パクパク日記8年6月1週

        ショパンやキューリー夫人、コペルニクスを生んだポーランドにいまーす!

 ショパンの像 グダンスク

6月 2日(月) 曇り のち雨  今日から関東地方も梅雨入りしたらしいよ

朝 家食 トマトと鰯の激辛夢子カレー、味噌汁、もずく酢、アロエヨーグルト、黒烏龍茶

    夢子カレーさん、またねー!

大きな鍋いっぱいにカレーを作っても、4回食べると無くなる。一人で食べているけど、やっぱり無くなっ

ちゃう。寂しい・・・。辛くて酸っぱくてコクのあるこのカレーが大好きだ。惜しむように朝カレーを食べる。

昼 舟町 「温州軒」 タンメン 700円

    究極の狭さの店内!

美味しいタンメンが減った。中学時代から愛し続けたたんめん。高校時代は、学校帰りに親友と毎日の

ようにタンメンを食べた。その友人も「タンメンちゃん」とニックネームをつけられる程のタンメン好きだっ

た。ラーメン専門店が増殖する中、街場の中華屋は減り、美味しいタンメンも減った。近所に昨年出来

た中華屋前に貼り出されたメニューにタンメンを見つけた。初めて入ってみた。窮極の狭さ!厨房でほ

ぼ一杯の店内に張り付くようにカウンター席が6席。ホール(?)担当の女性はいる場所が無いので、

いつも店の外にいる。スープの味は悪くないな。麺は細めで茹で過ぎ。もやしの先が黒いのはイヤだ。

午後のお茶 舟町 「にんじん」 アイスコーヒー 500

喫茶店が減った。値段の安いコーヒーチェーンが雨後の筍のごとく街に溢れる時代、経営は厳しいに

違いない。客として応援したいが大してサービスもよくないのに500円払うのはやっぱり惜しいと思う。

夜 早稲田・リーガロイヤルホテル東京「セラーバー」 (持ち込みの激辛わさび柿の種)、オニオ

       ングラ タンスープ 1200円、ねぎトロ巻 2000円、オイルサーディン 1000円、生ビール、ジント

       ニック  3杯 @8600

  

    久しぶりの運動でクタクタ

ヘルスクラブに行く。タクシーで。「お客さん、すみませんが後部座席もシートベルトを・・・」。あぁそうだ

ったね。面倒くさい!禁煙+値上げ+シートベルト義務。タクシーに乗るのも考えなくちゃイカンな。40

分みっちりプールで運動してバテバテ。お風呂に入る時体重を測ったら、この数年の最重記録!運動

の後は「セラーバー」でバー飯。ビールぐびぐび飲みプッハーッ、2時間ぶりの煙草をスパーッ。サッカ

ーのオマーン戦は3−0で勝った。バーレーンに負けた時は「どうすんのよ!」と怒ったが、スカッとした。

俊介の3点目のシュートカッコ良かった。続いて中田英寿の番組を観る。2年で70数ヶ国に行ったの?

負けた。彼は日本に帰らず回っているし。中田は「旅、ときどきサッカー」、私は「旅、しょっちゅうご飯」。

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6月 3日(火) 雨 台風5号が北上中

朝 家食 「メリッサ」の豪華なサラダ、トースト、ワカメスープ、でこぽん

  

昨日から関西と関東地方は梅雨入りしたそうだ。今朝も雨。でも、これは伊豆諸島あたりを北上してい

る台風5号の影響らしい。何か今年は台風の来方が早くないかい?昨夜、リーガロイヤルホテルの「メ

リッサ」で洋風惣菜を買って来た。サラダを皿に移してみるととんでもなく豪華。朝食にはもったいない。

昼 四谷三丁目 「南昌飯店」 野菜と椎茸入りタンメン 700円

    美味しいタンメンはどこに?

久しぶりにN原先生の治療室に行く。3週間ぶりのデトックスは、ほとんど毒が出ず、2人で「おかしい

なぁ」と首を傾げる。この3週間いろんなもの食べたのにねぇ。昨日タンメンを食べて「タンメン心」に火

がついたのか、今日も。麺は硬めでもやしの先も黒くはなかったが、野菜少なくスープがどうも・・・・・。

夜 家食 「メリッサ」のハンバーグ、「紀文」の黒胡麻豆腐、「天ぷら荘司」のちりめん山椒、ネギ納

      豆、ご飯、味噌汁、でこぽん、黒烏龍茶

  

出発日が近づいて来たので、旅の準備をする。今回は、懐中電灯も虫除けスプレーも水着も防寒着も

必要ない。日本よりかなり北だから長袖と上着スタイルだが、最近のうすら寒さが思い出し作業に役立

った。カメラのメディア、乾電池なども準備してと、そうそう旅行中読む本も選ばねばな。旅、特に海外

旅行はまとまった読書時間が取れるので嬉しい。早めに準備が終わったので、HDD録画の古い映画

を観る。「その男ゾルバ」。ギリシャのクレタ島を舞台の白黒映画は、アンソニー・クィンが主役のゾルバ

を見事に演じてアカデミー賞を受賞した。確かに、この映画はスゴイなぁ。夕食はカンタンにね。無酒日

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6月 4日(水) 曇り

朝 家食 トマトときゅうりの生野菜、トースト、味噌汁、アロエヨーグルト、でこぽん、黒烏龍茶

  

7時起床。今晩は成田で前泊する日だったな。というわけで、早朝から朝風呂、朝食、カンタン掃除、ゴ

ミのまとめ、アマゾンへの返品作業、スーツケースの最終チェックなど忙しい。宅配便の時間指定は便

利なものであるが、午前指定だと9時から12時まで3時間の幅がある。9時1分に来るかもしれないか

らと早めに荷物を整えても、取りに来るのは結局11時59分だったりすることもある。いつか、「すみま

せーん、遅れちゃって」と12時過ぎて来たこともあった。この時間外に出かけられなくて困るのよねぇ。

昼 荒木町 「アンシャンテ」 リゾットランチ(サラダ、オードブル、シーフードトマトリゾット、デザート、

      オ レンジジュース) 1000

  

ランチは「アンシャンテ」。12時半に行ってみるとほぼ満員!1つだけ空いているテーブルは天井から

日光が燦燦。写真の白がみんな飛んでしまった。これで1000円はやっぱりお得だわ。奥さんが「よつ

やこくているのご主人亡くなったんですってねぇ」なんて話し掛けて来た。帰り道、荒木町の小路をぶら

ぶら歩いて「鈴なり」の前を通りかかったら、お掃除中の奥さんと会った。その場で2夜分予約した。彼

女と話していたら、「おく谷」のご主人が自転車で通りかかって挨拶。続いて「おちあい」の横を歩くと、

お父さんが自転車で仕入れに行くところだった。「帰って来たらまたおいでよ」。荒木町界隈が好きだ。

夜 成田・日航ホテル 「サンセットラウンジ」 中華オードブル盛り合わせ、胡瓜と白菜の甘酢漬け、

     蟹 入り炒飯、生ビール×2杯、ジントニック×3杯 @8600

  

最近成田前泊のホテル選びは迷わない。日航ホテル成田と決めている。夕食のレストラン選びも迷わ

ない。「サンセットラウンジ」と決めている。夕食に何を食べようかももちろん迷わない。中華レストラン

「桃李」から出前を取ると決めている。バーカ。カウンターに座って生ビールをゴクゴクしていると、「お食

事はいつもの中華ですね」と聞かれる。胡瓜と白菜の甘酢漬けが大好き。マッサージ頼み11時就寝。

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6月 5日(木) 成田は曇り

第1食 成田・日航ホテル 「セリーヌ」 朝食ヴュッフェ

5時半起床。シャワーを浴びる。朝食会場で、アメリカ人のおっさんが、このホテルは素晴らしい!とレ

ストランスタッフに握手を求めていた。あのおっさんオカシイんじゃないの?彼は和食の卵焼きを指差し

て「What is this?」と叫ぶので、「甘い卵だよ!」と教えてやった。740分に第一ターミナル到着。

第2食 ルフトハンザドイツ航空 成田=フランクフルト ビジネス機内食(和食)

  

935分発ルフトハンザドイツ航空。この航空会社は何十年ぶりだろう?30年?ビジネス席のシート

は最近流行りのカプセル型。しかし、スリッパもアイマスクもなーにもサービスしないんだね。ドイツ風の

質実剛健っつーか。食事はもちろん和食を頼む。日本酒も飲む。ジントニックもワインもガンガン飲む。

第3食 ルフトハンザドイツ航空 成田=フランクフルト ビジネス機内食(和食)

    もうすぐフランクフルト

フランクフルトまで11時間ちょっと。1時間半ほどうとうとしただけで、各紙新聞、週刊文春、週刊新潮も

読んでしまい、持って来たポーランド関連の本を読み出す。それも全部読んじゃった。フランクフルト空

港着。時差は7時間だから、午後145分。これからワルシャワに向かうが、最初のEU国なので入

国審査を受ける。デカイ空港でさんざん歩かされたが、数は少ないものの喫煙所があるから好もしい。

空港の外に出てみると良いお天気。存外暑く26度だった。ビジネスラウンジが遠くて、ホント疲れるよ。

第4食 ルフトハンザドイツ航空 フランクフルト=ワルシャワ ビジネス機内食

    もう食べられまへーん!

4時間待って、ワルシャワ行きに乗り換える。国内線扱いだ。午後7時ワルシャワ着。スルーガイド

のHロミさんが出迎えてくれた。ソフィテルビクトリアホテルに投宿。禁煙部屋があてがわれたので、添

乗員のY口氏の部屋と交換して貰う。今日は31時間もあったからエラク疲れたよ。さっさと寝ようっと。

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6月 6日(金) ポーランド・ワルシャワは快晴!            1ズォチ(zt)=約50円

朝 ワルシャワ 「ソフィテル ビクトリア」 朝食ヴュッフェ

   このホテルに計4泊した

昨夜疲れていたので確認しないまま寝てしまったが、苦手な羽毛蒲団だった。カラダが異様に熱くなり

すぐ飛び起きた。これを使っては眠れん。何もかけないで寝たので、起きてみると洟を垂らしていた。キ

タナイ。6時半朝食に行ってみるとまぁ豪華なヴュッフェだこと!ヨーグルトが旨い!一応5ッ星ホテル。

      

        ワジェンキ公園のショパンの像        聖マリア教会の柱の中にはショパンの心臓が埋め込まれている

素晴らしいお天気だ。真っ青な空、真っ白な雲。東京に住んでいるとこんな空を見ることはマレである。

今日のテーマは「ショパンの一日」。まずはワジェンキ公園へ。70haの広さはポーランド最大で、池の

奥にしだれ柳の下にショパン様がドカーンといらっしゃった。ピアノの詩人らしいお顔である。生涯祖国

ポーランドを愛したショパンは39歳でパリで亡くなったが、その心臓は姉の手で祖国に運ばれて、聖マ

リア教会の柱の中に埋め込まれている。ワルシャワでは5年に一度、ショパンコンクールが開かれる。

  

      旧王宮は市民の寄付で再現された    焼け野原になったワルシャワ   見事に街を再現して世界遺産に登録

     バロック様式の砦・バルバカン   キューリー夫人の生家も旧市街にある      ワルシャワ蜂起の記念像

苦難の歴史を重ねて来たポーランドであるが、最も悲惨なのは第2次世界大戦で、主だった街を徹底

的に破壊されてしまったことだろう。首都ワルシャワは、8割が破壊され、焼け野原となった。しかし、ポ

ーランド人はしぶとい。諦めない。「もう一度街を造り直そう」と考え、実行してしまうのですね。設計図、

写真、人々の記憶を元に、王宮も石造りの建物も、以前と寸分違いなく再現してしまった。見事に蘇っ

たワルシャワの旧市街は世界遺産に登録されたのだよ。スゴイねぇ。キューリー夫人もこの町の出身。

昼 ワルシャワ旧市街 「Kamienne Schodki」 ブロッコリークリームスープ、ビーフステーキ 

   温野 菜添え、アップルケーキ、コーヒー

  

初のポーランドの食事。旧市街市場広場に面したレストラン。さて、どんなかな?旨い!スープは良い

塩加減だし、ビーフも柔らか。温野菜も甘い。アップルケーキも丁寧な作りだ。これなら食事が楽しみ!

  

          ショパンの生家は小さい家だ        庭園に立つショパンの像    ワルシャワ・ユダヤのゲットー跡の碑

午後は郊外にあるジェラゾバ・ヴォラに向かう。西へ54キロ、バスで1時間ちょっと。ショパンはここで

生まれたのだよ。伯爵家の家庭教師だった父、従業員だった母は1万uの広大な屋敷の敷地に小さな

家を貰っていた。博物館になっている生家にはショパンが初めて書いた楽譜、6歳で書いた両親宛のカ

ードなどが展示されているが、一芸に秀でる人は何芸ももつものですな。スンバラシイ筆致!私達グル

ープのために特別ミニコンサートが開かれた。バラードOp23、マズルカOp41、幻想即興曲Op66、英

雄ポロネーズOp53。シューマンが「ショパンの曲は花畑の中に大砲が隠れている」と言ったそうだ。然

りである。ワルシャワに戻り、ユダヤ人のゲットー跡に建てられた記念碑に行く。花が添えられていた。

夜 ワルシャワ 「Sarmacja」 ニシンと野菜の前菜、サーモンのバターソースがけ ライス添え、パン

   ケーキ フルーツとアイスクリーム添え、ビール 6zt、白ワインと赤ワイン @8zt

  

4時半には既に明るいが、夜も9時頃まで明るい。そんな中6時から夕食。ランチみたいね。私は世

界中どこでも夕食には3点セットの酒を頼む。ビール、白と赤ワインである。3点セットで22ztといことは

1100円。まぁ安いか。そのうち「世界3点セット価格比較」という論文を書こうか。ウソだよ。NHK見る。

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6月 7日(土) ワルシャワからグダンスクまで晴れ!

朝 ワルシャワ 「ソフィテル ビクトリア」 朝食ヴュッフェ

またもやうっかりして掛け蒲団を替えて貰わなかったので、昨夜もちょっとしか眠れず。バス移動が長

いからいいか。今朝も豪華な朝食ヴュッフェだ。このホテルはNHKの番組を中心としたJSテレビが映

る。朝の連ドラ「瞳」を10分観たところで出発。あの男と別れたのならいいよね。8時半北に向け出発。

昼 エルブロング運河船内にて ヌードル入りトマトスープ、ビーフロール 野菜添え、ケーキ、コーヒー

  

  

          運河を走る船、これはフツー   あらら!この先運河が無いぞ!大丈夫、船は特別な装置でレールを走るのだ

今日はエルブロング運河をクルーズするのだが、船の乗り場まで4時間!EU加盟国では、ドライバー

2時間運転したら30分の休憩が義務づけられているから4時間半の行程だ。車内では、ポーランド

講座やポーランドの知識をHロミさんから聞いて面白かった。午後1時半乗船。すぐ狭い船内でランチ

となる。あら?船が傾いていてスープがこぼれそうですよ?食事が終わって上に上がってみて納得。こ

の運河は、ところどころ途切れる。5箇所も!どうするかというと、運河が無いところにはレールが敷か

れていて、船は巨大な籠のようなものに乗せられてレールの上を走るのだ。運河が始まると、その籠か

ら船は脱出する仕組み。わかります?船に乗っているのに周囲は一面緑の麦畑。得難い経験である。

夜 グダンスク 「ホテル メリキューレ」 スープとディナーヴュッフェ、ビール 8zt、白ワインと赤ワ

    イン @10zt

  

エルブロング運河クルーズは面白かったが、4時間半も続くと後半ちょっとタイクツした。バスで来れば

たった1時間しかかからないのだそうだ。先回りして待っていたバスで1時間、グダンスクに到着。また

禁煙部屋で部屋を替えて貰う。ったくもう!最初のスープ以外はヴュッフェだった。旨くも不味くも無い。

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6月 8日(日) グダンスクも良いお天気さ

朝 グダンスク 「ホテル メルキューレ」 朝食ヴュッフェ

    ソフィテルに比べると見劣りします

このホテルは近年室内改装をしたようで、客室はキレイ。しかもお洒落。しかし、デザイナーズホテルっ

てヤツはお洒落であると共に、「使いづらい」という欠点も持ち合わせていることが多い。ここもそう。小

さな洗面台はいくら気をつけて顔を洗っても床はビシャビシャ。インテリアデザイナーさんに申し上げた

い!自分で使用してみてからデザインは決めてくんんちゃい!ここのヴュッフェはたいしたことは無い。

  

         「連帯」の記念碑がホテルの近くに    造船所で手造りされた記念碑       「連帯」はグダニクス造船所から始まった

ホテルのすぐ側にグダニスク造船所がある。かつての名前はレーニン造船所。そう、あのレフ・ワレサ

が率いた「連帯」(独立自主管理労働組合)が結成された発祥の地である。1980年食肉の値上げに対

し大規模なストライキ運動が始まり当時の社会主義衛星国では初めての労働組合が結成されたのだ。

グダンスクの「連帯」の運動は全国に広まり、一時ワレサ達は拘束されたものの、共産圏で最初に自由

選挙を実施したのはポーランドだった。ワレサは、その後大統領となってノーベル平和賞も受賞した。

    

        ドイツ騎士団のマルボルグ城は世界遺産        騎士の恰好でガイド氏が説明してくれた

グダンスクから南東へ60キロ。世界遺産のマルボルグ城がある。13世紀、ポーランド王はバルト海沿

岸の部族を追い出すためにドイツ騎士団に援軍を願った。騎士団はよく戦い、王の依頼に見事に応え

たはよいが、その後居座ってしまったのですね。修道士にして兵士である騎士の数はどんどん増えて、

そこらじゅうに城を築く。3万2千人にも膨れ上がった騎士団の総司令館が住むマルボルグ城は、レン

ガ造りの城では世界最大級のゴシック建築。200年近く居座わり、脅威となったドイツ騎士団をポーラ

ンドと隣国リトアニアは協力してドイツ騎士団を破って追い出すことに成功。ドイツ騎士団はプロイセン

公国となる。城の内部には、琥珀博物館があり、中には6キロの琥珀の塊や総計900キロの琥珀を使

用した琥珀の飾りものなどがあってビックリ!それが全部個人のコレクションと聞いてまたビックリ!第

2次世界大戦でマルボルグ城も徹底的に破壊されたが、破壊したのはドイツ軍が去った後のソ連軍。

昼 マルボルグ 「Piwniczka」 野菜スープ、パン、ビーフのマッシュルームソースがけ、フルーツ

   サラ ダ、コーヒー

  

ランチもマルボルグ城の中にあるレストランで。メインの付け合せのビゴスというキャベツの煮込みが

実に旨かった。ドイツ騎士団で最も重い罪は食事中のお喋り?外泊より重いって、どう考えてもヘン!

  

          バルト海近くで港として発展したグダンスクは琥珀でも有名                              見事に再建された町並

  

  世界最大級のレンガ造りの聖マリア教会          町の中心・市庁舎を望む                 華麗な大武器庫

グダンスクは、1314世紀にはハンザ同盟の一員だった美しい街である。しかし、193991日ナ

チス・ドイツ軍がグダンスク近くの岬・ヴェステルプラッテを奇襲したことが、第2次世界大戦のきっかけ

になった。そしてナチス・ドイツ軍とソ連軍に挟まれたグダンスクは街の9割が焦土と化した。美しい街

は失われた。が、そこでへこたれるポーランド人ではない。ワルシャワと同じように、戦後市民は立ち上

がる。ヨーロッパ最大のレンガ造りの聖マリア教会も、82mの尖塔のある市庁舎も、ルネッサンス様式

の大武器庫もモトワヴァ運河に面した倉庫街も全部造り直したのだ。そして美しいグダンスクが蘇る。

午後のお茶 グダンスク 「COSTA Café」 大きなコーヒーとミニパイ 11,5zt

ネプチューンの像が見つめるドゥウーギ広場         ユーロ2008 今晩はポーランド対ドイツ戦があるぞー!勝つぞー!

夕食まで自由時間。グダンスクは琥珀の街でもある。現地ガイドさんに教えて貰った安くて品質の良い

店に押しかけて、高価な松脂の化石を物色した。T田さんと2人でお茶する。ビッグサイズのコーヒーを

頼むと、4杯分のコーヒーがドデカイ器に入って出て来た。天気の良い日曜日。休日を楽しむ家族連れ

や観光客で賑わう中、大声で行進する一団も。昨日から4年に一度開催されるサッカーのユーロ2008

が始まっていて、今晩ポーランド戦がある。その応援団だね。一度も勝ったことのないドイツが相手だ。

夜 グダンスク 「Gdanska」 魚介の白ワイン風味、白身魚のフライ、アイスクリームラズベリーソ

   ースがけ、ビール 10zt、白ワインと赤ワイン @9zt

  

    ワレサさんも来たってさ

「連帯」委員長の時代かワレサ大統領かはわからないが、彼も来たことのあるレストランで夕食。えらく

キンキラ飾り立てた店であった。海の近くだからシーフード。ホテルに帰って試合を観る。0−2で敗け。

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【今週の振り返り】

1961年、ロバート・ワイズとジェローム・ロビンスが監督した映画「ウェスト・サイド物語」の主役は、マリ

ア(ナタリー・ウッド)とトニー(リチャード・ヘイマー)。マリアはプエルトリコ移民、トニーはポーランド移民

だった。シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」をベースに、現代(当時の)のニューヨークを舞台にした

この映画は、作品賞などアカデミー賞を10も受賞した。レナード・バーンスタインの音楽やダンス場面

が素晴らしく、世界中の人々に愛された映画だ。トニー=ポーランド人が妙に頭に残った。

ポーランドが生んだ著名な人々。フレデリック・ショパン。ジェラゾバ・ヴォラで1810年生まれ、ワルシャ

ワの音楽院で学ぶ。首席で卒業する時、「音楽の天才」って成績表に書かれたらしいよ。6歳でポロネ

ーズを作曲しちゃう人だから当たり前か。ショパンが生まれた時代、ポーランドは世界に存在していな

かった。来週か再来週詳しく書こうと思うが、ポーランドはロシア、プロイセン、オーストリアの3国から

国土の分割を要求され、1772年第一次分割、1793年第二次分割、そして1795年の第三次分割でポ

ーランドは世界地図から姿を消してしまった。184939歳で亡くなるから、ショパンは祖国のポーラン

ドという国を知らないまま生涯を閉じた。ポロネーズ、マズルカ、ノックターン、ワルツ、エチュードなどピ

アノ曲の美しい作品の中には、ドキリとする激しさを秘めた曲がある。紅潮したショパンの頬は、肺結核

患者特有の徴候だけでなく、祖国を失った怒りと悲しみも滲み出ていたのではなかろうか。

子供時代に「尊敬する人物」を挙げよと言われると、クラスの数人が決まって「キューリー夫人!」と言

った。よくは知らないが、とにかくエライ女性なんだ、ってことで。マリー・キューリー(ポーランド名マリ

ア・スクウォドフスカ)は、1867年ワルシャワで生まれ、彼女も晩年になるまでポーランドが分割されて

いた時代を過した人だ。パリ大学で学び、物理学者のキューリーと結婚。2人で新元素ポロニウム・ラ

ジウムを発見して夫婦でノーゲル物理学賞を受賞。夫が亡くなってからも放射性元素の分離・生成法

を研究してノーベル化学賞を受賞。これだけでも凄いと思うのに、その娘イレーヌまでがノーベル化学

賞を受賞したのだから、まさに天才一家だね。フランスでは「フランスのキューリー夫人は2つもノーベ

ル賞を貰って国の誇りだ!」と威張るらしいが、ポーランドでは「彼女はポーランド人よ!ここで生まれ

て育ったの。それに、ポロニウムは故国ポーランドに因んで命名したのよ」と胸を張っている。

地動説を唱えたコペルニクスはポーランドのトルンの人だ。それまでの天動説に疑問を持ち、太陽を中

心に惑星が周囲を回っているのではないか、しかも地球は11回自転しているのではないか。一年

の長さは、365、2425日ではないか・・・・。今では「あったり前でしょ!」という考え方は、ガリレオの研

究と共にローマ教会からは異端と扱われる恐れがあって、コペルニクスは自説の発表には消極的だっ

たらしいね。

2005年に亡くなったローマ教皇ヨハネ・パウロ2世もポーランド・クラクフの生まれだ。1978年にイタリ

ア人以外では455年ぶり、初のスラブ民族の教皇として就任した。「空飛ぶ教皇」と呼ばれた27年間、

100ヶ国以上の国々を訪れた。ヨーロッパの中で一番熱心なカトリック国のポーランド人にとって、ヨハ

ネ・パウロ2世は永遠の誇りに違いない。

ポーランドの人口は約4000万人。なのに、苗字は40万種もあると言う。中でも代表的な名前は、男性

なら○○スキー(女性は○○スカヤ)さん。え?ってことは、チャイコフスキーもドストエフスキーもポー

ランド系なんだぁ。あのチャフラフスカも?女性で多いのはノヴァク。キム・ノヴァクもポーランド系ってこ

とね。日曜日のユーロ2008で、初出場したポーランドは一度も勝ったことが無いドイツに0−2で負け

た。しかし、2ゴールを決めた選手はボドルスキー。そう、ポーランド生まれでドイツに移民したボドルス

キー。「確かに試合は負けたが、試合でゴールをしたのは、ポーランド人だけだった」というのが、翌日

のポーランド人の台詞であった。

旅は未だ前半。これからグルリとポーランドを回るんだよー。お楽しみにねー。

 ボクはポーランド生まれじゃないスキー 

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       * ポーランド2週目もなる早で作りますのでちょっと待っててねー。