パクパク日記9年4月3週
旅はルクセンブルグ大公国、ベルギー王国へと進んでゆくのだった
白い町・トールン
ルクセンブルグ
4月 13日(月) オランダの各都市は晴れだった 1ユーロ=約130円
朝 オランダ・アムステルダム NHバルビゾンパレス 朝食ヴュッフェ
何でもパンに挟む夢子だった
5時起床。アムステルダムとも今朝でお別れ。朝食前にパッキング。一年で何回荷造りしているか数え
たことは無いが、私は相当に多い方と思う。だから慣れていてね、速いんだよ。3泊したNHバルビゾン
パレスは中央駅にも近く便利な上、朝食ヴュッフェが充実していた。4年前のヴィクトリアよりいいかも。
レンブラント生家近くのレンブラント公園
天皇陛下ご夫妻もここを散策された シーボルトハウスは博物館
ライデンの町には8時45分到着した。今日は月曜日だが、イースターの祝日。どこの国でも休日の朝
となれば、皆さんゆっくり寝てますわな。町にはひとっこ一人いないのよ。ここライデンは、オランダ最古
の大学・ライデン大学があり、日本から帰国したドイツ人・シーボルトが日本研究に励んだ町でもある。
だからシーボルト通りや出島通りなんてのがあって、建物の壁に大きく「荒海や佐渡に横たう天の川」と
書いてあったり、大学植物園では「東風吹かばにおいおこせよ梅の花 あるじなしとて春なわすれそ」
なんて書いてあった。日本とオランダの外交関係が樹立してから去年で150周年、家康がオランダに
公式な通商許可を与えてから今年で400周年を迎えたのだ。だから2008年と2009年は「日本オラン
ダ年」なのだそうよ。あるお宅の窓には、天皇陛下ご夫妻が散歩の途中で話し掛けられた時の写真が
恭しく飾ってあった。そうそう、ここライデンは17世紀の巨匠・レンブラントが生まれた町でもあるのだ。
チーズで有名なエダムはこんな田園風景が広がっている
今回の旅は、ベネルクス三国を周遊しながら「小さな町を散策しよう」というテーマもあるのだそうだ。小
さい町は結構なのだが、歩くのがメンドーな私のような人間にはちょっと・・ね。フランス人のバス運転手
トム(ほら、オランダの道知らない人)は、このエダムに着くまでやっぱり行ったり来たりを繰り返し、30
分迷っていた。皆すっかり慣れてしまった。美しい田園風景が目に沁みる。散歩なんてもったいない!
昼 フォーレンダム 「De Koe」 野菜スープ、ニシンのフライ、野菜サラダ、人参とポテトの付け合
せ、アイスクリーム、コーヒー 2,2ユーロ
ランチを摂るフォーレンダムに着く頃には気温も上がってポカポカ陽気。漁村のフォーレンダムには昔
ながらの民族衣装があって、4年前訪れた時は全員変身して写真をパチリ。あれは楽しかった。でも今
回はしないよ!土産屋やレストランが立ち並ぶ小さな町。ある飲食店の打ち合わせ風景はこんなかも
しれない。「昼ドキの稼ぎ時に、すばやく客を処理して回転率を上げるための知恵を出し合おう」「こうす
れば?」「あぁすれば?」「それもいいね」・・・・・とアイデアを寄せ集めた結果、スープ、魚料理、つけあ
わせ野菜、デザートまでのコースを10分で済ませる方法を生み出した・・・・というのは私の妄想である
が、ランチを摂った「De Koe」というレストランは、そんな店だった。料理は悪くないのに後味が悪い!
夜 アペルドールン 「カイザースクローンホテル」 スモークサーモンのサラダ、パン、サーロインステ
ーキ ハーブバター風味、シャーベット 5点セット 20ユーロ
レストランのことでは悪口を言ったが、フォーレンダムは盛り場から石段を下りるだけで、おとぎ話に迷
い込んだような可愛らしい町の一角に出る。小さな家に花が咲き、猫が昼寝する大好きな一角だ。バス
はオランダの中部にあるアペルドールンに向けて走る。トムは果たして無事に着けるだろうか。結構ド
ジな彼だが、娘はプロのバスケット選手、息子もアメリカのMBAの下位リーグで選手をやっているそう
で、子供達は凄いのだ。そんな褒め話をしたら、一発でアペルドールンに着いた。それが当たり前なの
だが。ここにはヘッテ・ロー宮殿があり、数年前雅子妃殿下が静養のため過されたのはこの町だ。4年
前もこのホテルに泊まった。テネカという素敵な作品を作る女性彫刻家に作品が多数展示されている
ホテルで4年前犬と散歩する少女のレプリカ作品を買った。彼女が生きていれば89歳のハズである。
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4月 14日(火) オッテルローもマーストリヒトも晴れ
朝 アペルドールン 「カイザースクローンホテル」 朝食ヴュッフェ
パンも野菜も自分で切ります!
濃霧の中、散歩組は朝7時に出かけて行った。散歩拒否朝食組は、いつものA山さん(♀)と私。京都
の老舗お菓子屋さんで、「貰わんヤモメに行かず後家って言うやろ?あんたと私は体格も行かず後家
もいっしょやなぁ」と言わはるねん。朝の散歩が無い日は、ここに京都の花屋さんN井さん(♂)が加わ
り3人で朝食一番乗りするのだ。パンを自分で切るのは他のホテルも同じだが、ここは野菜も切るよ。
チェックアウトする時、添乗員のHさんに女流彫刻家のテネカのことを聞いて貰ったら健在とのこと!
クローラー・ミューラー美術館へようこそ!
「枯れたひまわり」
「自画像」 「ピンクの桃の花」
クローラー・ミューラー美術館はゴッホ作品のコレクションで世界に名前を知られた
バスで30分走ると5500ヘクタールのデ・ホーヘ・フェルウェ国立公園に入る。オランダでも最大級の公
園だ。ここに20世紀最大の個人コレクションを展示するクローラー・ミューラー美術館がある。大富豪
のクローラー・ミューラー夫妻、特に夫人のヘレーヌ・クローラー・ミューラー(1869〜1939)が中心とな
って美術品を収集した。特にゴッホの作品が多く、点描、油彩含め280点近くを集めたのがよかったの
よね。ゴッホは亡くなっていたが、画家として無名だった。ゴッホは画家として活動したのはわずか10
年であるが、その10年で1000点もの作品を生み出した。生きている間、売れた絵はたった1点であっ
たが。「星空のテラス」、「アルルの跳ね橋」、「自画像」、「枯れたひまわり」、「糸杉」などゴッホの名作
がさりげなく飾られ、フラッシュを焚かなければ撮影もOK!こういう鷹揚なところに外国の美術館を訪
れて感心するのだ。広い庭園にはロダン、ムーア、イサム・ノグチなどの彫刻作品が展示されている。
昼 オッテルロー 「De Koperen Kop」 トマトスープ、クロケットとパネクックのヴュッフェ、ヨーグ
ルト、コーヒー 2ユーロ
珍しくランチはヴュッフェだった。但し、われわれグループだけの個室でのヴュッフェだ。コロッケの原型
であるクロケットとパンケーキの原型・パネクックはオランダの名物料理。4年前食べたパネクックはパ
リッとしていて美味しいと思ったものだが、今日はヴュッフェで重ねてあったせいか、ネチャッとしていて
好きくないぞ。トマトスープ美味しかったのでお替りした。ヨーグルトも旨い。このレストランはデ・ホー
ヘ・フェルウェ国立公園内にあり、園内には無料自転車がたくさんある。それに乗った人、転んだ人も。
トールンは白い町である
多くの旅行社では、バスの座席をグループに分けている。だいたいはABCの3グループね。そのグル
ープが、前列、中列、後列とローテンションで座って行くわけだ。前列が良い席で好きだという人が多い
ようだが、私は後列好きで最後列が一番のお気に入り席。この日、私らCグループ6人は後列だった。
オランダの最南端・マーストリヒトまでの道程は長い。昼食後走り出したバスの後方で、突然宴会が始
まってしまった。女性3人、酒など全く飲んでいないのに、手拍子入りで歌っている。「♪ 意地悪オヨネ
に手を引かれー愛ちゃんは太郎の嫁になるー♪」、「♪やーまーのまきばのーゆうぐれにー雁が飛ん
でいるただ一羽・・・・♪」ってな調子で延々と続くんである。確かにCグループですけど、私は知りませ
ンからね、カンケーありませんからね!マーストリヒト40キロ手前で、ベルギーとの国境近くのトールン
という町に寄った。別名「白い町」と言われ、家々の壁はすべて白く塗られている。暑い中、散歩した。
夜 マーストリヒト 「NHマーストリヒト」 生ハムとグリーンアスパラ、鱒のアーモンド風味、赤い果物コ
ンポート、4点セット 17ユーロ
トムドライバーが例によって30分迷って、ようやくマーストリヒトのホテルに到着した。4年前もこのホテ
ルに泊まった。あの時は、郊外にあるネアカン城のレストランでのディナーだった。ミシュラン☆であり、
マーストリヒト条約締結時のディナー会場でもあったのよね、あそこは。でも今晩はホテルで食事。しか
も迷い人ドライバートムさんが隣に座った。異国語苦手なので、U田娘に席を代って貰った。A子さん
は美人な上英語得意だから。サラダは良かったが、鱒はほぼ生だった。一口で食べるの止めたぞ!!
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4月 15日(水) マーストリヒトは晴れ ルクセンブルグは午後一時雨
朝 マーストリヒト 「NHマーストリヒト」 朝食ヴュッフェ
6時起床。それまで見ていた夢を思い出し声を出して笑った。ANA島とJAL島に渡り食事・・・友人達
が多数出演していた。一番に行ったつもりなのに別の日本人グループが既に食事をしていた。チェッ!
この本屋さんは元教会
セルファース教会・宝物室の十字架 洒落た飾りつけのショーウィンドウ
午前中マーストリヒトの市内観光。マーストリヒトは、まるでオランダの尻尾のような東南部の位置にあ
る町。オランダで最古の教会であるセルファース教会には重さ7トンの「おばあさん」の異名を持つ鐘も
あったし、地獄門の前には大昔ペストが流行した時患者を隔離した建物もあった。フランスっぽい町。
昼 マーストリヒト 「D‘N Awwe Stiene」 レバーパテ、パン、ポークエスカロープ 温野菜添え、ポ
テト、サラダ、アップルパイ、コーヒー 2ユーロ
京都のお菓子屋さんのA山さんは甘い物が大好きだ。私のデザートを当然のように食べはる。その代
わり、横メシ関連・チーズ、ハム、ソーセージなどは全く食べへん。だから、レバーパテは全部私が貰っ
た。5泊6日、オランダを旅して来たが、もうすぐお別れ。ひと言で言えば「質実剛健」のオランダ好き。
エッシュ・シュル・シュールの小さい村
マーストリヒトを後にバスは走り出す。すぐベルギーに入った。EU圏内なら国境らしきものは小さな看
板だけで検問所など何もないから、気をつけていないとわからない。何と美しい風景なのだろう。起伏
のある平野は緑いっぱいで、牛や羊がのんびり草を食む。そこここに白とピンクと黄色の花が咲き乱れ、
春の日差しに輝いている。やがて入って来た時と同じようにベルギーをするりと抜け、ルクセンブルグ
に入った。エッシュ・シュル・シュールというフランス人のように発音する小さな村に着いた。シュール川
に囲まれた箱庭のような村。坂を登ってゆくと、古い城の搭があった。私は下から眺めていただけだ。
9世紀に建てられたヴィアンデン城 天皇陛下ご夫妻も皇太子さまも訪問された
絵のような風景でしょ?
旅の始まりからずっと好天が続いていたが、夕方近くなってパラリと雨が降った。ちょうどヴィアンデン
城を見学しようとした時だった。ルクセンブルグは自然が美しい国なので、お天気が崩れるのは痛いな
ぁ。あまり降るなよ!9世紀に建てられたヴィアンデン城にはロマネスク様式の教会や騎士が身につけ
た鎧など多数展示されている。天皇陛下ご夫妻は2度訪れたそうで、皇太子殿下のお写真もあった。
夜 ルクセンブルグ 「ル・ロワイヤル」 ポロ葱の前菜 ヴィゴットソース添え、鯛と乾燥トマト オリーブ
とバジル風味、苺のデザート 3点セット 20、5ユーロ
ルクセンブルグの首都はルクセンブルグ市。ややこしい。今日から「ル・ロワイヤル」に2泊する。町の
中心地にあって、豪華な作りのホテルだ。到着が遅かったので、客室に入る前に夕食を摂ることになっ
た。テーブルはちょっと肌寒い屋外。ポロ葱の前菜が素晴らしい料理で、全員「旨い!ルクセンブルグ
の食事が楽しみ」と絶賛。苺のデザートもとても美味しかった。夕食後、客室に行ってみると、NHK海
外が映るではないか。「メイちゃんの執事」や「ためしてガッテン」など、6日ぶりに日本のテレビを観た。
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4月 16日(木) 曇り一時小雨 祝!イチロー3085本目のヒットは満塁ホームラン
朝 ルクセンブルグ 「ル・ロワイヤル」 朝食ヴュッフェ
昨夜4回も目が覚め、その都度トイレに行った。それで疲れてしまったわけでもないだろうが、起きたら
6時55分!!7時には一番でレストランに行くつもりだったのに!しかも昨夜は酒を飲んでいたので風
呂にも入っていない!急いでシャワーを浴び、髪も洗って、それでも7時20分にはレストランで朝食を
食べ始めた。何と素早い!自画自賛。美しくレイアウトされた朝食ヴュッフェだが、食べるもの少ない!
岩の上にある旧市街と抉られた水郷の町 深い谷の上には高架橋 町ごと世界遺産 でも火事ですよ!
午前中はルクセンブルグの市内観光。昨夜は暗くなっていたので気が付かなかったが、城壁と旧市街
は2つの川が抉った深い谷の崖の上にあり、崖の下にも家が色とりどりの家々が建ち並ぶ。別の崖の
上には近代的な高層ビルが並ぶ新市街があって、旧市街とは高架橋が結ぶ。「森と渓谷の国」と呼ば
れる国なのだそうで、初めて来たルクセンブルグは抱いていたイメージと全く違った姿で目の前にある。
小さな国だからか大公宮も小さく護衛の兵士もたった一人で寂しそうだった。あら?あそこで火事が!
昼 ルクセンブルグ 「翠園酒家」 中華ヴュッフェ 10.9ユーロ、水 2,5ユーロ
旨くありません!
町を歩いている時、日本人グループと擦れ違った。先頭に立って説明している女性は・・・あら?どこか
で見たことある。それもごく最近・・ついこの前行ったボルネオ島の旅でご一緒した添乗員のK村さん!
今日のランチは自由食。小さな国でも、世界の金融機関が集まっているルクセンブルグだから、オリエ
ンタルな料理もあるハズ。添乗員のHさんが「中華料理希望の方一緒に行きましょう!」と誘ってくれた
のでついて行った。ホテルの中の大きな中華レストランだった。ヴュッフェだって。全く美味しくなかった。
でも10.9ユーロと安いから文句も言えんか。食後はA山さんとベンチでお喋りして笑い転げていた。
午後のお茶 エヒテルナッハ「何とかいうカフェ」 カプチーノ 2,1ユーロ
午後バスでエヒテルナッハの町に行く。朝からどんよりした天気だったが、ポツポツと雨が降り出した。
例によって散策の旅だから、雨でも散策は実行されるのだが、A山さんと私は散歩嫌い、Y本さんの奥
さんは怪我をされた後なので3人でカフェで待つことにした。カプチーノにはだっぷり生クリームが!!
夜 ルクセンブルグ 「Maison de Brasseurs」 オニオングラタンスープ、生野菜、ローストビーフ
フリッツと温野菜添え、アップルパイ、3点セット 13,5ユーロ
早めにホテルに帰ったので、N井さんの部屋のお茶パーティにオヨバレした。京都組のA山さんとは家
が隣なのだそうで。N井さんとは何度か旅をご一緒したというT木夫妻の4人に私。お邪魔じゃないで
すか?雨上がりの石畳を歩きながら夕食のレストラン。一昨日トムと話し相手になって貰ったA子さん
は美人の母上と2人旅。いいなぁ、母と娘で何度も旅行に行けるなんて。私の母は1ヶ月後の5月17日
で亡くなって丸29年になる。それはそれとして、この店の料理も美味しい。ルクセンブルグは美味だ!
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4月 17日(金) 一日中雨
朝 ルクセンブルグ 「ル・ロワイヤル」 朝食ヴュッフェ
今日はちゃんと6時に起きて一番にレストランに行った。どうして毎朝一番に行くの?うーん、そうすると
気持ちが落ち着くんでありんす。あらあら、外はバシャバシャ雨が降っておるわ。ガッカリだ。NHK海
外が映るから、このホテルではテレビを時々観た。朝8時15分から朝ドラを放映するのも面白い。時差
7時間あるのに、日本と同じだ。4月から始まった「つばさ」。川越が舞台のドラマだが今のところちっと
も楽しくない。チェックアウトしてバスに乗り込む。Cグループは今日後列の番だ。30分でベルギーへ。
日本人に人気がある(らしい)モダーブ城 年間30組の日本人カップルがここで結婚式を挙げるぞうよ
相変わらず雨は降り続く。ベルギー東南部はアルデンウ地方と言って、古城が多いところ。アンヌヴォ
ワ城、ラヴォー・サンタンヌ城、ヴェーヴ城、フレイエル城・・・・たくさんある城の中で日本人が一番好き
というモダーブ城を見学した。年間5万人の見学者のうち、日本人が15%を占めるという話を聞いて、
何だか恥かしいような。年間30組の日本人カップルがこの城の小さなチャペルで結婚式を挙げ、披露
宴をすることも。ブリュッセルからの車代や神父への謝礼などがパッケージされ、費用は約30万円だ
そうよ。イヤホンガイドも日本語版がある。そう言われて見渡せば城内見学しているのは全員日本人!
昼 ベルギー・デュルビュイ 「Sanglier des Ardennes」 パン、アルデンヌハム、イノシシの赤ワイ
ン煮、イル・フロッタント(浮島)メレンゲのデザート、オレンジのフレッシュジュース5,5ユーロ、コ
ーヒー3,5ユーロ
ここが「いのしし亭」のキッチン
どんな料理が出るのかな?
皇太子ご夫妻も訪れました!
昼前、「世界で一番小さな町」と呼ばれるデュルヴュイに着いた。どうして「世界で一番小さな町」という
のか尋ねたが、誰も知らなかった。イメージらしい。理由はともかく、デュルヴュイはやっぱり小さな町だ
った。人口5千人の町なのに、レストランの数は人口に不釣合いに多い。ブリュッセルあたりから、わざ
わざ食べに来る客がいるのだと言う。その中で人気が高いレストラン「いのしし亭」でランチを摂る。ホ
テルも併設する大きな店で、私達の席に行くにはキッチンの中を横切らないとならないオカシナ構造で
あった。メインはイノシシの赤ワイン煮。柔らかく煮てあったが、何度も食べたいものでもないな。この町
もこの店も雅子さまのお気に入りなのだそうで、入り口に来店された皇太子殿下とのお写真があった。
夜 ベルギー・ブリュッセル 「Chez Leon」 パン、野菜スープ、ムール貝の白ワイン風味、フリ
ッツ、キャラメルプディング、(バースデーケーキ)、3点セット 15ユーロ
「小さな町も散策する」旅だから、ブリュッセルの手前にあるナミュールでも車を止めて散策するので
ある。雨の中傘さして。A山さんと私はトーゼン行かない。彼女は居眠り、私は読書。本は10冊持って
来たが、読書は順調に進んでいる。5時半、ようやくブリュッセルに到着。ホテルは4年前も泊まった「ロ
イヤル・ウィンザー」。部屋は小さいが、グランプラスにも近く立地条件がいい。ギャルリー・サン・チュベ
ールを抜けてイロ・サクレ地区のレストランに行く。レストランがズラリと並ぶこの通りは、ブッシェー通リ。
肉屋通りという名前だが、魚介類を出す店の方が多いよ。中でも人気の「Chez Leon」は超満員。で
も野菜スープは大して美味しくない。お目当ては蒸しムール貝。皿に盛られた貝を食べ終わると、A山
さんが「これ食べ!」と彼女の分をくれた。それも食べ尽くしたら、店のおじさんが「お代わり!」と言って
ムール貝いっぱいのバケツを置いて行った。せっかくなので、せっせと食べる。少し残してしまって残念。
何と今日はU木ママのお誕生日。おめでとうございます!グランプラスの夜景を観に行ったが満腹で。
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4月 18日(土) 晴れ
朝 ブリュッセル 「ロイヤル・ウィンザー」 朝食ヴュッフェ
6時に起きて窓の外を見ると雨は止んでいた。グランプラスに近いというのは観光する上でチョー便利
であるが、夜中の喧騒から逃れられないということでもある。昨夜も雨の中、いろんな音が眠りを妨げ
た。レストランが開く前に待って、今日も一番。A山さんもN井さんも来られた。8時半には出発しよう。
4月から5月にかけての3週間だけ公開されるラーケン王立温室庭園。天井から美しいフクシアの花が・・・
在ブリュッセル31年のK下さんがガイドしてくれる。未だ空いているグランプラス見学。ヴィクトール・ユ
ーゴーが「世界で一番美しい広場」と絶賛したグランプラスだが、曇り空の下ではちょっと寂しげ。ブリュ
ッセル初めての方もいるので、一応「小便小僧」も見に行く。世界3大ガッカリの一つだ。K下さんは「早
く行きましょう」と私達を追い立てる。実は、今日からCがオープンとなり、開園時
間9時半には到着していようよ、ということなのだ。4年前もこの時期だったので行ったよ。9時40分に
は無事入場できたので、それほど混んでいない庭園を存分に味わった。色んなフクシアの花美しい!
父ブリューゲルの「ベツレヘムの戸籍調査」
こちらは息子の同作品の模写 エレーヌ・フールマンの肖像画
王立美術館。ここもフラッシュを焚かなければ、撮影OK。いいねぇ。好みはいろいろかと思うが、この
美術館での人気はブリューゲルとルーベンス。ブリューゲルは父親が有名だが、息子が2人いて小ブリ
ューゲルと呼ばれる。「ベツレヘムの戸籍調査」は、同じ部屋に長男の模写も展示されていた。彼はこ
のテーマで30枚も描いたそうよ。ベルギー人のブリューゲルだが、彼の作品の多くはウィーンの美術
史博物館にある。「バベルの搭」や「雪中の狩人」などウィーンで観た。ルーベンスは53歳の時、16歳
のエレーヌ・フールマンと再婚した。今なら「犯罪」と言われるような結婚だが、彼女はルーベンスが死
ぬ10年間で5人もの子供を産んだ。彼女の肖像画が印象深い。前回見なかった近代美術も観に行く。
昼 ブリュッセル 「潮州城酒楼」 焼きそば 9ユーロ、酸辣スープ 3ユーロ、中国茶 1.6ユーロ
一人中華はスープと焼そば
今日は昼も夜も自由食。京都組とT木夫妻の5人で、ヨーロッパ一旨いと評判のラーメンを食べに行こ
うじゃないかと話は纏まった。美術館を出てタクシーを探すも来ない。電車に乗れば、そこは行かないと
言うし。イライラ待つとようやく止まったタクシーを捕まえた。そうだ、タクシー4人しか乗れないじゃん。
皆さん、どうぞ行って下さいな、私は一人でテキトーに。道は知っているし、一人でご飯食べられるし。
朝曇っていたが、良い天気となって気温はぐんぐん上がっている。暑いのでホテルに帰って着替えをし
一人中華を食べた。焼そばはまぁまぁだが、酸辣スープはダメ!ぶらぶら散歩したり、チョコ買ったり。
夜 ブリュッセル 「SAMOURAI」 枝豆のつき出し、ホワイトアスパラの胡麻和え、もずく酢 12ユー
ロ、蟹クリームコロッケ 20ユーロ、鴨南蛮うどん 25ユーロ、ビール2杯、白ワイン、水 @チップ
込みで101ユーロ
外国でこんなに美味しい和食を食べたのは久々!
そうそう、ラーメンランチ組にはオチがあって、タクシーで行ってみると「土曜日ランチ休み」だったそうだ。
意地になって鮨屋を探して歩き、そこでラーメンも鮨も慮方食べられた由。夜は同じメンツで、日本食の
「SAMOURAI」を予約。店の前には「侍」とあるが、ナゼかSAMOURAI。ここがホントに美味しくて良
い店だったのだ。中心街からはちょっと離れているし、良い素材を使うから値段も高い。一見の日本人
観光客は殆ど来ず、現地に住むベルギー人のリピーターに愛されているのだそうだ。N井さんが注文し
た刺身盛り合わせは新鮮なネタばかりだった。愛子さんは秋刀魚の焼き物と野菜の炊き合わせを食べ
ていた。もずく酢が旨い。うどんもイケル。ベルギー人の客が次から次へと入って来る。高いが良い店。
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4月 19日(日) 晴れ
朝 ブリュッセル 「ロイヤル・ウィンザー」 朝食ヴュッフェ
イースター休暇も終わったこの週末は、学生にとって春休みの最後の週末でもあるらしい。そのためか
グランプラスに近いホテル周辺は夜中から朝まで騒ぎが続いた。客室のすぐ下で若者が集まって騒ぐ
わ、カーステレオの音量は最大、クラクションは鳴る、嬌声を上げる、笑い声が続く・・・・午前1時から5
時まで眠れなかった。ふんとにもう!!である。それでも、朝食は一番に食べる。寝不足で・・・・眠い!
昼 アントワープ 「De Rooden Hoed」 小海老のコロッケ、ゲント風ワーテルゾーイ、アイスクリー
ム、コーヒー
ブリュッセル9時40分出発予定だったのだが、新しいバスの運転手が30分も遅刻して予定がずれた。
ブルージュから来たという若い彼は、事故があって・・とかいろいろ言い訳していたけど、道がわからな
くて迷ったって感じ。カーナビが普及したお陰で、今EU圏内では知らない国、知らない町、知らない道
を走るプロ?の運転手がぞろぞろいるらしい。11時ベルギーの第二の都市アントワープ着。ほら、「フ
ランダースの犬」のネロとパトラッシュが凍死したノートルダム寺院のある、あそこよ。その寺院は日曜
日午前中はミサがあるので、見学は午後ね。広場を歩いている時だった。あちらから歩いて来る女性
が、私をジッと見て驚いている。「ゆ、ゆ、夢子さんですよねー!私です、わかりますか?」。わかるよ!
S原さん、アーちゃんじゃないの。30年近く前、18歳で入社して来たアーちゃんだった。午後ノートルダ
ム寺院で会った時聞いてみると、ベルギー人と結婚してブリュッセルに住み、ガイドをしているのとか。
グローテマルクトのブラボーの噴水 ノートルダム大寺院のルーベンス「キリストの昇架」と「聖母被昇天」
ベルギー最大の寺院であるノートルダム寺院はゴシック建築。ネロがどうしても見たかった絵は、ルー
ベンスが描いた「キリストの降架」と「キリストの昇架」、そして「聖母被昇天」。いずれも大きな祭壇画で
ある。若い才気ムキムキの頃の「キリストの昇架」に比べ「キリストの降架」はルーベンスの円熟味が。
中世のギルドハウスが美しいゲント
アントワープからゲントへ。中世ブルージュのライバル都市として栄えた町だ。この町での見ものと言え
ば、何と言っても聖バーフ大聖堂にあるファン・アイク兄弟の祭壇画「神秘の仔羊」である。この絵だけ
は有料なのだが、行列に並ばねばならない。確かに素晴らしく美しい絵なのだ。私は2度目だけど。レ
イエ川を挟んで西側がコーレンレイ、その対岸がグラスレイと言って港町として栄えた頃のギルドハウ
スが並んでいる。晴れた日曜日とあって寛ぐ人々で大賑わい。ビール運びコンテストが開かれていた。
夜 ブルージュ 「NHブルージュ」 トマトのファルシー、ブランドル風ビーフシチュウ、ベルギーワッフ
ル アイスクリーム添え、3点セット 12.5ユーロ
大きな音声付きカーナビに先導され道を知らない若い運転手もようやくブルージュのホテルに着いた。
やれやれ。ここのNHホテルは、以前ソフィテルだった。天井の高い気持ちの良い客室だ。今夜はホテ
ルで夕食。最後の宿泊地だからか解放感もあって、食後隣のバーにも行った。8人で大騒ぎさ。ふう。
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【今週の振り返り】
ベネルクス三国。常識だから誰でも知っている。知らない?中学の教科書に出ていたよ。ベルギーの
ベ、ネーデルランド(オランダ)のネ、ルクセンブルグのルク、ベネルクス。1948年に締結された関税同
盟のことだ。このベネルクス三国同盟が、現在のEU(ヨーロッパ連合)の発足に繋がっていくのだね。
その条約締結は、4月14日、15日に滞在したマーストリヒトで1992年行われたのだよ。マーストリヒト
条約だ。
ベネルクス三国は三国とも立憲君主国である。しかしルクセンブルグだけは王国ではなく、大公国だ。
国土は神奈川県や佐賀県とほぼ同じ、人口は48万人弱の小さな、小さな国だ。ベルギーとフランスと
ドイツに囲まれているが故に、近隣の国々から支配を受け、あるいは強国同士の緩衝帯的役割を負わ
されたこともある。「森と渓谷の国」と呼ばれ、起伏に富んだ緑に溢れた美しい国だが、意外なことに鉄
鋼業が盛んであった。その鉄鋼業が下り坂になると、金融サービスで生きて行こうと産業転換を行って
成功した。首都ルクセンブルグの旧市街には、世界の一流銀行が建ち並び、ビジネスマン達が颯爽と
歩いている。そんなことで2006年には一人当たりの国内総生産、国民総所得は世界一になったのだ。
人口の少ない国だから、労働力はポルトガルやイタリア、フランスから積極的に移民を受け入れ、その
数は国民の40%を超えている。
ベルギー王国。漢字の当て字は「白耳義」だよ。アハハだね。現在のベルギー王家の歴史は意外と短
い。1831年ドイツ君主のザクセン=ゴータ家からレオポルドを初代に迎えたところから始まる。2代目
のレオポルド2世が問題の人だ。問題というか毀誉褒貶の人というか。アフリカのコンゴ自由国を、ベル
ギーで所有しようよ、と提案したのだが、拒否された。するとレオポルド2世は「いいもん!今後、コンゴ
は僕個人の領有地にするからねー」と宣言して、ホントにそうしちゃった。コンゴは良質なカカオ豆を産
出する。それをがんがん本国に運んで来たから、現在のチョコレートで有名なベルギーになったのだね。
なるほど!そしてレオポルド2世は、コンゴの人々を強制労働させて巨万の富を築いた。その資金でブ
リュッセルにある王宮やラーケン王立温室庭園などをじゃんじゃん造った。庭園には、パリ博覧会で人
気を博した日本の五重塔まで買っちゃった。23年後の1908年には、コンゴは国王個人所有からベル
ギー領となったのだが。レオポルド2世には子供がいなかったので、弟の息子アルベール1世が3代目
となる。彼は第一次世界大戦が始まっても最後まで降伏しない骨のある人物だったが、その息子のレ
オポルド3世となると腰が引けているわ、弱気だわで1940年早々とドイツに無条件降伏してしまう。第
二次世界大戦が終わって、国外逃亡していた国王がベルギーに帰って来たが、ベルギーの人々は憤
懣やるかたない。「王位復位なんて許さんよ!絶対ダメだよ!王様、辞めな!」ってことでレオポルド3
世は退位、その息子のボードゥアン1世が即位した。現在は、その息子のアルベール2世が六代目の
王位に就いている。
ベルギーとて小さな国。しかし、その北半分はオランダ語を話すゲルマン系の多いフランドル地方、南
半分はフランス語を話すラテン系が多いワロン地方に分かれ、首都のブリュッセルは国のほぼ真ん中
に位置する。以前は南のワロン地方の方が豊かだったのだが、今は明確に北高南低の経済状況。勤
勉な働きで得た北の豊かさに、社会保障などの面で南のワロン地方がぶら下がっている恰好だ。当然
北からは不満が出る。数年前、北のフランドル地方がベルギーから独立、という誤報が流れて国中が
騒然としたそうだ。去年、読んだ新聞には、「ベルギーと言う国は不要だ。ベルギーの北部はオランダ
に、南部はフランスとくっつけばいい。国王はどちらか好きな国を選べばいい」と言った極論が論じられ
ているとあった。実際そんなことにはならないとは思うが、チョコレートの甘さの陰にこんな事情も隠さ
れているのである。わからんものだねぇ。で、未だ私はベルギーにいるよー。
みんな仲良くしようよニャン ねぇ
* 旅の始まりは 4月 2週 をご覧ください。
4月4週も未だですね、はいはい、いま暫くお待ちを!