ローカーボパクパク日記10年9月2週

           コーカサス三国の旅はアゼルバイジャンから始まり、グルジアへ

アゼルバイジャン人形 グルジアの少女

9月 6日(月) 晴れ 今日も残暑厳しい・・・

朝 ローカーボ家食 アミノライスの味噌雑炊、山形米沢牛のメンチカツとミニトマト、無糖ヨーグルト、

濃いお茶

    今日は出発日だよん

5時半から起きてはいるが、ここ数日と同じように7時までベッドでゴロゴロしている。今日は出発日だ

が、夕方羽田空港に出かけるゆっくりした日程なので楽チンだ。朝食を済ませてから早速昨日の続き、

パン焼き作業+真空ぱっくんで空気抜き作業に取り掛かる。昨日9日分やったので今日は4日分の空

気を抜き、機内食などの4食分は普通の袋つめである。さて真空にしていくと何日パンが持つのかな。

昼 荒木町 「アンシャンテ」 ハンバーグランチ(ビシソワーズスープ、野菜のつけ合わせ、ハンバー

      グ、デザート、コーヒー)、持参のふすまパン 1000

  

今日も暑い。9月だというのに何という暑さなのだ!海外に出かける日は、どうゆうわけかランチに「ア

ンシャンテ」に行きたいと思うのだ。今日もそう。あっ、その前にゴミをどっさり捨ててからね。前回はサ

ラダもスープも付け合わせ野菜もデザートも全部断ったが、まぁ今のカラダの成績ならちょっと食べても

よかろうか、と色々食べた。こうしてどんどん自分を甘やかして行くのだね。汗だらだらで帰宅してから

シャワーを浴び、一昨日に続いて9月1週のパクパク日記を更新。やれば出来るじゃん。手荷物準備。

夜 トルコ航空 関空=イスタンブールビジネスクラス機内食

  

トルコ航空は成田からの離発着もあるが、某社大阪支社主催のツァーに参加するので、羽田から関空

へ飛ぶ。ANAを予約して貰ったハズなのだが、バスが連れて行った機材には真っ黒な機体に「SFJ」と

書かれ、スターフライヤーという会社の飛行機だという。いわゆるコードシェア便ということらしい。特に

不都合なことは無かったが、何となくだまされたような感じ。関空には早く着いたので、空港内のスタバ

でお茶を飲みながらキョウコにメール。午後10時半発のトルコ航空に乗り、遅――い夕食にありつく。

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9月 7日(火) アゼルバイジャン・バクーは快晴           1マナート=約107

朝 トルコ航空 関空=イスタンブールビジネスクラス機内食

トルコのイスタンブールまでの所要時間は12時間強、現地時間午前4時40分到着した。未だ真っ暗、

日本との時差は6時間である。バクー行きのゲートが遠く、15日分のふすまパンの荷物がズシリと重

い。スターアライアンスGのゴールドメンバーだから、トルコ航空のラウンジを使うことが出来るのだが、

またトボトボ歩くのもシンドイぞ。約3時間ゲート前ベンチで本を読んだり、ウツラウツラしながら待つ。

昼 トルコ航空 イスタンブール=バクー 機内食

  

     拝火教(ゾロアスター)寺院                 燃える山 ヤナル・ダグ        ピンクの塩湖 マサズィル・ギュル

8時5分発バクー行き。早朝だし、行き先はバクーなので空いているのかと思いきや、ほぼ満席。我々

の席は一番後方なのだった。フライト時間は1時間50分。今日2度目の朝食機内食が出た。トルコとア

ゼルバイジャンとの時差は2時間。現地時間の12時半バクーに到着した。日本でビザを取って来たか

ら入国審査も順調に済んだ。あら、ガイドがいないじゃないの。暑いぞ!え?30度超えている?あぁ。

バスに乗り込んで観光開始。まずは拝火教寺院。ご本尊は寺の真ん中の「永遠の炎」である。紀元前

7世紀頃のイランでゾロアスターが始めた宗教と言う。以前は天然ガスで燃えていたらしいが、現在の

「永遠の炎」はプロパンガスで燃えているそうだ。アゼルバイジャンは「燃える国」という意味。それだけ

天然ガスや石油が豊かな国なのだ。バクー郊外のヤナル・ダグという場所に行ってみると地表の割れ

目から炎が燃えていた。ホテルに行く前、水分にヨード成分が多く含まれているため、湖全体がピンク

に見えるマサズィル・ギュルに立ち寄る。ここで採れる塩は上質で値段も高いのだとか。ピンクの塩だ。

夜 アゼルバイジャン・バクー 「カフカズ・ポイント」 マッシュルームスープ、グリーンサラダ、チキ

       ンソティ、(チーズケーキ)、持参のふすまパン、ビール 5j、白ワイン10j、赤ワイン 10j

  

今日から2泊するホテル 「カフカズ・ポイント」は5ッ星の新しいホテルである。カフカズはコーカサスの

ロシア語だ。部屋がムダに広くてビックリした。午後6時半からホテルの展望レストランで夕食。早速参

加者の自己紹介タイムがあった。ご夫婦3組、女性2人組、女性一人参加4名の計12名。私以外は徳

島、和歌山を含めた関西の方々。まぁそうゆうことやからな、このグループの標準語は関西弁なんよ。

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9月 8日(水) バクーは今日も暑い!

朝 アゼルバイジャン・バクー 「カフカズ・ポイント」 朝食ヴュッフェ

    パンはつぶれたまま修復できず・・・

6時起床。睡眠不足はかなり解消出来た。Sブーとキョウコから誕生日プレゼントの前祝いとして貰った

真空パックんで真空パックして来たふすまパン。ハサミでパックを切った途端ぷくっと膨らむと思ったの

にあららーツブレタまんま!これじゃあ、象3頭に踏みつぶされたパンだよ(涙)。でも味は同じだから。

  

   「殉教者の小道」には犠牲者の墓が並ぶ         バクー旧市街とカスピ海              近代的なビルも建設中

  

                      旧市街にあるシルヴァン・シャフ・ハーン宮殿の外観と内部             宮殿と共に乙女の望楼も世界遺産

アゼルバイジャンの首都バクーは人口300万人、コーカサス地方の最大の町である。日本がスッポリ

入ってしまう程大きなカスピ海の西側に位置し、「風の町」とも呼ばれる。カスピ海は、ここアゼルバイジ

ャン、ロシア連邦、イラン、トルクメニスタン、カザフスタンに囲まれた塩湖であるが、この水域を海とす

るか、湖とするか揉めていて結論は出ていないそうだ。南北を大国のペルシャ(イラン)とロシアに挟ま

れ、翻弄され続けたアゼルバイジャン。一時はこの2国に分割割譲されていたこともあった。ソ連邦崩

壊して、ようやく独立して共和国として歩みだした。しかし、隣国アルメニアとは、ナゴルノ・カラバフ地方

を巡って激しい紛争があり、未だに解決をみていない。「殉教者の小道」を抜けるとカスピ海と世界遺産

の旧市街が一望出来る丘に出た。これがカスピ海かぁ、デカイなぁ。日本が入ってしまうのだから。シル

ヴァン・シャフ・ハーン宮殿で8人の日本人グループと出会った。59日間の旅ですか?長いですねぇ。

昼 バクー「UD カフェ」 サラダ、ポテサラ、前菜、チキンスープ、ラムとビーフのケバブ+(ライス)、

       持参のふすまパン、チャイ+(3種のジャム)

  

旧市街を散策し、乙女の望楼を見学して午前中の観光終了。皆さん暑さで汗ビッショリだ。例年の今頃

のバクーの気温は25度位らしいのだが、今年は5度以上も暑いとか。ここも温暖化の波ですなぁ。ラン

チは新市街のお洒落なレストランで。アゼルバイジャンはコーカサス3国の中で唯一イスラム教の国。

イスラム教は今日までラマダンらしいのだが、リッチなビジネスマン達はモリモリランチをお召し上がり

だ。ガイドの男性はお酒も飲むのだそうだよ。食後は国立絨毯博物館に行く。1967年にオープンした

博物館で、国内各地から集められた絨毯を展示している。入り口で「写真撮影するなら1点1マナート

(約215円)を支払え」と言う。撮影する度に215円?シャッター押すと215円払うのだ。そんなアコギ

な博物館聞いたことあります?全員ムッとして誰も撮影しないことになった。せっかくアゼルバイジャン

絨毯を世界に知らしめる機会でもあったのに、こうした目先の利益を追うけち臭い考えでオジャンね。

  

                  石器時代の素朴な岩絵が残るコブスタンも世界遺産である

バクーから南西に60`車で行ったところに、世界遺産のコブスタンがある。石器時代の人々が、岩に

描いた岩画が6000も発見された。牛や馬などの動物、躍る人々、舟を漕ぐ人々など素朴なものばか

りではあるが、数千年前の作品と思うと「なるほど」感が強い。ここも撮影するなら2マナートと言われた

が、屋外で見えやしないさ、と全員内緒で撮影したのだった。こっちもケチということになるわね(笑)。

夜 バクー キャラバンサライ「ブハラ」 生野菜、チーズ、茄子料理のオバジン、(チャラチというパン)、

       ケバブ(ラム・チキン、茄子とトマト)、ビール 4j、白ワイン7j、赤ワイン 7j

  

   

夕食はそのまま旧市街に戻って、かつてのキャラバンサライ跡を利用したレストランで。今回の旅は、

ここバクーから東トルコのトラブゾンまでシルクロードを辿るというサブテーマも持っている。テーブルに

はアゼルバイジャンの名物料理がズラリと並ぶ。コーカサスの料理は、韓国料理のそれのように前菜

の数が半端じゃない。チーズや生野菜、各種サラダがわんさかと出て来るのだ。メインはラムとチキン

のケバブだ。食事が一段落した頃、男性が火を食べちゃったりする芸を披露した。熱そうだ・・・。次はオ

ヘソを出した女性のベリーダンス。各テーブルの男性諸氏が、「え?俺をご指名?」ってなニカニカ顔で

引っ張り出され、一緒になって腰を激しく振る(つもりでもいいのだ)ダンス。バグーの夜は更けていく。

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9月 9日(木) 晴れ

朝 アゼルバイジャン・バクー 「カフカズ・ポイント」 朝食ヴュッフェ

朝方足が攣ったので、もそもそ起き出してツムラの「68」を飲んだ。5時起床。起床後最初にやることは

血糖値を測ること。先日の血液検査の結果が良かったので自分の判断で血糖値を下げる薬を減らして

いるのだが、結果は安定していてほっとする。スーツケースのパッキングしてからツブレタパンで朝食。

  

         かつての都シャマフ 王朝代々の墓      ラマダン明けで墓参りの人々            ゴブスタン高原の眺め

チェックアウトして8時半出発。大型バスに12人+添乗員のKさんとガイド氏が悠々と座る。今日は一

番後ろの席を陣取ったが、走り出すともうウトウト。ハッと気がつくとゴブスタン高原を走っていて見える

ものは雄大な丘ばかり。やがて人口8万5千人のシャマフの町に到着。かつてはここが都であったのだ

が、大地震があった後、バグーに都を移したのだ。ラマダン明けらしく、墓参りをする人がたくさんいた。

昼 ムガル峠 「シャラディン」 生野菜、チーズ、茄子、ピクルス、米と野菜のスープ、ドルマ(野菜

      の肉詰め料理)、持参のふすまパン

  

  

11時半、コーカサス山脈も眺められるレストランに到着した。うーむ、素晴らしい眺めだ。風もそよそよ

と気持ちが良いぞ。ベランダの食卓に並べられたたくさんの料理は野菜がどっさり。スープには米がし

っかり入っている。コーカサス地方の名物料理ドルマはトマトやピーマン、茄子などにひき肉を詰めた

料理だが、このひき肉にも米が混じっていてね・・・・。皆さんは美味しそうにお召しあがりだが、糖質オ

フの私は困るのだ。話は変わるが、このレストランのトイレは洋式でとてもきれい。道中入った公衆トイ

レがあまりに汚かったので「ここのトイレ持って行きたい!」とつい叫んでしまう。女性は皆うなづいた。

  

         1761年にハーンの夏の宮殿として造られたシェキハーン宮殿 ステンドグラスが素晴らしい!

バスはひたすら西に向かって走っている。万歩計はバスが揺れる度に私が歩いていると思い込み、カ

チカチと数字を数えている。私はまたウトウト寝ている・・・・・。5時前ようやくシェキに到着したのだが、

旧市街に入る道が工事中で通行禁止。ならばと別の道を行くと、何とお葬式をやっているので大型バ

スは通れない。仕方なく、バスを降りて小さな車で数人づつピストン輸送して貰うことになったのだが、

その車までエンストして・・・最後に残った私達は急遽タクシーでシェキハーン宮殿に行ったのだった。

旅はいろいろありますなぁ。釘を1本も使用しないで建てた宮殿のステンドグラスが印象的であった。

夜 シェキ 「サライホテル」 ディナーヴュッフェ ビール 3j、白ワイン 4j×2杯

    あら?スイカ食べていいの?

ホテルに到着したのはもう7時前だった。簡素なホテルと聞いていたが、バスタブもあるし、お湯も出る

しでひと安心。夕食は私のキライなヴュッフェだったが、スープが美味しかったので許してやるか。同じ

テーブルにガイドのL氏が座る。今晩は彼も同じホテルに宿泊するので赤ワインを注文していた。以前

トルコを旅した時のガイドとドライバーはラマダンの最中でも一緒に食事をし「私らはこして地獄に落ち

るのです」と引き攣った笑いを浮かべていたが、L氏全く動じずに酒を飲む。ムスリムもいろいろある。

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9月 10日(金) 曇り時々晴れ            1ラリ=約47円

 シェキ 「サライホテル」 朝食ヴュッフェ

5時起床。今日はアゼルバイジャンからグルジアへの国境越えがあるから緊張する。バスも替わるか

ら、スーツケースを自分で引っ張って国境を越えねばならない。手荷物にしていた真空パックのパンも

無理やりスーツケースに詰め込む。どうせペッちゃんこなのだからどうってことないや。朝食を済ませ、

815分出発。ホテルのすぐ近くの市場で10分だけ見学。活気ある市場で皆さんピンクの塩を買わ

れていた。高価な塩と聞いていたが、1`入りの塩2個で1jだってさ。猫がたくさんいて楽しそうだ。

昼 グルジア・テラヴィ 民宿レストラン グルジア家庭料理の数々

  

  

国境には1045分に着いた。出国手続きはガイド氏がパスポートをまとめて申請した。暫らく待つと

アゼルバイジャンの国境係員がバスに乗り込んで来た。添乗員Kさん「はーい、皆さん笑顔で!」。皆

ニカニカ笑う。「アルメニアに行ったか?」「NO!!!アルメニア?何それ?」「じゃあ通って良い」「ほ

っ・・・・」。ギリギリのところまでバスは行ってくれたが、そこからはスーツケースを引っぱって歩かねば。

一人ひとりグルジア側入国手続き。写真を撮られて判子をバンと。手続き終了。グルジアのガイドD

んが待っていた。全員の手続きが終ってグルジアのバスが発車するまでぴったり1時間。順調だった

ね。アゼルバイジャンとグルジアでは時差が1時間。1時間経ったが、またもや午前1045分であ

る。国境付近にはトイレ無し。もっと先にも無し・・・・。トーゼンのことながら青空トイレとなる。ランチは

ワインで有名なテラヴィの民宿で。お婆ちゃんが丹精したグルジアの家庭料理がズラリと並んだのだ。

 

       60数軒あるワインセラーの中から「GWS」を見学。東グルジアでは穴の中にぶどうの甕を入れワインを造る

            昨日からぶどうの収獲が始まったばかり。トラックで次々とぶどうが運ばれて来る

食後はワインセラーの見学に行く。最も古いワイン造りを証明するものは、メソポタミアの先住民である

シュメール人が残した約6千年前の壺というのが定説というが、ここグルジアに来ると「最初にワインが

造られたのはここです!」ということになる。どっちがホントかはわからないが、ま、ここでも相当大昔か

らワインが作られたのは間違いないようだ。その証拠に、コーカサス地方が原産地であるものに、ぶど

う、梨、すもも、プルーン、りんご、さくらんぼうなどがあると言う。「クレオパトラに愛されたグルジアワイ

ン」である。「GWS」というワインセラーを見学する。昨日からぶどうの収獲が始まったところで、ぶどう

を満載したトラックが次々とやって来て、巨大な処理施設にぶどうを落として行く。さて、試飲である。白

2種と赤2種、そして「チャチャ」というウォッカを飲んだ。6jから18jという安さで、皆さんドライからセ

ミスィートまでお好みのワインを買われていた。私ですか?いえいえ、買いません。家では飲まないし。

 グルジア・トビリシ 「シェラトン・メヒテ・パレス」 スモークチーズとピクルスの前菜、魚料理、

      私だけケーキ代わりのヨーグルト、持参のふすまパン、3点セット

   

首都トビリシまでロングドライブ。途中でトイレ休憩したのだが、そこで入ったトイレに一堂びっくり!トイ

レ個室の扉が無い!!!つまり、昔の中国(今も地方ではそうだけど)と同じ「ニーハオトイレ」なので

ある。3つのトルコ式便器には仕切りがあるのみ。コーカサス地方はトイレが少ないから青空トイレにな

ることが多いとは聞いていたが、グルジアのトイレには扉が無かったかぁ・・・・・。6時半トビリシのシェラ

トンホテル着。5ッ星ホテルである。先刻の扉無しトイレとはうって変わって、上品な雰囲気でディナー。

オホホざますわね。久々携帯電源を入れてみるとマキコからメールがたくさん入っていた。宴会の話。

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9月 11日(土) 雨 一時曇ったり晴れたり

 グルジア・トビリシ 「シェラトン・メヒテ・パレス」 朝食ヴュッフェ

    朝食ヴュッフェも5つ星です

今日は晴れて欲しいと願っていたのに、昨夜からビシャビシャと雨が降っていた。ガイドの話では、この

3ヶ月間グルジアには全く雨が降らなかったそうだ。よって恵みの雨らしい。朝起きてみると・・・やっぱ

り雨かぁ。7時過ぎ、トビリシの町を一望できる展望レストランで朝食。シェラトンだから、アメリカンスタ

イルのヴュッフェである。果物禁止の身であるが、旅行が始まったばかりのバグーでスイカをつい食べ

てしまって余りの美味しさに止められなくなった。それほどこちらのスイカは甘くて旨い。今朝も食べた。

  

        ジンヴァリ貯水湖を見下ろすアナヌリ教会は要塞建築。2つの教会は17世紀に建てられた

チェックアウトして9時出発。今日はグルジア観光の目玉の一つ、軍用道路のドライブなのだ。グルジア

軍用道路とは、帝政ロシアが南下政策のために1799年建設したロシア・ウラジカフカスとグルジア・ト

ビリシを結ぶ210kmの街道のことで、現在軍事用に使用されているわけではない。しかし、グルジアと

ロシアとの間には南オセチア問題で一触即発という状態であり、今後のことはわからんなぁ。ま、それ

はともかく、大コーカサス山脈を越えていく街道はプーシキンも愛したと伝えられ風光明媚なことでも有

名だ。しかし、雨と濃霧のためほとんどその景色も見えずガッカリ。しかし1時間半もすると一時雨が止

み、トビリシの水源であるジンヴァリ貯水湖とアナヌリ教会を見学することが出来た。でもまたすぐ降っ

て来ちゃってね。高度をぐんぐん上げて行くから、気温も下がる。早くも紅葉している木々も見えるぞ。

昼 グルジア・グダウリ 「スポーツホテル」 ランチヴュッフェ

    ランチは1時間のヴュッフェ

標高2000m近くには高い樹木はすっかり姿を消す。急な斜面に人家も見えて来て、ちょっと賑やかな

感じ。ここはスキーリゾートのグダウリなのだ。え?ってことは今夜泊まるところだ。お昼なのに、もうチ

ェックイン出来るんですかぁ?スポーツホテルという名前のホテルおとても簡素な部屋に昼食前に入る

ことが出来た。標高2000mでも何となく息苦しいような感じだ。午後1時からランチヴュッフェ始まる。

  

               軍用道路で標高が一番高いのは2395mの十字架峠の近くにドイツ人の墓があった  天然のミネラルウォーターが湧いている

   

         雨が止んで青空が見えて来た。雄大な軍用道路の風景  カズベキの町からカズベキ山が見えなかった・・・

昼食を済ませてから軍用道路ドライブを再開する。相変らずの濃霧で何も見えない中を進んで行くの

だ。ここが軍用道路で一番高い場所です、とバスを下りる。11世紀グルジア王ダヴィッド4世がイスラム

国の北オセチアとの境界とするために十字架(ジュヴァリ)を立てたことから十字架峠と呼ばれるように

なったという。ゆるゆると坂を降りて行くうちに、雲が薄くなりようやく青空が見えて来た。なるほど、素

晴らしい景色ではないか。やがてカズベキの町に到着。バスを下りると、ヒマそうにしていたカズベキの

男達十人ほどに囲まれる。「タクシーはどうだい?」「馬に乗らないか?」「結構です!」。運が良いとこ

こからコーカサスの最高峰カズベキ山(5047m)が見えるというのに残念ながら今日は見えない(涙)。

夜 グルジア・グダウリ 「スポーツホテル」 ディナーヴュッフェ ビール 2j、白ワイン 8j、赤

      ワイン 9j

    このホテルは3食ヴュッフェです

復路は途中まで青空だったが、十字架峠辺りに来るとまた霧に包まれた。壁画のある展望台を観に行

った人達は標高が高いから息も絶え絶えで戻って来られた。同じホテルには他に2つの日本人グルー

プも到着して、食事時間はまるで「ここは日本か?」という風景。こんな田舎なのにワインがえらく高い。

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9月 12日(日) 曇り

朝 グルジア・グダウリ 「スポーツホテル」 朝食ヴュッフェ

    朝も簡素なヴュッフェです

雨は止んだが今日も曇り空だ。3食ともヴュッフェだったこのホテル。朝食開始は8時とエラク遅い。ス

キーシーズンにはヨーロッパからお客が来るというが、こんなサービスでも満足は得られるのだろうか。

そうそう朝食前には停電だったし。910分出発。途中で昨日も立ち寄った簡素なホテルのトイレを借

りる。「3連チャンニーハオトイレ」だが参加者もだんだん慣れて来てショックも薄れたみたい。慣れね。

  

     古代イベリア王国の都だったムツヘタは世界遺産。スヴェティ・ツホヴェリ教会では日曜日のミサが行われていた

  

              聖人ニノが十字架を立てたジュワリ(十字架)教会は丘の上に建つ。結婚式の若者達

紀元前4世紀から5世紀、グルジア南東部にはイベリア王国があった。その都はトビリシの北20`ほ

どの川のほとりムツヘタにあり、街ごと世界遺産となっている。ムツヘタは古都でもあるが、グルジア人

の信仰の中心地でもある。磔刑にあったキリストの上衣の一部が埋められた場所に建つスヴェティ・ツ

ホヴェリ教会に行くと、日曜日のミサが行われていた。グルジアで最古の教会だが、今の建物は11

紀頃再建されたものだ。スヴェティ・ツホヴェリとは「命を与える柱」という意味と聞いた。その教会から

向こうの丘にポツンと教会が見える。ジュワリ教会である。教会の建つ丘の上からはムトゥクヴァリ川と

アラグヴィ川に挟まれたムツヘタの街が一望出来る。この国日曜日が結婚式を挙げる曜日のようだ。

昼 トビリシ 中華「ジャンガン」 コーンスープ、酢豚、鶏とカシューナッツ炒め、野菜ときのこ、ほう

    れん草と椎茸、(炒飯)、持参のふすまパン、果物(バナナ・無花果・パイン)のフリッター、ジャスミン茶

  

  

首都トビリシに戻る。ランチは中華レストランだ。「グルジア風中華ですから期待しないように」とKさん

が言うが、まぁこんなものでしょう。材料が違っても、どの料理も同じような味がするのはご愛嬌だ。一

番豪華で評判が良かったのは、各種果物のフリッター。バナナやパイナップル、無花果がふわっとね。

           ハマムの近くにはモスクもあった       グルジア正教会の総本山シオニ大聖堂     ムタツミンダ山の観覧車に乗った   

午後最初の観光は国立美術館の宝物館。かつては神学校だった建物に入っているが、その神学校に

は悪名高きスターリンも通っていたのだと言う。宝物館は一時に10人以下で予約せねばならない。イ

コンやグルジア黄金時代のタマラ女王が身につけていた宝石が展示されていた。待ったわりには・・・と

いう感じもしたが。この美術館には、加藤登紀子が歌った「百万本のバラ」に出て来る貧乏画家のモデ

ルとされるピロスマニの作品が展示されていたが、今は別の場所に移されたそうだ。その昔ゴーリキー

が幽閉されていたというメヒテ教会を見学した後は徒歩で旧市街のハマム、シナゴーク、シオニ大聖堂

を見学。夕方にはムタツミンダ山の完成したばかりの観覧車に乗ってトビリシをジロジロと眺めたのだ。

夜 トビリシ 「何とかという民族音楽のレストラン」 米と野菜のスープ、生野菜、サラダ、シシカバ

     ブ、(豆料理)、ビール 2j、赤ワイン

  

夕食は市内のレストランで。グルジアの宴会は一つのテーブルに座り、お誕生席には「タマダ」という宴

会部長が座る。タマダが乾杯と音頭を取れば、宴席では何度も唱和して乾杯するのだ。今晩の宴会部

長タマダには、グルジアの民族曲を歌う男性コーラスグループ4人の一人が座られ、一緒に飲み、一

緒に食事した。そして唄ってくれるのだ。素晴らしいハーモニー。食べるものは少なかったが良い晩だ。

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【今週の振り返り】

旅の前に「「コーカサス地方に行く」と言うと、多くの人は首を傾げた。「コーカサス?サーカス?ん?」。

それではと、「アゼルバイジャン、グルジア、アルメニアですよ」と丁寧に言ったつもりだが、「ゲゲッー、

何それ?」は大袈裟な人だったが、ほとんどが「世界のどのヘンにあるのでしょう」と戸惑いはやっぱり

消えないのだった。じゃあ、つけ加えます。「カスピ海知っていますか?黒海知っていますか?カスピ海

と黒海の間にある3つの国をコーカサス地方と呼びます」。ふぅ・・・・。

アゼルバイジャン共和国はカスピ海の西南岸に位置し、ロシアとグルジア、アルメニア、イランに囲まれ

た国(飛び地はトルコにも)だ。人口900万人、首都はコーカサス地方最大の都市でもあるバクーであ

る。他の2国はキリスト教だが、アゼルバイジャンだけはイスラム教。天然ガスや石油など天然資源も

豊富で、アゼルバイジャンの別名「オドラル・ユルドゥ」は「火の国」という意味である。

2007年に惜しまれながら亡くなった世界的チェリストのムスティスラフ・ロストロポーヴィチの両親はロ

シア人であるが、生まれたのはアゼルバイジャンである。第二次世界大戦が勃発する12歳まで首都

バクーで過した。ダイナマイトを発明し、その莫大な遺産を使って運用されているノーベル賞で知られる

アルフレッド・ノーベルはスウェーデン人であるが、兄のルードヴィとロベルト共にバクーに「ノーベル兄

弟石油会社」を設立して、暫らく同地で働いたそうだ。余談だが、ダイナマイトとはギリシャ語で「力」を

意味するのだそうだ。バクーの旧市街には優雅なヨーロッパ調の建物があり、その1つはホテルで、第

二次世界大戦時、フランスのシャルル・ドゴール将軍が2ヶ月間滞在していたと聞いた。

2006年にはBTCパイプラインが開通。バクーとグルジアの首都トビリシ、トルコのおジェイハンを結

1770kmで、日欧米企業が出資し、日量100万バレルの輸送能力を持っている。更に3300kmの

「ナブコ」というガスプロジェクトが2013年の完成を目指しているのだそうだ。

ロシアとイランとは過去の歴史があるだけに、複雑な感情は否めないものの表面上は正常らしい。グ

ルジア、トルコとは友好的だ。しかし、ナゴルノ・カラバフ地方の独立問題を巡って、アルメニアとはナゴ

ルノ・カラバフ戦争がかつてあり、互いに大きな犠牲を出した。現在も紛争状態は続いていて、アルメニ

アとの関係は極めて悪い。

私の一番好きなバレリーナの一人、ニーナ・アナニアシビリはグルジア人である。首都トビリシに生まれ

13歳から才能を認められてボリショイ・バレエ学校に移った。ロシアのボリショイ・バレエ団で20年以

上プリマ・バレリーナを、ABT(アメリカン・バレエ・シアター)でプリンシバルを16年も務めた。2004

にはグルジア大統領に依頼されて、低迷する母国グルジア国立バレエ団の芸術監督に就任した。超

一流のバレリーナには珍しく一男一女をもうけながらも踊り続け、グルジアバレエ団を率いた日本での

公演をため息と共に観た私は、「よし!グルジアに行こう!」と決意したのだ。

北海道より少し小さい国土を持つグルジアは、人口430万人、55%が農業に従事する農業国である。

特にワインが有名だが、プルーンの故郷でも知られ、カスピ海ヨーグルトを食べるグルジアの人々は長

寿でも知られる。そう、長寿村コーカサスである。グルジアの平均寿命は、女性が83歳、男性が75歳

と聞いた。グルジアの国名は、キリスト教国の守護聖人聖ゲオルギウスに由来する。

他の2国と同じく、多くの帝国の支配下の時代を経てから、グルジアはソ連邦の一部であったが、ソ連

の崩壊と相前後して独立。その後は反ロシアの立場を鮮明にして、親EU・親米路線を打ち出した。し

かし、ロシアは「はぁ、さいですか」と傍観するわけには行かない。グルジアにはロシアからヨーロッパに

繋がっているパイプラインが通っている。ロシアの南玄関ともなる黒海にも面しているグルジアなのだ。

ロシアにとってもグルジアは重要な国なのだ。しかし、グルジア民族主義を強調すればするほど、グル

ジア国内の少数民族の意識も刺激してしまった。南オセチア地方が独立すると宣言してグルジアと揉

めている。ロシアは南オセチアの独立を認めたりするからややこしい。2年前北京オリンピック開会式

が行われた8月8日、ロシア軍がグルジアのゴリを爆撃した・・・・・。現在グルジアはロシアと国交断絶

状態である。

皮肉なことに、ロシア軍が2年前に爆撃して大きな被害を受けたゴリは、長くソ連の最高指導者であっ

たヨシフ・スターリンの生まれ故郷なのである。来週、そのゴリに行くことになっているので、詳しくは来

週ね。その他、グルジア人で知られているといったら、大相撲の黒海、栃ノ心、臥牙丸がいる。しかし、

あの優雅なバレリーナのニーナ・アナシアシビリと、グルジアの扉の無いニーハオトイレがどうも一致せ

ず頭は混乱しておるが、ま、次回またってことで。

            この人、ずいぶんトイレにこだわるニャア

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              次週分のパクパク?はーい、なる早でねー。