パクパク日記12年11月 3週
アルジェリアの5つの世界遺産を訪ねる旅は続くのだった
ティムガッド遺跡
ジェミラ遺跡
11月 12日(月) アルジェリア・ガルダイアは晴れ アルジェとコンスタンティーヌは曇り
1ディナール=約1円
朝 ガルダイア 「ベルベデール」 (ほぼ食べるものが無い)朝食ヴュッフェ
4時半起床。先週から来ているアルジェリア旅行の5日目の朝である。敬虔なイスラムの村ということで
この2晩はアルコール抜きの夕食であった。アルコールが無いと夕食はアッという間に終了してしまう
から、部屋に帰って持参したウィスキーをグイッと飲んで10時には寝てしまった。だから何度も目が覚
めて。5時50分にバゲジダウンして食堂に行ってみると昨日あったクロワッサン無し、ヨーグルト無し、
コーヒーも切れていた。硬くなった甘いパンと三角のチーズしか無いよ(涙)。スルーガイドのサミヤさん
にヨーグルトとコーヒー持って来て!とお願いして貰った。大事に持っていたバナナを食べて凌いだよ。
昼 コンスタンティーヌ 「コンプレックスSARA」 スープドポワソン、魚介類の盛り合わせ、持参の
ふすまパン、フルーツ
6時半チェックアウトしてガルダイア空港から8時半発アルジェリア航空のプロペラ機でアルジェへ。そ
こから同じくアルジェリア航空のプロペラ機に乗り継いでコンスタンティーヌへ。こう書くとすっきり行けた
ように思うが、実はタイヘンだったのよ。その当りのことは【今週の振り返り】で。40分遅れで離陸し45
分遅れでコンスタンティーヌに到着した。空港に迎えに来てくれたバスに乗り込むと見たことある柄の
座席だなぁ。あらら?運転手さん同じ。私達がガルダイアに行っている間にアルジェからコンスタンティ
ーヌまで移動してくれていた。何と空港からパトカーが大型バスを先導してくれる。1時昼食レストラン
到着。朝食が早く食べるものが少なかったから腹ペコである。またスープドポワソンということで、添乗
員のY崎さんは他の料理にしてくれと頼んだそうだ。「コンスタンティーヌのスープドポワソンを食べな
かったら後悔するぞ」と言われたそうだ。確かに。確かに旨い!あと3杯くれ〜!と言いたいくらい旨
い。ついでに魚介類の盛り合わせもこれまた旨い。レストランの前に可愛い猫がいて機嫌良い夢子。
コンスタンティーヌの深い渓谷にはエル・カンタラ橋など5つの橋がかけられている。175mの断崖の上に建つ町だ
撮影が制限されているカスバにあるアフマドベイ宮殿 この町の少年も愛想がいい
コンスタンティーヌはアルジェリア第3の都市で、人口は約80万人である。数々の戦いの戦場となって
破壊されて来たが、313年再建される際、皇帝コンスタンティヌス1世の名を取ってコンスタンティーヌ
と名付けられた。コンスタンティーヌ大学や多くの研究所があり、大学の都市としても知られている。し
かし、この町の1番の特徴は海抜640bの台地の深い渓谷にあることだ。100bから200bの渓谷に
は5つの橋が架けられている。橋の上や断崖上の展望台から下を見下ろすとクラクラする。高所恐怖
症の人なら、「即脱出」を決断するような町なのだ。賑やかなカスバを歩き回ってからホテルに向かう。
夜 コンスタンティーヌ「ホテル ノボテル」 ディナーヴュッフェ、ハイネケンビール 450ディナール×
2杯、白ワイン 500ディナール、赤ワイン 500ディナール
ガルダイアの宿がかな〜り素朴だったので、ヨーロッパ資本の新しいホテルに皆さんもホッとしているよ
うだ。ロビーにフリー使用のパソコンがあったので、親しくなった方々に当サイトをそぉっとお見せする。
「で、アルジェリアはいつアップするんですか」って?そうゆう質問しないでおくれ、頼むから。「出来る範
囲のなる早で」。ゆっくりシャワーを浴びてから夕食。アチャー、ヴュッフェかい。でもアルコールが飲め
るならいいや。ナニ?明日泊まるセティフのホテルも酒ダメ?聞いてないよ!ぷんぷん。それなら、明
日の分まで飲もうっと。というワケで、ビールも2本、ワインも2杯飲んだのだった。ディナール無くなる。
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11月 13日(火) コンスタンティーヌは曇り 以後雨と曇りを繰り返し
朝 コンスタンティーヌ 「ホテル ノボテル」 朝食ヴュッフェ
食べるものがあるヴュッフェ! 1917年から25年かけて造られたペレゴ歩道橋
この深い渓谷を見よ!
6時起床。シンブルだが食べるものが結構ある(?)朝食ヴュッフェ。快適そうに見えた「ホテル ノボテ
ル」だったが、空調ぶっ壊れていて常時30度の風を噴出す部屋とかトイレの天井が落ちて来た部屋と
かいろいろあったそうだ。比較的新しい建物だけど、ま、アルジェリアだからね。8時半出発しようと全員
準備万端であったが、先導してくれるパトカーの到着が遅れているので暫し待つ。パトカー待つなんて
何か不思議な気分。8時40分出発。先ずは昨日見逃したペレゴ遊歩道に行く。1917年建設が始まり
8年の歳月をかけて完成した橋である。橋の袂と橋の中央にお婆さんが坐って物乞いをしている。ゆら
ゆら揺れる橋をオッカナビックリ歩いて下を覗く。足が竦むぞ!100bもあるの?深いハズだわ。断崖
の上にはギリギリのところまで家が建っている。そおれにしてもゴミだらけ。崖上に住む家は渓谷にポ
イポイとゴミを捨てているようだ。まぁ、ゴミはここに限ったわけではなく、町中に。美しい国なのになぁ。
昼 ティムガッド・ガイド・メサウッド氏宅 ショルバ、ライスグラタンとサラダ、持参のふすまパン、リンゴ
とヨーグルト、コーヒー
渋滞のコンスタンティーヌの街中をパトカーの先導で何とか抜け出し、一路バスは西に向かう。あれ、
空が暗くなって来た。ポツポツと雨が降り出したではないか。トイレ休憩した塩の産地に着いた頃には
バチャバチャ降って来た。トイレだが停電で真っ暗。懐中電灯探したりで大騒ぎだった。それはともかく
今日はこれからティムガッド遺跡に行くのだから雨はダメだよー!晴れ女なのだから、何とかしなけれ
ば・・・・。「雨よ止め!太陽よ、顔を出しておくれぇ!!」。するとどうだ!雲が切れて青空が見えた。そ
れからは一気に晴れて。やったね。午後1時快晴のティムガッドに到着。先ずはガイドのメサウッド氏の
お宅に伺う。世界遺産の遺跡というのに、この町にはちゃんとしたレストランが無いのだそうで。台所に
行ってみると総勢25名のランチを作るため家族総出で料理の準備中であった。アルジェリア名物の麦
の入ったトマト味スープのショルバ、ライスグラタンは家庭的な味で旨かった。庭に可愛い山羊がいた。
ティムガッドは1世紀に建設された 図書館入口「歓迎」の意の看板(1文字欠落) 数千人収容する半円形劇場
神殿、大聖堂、フォーラムもあった 「狩りを楽しみ風呂に入り・・・」の落書き トラヤヌスの凱旋門
全盛期はここに2万人以上が住んだ
貝の上にヴィーナスを描いたモザイクがあった
ランチを終えて午後2時からティムガッド遺跡の見学。この地域は内戦等で危険だったため、長く外国
人観光客は近寄れなかった場所らしい。そんなこともあって今から30年も前の1982年に世界遺産に
登録されたのに見学者が殆んどいない。昼食を摂る食堂さえ無いのだ。ガイドのサミヤさんが入り口で
入場料を買っていると、係りのオジサン達が「久々の外国人入場者だなぁ」ってな顔をするのだ。遺跡
中央にあるカルド通りを歩くと、ほんとに誰〜〜もいないのだ。長い間砂に埋まっていたことから保存状
態が良いティムガッドは「アフリカのポンペイ」と呼ばれる。1世紀、時のローマ皇帝トラヤヌス帝によっ
て退役軍人のために建設された古代ローマの殖民地である。図書館、フォーラム、半円形劇場、大浴
場、神殿、市場など退役軍人が余生をのんびり過ごすには何でも揃っていた。「狩りを楽しみ、風呂に
入り、戯れて笑う。これが人生だ」という落書きが残っている。幸せな人生を送った人間の香りがする。
夜 セティフ ホテル「エル・ヒダブ」 カリフラワーのスープ、七面鳥のクリーム煮、持参のふすまパン、
フルーツポンチ
長らく平和を謳歌してきたティムガッドも外敵に攻められ、打ち捨てられ、1881年発見されるまでずっと
砂に埋もれていた。発見した人達は驚いただろうな。こんな素晴らしい遺跡が、今ならほぼ独占状態で
見学出来るという贅沢を味わえる。ローマ遺跡好きのO野さんは、「ここに3日間いたい!」と叫んでい
たが、それは無視して今夜の宿があるセティフに向かう。コンスタンティーヌ郊外のノッペラボウの畑の
景色と打って変わって、山並が美しい景色が続く。朝から先導してくれているパトカーは、管轄ごとに交
替して今日は8台が先導。不思議な国だ。予定より1時間遅れて7時過ぎセティフのホテルに到着。
いきなり夕食だった。今夜もお酒が無いの。寂しいの。8時過ぎ客室に行ってみると、暗くて狭いトイレ
臭の強いショボイ部屋だった。その上海抜1100mの町だから寒い。壁が薄いから隣室で大声で喋るオ
ジサン達の話声がビンビン響く。といろいろ不満もあるが、今日は美しい遺跡を見たから良しとしよう。
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11月 14日(水) 曇ったり降ったり晴れたり曇ったり・・・・
朝 セティフ ホテル「エル・ヒダブ」 朝食ヴュッフェ
6時起床。朝食に行くと、昨夜風邪を引いた人、部屋にトイレットペーパーが無かった人(持って来てと
依頼したが、無いと言われたそうな)など、ここでもいろいろあったようだ。8時半出発して市内の噴水で
撮影ストップ。ここの噴水の水を飲むとまたセティフに来られると聞いても誰も飲まなかった(笑)。ここ
セティフは金細工が有名で、アルジェリアの女性はお金を溜めてこの町に来るとか。標高が高いから冬
は雪も降る。1945年蜂起したアルジェリア人がフランス軍に4万人殺されたセティフの虐殺もあった。
遺跡名「ジェミラ」は「美しいもの」の意 3000名収容する半円形劇場 神殿地下にあったゼウス上半身
完全な形で残る穀類の秤 愛嬌ありますよね、これ 右側はセプティミウス・セウェルスの神殿
この世界遺産の遺跡も見学者はごく僅か 素晴らしいモザイクが多数残されている
ジェミラは、ベルベル人の侵入を阻止する兵達が駐留するために築かれた「クイクル」と呼ばれた城塞
だった。後にローマ殖民都市に昇格したが、なだらかな丘の斜面を利用して造られている。役割を終え
て打ち捨てられ廃墟となった「クイクル」は7世紀アラブ人によって発見され、「何と美しい」と称賛を受
けて「ジェミラ」の名前がついた。山を上り、山を超え、セティフから約1時間。またもや途中雨が降って
来て「ヤバッ!」と思ったのだが、何と何と見学を開始した10時には晴れたのだよ。ビックリ!丘を下り
ながらジェミラ遺跡に行く。ここも殆んど見学者はいない。2世紀頃から丘の麓の方に建設が始まり、3
世紀から5世紀にかけて丘の上に向かって建設は進んだ。だから上の方にある程歴史は新しい。セプ
ティミウス・セウェルスの神殿、3000名を収容し声の反響が素晴らしい半円形劇場、フォーラム、216
年に建設されたセプティミウス・セウェルスの息子カラカラの凱旋門・・・。しかし、ジェミラで最も素晴らし
いのは、博物館に保管されたモザイク画だ。但しここは撮影禁止だった。劇場でI野さんがケガされた。
昼 ジュビラ 「何チャラとかいうレストラン」 ショルバスープ、シェルシェバ(豆とクスクスと根菜)とチキ
ンロースト、持参のふすまパン
半円形劇場の石段で転ばれケガをされたI野さんは村の診療所で診て貰ってカンタンな治療を受けた。
オオゴトにはならなかったが、歩行が辛そうでお気の毒。遺跡入口にあるレストランで昼食。シェルシェ
バという説明が難しい料理が出た。チキンローストがとても美味しかった。トイレはここで借りるのだが、
鍵はかからないわ、水は流れないわ、紙は無い(アラブ式は水で洗う)わで女性陣は苦労するんだわ。
夜 アルジェ 「ホテルアルバート」 ショルバ、仔牛のロースト、フラン・カラメル、ビール、赤ワイン
遺跡とモザイク博物館の見学、そして昼食を終えたら、後はひたすら走ってアルジェに向かうだけだ。し
かし、その距離は370`!午後1時半バスが走り出すと、すぐ雨が降り出した。まるで我々の見学が
終わるのを待っていたように。オジョーからメールが来た。野田首相が26日に解散すると言った件と森
光子さんの訃報だった。添付されていた号外の写真を開くのに30分かかった。12月16日総選挙だそ
うだ。続いて香港在住のK岩からもメール。退屈しているから、こうゆうメールはありがたいわね。途中
2度トイレ休憩してアルジェの町へ。町に入った途端に大渋滞に巻き込まれる。ずっと先導してくれたパ
トカーはいつの間にかいなくなった。こうゆう時にいて欲しいのに。7時過ぎようやく夕食を摂るレストラ
ンに到着。今夜は早くもお別れパーティ。旅行会社からお酒のプレゼントがあった。2日ぶりのビール
が旨い!テーブルにドンと置かれた赤ワインボトル。飲まない人もいるからたっぷり頂いた。料理は揚
げ立て春巻(とそっくり)がとても旨かった。ヒルトンホテルにチェックインしたのは午後9時過ぎだった。
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11月 15日(木) 晴れ 夕方雨
朝 アルジェ 「ヒルトンホテル」 朝食ヴュッフェ
午前2時頃立て続けに3通メールが来た。目覚まし代わりに枕元に置いているから都度飛び起きる。よ
うやくうとうとしたら今度は電話だ。旅行会社。「今少しよろしいですか?」「ここはアルジェリアで、今午
前3時です!」「失礼しました。ご帰国の頃に掛け直します」。6時起床。今日は10時頃ゆっくり出発し
て、国立骨董博物館、中央郵便局、旧総督府宮殿を見学することになっていた。ところが。公務員のス
トライキですべて閉鎖だと。アッチャーである。旧総督府宮殿だけ見学可能になったので早く出発する。
旧総督府宮殿の中庭から青空を見る 宮殿の豪華な天井 海の向こうはフランスだ
1913年建てられた中央郵便局
バブ・エル・クェド通りの正面に見えるカスバ 町の花屋
なぜストライキで閉鎖されている旧総督府宮殿の見学が可能になったかと言えば、スルーガイドのサミ
ヤさんの友人の友人の友人がガードマンをやっているということで、彼に頼み込んで特別に入ることが
出来るのだと言う。だから朝1番で、しかも裏口から入ったのだ。他に誰もいないのが良かった。当然
だが、時間が余る。バブ・エル・クェド通りをブラブラしてフリータイム。100円ショップならぬ600ディナ
ールショップがありここでドレスも靴もハンドバックも揃ってしまうのだ。白い建物に青い手摺のバルコニ
ーはチェニジアンブルーで有名なチェニジアのシディ・ブ・サイトを思い出した。建築1905年と記された
建物もある。ボーっと歩いていると、アルジェリアにいることを忘れ、ヨーロッパのどこかにいるようだ。
昼 アルジェ 「Touareg」 ショルバ、ターキー、フラン・カラメル、コーヒー
トワログ族の男性
ランチは中心街からちょっと離れたレストラン「Touareg」で。トワログ族の店だ。店のスタッフの中には
トワログ族の衣装を纏って客のカメラにポーズを取っていた。いつも食事を一緒にしているGさんが朝
から具合が悪く、何も食べないのが心配だ。午後はアルジェリア独立20周年を記念して建てられた「独
立戦争殉教者の記念塔」に行く予定だった。先週も書いたがアルジェリア戦争で命を落とした約100万
人の命を祀っている。ところが。今日はイタリア外相が訪れていて警備上一般客は行けないそうだ。ほ
んとに「ところが」が多い国である。その代わり、大型スーパーに行くからいいもんね。今日は何かの祝
日とかで、ドデカイスーパーは大混雑。チョー大きなカートに山のような商品を入れて買い物をしている。
こっちはディナールの残りが少ないからツマシイ買い物しているのに。買い物を済ませ空港に向かう。3
時50分に到着したのだが、エアフランスのチェックインが始まらない。結局1時間40分も待たされた。
夜−1 エアフランス アルジェ=パリ ビジネスクラス機内食
1週間一緒に旅したスルーガイドのサミヤさんとお別れ。20年間英語の教師を務めた後ガイドになった
女性で45歳独身。アラビア語は当然として英語、フランス語を流暢に話すインテリ女性だ。お母さまと
兄弟とカスバの大きな家に住むと言う。3度のセキュリティチェックを受けて、午後7時過ぎようやく搭乗
開始。パリ行きのビジネスクラスはガラガラだった。本格的夕飯は後で食べるのでちょっとだけつまむ。
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11月 16日(金) 野田首相衆議院を解散
夜―2 エアフランス パリ=成田 ビジネスクラス機内食
パリでの乗り継ぎ時間1時間しか無いので果たして成田行きに乗ることが出来るかずっと心配だった。
幸い到着したゲートと搭乗するゲートが近かったので23時20分発成田行きのエアフラに無事乗ること
が出来てホッとした。さぁ、チョー遅い夕食(もう明日になったよ)だ。食べよう!飲もう。フォアグラ旨し。
朝 エアフランス パリ=成田 ビジネスクラス機内食
ビールと赤ワインをたっぷり飲んで真夜中だったせいか、珍しく数時間眠った。パリ=成田はフライト時
間約11時間。冬時間だから時差は8時間だ。出発が遅れたので到着も遅れて午後7時半成田到着。
夜 荒木町 「よつやこくている」 ポテトサラダ 480円、にら玉 480円、ミックスピザ 850円、生ビ
ール、麦焼酎 @2900円
I間夫妻、Gさんや旅でお世話になった皆さんにご挨拶してタクシーに乗る。週末の夜だったが、スイス
イ走って1時間足らずで家に着いた。メールチェックして、さぁどこに飲みに行くか。9時半なら「よつや
こくている」かな。大きなジョッキで生ビールゴクゴク。あぁ旨い!酒が飲める日本はいいなぁ。アハハ。
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11月 17日(土) 雨
朝 家食 バナナ、ヨーグルト、アーモンド
昼 新橋 「銀座ライオン」 牡蠣フライホリディランチ、持参のふすまパン 1100円
帰国翌日であるが今日は忙しい。7時半起床。生憎の雨だ。シャワーを浴びてから旅行会社に連絡し、
兵庫県の病院に薬を注文。写真をパソコンに取り込んでから昼前新橋へ。「銀座ライオン」で牡蠣フラ
イホリディランチを食べる。平日ならドリンクバーもついて980円なのに休日だと無しで1100円もする。
その後美容院でカット&ヘアダイ。いつもながらH形さんの大きな手で揉まれるマッサージが魅力的。
遅い夜−1 人形町 「YAMATO」 4千円コース(小さな大根と野菜の豆板味噌、本物ししゃも、マコモ
茸、海老芋となめこ天ぷら、鮭のハラス燻製、ヨーグルト豚といくつかのきのこの岩塩板焼き、桜
海老の炊き込みご飯と味噌汁)、生ビール、麦焼酎 傾斜配分支払いで@8000円
新橋から都営浅草線と都営新宿線を乗り継いで浜町へ。明治座に行くのだ。もう2ヶ月以上前から準
備した「10人で天竺徳兵衛を観よう会」が本日夜の部であるのだ。2月に福岡の博多座で4代目猿之
助(当時は亀治郎)の「天竺徳兵衛」を観てエラク楽しかった。その芝居を明治座でやるというので、皆
を誘っての観劇会を企画した。チケットはSイチローが最前列真ん中を10席取ってくれた。ドデカイ船
やら蝦蟇が出て来るから最前列はクビが痛くなるほどの大迫力だ。しかし、4代目猿之助は疲れている
ようで、2月の舞台ほどの精彩を欠いたか。8時15分舞台がはねて、A先生&マキコ夫妻が予約してく
れた「YAMATO」に行く。10人座れるU字型の囲炉裏が2つ。その一方にズラリと並んで、「乾杯!」。
4千、5千、6千のコースがあったが、夜遅いこともあり、4千円コースをお願いしてある。筍や魚、肉な
どをお店の方が焼いてくれるので楽チンだ。以前はスーパー歌舞伎やブダペストオペレッタ、勘三郎×
直美の朝パラシリーズなど大勢で観に行っては飲み会をやった。久々の会で大いに盛り上がる夜だ。
夜―2 四谷三丁目「カラオケBanBan」 オニオンリング、フライドポテト、焼酎ボトル 3人計6030円
10時半解散して三々五々帰路に着く。大S子とR子と私はタクシー組。ナゼか3人揃って四谷三丁目
で下車し、カラオケ屋に行ったのだ。大S子は「梅ちゃん先生」の「さかさまの空」を、R子は「ゲゲゲの
女房」の「ありがとう」を、私は「カーネーション」の「カーネーション」を歌った。つまりNHK朝の連ドラの
主題歌ばかりさ。1曲ずつ歌ったらそれでオシマイ。後はひたすら飲んで(ボトル取った!)お喋りした。
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11月 18日(日) 晴れ 関東地方木枯らし1号吹く
朝 無し!
昼 家食 ツナサラダ、豚汁、ふすまパン、バナナ
朝起きたら凄まじい二日酔だった。昨日の「天竺徳兵衛」で猿之助がCMキャラクターになったと宣伝し
ていたソルマックを冷蔵庫から取り出して飲んだ。これは結構効く。朝は抜いて、昼に何とか食べたよ。
夜 荒木町 「宮わき」 付きだし:甘唐辛子のおかかがけ、酒肴三種盛り:蟹味噌・ドライ明太子・クリ
ームチーズカツオ酒盗がけ 750円、わかさぎ揚げたて南蛮漬け 850円、オニ玉 450円、聖護
院大根の鰤だいこん 1400円、野菜と油揚げの煮麺 950円、生ビール 2杯、麦焼酎 5杯
@7630円(カード支払いで+5%)
焼酎の二日酔は長く引き摺らないから始末が良い。午後はすっかり元気になって。アルジェリア旅行中
の洗濯やパクパク日記の作成に取りかかる。夕食はどこに行こうか。家の近所も日曜日営業している
店が増えて便利になった。「宮わき」に行った。前回食べて美味しかったわかさぎ揚げたて南蛮漬けを
今日も注文。ところでオニ玉って何?何でも歌舞伎と舞踊の三津五郎さんの家に伝わる料理というの
で、食べてみることにした。スライスした玉葱の上におかかを掛けたものと卵の黄身が出t来る。黄身を
玉葱の上に乗せる。醤油とたっぷりの酢を回しかけ、あとはひたすらかき混ぜる。これで完成。素朴な
味がした。何度か食べるとクセになってムショウに食べたくなるのだそうだ。そのままでも良し、ご飯の
上に乗せて食べても良し、なのだそうだ。鰤が旨い季節となったので鰤大根も食べた。〆は煮麺だよ。
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【今週の振り返り】
アルジェリアの旅で、アルジェリア航空(国内線)に3度乗る機会があった。その経験が余りに面白かっ
たので詳しくお話したいと思う。
飛行機に乗るためには空港に行く。ま、どこでもそうだが。空港の建物に入る前に第1回目のセキリテ
ィチェックがある。スーツケースもどっこいしょと持ち上げ、手荷物すべてをベルトに乗せてX線チェック
を受ける。こうゆう検査をする国は他にもあるから特別では無い。チェックイン。スーツケースを預けて
搭乗券を貰う。搭乗券に座席は書いてあるものの、実際は自由席なので意味が無い。国内線であるが
出入国カードが必要。名前だの宿泊先だのパスポート番号などをグチャグチャ書かねばならない。国
際線、国内線含めて5回飛行機に乗ったから5枚の出入国カードが必要だった。23人分を書き続けた
添乗員Yさんはタイヘンだった。国内線だけど、パスポートチェックも受ける。イミグレーションと思えば
いい。直後に2回目のセキリティチェック。続いて男女別の係官からボディチェックを受ける。やれやれ
と待合室で搭乗の呼び出しを待つ。やがて乗る便の呼び出しがある。今夜はガルダイアまで行く。パス
ポートと搭乗券のチェックを受けて、徒歩あるいはバスで搭乗する飛行機まで移動する。徒歩の場合
は飛行機の近くで「待て」と言われる。バスの場合は指示されるまでバスの中で待機。するとどうだ。飛
行機の傍に先ほど預けたスーツケースがズラリと並んでいる。一人づつ自分の荷物を指差して「こ
れ!」と示すと、係りのオジサンが台車にスーツケースを放り込む。台車の荷物が纏まると飛行機の荷
物室に運んで行く。もう乗っていいのよね、と歩き出すと、飛行機との僅かな距離に幾つかの障害物が
出来ていた。長細いテーブルが置かれている。そこで手荷物をすべて開けてチェックを受けよと。バッ
グ、リュック、カメラ・・・全部開けてかき回されえる。はぁ〜疲れる。今雨降っているんだぜ。それが終わ
ったら、男女一人ずつの係りが立っている。男女別にボディチェックだって。そのチェックぶりが凄い。胸
なんかムンズッって感じで掴むのよ。「ヒィ!くすぐったい!」と悲鳴を上げる人もいれば、「あぁ、久し振
り」なんて言っている人もいた。シトシト雨が降る中でね。これで終わりかと思えば、最後に「搭乗券見
せろ」って。こうしてようやっとアルジェリア航空の機内の人となった。
目的地ガルダイアに到着して徒歩で空港建物に移動する。「あぁやって飛行機の横でスーツケースを
指差すってメンドウだけど、ロストバゲージが絶対無いこと考えればいいかもね」なんて話しながら、バ
ゲジクレームで待つ。ベルトが回り始めてスーツケースが出て来た。全員分揃った?いいえ!6人分が
ありません!他の日本人グループでも数人分のスーツケースが着いていなかった。「だって飛行機の
横で指差して乗っけたんじゃないの!」と全員タマゲル。アルジェリア航空職員の言い訳は、「いつもよ
りスーツケースが多かったので、荷物室に入りきらなかったらしいよ」って。アルジェ=ガルダイア間は
1日1便なのに・・・。ロスバゲしてしまった6つのスーツケースは翌日の同じ便でやっと届いたのである。
6人の方は丸1日着の身着のままであった。
2日後はガルダイア=アルジェそしてアルジェ=コンスタンティーヌに乗り継ぐという一段難しいフライト
であった。両方の便とももちろんアルジェリア航空だから、預け荷物はガルダイアからコンスタンティー
ヌまでスルーで運んで貰う手続きをするのが普通だ。しかし、アルジェリア航空にそんな難しいことは要
求できない。要求しても出来ない。乗り継ぎ時間が1時間強しかないのに、アルジェの空港には30分
遅れで到着した。あのしちメンドウくさい手続きをした上で乗ったのは言うまでも無い。タラップを下りて
飛行機を降りる。同じ機種の機材が数機並んでいる。隣か隣の隣の飛行機に乗り換えるのだと思う。し
かし、直接乗るわけにも行かず、バスでアルジェ空港のターミナルに移動。僅かな距離であるのに、ス
ーツケースが出て来るのに30分待たされた。次のコンスタンティーヌ行きの出発時間になってしまった
ではないか。アルジェリア航空の女性スタッフが「コンスタンティーヌ行きは皆さんを待ちますので、なる
早でチェックインしてくださーい!」と叫ぶ。スーツケースをゴロゴロ転がして、急ぎ足で出発カウンター
に移動。ここで今受け取ったばかりのスーツケースを預け、例の出入国カードとパスポートをチェック、
セキュリティチェック、ボディチェックしてバスに乗る。降りたところは、先ほど降りた飛行機の隣の隣で
あった。やっぱり。その距離50m位。歩けば2分位だが、1時間20分かかってしまったよ。コンスタン
ティーヌ行きに乗り込むと、既に搭乗して我々をジリジリと待っていた他の乗客達の冷たい視線を浴び
る。遅れんじゃねーぞ!という視線が痛い。悪いのは私らじゃないもんねー。文句言うなら、アルジェリ
ア航空に言ってよねー!コンスタンティーヌ行きは40分離陸が遅れた。
アルジェリア航空は100%政府出資の国営航空会社である。31機の機材を保有し、国内28都市、ヨ
ーロッパや中近東エリア28ヶ国に乗り入れている。記述したような過剰とも思われるセキュリティ体制
を取るのも、長い年月内戦が続き、テロを何度も経験した国ならではのことだろう。エールフランスのパ
リ=アルジェ間は過去ハイジャックされた経験も持つ。たった1年前非常事態宣言が解除されたばかり
の国なら、これくらいの警備体制を取るのも当然だろう。我々の大型バスを先導してくれたパトカーの
役割は「渋滞を避けるため」と説明されたが、たぶん外国人観光客の警備が目的なのだろう。危ない地
域に侵入するのを阻止するためもあるかもしれない。アルジェリア第1日目にブラブラ歩いたカスバも、
私服の警察官同行の上、決まったルートしか歩いてはならない。表面上は穏やかに見えるアルジェリ
アだが、一皮剥けば、我々の窺い知れないことが潜んでいるのだろう。
しかし。子供達の笑顔は底抜けに明るく、大人達の顔もとても優しいのだ。アルジェリアが好きになって
帰って来た。
だろ?アルジェリアはいいんだニャ
* アルジェリアの旅の始まりは 11月 2週 をご覧ください。