パクパク日記11年3月2週
温泉で「ぷっは〜」と言っていたら、3月11日未曾有の巨大地震が!!!
由布院玉の湯
3.11、3.12朝刊
3月 7日(月) 雪 のち 曇り
朝 家食 京都・京大和ローストビーフ・出汁巻、「近為」の柚子こぼし、味噌汁、ふすまパン、りんご
今朝までは京都の味
7時起床。既に冷たい雨が降っている。昨夜前原外務大臣が辞任したそうで、新聞もテレビもトップニュ
ースだ。京都から買って来た食材と実だくさん豚汁作り朝食を済ませる。朝からの雨は雪に変わった。
生まれ故郷新潟の雪のようにボタボタと降るぼたん雪。こんな時でかけるのはイヤだけど仕方ないね。
昼 九段南 「らいむらいと」 チーズハンバーグ(250g)ランチ(サラダ、ライス、飲み物付き)
1570円、持参のふすまパン
市ヶ谷の弁護士事務所を訪問。小1時間で用件は終わった。事務所を出ると雪は止んで雨に変わって
いた。今日はランチ場所として行きたい店がある。6年前まで2年弱働いていたひらがな会社時代、よく
行っていたハンバーグの店に行きたい。確か店名は・・・「らいむらいと」だったな。このヘンじゃなかった
かしら・・・あら、目の前にあったぞ。2年前増設して地下席もあった。近所にある「ぐーばーぐ」もそうだ
が、この店はハンバーグの大きさを50g単位で指定出来る。香港のK岩に叱られるが250gにしちゃお
うっと。しかもチーズ乗せね。ハンバーグだけでなく、ここはご飯も美味しかった。しかし今は食べんよ、
パン持って来たし。「らいむらいと」のハンバーグは、「マイハンバーグベスト3」に入れていたのだが、
久々に食べてみるとソースの味が濃く、ニンニクの匂いが強過ぎるように感じた。ハンバーガーにした。
夜 銀座 「分 左近太郎」 8千円の京錦コース(前菜:本日の前菜三種盛り、向付:お造りの盛り合わ
せ、揚物:海鮮かき揚げ、 冷製:聖護院大根の粕汁
冷製仕立て、焼物:鰆の幽庵焼き、焚物:季
節野菜の焚き合せ、強肴:手長海老と和牛サーロインのオーブン焼き、食事:帆立と雲丹の炊き込みご
飯、京都のお漬物と赤出汁、甘味:季節のデザート盛り合せ)、ビール、麦焼酎「兼八」 @1万円
夜東銀座に行く。歌舞伎座が建設中の今、松竹歌舞伎の本拠地は新橋演舞場に移ったからよく来る
地域である。今日会場に指定された「分 左近太郎」は、昨日まで滞在していた京都のハーヴェストホ
テルの1階にグループ店が入っているし、先週金曜日に行った「やました」の数軒隣に本店があった。
今晩はこの店の座敷で、かつてのお取引先S木さんの快気祝いをしようと4人が集まった。S木さん、
全快おめでとうございまーす!え?お酒は控える?私らはじゃんじゃん頂きますから。このメンバーだ
と自然に昔話に花が咲き釧路を思い出す。特にS藤工場長の話になると目頭熱くなりますなぁ。帆立と
雲丹の炊き込みご飯はI親びんに3分の2食べて貰い(テヘ)、デザートは完食する夢子でありました。
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3月 8日(火) 晴れ
朝 家食 スパイシーチキン、ふすまパン、リメイク実だくさん豚汁、低糖ヨーグルト、りんご
豚汁熱は未だ続いている
朝食を済ませてから歯を磨く。今日はこれから歯医者に行くから、念入りにね。昔から一切化粧はしな
いが、唯一口紅だけはつける。今日は歯医者に行くのだから口紅はつけないのよ!と何度も自分に確
認した。ハッと気がつくと、真っ赤な口紅をつけてしまった。アホかぁ!さぁ乃木坂に急ぐよ、タクシー!
昼 六本木・東京ミッドタウン 「肉のスギモト」 ローストビーフカレー 1580円、持参のふすまパン
ご飯は100粒だけ
歯科医には特段悪い箇所が無くても半年に一度は歯石を取って貰いに行くのが習慣だった。ところが
旅だ、メシだ、旅だ、メシだなんて言っている間に(どーゆーこと?それ!)いつの間に9ヶ月も過ぎてし
まい・・・。「正直、こんな手強い歯石も珍しいかも」と歯科衛生士さんがテコヅッテおられた。すまなかっ
たな。終わるとちょうど昼メシ時。歯がピッカピカになったのでお洒落な東京ミッドタウンにでも行ってみ
っか。「肉のスギモト」でローストビーフカレーを注文。ローストビーフの脂肪は外し、ライスは100粒位
にしてふすまパンをカレーにつけて食べる。名古屋の店らしいが、隣の平田牧場よりずっと旨いぞ!!
午後のお茶 六本木 「スターバックス」 カプチーノ 380円
夜−1 銀座 「牛庵」 ステーキとしゃぶしゃぶコース7875円(牛肉佃煮、鱸の刺し身、牛たたき、ヒレ
のステーキ、神戸牛霜降りしゃぶしゃぶ、うどん、シャーベット)、牛肉追加、生ビール、麦焼酎「影
武者」ボトル 4500円 @1万5千円
先週京都に滞在している間にSブーと食事をする約束をした。彼女と2人で食事となると、希望を聞か
ずとも「肉!」であることがわかってしまう。京都から銀座の「牛庵」を予約。その旨をメールで伝えると
「嬉しい!牛1頭食べたい」と返事が来た。オソロシイ・・・。今夜がその日だ。メニューを熟読していたS
ブーが「ステーキとしゃぶしゃぶを両方食べられるコースがあるんですねぇ」。はいはいわかりました、
それにしましょう!鱸の刺し身が途中入ったものの、牛肉佃煮、牛たたき、ヒレステーキ、神戸牛しゃぶ
しゃぶと肉のオンパレードである。トーゼンしゃぶしゃぶ肉はお替り!その上Sブーはうどんもお替り!
夜―2 銀座・マリオット銀座東武「光琳」 氷点下のスーパードライ、グレンフィディック、野菜のバーニ
ャカウダー @2700円
どこまで行く、この2人
これだけ食べても「もう1軒行きましょう」というSブーの食欲オソロシイ。焼酎をほぼ1本一人で飲んで
しまった後ホテルのバーでビール、ウィスキーを飲む私の酒量がオソロシイ。こんな2人でいいのか!
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3月 9日(水) 晴れ ぽっかぽか
朝 家食 味噌雑炊、りんご
さすがに今朝はちょいと二日酔い気味である。それでも主に焼酎を飲んでいるので、日本酒中心だっ
た頃のそれと較べると雲泥の差だ。ビール、日本酒じゃんじゃん、その後ウィスキーかジンというかつて
の酒パターンの二日酔いは午後5時頃まで引きづっていた。今は味噌雑炊食べた頃にはすっきりね!
昼 四谷駅 「スープストックTOKYO」 カレーセット(カレー、オマール海老のビスク(小)、アイスティ) 1100円
カレーのご飯はちょっとだけ
午前中イテテ系のエステに行った。今日はホントにイテテで、ずっと「イテテ!イテテ!」と痛がってい
た。2時頃遅い昼食。元来の汁モノ好き、スープ好きなのにナゼか一度も行かなかった「スープストック
TOKYO」。どうして行かなかったのか。わからん。ふとその気になって四谷駅の店に行く。メニューをジ
ロジロと眺める。ウーム、なかなか選択が難しい。悩みに悩んで「カレーセットご飯極小量」を注文。ス
ープはいろいろ魅力的ラインナップだが、オマール海老のビスクを注文。ふーん、こうゆう味なのかぁ。
夜 家食 麻婆豆腐、黒毛和牛のメンチカツ、サラダ、トマト、豚汁、ふすまパン、りんご
まさかこんなに苦労するとは・・・
四谷三丁目まで歩いて帰り、「丸正」で買い物。明日から由布院に行くので、意地でもパクパク日記の2
月3週分を作成してアップしなければならんな。四谷駅に出来た「成城石井」で仕入れた麻婆豆腐やメ
ンチカツなどでカンタン夕食。食後日記を仕上げて11時半頃アップ作業を始めたのだが、どうゆうわけ
かガチャガチャになってアップ出来ん。やり直すこと十数回!よくもこれだけの回数やったものよ、と自
分を褒めたい気持ちになる位奮闘してアップに成功したのは深夜2時前だった。脱力したぞ!無酒日
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3月 10日(木) 東京も由布院も晴れ
朝 家食 チーズカツ、サラダ、トマト、ふすまパン、りんご、お茶
寝不足でーす!
結局昨夜寝たのは3時だった。さすがに今朝は眠い!せめてもの救いは今日の飛行機が朝早くなか
ったことだ。7時過ぎに起きて、朝風呂。朝食と共に飛行機の中で食べる弁当も作る。10時過ぎ出発。
昼 JAL機内にて 持参の弁当 メンチカツバーガー、「成城石井」のコーヒーゼリー
午後のお茶 由布院 ・玉の湯「ティールーム ニコル」 「神戸にしむら」のコーヒー 500円
由布院御三家の玉の湯
亀の井別荘の入り口
柚子練りは冬〜春のお茶請け 日本一お祝いお花が客室に!
大分空港からレンタカー。オジョーの運転で50分走ると盆地の由布院に到着する。道に迷ったふりを
するのもお約束で「亀の井別荘」に到着。部屋に落ち着いてしまうと出るのがイヤになりそうで、挨拶も
そこそこにそのまま散歩に行く。お天気は良いのに風はかなり冷たい。意味も無く歩いて歩数を稼ぎ、
お茶をするなら由布院御三家の1つ「玉の湯」でお茶しましょうか。「ニコル」だ。いつだったかこの宿に
も泊まりに来たことがあったなぁ。「ニコル」の女性スタッフはとても感じが良い。売店にも寄ってみた。
夜―1 由布院・亀の井別荘 「蛍火園」 初春の膳(酒肴のいろいろ:アボガド豆腐・自然薯揚げ・チー
ズの味噌漬け・カラスミ大根・酒粕炙りジャムサンド・さつま芋、春の天ぷら:カンゾウと公魚、平
目・鯉・・イカのお造り盛り合わせ、軍鶏地鶏スープの小鍋仕立て、豊後水道鰆の柚庵照り焼き、
新若布とタケノコ菜花、黒毛和牛(佐賀牛)のクスリ研掘焼き、自然薯つみれと野蒜の酢の物、手
打ち蕎麦、味噌汁、漬け物、りんごコンポート、黒豆カンテン、水出しコーヒー)、生ビール 600円
×2杯、麦焼酎「二階堂」ボトル 2500円
「亀の井別荘」に戻って洋室の客室に行ってみるとサプライズが待っていた。何と1月3日のライスボウ
ル日本一を祝う立派なお花が用意されていたのだ。カードには「スタッフ一同」とあった。あれから南極
に行ったり、ボリビアに行ったりですっかり忘れていた嬉しい日本一を「亀の井別荘」のスタッフの方々
は覚えていてくれてこんな形にして下さった。お花ももちろん嬉しいがそのお気持ちが嬉しい。皆さん、
本当にありがとうございました!温泉でぷわーっと(私は一瞬、オジョーは1時間)した後、楽しい夕食。
コースの前にカンゾウと公魚の春の天麩羅が振る舞われた。生ビールを飲む私の向こうで、オジョーは
ノンアルコ−ルビールを飲んでいる。楽しいね、嬉しいね、また「亀の井別荘」に来られたね。あらら?3
ヶ月前も2人で来ましたかぁ。この宿は何度来ても、この料理は何度食べても飽きることが無いのよ。
夜―2 由布院・亀の井別荘 客室にて 麦焼酎 「兼八」
焼酎ボトルはきっちり半分飲んだ。明日の分が足りなくなるとイケナイし。じゃ別に「兼八」を部屋にね。
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3月 11日(金) 由布院は晴れ 午後2時46分東北関東地方にM9.0の巨大地震が!
朝 由布院・亀の井別荘 「蛍火園」 サラダヴュッフェ+洋朝食膳
6時45分起床。オジョーはいつものように大浴場に行き、私はいつものように部屋の風呂に入る。この
宿は部屋風呂もちゃーんと温泉なのだ。大きな檜の湯船に昨夜からチョロチョロ入れていた温泉がた
〜っぷり。ざぁ〜(お湯が溢れる音)。あ〜気持ちよかぁ。連ドラの「てっぱん」を観てから、8時16分か
ら朝食。今朝は洋食をお願いしている。ほう今回はサラダや和風のおかずはヴュッフェなのね。旨い!
昼 由布院 「陽だまり食堂」 陽だまり定食 1050円
今日も由布院の象徴・由布岳が美しい
由布院のランチはいつも「陽だまり食堂」 お得な陽だまり定食
今日われわれ二人に予定は何も無い。お昼ご飯はお気に入りの「陽だまり食堂」に行くんだろうな、で、
夕食は6時半からしゃぶしゃぶコースをお願いしているという以外な〜にも予定は無いのだ。会議も来
客も営業のアポイントも原稿の締め切りもな〜にも無いって素晴らしい!え?アンタ仕事とっくに止め
たんだからそんなことカンケーないっしょ!あ、はい。しかも場所は素朴で雄大な景色が楽しめる由布
院だし、お天気はぽっかぽか陽気。そんな中でわれわれは何をしていたかと言えば腹を空かせるため
だけの無駄なドライブを繰り返し、道の駅をうろうろし・・・。空きました!お腹。早速JA直販所に併設さ
れている「陽だまり食堂」に行く。大分郷土料理の鶏天、だんご汁が両方ついて、そこに牛蒡コロッケや
小鉢もある陽だまり定食はボリューム満点!ご飯は2口食べただけだけどチョー満足のおふくろの味。
午後のお茶 由布院・山荘無量塔 「Tan‘s Bar」 コーヒー 700円(ご馳走になった)
オジョーが食べたPロール
由布院御三家の1つ「山荘 無量塔」の「Tan‘s Bar」。落ち着いた佇まいにチェロの音が流れる
長年「陽だまり食堂」に通っているが、今日は若い女性観光客グループもいて混んでいた。もしかして
パクパクが集客に寄与していたりしてね。アハハ。オジョーは「昨日は玉の湯にお茶を飲みに行った。こ
うなったら無量塔に行って由布院御三家を制覇したい!」と言い出した。へい、それでは行きましょうか。
「山荘無量塔」は山の中腹にあり、ケーキショップの「B−Speak」以外の施設、美術館の「artegio」や8
つの独立した離れ客室などがこの辺りに点在している。その1つ茶寮柴扉洞と併設されているのが
1992年オープンした「Tan‘s bar」である。新潟の古い民家を移築した建物で、何と言っても有名なの
は1934年製の赤い劇場用スピーカー。そのスピーカーから流れて来るのは無伴奏のチェロ曲で低く
優しい音色が建物の隅々に響き渡る。1200円のPロールセットを注文し、悠に2個分はあるぶ厚い
Pロールをペロリと食べた。恐れいりやした。2時半過ぎに亀の井別荘に戻ってその足で「談話室」に行く。
トイレから出た時、オジョーが「今揺れましたよね。ちょっと待って下さい。わぁ!東北で震度7ですよ。こ
れ大きいですよ。部屋に戻ってテレビ観ますね」と急いで客室に戻って行った。トイレに入っていて、ゆ
らっとも感じなかった私は、暫らくして部屋に帰る。途中で会った宿の人が「お台場が燃えています」。
夜―1 由布院・亀の井別荘 「蛍火園」 しゃぶしゃぶ膳(前菜:ぜんまい・プチベールと蕨の白和え・
胡麻豆腐、鮪のお造り、若竹汁、別府湾の車海老塩焼き、豊後牛しゃぶしゃぶ(肉超大盛り!)、
手打ち蕎麦、味噌汁、漬け物、柚子ゼリーとアイスクリーム)、生ビール600円×2杯、麦焼酎「二
階堂」
こんな時にご馳走食べてすまん!
テレビの画面はお台場の火事と九段会館から運び出されたケガ人の姿だった。首都圏の電車はすべ
て止まっている。地震は東北では無くて東京なのか?いやいや違う!マグニチュード8,4(当初はそう
ゆう発表だった)の途轍もない地震はやっぱり東北だった。しかも広範囲の東北らしい。暫らくして映し
出された映像に言葉を失った。太平洋に面した東北の町が次々と津波に呑み込まれて行く。波は寄せ
ては引くものだ。しかし、巨大な津波はどこまでも何キロも押し寄せ続けて船を押し上げ、車を流し、家
を流し、町を流して行く!仙台空港も泥に呑み込まれた。これはジオラマではないぞ。実像なのだ。そう
だ!姪のカオルと夫のM山クンは仙台に住んでいる。電話通じない。彼女の実家兄宅も通じない。夕
食はいつものご馳走が並んだがどのテーブルも沈み切っている。何と今朝仙台空港から由布院に入
られた方々がお客の半分を占めていたのだ。帰ろうにも帰る手段が無く焦っておられる。そうだよね。
夜―2 由布院・亀の井別荘 客室にて 麦焼酎 「兼八」
姪にはメールしたが返事は無い。大地震と津波の被害は留まるところを知らず、惨状は目を覆うばかり
だ。千葉県市原市では石油基地が燃え続けている。東北のある町では炎がすべてを燃え尽くしている。
首都圏はすべての交通手段がストップし、帰宅難民となった大勢の人々が夜の町を歩いているという。
何人かから安否を尋ねるメールが来る。エレベーターが止まった40階ビルから30分かけて下り、3時
間歩いて帰宅したというメールもあった。東北の人々は死と戦い首都圏の人も戦っている。胸が痛む。
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3月 12日(土) 由布院も東京も晴れ 大震災の被害状況が判明するに従い深刻な事態に!!!
朝 由布院・亀の井別荘 「蛍火園」 サラダヴュッフェ+和朝食
今朝は和朝食
昨夜は午前2時半までテレビに釘付けだった。胸が潰れそうで、涙が止まらない。6時50分に起きてテ
レビを見る。状況が明らかになればなる程、この大震災の被害の甚大さが明らかになって来た。朝刊
が来ていた。大見出しの文字にまた胸が塞ぐ。テレビも全チャンネルが昨日から奮戦しているが、新聞
社も頑張って紙面作ったなぁ。欠航する飛行機が多い。今日東京に帰れるのか。姪のカオルからメー
ルが来た。何?妹のキリコと昨日から台北にいる?夫のM山クンはケガ無く避難所にいるそうだ。あぁ
良かった!次兄から電話が繋がった。昨夜は大手町から小金井市まで7時間かけて帰宅したそうだ。
長兄一家も無事という。飛行機が飛ばなかったらもう1泊することにしレイトチェックアウトお願いした。
昼 由布院 「盆地うどん 麺一」 黒毛和牛うどん 840円、とり天 500円(2人で)
そういえば、今日は九州新幹線の鹿児島ルート全線開業日だった。セレモニーは行わないそうだ。涙。
正午過ぎチェックアウト。日本一の花束を頂いたり、レイトチェックアウトにも快く応じて下さったり、今回
も亀の井別荘の皆さんには本当にお世話になった。昨年春までこの宿の総料理長を務めておられた
方が開かれたうどん屋で昼食を済ませてから大分空港に向かう。とり天もうどんも美味しかった。途中
長兄からの電話が繋がった。お互い無事を喜び合う。彼は今日が誕生日だ。大分=羽田間はずっと欠
航が続いていたが、今着いた便が折り返す14時35分発は飛ぶと言う。空席が何席かあったので急遽
フライト変更。何とかこれで東京に帰ることが出来た。羽田でモノレールに飛び乗ると、同じ車両に甥の
ヒカルがいた。台北に行っているカオルの弟、キリコの兄である。仕事関係で沖縄に行っていたらしい。
我が家族は難を逃れる星にあるのか。途中までタクシーで一緒に帰った。当座の食料を買おうと丸正
に行くと、一人で数万円も買いだめしている人々が溢れていてタマゲタ。野菜や果物を買い重い荷物を
持ってマンションに着くと、高層用のエレベーターが停まっていた・・・・。復旧には1週間かかると・・・・。
夜 舟町 「仙水」 付き出し:春野菜とアサリのお浸し、アオリイカの刺身 2000円、もみイカ 900円、
桜鱒の香り焼き 1600円、新玉ねぎと塩豚のスープ煮 1800円、生ビール、麦焼酎
@1万1500円
玉のような汗を垂らして階段を上り、ようやく帰宅する。恐る恐るドアを開けて電気を点けると・・・。玄関
正面の中国製骨董台の上に飾っていた高価な花瓶が床に落ちて無残に割れていた。あぁ。次はどうだ、
リビングルームではバング&オルフセンの背の高いスピーカー2本と照明スタンドが倒れていた。スピ
ーカーに張られた布が破れている。和室では琴が倒れ、両脇が本棚の書斎では雑誌や本が散乱。そ
して窓のドアが開き切って、カーテンが風にそよいでいた・・・・。免震構造の23階マンションは揺れるの
だな。これだけのものが倒れたり、崩れたりした地震の時ここにいたら、とんでもなく怖い思いをしたに
違いない。片付けをしているうちに、夕食を作る気持ちは無くなった。近所の店も心配だしね。「仙水」に
行く。店と食器等に被害は無かったが、予約は全部キャンセルになったと言う。今晩だけで18人のキャ
ンセル痛いねぇ。お客はキャンセル喰らって開店を諦めた飲食店の経営者達。皆さん不安で一杯だ。
帰宅してから、風呂に水を張り、理由はわからぬが卵を6個茹でる。枕元に懐中電灯を置いて眠った。
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3月 13日(日) 晴れ 東日本大震災の被害に加え、福島第一原発が危険な状態に!
朝 家食 鶏唐揚げ、トマト、ふすまパン、ワカメスープ、パイナップル、低糖ヨーグルト
原発の事故も怖いぞ!
大震災のマグニチュードは8,8に訂正された。東北地方太平洋沖大震災と名付けられたが、また変
わるような気もする。地震と津波の悲劇だけでも精一杯なのに、福島第一原子力発電所の1号機と3
号機が危険な状態となり、余談を許さない状況となった。トリプル大災害である。今日は新橋演舞場の
昼の部に行く予定だったが、余震も続いていて怖いし、芝居見物の気持ちにはなれない。最前列の真
ん中の席のチケットを持っているが行くのは止めよう。旅行会社から電話があった。こんな時でもある
から中止にするとか、参加の意向を確認する電話かと思ったら「普通通り催行」と言う・・・・。ゲゲゲ!
昼 四谷三丁目 「アゼリア」 ベジタブルセット(田舎風ミネストローネ、サイドサラダ) 280円、チキン
の卵包み焼き(チキンピカタ)と辛味チキンの盛り合わせ 499円、自家製クリームコーヒーゼリー
299円、ドリンクバー +180円
今回の悲劇で頭が一杯になっていたが、そう言えば来週水曜日から前泊して海外に行くことになって
いたのだ。こんな時にも旅に行くのか、行かないのか。結論は早急に出さねばならない。行くことになっ
た場合を想定すると買い物に行かねばならない。間抜けっぽい話だが、蚊とり線香とか防虫スプレー
などをね。そうゆうものが必要な国に行く予定なんですわ。今日もスーパーには買いだめ客が押し寄せ
ていた。パン、カップラーメン、水、トイレットペーパー、使い捨てカイロの棚はカラッポだ。私は買いだめ
はせんよ。ついでにランチは「アゼリア」で。新商品というチキンの卵包み焼きを食べた。うーむ、の味。
夜 家食 一口カツ、サラダ、トマト、もち豚のジャンボ焼売、実だくさん豚汁、ふすまパン、パイナッ
プル、りんご
不安な夜が更ける
帰宅してから凄い集中力で旅支度をした。明日までに結論を出そう。夕食は家食。料理らしいモノと言
えば、最近はこれしか作らない実だくさんの豚汁。だんだん作り方も上手くなって味も旨くなる。東電の
計画停電の詳細が発表されたのが10時過ぎ。第一Gは朝6時20分から?タイヘンじゃん!無酒日
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【今週の振り返り】
平成7年(1995年)1月17日火曜日の朝、私はテレビをつけて我が目を疑った。高速道路がクニャリ
と倒れていた。長田地区を中心に何箇所から火の手がのぼり、6000棟が焼失した。マグニチュード
7.3の神戸淡路大震災の被害者は死者6434名、行方不明3名、負傷者は4万3千人を越えた。「活断
層」という言葉が盛んに使われ、立地が一筋違うことで幸不幸が分かれた。
平成16年(2004年)10月23日午後5時56分に起きた新潟中越地震は震度7マグニチュード6.8だ
った。震度7は、神戸淡路大震災に次いで観測史上2番目の大きな地震だった。死者は68名であった
が、震源地が浅かったため、余震の多さが異常に多く、地震後1週間で600回、11月末までに825回
の余震があった。ために長い間車で生活したためエコノミー症候群で亡くなる人や、その冬の記録的な
大雪で建物が崩れるなどの二次災害もあった。
続いて平成19年7月16日(2007年)、新潟県中越沖地震はマグニチュード6.8で中越地震より被害
は少なかったが、東京電力柏崎刈羽原子力発電所で火災が発生したことから緊張が走った。幸い放
射能漏れは無かったが、消火用配管が壊れていて東電職員の消火活動は行われず、消防署には専
用電話が壊れていて連絡できなったとかで火が消されたのは2時間も経った後だった。原発の火災だ
っただけに日本中がヒヤリとさせられた。
地震国日本だから、次に来る大きな地震はどこなのか予想が喧しかった。東海・南海地方辺りが一番
有力とか、首都圏直下型もあるぞとか、いろいろ言われていた。一時は伊豆地方も槍玉に挙げられて
いた。東北地方は過去にも地震が多発する地域ではあったが、まさかこれほど広範囲にこれほど強く
襲って来るとは誰も思ってもみなかった。
地震国日本。地震の最初の記録は日本書紀に明日香村(当時は遠飛鳥宮)で416年に起こったと記
載がある。地震被害の最初の記録は599年の奈良県(当時大和国)でマグニチュード7、多くの家屋が
倒壊したらしい。684年11月には白鳳南海地震でマグニチュードは8.0〜8.3。高知県(土佐)では12
平方kmが津波で海面下に沈んでしまった。同時に東南海・東海地震も発生していたと地質調査は語
っているそうだ。
津波。日本語の津波は、20世紀以降国際的にも「Tsunami」と呼ばれるようになった。日本に度々押
寄せた津波だが、私達がその恐ろしさを視覚的に味わったのは2004年に起ったスマトラ島沖地震に
よる大津波だった。波の高さは34メートル。もの凄いスピードで島に押寄せる津波の様子が繰り返しテ
レビで放映され、人々を震カンとさせた。スマトラ島アチェ、スリランカ、タイ・プーケット島周辺で25万人
の命が奪われた。
東北にもこれまで何度も大津波は押寄せた。1896年の明治三陸地震では、岩手県綾里を襲った津波
高さは38メートル、死者不明者は2万2千人に上った。1933年の昭和三陸地震では死者不明者3千
人。1960年には地球の裏側に位置するチリで巨大地震が起り、地震発生から22時間半後、地球を半
周して来た6メートルの津波が三陸海岸に襲来して142名が犠牲になった。岩手県大船渡市53名、
宮城県南三陸町で41名・・・。この時、宮古市(田老町)では高さ10mの巨大防潮堤が巧を奏して人的
被害は皆無だった。度重なる津波被害で築いた自慢の防潮堤で、世界中から見学者が多く訪れてい
た。しかし、その巨大防潮堤でさえ、今回の大津波には太刀打ち出来なかった・・・・。
台湾の女子大生が言っていた。「日本は唯一原爆を投下された国です。戦争にも負けました。地震も
しょっちゅう来ます。毎年台風も来ます。それでも日本の人はそれを全部乗り越えて来ました。今回も
ゼッタイ乗り越えて行くと私は思います」。地震が起きて以来、テレビを見ては泣いていたが、彼女の言
葉に、どっと涙が溢れた。しかし、いつまでも泣いてはいられないと思った。
猫も地震は怖い。大キライだニャン!