パクパク日記9年11月1週

        エミレーツ航空に乗って、中東のヨルダンとシリアに行ったのだよ!

 ヨルダンの男  ジュラシュ遺跡

11月 2日(月) 曇り夕方小雨  全国的に冬型の気圧配置 さぶー!  北日本あちこち初雪

朝 家食 具だくさん汁雑炊、もずく酢、「玉木屋」のピリっ辛らっきょ、紅生姜、梨、アロエヨーグルト、ヘルシア茶

   寒い日の朝食は雑炊!

朝方の夢で、「それじゃあ、罰として寒い国に連れて行くからな」と寒さコゴエの刑を受けていた。目が

覚めたらホントに寒いのだった。今日11月2日は亡き父の誕生日だ。生きていれば、102歳になる。今

朝は忙しい。歌舞伎の昼の部に行く前に、いろいろやることがある。写真のプリントの依頼。今日中に

発送の手筈をしておかないと。次は皮膚科。ちょっと前から顎が痒くて・・・。塗り薬と飲み薬の処方箋を

貰い、薬局へ。ここでようやくタクシーを捕まえ「歌舞伎座」と言ったのだ。遅刻したが11時6分だった。

昼 歌舞伎座 「日本橋玉ゐ」 穴子の箱めし(小) 煮上げ 1600

    旨いが量が少ない・・・

11月の歌舞伎座は、吉例顔見世。江戸時代、芝居小屋と役者は年間契約をしており、契約期間は11

月から翌年の10月まで。即ち、11月の各小屋は「〇〇座はこんな顔ぶれで1年間公演しまっせ。よろ

しゅうに」ということで契約役者の看板をズラーッと小屋の上にかけたのだ。だから毎年11月になると

「顔見世」興行となったのよ。今は東京の歌舞伎座が11月で、名子屋御園座は10月、京都南座は12

月と時期をずらしてやるけどね。出し物は、昼夜に渡る通し狂言「仮名手本忠臣蔵」。昼の部は大序

 鶴ヶ丘社頭兜改めの場、三段目 足利館門前進物の場と松の間刀傷の場、四段目 扇ヶ谷塩冶判官

切腹の場と表門白明渡しの場、そして最後は浄瑠璃 道行旅路の花聟」。塩冶判官は勘三郎、高師直

は富十郎、桃井若狭之助は梅玉、石堂右馬之丞は仁左衛門、大星由良之助、早野勘平に菊五郎、お

軽は時蔵。「仮名手本忠臣蔵」はとにかく人気狂言で、通し狂言のカタチで上演されたものだけでも昭

22年から数えて68回(!)目なのだよ。通しではない単発の幕モノも入れたら・・・うぅ、あだまいで。

地味だが重要な存在・加古川本蔵を演じた菊十郎は台詞が入っておらずプロンプターに頼りっぱなし。

歌舞伎座右隣にあった麺の店がいつの間にかなくなって、「日本橋玉ゐ」が入っていた。ここいいなぁ。

夜 舟町 「仙水」 お通し;太刀魚の南蛮漬け、もみイカ 900円、鰆の焼き物 1500円、金目鯛の兜

煮 2400円、もずく 800円、稲庭うどん 胡麻だれ、生ビール×2杯、冷酒 3合 「白岳仙」

@1万3千円

  

  

隣席のおばさんは、最初からずっと寝ていた。最前列なのに、塩冶判官が松の間で高師直に切りつけ

ても、その塩冶判官が切腹しても、大星由良之助が主君の恨みを晴らそうと男泣きに泣いてもずっと寝

ているのだった。家で寝ればいいじゃん。真っ直ぐ帰宅して洗濯と写真のアルバム作り。夕食はまた

「仙水」に行こっかなぁ。一日中降りそうで降らなかった雨が、夜になって降って来た。旨い夕食だった。

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11月 3日(火) 晴れ  今日もかなーり寒いよ

朝 家食 「日清」のチキンラーメン(卵、青ネギ、刻み海苔入り)、アロエヨーグルト、ヘルシア茶

    2週間食べられないと思うと・・・グスン

今日も西の空に富士山がくっきり。いつ見ても美しい富士山である。寒い!昨夜東京で吹いたのは木

枯らし1号だったらしい。今日出かけるのか。ならば一番好きなものを食べるがいい。で、これだよん。

昼 舟町 「峨眉山」 麻婆焼きそば(杏仁豆腐付き) 900円

    焼いたそばの上に麻婆豆腐を乗せただけ

この店のマダムは愛想が無いというか、サービス精神に欠けるというか、怖いというか。言葉も極力節

約。客「坦々麺ください」マ「辛さ」、客「うーん、じゃあ中辛にしてください」、マ「チャーハンアンニン」客

「あぁ、ランチサービスの麺に炒飯か杏仁豆腐がつくってことですね。杏仁豆腐ください」ってな調子な

のだ。週替り麺メニューに麻婆焼そばがあった。頼んでみた。焼きそばの上に麻婆豆腐が乗っていた。

夜−1 浜松町 「PALATIN コーンスープ(カップ) 300円、コールマンカレー 1080

    この辛さがタマラナイ!

羽田空港に行く時は、行きか帰りのどちらかで浜松町駅の例のカレーを食べようと目論む。今夜もね。

PALATIN」という駅ナカのどうということの無い店なのだが、揚げ茄子とチキンが入ったスマトラ風の

カレー、コールマンカレーは素晴らしい!よく食べるのに、注文すると必ず「相当辛いですよ!」と念を

押す。いつも食べているじゃん、そろそろ覚えてよ。7時半羽田で旅行保険に加入。成田空港なら登録

してあるから、名前を言えばスラスラと入れるのだが、羽田はダメ。コンピュータが繋がっていない。加

入申し込み書に記入するのは仕方ないとして、保険料をカードで支払えないってどうゆうことよ!旅行

先は?と聞かれたので、ヨルダン、シリア、レバノンと答えると「転々とするわけですか?」って。旅行保

険の窓口にいる人がそんな言い方するか?と私はプリプリだぜ。添乗員のK藤さんと再会。彼とは3年

半前にアイルランドに一緒に行った。エミレーツ航空は、この前からエコノミーは30キロ、ビジネス以上

は50キロまでOKにしたそうだ。スーツケースに50キロ?金塊でも入れるの?8時40分発関空行き。

夜―2 エミレーツ航空 関空=ドバイ ビジネスクラス機内食

羽田で参加者リストを見ると、見た覚えのある名前が。O竹さん。彼女と一緒になるのは3度目(!)だ。

関空でスーツケース預けてチェックイン。2320分関空発EK317に乗る。エミレーツはアラビア半島

の国とは思えない(ヘンケンです、ハイ)パンクチャルな飛行機会社で2315分には離陸していた。

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11月 4日(水) ヨルダンのアンマン、ペトラは晴れ   JD=ヨルダンディナール=約10j

朝―1 エミレーツ航空 関空=ドバイ ビジネスクラス機内食

昨夜の機内食は殆ど手をつけなかった。その代わり、ジントニック2杯、白ワイン2杯、赤ワインをグビ

グビ飲んだら、酔っ払って3時間寝た。エミレーツ航空には今まで10回乗ったが、好きになれんなぁ。

朝―2 ドバイ空港 エミレーツ航空ビジネスラウンジ フルーツとコーヒー

時差5時間、所要時間10時間半、ドバイ時間午前420分到着。アレレー、予定より1時間以上早

い。空港で4時間も待ってヨルダンに行くのだ。ドバイ空港は眠らない空港だ。朝4時で混雑している。

朝―3 エミレーツ航空 ドバイ=アンマン ビジネスクラス機内食

820分発アンマン行き。肉マンじゃなく、餡マンじゃなく(ひつこい!)、アンマン。ヨルダンの首都だ。

ドバイとは時差2時間、3時間半のフライトで950分到着した。空港でヨルダンのビザ取得。無料!

  

     ネボ山はあのモーゼの終焉の地    あれがモーゼが指差した「約束の地」カナンか?   死海の左上にネボ山はある

10時半観光に出発。ちょっとボロだが、参加者21名全員が2席使える大型バスが待っていてホッとす

る。ガイドはムハンマドさん。サバハラヘル(おはよう!)。アンマンから南に30キロ、ネボ山に行く。モ

ーゼがエジプトで奴隷扱いをされていたヘブライ人(イスラエル人)を従えてエジプトを脱出した話、旧

約聖書の「出エジプト記」は知っているでしょ?エジプトから約束の地であるパレスチナを目指し、シナ

イ山では十戒を授かったものの、チラリとだが神を疑ったため40年間荒野を彷徨う。ようやくネボ山に

辿り着き、「あれが約束の地、カナンだ!あそこに行くのじゃあ」と目的地を指さしたが、モーゼはカナン

に入ることは叶わなかった。ネボ山で最後を迎える。その時、モーゼは120歳!!そこに行ったんだ。

  

      マダバの聖ジョージ教会の床には世界最古のパレスチナ地図のモザイクが描かれている。6世紀の死海やエルサレムの町

ネボ山にはヨハネ・パウロ2世もいらしたそうだ。あの法皇様はホントに「空飛ぶ法皇」だった。マダバ市

内の聖ジョージ教会を見学した。ギリシャ正教の教会だが、その床には世界最古と思われるパレスチ

ナの地図がモザイクで描かれている。ヨルダン川には魚が、死海では塩を採取している船、家がビッシ

リのエルサレムの町など6世紀当時の様子が描かれている。200万ピースのタイルが使われたそうよ。

昼 ヨルダン・マダバ 「Haret Jdoudna」 フール、ホンモス、ムタバルなどアラブ風前菜あれこれ、

ホブス(パン)チキングリル、ヨルダン菓子

  

  

  

今回の旅行で初めての食事。だからという訳ではないのだろうが、アラビア料理の見本のようなランチ

だった。アラビアのパンと言えばホブス。今日は焼き立てだったからぷっくり膨らんでいたが、冷めたも

のは4ッ切りしてビニールで包んであることが多い。袋状になるから色んなものを挟んで食べられる。

茄子と胡麻ペースト、そしてひよこ豆のペースト(中段左と中の写真)も名物で、私は好物だよ。野菜の

ピクルス、トマト、チーズ揚げなど前菜がどっさり出て嬉しい。つい食べ過ぎて、メインのチキングリルが

出て来た頃にはほぼ満腹でね。でも、このチキンが香ばしくて旨いのよ。でも大き過ぎじゃ。ゲップ!!

夜 ヨルダン・ペトラ 「ベイト・ザマン」 夕食ヴュッフェ ビール 9ドル、白ワイン 13ドル、赤ワイン 

       13ドル

     空が燃えているようなヨルダンの夕焼け

遅い昼食の後は、ヒタスラ南のペトラに向かってバスは走る。砂漠の中の「デザート・ハイウェイ」を突っ

走る。ハイウェイの両脇には掘り起こされた土がコンモリと積まれている。リン鉱石を掘り起した跡のよ

うだ。変化の無い景色を見ていると、昨夜余り寝ていないからウトウトしてしまう。4時半過ぎ、もう太陽

が沈んだ。沈んだ後の空が真赤に染まった。山をどんどん上って、ようやくペトラのホテルに到着した

のは午後615分。ホントは遺跡の入り口のホテルに泊まる予定だったのだが、急遽替わったのだ。

夕食はヴュッフェ。不味い!酒がバカ高!!缶ビールが9ドル?不味くてちょびっとワインが13ドル?

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11月 5日(木) 晴れ

朝 ヨルダン・ペトラ 「ベイト・ザマン」 弁当 パンとジュース

3時半起床。大丈夫、昨夜9時半に寝たから。しかし、当初は4時半出発予定だったので、2時半に起

きようと思っていたが、1時間遅れて5時半出発になったのだ。助かった。さぶいぞ!その中シャワーと

シャンプー。酒を飲んだらゼッタイ風呂に入らないことにしている。だから早起きするのだ。エライだろ?

  

    朝日が昇る前に遺跡に向かう。オベリスクの墓前通過       高さ60m〜100mの崖(シーク)の間を歩いて行く。凄い迫力だよ!

  

     目の前に現れたエル・ハズネ。 映画インディ・ジョーンズで見たでしょ?ここ             発見された時柱1本が壊れていた

  

              王家の墓と呼ばれる岩窟墓            柱廊通りの建物は6世紀の地震で崩壊したらしい ハドリアヌスも来たらしいよ

5時半朝食弁当持って出発。もう薄っすらと明るい。でもさぶー!!中東3大遺跡と言えばペトラ、パル

ミア(シリア)、ペルセポリス(イラン)、4大遺跡はこれにバールベック(レバノン)を入れるのだそうだ。ペ

トラとは「岩」の意。ナバテア人がエドム人を南に追いやり、紀元前1世紀に住み始めた。1985年世界

遺産に登録された。入り口から1,5キロ歩いた辺りに、ローマ時代のダム跡。そこが巨大な崖が続くシ

ークの入り口だ。高さ60m〜100mの岩盤の間を歩いて行く。昼間でも暗い程だ。ペトラまでの唯一の

道で、難攻不落の秘密の要塞だった。シークの両脇には泉から水を引く水路もある。セラミック製の管

も発見されているのだよ。びっくり!1830年にルートヴィッヒ・ブルクハルトが発見し、以来発掘が続け

られているんだってさ。シークの間を30分も歩いたところで、ガイドのムハンマドが言う。「ここでクレオ

パトラがダイヤモンドの指輪を落とした。ここから百歩はその指輪を探しながら下を向いて歩こう!」。

ハハーン、そろそろこの遺跡で一番有名な宝物殿(エル・ハズネ)が近いということね。98、99、100、

101、102、103・・そこで前を見る。ジャジャーン!!ありましたぁ、エル・ハズネが!映画「インディ・

ジョーンズ/最後の聖戦」のロケが行われたから見たことあるハズだ。「そこにいると絵になる」というカ

タチで駱駝が2頭いた。崖を削った高さ43m、幅30mの霊廟で、宝物殿と呼ばれるのは一番上の壷に

宝物が隠されていると信じられていたからだ。更に進めばファサード通りで、右側は王家の墓を始め、

墓がズラリと並ぶ。一休みした小猫がウジャウジャいるカフェの先は柱廊通り。551年の大地震で多く

の建物は崩壊している。早朝出発した頃は寒かったが、既に陽が昇って暑くてタマラン。カスール・ア

ル・ビントを見学してペトラ考古学博物館前に到着したのが午前10時。出発してから約4時間経った。

元気のある人はここから往復1時間半かけエド・ディル(修道院跡)に行くと言う。私は元気な人ではな

いのでトーゼン行かない。6人残り、15人が向かった。帰りはエル・ハズネから馬車に乗る。シークの

間の細いガタガタ道を飛ばす馬車。振り落とされそうで、20分間叫びっぱなしで声が涸れた。30ドル。

昼 ヨルダン 「CROWN PLAZA」 ギリシャ風サラダ、チキングルリ、ホブス、バナナとメロン

  

遺跡入り口で馬車を降りたのは11時半だった。馬車に一緒に乗ったO竹さんと「あぁ怖かった!あぁ

疲れた!」と言い合ったが、疲れたのは、やはりたっぷり目のO竹さんと私を乗せた馬だったわね。12

時過ぎ、ランチ場所の「CROWN PLAZA」のロビーでお喋りしながら待つ。1時前には着くと言ってい

たのに、着かん。1時半誰も戻って来ん。1時50分馬車帰還組がようやく数人帰って来た。全員揃った

のは何と2時15分。遅いランチを食べ終わったのは何と3時!これから1時間半もかかるワディ・ラム

に行くというのに。サウジアラビアの国境も遠くないヨルダン南部のワディ・ラムは「月の谷」という意味

だそうだ。映画「アラビアのロレンス」が撮影された岩山と砂漠だけの土地だ。4WDに乗り換えた頃に

はもう真っ暗で、何も見えない。美しい星空を眺めただけで帰って来た。往復5時間かけて星かぁ・・・。

夜 ヨルダン・ペトラ 「ベイト・ザマン」 夕食ヴュッフェ ビール 9ドル 2杯、赤ワイン 13ドル

   走るバスから撮ったワディ・ラム

ホテルに帰ったのは午後8時だった。夕食は昨夜と同じレストランでまたもやヴュッフェなのだよ。アル

コールの高さに逆上する!昨夜ビールと赤白ワインの3点セットで35ドルも払った。ビールは缶だし、

ワインも量少なく、しかも不味いのに!ボルのもいい加減にしんしゃい!今晩はビール2本にしよっと。

               _____________________

11月 6日(金) 晴れ

朝 ペトラ 「ベイト・ザマン」 朝食ヴュッフェ

    これでも5ッ星ホテルなのだ

5時半起床。今朝も朝風呂だよん。昨日は出発が早かった上、朝食も弁当だった。遺跡の入り口で大

急ぎでパン1個をジュースで流し込んだだけだったから、今朝はヤケにのんびりしているなぁと嬉しい。

昼 死海 「DEADSEA SPA HOTEL」 ランチヴュッフェ あ〜ぁ・・・・

  

        あぁ、昼もヴュッフェ・・・・         プールの向こうは死海だよ             M光さんの見事な浮遊ぶり!

8時半出発。参加者21名を7名ずつ3グループに分け、バスの座る位置をローテーションしている。私

B組で今日は一番前の順番だ。一昨日走って来た砂漠の中のデザート・ハイウェイを逆に戻り、死

海を目指す。途中の大型の土産屋で死海製品の買い物。死海のホテルより、こちらの方が種類も数量

も豊富ということで、皆さん大量に塩製品をお買い求めだ。昼近くになると、バスはどんどん高度を下げ

て行く。何しろ標高1,000m位の土地から、死海のある−398m、つまり1400m近く下がっていくのだ。

世界で一番低い湖である。1215分その死海に到着。蒸し暑い!死海の向こう側イスラエルのエン

ボケックでちょうど2年前に2泊した。イスラエル側はそれは賑やかだったが、ヨルダン側はホテルやレ

ストランなどの施設はとても少ない。これでも増えているのだとか。あの時、死海で浮遊体験は済ませ

たから、今回私はカメラマンだよん。浮くことはそれほど難しくないが、立つにはコツがある。それをエラ

ソーにお教えしてね、ぷっ!皆さん、それは大騒ぎさ。仲良しになったM光さん、素晴らしい浮遊姿勢。

夜  ジェラシュ ホテル「オリーブ・ブランチ」 夕食ヴュッフェ ビール 7ドル、白ワイン 7ドル、赤ワイン 7ドル

  

首都のアンマンはヨルダンの人口600万人の3分の1が住む大都会だが、ちょいと横切っただけでジェ

ラシュに向かった。起伏の多い街。このアンマン、昔はフィラデルフィアという名前だったのだよ。ヘンな

感じだね。夕刻、ジュラシュ郊外の小さなホテルに到着した。今回の旅行で「ジュラシュのホテルは期待

しないで!」と添乗員のK藤さんが言っていたが、なるほどこれでは・・・・ね。部屋は思いっきり狭いし、

トイレに紙を流すと詰まるし、シャワーのお湯はヌルクチョロチョロしな出ない。滝の白糸3本分だ。しか

し、簡素な食事は温かいし、ビールは中瓶、ワインも量はまずまずで良いよね。食後自己紹介タイム。 

                 _____________________

11月 7日(土) 晴れ

朝 ジェラシュ 「オリーブ・ブランチ」 朝食ヴュッフェ 

    温かいスクランブルエッグとトーストがいいね

5時半起床。6時過ぎ、オリーブ畑から朝日が昇った。このホテル、「オリーブ・ブランチ」の名前の通り、

オリーブ畑の丘の上にあるのだ。朝食も質素だったが、家庭的な味でほっこりしたよ。745分出発。

  

        ビジターセンターもある南門          博物館に展示されていた           3千人を収容する南劇場

  

          女神アルテミスに捧げられた神殿           妖精ニンフに捧げられたニンファエウム          見事な列柱通り

このホテルに泊まったのも、ジェラシュ遺跡に一番乗りしようというものらしい。確かに1番だったよ。ジ

ェラシュは、「黄金の川」という意味。ポンペイウスがジュラシュをローマの植民地に吸収したのが紀元

64年。貨幣の鋳造権や司法権を持つデカポリスに列せられ、人口2万5千人と多いに栄えた。ゼウ

ス神殿、アルテミス神殿、南劇場などは住民の寄付で建設されたというから、当時の潤いぶりがわかる

ようだ。バスを降りた場所には、紀元後129年ローマ皇帝ハドリアヌスの訪問を記念して造られた小さ

な凱旋門があった。ヨハネ・パウロ2世は空飛ぶ法皇だったが、ハドリアヌスは飛行機など片鱗も無い

1900年前、3度に渡り通算十年以上もローマ帝国視察巡行を実行したのだ。私、ハドリアヌス好き。ほ

ぼ完全な形で残っている南劇場では、おじさん2人が太鼓とバグパイプの演奏して、劇場の音響効果

の良いことを証明してくれた。当時からここは指定席制だったらしいよ!列柱好きの八重子さん喜ぶ。

         (ここからシリアだよ!)               1SP=シリアポンド=約2円

昼 シリア・ボスラ 「何とかいうホテル」 ランチヴュッフェ あぁ・・・まただよ・・・・

       ヴュッフェあぎあぎだぁ

11時15分、ヨルダン側の国境到着。ガイドと添乗員が全員のパスポートを集めて事務所に提出する。

待つ。スタンプが押されると、係官がバスに乗り込んで来て、一人ひとりパスポートを見てチェック。緩

衝地帯を走って次はシリア川国境。同じことを繰り返し、シリアに入国するまで1時間50分かかった。

バスはダマスカスまで行くが、ガイドのムハンマドさんとはお別れ。シュクラン(ありがとう)!シリアのガ

イドの二ダルさんに代わる。国境近くのダラーの町を走り抜け、ボスラに向かう。今日B組は最後部だ

K池夫妻の奥様が風邪を引いてバス最後列で寝ておられる。遺跡近くのホテルでランチヴュッフェ。

     

 世界最大のボスラのローマ劇場。ファサードが美しい           古代都市ボスラは1980年世界遺産に登録された

シリアに入ったばかりだが、もう世界遺産の見学だ。古代都市ボスラは、午前中見学したジェラシュと

同じように、ローマ帝国のデカポリス(十都市同盟)でアラビア属州の首都であった。世界最大規模と言

われるローマ劇場は、原型がほぼ残されている見事なもの。この地域が火山帯だったことから、黒玄

武岩で造られている。舞台には見事なファサードが残るが、世界でファサードがある舞台は2つしか無

いのだと言う。もうひとつは・・・わかった!リビアのサブラータ遺跡のローマ劇場だ!あそこのファサー

ドは確か3階階層だったぞ。今年5月に行ったから覚えている。客席は37列あり、6千人を収容するの

だそうだ。面白いのは舞台の柱頭模様で、ギリシャのイオニア式渦巻き模様とコリント式のアカンサス

(ハアザミ)模様が混じった意匠だった。イスラム時代、ここは堅牢な要塞として利用されたそうだ。劇場

の外には、カリベという変わった門やローマ風呂跡がある。しかし、どうも地味なんだわね、この町は。

夜 シリア・ダマスカス 「デデマン・ダマスカス」 夕食ヴュッフェ ゲゲ・・・もうヤダぁ ビール 7ドル、

     白ワイン 7ドル、赤ワイン 7ドル 

       

              ヴュッフェはカンベンして下さい!

夕刻、シリアの首都ダマスカスの町に入る。アラビア語ではディマシュク、別名シャームとも呼ばれる。

首都圏で捉えるなら人口は400万人くらいらしいよ。今日から2泊するのは「デデマン・ダマスカス」。ト

ルコ系の5ッ星ホテルさ。私の記念すべき100ヶ国目モルドバ共和国の首都キシニョフで泊まった「ホ

テルレオグラド」は旧デデマンだったな。昨日が簡素極まりないジェラシュの「オリーブ・ブランチ」だった

ので、その変わりように笑っちまう。しかし、夕食はまたもやヴュッフェだと言う。エーン、泣きたいよう!

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11月 8日(日) 晴れ

朝 ダマスカス 「デデマン・ダマスカス」 朝食ヴュッフェ

    ご飯に味噌汁かけて猫まんま!

5時半起床。熱いお湯がジャージャー出て嬉しい!NHK海外だって映るんだぜ。但し、英語の番組ば

かりやるツマラナイ方のNHK海外ね。6時半朝食を摂りにレストランへ。ほう、白飯があった。沢庵も

あった。具無しだが味噌汁もある。私の好きな猫まんまにしよ。サラサラー旨い!クロワッサンも旨い。

    

    イスラム教第 4の聖地ウマイヤド・モスク      花嫁の塔から見たダマスカス     アラブの英雄サラディーン廟

    

 聖ヨハネの首が納めてあるという神殿          聖パウロ誕生のきっかけとなった聖アナニア教会

ダマスカスは4500年の歴史をもつ。「世界一古くから人が住み続けている都市」として知られているの

だそうだ。オールド・ダマスカスは1979年世界遺産に登録された。朝一番に、イスラム教第4の聖地に

して世界最古のモスクと言われるウマイヤド・モスクに行く。「花嫁の塔」に特別に登らせて貰うためだ。

モスクに入る時、女性はグレーのマンとを渡される。それを着ると、鼠男みたいな恰好になる。暑い!

百段と聞いて、じゃあ行くかと塔に登り始める。真っ暗だから懐中電灯点けて。98、99、100!あら?

未だ急な階段は続いているじゃん。結局139段あり、登り切った時には、疲れと暑さで倒れそうになっ

た。この土地は聖ヨハネ教会があった場所で、モスクのホール内部には聖ヨハネの首を納めてあると

いう神殿がある。ほら、サロメが踊りの褒美に「ヨハネの首が欲しい」と言ったって話ね。モスク隣には

アラブの英雄サラディーンの廟があり、特別に入場&撮影させて貰った。中東は「特別に」っていうもの

が多いらしい。聖パウロが改宗するきっかけとなったアナニア教会。キリスト教とイスラムが交差する。

昼 ダマスカス旧市街 「ウマイヤドパレス」 ランチヴュッフェ

  

       また、ヴュッフェですかい。怒るよ!       スーク(市場)は賑やかだよ           国立博物館の正面玄関 

暑い!気温は30度を超えているのではないか。まぁ湿気が低いから日陰は涼しいが。花嫁の塔に登

ったことと、午前中歩き廻ったのでクタクタ。ランチのレストランで冷たい水を3杯ゴクゴク!ップハー、

旨い!え?ここでもヴュッフェなんですかぁ?ゲンナリするのも飽きた。午後一の1時間はスークでの

買い物と言う。私、買い物しませんから、カフェでお茶でも飲んでいますよ。4人がそうした。その後、国

立博物館へ。正面はカスル・アルヒーラの門柱が飾っている。シリアは、メソポタミアとエジプトの大文

明に挟まれた地域だから古代から発展した。中でも紀元前15世紀から14世紀にかけて最も栄えたウ

ガリットで発見された粘土板に刻まれた楔文字は、世界最古のアルファベッドの原型と考えられている

そうだ。31文字あるんだよ。売店でウガリット文字の下敷きを5枚買った。もう一つ必見物は、ドゥラ・エ

ウロポスのシナゴークから移設したフレスコ画だ。偶像崇拝を禁じたユダヤ教では超珍しいことに旧約

聖書の物語を描いた壁画なのである。2世紀半ばのものらしいが1920年に発見された。見応えあるね

ぇ。ホテルに帰る前、カシオン山にドライブ。アダムとイブの双子の息子、カインが弟アベルを殺したの

がこのカシオン山だと言う。ということは人類最初の殺人が行われたと場所と言うことだ。何とここに現

地手配をする旅行会社の社長が家族を連れて遊びに来ていた。「ヴュッフェはあぎましたぁ!」と直訴。

夜 ダマスカス 「デデマン・ダマスカス」 野菜スープ、モッツァレラチーズとトマト、挽肉団子トマト

      ソース ライス添え、デザートヴュッフェ ビール 7ドル、白ワイン 7ドル、赤ワイン 7ドル

     

       社長さんにお願いしたら、セットメニューになりましたぁ!!!

今晩もヴュッフェと聞いていたのに、夕方ランドの社長にお願いした甲斐あって、セットメニューに変更

されていた。やったぁ!皆拍手して喜ぶ。しかし、前菜のモッツァレラチーズ、塩抜きし過ぎたのか、何

の味もしないゴムのようで・・・。不味いのではセットメニューの意味ないでしょ!!O竹さんに貰った柿

が思いっきり渋かった。希望者はカシオン山に夜景を見に行かれたが、私は部屋でウィスキー飲んだ。

                 ______________________

【今週の振り返り】

ヨルダン。正式国名は、ヨルダン・ハシミテ王国と言う。元首は日本に9回も訪問されているアブドラ2世

(アブドラ・ビン・アル・フセイン)国王、立憲君主国である。そうそう、このアブドラ2世は、国民の生の声

を知ろうと、タクシー運転手などに変装して2度もバレたり、外国からの要人を迎えに自ら運転して空港

まで行くなんてのはしょっちゅうらしい。どこかロシアのピョートル大帝に似ている面がある。ハシミテは

予言者ムハンマドの曾祖父ハーシムの子孫の家系であるハーシム家を指し、ムハンマドの娘ファティ

マとアリの夫婦から数えて42代目の子孫が現王室なのだそうだよ。

英語読みではジョルダン、アラビア語ではオルドン。国土は日本の4分の一、北海道とほぼ同じ面積だ。

国土の8〜9割は砂漠地帯で北はシリア、東はイラク、南はサウジアラビア、西はパレスチナ暫定自治

区とイスラエルだ。ヨルダン川と死海は川と湖の真ん中でイスラエルとヨルダンに分かれている。2年前

11月、イスラエルを旅して死海の向こうからヨルダンを眺めた。あの国にはいつ行くのかなぁ、なん

て思ってね。

イスラエル人が使うヘブライ語で「おはよう」は、ボケルトーブ。死海の西側ではこの言葉だ。「ボケる頭

部」と覚える。いいでしょ?朝だから頭はボケているもんね。じゃあ、死海東側のヨルダン人が使うアラ

ビア語では何と言うかって?サバハラヘル。「鯖 腹 減る」と覚えよう。だって朝は腹が減っているのだ

から。この旅で仲良しになったM光さんに毎朝、「アラビア語でおはようは?」とテストした。7つも年上

のお姉さんに失礼な話だ。彼女は「えーと、えーと」と考えながら、ある朝、「鯖 腹 痛」と言った。ちゃ

う!痛いじゃないよ、減るんだ、腹は。そしてある朝は「鯵 腹減る」。ちゃうちゃう!鯵やなくて鯖!ま、

実際の発音は、「サバーヘル イル」。後半の「ヘ」が爆発音みたいな感じで言うのだよ。でも「鯖 腹

減る」形式の方が覚え易いでしょ?アハハ。

国民の98%はアラブ人だが、その半数は中東戦争でイスラエルに占領されたパレスチナからの難民

だった人とその子孫だ。1946年イギリスから独立、1950年にはエルサレムを含むヨルダン川西岸地

区を領土に加えたが、1967年の第三次中東戦争でイスラエルに奪われてしまう。戦争の度にパレスチ

ナ人がヨルダンに逃げ込んで来る。ヨルダンにしてみれば、イスラエルから蹴ったり、踏んだりの仕打ち

を受けたのに、1994年ヨルダンはイスラエルと平和条約を結んだのだよね。エジプトもね。うーむ。ヨル

ダン国内の保守派やイスラム主義派は「ジョーダンじゃねえよ!」って思っているのだろうな。一般のヨ

ルダン人のイスラエルに対する気持ちを聞いてみたら、「イスラエル政府は最低・最悪!」と吐き出すよ

うな言葉が返って来た。中東の国なのに、ヨルダンには石油資源が無い。ヨルダンはイスラエルと国交

を復活したことで、世界中から観光客がどっと増えたそうだ。背に腹は代えられないってこと?そしてヨ

ルダンは、世界で安全な国ランキング14位だとガイドは胸を張った。わからん!中東問題はまっこと難

しいのだ。来週はシリアをもっと深く、そしてレバノンにも足を延ばすのだよ。楽しみにねー!

        帰って来たばかりニャン!遊び過ぎだニャン!

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*なんて言った後に言い難いのですが、1120日からまたチット出かけ参りやす。

      安近短ですからすぐ戻りますきに。中東の2週目、112週目は帰国後になる

   可能性大です・・・・。ゴメン。ま、のんびり待っててねー。風邪引かないようにねー。