パクパク日記9年4月5週
新型インフルエンザで大騒ぎの中、リビアに飛んだ。ほら、カダフィ大佐の・・・
4月 27日(月) 晴れ
朝 家食 「松下」炙り鮭を使ったゼータク炒飯、もずく酢、新生姜、アロエヨーグルト、黒烏龍茶
この炙り鮭使えば誰でも名コック
昨夜1時半に寝たのに、6時には目が覚めた。これでは寝不足になって困るよ・・・と考えていたら、ま
た寝込んだようで。起きたら9時だった。これで良し!今朝はあのゼータク炒飯が未だあるぞ。ヒヒヒ!
昼 四谷3丁目 「日高屋」 たんめんと餃子のセット 670円
490円と190円の味
今週出かける旅に必要な物を買いに町に出る。見つからなかったら新宿か銀座に行こうかと思ってい
たが運良くすぐ見つかった。さて昼飯だ。今夜はご馳走を食べるから、昼は軽くしようね。「日高屋」に行
き、「たんめん」と注文するつもりが、「と餃子のセット」と言ってしまった。ちっとも軽くないじゃないか!
夜 荒木町 「鈴なり」 6500円のお任せコース(うるいのお浸し、岩牡蠣、前菜盛り合わせ、稚鮎
とこごみの天ぷら、生ウニの玉地蒸し、馬刺し、甘海老の煮付け(刺身の代り)、鱒の焼き物、焼
き筍のさっと煮、アサリの炊き込みご飯、漬け物、アサリの味噌汁、炊き込みご飯の出汁がけ、苺
杏仁豆腐)、生ビール×2杯、冷酒 「新政」 3合 @1万円
苦戦していた4月3週のパクパクを午後ようやくアップした。ほっ。4月4週が未だ残っているのじゃ。私
はねぇ、パクパク自動制作機じゃあないんだよ!さて、今晩はお目出度い宴会だ。OS子さんがすっか
り元気になられた快気祝いを不美子の会メンバーでやろうというもの。場所は「鈴なり」。病気とは一生
無縁かと思われた大S子さんが入院したのだから、一堂たまげた。今日聞いてみたら、本人が一番た
まげたらしい。病院食が意外に美味しかった話、最初の食事から彼女にだけはご飯大盛りが配られた
話などしながら笑い合ったが、ホント元気になって心から嬉しく思う。今日の料理もバシバシと旨い。焼
いて焦げ目をつけてさっと薄味で焚いた筍から春の香りが立ち上る。アサリ炊き込み飯も汁も旨い!
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4月 28日(火) 晴れ WHO豚インフルエンザ 警戒レベルをフェーズ4に!
朝 家食 茹で卵とフルーツトマトトースト、金澤「不室屋」のふやき五色汁、アロエヨーグルト
6時起床。今日はパートの日だ。先月金澤で買って来た麩焼き五色汁に熱湯をかけて食べてみた。9
時過ぎ迎えの黒塗り車のドライバーは、K藤さんじゃないぞ。年に16回2年間送り迎えしてくれたが3
月末で転職された由。そうかぁ寂しいねぇ。ま、会社っていうか、大人の世界ってそうゆうことなのよね。
昼 某社・会議室 お弁当とお茶
お弁当食べながら報告を聞きます
2・5・8・11月以外は月1度の仕事。しかも2時間。だから自分ではパートなんて言っている。しかし、2
ヶ月前から会議終了後、お弁当を食べながらの懇談会っていうのが始まってしまい・・拘束は長く・・・。
終了後、新橋の美容院に行く。美容院の帰りにいつも寄るカフェと本屋に行くと・・・何と閉店していた!
夜 舟町 「おちあい」 お任せコース(醤油豆、自家製イカの塩辛、刺身盛り合わせ、豆鯵・畳鰯・しし
ゃも、イカと牛蒡の天麩羅、芋鍋、煮込みうどんと雑炊、梅干)、ビール、冷酒 @6千円
新橋駅前の文教堂とコーヒーチェーンのエクセルシオールが閉店いた。喫煙者だった頃(41年間もあ
ったではないか!)地下の喫煙フロアでコーヒーを飲み、カタカナ会社の人とバッタリ会ったものだった。
寂しいね。2軒の店をハシゴして高性能のマスクを18枚購入。旅に持って行く分だよ。夜8時から「やつ
がしらの会」。毎年4月末に「おちあい」の奥の座敷で行われることは決まっているのだ。一番若いO
江クンは第一回の会に無断欠席したということで破門だと先輩達に責められていたが、ここ数年幹事を
ちゃんとやって復権に向かっていた。ところが、今回「新婚旅行です(2回目の)」ってことでロスに出掛
け欠席。O江除名!の声高し。昔と同じようにヤンチャ言っている彼らも、世間から見れば堂々たる中
年のおっちゃん。仕事上の責任も重くなっているしね。みんな、カラダに気をつけてぐわんばるのだよ。
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4月 29日(水・昭和の日の祝日) 素晴らしい皐月晴れ
朝 家食 「DONQ」のキーマカレーパン、たまご麺、アロエヨーグルト、ヘルシア茶
チョコパン残した・・・
昨夜二次会に行かなかったお陰ですっきりと起きた。1軒目大量飲酒+二次会=二日酔い。これはこ
こ数年の私の場合、必須の方程式だ。もうお婆ちゃん(ぷふっ)なんだから、ムチャ飲みはイカンよ。
久々の「DONQ」のパン。昨日は焼きたてだったキーマカレーは冷たくなっちゃったけど、ボリュームた
っぷり。たまご麺もあったから、これでお腹いっぱい。チョココロネは残した。ヘルシア茶よ頼んだぞ!
昼 愛住町 「峨眉山」 鶏肉入り塩味たんめん、半炒飯のセット 900円
赤い炒飯ってヘン!
荷造りをする。明日預けるから真面目にやらねば。でもその前に腹ごしらをしようと近所の「峨眉山」に
行った。そうそう、怖いマダムがいる店!本来ここは四川料理の店だから麻婆豆腐とか坦々麺などは
普通のメニューなのだがナゼなのか私は余り食べたことはない。鶏肉入り塩味たんめん全く辛く無い。
夜 家食 「RF!」のナポリタン、ちりめんじゃこサラダ、フルーツトマト、めかぶ、お米のパン、味噌汁、で
こぽん
旅行直前になると思うことがある。「どこにも行かないでずーっと家にいたら気楽でいいだろうな」。無酒日
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4月 30日(木) 晴れ WHO新型インフルエンザ 警戒レベルをフェーズ5に!
朝 家食 キャベツのコロッケと千切りキャベツ、ソーセージとサラダ、お米のパン、味噌汁、ビオヨーグ
ルト、ヘルシア茶
午前中スーツケースを預けた。成田空港までなら福山通運が来るのだが、羽田だと佐川急便になる
んだね。因みに関空まで送る場合は大和運輸が来るのだよ。今朝5時にWHOは新型インフルエンザ
の警戒レベルをフェーズ4から5に移行したと発表したらしい。メキシコ以外でアメリカでも死者が出たこ
ととスペインでメキシコに行っていない人に感染したことがその理由らしい。人から人への感染。怖い!
昼 四谷三丁目 「香港食堂」 冷し中華そば(杏仁豆腐付き) 900円
食べるのは年に1度位だけど
29日から大型連休に突入した人達もいるらしい。すったもんだした定額給付金の給付も始まり、高速
道路が一律千円が浮け、おまけに好天続き。これなら連休中にドッと人が繰り出し、消費も高まるかと
期待したのに・・・・この新型インフルエンザなんだよね。まぁ、今のところ海外に行かなければ大丈夫だ
とは思うけど。交差点を歩きながら「暑い!」と言った途端に「冷し中華そば」の文字が目に入った。つ
い吸い込まれて注文した。1年に1度位しか食べない冷し中華だけど旨いよねぇ。胡麻味噌味にした。
夜 四谷3丁目 「鮨処 某」 付きだし:皮ハギの卵:はぎ子、刺身:いし鰈(鹿島)、スミイカ(佐島)、シ
ャコ(小柴)、下関のノド黒塩焼き、出汁巻卵、握り:鰯、スミイカ、生ビール、冷酒 「東北泉」 4合
ノド黒の塩焼きは絶品だった!
パクパク日記4月4週分の作成や7月の国内旅行の手配などしていて手間取り、夕食は8時になった。
当分マズイ食事をするのだろうから、今日は鮨でもつまむか。「鮨処 某」でツマミながら日本酒をグビ
っ。今回の旅行は禁酒なのだよ。グビっ。下関で揚がったというノド黒の塩焼きは脂が乗っていて何て
旨いのだ。今晩ここに来て良かったぞ!あら?端の席に座っていたのはO木君だった。久しぶりね!
マキコに録画して貰った「花男」を観る。アレレレー。音も聞こえなければ、絵柄も見えんじゃないかぁ。
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5月 1日(金) 晴れ あぢぢ
朝 家食 焼き鯖鮨、金澤「不室屋」のふやき五色汁、めかぶ、アロエヨーグルト、ヘルシア茶
毎年1日は支払い日だ。以前は通帳と判子を持って銀行に行き、順番を待ったりしたから面倒だった。
今はパソコンの前でチャカチャカってやれば終わりだよ。昼前ようやくパクパク日記4月4週分アップ。
昼 荒木町 「まほろば」 鯛の塩焼き定食 800円
旅立ちの前はお頭付き!
今日の昼食は「味里」のうな重にしようと、ずっと前から思っていた。楽しみにしていた。スキップしなが
ら行ってみると・・・休みだった。ショックでしばらく店の前でボーっと突っ立っていた。気持ちを切り換え
ねば。立ち直らねば。元気を出さねば。シツコイ!!「まほろば」でカタチの良い鯛の塩焼きを食べた。
午後のお茶 四谷三丁目 「ANTENDO」 アイスコーヒー 250円
今日はエラク暑い。出かける前にゴミを捨てに行ったら、あぢぢで汗がぼたぼた。風呂に入る。風呂場
にいたら玄関で物音がする。カオルだった。じゃあカオルちゃんお留守番お願いね。行って来まーす!
夜−1 浜松町 「PALATIN」 コーンクリームスープカップサイズ 300円、コールマンカリー(鶏と茄
子の激辛スマトラカレー) 1080円、アイスコーヒー330円
いつもより辛くない?
今回の旅はアフリカのリビアだ。関空からエミレーツ航空に乗って行く。よって成田で無く羽田。というこ
とは浜松町?激辛のコールマンカリー?ムヒヒ!久しぶりだなぁ、このカレー。あれ?余り辛くないぞ。
夜―2 関西空港 エミレーツ航空ラウンジ 生ビール、冷酒
羽田からJAL・エミレーツ航空の共同運航便で関空へ。今回の旅の参加者は6名で、お一人は関空合
流だ。ちょっとしか時間は無かったが、ラウンジで生ビールと冷酒をグビッと飲んだ。生ビールが旨い!
夜―3 エミレーツ航空 関空=ドバイ ビジネスクラス機内食(和食)
23:15発のドバイ行き。夜便だからか、希望者にはシーツマットレスを座席に敷いてくれる。これは進歩。
しかしここの和食はイケナイ。更に不味くなったよ。シャンパンもジンもワインもいーーっぱい飲んださ。
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5月 2日(土) リビア・トリポリは曇り 1LD(リビア・ディナール)=78円
朝 エミレーツ航空 関空=ドバイ ビジネスクラス機内食(和食)
エミレーツの和食の機内食はホントにイケンね。第一味がなっていない。2食目の和食なら、日本の朝
食にすべきだろ?ところが1食目とほぼ同じなのだ。とうてい朝ご飯とは呼べん。早急に改善すべし!
昼 エミレーツ航空 ドバイ=トリポリ ビジネスクラス機内食
1年4ヶ月ぶりのドバイ空港。世界一高いビル、世界一大きな空港、砂漠の中のスキー場、人口の島の
別荘地・・・・オイルマネーでこの世の春を謳歌していたドバイにも不況がドカーンと襲った話は聞いた。
たくさんのプロジェクトが中止や縮小になったようだ。しかし、空港にいる限りは不況なんてわからない。そうそう、
この空港ではマスクしている人は稀。日本人くらいだよ。この近くではイスラエルで感染者が
出たようだが。どでかいビジネスラウンジで、着替えたり、歯を磨いたり。次はトリポリ行きに乗り込む。
隣のアラブ人のおっさんが、「ラーメンガール」を観ていたので覗いた。西田敏行が頑固なラーメン屋の
主人で、ブリタニー・マーフィー扮するアメリカ人ギャルがラーメン修行をするって話なのだが、阿呆み
たいにつまらない。これってハリウッド映画なのだね。西田敏行もこんな映画に出なければいいのに。
緑の広場(革命広場)にハタメク緑一色の国旗 国中にカダフィ大佐の写真が 旧市街スークへの入り口
金銀の細工が盛んな国だ アラブの女性は自宅ではチョー派手らしい 画廊にあった絵
グルジ・モスクには祈りの時間が 2世紀建造のマルクス・アウレリウス門 スークで売っていたヘナシート
香辛料の多くはリビア国内産 市場の野菜は新鮮だよ アラブのパンは旨い!
ドバイは時差5時間だったが、リビアは7時間だ。現地時間午後1時半トリポリの空港に到着。6時間
強のフライトだった。タラップから下りると、意外に涼しいじゃないか。風も気持ち良いし。空港の建物に
入ると、職員は皆厳重なマスク姿!ドバイ空港ではパッパラパーだったのにリビアでこれかい。ナゼか
アジア系の乗客を捉まえては熱を計っている。ここでビザを取る。その前に日本で申請事項をアラビア
文字に直して貰う必要があった。結構グチグチ面倒なのだ。両替。「たいしてお金使う所ありませんか
ら、小額でいいと思いますよ」と添乗員のH野さんがアドバイス。80米ドル替えた。スルーガイドのモク
セムさん、どうぞよろしく。スーダン系で肌はチョコ色。あらら?あのアンちゃん誰?警官だって。この国
では5人以上のグループには警官が一人付くんですって。もれなく。渋滞のお陰で今日予定していたジ
ャマヒリヤ博物館は閉館時間ということで延期。トリポリの市内観光をする。喧騒に満ちた町であった。
夜 リビア・トリポリ 「ホテル サファリ」 魚のショルバ(リビアンスープ)、パン、サラダバー、魚のグリ
ル、フルーツ
酒無し夕食1日目
夕方ホテルチェックイン。今晩、3日後、最終日とこのホテルで計3泊する。ところが・・・このホテルがク
セもので、最初にアテガワレタ部屋はまるで女中部屋のようだった。部屋に入るなりワッと泣きたくなる
ような不幸を呼ぶような部屋。代えて貰った。ここで計3泊かぁと溜め息が出る。夕食もホテル。寂しい
レストランだ。ショルバとは、アラビア語でスープ。魚で出汁をとったちょっとピリっとするスープ。こんな
料理が続くならこの旅行で痩せるのは必至。ムヒヒ。寝不足と疲れで食事中からウトウトした。無酒日
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5月 5日(日) リビアは曇りのち晴れ
朝 リビア・トリポリ 「ホテル サファリ」 朝食ヴュッフェ
5時半起床。昨夜はお風呂にも入らず9時に寝てしまった。シャワー&シャンプーでシャキッと。6時過
ぎ朝食レストランへ。茹で卵以外はすべて昨夜のうちに用意したもののようだ。早く行った客は、皿のラ
ップを外さねばならなくて面倒だ。いろいろホットドッグパンに挟んだ。部屋の窓から地中海が見えた。
9世紀に造られたベルベル人の食料貯蔵庫であるクサール・ハッジ。コーランの章と同じ114の部屋がある
クサール・ハッジはジファーラ平原の南端にある 日陰でオジイさん達が茶を振舞ってくれた 住居跡も見学
8時チェックアウトして出発。参加者6名+添乗員+スルーガイド+随行?警察官+ドライバーの10
名だから昨日はマイクロバスだったのだが、今日の長距離ドライブに備えて中型のバスに変更された。
有り難い!お陰で、最後尾の席を一人占めして優雅だった。1時間半ほどでクサール・ハッジ着。9世
紀に出来たベルベル人の食料貯蔵庫が昔の姿のままに残っている。ここで日本人グループに会った。
数年前まで添乗員H野さんが勤務していた旅行社の12人のツァーだった。これ以降ずっと会うことに。
昼 アルージョービア「アルージョービア」 パン、緑のハリッサ、羊のショルバ、パン、サラダ、グリルチ
キン ライス添え、ナツメヤシ、ミントティ)
この辺にはここしかレストランは無いそうで・・・
ナフーサ山地でぐんぐん高度を上げ、絶景を見ながらバスは進む。まるでリビアのグランドキャニオンじ
ゃありませんか。ナルートの町を過ぎ、ランチを摂るアルージョービアに着いたのは1時40分だった。
アラブにはハリッサという辛味調味料があるのだが、普通は赤唐辛子を使う。ここでは青唐辛子を使っ
た青いハリッサがあった。パンにつけて食べるとピリピリ旨い。それに比べてナツメヤシの甘いことよ!
ある田舎町では10分間誰にも会わなかった 砂漠でんなぁ、駱駝おりますなぁ イタリアとの戦いの犠牲者を悼む記念碑
2時40分再出発し4時何とかという町を散策しようと車を止めた。10分間歩いたがひとっこひとりいな
い。早々に引き上げようということになったら、ようやく人影があってほっ。更にバスは南を目指し、砂漠
地帯に入ってゆく。砂漠というと、風紋が美しい見渡す限りの砂砂漠をイメージすると思うが、実はそれ
だけではない。砂漠は、4種類あって、岩石砂漠、礫砂漠、砂砂漠、土砂漠があるのだよ。8年前モロッ
コに行って私は知ったのだ。駱駝が少ない草を食んでいる。あぁ何年ぶりかでサハラ砂漠に来たねぇ。
夜 ガダメス「ダール・ガダメス」 夕食ヴュッフェ、アルコール無しビール(チェニジア製) 3LD
650キロを走り切って、ガダメスに到着したのは午後6時40分だった。ガダメスで一番高級なホテル
「ダール・ガダメス」に連泊する。トリポリに比べると、グンと心地よいホテルだが、部屋が遠いのがツラ
イ。5分はかかる。迷う人もいた。8時から夕食。ヴュッフェだ。今日はアルコール無しのビールでも飲ん
でみっか?ここはチェニジアビールですって。グビグビグビ。ぷっはー。結構イケルじゃないの。無酒日
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【今週の振り返り】
先週突然発生を知った豚インフルエンザから変異した新型インフルエンザ。あれよあれよという間に、
メキシコを中心に世界に広まり、世界保健機構WHOは火曜日の4月28日に警戒レベルをフェーズ4
に引き上げ、2日後の30日には更にフェーズ5とした。こうなると、各国とも空港や港での検疫強化な
ど阻止策を講じなければいけなくなる。時まさに黄金週間直前。今年の黄金週間はカレンダーの並び
がいいから大型だとみんな楽しみにしていたのにね。企業も不要不急な海外渡航は止めよ!なんて言
わねばならん。これが仕事の場合は「はい、それでは延期します」でいいのだけど、待ちに待った黄金
週間に海外旅行しようと思っていた人々はどうなる!「ハワイ?それはアメリカだろうが。ダメだよ。それ
でも行くなら、帰国して10日は自宅待機して貰うからね」なんてイジワルされた友人もいる。私の旅先
はリビアだ。リビアはアフリカだ。出発する5月1日現在、アフリカでは患者は見つかっていない。経由
国のドバイも大丈夫。その上、成田よりいくらか気持ちの上でマシのような羽田&関空から行くんであ
る。マスク10枚と念のためタミフル10錠持参でリビアに出かけた。
リビアはアフリカのどこにあるの?北アフリカ。アフリカ大陸の北部、地中海に面している国は5ヶ国あ
る。東からエジプト、リビア、チェニジア、アルジェリア、モロッコ。ね?どこかだいたいわかったでしょ?
国の大きさは日本の4、6倍で、隣接する国はエジプト、スーダン、チャド、ニジェール、アルジェリア、チ
ェニジアの6ヶ国に渡る大きな国なのだ。しかし半分は砂漠である。人口は600万人、首都のトリポリ
には4分の1の150万人が住む。主な産業は石油。何と国家財政の9割が石油に頼っている。だから
ガソリンは1リットル15円。そこだけは羨ましいのである。リビアの正式な国名はこの60年で5回も変
わったが、現在は大リビア・アラブ社会主義人民ジャマヒリーヤ国という長い長い名前である。
リビアといえば、カダフィ大佐である。しかし、大佐は愛称であって、革命を率いた青年将校カダフィィは
大尉であった。彼はエジプトのナセルに心酔していた。ある年齢以上の人なら「成せばなる。ナセルは
アラブの大統領」なんて言葉を覚えておられようが、ナセルは大統領になる前は軍人でナセル大佐だ
った。憧れたナセルが大佐だったのだからと、リビアの人々がカダフィに贈った愛称が「カダフィ大佐」な
のである。彼はちょうど40年前の1969年9月1日、青年将校たちと共に無血革命に成功する。イスラ
ム原理主義、社会主義、ナセル主義などに基づき、彼なりの理想国家を建設する意欲に燃えていた。
のだと思う。私は読んでいないが、カダフィ大佐は「緑の書」を著した。しかし、反欧米、反イスラエルの
強い思いは、どこかから軌道を逸してしまい、数々のテロを引き起こし、イスラム原理主義者のテロも
積極的に支援した。核開発もせっせと行っていた。欧米、特にアメリカと激しく対立して「テロ国家リビ
ア」のレッテルを貼られた。アメリカの爆撃テロの報復としてパンナム機爆破事件を起こすなどもうグチ
ャグチャ。国連にも経済制裁を課せられ、国際社会からは孤立していたのだ。フンとにリビアは困った
国だったのだ。
しかし、リビアというかカダフィ大佐は変わった。ガラリと変わった。NYで起きた9、11事件以降、核開
発の全面放棄、パンナム事件の容疑者の引渡し、犠牲者の補償など、急速に態度を軟化させている。
あれほどリビアを憎んでいたアメリカは「テロ支援国家」指定を外し、国交も復活した。北朝鮮もリビアを
手本にして欲しいと思っている人は多いと思うよ。あの過激なカダフィ大佐だってこうなったんだぜ、っ
てね。
リビアの旅は始まったばかり。この国には、一番保存状態が良いとされるローマ遺跡がたくさんある。う
ーむ、来週が楽しみだ。そうそう、インテリのスルーガイド、モクセムにインフルエンザの件を聞いてみ
た。「新型インフルエンザ?ナニ、それ?」。リビアではマスクは不要らしい。
禁酒も慣れればどうかなるニャン
* リビアの旅2週目、5月1週はなるべく早く造りますね。暫しお待ちを!