パクパク日記8年10月2週

             吸わない夢子はバルカン半島のアルバニア、マケドニアを旅しておる

アルバニアの国旗と英雄 オフリド湖畔の聖ヨハネ・カネオ教会

10月 6日(月) 雨 のち晴れ

朝 家食 味噌雑炊、種無し柿、PL21アロエヨーグルト、黒烏龍茶

    どこまで増える私の体重・・・

煙草を止めて1週間。徐々に吸いたい衝動は弱まっているが、代わりに食欲が・・あり過ぎて・・・困る。

昨夜から降り始めた雨は、明るくなっても降っている。午後遅くには出かけるので、それまでに雨は止

むように伝えた。誰に?天に・・・・。この朝ご飯最後にトーブン家で食事はしない。冷蔵庫の整理もね。

昼 荒木町 「アンシャンテ」 ハンバーグセット(野菜スープ、付け合わせ野菜、ハンバーグ、ライス、デ

ザート盛り合わせ、コーヒー) 1000

  

午前中スーツケースを預ける予約をしている。思ったより現地は寒いというので厚手のカーデガンなど

慌てて追加する。福山通運のいつものオジサンが取りに来たのは11時だった。午後1時Nケンと待ち

合わせしている。消防署前で。携帯で連絡を取り、マンションの1階に変更。その方が「アンシャンテ」に

行くには便利だ。ハンバーグ2人分注文。彼も私も夢中でパクつく。うめ!すごくうめ!話もついたね。

夜 成田日航ホテル 「サンセットラウンジ」 鮭と白身魚のマリネ、三種前菜盛り合わせ、きゅうりと白

菜の甘酢漬け、蟹肉と豆腐の煮込み、蟹肉入り炒飯、生ビール、ジントニック @9600

  

    「喰い病患者」は完食したぞ!

夕方のリムジンバスで成田空港へ。明日でも十分間に合うが、朝早くバタバタと出かけるのがイヤで、

こうして前泊するのだよ。長年のクセでうっかり喫煙客室を予約していた。夕食は「サンセットラウンジ」

で飲みながら、2階の中華レストランから出前を取って食べる。顔馴染みのバーテンダーはお休みだ。

ホテル日航ウィング成田は1年前東横インになってしまったが、客室の明りが数室しか点いていない。 

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10月 7日(火) 晴れ

第1食 成田日航ホテル 「セリーヌ」 朝食ヴュッフェ

    「喰い病患者」はこの後お粥も食べたのだ!

5時半起床。俳優の緒方拳さんが5日亡くなった。未だ71歳なのになぁ。NY株値が大幅ダウン。昨日

空港の銀行で両替したらユーロがガクンと安くなっていてびっくりした。ここ数年ユーロやポンドは強気

一方でブイブイかましていたよね。アメリカのサブプライムローン破綻から、世界中の金融と経済はとん

でもないことになっちまった。そんな大騒ぎの中暢気に旅行などしていいのか!いいのだ、婆さんは。

第2食 成田空港 「ANAラウンジ」 きつねうどん

もう煙草は止めたのだから今までのように搭乗前に吸い溜めなんかする必要は無い。ゆったり構えて

いればいい。ハズなのに何だか落ち着かないのだ。落ち着かないからANAラウンジのきつねうどん。

第3食 オーストリア航空 成田=ウィーン ビジネスクラス機内食

  

オーストリア航空ウィーン行き。機内食も事前に予約しておくと特別和食なんか食べられる。今日の特

別和食は鰻の蒲焼きだった。和食コースでも、ちょうだいと言えば、スープやチーズも食べられてお得。

それにオーストリア航空の一番の自慢は、空の上でウィーンのカフェを味わえること。カフェメニューは

たくさんあって、どれにするか迷っちまう。ブラックコーヒーにオレンジリキュールを入れたものは「マリ

ー・テレジア」。うわぁっ、濃厚だわぁ!!そんなこともあって、この航空会社は結構好きなのであるぞ。

第4食 オーストリア航空 成田=ウィーン ビジネスクラス機内食

    鮭のおにぎり食べました

たいして眠れないから本を読んでいる。また機内食が出て来たがおやつに貰った鮭おにぎり食べる。

第5食 ウィーン空港 ビジネスラウンジ スープ

ウィーン着。ヨーロッパは今サマータイムだから時差は7時間、午後4時前だ。ここから目的地のアルバ

ニアの首都ティラナに向かうのだが、待ち時間は何と6時間50分!!数人の方々はウィーンの市内に

遊びに行かれた。ラウンジで本を読んでいる時、隣に座った女性と少しお話した。彼女にとって「最後の

海外旅行」なのだそうで、今回イラクに行って194ヶ国達成ですって。すべての国を回ったのは「意地」

だそうで、達成しての感想は「もう行かなくていいと思うと凄く嬉しい」のだそうだ。哀しい話だよねぇ。

第6食 オーストリア航空 ウィーン=アルバニア・ティラナ ビジネスクラス機内食

待ちくたびれた午後10時40分小さな飛行機に乗る。また機内食が出た。24時間+7時間=31時間

の長い一日で6回目の食事。いくら「喰い病患者」でもゲップげ出る。24時ティラナのマザー・テレサ空

港に到着。入国するには、ナゼだか10ユーロ払う必要がある。ホテルの客室に入ったは午前1時半!

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10月 8日(水) アルバニアのティナラは晴れ                       1レク=約1.2円

朝 アルバニア・ティラナ 「インターナショナル」 朝食ヴュッフェ

    朝食は7時〜

4時間しか寝ていないが6時に起きてシャワーを浴びる。アルバニア最初の食事。たいして旨くないな。

  

     サリサルティク山に貼りつくような街クルヤ      アルバニアの英雄スカンデルベグ         コソボからも見学者が

バスで北に1時間程走ってから山を上って行く。やがて山の中腹に貼りつくようなクルヤの町が見えて

来た。ゲゲ、ここに1万人も住んでいるのか。バスを降りる。素晴らしい晴天だ。空気がヒンヤリとして

清々しい。クルヤ城は、その昔要塞だった。1443年故国アルバニアに帰国したスカンデルベグは、独

立を求めて翌年からオスマントルコ軍と激しく闘って勝利した。以来、スカンデルベグは英雄となり、34

年間ではあったが、アルバニアは独立していたのだ。1982年クルヤ城内部にスカンデルベグ博物館

が完成した。コソボから大勢の若者が見学に訪れていた。隣国セルビアのコソボ自治州と言ってよい

のか、それとも独立国コソボと呼んで良いのか迷う状態だが、コソボの住人の90%はアルバニア人。

昼 クルヤ 「パノラマ」 スープ、パン、サラダ、チキン ライスとポテト添え、フルーツ、トルココーヒー

    50レク

  

  

あまり美味しいとは思えないランチの後、コーヒーを注文した。ドロドロのエスプレッソのようなトルコス

タイルのコーヒーだった。一口で終わり。濃い!今回旅する西バルカンの多くはオスマントルコ帝国の

支配を長く受けて来たから宗教に限らずコーヒーもトイレスタイルもトルコの影響がくっきり残っている。

  

      スヤンデルベグ広場はティラナの中心街    マザー・テレサはアルバニア人        モザイクのある国立歴史博物館

ホテルで休憩してから夕方市内観光へ。ティラナはアルバニアの首都であるが政府の省庁や博物館、

オペラハウスなどはスヤンデルベグ広場に集中している。そしてホテルはそのスヤンデルベグ広場に

面して立っているから、観光もすぐ出来ちゃうのだ。第二次世界大戦後、エンヴェル・ホジャ率いる共産

主義国となり、その後鎖国するなど謎に満ちたアルバニア。10年前には多くの国民が巻き込まれたネ

ズミ講事件があったりでタイヘンだったのだ。マザー・テレサはマケドニア生まれだが、アルバニア人。

夜 ティラナ「ピアッツァ」 パン&オリーブオイル、ペンネアラビアータ、サルティンボッカ、ティラミス、3

点セット(ビール 250レク、赤と白ワイン @300レク) 計850レク

  

共産時代、アパートの外観はほとんど暗い灰色だったらしい。自由な民主主義な時代を迎え、人々は

灰色の壁の上に思いっきり派手で明るい色を塗り加えた。そんな面白い建物をあちこちに見つけて指

差しながらレストランに向かった。高級な店らしいが、味が濃過ぎて半分は残した。昼も食べたのは半

分くらいだったしこれなら減煙&禁煙後の「腹すき病」は旅行中に治るかな。千円弱で3点セット飲む。

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10月 9日(木) 晴れ

朝 ティラナ 「インターナショナル」 朝食ヴュッフェ

  

           西暦1〜2世紀に造られたローマ劇場はバルカン半島で最大の規模だった

朝食後、西に向かって出発。アドリア海に面した第二の都市デュレスを目指す。と思ったらすぐ着いち

ゃった。デュレスは昔ラテン語でドゥラキウムと呼ばれていた。アドリア海をひょいと渡ると、そこはもうイ

タリア半島。イタリアの踵部分ブリンディシからの最短距離の港町なのだよ。そのドゥラキウムというか

デュレスを出発点としたエンヤティア街道は、バルカン半島を横切ってギリシャのテッサロニキを経てコ

ンスタンティノープル(今のイスタンブール)まで通じる重要な幹線道路であった。私の大好きなユリウ

ス・カエサルが紀元前48年大軍率いたポンペウスに苦戦を強いられたドゥラキウムの戦いはこのへん

でドンパチやったのだ。海岸近くの住宅地から巨大なローマ劇場が発掘されても当然の土地なのだ。

昼 デュレス 「イリ イ デティトゥ」 サラダ、パン、ミックスカバブ、クメシュトル

  

考古学博物館を見学した後、キラキラ光るアドリア海を見ながら歩く。日を浴びると暑いじゃないか!

早めのランチ。マダガスカルや中央アジアなど水が心配な国では生野菜は手をつけなかったが、バル

カン半島は水大丈夫だかれあムシャムシャ食べる。クメシュトルとはカスタードクリームの入った菓子。

夜 デュレス 「アドリアティック」 パン、魚のスープ、魚のムニエル、ケーキ、ビール 250レク、赤と白

ワイン @300レク 計850レク *魚のムニエル写真取り忘れました

  

今晩泊まるホテルは5ッ星のシーリゾートホテルと聞いて楽しみにしていた。ところが、私達に宛がわ

れたのは、海の見えない狭い部屋だった・・・・。皆ボロクソ文句を言っていた。アハハ。午後からフリー

タイムだ。本を読んでウトウトして、ボーっとしていたら夜になってしまった。夕食時、自己紹介タイムが

あった。15名のグループ。女性11名、男性4名。夫婦1組、旅友女性二人組3組、一人参加7名。アル

バニアや次に行くマケドニアなどに来る人達はもうだいぶアチコチ行ってしまった旅のベテランばかり。

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10月 10日(金) 晴れ

 デュレス 「アドリアティック」 朝食ヴュッフェ

    野菜はきゅうりとトマトばかり

5時半起床。星がいくつか余計なんじゃない?と不評だった5ツ星ホテルの朝食もそれなりであった。

  

      共産時代65万も設置されたトーチカ       初代ローマ皇帝アウグストゥスも留学したアポロニア遺跡と修道院

共産×鎖国政策のエンヴェル・ホジャは、他国が攻めて来るという恐怖が強く、国民4人に1つの割合

で65万個ものトーチカを作らせた。鉄とコンクリートで作ったトーチカが今でもそこらじゅうにある。ホン

トにこんなものに隠れて他国と戦えると思ったのだろうか。それにしてもこの国はゴミだらけだ。共産主

義から解放された国民は、ゴミをどこに捨ててもいい時代になったと思ったのか、ゴミの多さに呆れる。

デュレスから南に下るとアポロニウムがある。紀元前ギリシャ人が入植して作った町で、前述ドゥラキウ

ムの戦い時、ポンペイウスがデュレスに基地を置いたのに対し、カエサルはこのアポロニウムを基地と

した。また、初代ローマ皇帝となったアウグストゥスは、留学先のアポロニウムで、叔父カエサルの暗殺

と叔父の後継者に指名されたことを知るのである。4世紀の大地震でアポロニウムの地形は大きく変

わってしまったが、カエサルやアウグストゥスがここを歩いたのかも、とご機嫌であった。2050年前ね。

昼 フィエル 「カギ」 バター無しトースト、肉と野菜スープ(4杯!)、ビーフロールフライ、ケーキ

  

アルバニアに来て数日経ったが、料理があまり旨くもないので空腹病は収まりつつある。その面では良

いが、つまらなくもある。この店のスープは素朴だが、優しい味で旨い。旨くてとまらない。メインは要ら

んからもっとスープを!ということで4杯飲んだ。バターのつかないトースト入れて。お陰で牛肉のロー

ル巻は1口食べただけ。大昔、ハンガリーで昼グヤーシュ丼5杯食べて夕食抜いたことを思い出した。

 

城塞都市ベラットは13世紀に造られた          コンスタンティヌス像と聖マリアブラヘルナ教会

       岩の上にこんな若い女の子がいた!古い町とのコントラストが妙             「千の窓を持つ町」と言われるマンガレム

ランチを摂ったフィエルという町から東に向かいベラットへ。13世紀に造られた城塞都市は山の中腹に

ある。石畳の上り坂をゼイゼイ上ってゆく。私はこんな町には住めない。18世紀末建立された聖母マリ

ア教会の中は、オヌフリ・フレスコ博物館にもなっている。オヌフリは16世紀のイコン画家でルネッサン

ス風だったらしいよ。山の下には新しいベラットの町。オスミ川の向こうは、イスラム教堵が住む地区マ

ンガレムの白い家々。「千の窓を持つ町」として知られている。焼きとうもろこしを食べたら硬かった。

夜 ベラット 「ホテルトモリ」 サラダ、パン、スープ、ポーク、ズッペ、ビール 150レク、赤と白ワイン 

220レク 計590レク

  

昨日は5ツ星ホテルなのに・・・と文句を言っていたが、今晩は無星!ものすごく狭い浴室には、浴槽は

無くシャワーのみ。それでもいいが、仕切りもシャワーカーテンも無いのだから、困っちゃうのよねぇ。ど

んなに注意してシャワーを使っても、狭い浴室はビショ濡れ。トイレットペーパーなどは、予め外して避

難させておく。簡素でもいいけど、簡素過ぎない?夕食のメインはポークだったが、硬くて食べられん!

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10月 11日(土) 晴れ

朝 ベラット 「ホテルトモリ」 朝食ヴュッフェ

6時起床。海外に来ると珍しくは無いのだが、早寝早起きとなる。10時なんて当たり前、9時台には寝

てしまうのだよ。それなら、もうちょっと早く起きてもいいんじゃない?はぁ・・・。朝食も素朴であったぞ。

  

           アルバニアで3番目に大きなエルバッサン   もうすっかり秋ですなぁ             15世紀の城壁

8時半出発。南に2時間程走ってエルバッサン。人口10万人でアルバニア第三の町だそうだ。共産時

代は中国から支援を受けて大きな工場が作られたが、今はトルコの企業になっているようだ。素晴らし

い秋晴れの中を歩いていると、女性のカメラマンが我々の後を追って激写しているではないか!ナンジ

ャイ、この人!「こんなに大勢の日本人をいっぺんに見るのは初めて」と興奮している写真好き旅行者

だった。ミナレットが無い小さなキングズモスクなどを見学。青空に紅葉が美しかぁ。秋も深まってます。

昼 ポグラデッツ 「ELISABET 魚のスープ、サラダ、パン、チーズなどの前菜各種、コラン(鱒の一

種)のソティ、ポテトフライ、ケーキ

  

    食事は既にマケドニア風です

紅葉した高い山々を越えてゆくと、やがて大きな湖が見えて来た。オフリド湖だ。4分の1がアルバニア

領、残りがマケドニア領の国境となる湖である。1時過ぎた。1時半過ぎた。空腹だ。午後2時、湖に面

したレストランでようやく昼食。予定されたメニュー以外の料理が何皿の出て来る。これはまるで韓国料

理ではないか。あとでわかったが、これってマケドニア風なのだね。コランという鱒の一種が1匹。醤油

をかけたら、突然和風となった。ガーリックチーズがとても旨かった。ここでアルバニアともお別れだね。           

〜アルバニア出国    マケドニア入国〜      1デナル=約2.4円

           聖ナウム修道院には聖ナウムの墓もある      胡桃の木製のイコノスタシス(聖障壁)がある    院内にはたくさんの七面鳥が

     聖ナウム修道院には聖ナウムの墓もある           透明度の高いオフリド湖にも夕闇が訪れる

国境。マケドニア側の国境で係官がバスに乗り込んで来て、パスポートをチェックして押印。アルバニア

のバスにマケドニアのバスが横づけしてスーツケースの移動、続いて人間の移動。しめて40分で国境

越え、バス交換が終了した。中央アジアの3時間、4時間かかったツライ国境越えに比べて何たる楽チ

ン。アルバニアのガイド、ドライバーとお別れしてマケドニアに入った。スヴェティ・ナウムの聖ナウム修

道院。バルカンにスラブ語を伝えた聖キルム、聖メトデウスの弟子であった聖ナウムが、9世紀に建立

した修道院。屋根にはたくさんの七面鳥が遊んでいた。帰路、蜂蜜を買う人が大勢いた。私は嫌いだ。

夜 マケドニア・オフリド 「ホテル ミレニアム」 ペタチーズサラダ、パン、チキン、ケーキ ビール 90

デナル、赤白ワイン @150デナル  計390デナル(6.5ユーロ)

  

オフリドは明日見学する旧市街の文化遺産と、湖を中心とする景観の自然遺産を併せて世界複合遺

産である。そんなオフリドで一番のホテルがここ「ミレニアム」。しかしだ、私の部屋は部屋の中に柱が

立っていてデッドスペースがあるなど奇妙な造りなのである。周囲の部屋を見に行ったら、全部違う設

計だった。今日10月11日はマケドニアの祝日。「蜂起の日」なのだそうだ。夕食時に民族音楽と舞踊。

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10月 12日(日) 晴れ

 オフリド 「ホテル ミレニアム」 朝食ヴュッフェ

旅が始まって以来、いつも食事を共にし、バスでお喋りしているK林M子さんは大のチョコ好きなので

千代子さんと呼ぶことにした。私のことは「諏訪内夢子」でお願いします。部屋はヘンだが料理はいい。

  

             世界遺産のこの町には365の教会がある!!                 聖クリメント教会にはイコン博物館が併設  

               サミュエル要塞     要塞の頂上にはためくマケドニア国旗         聖パンテレイモン教会

              太陽の光を受けて眩くきらめくオフリド湖    湖畔には聖ヨハネ・カネオ教会が

素晴らしい晴天の中、オフリドの見学。旧市街は車の進入が禁止されているから、見学はすべて徒歩

だ。しかも石畳の坂の町・・・・。オフリドは、バルカンにスラブ語を伝えた聖キルム、聖メトデウスの弟子

であった聖ナウムと聖クリメントが布教した結果、キリスト教文化の中心地となった。ここのキリスト教は

オーソドックスと呼ばれる東方正教である。聖クリメント教会(今遺骨は移されたから聖マリア教会が正

しい)では、この教会の本を書き博士の称号を得たという女性が、大声で説明を始め、全員ド肝を抜か

れた。丘の頂上にあるサミュエル要塞までの上り坂がまた苦しい。ゼイゼイ、ダラダラ(汗の音)。あぁや

っと上ったぞ。苦労した甲斐ありオフリドの町の眺めスンバラシイ。それにしてもオフリド湖は美しい!

昼 オフリド 「スヴェタ・ソフィア」 野菜スープ、パン、鱒のソティ、アイスクリーム

  

店名の「スヴェタ・ソフィア」は聖ソフィア。聖ソフィア教会の真ん前にある。昨日のランチもコランという

鱒であったが、今日も鱒だよ。違いは開いてソティしてあった。デカイ!食べ切れん。煙草止めて早13

日。食後の1服が未だ欲しくて、喫煙者を羨ましく見ている。でもだんだんそれも無くなって来たけどね。

夜 オフリド 「アンティコ」 チーズサラダ、パン、ビーフとマッシュルームのオーブン焼き、バクラバとカ

ディブ(トルコ菓子)

  

午後3時頃から自由時間となり、オフリド湖クルーズをした人、買い物をしていた人、博物館に行った人

いろいろだったが、私はいつものように本読んでボー派。夕食は旧市街に行った。店名の「アンティコ」

VeryOldの意味らしいよ。サラダの削ったチーズの下はトマトとキュウリ。何だ、いつもと変わらない

じゃん。でも一工夫がいいね。牛肉はマッシュルームと煮込まれトロトロ。マケドニアに入ってから料理

が突然美味しくなったような。デザートはバクラバとカディブというトルコ菓子だった。9時半に寝たよ。

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【今週の振り返り】

国名には似ているものがある。小学生の頃、オーストラリアとオーストリアはどっちがどっちか?なんて

クイズやらなかった?「ラリアが下で、リアが上だぁ」なんてね。アイルランドとアイスランドも一字違いだ

しなぁ。アルメニアとアルジェリアとアルバニアはどこだかわかる?アルメニアはトルコの東に位置する

コーカサスの国、アルジェリアは北アフリカ、そしてアルバニアは西バルカンの国である。北はモンテネ

グロ、コソボ自治州(セルビア)、東はマケドニアとギリシャ、西はアドリア海に囲まれている。しかし、ち

ょっと前に完全に消えたユーゴスラビア連邦の一国ではない。

アルバニア人の祖先は、紀元前2千年に住み着いたイリュリア人と考えられている。やがてギリシャ人

が移住してデュレスやアポロニウムの古代都市を形成する。その後もローマ帝国、分裂後の東ローマ

帝国(ビザンツ帝国)、ブルガリア帝国、セルビア帝国、そしてオスマン帝国と、アルバニアにはその

時々の支配者がいた。長いオスマントルコの支配から抜け出たのは、スカンデルベグ時代の34年間を

除けば、実に400年後の1912年のことである。ようやく独立して王国、共和国、再度王国となるもの

1939年には早くもイタリアに併合されてしまって・・・。イタリアが第二次世界大戦で降伏すると、次

はドイツが・・・そのドイツも降伏して、ソ連がアルバニアを解放した。そして1944年からアルバニアは

共産主義の国となった。共産党第一書記のエンヴェル・ホジャがリーダーとなった。このホジャという人

物はよほど頑固というか極端というか、共産圏でもとんでもなく浮いた存在だったみたい。極端なスター

リン主義を主張してソ連とケンカ別れし絶交、ユーゴスラビア連邦のチトーと意見が合わず絶交、中国

の文化大革命を絶賛して、世界初の「無宗教国家宣言」なんて発表したものの、中国が開放政策でア

メリカと仲良くし出してケシカラン!と絶交・・・・・。とうとうどの国とも国交を断絶した鎖国状態になって

しまった。で、「敵が攻めて来る!」ってホジャは国中にトーチカ作らせていたわけさ。1985年にホジャ

が亡くなり、戦後初の非共産主義政権が誕生したのは1992年のことである。共産主義×鎖国主義を

続けて来たツケは重く、1997年にはネズミ講が大流行して国民の三分の一が全財産を失うなんて事

件もあったのだ。

この10年は経済も順調に伸び、安定した動きを見せる同国は、EU加盟も目指している。まぁ、結構時

間がかかるとは思うけど。地味な国ではあるが、スカンデルベグやマザーテレサはアルバニア人だった。

ローマの初代皇帝アウグストゥスもこの地で学んだ。ということで、アルバニアはこれからの国だ。2番

目の国マケドニアは、なかなかに美味しい国だ。人も思いっきりフレンドリーで。その報告は来週ね。

             この国はねぇ、これからなんだニャア

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        * 103週、10月4週も急いで作らねば!タイヘンでごじゃーるー!!