パクパク日記13年2月1週
南米の小国ウルグアイとパラグアイ、そしてアルゼンチンに出かけた
ウルグァイ・コロニア
パラグァイ・トリニダー遺跡
2月 4日(月) 東京は曇り 今日は38時間!
第1食 家食 低糖ヨーグルト、りんご
第2食 新宿 「追分だんご」 おこわ御膳(おこわときしめん) 1100円
6時起床。今日は出発日なので早起き。テレビでは昨夜急逝した市川團十郎のニュースが多かった。
ほんとに何てことだ!長男の海老蔵は気丈にインタビューに答えている。これからは彼が市川宗家と
なるが、その心構えは出来ているのだろうか。こんな時海外に出かけて行くのは気になるが仕方ない。
10時45分家を出て新宿へ。ランチは「追分だんご」のおこわ御膳。おこわときしめんという炭水化物2
連発、いや、きしめんにはお餅まで入っているからトリプルカーボの罪深いセット。それだけに旨い!!
第3食 デルタ航空 成田=アトランタ ビジネスクラス機内食、持参のふすまパン
成田空港第一ターミナル北ウィング1時半集合。参加者は何と4人(!)で、しかもお一方は別の便に
乗られてアトランタで合流するそうだ。添乗員は20代後半男性のH田さん。こんなに少ない参加者で
旅行者はペイするのだろうか・・・。するんだよね、きっと。慈善事業じゃないんだから。アハハ。関西の
K井さんと東京のI東さんと顔合わせ。I東さんは裸足にサンダル姿だ。「あ、暑い国に行くんで」。午後3
半発デルタ航空アトランタ行きのビジネス席はフルフラットベッドシートだった。ANAが採用しているス
タッガードシート配列とはちょっと違うけど、これならいいわ。「踊る大走査線」の映画を観ながら機内食
でスーパートスカーナの赤ワインをガブガブ。織田裕二がキライなので「踊る・・・」実は初めて観るのだ
った。THE FINALとあるからこれでオシマイなのね。当たったからって、柳ドジョウで何作も作るな!
第4食 デルタ航空 成田=アトランタ ビジネスクラス機内食、持参のふすまパン
2時間程眠った後、本を読む。辻村深月の「名前探しの放課後」の下巻最後を読んで涙涙。鼻かみな
がら目を赤くしていても、お互い顔が見えないこうゆう座席だから良かったよ。成田=アトランタ間は約
12時間のフライト、時差14時間。だから午後3時半に出発したのに、到着したのは午後1時40分!
第5食 アトランタ空港 デルタラウンジ
第6食 デルタ航空 アトランタ=ブエノスアイレス ビジネスクラス機内食。持参のふすまパン
デルタ航空とアトランタ空港では、アトランタ経由の国際便に限り預け荷物をスルーする協定を結んで
いるそうだ。だからイミグレを通過すればスーツケースのピックアップや再預けは必要無い。昔は違っ
たからメンドーだったけど、これなら楽チン。アトランタ空港での待ち合わせ時間は6時間!こうゆう時
ビジネスだとラウンジを使用出来るから嬉しい。大きな画面では昨日あった第47回スーパーボウルの
ダイジェストをやっていた。今年はボルチモア・レイブンズとサンフランシスコ・49ersの対決。兄と弟が
率いるチームの対戦とあってその面でも注目を浴びていた。前半は兄レイブンズが飛ばして21対6.と
ころが後半は弟49ersが追いすがって接戦に。結果は34対31で兄レイブンズが逃げ切った。面白い
試合だったなぁ。あとはウツラウツラしながら本を読む。ロス経由で来られたM上さん合流。19時50
分発デルタ航空ブエノスアイレス行きに搭乗。日本映画も日本語字幕の映画も無いので、クラッシック
音楽チャンネルでも聴いて食事しよう。ヴェートーヴェンの交響曲7番。つまり「ベト7」である。「のだめ」
のオープニングを思い出して懐かしいな。あのドラマは本当に面白かった。トイレで徐々に薄着になる。
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2月 5日(火) ブエノスアイレスもウルグァイ・コロニアも晴れ ウルグァイペソ(UYU)=約5円
朝 デルタ航空 アトランタ=ブエノスアイレス ビジネスクラス機内食
24時間+14時間=38時間という長かった2月4日は、飛んでいるうちにようやく明けた。夜便でワイ
ンをガブガブ飲んだのに一睡も出来なかった。朝食は、前の飛行機で貰って来たおにぎりを食べたよ。
アルゼンチンのブエノスアイレスまではほぼ垂直に南下する恰好だが、フライト時間は約10時間、時
差は2時間である。午前8時ブエノスアイレス着。到着が重なる時間帯らしくイミグレは大混雑。ようや
く番が回って来たが、何しに来たとか、ホテル名を全部言えとか、何でこんなに世界中行っているんだ
とか細かいことを聞いて来た。ようやく通過したらまたもや大行列。スーツケース含めてすべての手荷
物をX線にかける必要があってそのための行列なのだが割り込み客もいて大混乱なのだ。疲れたよ。
昼 ブエノスアイレス=コロニア間の高速フェリー船内にて チーズとハムサンド、コーラライト
かっこいい高速フェリーでラ・プラタ川を渡ってウルグアイへ
今回の旅の行程図だす
ブエノスアイレスは4度目だ。午前10時ようやく空港を出てマイクロバスで港に向かう。その時携帯電
話が鳴った。出るとすぐ切れる。マキコだ。また鳴る。出るとまたすぐ切れる。何か急用だろうか。心配
になってこちらから電話する。マ「夢子さん、今どこぉ?」夢「アルゼンチン」(小さな車なので小さな声
で)マ「えぇ?聞こえなーい!私ら今四谷3丁目ぇ!」夢「「アルゼンチンだってば!」マ「電話遠いんで
すけどぉ。今お家の前辺りにいるから一緒に飲みたいねって」夢「だからアルゼンチンのブエノスアイレ
スにいるのよ!急用?」マ「はぁ?ゼンゼーン。飲みませんかぁ?」夢「切るよ!この酔っ払い!」。東京
は午後10時だけど、もう酔っ払っているのか!車内では電話のやり取りを聞いてクスクス笑う声が聞
こえる。港到着。先ほど苦労して入国したばかりのアルゼンチンを早くも出国してウルグアイ入国手続
き。ラ・プラタ川を渡る高速フェリーファーストクラスに乗る。川を渡るとはいえ、対岸のウルグアイのコ
ロニアまで48kmもある。1時間の乗船だ。今日は船の売店で好きなモノを買うというランチ。サンドイッ
チのようなカーボ食ばかり。その中で1番カーボ比率少ないチーズハムサンドを選ぶ。かなり不味い。
夜 ウルグアイ・コロニア 「リアル・コロニア」 トマトとレタスサラダ、ステーキとマッシュポテト、アイス
クリーム、持参のふすまパン、ビール 5j、白ワイン 5j、赤ワイン 5j
30分遅れで離岸しウルグアイのコロニアの到着は50分遅れた。午後2時35分ということは時差1時
間で午後3時35分ということね。日本とは11時間の時差である。下船しても全荷物をX線検査に通さ
ねばならない。私のスーツケースを開けよ!とウルグァイ税関に言われる。ナンデ?と聞いたが、日本
語はわからないらしい。結局何を疑ったのかはわからかった。バスでホテルへ。こちらの今の季節、日
没は午後9時頃。夕食まで少し休もうと思ったが、太陽ギラギラでとても夕方とか夜とは思えない。8時
20分ようやくホテルのレストランはオープンした。ビールはハイネケンかコロナ、ワインはウルグアイ産
だった。メインの肉の余りの小ささが夕食の話題。以降旅の間この肉の小ささがずっと批判を浴びた。
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2月 6日(水) ウルグアイ・コロニアは晴れ 暑い!
朝 ウルグアイ・コロニア 「リアル・コロニア」 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン
ラ・プラタ川に面したホテル
コロニアの旧市街東端城門
世界遺産に登録されている旧市街 クラッシックカーも名物
5時一旦起きてからまたベッドに戻って7時起床。シャワーを浴びてから夕食。やけに濃いコーヒーでブ
ラックでは飲むのはツライ。朝食後ホテル前のラ・プラタ川に散歩に行くと風がヤケに冷たかった。9時
出発して新市街をぐるり。ラ・プラタ川のほとり、闘牛場跡、小さなサンベニート教会をちょいと見てから
コロニアの旧市街の見学。徒歩である。暑い中。南半球は今真夏なのである。ここコロニアは正確には
コロニア・デル・サクラメントと言う。ポルトガルとスペインの植民地だった時代の影響を色濃く残す旧市
街は世界遺産に登録されている。「右の建物はポルトガル様式なので窓枠に飾りがありますが、左の
スペイン様式の建物にはありませんね。屋根は平らで・・・」。ガイドの説明に「なーるほどぉ」。歩きにく
い石畳の道を歩くと、18世紀のあの頃にふと戻り・・・なんてことは全く無いのだが、お洒落なカフェやレ
ストランがひっそりとある様子はなかなかに魅力的ではある。そしてクラッシックカーが良く似合う街だ。
昼 コロニア 「メゾンデプラザ」 サラダ、シーバスのグリル ケッパー添え、アイスクリーム、持参のふ
すまパン、エスプレッソ 3j
マヨール広場、サンフランシスコ修道院跡と灯台を見た後暑い暑いとふーふー言いながらマリーンへ。
マリーンと言っても海は無いからラ・プラタ川でヨットやクルーザーで楽しんでいる。また暑い暑いと汗を
ふきふき昼食レストランへ。シーバスのグリルがなかなか旨い。食事の間、ステキな歌声が聞こえて来
た。チョイハンサムな男性はかつてオバサマ方のハートを鷲づかみしたフリオ・イグレシアスそっくりな
ソフトな歌声。懐かしかぁ!添乗員H田さんは若いから「フリオって何ですか」。知らんのよね、君は。
ポルトガルとスペインが共に生きる街 植民地時代を再現したナカレリョの家
3jのエスプレッソを飲んでいる時、10人位のグループが入って来た。あら、日本人のグループだわ。
ランチの後は旧市街でのフリータイム。でも、まぁ5人しかいないから一緒に歩きましょうか。旧市街に
は植民地時代の建物を利用した小さな博物館が7つあると言う。じゃ、それ見に行きましょ。植民地時
代を再現したナカレリョの家。撮影禁止というわりには特に見るべきものも無い。隣の市立博物館。古
代の土器の隣の部屋には巨大なアルマジロや恐竜の骨格標本、その隣はペンギンの剥製と蝶と昆虫
採集標本、その隣は昔の生活用品と言った具合に何でもありの展示だった。もう1軒の見るモノが無い
地域資料館の他はすべて休館であった。共通券が無駄になった恰好。暑いし早めにホテルに帰ろう。
夜 ウルグアイ・コロニア 「リアル・コロニア」 トマトとアスパラのサラダ、ラビオリトマトソース、フルー
ツポンチ、持参のふすまパン、ビール 5j、白ワイン 5j、赤ワイン 5j
ホテルに帰ると疲れと寝不足で一気に昼寝モードに。1時間だけだが泥のように寝た。気持ち良かった。
今の季節は夜9時過ぎないと暗くならない。だから8時半の夕食開始時間になってもピッカピカに明る
いのだ。酒を飲むにはチョイと気が引けるが、大きなワイングラスにたっぷり注いでくれるのが嬉しい。
私以外の皆さんは9時半タクシーで夜の旧市街見学に出かけてられた。私は部屋で酒を飲んでいる。
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2月 7日(木) ウルグアイ・コロニアもモンテビデオも晴れ
朝 ウルグアイ・コロニア 「リアル・コロニア」 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン
昨夜マキコからメールが来た。4月2日新開場する歌舞伎座の4月チケット購入を依頼していたのだが
T部、U部、V部とも無事最前列をゲットしたとあった。何せゴールド会員の上のボーナス会員だから
1番に買えるのさ。そのマキコから朝5時にもメールが来て起こされたので、そのまま起床。オープン時
間の7時半に行ってみると朝食ヴュッフェはロクに料理が揃っておらず食べる物が無いぞ。9時出発。
昼 モンテビデオ近郊 ワイナリー「ジャニコ」 チーズとハムの前菜、サラダ、パリジャータ(肉の塩焼
き盛り合わせ)、持参のふすまパン、アイスクリーム、ワイン5種(白、赤ワイン3種、貴腐ワイン)
首都モンテビデオ郊外にあるワイナリー「ジャニコ」 を訪問
タナットゥ種のぶどう
首都モンテビデオに向けて移動。車はボロいワゴン車で、スーツケースを積み上げた最後列の座席に
座ったら、タイヤの上の座席で足の置き場が無い。ガイドのオジイさんが日本語で「浜辺の歌」を歌って
いる。窓から見えるのは牛がのんびり草を食む牧歌的な風景である。11時半ワイナリーの「ジャニコ」
に到着。270haの広さと年間400万gの生産量を誇るウルグアイ・ワイナリーの大御所的存在らしい。
真っ青な空に白い雲が浮かび、どこまでも続くぶどう畑にたわわに実るぶどう。美しい風景だ。カンタン
なワイナリー見学の後、試飲を兼ねたランチ。白ワイン1種、赤ワイン3種、その上デザートには貴腐ワ
インも出して貰った。オードブル、サラダに続いて「アサード」と呼ばれる牛肉の炭火焼きがドカンと並べ
られる。食べても食べても無くならない。一昨日の夕食の小さな牛肉を思い出し皆さんで笑い合った。
第1回W杯が開催されたセンテナリオ・スタジアム
牛引きのオブジェ 首都のランドマーク・サルボ宮殿
2時半に「ジャニコ」にサヨナラをしてモンテビデオまでは約30分の距離。午後3時過ぎには首都に入
る。人口170万人というから、さすがに車と人が多い。行政庁を見た後、第1回のサッカーワールドカッ
プが開かれたセンテナリオ・スタジアムに行く。1930年建国100周年を記念して建設された。因みに第
1回大会の優勝国は開催国のウルグアイであった。独立広場に立つとサルボ宮殿がイヤでも目につく。
この建物が建てられる前はレストランがありそこで「ラ・クンパルシータ」が最初に演奏されたと聞いた。
夜 ウルグアイ・モンテビデオ 「El Milongor」 サラダ、チキンパテ、ビーフ、ラビオリ、ケーキ、ワイ
ン、ビール 4j
一旦ホテルにチェックインしてから、モンテビデオ湾の外れにあるセーロ要塞に行く。湾の向こうにモン
デビデオの町が美しく見えた。街に戻ってウルグアイ・タンゴショーを観に行く。「El Milongor」で食事
と飲み物付きである。薄暗い中で、パテや肉やラビオリを取り分けて食べる。切ってから持って来いっ
つーの!I東さんはこのタンゴショーを観るためにツァーに参加したのだそうで、店に着いた時からカメ
ラを持ってソワソワしている。10時ショー開始。ガウチョ姿の男女ダンサーによるカンドンベやフォルク
ローレなどのダンス、男女歌手によるタンゴ歌唱、そしてたった1組しかいないタンゴダンサーカップル
によるタンゴ。何だかとても地味な舞台である。それでもI東さんは舞台の真ん前まで行って夢中でシャ
ッターを切っている。明日出発が早いので、I東さんを除く4人は11時過ぎに帰ることに。長い一日だ。
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2月 8日(金) ウルグアイ・モンテビデオもアルゼンチン・チャハリも晴れ
アルゼンチンペソ(ARS)=約20円
朝 モンテビデオ 「FOUR POINT by SHERATON」 朝食ヴュッフェ
正面の丘が「我は山を見たり」
昨夜は午前1時に寝たが、5時には起きた。シャワーを浴びてパッキングを済ませ、6時25分レストラ
ンに行くと1番だった。グループとはいえ一応シェラトンホテルなので、ヴュッフェの料理の品揃えはま
ずまず。食事が終わりかけた頃、携帯電話が鳴った。K谷さんだった。K谷さんから去年3月にもプエ
ルトリコにいる時電話があった。「今ウルグァイですけど」と言っても余り驚かれない。我が家の近所の
小料理屋で宴会を始めるところらしい。ま、そんなことで合流は無理です。8時出発して昨日見落とした
憲法広場へ。この広場には植民地時代に建てられたドォーモが建っている。首都モンテビデオの由来
が面白い。マゼランが世界一周航海をしている時この辺りを通過。海ばかり見て来たマゼランは叫ぶ。
「我は山を見たり」(スペイン語でモンテビデウ)。山と言っても標高132mの丘だが。それが見えたよ。
昼 ウルグアイ・ユング 「El RANCHO」 ランチヴュッフェ、コーヒー 2j
今日から2日間はひたすら移動である。ウルグアイを西北方向に斜めに横切って後はウルグアイ川に
沿って北上しアルゼンチンの温泉地チャハリまで行く。景色は相変らず牧歌的だが、青い空に浮かぶ
白い雲が美味しそうだ。今日のドライバーはスピード狂のようで、時速140キロでぶっ飛ばしている。ベ
ンツだが、狭くて乗り心地が悪いから早く着いて貰うのは歓迎である。ランチはユングという町のレスト
ランでヴュッフェ。網焼き牛肉パリージャが魅力的である。草を食べているウルグアイの牛肉は旨い。
夜 アルゼンチン・チャハリ 「温泉地の何チャラレストラン」 サラダ、前菜、パリジャータ(肉の塩焼き
盛り合わせ)、フルーツ、持参のふすまパン ビール 3j、赤ワインボトル10j3人でシェア
3時半、予定より1時間早くアルゼンチンとの国境に到着。我々は48分で通過したが、ウルグアイ人ド
ライバーのチェックがなかなか終わらない。結局1時間20分かかった。アルゼンチンとの時差は1時
間なので、午後5時の時計を午後4時に戻す。日本とは時差12時間である。4時40分チャハリとい
う温泉地のホテル「ブエナス・アグアス」に到着。至って簡素な宿で客室にはグラスゼロ、ごみ箱ゼロ、
で蚊が飛んでいる。早速香取クンじゃなくて蚊取線香を焚く。温泉地と言っても日本のそれとは大違い
で、温泉プールがいくつかあって、そこで人々は泳ぐか寝そべっているという風景であった。こんなに暑
い中での温泉は魅力的じゃあないわな。夕食は敷地内にある何とかいうレストランで。肉の網焼きのパ
リージャがどっさり出て旨い。H田添乗員を入れても5人。女性3人は全員酒飲みだからワインをグビ
グビ。男性2人は酒を飲まないから水。ウルグアイワインも旨かったが、アルゼンチンワインも良いね。
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2月 9日(土) アルゼンチン北東部 晴れ 一時雷雨と雹
朝 アルゼンチン・チャハリ 「ブエナス・アグアス」 クロワッサン、飲むヨーグルト、コーヒー
朝食これだけ?
5時半起床。チョー簡素な宿だから、客室には電話も無い。よってモーニングコールというかウェイクア
ップコールも不可。H田添乗員によるウェイクアップノックがあったのは6時25分だった。簡素な食堂
の方からパンを焼く美味しそうな匂いが流れて来た。匂いにつられて食堂に行くと、何とパンとお茶しか
無いのだった。これだけ・・・・寂しくて泣きそう。8時出発の予定が、迎えの車が遅れて8時15分出発。
昼 アルゼンチン北東部のガソリンスタンドにて H田添乗員特製おにぎり、エンパナーダ、チパなど
毎日変わる移動の車。今日はこれまでで1番大きな車で、しかもビデオまで備えている。小さくも無いカ
ラダを折り曲げて何時間も移動するツラサが今日は幾分解消されそうだ。ガイドもドライバーも今日の
2人は比較的若い。ウルグアイ人もマテ茶好きな人が多かったが、アルゼンチン人の今日の二人も相
当なマテ茶好き。自分達で飲んで楽しんでいる分には構わないのだが、マテ茶は入れ物のボロンゴと
マテ用ストローのボンビーリャのセットを回し飲む文化。そうすることによって人間同士の強固な絆が生
まれるとか何とか。だから断るにも「今はお腹一杯だから」とか理由づけにも気を使うらしいよ。今日の
移動はひたすら北に向かってパラグアイの国境に近いポサーダスまで走る。昨日は約500`、今日は
370`を走る。アルゼンチンの最北部地方だから、はっきり言えば田舎。レストランも1軒も無いような
田舎である。よって今日のランチはガソリンスタンドに隣接した食堂のような場所で食べる。先ずはH
田添乗員が早起きして作ってくれた特製おにぎりが配られた。嬉ぴい!!何とう美味しさ。ガイドが温
めたサンドイッチやアルゼンチンミートパイのエンパナーダやマンジョーカを焼いたチパなどを用意して
くれたが、もういいわ。食事している間に、あれだけ晴れていた空が真っ暗となり、強い風と雷鳴の後激
しい雨が降って来た。そのうち雨は雹に代わった。食堂の建物にもジワジワと雨が沁みこんで来たぞ。
夜 アルゼンチン・ポサーダス 「ホテルマイタイ」 スモークサーモンと茄子の前菜、魚のマリネ、
フラン、ビール 5j、白ボトル 6j3人でシェア、赤ワイン 10j3人でシェア
30分後雨は止んだ。ポサーダスに向かって再び移動を開始。H田添乗員が用意して来たビデオで「ミ
ッション」を観る。「ミッション:インポッシブル」じゃないよ!18世紀南米の先住民グアラニー族に布教し
たBイエズス会宣教師たちを描いた1986年製作のイギリス映画である。明日、その舞台となった遺跡
を訪れる予定である。何度かスコールが続き、午後4時前ポサーダスのマイタイホテルに到着。昨日に
続いて家族向けのリゾート施設らしい。何か温度差があってね、彼らとは。7時半からの夕食では、女
性3人で白と赤ワインのボトルを2本取り、シェアしてガビガビと飲む。白のボトルは6j、赤は10jと
いう安さだが、とても旨いワインだった。料理も前菜もメインも魚料理。なかなかイケル夕食であったよ。
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2月 10日(日) パラグァイは晴れ 何度か激しいスコール 4500グアラニー=約1j
朝 アルゼンチン・ポサーダス 「ホテルマイタイ」 朝食ヴュッフェ
パラナ川が国境。左側がアルゼンチン・ポサーダス、右側がパラグアイ・エンカナシオン
今日は朝7時半出発である。朝シャワーを浴びることもあり、出発前3時間前には起きることにしてい
るから4時半起床。今日迎えに来た車は小さなバン。えぇ!これで600`も走るの?4人にキンチョー
が走る。いえいえこの車に乗るのはパラグアイの国境を超えるまでの30分と聞いて一安心。日本人の
Tさんが迎えに来てくれた。仕事でパラグアイに来て、そのまま30年住まれているそうだ。やがて国境
であるパラナ川にかかる橋を渡る。渡り切ればパラグアイのエンカナシオンとなる。風景が一変した。
ミッションはパラグアイ南部を中心に存在した
こんな教会があったらしい 先住民グアラニー族Jは東洋系
最も保存状態が良いトリニダー遺跡は世界遺産に登録されている。1706年から45年かけて造られた
見事な教会壁面の彫刻
天使の顔立ちはグアラニー族 鐘楼と見張り台
パラグアイに入った途端赤土となった。草を食む牛も白牛となる。パラグアイ首都のアスンシオンから
迎えに来てくれたガイドのホセと若いドライバーの車に移る。そのままトリニダー遺跡へ。昨日移動中
に観た映画「ミッション」に描かれたイエズス会とグアラニー族が理想郷として築いた教会を中心とした
伝道所である。ジャングルを切り開き教会、修道院、鐘楼、学校、住居、農作地、墓地を造り上げ、イエ
ズス会の追放と共に終わったミッションは再びジャングルに覆われて人々から忘れられて行ったのだ。
1685年建設が始まったヘススミッションはアラブ風の教会であった
屋根が無いだけの保存状態の良いヘススの教会跡 畑には今も野菜が作られている
トリニダー遺跡の近くにあるヘスス遺跡に行く。トリニダーがイタリア様式だったのに比べ、こちらはアラ
ブ風建築。1685年建設が始まり、完成1歩手前でイエズス会追放となった。こちらも世界遺産に登録さ
れている。こんなミッションで数千人のグアラニー族と2、3人の宣教師が生活を共にしていたのだね。
昼 パラグアイ・エンカルナシオン 「PAPILION」 ランチヴュッフェ、コーヒー 1j
エンカナシオンに戻ってホテルのレストランでランチ。パラグアイで食べる初めての食事だが、世界の
料理ヴュッフェという感じであった。日本食は無いけど。サラダに牛肉焼きのアサード、パスタにタイカ
レーという料理が皿に並んだ。やがてラテンコーラスの演奏が始まった。懐かしいねぇ、こうゆう音楽。
トリオ・ロス・パンチョスとかチカロスとかグループいたなぁ。♪ベーサメ ベサメムーチョ・・・。日曜日の
昼とあってレストランはファミリーで満席。レストランの一角にはたくさんのマテ茶が展示されていたよ。
夜 パラグアイ・アスンシオン 「ラス・マルガリータス」 トマトスープ、ポーク、伝統的なケーキ、ビール
3j、白ワイン 4j、赤ワイン 4j
12時40分、パラグアイの首都アスンシオンに向け出発。途中何とかいう町の教会を覗く。午前中見学
したミッションにあった聖像などが保管されていた。イエズス会の修道僧が彫ったものに較べて、技術
が追いつかないグアラニー族の作品には愛嬌があって微笑ましい。移動再開。ホセと若いドライバー
は今朝0時にアスンシオンを出てエンカナシオンまで迎えに来た。つまり徹夜である。乗っている身は
心配だ。ドライバーの疲労を考慮して運転はホセになった。カラダもデカイが、力強い運転である。途中
何度もスコールに遭いながら、午後7時半アスンシオンのホテルに到着した。やれやれ、お疲れ様!8
時半から夕食。ぐびぐびビール飲みプッファー。旨い!たっぷりトマトスープも旨いし。ここに3連泊だ。
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【今週の振り返り】
パラグアイのことは次週に回すとして、ウルグアイについて書こうと思う。「ウルグアイ」と聞いて、それ
が南米の小国であるとスッと思い浮かべる人はとても少ない。ましてやその国のある場所を正確に言
い当てる人など1人もいなかった。それほどに知名度の低い地味な国なのである。面積は日本のほぼ
半分。南米では2番目に小さい。1番小さい国?スリナムです。それがどこにあるかは、自分で調べて
下さい!私は知っていましたよ。アルゼンチンのブエノスアイレスには過去3度訪れた。その都度、ラ・
プラタ川の向こう側を指してガイドは言うのだ。「川のあちら側はウルグアイです」。
ウルグアイの正式国名は「ウルグアイ東方共和国」と言う。ウルグアイ川の東にある国だから。ウルグ
アイとは「ウルという鳥が住む川」という意味だそうだ。北と東にブラジル、西はアルゼンチン、南はラ・
プラタ川と大西洋に面している。つまりブラジルとアルゼンチンという大国に挟まれた緩衝地帯的な位
置にある国だ。スペインとイタリア系の白人が9割を占め、ウルグアイ人がいる街中の風景は、ちょっと
見にはヨーロッパと変わらない。それはアルゼンチンも同じで、この2ヶ国は白人の国だ。ついでに言え
ば、ブエノスアイレスとウルグアイの間に流れるラ・プラタ川は南米の三大河川のひとつでウルグアイ
川やパラグアイ川、パラナ川はその支流である。三大河川の他の二つはアマゾン川とオリノコ川だよん。
と命名したのだそうだ。2年前2度目の南極に行く時、このラ・プラタ川を下って大西洋に出た。夜出航
して1夜が明けてデッキに出ると周囲は海。四方八方どこを見ても海だ。今どのヘンにいるのかな、と
航行地図を見ると、何と未だラ・プラタ川を進んでいるのだった。それほどにラ・プラタ川は長くて広い。
河口部分は全幅約270`もある。気が遠くなる広さだ。但し、水深の浅さがネックで内陸部まで大きな
船が行き来出来ない。よって経済的貢献はそれなりでしかないのだ。
1986年のウルグアイ・ラウンドと言う通商交渉なんてのもあったが、興味無いと思うから割愛してと。
サッカー好きの方ならウルグアイは知られているのではないか。何と言っても、1930年に行われた第
1回FIFAワールドカップはウルグアイで開催されたのだから。そして優勝も開催国のウルグアイだっ
た。1950年に行われたブラジル大会での決勝リーグは4チームの総当り戦となったが、実質の優勝
決定戦はブラジル対ウルグアイの戦いであった。リオデジャネイロのマラカナンスタジアムで行われた
この1戦にブラジルは引き分け以上で優勝が決まる。ところが、ブラジルはウルグアイにまさかの逆転
負けを喫してウルグアイは2度目の優勝国となった。敗戦の瞬間、スタジアムではあまりの結果にショ
ック死する人、自殺する人が続出して「マラカナンの悲劇」と長く呼ばれるようになったのだそうだ。この
時、ブラジルチームのユニフォームは白だったが、縁起が悪いと思ったのかカナリア色に変更した。今
もブラジルのチームカラーはカナリア色だが、そんな歴史があったのだと今度思い出してね。それから
ウルグアイサッカーは暫くナリを潜めていた恰好だが、2010年行われた南アフリカ大会では堂々のベ
スト4となって、かつての実力をチラリと見せた。この大会の最優秀選手はというと、ウルグアイのFW
ディエゴ・フォルランであったのよ。
アルゼンチンタンゴの名曲と言えば「ラ・クンパルシータ」。この曲を作曲したヘラルド・マトス・ロドリゲス
は、実はウルグアイのモンテビデオ生まれなのである。そうそう、こんな話もある。人気絶頂期に飛行
機事故で急逝した不世出のタンゴ歌手として知られるカルロス・ガルデル(1890〜1935)はアルゼンチ
ンの国民的英雄ではあるが、生まれはウルグアイであるという説も根強く残っている。ウルグアイタン
ゴのショーを観に行った。ブエノスアイレスでも何度か観たタンゴショーに較べると、かなーり地味なも
のであったが、その素朴で土臭い感じがいいのよね、と言われれば、「そうね」と答えたくなる。ワインも
旨いし、草をたくさん食べて育った牛も旨いし、人々は穏やかだし、他の南米国に較べれば安全だし、
油断して生活出来る国って感じがするのだよね。次週はパラグアイとアルゼンチンを紹介しまーす。
この国の猫も可愛いって書いてニャ
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ようやく2月1週をお届けします。え?もう3月ですって?
タイヘンだぁ。今日から国内旅で5日間出かけるのに・・・。