パクパク日記10年2月3週
メキシコ2週目はユカタン半島を浴衣を着て(ウソ!)旅したのだ
ウシュマル遺跡夜景
カンクンビーチ
2月 15日(月) 曇り 夕刻から雨 1ペソ=約7円
朝 メキシコ・カンペチェ 「ホテルデル・マアール」 朝食ヴュッフェ+ミニ坦々ワンタン
曇っているから海が美しくない・・・
6時起床。メキシコ湾に面した客室に泊まっているのだが、昨夜遅く着いたので、朝海を見るのが楽し
みだった。カーテンを開ける。アララー、曇っているから海もどんよりとして美しくはない。メキシコ湾は
波が穏やかな海で、朝散歩に出たS木さんの言葉を借りれば「ただの水溜りのような海」だったそうだ。
スペインによって造られた要塞都市カンペチェの旧市街は世界文化遺産に登録されている
朝はカンペチェ旧市街観光。カンペチェは1540年スペイン軍に征服され、重要な貿易港になった。当
時海賊に襲われることが多かったので、大要塞が建設され300年以上経った今も旧市街を取り囲む要
塞は健在である。町の中は歩いて。やっぱり蒸し暑いわ。「ここからここまでが私んち」、「あそこからあ
そこまで俺んち」という具合に建物が淡い色で塗り分けられているのがオカシクも美しい。アーケード歩
道床は地元では採れなかった大理石が敷き詰められていて、カンペチェの当時の繁栄ぶりがわかる。
カンペチェ州の州知事は、ナゼか大の日本贔屓で、日本語のカンペチェ州観光案内を作ったらしいよ。
昼 ウシュマル「BIENVENIDO」 にんにくスープ、ポークチョップ、トルティージャ、サルサ、フルーツ
カクテル、コーヒー、ハイビスカスジュース 30ペソ
コロニアル調の旧市街を見学した後、カンペチェのスーパーマーケットに行く。10時開店のハズが、ど
うした訳か営業していない。ナヌ?レジの調子が悪いからお客さん入れない?必死で修理しているかと
思えば、従業員が大勢集まって愉しく談笑・・・・。サルサソースを数本購入した。バスでウシュマルを目
指す。車窓から見えるメキシコ湾は相変らず、どんよりで今日は美しい海は期待出来ないみたい。2時
間弱でウシュマルのレストラン着。ハイビスカスジュースがあるというので飲んでみた。ま、フツー。メキ
シコ人の飲み物と言えば、テキーラなんて思ってしまいそうだが、実はコカコーラが大の好物なのだそ
うだ。それもペプシじゃダメでコカコーラ。そうそう、この国では屋外でアルコールを飲むと逮捕されちゃ
うそうよ。「酒は屋根の下で」ね。ランチはポークチョップ。トルティージャに辛いサルサと包んで食べる。
夜 ウシュマル「アシエンダウシュマル」 チキン乗せたトルティージャ、アスパラガススープ、ステーキ、
パン、チョコケーキ、ドスエキスビール 50ペソ、白ワイン 70ペソ、赤ワイン 70ペソ
午後2時前、「アシエンダウシュマル」ホテルに到着した。1635年に建てられたコロニアル風ホテルで、
実に趣きのある場所だ。エリザベス女王、グレースケリー王妃やキッシンジャーなど宿泊された著名人
の写真も飾られ、日本の皇太子殿下も泊まられた由。しかし、歴史、格式は結構なのだが、ホテルとし
ての居住性となると・・・ちょっと・・・・ね。お湯がなかなかでないとか、水流が弱いからトイレに紙は流さ
ないでねとか、窓がキチンと閉まらないとか・・・・。これはホテルのせいではないが、今日はエラク寒く
て、何枚も重ね着をして凌ぐ。おまけに雨まで降って来た。今夜は7時からウシュマル遺跡での「音と光
りのショー」を見学することになっていたが、雨も降るし明日に延期となる。旨くもない夕食食べて寝る。
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2月 16日(火) 晴れ
朝 ウシュマル「アシエンダウシュマル」 朝食ヴュッフェ+ミニ赤いきつね
昨夜降っていた雨は上がり、見事な青空となった。ヤッホー!やっぱり晴れていると嬉しいな。今日の
出発は9時なので、ゆっくり朝食。S木ご夫妻とトミエさんの失敗談を聞いて朝から涙を流して笑った。
魔法使いのピラミッド
植物と石で造ったウシュマル遺跡の看板 マヤ・プウク方式の装飾
ウシュマル遺跡の中で最高傑作と呼ばれる総督の宮殿 ウシュマルは雨の神チャックを崇拝していた
ウシュマル遺跡までは徒歩で行く。歩いても10分もかからない。7世紀頃から創られ始めたマヤ文明
古典期を代表する遺跡である。ユカタン半島中央丘陵部に見られるプウク方式とは、壁一面に隙間な
く過剰に装飾を施す点が特徴だ。ほら、先週行ったプエブラのサントドミンゴ教会、あれと同じよね。隙
間が空いているのが許せないってヤツ。それって私のスケジュール表みたいだなぁ、と思ったりもする。
魔法使いのピラミッド、広々した尼僧院、その向こうにはこの遺跡の傑作と言われる総督の宮殿。雨の
神チャックを始め、マヤ・プウク式の精巧な装飾が美しい。小ぶりのイグアナが何匹かジッとしていた。
昼 ウシュマル「遺跡の何たらいうレストラン」 ライムスープ、ユカタン風チキンとトルティージャ、
プリン、コーヒー
遺跡見学の後半はどこでも自由時間がある。ほとんどの人はピラミッドや宮殿や塔に登る。私は決して
登らない。→疲れるから。やっぱり登らないとみ子さん(私より16歳上だし)と真っ直ぐ出口まで来て、
アイスクリームを食べながらお喋りする。青森のじゃっぱ汁は旨い!なんて話。ランチは遺跡入り口に
あるレストランで。メインのユカタン風チキンは一見ツナ缶を醤油で煮たみたいだ。メキシコ料理には辛
い香辛料サルサはつきものだが、サルサに世界一辛い唐辛子ハバネロがたくさん入っていると、それ
はそれは辛い。トルティージャにチキンとハバネロサルサをふりかけて食べた。か、か、辛くて旨いぞ!
ほら、いかにもコロニアル風でしょ?
寒いのに泳ぐ人もいた! 宿泊された著名人達
♪ウシュマル〜 ウシュマル〜 遺跡のことならウシュマル遺跡 ウシュマル遺跡はメキシコー でっか
いわぁ ♪なんて石丸電気のCMソングのメロディーで唄いながらホテルに帰って来た。午後2時だっ
た。夕方のショーまでフリータイム。希望者はマヤの個人家庭の訪問に出かけられたが、私は部屋で
絵葉書を書き、本を読んでいた。この旅行も前半はハードスケジュールで忙しかったが、ここに来てよう
やく一息ついた恰好。このホテルはホントにオモムキがあってよろしいのだが、居住性はちょっとねぇ。
ウシュマル遺跡に色とりどりの照明を当て、何だかわからないスペイン語の解説が続く「音と光のショー」。退屈だった・・・・・。
6時15分集合して遺跡まで「音と光りのショー」見学に行く。本来は昨夜観る予定だったが、雨のため
今晩にした。5人欠席。とみ子さんも暗いところは危険だ、と残られた。エジプトのアブシンベル神殿で
観た「音と光のショー」が素晴らしかったので、あんな感じのショーかと思いきや、スペイン語のナレーシ
ョンとカラフルな照明で遺跡を映し出すだけ・・・。時々蛙が鳴く音、激しい雨の音以外、スペイン語だか
ら何の話やらさっぱりわからん。唯一わかったのは「アシタマニアーナ」。40分のショーの後半は寝た。
夜 ウシュマル「アシエンダウシュマル」 ディナーヴュッフェ 50ペソ、白ワイン 70ペソ、赤ワイン 70
ペソ
結局あれは何の話だったのだろ、などと皆でブツブツ言いながらホテルに帰る。今晩の夕食はヴュッフ
ェだって。ドイツ人の団体、フランス人の団体が既に食事中で、料理なぞほとんど残っていない。食べる
ものの無いヴュッフェ・・・やっとパスタやスープが来たが、これがエラク不味くて・・。飯不味いと悲しい。
え?キコさんとミチコさん、お子さんが幼稚園で一緒だったの?かと思えば。キコさん私の友人イトちゃ
んのお姉さんアヤちゃんと同級だったの?次々と明らかになる人の繋がり。世の中狭いものですなぁ。
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2月 17日(水) 曇り
朝 ウシュマル「アシエンダウシュマル」 朝食ヴュッフェ
5時半起床。寒い!標高の高いメキシコシティは別として、ユカタン半島は最高気温30度くらいで暑い
と聞いていた。持って来た洋服の半分は半袖という人もいる。然るに、実際は寒いくらいなのだよね。ブ
ルブル。ゆっくり朝食食べて(料理の種類少ないが)、2泊した「アシエンダウシュマル」さん、さようなら。
チチェン・イツァーの尼僧院
城という意味のエルカスティージョ 春分、秋分の日には光の蛇が階段を降りる
聖なる泉セノテには生贄が投げこまれ・・・
春分、秋分の日のエルカスティージョ左階段に光りの蛇が見えますか?
神聖な儀式会場の球技場跡
チャック・モールが横たわる戦士の神殿 頭蓋骨の台座ツォンパントリ
11時45分、今回の旅最後の遺跡となるチチェン・イツァー遺跡の見学開始。200年もの間、ユカタン半
島マヤの芸術、宗教、経済の中心地だったのがここチチェン・イツァーだ。6世紀頃のマヤ古典期の旧
チチェン・イツァーと10世紀以降トルテカと融合した新チチェン・イツァーに分けられる。広い遺跡なの
で、ここまで見て来た遺跡の中で最大の観光客。カンクンが近いことから、新婚旅行カップルやリゾート
滞在客が「1つくらい遺跡行っとく?」って感じで、タンクトップ×短パンスタイルでごっそりとチチェン・イ
ツァーに来るらしい。カンクンに寄港するクルーズ船も決まってチチェン・イツァーツァーを送り出すから
この遺跡は「ドル箱遺跡」であるらしいのだ。この日も超大型船ツァーが到着していて「バスbR7」なん
て看板を持ったガイドと一団が歩いていた。旧チチェン・イツァーを見てから新チチェン・イツァーへ。メ
キシコで一番という位有名なエルカスティージョがある。マヤの最高神ククルカン(羽毛のある蛇の姿の
神)を祀るピラミッド。春と秋の彼岸に太陽の光がピラミッドの上から階段の手摺りを下りて来る。それ
はまるで蛇が下りて来るようで「ククルカンの降臨」と呼ばれる。各国からその日はどっと観光客が押し
寄せるらしい。マヤには球技場が必ずあるが、手も足も使わずに戦う球技で勝利したチームのキャプ
テンがその日の生贄になるという話。何だか割り切れないなぁ。負けた方がいいもん。そう思わん?
昼 チチェン・イツァー「何とかというレストラン」 ランチヴュッフェ
遺跡からバスで5分程のレストランでランチ。数百人が一緒に食事出来るほどの大食堂で、料理はヴ
ュッフェだった・・。今回の旅で朝食以外のヴュッフェは全滅だったなぁ。この地方は白地に花柄が華や
かな民族衣装で有名なのだそうだが、仕事で着る以外、若い女性は着ないんですって。どこも同じね。
ヴァジャドリードの教会
年はとっても花柄が好き?
こんなキレイな花なのに誰も名前を知らない
ヴァジャドリードの町に立ち寄る。女性の民族衣装が有名な街と聞いた。スペインが作った町には、中
央に公園と教会と役場の3点セットがある。公園には恋人達の椅子らしき、鉄製の愉しいベンチがいく
つも設置されていた。昨年インフルエンザ騒ぎの時メキシコ政府は「キス禁止令」を出したのだそうよ。
夜 カンクン・ハイアットリージェンシーカンクン「The
Grill」 シュリンプカクテル、白身魚ソティアボガド
ソース、マンゴムース、カモミールティー、ビール 50ペソ、白ワイン 80ペソ、赤ワイン 80ペソ
今夜の宿泊地はカンクン。日もとっぷり暮れた頃、ホテルに到着した。あらら?カンクンまで涼しいわ。
風が強いし、常夏のリゾート地とはとても思えない涼しさだ。客室はくじ引きで。私が引いた部屋は、7
階でベランダに出れば海も見える、という眺望だった。夕食はホテルで。それほど海老好きでもないの
だが、パフェのような入れ物に入ったこの日のシュリンプカクテルはとても美味しかった。部屋で転寝。
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2月 18日(木) カンクンは曇り強風
朝 カンクン 「ハイアットリージェンシー」 朝食ヴュッフェ
今日は正午過ぎの出発だから遅くまで寝ていようと思ってはみたが、やっぱり6時半には起きてしまっ
た。昨夜、部屋に帰って本を読みながら、持参のウィスキーの2杯目を飲みがら、本に突っ伏して寝て
しまい、目が覚めたのは午前2時半だった。8時、待ち合わせたすみ子さんと朝食。久し振りに美味し
そうな朝食ヴュッフェだ。オムレツを焼いて貰ったよ。今日も天気は今ひとつ。海の色も今ひとつ・・・・。
残っているペソを使いたいから買い物に行きたいというすみ子さんに付き合ってホテルの外に出るが、
「止めた、帰りましょう」と仰るので10分弱でホテルに戻る。今日は帰国日なので荷物をまとめたり、
写真整理をしたり、読書したりで午前中を過ごす。風は相変らず強いし、日も陰っているせいかホテル
の大きなプールでは誰も泳いでいない。カンクンってもっと派手な所と思ったけど、大したこと無いね。
昼 カンクン・ハイアットリージェンシーカンクン「The Grill」 シーザーサラダ、チレスエンノガータ(唐
辛子の挽肉詰め 胡桃ソース)、レモンケーキ、コーヒー、コンガ
12時半チェックアウトしてからホテルでランチ。この旅行会社、普通は最後の夜「サヨナラパーティ」とし
て飲み物1杯サービスしてくれるのだが、今回はこのランチなんですって。昼はアルコールを摂らない
主義なので、コンガという名前のミックスジュースを頼んだ。カンクン・マヤというカクテルが人気であっ
た。メインはチレスエンノガータ。これが素晴らしく美味しく、いつもは料理を半分以上残していたのに、
今日は完食!辛くない唐辛子(巨大ピーマンのような)に挽肉やナッツ、茄子、レーズンなどを包み、白
胡麻とクリームソースをかけたものだが、赤と白と緑の国旗色の料理は独立記念日に食べるものだそ
うだ。これが今回のメキシコで一番気に入った料理だった。添乗員のKさん、昨夜お嬢さんが誕生!
夜 アエロメヒコ メキシコシティ=ティファナ ビジネスクラス機内食
私はアエロメヒコに怒っているのじゃ!
夕刻の飛行機でカンクンからメキシコシティへ。更に22時30分発のアエロメヒコに乗り込む。日本出発
前アエロメヒコのホームページをチェックしたところ、メキシコシティ発成田行きは、ティファナでテクニカ
ルストップはあるが、乗客はそのまま乗っていてよろしい、という意味の文面があって、「キャッホー!」
と大喜びした。夜中に起されティファナで出国手続きをするのはマッコト迷惑なのじゃ。1年前グアテマ
ラから帰る時ツライ思いをしたからね。ところがである。「従来通り全員ティファナで降りて出国手続きし
て貰うかんね」と言うではないか。日本人のCAに抗議すると「それは3月からです。ホームページにそ
んなこと書いてあったんですかぁ?」って。飯は不味いし、こんな対応でいいんかい?アエロメヒコ!!
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2月 19日(金) 機上の人で天気なんぞわからん 冬季オリンピックで日本メダル3個獲得!
日付変更線超える。今日は 24時間−15時間=9時間 しかないコンマイ一日だったぜよ。
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2月 20日(土) 東京は久々の(らしいですよ)晴れ
朝 アエロメヒコ ティファナ=成田 ビジネスクラス機内食
ホント不味い飯だ!
昨日メキシコシティで日本の新聞を読んだ。え?バンクーバーオリンピック?そうか、冬季オリンピック
やっていたのね。メキシコにいる間すっかり忘れとった」。そういえば4年前トリノオリンピックの時もア
ルゼンチンとブラジルを旅行中で荒川静香が唯一のメダルを取ったことサンパウロで知ったんだった。
昼 四谷三丁目 「香港食堂」 坦々麺セット(半炒飯、餃子2個、ザーサイ、杏仁豆腐) 850円
いろいろついていると嬉しい
午前6時45分成田着。一昨日メキシコのカンクンを出発したのは一昨日の午後5時過ぎだった。日付
変更線があるとはいえ、足掛け3日がかりの帰国だ。疲れた。「成田の気温は−3度との連絡が来て
います」とエアロメヒコのCAは言っていたが、降りたってみるとそれほど寒くない。タクシーで順調に帰
宅したから、朝ドラ「ウエルかめ」に間に合ってしまったよ。ホント、このドラマ最後まで(って未だ終わっ
ていないが)面白くなかった。昼は麺が食べたい。汁緬が食べたい。「香港食堂」に行った。味フツー。
夜 家食 卵と海苔入りチキンラーメン、黒烏龍茶
カオリちゃんから山形の米沢牛が届いた。旦那が山形出身なのだ。結婚するなら、美味しい地方の相
手を選びたいね。肉の理由は「2年前の結婚祝いのお返し」なのだそうで。京都の「有次」の名入り包丁
をプレゼントしたのだ。ステンレス製と違って、手入れが悪いと錆びてしまうヤツね。ひひひ。今のところ
手入れを怠っていないらしいよ。お肉は明日頂こう。昼も坦々麺だったのに夜もチキンラーメン。無酒日
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2月 21日(日) 晴れ ベルリン映画祭で寺島しのぶ主演女優賞受賞!
朝 家食 「黄木」の米沢牛ステーキ、もずく酢、ネギ納豆、味噌汁、ご飯、オレンジ、アロエヨーグルト、
黒烏龍茶
7時起床。早速ご飯を炊き、米沢牛を味付けて焼く。味噌汁も作る。豪華な朝ご飯が出来上がった。い
っただっきまーす!旨い!!米沢牛の適度な脂が口の中でジュワ〜っと溶けてオイチー!カオリちゃ
ん、ご馳走さまー。それと日本の食事はやっぱりネギ納豆ご飯ですわ。お替りしない感心な夢子だよ。
昼 四谷三丁目 「尾張屋」 カレー南蛮きしめん 780円
ムッチャ好き!
カレーが好きだ。うどんが好きだ。きしめんはもっと好きだ。となればカレーきしめんはムッチャ好きだ!
夜―1 早稲田 「松下」 1万7千円お任せコース(沖縄とうもろこしの摺り流し汁、飯蛸のさっと煮 ニ
ラのぬた添え、タラの芽とキスの天ぷら、前菜盛り合わせ:蛤・菜の花の胡麻和え・筍の田楽・押し
寿司、愛知の平貝、鰹の藁燻しと縞海老、蒸した鯛の海老頭ソースがけ、うすい豆とアイナメのお
椀、鹿児島出水の鯵とさより、赤貝刺身盛り合わせ、筍とわらび、スッポン唐揚げとスッポン汁、の
どぐろの焼き物 ポテサラ添え、雉の冶部煮、海老天茶と漬け物、ガトーショコラと清香とオレンジ
ゼリー)、ビール、冷酒「三千盛生酒」、シェリー酒
昨日長旅から帰国して、帰宅した途端、洗濯だ、買い物だ、写真の整理だ、次の旅行だなんて早速バ
タバタやっているのだから、確かに疲れてはいる。こんな夜は家でゆっくりネギ納豆ご飯でも食べて憩
うべきなのだろう。しかも日曜の夜だし。でも。賓客が来ているから出かけるのだ、「松下」に。ひひひ、
嬉しいなぁ。バカ大きな愛知の平貝。平貝は高価だと聞いているが、こんなに立派な平貝は初めて見
たぞ。「松下」の料理はどれもこれも美味しいが、スッポンの唐揚げとスッポン汁は頭がクラクラする程
旨かった。生姜がピリッと効いた深い味のスッポン汁は丼一杯飲みたいぞ。家庭的な料理をという隣
のお客の要望で作られた野菜炒めのおこぼれを頂いた。なーるほどぉ。こうゆうお店では野菜炒めでさえ
ちゃうねぇ。野菜はシャキシャキで良い味なのだ。ガトーショコラも自家製。3人とも大満足×満腹じゃ!
夜―2 早稲田・リーガロイヤルホテル東京「セラーバー」 枝付き干しぶどう、オレンジピールチョコレ
ート、ジントニック 2杯
マダムもマドマゼルも「もう1軒!」と仰るので「セラーバー」。マダムはやっぱりソルティドッグですか。
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【今週の振り返り】
あの映画が日本で公開されたのは2003年だったか。映画「フリーダ」。サルマ・ハエックが、メキシコの
女性画家フリーダ・カーロを情熱的に演じた。左右の眉毛が繋がっているところもそっくりだった。先週
の土曜日2月13日にメキシコシティの「フリーダ・カーロ」美術館に行ったのでさらっと書いたが、メキシ
コに行ったこの機会に彼女のことを書き記しておきたい。
彼女を語る際、夫であったディエゴ・リベラを外すわけには行かない。1886年メキシコ生まれのリベラ
は若くしてヨーロッパに渡って絵画を学び、パリで活動する。無類の女好きで、女性画家と付き合って
は取替えを繰り返し、生ませた子供も多数!!!しかし、「子供の養育費?ソレナンデスカァ・・・・?」っ
て責任は全く負わなかったらしいよ。女性にとっては実にヒドイ男なのだよ。イタリアで壁画の研究をし
た後、35歳でメキシコに帰国。母国では壁画運動の中心人物となり、多くの壁画作品を残す。共産党
に入党した彼は、教会や聖職者を激しく糾弾したり、悪口雑言の限りを尽くす。彼はとんでもない巨体
で、自らつけた渾名は「がま蛙」。巨匠ではあるが、エラク周囲からは嫌われていた。リベラはそんな男
であったのだ。
一方フリーダは。ドイツ系ユダヤ人移民でルーマニア出身の父とメキシコ先住民の血を引く母との間の
3女として1907年メキシコに生まれる。6歳の時小児麻痺を患い、右足が不自由に。医者を目指して
医大に通っている時、同じ医大生と激しい恋に落ちる。そんなある日2人が乗っていたバスが路面電
車と衝突。死者も数人出た中、フリーダは瀕死の重傷を負う。背骨、肋骨、骨盤、鎖骨が折れ、小児麻
痺で不自由だった右足は10箇所、全身で22箇所骨折という目も覆うばかりの大ケガだった。1925年
9月のことだった。数ヶ月間動けない状態で治療を受けているうちに、軽症で済んだ恋人の足は徐々に
遠のき、深い孤独がフリーダを襲う。その孤独を慰めたのは寝たまま絵を描くことだった。度々の手術
代を捻出するために家財道具を売って凌いでいた両親ではあったが、娘のために絵の道具をプレゼン
トすることに迷いはなかった。フリーダは独学で絵を学んだ。
表面的な傷が癒えたフリーダは、既にメキシコ3大壁画画家として著名であったリベラを訪ねる。自分
の絵を見て欲しかったからって、小娘が巨匠のところに押しかけるってところが、フリーダらしいのだよ
ね。ところが、リベラは、「いいじゃないか、お嬢ちゃん。キミ才能あるねぇ」と褒めちゃって、そのうち「お
嬢ちゃん、ボクのお嫁さんにならない?3番目だけど」ってことで、1930年、42歳のリベラと22歳のフ
りーダは結婚したのだ。リベラの援助があって貧しさから救われることになっても、フリーダの母は「あ
んな象みたいな男と鳩みたいなフリーダが結婚するの?私は反対だわさ!」と反対したそうよ。世間も
「美女と野獣の結婚」、「長くは持つまい」と盛んに囃し立てたそうだ。
リベラとフリーダの夫婦。どちらも画家。どちらも激しい気性。どちらも恋多き人間。リベラは次々と浮気
をし、遂にはフリーダの妹とまで関係を持ち、それは長く続いた。フリーダも負けてはいない。ロシア革
命の立役者であったが、スターリンに追放され、メキシコに亡命したレフ・トロッキーともただならぬ愛を
育て、イサム・ノグチとも激しい恋をする。その上、フリーダはバイセクシュアルで男も女も好きだった。
はぁ〜。リベラは好き勝手な恋愛遍歴を重ねながら、フリーダがつきあう男にも女にも激しく嫉妬する。
「男はそのぉ、なんだ、いろいろあってもいいんだよ。だが、女はダメだよ。女は夫だけだ!それがトー
ゼンだろ!」みたいなことを言っていたらしい。こんな調子だったので、1939年2人はついに離婚する
ことになった。
やっぱりね、そんな2人じゃ仕方ないよね、と凡人は考える。しかし、リベラとフリーダはこれでは終わら
ないのだ。愛したトロッキーが暗殺され、夫のリベラが去り、壊疽にかかって足の指を切断し、絶望の
淵に突き落とされたフリーダは創作活動に打ち込み、傑作を何点も生み出す。1年経った頃、リベラが
「またやり直ししない?」と申し出て来て、「うん、いいよ」と1940年10月、2人は二度目の結婚をする
のであるぞ。凄い2人だと思いませんか。
バス事故の後遺症は、生涯フリーダを苦しめることになった。1950年には9ヶ月入院、右足を切断、常
に鎮痛剤を服用し、感染症、合併症を繰り返し・・・・・1954年7月13日、47歳と1週間で永遠の眠り
につく。身動きが出来ない程衰弱しても、ベッドの天井と足元に鏡を貼り、最後まで絵筆を離さなかった
フリーダ・カーロ。コルセットにも花柄を描いていた。リベロは、そんなフリーダが世を去るまで付き添っ
た。フリーダの生家である青の家を手入れして博物館としても公開した。リベロさん、あんたエライじゃ
ないか!しかしだ。フリーダが亡くなった翌年、彼は別の女性ともう結婚しちゃうのね。やっぱりね、って
感じなのだ。1957年71歳でリベロ逝去。
当時の「リベロの3番目の妻フリーダ」は、いつの間にか「フリーダの夫リベロ」に変わり、フリーダ・カー
ロは世界で最も人気の高い女性画家となった。アメリカ郵便局は記念切手を発行し、フリーダ・カーロ
はラテンアメリカ女性で初の郵便切手のモデルとなったのである。これからメキシコに行かれる方、是
非フリーダ・カーロ博物館に行ってみてください。
フリーダ・カーロと自画像
*
メキシコの旅の始まりは 2月2週 をご覧ください。リベラの写真も載っています。
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パクパク2月4週も急がねばなりませんね、はいはい、わかってはいるんです。
ちょっとお待ちを!