パクパク日記9年10月2週

                旧ソ連邦のベラルーシとウクライナに行ったのだ。寒かったジョー!

ベラルーシ・ベロヴェジの森 キエフ・聖ソフィア寺院

 (先週のつづき)

10月 3日(土) 晴れのち曇り

夜 成田日航ホテル 「サンセットラウンジ」 乾き物、三種前菜盛り合わせ 2100円、きゅうりと白菜の

甘酢漬け 900円、白身魚の甘酢炒め 1500円、干し貝柱とピータン粥 1200円、生ビール 2

杯、ジントニック 3杯 @9100

前泊のため、夕方リムジンで成田空港に行く。今エラク円高だから10万円ドルに両替してしまおうね。

ほう、1081ドルになったぞ。手数料入れても1ドル=92円。初めて海外に行った36年前には1ドル

360円だったんだよなぁ。若い人は知らないだろうが。しかも海外に持ち出せるのは500ドル!でね。

かと思えば、1ドル=79円なんて時代もあってね。前泊はいつもの日航ホテル。親会社の経営不振を

よそに、今夜日航ホテルは大盛況。「サンセットラウンジ」で中華料理の出前を注文すると「混んでいま

すから時間がかかります」と1時間も待たされたぞ。このところ注文する料理までも固定化して来た。             

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10月 4日(日) 成田は晴れ   今日は24時間+6時間=30時間

朝 成田日航ホテル 「セリーナ」 朝食ヴュッフェ

6時起床。数日前から両腰に炎症が広がって痒いったら無い。皮膚科から貰った塗り薬を盛大に塗り

たくる。朝食のヴュッフェに野菜カレーが加わっていた。確かにインド人客増えたしね。しかしマズイ!

昼 アエロフロート・ロシア航空 成田=モスクワ ビジネスクラス機内食

第一ターミナル北ウィングで添乗員のS藤S子さんと再会。今年1月一緒だった。アエロフロートに乗る

のは4年ぶり。昔は「ボロ機材でサービス悪い」航空会社として有名だったが、今は機材も入れ替わり

サービスもそれほど悪くない。ジントニック2杯、赤ワイン3杯飲んだらちょっと眠くなって、ちょっと眠る。

夜―1 アエロフロート・ロシア航空 成田=モスクワ ビジネスクラス機内食

モスクワとの時差は5時間。現地時間で午後5時過ぎシュレメチボ空港第2ターミナル到着。トランジッ

トだけなのに、スーツケースを受け取り、ビザでロシアに入国する必要がある。ふんとにめんどくさっ!

日本語ベラベラのロシア女性ガイドが第1ターミナルに誘導してくれる。この空港で一番古い建物の第

1ターミナルは、狭い上にベンチはほんのちょっとしか無く、数時間待つには最悪の場所であったぞ!

夜―2 アエロフロート・ロシア航空 モスクワ=ミンスク ビジネスクラス機内食

チェックインは何と9時!ミンスク行きの便が飛び立ったのは10時半。ロシア航空のサービスがよくな

ったと褒めたばかりではあるが、乗客への対応などサービスそのものはソ連時代と変わらんなぁ。1

間のフライトでようやく到着したベラルーシの首都ミンスクでも、空港入国管理やホテル両替所の女性

達の表情が鉄火面のようでこちらの心は氷りついた。ホテルの部屋に入ったのは1240分だった。

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10月 5日(月) ベラルーシ・ミンスクは曇り 一時雨    ベラルーシルーブル=0.03

朝 ベラルーシ・ミンスク 「ホテルベラルーシ」 朝食ヴュッフェ

  

       この地方のパンは黒パンでしたね         ツインベッドはこんな風に並んでいました      22階から見たミンスクの町

昨夜寝たのは2時近かったが、5時半には起きる。寒い!寒くても、お湯がなかなか出なくても、シャワ

ーを浴びて髪を洗う。滝修行みたいだな。アハハ。このホテルは3ッ星とのことだが、狭い客室に向きが

バラバラな狭いベッドが2つ。トイレットペーパーは昭和30年代みたいな黒いザラ紙で、巻きもごく少な

い。朝食のレストランは22階と聞いたが、エレベーターは21階までしか無いのだ。うーむ、の国かぁ?

    愛国詩人ヤンカ・クプラの像                    美しい紅葉が始まっていた      戦争でミンスクも大きな犠牲を出した

午前9時早くもチェックアウト。ま、長居したいホテルでも無いからいいわ。サブイですなぁ!寒風吹き

すさぶ中、鼻水垂らしながらの市内観光。ミンスクは人口約1千万人のベラルーシ共和国の首都で、

200万人が住む大都市である。今から60数年前の第二次世界大戦では、900万人のベラルーシ国民

のうち250万人が亡くなり、ミンスクは1100日間ナチスに占領された。ソビエトから12ある英雄都市の

一つの称号が与えられたが、30万人のベラルーシ市民は5万人にまで減り、町は破壊された。戦後ス

ターリン様式の都市として復興されたせいか、町はただだだっ広く潤いに欠けた印象が拭えないのだ。

昼 ベラルーシ・ミンスク 「kamianicsaレストラン」 ベラルーシ風スープ、パン、ビーフとポテトシチュ

ウ、アップルパイ、コーヒー)

  

        スープの次はシチュウ?どういうメニュー考えるのよ!             世界遺産のミール城は平和の意味

昼食前に町一番のデパートに寄ったのだが、1階にはマトリューシカなどの土産物が店を並べていた。

1リットル入りのミネラルウォーターを2本買ったら、3800ベラルーシルーブルだった。110円?ランチ

は市内のレストランで。ベラルーシ風スープは、レモンの酸っぱい味でなかなか。しかし、スープの後で

どうしてビーフとポテトシチュウかなぁ。寒い時にカラダは温まるが、こんなメニュー構成って変ずら?午

後は西に向けて345キロ走り、ブレストまで行く。途中、世界文化遺産のミール城を見学。内部工事中

で外観だけの見学だったが、急に雨が降り出しビショ濡れになった。見学後は、バスで睡眠不足解消。

夜 ベラルーシ・ブレスト 「ホテルヴェスタ」 ハムとチキンのサラダ、パン、ポークとポテトと野菜、シュ

ークリーム、ビール 4千、白ワイン 1万、赤ワイン 1万

 無星ホテルでの夕食

午後715分に到着したブレストの町はポーランド国境近い。昨日のホテルは3ッ星(どこが!)だっ

たが、今日から2泊する「ホテルヴェスタ」は無星だ。いったいどんな・・・・ま、そんなもんでした。夕食は

8時からホテルで。メインのポーク料理は美味しかったが、ワインが甘くて飲めん!300円でも許せん。

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10月 6日(火) ベラルーシ・ブレストは晴れ

 ブレスト 「ホテルヴェスタ」  朝食セットメニュー(チーズ、ハム、コーン、目玉焼き、ジュース、パン、

     コーヒー)

    珍しくセットメニュー朝食

朝シャワーを浴びようと思うが、今日もなかなかお湯にならない。10分も水を手に当てていると、水も

温かく感じるから不思議だ。やっとヌルイ湯が出て来た。いつもならダブルシャンプーするのだが、お湯

が止まっては困るので1度にしよう。このホテルは7時半全員揃ってセットメニューの朝食を頂くのだ。

  

  ポーランドとベラルーシに跨るヨーロッパ最古の原始森林・ベロヴェジの森は世界自然遺産     一時絶滅したヨーロッパバイソン

半日かけてブレストまで走って来たのは、ポーランドとベラルーシに跨るベロヴェジの森を訪ねるため

だ。正式な名称をベロヴェシュカヤ・プッシャ国立公園と言い、1万7千ヘクタールの「ヨーロッパ最大で

最後の原始林」なんだと。で、世界自然遺産の自然保護区なのだと。この森には、珍しい動植物が生

息していて、その代表格がヨーロッパバイソン。一時は絶滅してしまったが、諸国の動物園に残ってい

た数頭を基に繁殖させ、今では300頭に増えた。ポーランド王が狩のために保護したことからこの森の

歴史は始まり、3日前の2009103日ベロヴェジの森600周年を迎えたのだそうだ。樹齢350

年の木から後ろ向きな気持ちを吸い取って貰い、600年の樫の木からはポジティブパワーを貰ったよ。

昼 ブレスト 「Bolshaya Fishkaレストラン」 キノコスープ、パン、チキンチーズフィレ、ライスと野菜

添え、フルーツ、コーヒー

  

ベロヴェジの森では、見学の最後に広い柵に入れられたイノシシや熊、ヨーロッパバイソンにパンをや

り、博物館で展示を見た。そこからランチ場所までがエラク遠くて・・・。レストランに着いたのは2時半で

すよ!しかし、女性主人は「日本人の客が来た」と大興奮で写真を撮りまくっていた。ここで出されたチ

キンチーズフィレがエラク旨い。溶けたチーズが香ばしく衣はカリカリで。食べ終わったら3時半だった。

  

      ナチス・ドイツ軍の猛攻を1ヶ月凌いだブレスト要塞のモニュメントと博物館展示写真       990年の歴史があるブレストの町

夕方ブレスト要塞に行く。1830年ロシア皇帝ニコライT世によって造られた要塞だが、19416月22

日ナチス・ドイツ軍の奇襲を受けた。この要塞は、1ヶ月徹底抗戦を続け、大きな犠牲者を出した。ベラ

ルーシの歴史は悲しい話が多い。夕刻迫るブレストの町を歩く。990年を迎えた町はこじんまり美しい。

夜 ブレスト 「The Lake レストラン」 トマトとチーズのサラダ、パン、鱒の捜索料理、アイスクリー

ム、ビール 4千、白ワイン 1万2千、赤ワイン 1万2千×2杯 計3万8千

  

一旦ホテルに帰ってから市内のレストランへ。今回の旅の参加者は21名!今年は最少6名、平均で

も10名位のグループが多かったので、ちょっとウロタエル人数だ。男性8名、女性13名で、男性で酒

飲みはお一人だけ。大酒呑みは全部女性だ。アハハ。ビール+赤白ワインいつもの3点セットは4杯。

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10月 7日(水) ベラルーシもウクライナも雨           1rphグリブナ=約11円

朝 ブレスト 「ホテルヴェスタ」 セットメニュー(チーズ、ハム、オムレツ、ジュース、パン、コーヒー)

    今日の卵料理は白いオムレツ

5時半起床。今日で早くもベラルーシとはお別れ。朝から雨が降っている。朝食の席では癌を克服され

た方がお二人いらして、朝から癌体験話を伺った。それぞれタイヘンな思いをされたのに、サラリと話さ

れて元気一杯過されている様子にカンドーを覚える。9時出発。10分走るとポーランド国境が見えた。

ポーランドがEU加盟してからそれまでのようには行き来出来なくなった。ビザ代は何と60ユーロ!!

昼 国境付近のバス車中にて 弁当

    雨が降っているのでバスの中でお弁当

10時、ベラルーシ側のマクラネ国境到着。国境係官がバスに乗り込んで来てパスポートを集める。パ

スポートの顔写真と本人をジロジロ見てね。30分で通過。緩衝帯を走って次はウクライナ側のダマナ

ポ国境。野犬が何匹も走り回っている。ここで1時間待たされてようやく入国。通貨はグリブナに変わり、

当面の呑み代として100ドルを両替。トイレに行ったら、余りの汚さに昔のソ連を思い出したよ。今日は

350キロ南に走る。雨が止まないのでホテルに作って貰った弁当はバスの中で。一日移動日なのだ。

夜 ウクライナ・リヴィフ 「ホテルドニステル」  エジプトサラダ、パン、チキンのイタリアンロール 野

菜添え、フルーツサラダ、ビール小 12rph、ウクライナ白ワイン 16rph、グルジア赤ワイン 

28rph×2杯

  

意外な感じがするが、ウクライナに入ってから道はボコボコになった。ミンスクからガイドしてくれている

女性がベラルーシとウクライナの違いを話している。そうそうその前に、ベラとは白いという意味、ルー

シはロシアだからベラルーシは「白ロシア」なのだよ。だから、黒髪黒い瞳が多いウクライナに対してベ

ラルーシは金髪碧眼が多いらしい。ベラルーシの主食はじゃが芋だが、ウクライナのそれは豚の脂

身?ウクライナは肥沃な国土と海も山もあるのに、国の上層部が主導権争いばかりしているから、道

はボコボコ、トイレは汚いのだと主張していた。夕方5時過ぎ、雨も止んだ古都リヴィフに到着。ウクライ

ナの4ッ星ホテル客室は、トイレットペーパーは真っ白、タオルも一杯、ヘアドライアーもあって、ほっ。

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10月 8日(木) ウクライナのリヴィフは晴れ

 ウクライナ・リヴィフ 「ホテルドニステル」 朝食ヴュッフェ+「マルちゃん」のミニワンタン

    オムレツ焼いて貰った

今日午前中はフリータイム。だから6時半まで寝ていた。レストランに行ってみると、料理の数が多いな

ぁ。おっ、オムレツ焼きのお姉さんもいるでないの!贅沢は(素)敵だ!部屋に帰ってミニワンタンを追

加で食べる私は何なのだ?9時半から希望者は散歩に出かけられた。私?行かんよ。本を読んだり、

資料をチェックしたり、薬の詰め替えしたり、マニキュア塗ったりのんびり過した。12時チェックアウト。

昼 リヴィフ 「KUPOL レストラン」 クリームブロッコリースープ、パン、チキンブレストグリルハニ

     ーソース、アイスクリーム、コーヒー

  

今日最初の予定はランチ。19世紀の金持ちポーランド人の屋敷をレストランにしたクーポラだ。昔の金

持ちの家はこんな飾り付けしたのね、と室内をジロジロ見ながら食事。スープがとろっと美味しかった。

  

世界遺産の町のオペラ・バレエ劇場内部は絢爛豪華    ハンガリー商人ボウイム家廟の彫刻        創業1738年薬局博物館

西ウクライナの中心都市のリヴィフは、最もウクライナらしい古都として知られ、その歴史的地区は世

界遺産に登録されている。人口85万人の都市なのに教会の数は130!モスクワにある教会が150

と考えると、その数の多さがわかろうというもの。ウクライナの西に位置するためハンガリー、オーストリ

ア、  ポーランドなどカソリック国に支配された時代と、正教のロシア支配下にも入った街は、ユニエイト

という「カソリック×正教」の合同教会を編み出した。ミサの方法は正教式で、しかしローマに従うという

ウクライナ・カトリックの総本山はここリヴィフにある。ウクライナ正教の聖母マリア昇天教会、19世紀終

わりに完成したオペラ・バレエ劇場、屋根の上に「座るキリスト像」を戴いたボウイム家の廟、ローマカソ

リックの大聖堂、歴史的建造物が並ぶリノック広場を見学し、歴史博物館の中庭でお茶。ここまでの寒

さに比べて今日は24度と暑かった。希望者は1735年に出来た薬局博物館に行く。しっとりした町だ。

夜 リヴィフ 「7Piglets レストラン」 パテと野菜の前菜、パン、ポークソティ ポテト添え、チョコレー

    トケーキ、コーヒー、ビール小 20rph、白ワイン小 25rph、赤ワイン大 50rph 計90rph

  

こちらで食事の席で酒を飲む場合、ビールは300tの小と500tの二通りがあり、ワインは100tの

小と200tの大がある。さらに赤ワインはウクライナとグルジアがあり、グルジアの方がずっと高い。ウ

クライナワインもまぁまぁだが、グルジアの方がずっと旨いのだよ。今日はいつもと違って、ゆっくり夕食

を摂る。1047分発の夜行列車に乗るから時間はたっぷりある。前菜のパテがとても美味しかった。

それでも時間が余るので巨大スーパーへ。洗面タオルを買った。10時リヴィフ駅。2等のコンパートメン

トは4人定員の2段ベッドだが、私達は2人で使用。くじ引きでI村さんと同室になった。異様に暑い!

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10月 9日(金) キエフは晴れ

朝 キエフ「ホテルルーシ」 朝食ヴュッフェ

    夜行列車でキエフ到着

ウクライナの汽車はウルサイ。10m先で花火大会をやっているようなバンバンバリバリなんて音もする。

当たり前だが揺れる。そして暑い!眠れないまま過し、6時半には着替えた。午前726分キエフ駅

に到着。あーぁ、眠いぞ!ホームにガイド男性とポーターが待っていた。ウクライナ首都キエフ駅の朝

の風景だ。バスでホテルに向かい、朝食を摂る。スイカ?甘いねぇ。ホテルのトイレで歯を磨いて洗顔。

  

 聖ミハエルの黄金ドーム修道院              聖アンドレイ教会                   世界遺産のソフィア寺院   

ほとんど眠れなかったのは私くらいらしく、「今までで一番よく寝たわ」なんてオバサマもいらした。朝食

が終れば今日も観光。ここキエフは50の丘があるという。フニクラというケーブルカーであっという間に

ウラジミールの丘に到着。おぅおぅ、あるねぇ。正教のキンピカ屋根。聖ミハエルの黄金ドーム修道院。

ご存知の通り、スターリンのソ連は宗教を認めなかったから、キエフの守護聖人ミハエルを祀った修道

院も1936年壊されてしまった。ウクライナ独立後再建を始め2000年に完成したばかりだ。おっ!猫が

いた。こちらに来て初めて会った猫。聖アンドレイ教会は、ピョートル大帝の娘エリザベートが造り、サン

クトベテルブルグの冬の宮殿も設計したラストレッリの作品だ。1037年に建造されたソフィア寺院は、

キエフ最古の教会でキエフ大公の廟でもあった。17世紀に再建されて世界遺産に登録されているよ。

昼 キエフ 「Pervak レストラン」 ボルシチ、黒パン、ビーフストロガノフ、ナポレオンケーキ、コーヒー

  

24時間営業のベッサラブスキー市場を冷かしてから、ランチ。ロシア料理の代表格のようなボルシチ

は、実はウクライナ料理だそうで、ビーツの赤いスープにサワークリームを入れて食べる。ビーフストロ

ガノフも名物料理だ。それにしてもこのレストランの女性従業員のユニホームは思いっきり胸元が開い

ていて、谷間のスイカみたいだ。目のやり場が無い。店の経営者の趣味に違いないね。ヤラシイぞ!

  

    ウクライナの国旗はブルーと黄色の二色              銀杏が色づいて美しい               これがドニエプル川だぁ!

ドニエプル川はロシアからベラルーシ、ウクライナを通って黒海に流れる大河だ。ボルガ川、ドナウ川に

続いてヨーロッパでは3番目に長い。高校時代に何度か歌った曲の一部にこのドニエプル川が登場し

た。「♪タリララーララーララー ドニエプルよ・・・・」。つまり覚えている歌詞はドニエプルよ、だけ。この

曲のタイトル何だっけ?午後からドニエプル川クルーズに出かけ、船の上でS藤繁子さんから「ドニエプ

ルの嵐」だと教えて貰った。ついでにウクライナ民謡の「小さなグミの木」も一緒に歌った。「なぜか揺れ

る細きぐみよ かしらうなだれ思いこめて・・・おい、岸辺のぐみよ白い花よ おい、ぐみよなぜにうなだ

れる・・・・」。川を隔てた樫(♂)とグミ(♀)の悲しい恋心を歌ったのさ。実際のドニエプル川は広いなぁ。

 キエフ「ホテルルーシ」 シーザースサラダ、パン、サーモングリル ラタトイユ添え、チョコレートケ

ーキ、ビール小 10rph、ウクライナ白ワイン大 30rph、グルジア赤ワイン 60rph×2杯 

160rph

  

5時過ぎホテル着。海外旅行中はメッタに洗濯しないが、今日はやろう。慣れないことをやったので腰

が痛くなった。今晩の夕食はホテルのレストランで。グルジアワインはウクライナの2倍の値段だが、や

っぱり旨いね。キエフは2012年サッカーのヨーロッパカップの主催地で、ホテルの隣に8万人収容の

サッカー場を建設中。夜中も工事していて煩い!来年W杯の南アフリカはもっとのんびりしているよ!

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10月 10日(土) キエフは晴れ

朝 キエフ「ホテルルーシ」 朝食ヴュッフェ

朝食レストランにミニチキンラーメンを持参しちゅるちゅる食べる。余りの旨さに感涙。本当だから困る。

  

         世界遺産ペチュルスカヤ大修道院のウスペンスキー大聖堂                  スキタイの黄金の首輪(印刷物)

  

             広い修道院の中にはバラ園もある          建国者の記念モニュメント            10月は結婚ラッシュだそうで

昨日大渋滞していたキエフの町は今朝ガラガラだった。この町の人々は週末になると郊外のダーチャ

(別荘)に出かけるので、町がカラッポになるのだと言う。ペチェルスカヤ大修道院にはわずか10分で

到着した。2人の僧が1051年洞窟で祈り始めたところから修道院の歴史は始まり、東スラブで最も古

いロシア正教の修道院。世界遺産に登録されている。7キロの城壁で囲まれた修道院の上から見学を

始める。ドイツ軍の攻撃で破壊されたウスペンスキー大聖堂は美しく再建されたが、大鐘楼は50セン

チ傾斜しただけの被害で済んだ。いよいよ楽しみにしている「スキタイの黄金の首輪」を歴史文化財博

物館で見るのだよ。入り口でカメラも手荷物もすべて預けて、手ぶらで入館。ウクライナの地には、紀元

7世紀にはスキタイ人、紀元前4世紀にはサルマタイ人が住んでいたが、金銀宝石を使って素晴らし

い装飾品を残した。中でも紀元前4世紀にギリシャ人が作ったという「スキタイの金の首輪」は、1.1キロ

の純金を使って、人間、植物、動物の彫刻が施した。その彫刻の余りの見事さに唖然とする。もう他の

財宝なんか見たって「ケッ!」とバカにしちゃう位、この首輪は美しい。ずっとここにいたいが、そうもい

かんな。下の修道院のカタコンベ。女性は全員スカーフを被り黄色のロウソクに火を灯して地下に入る。

ミイラとなった司祭が120体安置されている。半年に一度洋服を着替えるそうだ。暗くて息が詰まる。ド

ニエプル川岸の建国者の記念モニュメントに行く。キー、シチュク、ホレフの3兄弟に妹のリービンの像

がある。ポリャ−ニン族のこの兄弟が6世紀町の建設を始め、長男のキーの町→キエフとなったんだと。

10月の土曜日とあって、モニュメント周辺は結婚式のカップルだらけ。最終的には20組くらいいたか。

昼 キエフ 「Tsars Village レストラン」 マッシュルームスープ、パン、ロールキャベツ、芥子の実入

りクレープ、コーヒー

  

  

民族建築と生活博物館には1720世紀農村の建物が     これが紅葉したカリンカ           お嬢ちゃん!可愛いじょー

スープとロールキャベツのランチを済ませてから、郊外ピィロホヴォにある民族建築と生活博物館に向

かう。なだらかな丘陵地に広がる野外博物館だ。各地から運ばれて来た17世紀から伝統的な家屋が

点在する。貧しい家、中位の家、金持ちの家などあったが、それほどの格差は無い。面白いと思ったの

は、年頃の息子がいますよ、娘がいますよ、という家は外から一目でそうとわかるよう壁に模様をつけ

ていたこと。模様をつけても貰い手、貰われ手がいないと寂しかっただろうね。ロシア民謡だけで知って

いたカリンカが植物だと初めて知った。真赤に紅葉して赤い実をつけていた。気持ちの良い博物館だ。

夜 キエフ 「Lipsky Osobnyak」 ビーツとポテトのサラダ、胡桃パン、ビーフの網焼き ポテト添え、

    パンケーキ、ビール大 23rph、赤ワインボトル 260rphを3人で  

  

  

今晩の夕食は市内のレストランで。店の建物は昔は貴族の館だったそうで、豪華な作り。ここなら美味

しいに違いないと期待したら、その通りだった。前菜もパンもメインもデザートもビールもワインも、この

旅一番の味であった!特に胡桃パンはスンバラシイ!ボトルを開けた赤ワインも旨いし、楽しい晩餐。

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10月 11日 (日) キエフは雨 オデッサは晴れ

朝 キエフ「ホテルルーシ」 朝食ヴュッフェ

旅の8日目。ここまで移動日に限って雨が降った。今日もオデッサに移動するのだが朝から雨だった。

9時出発し国内線の空港へ。アエロシヴィット航空VV001便は少し遅れて、12時過ぎオデッサ到着。

遅い昼 オデッサ 「Baulevard」 カリフラワーのクリームスープ、パン、鯖のグリル、クレムブリュレ、

コーヒー

  

  

  パルチザン栄光博物館内部           オデッサのプリモーフスキー並木通り       有名なポチョムキンの階段

オデッサで出迎えてくれた女性ガイドは、体調が悪いのか、機嫌が悪いのか、ニコリともしない。何だ、

この態度は!昼食ドキではあるが、距離的に考えて見学が先とパルチザン栄光博物館に行く。オデッ

サはロシアのエカテリーナ2世が、ウクライナの穀物を積み出す港町として建設を命じた町だが、町建

設時、近郊の地下から石材を切り出した。この坑道を利用して1941年パルチザン達は第二次世界大

戦時、ナチスドイツに対抗する戦いを繰り広げた。多くの人が犠牲になったと聞いたが、73名が隠れ住

んだ後がそっくり残されている。ランチは2時半から始まり、終ったのは4時だった。考古学博物館をさ

らっと見てからプーシキン像が立つプリモーフスキー並木通りを歩く。朝キエフで降っていた雨は420

キロ南のここオデッサでは降っていない。名画「戦鑑ポチョムキン」で有名な階段を下りる。黒海がすぐ

そこ。上から見下ろすのと下から見上げるのとでは全く見え方が違う。上りは無料のフニクラに乗って。

夜 オデッサ 「Ukruinian Lasunk レストラン」 イクラのパンケーキ、ピクルスの前菜、パン、キエ

フ風カツレツ、林檎のコンポート、ビール小 10rph、白ワイン 30rph、グルジア赤ワイン 80rph

×2杯 計 200rph

  

  

       ウクライナの民族楽器バンドゥーラの演奏を聞きながらウクライナ名物キエフ風カツレツを食べる

今晩のホテル「チェルノモーレ」は4ッ星ホテルということだが、ショッピングセンターの7階から9階にあ

る。夕食はウクライナの民族音楽のライブがあるレストランで。メイン料理はウクライナ名物キエフ風カ

ツレツ。カツを切ると中からドバーッとバターが溶け出すあれだ。今朝までキエフにいたのに、オデッサ

で食べるって不思議。民族楽器バンドゥーラの弦は、15本のものから64本まであるそうだ。美しい音。              

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【今週の振り返り】

106日に行ったベロヴェジの森。首都ミンスクには、旧ソビエト連邦の12ヶ国で形成された穏かな

国家連合体である「独立国家共同体」(CIS)の本部があるが、1991126日ソビエト社会主義共

和国連邦の消滅と独立国家共同体(CIS)の創立を宣言した場所はベロヴェジの森であった。旧ソ連邦

を構成したのは15ヶ国だったが、それまでに独立を果たしたバルト三国を除く12ヶ国が、1993年まで

にCISに加盟した。即ち、ロシア、カザフスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、キルギス、ベラルーシ、

アルメニア、アゼルバイジャン、モルドバ、トルクメニスタン、グルジア、ウクライナの12ヶ国。但し、

1994年トルクメニスタンは永世中立国を宣言して加盟資格を永久停止、ウクライナはCIS憲章を承認

していない。グルジアは2008年に起きた南オセチア問題をきっかけに20098月18日脱退。モルド

バは、脱ロシアを志向する諸国とGUAMに参加していて、CISは客員参加の形である。

今回の旅で訪れた旧ソ連邦の3ヶ国の中で、今年に入るまでソ連=ロシアにベッタリだったのはベラル

ーシで、他のウクライナ、モルドバは、ロシアとの距離をどんどん広げている。ベラルーシという国が、

私の記憶にふらっと入って来たのは、女優であり、文筆家の岸恵子さんの「ベラルーシの林檎」を読ん

でからである。読んだのはもう随分昔のことで、内容はよく覚えていないのだが、彼女の自伝風な紀行

記だった。この時、監督であり医者であるフランス人イブ・シャンピと結婚した女優として認識していた岸

恵子さんが、実はタイヘンな文章家であることを知ってたまげたものだ。今回実際食べたベラルーシの

林檎は萎びていた。

昨年中央アジアを旅した時も感じたが、旧ソ連邦の中でも「ソ連時代を引きずる国」とそうでない国があ

るなぁと思う。一番思うのは、人々の表情。ミンスク空港入国管理の女性は、笑いかけても全く表情を

変えなかった。機械のようだった。ヘトヘトで辿り着いたホテルのロビー。深夜なのに両替してくれると

いう。感謝して米ドルを差し出すと、鉄格子越しに、よほど長身で腕も長くなければ届かない窓口にベラ

ルーシルーブルを投げて寄越す。精一杯手を伸ばして汚い紙幣を掴もうと客がさんざん苦労していて

も、知らん顔だ。日本語で「ちょっとこちらにちょうだいよ」なんてお願いしても彼女の顔はまさに鉄火面。

カザフスタンの国境にいた男性職員の表情とそっくりだった。怒りというより、同じ人間として哀しい。ま

ぁそうは言っても、3日間案内してくれたガイドの女性はベラルーシのお袋さんという感じで温かかった

し、ベロヴェジの森、ブレスト要塞の女性ガイドは2人とも若いながらとても仕事熱心だった。ブレストの

オジサンガイドは、余りに熱心かつ親切でそれが迷惑と思う位だったなぁ。ということは、「ソ連時代を引

きずる国」ではなく、「引きずる人」がいるという問題なのかもしれない。

ソ連邦崩壊から3年後の1994年、ベラルーシは政治、経済、軍事などをロシア連邦と統合するロシ

ア・ベラルーシ連邦国家創設条約に調印した。ロシアの代表はエリツィンだった。ソ連邦は終わっても

二国の蜜月関係は続いていたわけだ。しかし、プーチンに大統領が交代すると、ベラルーシの吸収合

併を示唆し始めた。統合ではなく吸収合併。企業同士の関係だってこれはエライ違いだから、国となっ

たら屈辱もいいところだ。いくらロシアでも許せん!隣のウクライナはずんずんとEUとの関係を緊密に

している。ベラルーシは焦る。吸収合併なんて言うプーチンロシアより、ヨーロッパ諸国と仲良くする方

がいいんじゃないか・・・・。しかし、ヨーロッパ方面にちょっと手を出したら、プーチンロシアは怒り狂った。

「お前んとこの乳製品は買わんからな!」なんて。なかなかに難しい関係なのだね。

旅はようやく半分終わったところ。続きも楽しみにね。

          タマと仲良くするとラムが嫉妬するし・・・困ったニャア    

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      * 続きの10月3週もなる早で作りますので、お楽しみに!