出版されている
この刺繍は難しそう
今回のツァーのタイトルは「カレリア地方・フィンランドの原風景に触れる旅」。だから首都ヘルシンキを
後にして北カレリア地方のヨエンスーに入った。朝食後、ロシアとの国境に近いイロマンツィへ。そこが
最もカレリア地方らしい風景を残しているという話だ。オールド・カレリア・ヴィレッジの「ザ・バード・ハウ
ス」を訪問。この地方の家屋で、カレリア地方に伝わる刺繍や民族抒情詩「カレワラ」の話、そして独得
の楽器カンテレの演奏を聞いた。カンテレは、小さいもので5弦、大きいもので38弦あり、ガットギター
とハープシコードと大正琴を合わせたような音がする。しかしどれよりも繊細で透明感のある音だ。近く
の教会に皆さん見学に行っている間カンテレを弾かせて貰った。私が弾いても良い音がするのだった。
昼 イロマンツィ 「PERINIVERUOKA」 カレリア地方料理のヴュッフェ
名物のカレリアパイ 旨いか? うーむ、素朴・・・
近くのレストランでランチ。スェーデンとロシアに統治され続けたこの国には、名物料理というようなもの
が少ない。強いて言えば、カレリアパイ。これがミルクライスとか小量のチーズを入れて焼いただけの
極めて素朴な味でして。豊富に採れるベリーソースをかけると何とか食べられるか。雨がシトシト降る。
ビルの2階に北カレリア博物館はある 国土の65%は森林の国だ 国立コリ公園の眺め
ヨエンスーの街に戻り、「北カレリア博物館」へ。650年スェーデンの支配下、その後の約100年ソ連に
統治されて来たフィンランドは、独立してから今年で90年という若い国だ。1917年独立後も、何度か戦
いがあり、東カレリア地方はソ連に割譲されてしまった。博物館ガイドの高齢な女性は、そうした割譲さ
れた東カレリアの町から逃げて来た体験を持つ。町の模型を指しながら「これが祖父の家だった、ここ
は我が家の畑だった、ここのパン屋さんがたくさんのパンを焼いて逃げる人にパンを渡して最後まで残
った・・・」と昨日のことのように熱の入った体験話をしてくれた。実話だから訴える力は強い。「日本の
皆さんも北方領土をロシアから返して貰うために共に戦おう!」とも。はぁそうですね・・・ちと恥かしい。
夜 コリ国立公園 「ソコスホテル・コリ」 マッシュルームスープ、黒パン、七面鳥のソティ、アップ
ルアイ
2時間程バスを飛ばし、コリ国立公園へ。日本の9割の国土に530万人位しか住んでいない国だから
この辺りで渋滞なんてゼッタイないのである。小高い丘に立つホテルからピエリネン湖の美しい姿が見
渡せる。シベリウスは、この風景を見て交響詩「フィンランディア」の曲想を練ったそうだ。私も何かメロ
ディーが出て来るだろうか・・・何も出て来ない・・。それより、シベリウスも泊まったこのホテルが全館禁
煙と聞いて動転していた。うぅーぐるじー。ここで2泊だぞー!夕食後A木さんとA野さんを部屋に誘って
ケニアの写真をお見せする。7冊のアルバムを持って来たのだった。このヌーのジャンプ凄いでしょ?
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9月 14日(金) 快晴!
朝 コリ国立公園 「ソコスホテル・コリ」 朝食ヴュッフェ
今日は見事に晴れた! シベリウスはこの風景を見て交響曲「フィンランディア」のインスピレーションが・・・
部屋で禁煙するのはツライから、夜はすぐ寝てしまうことにした。夜中に2回も足が攣って、その度に薬
を飲む。どうなっちゃったんでしょ。よって今朝の2時間ハイキングは参加しないことに決め、そのヘン
を一人ハイキング。ずっと雨まじりの天候だったが今日は見事に晴れ渡る。紅葉が始まりかけた木々
が真っ青な空に美しいぞ。時折小鳥の鳴き声がするだけの恐ろしい程の静寂。空気もおいしいなぁ。
昼 リエクサ ホッテリ「Jvustelli」 ランチヴュッフェ+マッコリーソーセージ
写真には無いがマッコリーソーセージは太くて旨かった
本来なら、ピエリネン湖を船で渡るはずだったのだが、船は修理中とかで無し!代わりの船を用意しま
しょう、なんて発想はこの国には無いらしい。だからバスで2時間もかけ対岸のリクエサに行ったのサ。
パーテリにあるエバ・リューナネンが夫PAAYOと住んだ手作りの家 住みやすそうな手作り家具が並ぶ
エバの作品は子供達や動物などがテーマで、どれも優しさに満ちている
木製の小さな小さな教会 祭壇にはフィンランドで一番大きかった白樺の木が使われていた
食後、パーテリで素晴らしい彫刻家に出会った。女性彫刻家エバ・リューナネンは2001年既に亡くなっ
ているから実際に会ったわけではないが、彼女が夫と暮らした居心地の良い家、広い工房、そして作
品の一つである木の教会を見て触って彼女を感じた。1915年生まれの彼女は、大学で知り合った1
歳上の男性PAAYOと結婚。偶然同郷であったことからパーテリに移り住んで農業を始める。若い頃か
らの趣味であった木彫は、フィンランドの人気物語である「七人兄弟」(アレクシス・キヴィ作)をテーマに
した作品で認められてはいたが、1970年55歳の時開いた個展で注文が殺到し、以来農業は夫任せ
で作品作りに没頭したと言う。子供や動物を題材にした作品が多く木のぬくもりからエバの温かさが伝
わって来る。小さな木製教会では日本人カップルも結婚式を挙げたことがある由。私もここならする?
夜 コリ国立公園 「ソコスホテル・コリ」 サラダ、エルク鹿とマッシュポテト ベリーソース、クランベ
リーシャーベット、3点セット 17ユーロ
エバのお陰で優しい気持ちになってホテルに帰る。ここは1896年建てられシベリウスも泊まったことが
ある由緒あるホテルなのだそうだ。夏場は予約が取り難く、入り口のホールや階段の踊り場にもエバ・
リューナネンの作品がさりげなく展示してあった。彼女は約500点の作品を生んだというが、1点位わ
けて貰いたいよ。夕陽の紅いベルトがいつまでも残る中で夕食。写真の出来が悪いので割愛します。
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9月 15日(土) 晴れのち曇りのち小雨
朝 コリ国立公園 「ソコスホテル・コリ」 朝食ヴュッフェ
苦手なオートミールをガマンして食べる
部屋での禁煙がツライから毎晩9時過ぎには寝てしまう。よって朝はエラク早起きとなる。今朝も暗い
中玄関から外に出て「おぉさぶ!」っと震えながら煙草を吸い、入ろうと思ったら鍵がかかっていて開か
ん。こりゃアカン。インタホーンを押したり、ガラス扉をガンガン叩いたりするが、開かん。益々アカン。早
朝締め出されて20分程悪戦苦闘して、ふと冷静になった。扉に何やら書いてある。「締め出されたら1
階の入り口から、部屋のカードキーで入って来い」って。早く言ってよ!代わりに1番に朝飯を食べた。
ヴァラモ修道院は現ロシアのラドカ湖ヴァラモ島から1947年移築された
上は新しい教会
東カレリア地方がソ連に割譲されたことで修道院も移築されることになった チラチラと紅葉も
フィンランドは、朝晴れてもいつの間にやら小糠雨。雲の動きが速く、天候がめまぐるしく変わる。ヴァラ
モ修道院に向かう途中、道路の先は川だった。どうするのかと思えば機械操作であっちとこっちを艀に
車を載せて移動するのだ。フィンランド版「矢切の渡し」である。ヴァラモ修道院着。10世紀にラドガ湖
に浮ぶヴァラモ島にギリシャ正教の大きな修道院が建設されたが、後に東カレリアの割譲によりソ連の
領土となる。共産主義の宗教弾圧を恐れて、1947年この地に修道僧達と共に修道院が移築された。
昼 サヴォリンナ 「Majakka」 マッシュルームスープ、温かいパイ、パーチ(淡水魚)のフライ 温
野
サヴォリンナに向かう。バスの中で読んでいた「般若心経」読了。ここはハウキヴェシ湖とピ−ラヤヴェ
シ湖の中州のような場所にある町で、この国では夏場のリゾート地として有名なのだそうだ。7月には
サヴォリンナ・オペラ・フェスティバルが開催され人口2万7,8千人の町が6.7万人に膨れ上がると言
う。お金持ちのお客が多いのか、ブティックやレストランもお洒落な感じの店が多い。今日のランチはと
ても美味しい!マッシュルームのスープも濃厚だし、パーチのフライも揚げたてでサックリ。大満足だ。
ゲーム「ドラゴンクェスト」のモデルとなったオラヴィ城 砲台もあれば教会もあるのさ
午後はオラヴィ城の見学。フィンランド3古城の一つというより、世界的に爆発的ヒットしたゲーム「ドラ
ゴンクェスト」のモデルになった城と言った方がいいか。しかし「ドラクエ」と言っても今回参加者の7割
は「それ何?」って世代だから説明が難しいね。私は世代的にはよくわかるが、ゲーム嫌いだからどう
似ているのかはわからんかった。スウェーデン統治時代、対ロシアの要塞として1457年築城された。
要塞としてよく機能したが、後にロシアに奪われて、ロシア側の増築の跡も見られる。急な石の階段を
登ると小さな教会もあり、毎土曜日結婚式も行われる由。セントオーラの守護神の像が佇んでいたよ。
夜−1 ケリマキ 「ホテル ヘルットゥア」 ディナーヴュッフェ 3点セット 17ユーロ
今晩から、サヴォリンナから20分程離れたケリマキのホテルに2泊する。またもや全室禁煙だそうで、
目の前が真っ暗。その上指定された部屋を見て言葉を失う。陰気なことこの上なく、まるで病院の霊安
室のようではないか!こんな所にいては気が滅入る。明日飛行機の便取って貰って一人で帰っちゃお
うかな・・・。と思ったら、添乗員のI原さんが気を利かせて別の部屋と代えて下さった。今度の部屋は狭
いけど明るい。1階と2階でどうしてこんなに差があるのだろう。一番奥の部屋だから、非常階段で煙草
吸っちゃおう。ひっひっひ。夕食は、ご一緒した方のメキシコでの失敗談で大笑いとなり、食事が終わる
まで5人笑い続けたのであった。明日帰る!とさっきまで怒っていたのに人間は勝手なものですなぁ。
夜―2 ケリマキ 「ホテル ヘルットゥア」のバー ジントニック 5,7ユーロ
ヘルシンキ空港でウィスキーボトルを2本没収されて以来、部屋では酒を飲んでいない。煙草も吸えな
いからすぐ寝てしまうからね。入り口にスタンドバーがあったので久々にジントニックを1杯立って飲む。
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9月 16日(日) 曇り 一時雨 午後より晴れ
朝 ケリマキ 「ホテル ヘルットゥア」 朝食ヴュッフェ
ホテルの前の湖に朝靄がかかり幻想的
フィンランド人にサウナは必須
世界最大の木造教会であるケリマキ教会
こちらに来てからの気温は、朝晩は4度から8度位、日中は12度、天気なら14度といったところか。
ズボンの下にはロングパンツを履いているし、シャツだって着ている。つまり東京の冬用の恰好をして
いるわけだ。旅の半分経過したので、上から下まで全部着替える。希望者は朝食後ハイキングに出か
けられた。私はいつものように「一人散策」しながらカメラをバシャ!このホテルは、前も後ろも湖に囲
まれている。その間には杉を中心とした森。散歩すると、家の近くに小さな建物を見つける。その家専
用のサウナだ。ホテルにも必ずサウナがあり皆さん毎日喜んで入られているが、サウナは大の苦手。
いくらサウナの本場に来たからってキライなものに入ることは無いわなぁ、と一度も行かないのだった。
フィンランド森林博物館は見応えがある
木のアート作品
木材を曳く馬のポスターです
フィンランドの森林業に馬は大活躍 森林の四季が表現されている これは秋の風景です
世界最大の木造教会であるケリマキ教会を見学。この教会は、フィンランドでも一番収容人員が多く、
その数5千人!どうしてそんな大きな教会を作ったのかと聞けば、建設時の司祭が町の人口の半分が
一堂に入れるようと考えたそうで、木製にしたのは「それが一番安かったから」ですって。クリスマスに
は、内部が無数のキャンドルで飾られ大人気になる今年160周年を迎えるルター派の教会であった。
バスで30分位走ってプンカハリューへ。ここでは地下洞窟を利用したアートセンターも見る予定だった
が何かの理由で中止となり、フィンランド森林博物館をゆっくり見ることに。この博物館が楽しかった!
国土の65%が森林に覆われるフィンランドにとって最大の産業は、やっぱり森林業。彼らが、この厳寒
の地で森を育て、守り、伐採し、運び、加工して来たかが誰にもわかりやすいように展示されている。中
でも機械化されていない時代大活躍していた馬の表情がいい!木を愛して来た国なんだと実感した。
昼 プンカハリュー 「LUSTO」 ランチヴュッフェ、ドーナツ 1,5ユーロ
買ったドーナツが不味い・・・
博物館の真ん前のレストランでランチ。明るく清潔な店でヴュッフェのチキンが旨い。ドーナツ不味い。
蔦も紅くなり、湖クルーズに出かける オラヴィ城とフィンランド国旗
3時40分船に乗り込み、湖のクルーズを楽しんだ。オラヴィ城を外から見ると、確かに城のある場所は
水流がフクザツで急だ。その影響で、ここは冬季も氷結しないのだそうだ。波は穏かだが風が冷たい!
夜−1 ケリマキ 「ホテル ヘルットゥア」 ディナーヴュッフェ 3点セット
ホテルに帰る途中、いくつかの虹を見て、皆ごキゲンで帰って来た。こちらに来てから食事はヴュッフェ
が多い。それは諦めてはいるのだが、夕食が同じホテルで2度となると、さすがにウンザリ。酒ばかり
飲んで食事は進まない。サラダなどちょいちょいとね。今晩もA木さんがご馳走して下さり、恐縮至極。
夜―2 ケリマキ 「ホテル ヘルットゥア」のバー ジントニック 5,7ユーロ
パジャマの上にシャツを着て、2階の非常口で煙草を吸って寝るが、どうしたわけか今晩はなかなか寝
付かれない。たいして考え込むようなことは無いのになぁ。レンドルミン半錠飲んでようやく眠りにつく。
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【今週の振り返り】
「スカンジナビア3ヶ国といえばデンマーク、スウェーデン、ノルウェーを指し、北欧4ヶ国ならフィンランド
を足し、5ヶ国ならアイスランドを含める」。2年前、スカンジナビア3ヶ国を訪問した時の「今週の振り返
り」にこう書いた。そうなのだ、北欧4ヶ国のうち、フィンランドには行っていないのだった。フィンランドを
ジックリ訪ねるとしたら、いつがいいだろう。夏?オンシーズンのピークは、あっちゃもこっちゃも大混雑
だろう。レストランで見渡せば日本人グループばかり、なんて光景もあるに違いない。夏ヤメ。サンタク
ロースの国だから、クリスマスシーズン?寒いしなぁ、オーロラだよなぁ・・・。そんな時、北欧の旅行パ
ンフレットの中に「歴史と文化を継承する地方を巡りフィンランドを深く知る」旅を見つけた。フィンランド
を深く知るのかぁ、じゃ、それにしよ。
北欧4ヶ国の中でも、デンマークとスウェーデンは取ったり取られたりの歴史を持つが、フィンランドは、
西に位置するスウェーデンと東側に覆い被さるようなロシアの大国に挟まれて翻弄され続けて来た。ま
ずは12世紀、十字軍の名のもとにスウェーデンが攻め入りカトリック信仰を根付かせる。そこにノブゴ
ロド共和国が南東から攻め入って、スウェーデンとの間で「カレリア地方を半分にして分けよう」と決め
る。その後スウェーデンは宗教改革でルター派に改宗し、勢力を東側にどんどん広げて行く。この時奪
われていた東カレリアのみならず、バルト三国やレニングラード地方も領土を広げたが、ピョートル1世
に敗れて1721年東カレリアはロシアの土地となる。19世紀になると、ナポレオン戦争でフィンランド全
土はロシアに併合された。フィンランドにしたら、ったくもう、なのである。しかし、自治領としては認めら
れたから、この頃からフィンランド人とは何か、フィンランドらしさは何ぞや、と言った国としてのアイデン
ティティが模索されるようになった。それがカタチになったものが、強制されていたスウェーデン語では
ないフィランド語による民族的叙事詩「カレワラ」や、シベリウスの民族的な作品などだ。19世紀も終る
頃、ロシアはフィンランドの自治権を奪おうとロシア化を強化し始める。しかし、ロシア皇帝の弱体化が
進み、ロシア革命が起こると1917年12月フィンランドは独立するのである。スウェーデン下で650年、
ロシアの下で100年余、ようやくの独立であった。
しかし、本当の苦難はここから始まる。ブルジョア階級と労働者階級での内戦が起こり、それが収拾さ
れると、次は第二次世界大戦が始まる。ソ連はレニングラード防衛のために、カレリアをよこせ!と言
い、「イヤだ!」と断るとソ連50万人の大軍が攻めて来て強引に奪う。その後、ナチスドイツとソ連の戦
争に巻き込まれてドイツ軍について再びソ連と戦うことに。しかし、フィンランドはここで「戦争は止めた
よ」とドイツ共同戦線を離脱。ドイツは怒って北のラップランド地方を徹底的に破壊するわ、ソ連は「お詫
びとしてカレリア地方の割譲と2億ドルの賠償金を払え!!」と居丈高に言うではないか。2億ドルって
国民所得の1割だよ?ホントウに、フィンランドってカワイソーな国なのだ。そしてカレリア地方ほど他国
の衝突の舞台になり続けた地域を他に知らない。が、フィンランドはここからがエライ!ソ連への2億ド
ルの賠償金は、支払い期限の10年を遥かに繰り上げて6年でポンと返しちゃった。1952年にはヘル
シンキオリンピックまで開催したのだよ。因みにこのオリンピックは、日本が戦後初めて参加した大会で
あった。
独立して90年。フィンランドは、世界有数の高福祉国家となった。PISAという41ヶ国が参加する学習
到達度調査というものがあって、2003年フィンランドは世界1位(数学的能力2位、読解力1位、科学
的能力1位)だったそうだ。随分昔から学校は週休二日制、夏休みは2ヶ月半(宿題ゼロ!)、塾には行
かないでこうなのだ。どっかの国に教えたいと思ったら、日本からもう見学には行っているらしい。
水も世界で一番きれい。それに、コーヒーの消費量も一番なんですってさ。「スウェーデンとスイスが激
しく追い上げて来るので、旅行者の皆さんもフィンランドにいる間はどんどんコーヒー飲んでね。フィンラ
ンドのコーヒー消費世界一を死守するぞ!」と子供時代徳島で育ったというフィンランド人のガイドが私
達にハッパをかける。確かに、コーヒーもとても美味しいのだ。フィンランドの辛く苦しい歴史を知っても
どうもこの美しい大自然とマッチしない。同じ国で起こったことと思えない。それほど、フィンランドの森と
湖の風景は透明な美しさをたたえているのである。フィンランドの旅は続く。
ナマ猫達は家の中にいるから、僕らが代わってご挨拶だニャン
* フィンランドの旅の第2弾は、近日アップしますよー!楽しみにねー!