パクパク日記9年8月2週
アフリカの旅は、モザンビーク、スワジランド、レソト、ザンビア、ジンバブエへと飛んで行く
モザンビークの少女
ザンベジ川の夕陽
8月 10日(月) マラウィもモザンビークも晴れ
朝 マラウィ・マンゴチ「クラブマココラ」 朝食ヴュッフェ+カレーカップヌードルミニ
アフリカ旅行は先週金曜日から始まったから、3週目に入った。マラウィ湖に面した高級リゾートホテル
「クラブマココラ」。天蓋付きのダブルベッドだったが、水辺に近いから蚊はいる。昨夜から盛大に蚊取り
線香を焚いていた。虫のいるところには必携、キンチョー蚊取り線香。アルミホイルを30センチ位持っ
て行くと、マット代わりになって便利だよ。朝食にはカレーカップヌードルミニをフンパツした。旨いなぁ!
8時半チェックアウト&出発。マラウィの町のガソリンスタンドで給油。「給油中は全員車を降りて」って。
なんで?この国のガソリンは1リットル約1ドル。平均月収が100ドル以下のマラウィ人々は車は持て
ない。今日は陸路で隣国モザンビークに行く。陸路の国境越えだ。午前10時。え?もう国境ですか?
マラウィ側で手続き、バスで移動してモザンビーク側で手続き。合計1時間で終了。リベートも要求され
ないし、混乱もなくスムーズに国境を通過!中央アジアとはエライ違いだ。6番目の国はモザンビーク。
昼 モザンビークの田舎の道 車内にて ランチボックス
バスの中で黙々とランチ。脂っぽいもの多し
家の作りはマラウィと同じね
主食はとうもろこしを粉状にして
突撃お宅の村訪問に、村中の人々がわらわらと集まって来た。生後3ヶ月の赤ちゃんも子供達もお母さん達も
今晩の宿泊地リシンガまではデコボコ道を進むしか無い。町などなーも無いから、レストランなどあるわ
けがない。だから、今日の昼食はお弁当だ。外で食べたら、土地の子供達が集まって来てしまうかも。
じゃ、誰もいそうもないところで車止めて、車の中で食べてしまいましょう。ホテルで作ってくれた弁当だ
が、パン類など皆無で魚のフライとか脂っぽいものばかり。半分以上残す。添乗員のI間さんとガイド
&ドライバーのレマン氏が相談して、沿道の村を突撃訪問することになった。この村のトウガニさん、交
渉中はキビシイ表情だったのに、「まぁいいか」とOKが出したら村中から人々がどっと集まって来た。
日本人なんて見たこと無いよ!って感じでね。赤ちゃんを「可愛い!」と褒めて、写真撮って、笑顔をふ
りまけば、たちまち和やかな雰囲気になる。ちょっとした「世界うるるん滞在記」だった。じゃ、さよなら。
夜 モザンビーク・リシンガ 「ホテルギラッソル」 野菜スープ、パン、チキンのトーストとポテト、
フルーツサラダ)、ビール 3ドル、白ワインボトル 23ドル
「ホテルギラッソル」の客室。この広さを見よ!ベッド10台は入るぞ!
舗装していない道は揺れに揺れた。トイレはもちろん青空トイレ。時々萱葺き屋根の粗末な家が建ち並
ぶばかりだ。このモザンビークには合計3泊もし、国内線の飛行機に2回も乗ることになっている。大丈
夫かぁ?こんな感じの国の飛行機。3時前予定より早くリシンガに到着した。客室のドアを開けてビック
リ!ひ、広い!面積だけは・・・。卓球台もおけるし、バドミントンさえ可能かと思えるだだっ広さだ。町に
出かけた人達は「何もなかった」とガッカリして帰って来た。私は洗濯ね。夕食に白ワイン1本開けた。
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8月 11日(火) 晴れ
朝 モザンビーク・リシンガ 「ホテルギラッソル」 朝食ヴュッフェ+「味とこころ」の鮭雑炊
この雑炊旨い!
5時半起床。シャワーからお湯がちゃんと出てほっ。朝ご飯には「味とこころ」の鮭雑炊も食べましょう。
これ結構美味しい。K良さんの奥さんに勧めた。12時30分発の国内線に乗る予定だが、9時には空
港に向かった。モザンビーク航空というか、モザンビークの空港は、全スーツケースオープンチェック!
まるでイスラエル並じゃないか!長い時間吹きっさらしのレストランで本を読みながら待った。搭乗前に
は手荷物もすべてオープンチェック。どうもイメージ違う。飛行機が無事飛んだ時には心底ホッとした。
昼 モザンビーク・ナンプラ 「コカパバーナ」 チキンロースト、ペペロンティーノ、水1ドル
これがなかなか旨い!
50分のフライト中、配られたのは小袋入りのポテトチップスと水だった。5分ほどウトウトしていたら、突
然ドドーンと着陸して目が覚めた。良かった、ちゃんと着いて。到着したのはナンプラ。ニョクマムなんて
間違って覚えちゃあアカンよ。ナンプラはこの国で3番目に大きな都市なのだ。2時、ナンプラの町のレ
ストラン「コカパバーナ」へ。長い間待たされて出て来たのはチキンローストとスパゲティペペロンティー
ノ。これがね、結構旨かったのだ。モザンビークのコカパバーナというイタリアレストランで日本人がチ
キン齧っているってなかなか面白い構図だ。ここまで訪れて来たウガンダは英国、ルワンダはドイツと
ベルギー、マラウィは英国の支配を受けたが、モザンビークはポルトガルの植民地だった。だから言葉
もポルトガル語。「ありがとう」は「オブリガード」だね。4駆2台に分乗してモザンビーク島まで3時間!
夜 モザンビーク島 「ホテルオムヒティティ」 スープ、パン、魚料理、アイスクリーム)、ビール
2ドル、白ワインボトル 15ドル
途中トイレ休憩でひともんちゃくあり、モザンビーク橋を渡る時は真っ暗でどこが海やら橋やら。思えば
ここモザンビークには昨日今日と2日も移動して来たことになる。そんなに苦労して来たのなら、さぞや
見所多いんでしょうねぇ、なんて開き直って夕食。昨夜もそうだったが、モザンビークのホテルではグラ
スワインという概念は無いのか?今日もボトル取れってこと?ま、15ドルならいいけどさ。ここは暑い!
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8月 12日(水) 快晴
朝 モザンビーク島 「ホテルオムヒティティ」 朝食ヴュッフェ
5時起床。この「ホテルオムヒティティ」は一応4ツ星ホテルで島一番のホテルらしい。しかし、私の部屋
はバスルームからアンモニアのような下水のような臭いがするわ、蚊もいるわで居心地悪かった。しか
も今朝シャワーを浴びようとしたらお湯が出ない・・・!!高校生時代ぶりか?水シャワーって。冷た!
早朝からホテルの裏では掃除に励む人々
とにかく空が美しい島
ボク達兄弟一緒だよ!
ポルトガル総督が住んだ聖パウロ宮殿 インドに行く前滞在したバスコ・ダ・ガマ 左側建物は奴隷貿易に使用された
昔の造船所 今は門だけ
聖アントニオ教会
本土と島を結ぶ3キロの橋は49年目を迎えた
9時徒歩にて観光開始。このモザンビーク島は小さな島だが、その昔はポルトガル領東アフリカの首都
であり、インド航路の重要な拠点でもあった。1498年に希望峰を回ってモザンビーク島にバスコ・ダ・ガ
マが上陸するずっと以前から、この島にはオマーンなどイスラム圏のアラブと行き来を繰り返し、交易
の要となっていた。バスコ・ダ・ガマさん、島でインドの存在を聞き、偏西風に乗ってインドに行く方法も
彼らに教えて貰ったらしいよ。発展したモザンビーク島には東アフリカ総督も常駐し、贅を尽くした宮殿
に住んだ。黒人の奴隷貿易で息を吹き返した時代もあったが、スエズ運河開通で島は徐々に衰えてい
った。19世紀の終盤には首都はマプトに移されたが、1991年には世界文化遺産に登録されている。
昼 モザンビーク島 「ホテルオムヒティティ」 野菜スープ、パン、魚(カロッペ)のソティ、フルーツ
午前中の観光はムッチャクチャ暑かった。顔も汗がしたたり、目に入ってショッパイ!島の人口は1万5
千人というが、学校は校舎が不足していて3部制。ヒマな子供達がずっと私達の後をついて来る。中に
はポルトガル語はもちろん、英語もフランス語も喋る子供もいて、ガイドをしたりしている。最後、小さな
船に乗って海から教会を見ることになったが、私は一足先にホテルに帰り、すべて着替えた。全部!!
花崗岩の岩山があちこちに ところどころに賑やかな市が
午後1時半ホテルを後にして、昨日3時間かけて走って来たナンプラまでの道を戻る。2日がかりでや
って来たモザンビーク島の観光は半日だった。ま、暑さ超苦手な私はいいけどね。アフリカに来て13日
目になるが、暑いと思ったのは昼間のウガンダとここモザンビーク島くらいで後は涼しいか寒かったよ。
夜 無し!!!
午後5時前ナンプラ空港に着き、またもや各自スーツケースをオープンチェック。ふぅ・・。ロビーで本を
読みながら搭乗を待っていると、真っ暗になった。停電である。空港も停電する?すぐ点くかと思いきや
かなりの時間復帰しなかった。コンピューターとか管制塔とか大丈夫なの?停電なんかしていて。7時
前搭乗開始。やれやれ、これで2時間飛べば首都のマプトに着くぞ。遅くなるけど、ホテルで夕食食べ
るから機内食には手をつけない。遅れて離陸して1時間後着陸態勢に入っていることに気付く。あら?
2時間かかると言っていたのに、随分近いのね。ドドーン、着陸。午後8時50分だった。機内の照明は
点滅しているし、何かヘン。隣席は添乗員のI間さんだ。前座席の男性に聞いている。「ここどこぉ?」
「マプトじゃなくて、ベイラらしいよ」。飛行機調子悪いので臨時で着陸した、検査するから皆降りろ!っ
てことらしい。荷物持って満席の乗客はゾロゾロ歩いて空港建物へ。レストランに行けと誘導され、水と
ポテトチップの小袋が配られた。飛行機が飛ばないとどうなる?この町のホテルに泊まるの?明日の
予定メチャクチャじゃん!このロビーで一晩過すとか?それは絶対イヤだからね!そんな感じで2時間
過ごすと午後10時半「飛行機乗れ!ホントに直ったんか!午後11時58分マプトに着陸すると、乗客
全員安堵の拍手をしたのであります。よかった、もうモザンビーク航空に乗らずに済む・・・。真夜中に
着いたホテルではトーゼンレストランは閉まっていた。1食位抜いても死にはせぬ。無夕食日&無酒日
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8月 13日(木) 晴れ
朝 モザンビーク・マプト 「サザンサンマプト」 朝食ヴュッフェ
ホテルの目の前は海だった!
航空機材不調のアクシデントで、昨夜ベッドに入ったのは午前2時半だった。でも、予定していたマプト
のホテルのベッドでちょっとだけでも眠れたのだから、不幸中の幸いだったよな。6時に起きて部屋のカ
ーテンを開けてビックリ!ホテルのプールのすぐ向こうは海だった!しかし、昨日までのモザンビーク
島の真っ青な海ではなく、灰色。確かに空も曇っているし風も強い。シャワーから熱いお湯が出て涙が
出る程嬉しい!昨日の朝は水シャワーだった・・・。朝食レストランでは、ビシッとスーツを着たビジネス
マンのお客で溢れ返っていた。今までのホテルとは全く風景が違う。しかもたくさんの国のビジネスマン
が宿泊しているのだ。後刻聞いたところによると、1975年ポルトガルから独立したものの、社会主義を
理想とする独立政府軍と社会主義を阻止したい南アフリカが支援する反政府軍の内戦が勃発。内戦
は16年も続き30万から40万人の犠牲者が出たと言う。内戦終了時アフリカでも最貧国のモザンビー
クだったが、先進国の技術指導を受けて製造業(例えばアルミニウム精錬)に力を入れて発展。7%以
上の成長を続けて「アフリカの奇跡」と言われたそうだ。地方はまだまだだと思うけど、良かったよねぇ。
「生きている化石」と呼ばれるシーラカンス
象の胎児14過程のホルマリン漬け
首都マプトは近代的な都市
せっかくマプトに来たのだからちょっと観光しましょう、ということでバスに乗る。先ず自然歴史博物館。
いきなりシーラカンスの剥製に迎えられた。生きている化石と呼ばれるシーラカンスだが、これはインド
ネシアの島で発見されたというラティメリア・メナドエンシスと似ているね。モザンビークに以前はたくさ
んいたという動物の剥製を展示する部屋もある。この博物館一番の目玉は22ヶ月に渡る象の妊娠期
間中の14課程の胎児をホルマリン漬けにしたもの。これを作るのに何千頭の象が犠牲になったの!
昼 スワジランドの国境にて ランチボックス
スワジランドはこんな景色 前王ソブーサU世の在位は61年の長さを誇った!
ソブーサU世は伝統的な住居を好んだ
でも豪華な外車も大好きだった・・・・ 真赤なサンゴの花
ノセ・セニョーラ要塞を見学してからスワジランドとの国境ゴバに向かう。11時22分スワジランド側国境
を越える。サヨナラ、スワジランドのガイドさん&ドライバーさん。短いお付き合いだったけど。そこに私
達を待っていたのは堂々たる大型バス!!こんなゆったりしたバスに乗りたかったのよ!チュッ!ガイ
ドもドライバーも堂々たる女丈夫で南アのヨハネスブルグから来てくれた。一人4席使っていいのね?
11時40分スワジランド入国。誰もいないから、国境越えもホント楽々だ。バスの中でお弁当を食べる。
たいしたものは入っていないな。さて、7番目の国スワジランドは、人口167万人で四国と同じ位の小さ
な王国である。その昔はブッシュマンと呼ばれたサン族が住んでいたが、15、16世紀になるとバンツー
系の民族が大挙して南下。この土地にはスワジ族が主に住んで王国を築いた。とにかく闘わない「不
戦主義」で、英国にはすり寄り、ズールー族とは政略結婚で安泰な王国を守って来たのである。ここも1
夫多妻制で、前王ソブーサU世などは妻60人、子供は千人を超えるんだって!どういうことか、この国
は男1に対し女4と男女比率が極端に違うので「仕方ない」面もあると聞いたが、どうだかねぇ。ロバン
バの国立博物館と前王霊廟を見学した後、首都のムババーネに向かう。ホテルで盛大に洗濯をした。
夜 スワジランド・ムババーネ 「ルゴゴサン」 ディナーヴュッフェ、3点セット
空気が乾燥して心地良い風が吹いて来るホテルの客室では洗濯物はあっという間に乾いた。ホテル近
くの市場に出掛けた人達も「特に買いたいようなものは無かった」と帰って来て、6時半から夕食。また
ヴュッフェかぁ。でもナミビアのホテルにもあった鉄板焼きサーボスがあるから許そう。玉葱と魚介類、
調味料にはオロシ生姜をたっぷり入れて炒めて貰った。温かいケーキも旨かった。この国は南アのラン
ドが使えるんだよ。寝る前はストレッチ運動3種。膝の痛みを改善するためには筋肉つけなくっちゃね。
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8月 14日(金) 晴れ
朝 スワジランド・ムババーネ 「ルゴゴサン」 朝食ヴュッフェ+赤いきつねミニ
3回目の金曜日を迎え、旅も終盤に近づいて来た。毎回「非常食」と持参している日本食だが、非常な
ことが無くそのまま持ち帰ることもしばしば。今回は荷物減らしもしたいので、せっせと食べるているよ。
昼 南アフリカ「ララナティ」 パンプキンスープ、自家製焼き立てパン、ヴュッフェ、自家製プディング
とカスタードクリーム、コーヒー
ランチを摂った「ララナティ」はホテルも併設
女性ドライバーらしいマスコット
早くもスワジランドとはお別れだ。ゆったり滞在していて王様の目に止まり、「14番目の妃にならんか?
ん?」なんて言われても困るし・・・。んなことはゼッタイならないよ!とにかく8時半シスヌサという国境
で「スワジ族の国」とはお別れです。今回の旅では3回目となる南アフリカに入国した。ランチは1時半
を過ぎていたが、ハリースミスの郊外にある「ララナティ」で。「眠るバッファロー」という意味だそうだ。自
家製の焼き立てのパン、衝撃的な濃さのカボチャのポタージュスープはとても美味しい。料理はまぁま
ぁだった。機内食、ヴュッフェに弁当・・・・ホントこの旅は「粗食の旅」でもあるのでこうゆうランチ嬉しい。
南アフリカ東部には約1,000キロに渡ってドラケンスバアーグ山脈が横たわる。3500メートルの山も!
公園内のキャンプ場は施設が整っている
桜に似た花が・・・・
シマウマ、ヌー、レスボックなどの動物も
暫らく前からドラケンスバーグ山脈の山々が見えていて、ずっと居眠りしていた人なら寝ぼけて「アメリ
カの西部にいるんだ」と勘違いしそうな景色が続いている。駅馬車はどこだ?インディアンの狼煙は見
えるか?なんてね。何しろ3千メートルを超える山が7山もあるというから凄いじゃないか。3時半、国立
のゴールデンゲートパークに入る。我々が通る道路が公園内通っているので入場料は無料。遠くにい
ろんな動物を眺めながら、1時間で公園を通過した。夕陽が美しいな。日も落ちて暗くなってからようや
く国境に到着。金曜日の夕方、レソトから南アに出稼ぎしている多くの人が帰宅するのか長い列が出
来ていた。しかし、係の処理が早いのかあっという間に手続き終了!エライ!次はレソト国境。8番目
の国に着いたぞぉ!そこからホテルまではすぐ。ところが予約していたマセル・サンはオーバーブックと
かで「同じグループのレソト・サンにホテルを替えろ?」。ったくもう!しかしそのホテルは5ッ星なのだ。
夜 レソト 「レソト・サン」 ベジタブルスープ、パン、海老のグリルとライス、フルーツサラダ、ビール
(サービス)、白ワイン 15ドル、赤ワイン 15ドル
今日の移動距離は750キロだったのだよ!!女性ドライバーのペトロさん、お疲れさま!レソトで一番
高級な「レソト・サン」にホテルを変更したが、たいしたホテルでもなかった。ゴタゴタして夕食は遅くなり
午後8時15分から。圧巻だったのはメインの海老のグリル。ライスの上に乗っかっている海老は何尾
あるの?ひぃ、ふぅ、みぃ・・・・8尾!大阪娘のマユミさんは海老がキライとかで服捨てホリさんに「全部