パクパク日記9年6月2週

      イングランドの湖水地方、コッツウォルズ地方を回り、ロンドンでは女王陛下に・・・

ピーターラビット 女王陛下パレード

6月 8日(月) 晴れ ときどき小雨その後曇り                    1£ポンド=約170円

朝 スコットランド・グラスゴー「シスルホテル」 朝食ヴュッフェ

   国境の町ディトナ・グリーンは駆け落ちのメッカ

5時半起床。夜中3時に足が攣って漢方の「68」を飲んでようやく治まった。今日でスコットランドとお別

れしてイングランドに入るのだったな。エディンバラからバスを運転してくれたブライアンは、タイヘン礼

儀正しいハンサムな紳士で女性軍に好評であったが、今朝からグレアム氏に交代。国境近くにある町

ディトナ・グリーンは昔から駆け落ちのメッカだったらしい。親の許しなく結婚など出来なかった時代、ス

コットランドは立会人と神の前で宣誓すれば結婚できるとした法律だった。そこで禁断の恋に陥ったカッ

プルはここまで馬車を走らせて結婚しちゃったのだ。観光客のジジババが扮装して写真撮影していた。

昼 イングランド・ウィダミア「ウィックド」 トマトスープ、パン、ソーセージとマッシュポテト 温野菜添え、

2種アイスクリーム、コーヒー

  

  

 「ビアトリクス・ポターの世界」では、ピーター・ラビット始め彼女の生み出したキャラクターがいっぱい

いつの間にかスコットランドからイングランドに入っていた。湖水地方のウィンダミアで塩辛いソーセー

ジのランチを摂った後、町をぶらぶら。この辺は湖水地方と言って氷河の侵食で出来た無数の湖があ

る。東西50`、南北60`の地域で、大きい方が2`を超える湖は10を超え、それ以下の湖は無数に

あるらしい。ボウネスの町に移動して「ビアトリクス・ポターの世界」へ。ビアトリクス・ポターはご存じピ

ーター・ラビットを始めとする動物キャラクターを数々生み出した。メルヘンの世界で一瞬子供に戻る。

午後のお茶 ウィンダミア湖ボート乗り場カフェ コーヒー 1.9£

S.Tマーチン教会などを見学した後フリータイム。読みかけの本が気になり、カフェで読書に勤しんだ。  

夜−1 ウィンダミア湖・レイクサイドホテル「ダイニング」 チョイスメニュー:ミネストローネスープ、

      パン、ラビオリ、温野菜、フルーツカクテル、3点セット 14,75£

  

  

                          レイクサイドホテルはウィダミア湖に面している  私の部屋はレイクビューでなくシープビュー

ウィンダミア湖南端のレイクサイドホテルまでバスで向かう。船付き場から40分かかった。その名の通

り、湖にモロ面して建っているのだが、全室がレイクヴューというわけには行かない。N通添乗員は、

「部屋割りは、ぜーんぶホテルに任せてあるので、どうなっても知らないよー」と開き直っている。鍵を頼

りに部屋に行ってみたらレイクビューではなく、羊を見る「シープビュー」の部屋であった。私はこれでも

いいよ。夕食は3品すべて2択のチョイス。スープとラビオリとフルーツを頼んだ。ラビオリとワイン旨!

夜―2 ウィンダミア湖・レイクサイドホテル「バー」 ジントニック 7,1£

このホテル、ラグジュアリーリゾートって感じで、星を4つ半くらいあげてもいい。連泊で明日はパッキン

グ不要。じゃあバーでも行っちゃう?と言ってもヤサグレN通さんしか付き合ってくれる人はいないが。

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6月 9日(火) 曇ったり晴れたり

朝 ウィンダミア湖・レイクサイドホテル「ブラッスリー」 モーニングセットメニュー+フルーツとヨーグル

トヴュッフェ

    珍しくセットメニューの朝食

5時半起床。6月中旬の今、緯度が高い英国では日没が遅い。9時45分くらいにようやく暮れる。で、5

時前にはもう明るい。気になって仕方ないのは、こちらに来てからずっと見ている羊の食事時間だ。キ

ャツラは、明るい間ずっと草を食べ続けているんだよ。たまに座ってボーっとしている羊もいるにはいる

が、基本的にはムシャムシャ草食べている。夏場の羊は17時間も食事しているってこと?私はそんな

に食べられんな。このホテルは珍しくヴュッフェスタイルではない。ソティされた大きなマッシュがグッド。

昼 ホークスヘッド 「クィーンズヘッド」 カプレーゼ、パン、鱒のフィレ 温野菜添え、洋梨とラズベ

       リーのパイ

  

  

         湖水地方の中心ウィンダミア湖         ビアトリクス・ポターが住んだヒル・トップ    ワーズワースが通ったグラマースクール

昨日お茶を飲んだ船着場までバスで移動し、ウィンダミア湖の遊覧船に乗る。湖水地方は裕福な人々

に愛され、大きなお屋敷の別荘が湖を取り囲んでいる。それにしても乗船者の日本人比率の多さは何

だ!メノコ勘定だと35%は日本人か。昨今秘境っぽい旅行ばかりしているから、日本人グループには

あまり会わなかったから余計気になる。40分後船はレイクサイドに到着。つまり、ホテルの真ん前に帰

って来たのだ。でもホテルには帰らんよ。船着き場のすぐ近くに駅があって蒸気機関車に乗った。ハバ

ースウェイト鉄道でわずか6キロを18分かけてドコドコ走る。昔はウールやさんらんぼの輸送に使われ

たが今は観光用だ。ハバースウェイト駅からエラク運転の荒いミニバスに乗ってホークスヘッドへ。鱒

のランチを食べた後、町を散策。ホークスヘッドは小さな町だが、詩人ワーズワースが通ったグラマー

スクールやピーター・ラビットのビアトリクス・ポターのご主人が開いていた弁護士事務所もある。少し離

れた場所にはビアトリクス・ポターが愛し亡くなるまで住んでいた「ヒルトップ」があり、公開されている。

おやつ ライダル・マウントにて クリームティー(スコーンと紅茶)

  

 浪漫派詩人ワーズワースの終の棲家となったホークスヘッドで子孫の方々からお茶の接待を受けた   庭が美しい!

グラスミヤ湖を見下ろす高台にワーズワースが亡くなるまでの37年間住んだ「ライダル・マウント」があ

る。美しい風景式庭園はワーズワース自身が設計した。そうそう、16年前にフジテレビが放送していた

「ワーズワースの庭で」(その後ワーズワースの冒険となる)という番組が大好きだった。お洒落でウィッ

トに富んでいて。あの番組で司会をやったことが縁で坂東八十助(現・三津五郎)は離婚して女子アナ

の近藤サトさんと結婚したなんてことがあったねぇ。すぐ別れて彼女は別の人と再婚。私は三津五郎の

息子が歌舞伎役者にならないのではと心配していたが、巳之助君舞台に立っていますよ。声が出来て

いないのが残念だが、踊りは巧い!あぁ、これがホンマモンのワーズワースの庭なんだねぇ、なんて番

組のことを思い出しながら眺めたのだよ。子孫の皆さんが、彼の代表的な作品「水仙」を朗読(英語で

よ、もちろん)してくれた。リズムがいい。そしてクリームティーのサービス。焼き立てスコーン旨かった。

夜 ウィンダミア湖・レイクサイドホテル「ダイニング」 チョイスメニュー:ポテトスープ、トリフ入りリ

     ゾットと温野菜、バニラパンナコッタ、(お茶)、3点セット 14,75£

  

夕刻ホテルに帰って、ふと「明日は10日。毎月歌舞伎会のゴールドメンバーのチケット発売日だね、来

月は何日にチケット頼んだんだっけ?」と手帖をチェックしたら、記述が無い!!マキ子に観劇日を指

定しないで出かけて来てしまったことに今頃気がついた。今9日の午後6時、ということは日本は10

日の午前2時。売り出しは午前10時だから未だ間に合う。携帯メールでマキ子に依頼。ギリギリのお

願いだから下手に出て。ふぅ・・・国際対応携帯電話に代えて良かったぞ!夕食はまた3択だったが、ス

ープとリゾットとパンナコッタを選ぶ。私の選択傾向は単純。汁モノとパスタ・リゾット系が好きだからね。

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6月 10日(水) 雨が降ったり止んだり

朝 ウィンダミア湖・レイクサイドホテル「ブラッスリー」 モーニングセットメニュー+フルーツとヨーグル

トヴュッフェ

  

        薄いパンをカリカリに焼いたトースト  そ    の名の通りレイクサイドホテルに2連泊した   4ツ星ホテルだが内部は豪華

旅に出るとトツジョ早寝早起きになる私だが、今朝はウェイクアップコールで起された。ヒエーッ!!もう

6時半じゃないかぁ。飛び起きてシャワー浴び髪を洗って乾かし、着替えて、荷造りしてバゲジダウンし、

それでも朝食には6時59分に一番乗りしたのだ。ハァハァ、29分でこれだけやって汗かいちゃったよ。

カリカリに焼いた薄いトーストが旨い。マキ子から無事歌舞伎座のチケットが買えたとメールがあった。

  

        最近オーナーが代ったウェッジウッド  ビジターセンターでは職人達が仕事ぶりを見せてくれる

天候が安定しない英国で、珍しく晴れた日が続いていたが、今日は雨だ。英国の陶磁器と言えば「ボー

−ンチャイナ」。この国の土は、陶磁器の本場の中国や朝鮮半島、日本と違って白モノの陶磁器には

合わない。そこで職人達が挑戦と失敗を重ねながら編み出したのが、焼いた牛骨を焼いて灰にし土に

混ぜる製法。17世紀に開発され、以来ボーンチャイナと呼ばれ世界中で愛されているわけだ。ズシリ

と重いが、西洋料理はお皿を持って食べたりしないからいいのだ。ストーク・オン・トレントは、ボーンチ

ャイナの町でロイヤルドルトンやウェッジウッドの工場がある。ウェッジウッドに行った。このウェッジウッ

ドが経営破綻したと新聞で見て驚いたのは数ヶ月前のことだ。KPSキャピタルパートナーが親会社に

なって経営再建中とのことだが、従業員の皆さん表情が暗いような気がしてならなjかった。紅茶買う。

昼 ストーク・オン・トレント ウェッジウッドビジターセンター「アイビーハウス」 玉子サラダ、ビ

       ーフシチ ュウパイ、ぜりーとコーヒー

  

  

        シェークスピアの妻アン・ハザウェイの家は茅葺屋根の立派な農家        ハーヴァードの母の生家【中】

ウェッジウッドビジネスセンターの中のレストランで何てことのないランチを済ませて、ストラトフォード・

アポン・エイヴォンに向かう。あら?さっきはドシャ降りだったのに晴れて来たわ。長い名前だが、ストラ

ート街道、フォード渡渉点、アポン・エイヴォンエイヴォン川と分解すれば覚え易い?そう、ここはあのシ

ェークスピアの故郷の町だ。本格的な観光は明日にして今日は彼の妻アンの実家を見学。シェークス

ピアはこの家が大好きだったそうだが、ゆったりした農家で茅葺屋根が見事だ。アンは8歳上だった。

夜 ストラトフォード・アポン・エイヴォン バルセロ・ウォルトンホテル マナーハウス「ウォルト

     ンホール」  スモークした鯖のサラダ、パン、ローストビーフ 温野菜とホースラディッシュ添え、パ

      ンナコッ タとフルーツ、(お茶)、4点セット 17,35£

  

    「ウォルトンホール」というマナーハウス

皆さん、マナーハウスという言葉を聞いたことがあるだろうか。礼儀の家?ガハハ、ちゃうよ!マナーは

荘園の意味で、その語源はマンションと同じ。ラテン語MANEREは「領主が滞在する」って意味だそう

で、日本のちっぽけなマンションとはエライ違いだ。つまりマナーハウスは荘園領主の邸宅のことで、中

世はその広いホールで領主裁判や社交の場ともなった。1870年に税制が変更されてからは、維持・保

持することが難しくなり、売却されたマナーハウスはホテルやレストラン、ゴルフ場などスポーツ施設を

併設してクラブハウスなどに使われている。今晩泊まるホテルには、このマナーハウスがる。添乗員N

通さんが「持って来た中で一番上等な服を着てくるように。ディナーは2,3時間かかるかも」と言ってい

た。しかし、私達17名はアッという間に食べ終わってしまい、優雅は似合わないことがわかったのだ。      

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6月 11日(木) 晴れたり曇ったり

朝 ストラトフォード・アポン・エイヴォン バルセロ・ウォルトンホテル 朝食ヴュッフェ

  

 生家や家族が住んだ家が残るストラトフォード・アポン・エイヴォンの街はシェークスピア一色   ニュー・プレイス後の庭園

屋根裏部屋のような客室で5時半に目が覚める。昨夜は夜雨が降ってマナーハウスから傘を差して帰

って来たのに、今日は良い天気だ。大きな会議があるらしく、ホテルの入り口や近隣の道は大混雑して

いた。ストラトフォード・アポン・エイヴォンの町に戻り、シェークスピアの生家に行く。シェークスピアの

父ジョンが1552年頃購入したらしい。左右の建物を裏の庭で繋げた博物館になっていた。この生家

の他に、娘のスザンヌが嫁いだ医者のジョン・ホールと住んだホールズ・クロフト、孫娘のエリザベスが

嫁いだナッシュの家、その隣には引退してロンドンから戻ったシェークスピアが住んだニュープレス、母

親の実家メアリー・アーデンの家、昨日行った妻アンの実家アン・ハザウェイの家、シェークスピアが眠

るホーリー・トリニティ教会、彼が通ったらしいグラマースクールなど、シェークスピアだらけの町だった。

午後のお茶  ストラトフォード・アポン・エイヴォン「スターバックス」 コーヒー 1.8£

昼 ストラトフォード・アポン・エイヴォン 「マーロウズ」 スープ、パン、フィッシュ&チップス、2色アイス

  

かつて2度ロンドンに来たが、フィッシュ&チップスの名物料理を食べるのがホントにイヤだった。油が

良くなかったし、油切りも悪い。ベチャベチャの魚のフライに「豚になれ」とばかりに大盛りのポテトフライ。

ビールで無理やり飲み込んだものだ。今日のランチは、フィッシュ&チップスはそう悪くはなかったが、

スープが不味かった。シェークスピアの劇場もあるから役者が来るらしく写真がたくさん貼ってあった。

  

                   コッツウォルズ地方の美しい町々  左端はボートン・オン・ザ・ウォーター 中央・右はバイブリー

午後はコッツウォルズ地方に。のどかな小さな町が点在する地方だが、まずはボートン・オン・ザ・ウォ

ーターの町に行く。コッツウォルズのヴェネツィアと呼ばれ、町の真ん中にウィンドラッシュ川が流れる。

この辺りで採れる石灰岩ライムストーンのハチミツ色の家が並ぶ。あらら雨だわ。次の訪問先はバイブ

リー。ウィリアム・モリスって人は、このバイブリーに惚れ込んで住みつき、「イングランドで最も美しい

村」と大絶賛したらしい。確かに美しい。14世紀に建てられた茅葺屋根の家があったり、コーン川には

白鳥親子が遊んでいたり、ちょっと離れたところで黒鳥が1羽寂しそうにしていたり、鱒の養殖場があっ

たりと、のんびりした村なのだった。もりすさんが言うように確かに美しいが、私は住めんな、退屈する。

夜 ブリストル 「ノボテルブリストル」 ヴュッフェ、3点セット 13£

スコットランドから始まった旅はずーっと田舎を廻っていたが、夜にはブリストルへ。人口41万人の都

会で、ホテルもフランス系のノボテル。客室の窓から見下ろしたら、真ん前に「マークスアンドスペンサ

ー」があるのだった。夕食はヴュッフェ?ヤダなぁ。でもデザートのチョコケーキは素晴らしく旨かった!

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6月 12日(金) 曇り

 ブリストル 「ノボテルブリストル」 朝食ヴュッフェ

  

            ロイヤルクレッセントは現役の高級住宅      世界遺産の一大保養地だったローマ浴場   作家ジェーン・オースティンが住んだ家

ブリストルの町は1晩眠っただけで、朝食後はバースに向かう。ローマ帝国が支配した場所に必ず建

設するものの一つに公衆浴場がある。ローマ風呂だ。日本人も温泉好きだけど、古代ローマ人には負

けるかもしれない。ブリテン島にもカエサルがやって来て、温泉の湧くバースにもローマン・バスが建設

されて大いに栄えた。やがてローマの勢力が衰えると町は荒廃した。風呂の存在は長い間忘れられて

いたのだが、18世紀に再発見されて富裕層の温泉保養地として人気を博した。今では世界遺産に登

録されているんだよ。18世紀から19世紀に活躍した女流作家ジェーン・オースティンは一時家族と共

にバースに住んだことがある。ご一緒した方の中に彼女の大ファンがいらして住んだ家や記念館を通り

過ぎると大喜びだった。18世紀から建設が始まった三日月形のロイヤルクレッセントは現役の住宅。

昼 バース 「グリーンパーク」 シーザーズサラダ、シェパードパイ、フルーツ

  

18世紀から高級保養地となったバースには19世紀の中頃にはロンドンから鉄道が敷かれた。2つあ

った駅の一つは廃止され、その跡地にはレストランもある。今日のランチはそこだ。メイン料理はシェパ

ードパイ。実は昨夜ヴュッフェとはいえ、メイン料理は2種類しかなく一つがシェパードパイだった。日本

人グループ3組が食事している中に、中国人グループも入って来たから、店中が東洋系の客となった。

  

紀元前3000年頃から建設が始まったストーンヘンジは世界文化遺産    平原にひょっこりと出現する

バスの座席は最後尾が好きだ。左側を好む。今回の旅ではずっとそこに座っている。ランチの後は眠く

なる。ウツラウツラしていると「はーい、みなさーん、ストーンヘンジが見えて来ましたよー!」とN通さん

が叫んでいる。ほぅ、確かに。見渡す限りの草っぱらの向こうに巨石が並んでいる。他の草っぱらは羊

や牛が草を食べていた。世界遺産ストーンヘンジは紀元前3000年頃から建設が始まったらしい。エジ

プトでもメキシコでもペルーでも古い遺跡を見て感心するのは昔の人が天文学をモノにしていたこと。

夜 ロンドン 「ザ・ウォルドルフ ヒルトン」 スープ、パン、ポークソティ 温野菜添え、

  

今日は金曜日。土日休みの国はどこも金曜日は夕方から交通混雑する。「ロンドンまでは運が良けれ

3時間、4時間かかるか5時間かかるか全く読めません!」という話だ。覚悟を決めてバスに乗って

いたのだが、驚くことに2時間40分でホテルに着いてしまったのだよ。わーい!コベントガーデン近く

5ッ星ホテルに2泊する。夕食はお洒落なホテルのダイニングで。K井さんとN通さんと大笑いした。

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6月 13日(土) 曇り のち 晴れ 暑いぞ!!

  ロンドン 「ザ・ウォルドルフ ヒルトン」 朝食ヴュッフェ

    温かい料理の提供が遅過ぎるぞ!

 5時半起床。この国のホテルの朝食開始時間は7時か7時半。遅いよ!今日ももちろん一番に行っ

たが卵やソーセージや焼きトマトなど温かい料理は未だ用意されていない。ぷんぷん。フルーツ旨い。

  

            いよいよパレードが始まった ワクワク!  よっ!スコットランド部隊にはバグパイプも  アイルランド隊のマスコット犬も行進

  

 おっ!ウィリアムとヘンリー王子、それにカミラ夫人?      馬上での演奏は感動的!             待ってました!女王陛下!

午前中は市内観光。町の中をグルグル回ってロンドン塔で自由時間。案内してくれたガイドのT中さん

はパレードパレードと張り切っておられる。そう、今日はエリザベス女王の公式誕生日。本当の誕生日

421日なのだが、いつも6月にお祝いのパレードをするのだそうだ。それが今日!市内観光は

早々と切り上げてバッキンガム宮殿方向へ。宮殿に近づくにつれてお祝いに招待されたらしい人々が、

バリッと正装して歩いている。トラファルガー広場から宮殿を結ぶTheMall(ザ・マル)の沿道には既に

見物客がギッシリと集まっている。そこに何となく食い込んで行って、パレード開始30分後には完全に

最前列に場所を取ったぞ。警備は軍隊と警察の両方が担当していたが、可憐な女性警官が目の前で

倒れたのにはビックリ!頭が地面にぶつかる音がした。警察は慌てず騒がず走りもせずに医師が様子

を見て担架で彼女を運んで行った。吹奏楽団の演奏と軍隊の行進が素晴らしい!3番目のスコットラン

ドの吹奏楽にはバグパイプが何本も入っていて、ナゼか涙が出た。北アイルランドにもバグパイプが入

っていて、しかもマスコットの犬まで行進。王族の皆さんが馬車でお出ましだ。あれはウィリアム王子と

ヘンリー王子?2人とも軍服を着ている。同じ馬車にはカミラ夫人も。一番カンドーしたのは騎乗の吹奏

楽団だった。このパレードにはたくさんの馬が登場したが、どの馬もピッカピカに馬体が光り素晴らしい

状態だ。チャールズ皇太子とアン王女は騎乗で行進され、最後に女王のお出まし!今年83歳になら

れた女王陛下は小さく見えたが目の覚めるような青いスーツと帽子をお召しだった。興奮と感動の時。

昼 (自由食) ロンドン・チャイナタウン 「翠亨邨酒家」 飲茶いろいろ

  

  

パレードは素晴らしかったが、今朝ロンドンは暗い曇り空だったし、パレードを見るとは決まっていなか

ったから、一眼レフカメラを持って出なかったことが悔やまれる。昼前、ピカデリーサーカス近くの三越

で解散。これ以降、明日の午後3時半までフリータイムなのだ。N通さんと「ロンドンに行ったら、中華と

インドだ」と楽しみにしていた。ランチは飲茶にしよう。いつの間にかカンカン照りになり、気温もぐんぐ

ん上がったから「翠亨邨酒家」に着く頃には大汗かいた。点心は美味しかったが、汁緬味が全く無し。

夜−1 (自由食)ロンドン 「TASTE of INDIA」 サモサ、タンドリーチキン、スピナッチカレー、ガー

リックナン、ラガービール、白ワイン 

  

  

チャイナタウンからホテルまで25分歩いて帰って来た。地図を見ながら、今ここね、と確認していたハ

ズなのに、全く別の道を歩いていたことが判明した時は狐につままれたよう。またもや大汗かいたので

スタバでデカイアイスドコーヒーを買って部屋の中でチューっと飲んだ。旨かった。シャワーを浴びたり、

本を読んだりで、夕方はのんびり。夜はインドだ。ホテル近くのインド料理屋は7時というのに満員でし

かも食べ終わった人ばかり。劇場が集まる地域なのだが、店の真ん前の劇場では「Mr.ビーン」でお

馴染みのローワン・アトキンソンが「オリバー!」に出演しているらしい。その芝居の前にカレーで腹ごし

らえということらしい。いいなぁ、知っていたらチケット買ったのになぁ。彼の大ファンだから。タンドリーチ

キンもサモサも旨い。野菜カレーは存外辛くてこれも旨い。ガーリックナンは甘くてあまり旨くなかった。

夜―2 ロンドン 「ザ・ウォルドルフ ヒルトン」 バー ジントニック2杯

    N通さんにご馳走して貰った

明日の夜便で日本に帰るから今晩イギリス最後の夜となる。そう考えると名残り惜しく、ホテルのバー

で1杯飲むことにした。そういえば昨日から例のインフルエンザはフェーズ6になったとメールが来た。          

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6月 14日(日) 晴れ

  ロンドン 「ザ・ウォルドルフ ヒルトン」 朝食ヴュッフェ

今日は帰国日だ。但し、夜便だから午後3時半までフリータイム。予定は何も立てていないからゆっくり

起きて8時過ぎ朝食を食べに行った。半分くらい食べたところで、お腹がシクシクすることに気がつく。

ひょっとして・・・・持病の腸閉塞?それなら先月リビアから帰った翌日からなったばかりじゃないか。「マ

ンスリー腸閉塞」なんてゾッとするよ。朝食は半分食べたところで中止。部屋に帰って寝ることにした。

昼 無し!!

出発は3時半だが、部屋は正午にチェックアウトしなくてはならない。延長料金払ってもこのまま部屋で

寝ていたい。N通さんに料金を交渉して貰ったら無料で延長どうぞ、ということで助かった。治らんなぁ。

夜 全日空 ロンドン=成田ビジネス席機内食 素うどんと鮭のおにぎり

    炭水化物だけの食事

午後735分発のANAで成田に向かう。朝食は半分、昼は抜いたから空腹ではある。しかし、腸がキ

リキリ痛い時、消化の悪いものは食べたくない。CAの方にお願いして温かいおにぎりと素うどんを夕食

にする。酒?もちろん飲まんよ。誘眠剤を飲んで早々とお眠りモードに。情けないなぁ、グスン。無酒日            

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【今週の振り返り】

イギリスは3度目の訪問だ。初めて行ったのは、何と30年前、何とコンコルドに乗って、何とたった一人

で、何とニューヨークから行ったのだよ。ご存じのようにコンコルドは生産も飛行も停止されてしまったの

で、あの時思い切って乗ってよかったなぁとつくづく思う。まさにチャンスってのは後頭部がツルッ禿の

オジサンなんだ。次に訪れた時は、ロンドンのど真ん中で130万円の現金が入ったバッグを無くすとい

う大ボケをかましてしまった。信じられないことに、無傷で手元に戻ったのだよね。だが、この2回ともロ

ンドンしか行っていない。だから、「イギリスという国」は初めてなのだ。

8月11日に行ったシェークスピアの生家で面白いものを見つけた。2階の部屋の大きな窓には無数の

落書きがあった。殆どが自分の名前を書いているのだが、その中にはマーク・トェイン、ワーズワース、

ディケンズ、ウォルター・スコットなどの名も。超有名人もシェークスピアを慕い、ストラトフォード・アポ

ン・エイヴォンに来ていたんだねぇ。で、来たことの証しを残したくて、つい落書きしちゃった? ワーズ

ワースさん、アカンよ!この生家は後に売却され、左半分は居酒屋「白鳥と乙女の首亭」って名前だっ

たのだ。スゴイ店名でしょ?これと対照的なのが、シェークスピアが引退して故郷に帰り、購入したニュ

ー・プレイスの屋敷だ。ニュー・プレイスは町で2番目に大きな家だったが、名声と共に大金持ちになっ

た彼には可能な買い物だった。娘スザンナとジュディス、孫娘エリザベスの後は子孫がいなかったので

この屋敷も売却されたが、1759年家主だった人物は、見物客がたくさん来て煩わしいとこの屋敷を壊

してしまった。トーゼンながらヒナンゴーゴー!激しく非難されて、そいつは町を逃げ出したそうだ。今は

花が咲き乱れる美しい庭園になっている。

18歳で8歳上の女性と出来ちゃった婚をし、翌年には男女の双子が生まれて20歳で3人のパパとな

ったシェークスピア。しかし、彼は翌年妻子4人を両親に託して家を出る。その後どこで何をしていたの

か、その理由、目的は何だったのか、なーんにもわかっていない。しかし、7年後の1592年にはロンド

ンで役者兼劇作家として活躍していたことが記録に登場する。四大悲劇と言われる「ハムレット」、「マク

ベス」、「オセロ」、「リア王」始め、「ロミオとジュリエット」、「ベニスの商人」、「真夏の夜の夢」、「テンペス

ト」、「十二夜」など戯曲名作をガンガン書いてイングランドを代表する人気作家となった。46歳の時、

「引退して故郷に帰りまーす」と宣言してストラトフォード・アポン・エイヴォンに帰って来たシェークスピ

ア.  52歳の誕生日に亡くなった。亡くなった1616年、あの徳川家康も亡くなっているのだね。家康さん

イ.   75歳まで生きたけど。

先週のパクパク日記67日の項に「・・・名誉革命で王位に就いたメアリーの夫ウィリアムはオランダ

から来た。メアリーはジェームズ2世の長女だが、妹はエリザベ ス女王1世だ。異教徒を大勢殺したこ

とで知られ、有名なカクテルのブラディ・メアリー(血まみれメアリー)はこのメアリーから名前を取ったん

だよ・・・」なんて書いちゃってゴメン。ウソ。間違い。ここにお詫びと共に訂正しまーす。

えーっとですねぇ、ブラディ・メアリー(血まみれメアリー)の語源となったのは、ヘンリー8世の長女でエ

リザベス1世の腹違いの姉であるメアリー1世です。彼女は敬虔なカトリック信者だったが、父親のヘン

リー8世は離婚を認めないローマカトリックに腹を立て、「そんじゃあイングランドはカトリックなんか止め

ちゃうもん。自分達だけのキリスト教作るからいいもんねぇ。イギリス国教会って名前にして離婚できる

ようにしちゃうんだからねー」と言うことでローマ教皇庁に別れを告げちゃったのだ。イングランド国教会

(アングリカン・チャーチ)である。自分の母親(キャサリン)との離婚を実現するために国の宗教を改革

してしまった父に対し、娘のメアリー1世は父の死後王位につくと、父や弟時代にプロテスタントに向か

っていた改革をすべて「元に戻すのよー!!!」とカトリックへの復帰を命ずる。反対するものはバシバ

シ捕まえ、弾圧し、処刑した。血染めのメアリーである。因みにヘンリー8世がそれほどまでして再婚し

たアン・ブーリンが産んだ娘がエリザベス1世なんだよね。メアリー1世とエリザベス1世は腹違いの姉

妹なのだが、メアリーはこのエリザベスを死ぬまで憎んでいたそうよ。ついでに言えば、先週紹介した

スコットランド女王メアリーの処刑を決めたのはエリザベス1世だった。この2人は従姉妹の関係だった。

ついでのついでに言えば、ヘンリー8世は、2番目の妃でエリザベス1世の母親アン・ブーリンを姦通の

罪で処刑し、合計6回も結婚したのだよ。あーぁ。

ここまでの話は16世紀の出来事ね。で、もう一人のメアリー(いえいえ、この頃だけでもメアリーは大勢

いたんです!)は、名誉革命でオランダから招かれたオレンジ公ウィリアム3世夫人でスコットランド女

王メアリーの曾孫に当たり、妹はアン女王。このアン女王はブランデーが大好きで「BRANDY NAN」

ブランデーナンと呼ばれていたらしいよ。この私が人のことをエラソーには言えんが、アン王女はどんど

ん太って晩年は歩けず、亡くなった時用意された棺桶は正方形だったんですってさ。ダイエットに失敗

(ってだいたいする気あるのかぁ?)ばかりしている私だが、やっぱり正方形の棺桶はイヤだ。心しよう

っと。アンにはならん!

          アン間近なの? ワン!      黙れー!

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      旅の始まりは 6月 1週 をご覧ください。

      今日は620日?えぇ?もう1週分作れって? はぁ・・・・。