パクパク日記13年4月3週

           一度イランに行ってみてよ、イランの人に会いに。ホントに面白いから!

       イランの女子中学生 イランの薔薇

4月 15日(月) イラン・テヘランは朝雷雨!のち晴れ

朝 イラン・テヘラン アザディ・グランドホテル 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン

  

6時半に起きて、19階の客室のカーテンを開ける。昨日キレイに見えた雪山は厚い雲に隠れてしまっ

ている。眼下の高速道路には早朝にも関わらず多くの車が渋滞ノロノロ運転中だった。イランで一番の

ホテルというだけあって、朝食ヴュッフェも一見豪華。でもよく見れば、まぁ同じようなものであった。バ

スルームにヘルスメーターがあった。ジェジェ!2.5キロ減!イランは粗食だったから痩せたのか。ハリ

キリ添乗員T村サンと希望者の皆さんは朝の散歩に出かけられたが・・・。5分もすると真っ暗になり、

ピカッと光ったかと思った突端ゴロゴロドッカーン!!激しい雨が降りまくる。散歩隊は大丈夫かぁ!

  

    ゴレスタン宮殿は裁判所の隣にある                  ペルシャ式庭園にはバラが咲き乱れる

     

           ゴレスタンとlは「バラの園」の意味         珍しい浮き出たタイル           壁画にはこんな楽しい絵柄も

10時チェックアウトした時には、激しく降っていた雨が止んだ。またしても、私達は「恵みの雨」をイラン

にプレゼントしてしまったかな。テヘラン北部郊外から町の中心部へに移動し、ガージャール朝1794

〜1925年)の王宮であったゴレスタン宮殿に行く。ゴレスタンとは「バラの園」という意味。これまでも

何箇所か訪ねたペルシャ式庭園。まさにバラが真っ盛りであった。ゴレスタン宮殿には7つの博物館が

あり、そのひとつに入る。シラーズのハムゼ廟の内部もそうであったが、建物の中の壁は鏡モザイク張

りで眩しい。歴代のシャーが客人を迎えた広〜〜い応接室にはシャンデリアが何基もぶら下り、宝石何

万個も使ったシャーの玉座(コピー。ホンモノは宝石博物館に)が鎮座まします。隣室には世界各国か

ら贈られた豪華な陶磁器などの数々が展示されている。贅の限りを尽くすってこうゆうことかと呆れる。

昼 イラン・テヘラン ペルドーシー・グランドホテル サラダ、ヨーグルト、ディーズィ料理(スープ・ディ

ーズィ)、石焼きナン、持参のふすまパン、デザート、紅茶、コカコーラゼロ(旅行会社のサービス)

  

  

イラン最後の食事はイラン伝統料理の中でも手間ひまかけたディーズィ料理。牛肉、大豆、ひよこ豆、

トマト、じゃが芋を石鍋の中で5時間かけて煮込む。その熱々のスープだけが運ばれて来たら、ナンを

細かく千切って入れて食べる。次に水分が無くなった具が潰されペースト状になったものがお皿で登場。

これをナンで挟んで食べるのだ。このレストランは高級だから、ナンも石焼きだよん。旨いなぁ。ナンも。

   

    イラン・メッリー銀行地下金庫に宝石博物館はある。入口は右隣にある中央銀行

イラン最後の観光は宝石博物館。歴代のシャーや王妃達が収集したトンデモナイ宝石の数々。インド

から戦利品として奪略して来た「光の海」という名のピンクダイアモンドは実に182カラット!余りに大き

過ぎてガラスみたいに見えたぞ。この時一緒に奪って来た「孔雀の玉座」は26000個の宝石が埋め

込まれている。3,6`の純金と51336個の宝石が埋め込まれているのは「宝石の地球儀」。イラン

部分はダイヤモンドだよ。パフラヴィー朝初代シャー即位のために用意された王冠「パフラヴィー・クラ

ウン」はダイヤモンド3000個が使われている。もう見るのもイヤ!(もちろんウソだけど)って程の宝石

をたっぷり見たが、一番心を奪われたのはトルコ石だった。そうそう、トルコ石はトルコでは全く摂れず、

イランの名産なのだよ。原石も含め、こんなに豪華な宝石が多数揃っているのは世界で一番かもなぁ。

午後のお茶 テヘラン北西部 ガイドAさんのご実家 紅茶

空港に行くまで少し時間があった。スルーガイドのAさんが「じゃ、ボクの実家に行く?お母さん待って

いるよ」と我々を招待してくれた。イランの一般ご家庭を訪問出来るなんてラッキーじゃないか。お家に

着いてみるとお母さんは近所に遊びに行かれ近くに住むお姉さんと甥御さん2人が待っていてくれた。

2人とも凄くハンサム。次男の名前はアラシ。良い名前ね。やがてお母さんが帰って来られ記念撮影。

夜のお茶 テヘラン空港ビジネスラウンジ コカコーラゼロ、アーモンド

遅い夜 カタール航空 テヘラン=ドーハ ビジネスクラス機内食 ビール、赤ワイン

  

イランは家族の繫がりがとても強いそうだ。空港まで送ってくれたAさんには甥のアラシ君も一緒。また

イランに来てね、とAさんとお別れ。ずっと一緒だったから寂しいね。セキュリティチェックの次は、イミグ

レで出国審査。映画「アルゴ」の終盤で緊張する場面はこれからだった。なんて話は34年前だし、私ら

日本人だしね。キンチョーなんてゼロさ。午後10時カタール航空ドーハ行き搭乗開始。「あと1時間ちょ

っとで酒が飲める!」と焦ったせいか、1番で飛行機に乗った。ホテルの自室以外ではずっと被ってい

たスカーフを脱ぎ捨てる。あぁスッキリ!!1週間暑かったぞ。12席しかないビジネス席では食事が始

まってもコーラやトマトジュースなんか飲む男性ばかり。なかなか難しい雰囲気だが、私はゼッタイ飲み

ますからね。まずビール。キューっと。あら、冷えていないじゃないの!じゃ、赤ワイン下さい。お替り!

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4月 16日(火) 東京は晴れ  ボストンマラソンで連続爆発テロ事件! イラン南東部でM7.8の地

朝 カタール航空 テヘラン=ドーハ ビジネスクラス機内食

  

1週間ぶりのアルコール。やっぱり酒はいいわねぇ。2時間強のフライトでドーハ着。時差は1,5時間戻

って午後11時過ぎだった。また遠い場所にあるビジネスラウンジで2時間程過ごしてから成田行きの

カタール航空搭乗。午前150分発である。赤ワイン3杯グビグビ飲む。2時間半ウトウトしてから映

画「アルゴ」2度目を観る。1度目には気がつかなかったが、確かにテヘランの町の背後には雪山が見

えていた。秘密警察を駆使して反体制分子をバシバシ死刑にしていた欧米諸国べったりのパフラヴィ

ー国王。革命が起こりそうになると、休暇と称してエジプトへ脱出し、亡命した。何ヶ国かを転々として

癌治療のためとアメリカに入国する。アメリカが元国王の入国を認めたことに抗議し、イスラム法学校

の学生らがテヘランのアメリカ大使館を占拠して外交官や海兵隊員52名を人質にし、元国王の身柄を

イランに渡すよう求めた。イランの人が観たら違う描き方になるのだろうし言いたいことも山のようにあ

るだろうが、映画として観れば面白い。映画プロデューサー役のアラン・アーキンと特殊メーキャップの

ジョン・グッドマンのハリウッド組が実にイイ感じ。離れたばかりのイラン南東部で大きな地震があった。

昼 存在しない

夜 舟町 「無門」 前菜5点盛り、蕗味噌 500円、釜揚げ白魚(とろ玉入り) 780円、イベリコ豚の旨

辛(ぶーひー)しゃぶしゃぶ鍋 2200円、沖縄そば 生ビール 680円×2杯、麦焼酎「佐藤」ボト

ル 5,200円 @1万2600

  

  

フライト時間9時間半。時差6時間で午後550分成田に着陸した。一番に出て来たスーツケースだ

が、底部に大きな亀裂が入っている。カタール航空のデスクに行き、修理のために手続き。添乗員のT

村さん、皆さんお世話になりましたぁ!タクシーで帰宅し今夜は「無門」でブーヒー鍋を食べよう。冷たい

生ビールをグビグビグビ。プッハ〜。イランも良いけど、やっぱり日本はいいわ。豚と酒。日本も最高!

                   _______________

4月 17日(水) 晴れ ポカポカ陽気    三宅島で震度5強の地震!

朝 無し

昼 家食 牛コロッケふすまパンバーガー、オニオンスープ、ヨーグルト

  

昨夜はほろ酔いで帰宅してから、録画していた「あまちゃん」を観る。前作が暗〜いドラマだったから、

ハジケルようなアキちゃんと周囲が多いに笑わせてくれる。初朝ドラ脚本の宮藤官九郎の台本を何倍

にも面白く演じる役者達に脱帽だ。旅行中の洗濯に続き、スーツケース整理。全部カラッポにしてから

宅配便(着払い)で修理工場に送った。何度もスーツケース壊れているから、知っているよ、この工場。

夜 舟町 「おちあい」 お任せコース(鳥わさ、揚げ銀杏、お造り:帆立貝・イカ・蛸・ハマチ、和風しゅう

まい、鶏唐揚げ、よもぎそば、ビール(小)、麦焼酎 @4千円

  

  

毎月、多い時は月に2度海外に行く私だが、帰国すると行きたくなる店がある。「おちあい」もそんな店

の1つだ。ご主人は私より幾つか年上のオジサンだから「おくふろの味」ならぬ「オヤジの味」。でも、私

はご主人のことを「お父さん」と呼ぶ。亡くなった美人の奥さんは、私と同じ年だった。鳥わさの三つ葉と

海苔が良い香り。この店で鶏の唐揚げは珍しいが実に旨い。今日はポカポカ陽気で暖かかったからい

も鍋の気分でない。よもぎそばをお願いしたら、店の客全員よもぎそばになった。あちこちで「旨い!」。

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4月 18日(木) 晴れ 今日も暖か 長野市は27度超  

朝 無し

昼 四谷3丁目 「熱烈中華食堂 日高屋」 野菜たっぷりたんめん(麺少な目) 460円、おつまみ唐

揚げ 260

  

昼前乃木坂のプラズマ治療院。え?膵臓から反応?1週間禁酒したのに?イランを離れてから飲んだ

アルコールに過剰に反応しているんじゃないかって。胸腺も痛い。ここはストレスが多いと痛くなる。スト

レスあるか?むふふ。無い!治療帰りは久々「「大戸屋」にでも行きたいところだが、今日は早めに帰ら

ないとマズイ。マンションの高層階エレベータが修理のため1時間半停まってしまうのだ。即四谷三丁

目に帰り、「日高屋」でサクサとクランチ。炒飯食べながら、ずっと携帯電話しているオッサンがいたぞ。

夜―1 奥沢 「カフェ&リカモ イリダーレ」 おつまみいろいろ、持ち込みイランのピスタチオ、生ビー

ル3杯、赤ワイン

  

        初チーママユカとオーナーのミネリン               イランのピスタチオ持ちこみ            ユカ子息のヨー君は9歳

  

5時過ぎ、四谷経由で南北線に乗って奥沢に行った。東京には50年以上住んでいるが、初めて降りる

駅だ。あぁ、ここが鮪で有名な鮨屋「入船」ね。その数軒先にある一軒家「イリダーレ」はミネリンがこの

5年間、カフェのママとして、またビーズ刺繍教室の主宰者として活躍して来たお店だ。都合によって今

月4月末で閉店することになり、A木〇の呼びかけで「さよならイリダーレ」宴会となった。准教授は

早々と飲み始めていて、次いで森林が到着。最後にSブーがやって来た。カウンターの中にはミネリン

の横に今日が初のチーママとなったユカも。カウンターにはユカ子息のヨー君がスプライトを飲みなが

ら読書中。「5年間お疲れさまでした!!!」。閉店することになって来るって薄情だよね。ゴメンね、ミ

ネリン。彼女はカタカナ会社時代部下だった。ビーズ刺繍教室は恵比寿に移転して続けられるそうだ。

夜―2 自由が丘 ベトナム家庭料理「QUAN AN TAM (7人で)揚げ春巻、蒸し春巻き 800円

×3皿、青パパイアサラダ 1300円、牛肉の辛炒め、 1300円、ベトナム風お好み焼パンセオ 

1300円、牛肉とレモングラスの大葉巻 1000円、海老摺り身の厚揚げ 1100円、333ビール、

赤ワイン @5千円

  

自由が丘デパートの2階にあるベトナム家庭料理「QUAN AN TAM」にタクシーで移動。乗ったらす

ぐだった。入口には見たことある男性。あら、A木君じゃないの。彼も昔同じ職場だった。レジには看板

犬2頭がでーんと寝ている。ペット連れOKですって。店を閉めて来たミネリンとユカとヨー君も駆けつ

けて来た。それじゃぁ改めて「お疲れ様でした!」。昔同じ職場にいた7人が集まったわけだ。今もカタ

カナ会社で働いているのはSブー1人だけど。ベトナム料理好きの私が料理を注文。揚げ春巻き旨い。

A木君が「サービスです」と自信料理を何品か持って来てくれたが、牛肉とレモングラスの大葉巻が辛く

てとても美味しかった。「今も楽しいけど、あの頃もホントに楽しかったよね」と宴会は盛り上がるのだ。

                    _______________

4月 19日(金) 晴れ 一転今日は寒い!

 アーモンド

昼 代々木 「火の国」 小ちゃんぽん 680円、+野菜倍盛り 150円

    大好き!野菜倍盛りちゃんぽん

汗ばむような日が続いたかと思えば、今日はエラク寒い。体内サーモスタットもヘトヘトだろうなぁ。代々

木の整体。タク先生始め、医院の皆さんが心配して下さっていた。そうそう、イランではメールの送受信

出来なかった。イランに着いたばかりの頃と帰って来た日にイランで地震があったので、オジョーやキョ

ウコや大S子さんが心配してメールをくれた。ところが、メールが届かないので私は知らんぷり。オジョ

ーなど連絡が無いということは・・・とどんどん悪い方向に考えた人もいて。届かなかったメールは真夜

中のドーハにドバーっと到着したわけさ。確かに、先週泊まったホテルは火事になったし、行った国は

地震が2度もあるし。ま、無事でよかった。遅いランチは野菜倍盛りのちゃんぽん。麺は6本程食べる。

夜 銀座 「くーた」 (4人で)5250円のおためしコース(野蒜の酢味噌和え、5種刺身盛り合わせ、茄

子のそぼろ煮、行者ニンニクと帆立・茄子の天ぷら、南関揚げとうるいのお浸し、まなカツオの粕

漬け焼き、金目鯛の煮付け、炊き込みご飯、味噌汁、漬物)+雲仙スーパーポークの豚カツ、生ビ

ール 2杯、兼八500ml×3本 @9000

  

  

  

帰宅してからパクパク日記41週を作成し終えて、アップした。次はイランの週だなぁ。今夜もカタカ

ナ会社時代のメンバー達との飲み会がある。その名も「紫禁城の会」。あれから16年が経ったが、仕

事で一緒に中国・北京へ行き、私はあの人民大会堂でのスピーチと記者会見に臨んで冷汗一斗をか

き、M井ちゃんはお腹の具合がムムムとなって紫禁城で冷汗をかいた。N樹はその間に入ってオロオ

ロして冷汗をかいた。つまり冷汗3人組。H君はその時の中国側取引先H社に後年入社した。ここに

H社社長Kさんが参加すれば「紫禁城の会」はフルメンバーだが、最近は北京滞在が長いらしい。冒

頭、M井ちゃんから昨年末で退社したと報告があった。まぁタイヘンだわよね、いろんな会社があるか

ら。1年遊んでから働き始めたN樹は思いっきり忙しいらしい。私からは昨夜の奥沢・自由が丘宴会の

報告などもして焼酎が減って行く。歌舞伎帰りに何度か来たこの店5250円のおためしコースがお得。

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4月 20日(土) 曇りのち雨 今日も寒い!  中国四川省でM7の地震

朝 アーモンド、ヨーグルト

昼 新橋 「末げん」 かま定食(ご飯少な目) 1050円

  

ボストンマラソン爆発テロ事件の犯人が逮捕されたと言っている。チェチェン系のアメリカ人の兄弟であ

った。アメリカ入国時のセキュリティチェックが更に厳しくなるのだろうな、と溜息をついていたが、アメリ

カ在住の若者だったとは・・・。中国ではまたもや四川省で大きな地震があったと伝えている。四川省と

言えば、5年前にも大きな地震で多大な被害があったばかりだ。午前11時半には新橋の「末げん」の

前にいた。明治42年創業の老舗で、三島由紀夫が自決事件を起す前夜食事した店としても知られて

いる。前回来た時はご飯を少なくし過ぎてガッカリしたので、今日はアッサリ「少な目」と注文。一口目。

あぁ、この味!何種かの鶏挽肉とトロトロ卵に割り下の甘辛具合がゼツミョーに交じり合って。涙出る。

夜 四谷三丁目 「すし処 のがみ」 愛媛の大しったか貝、八丈島の初カツオ 1260円、噴火湾の活

ぼたん海老 840円、鬼殻焼き、佐島活スミイカ 940円、大阪湾〆中羽鰯 630円、卵焼き、握

り:鯵、ウニ軍艦巻、穴きゅう巻(半分)、納豆巻(半分)、生ビール 2本、麦焼酎 @8300

  

  

  

「末げん」でカンドーランチの後は、美容院に行ってカット&ダイをして貰った。午後遅く帰宅してイラン

のパクパク日記に取りかける。イランに限らず、海外に行った時のパクパクはホント手間ひまかかるの

じゃ。地名とか歴史とか建物の名前とか人名とか・・・いろいろをその都度調べて書くから時間かかるの

よ。そのわりによく間違えているよね、へへへ、ゴメン。夜も8時になったら、栄養補給をしたい。水分補

給も大事。どこで?「のがみ」で。夢子さん、昼も丼食べて、夜も鮨ですかぁ?米食べ過ぎでしょうが!

イヤイヤ、かま丼で食べたご飯はごく僅か。大昔はプラス100円で大盛り食べていたけど、今は具の

下の1〜2列だけよ、食べるご飯は。鮨だって3〜4貫だし。ま、言い訳です。鯵もウニも納豆巻も最高。

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4月 21日(日) 雨 寒いよ〜ブルブル!

朝 無し

昼 恵比寿「マトリョーシュカ」 シェフのお奨めランチセット(ボルシチ、サラダステーキ、雑穀バターライ

ス、ミルクティ) 1180

  

今日は更に気温が下がってさぶい!その上昨夜から降り出した雨も止んでいない。昼過ぎ恵比寿に行

く。いつもランチを摂るアトレ6階のレストラン階。日曜日とあって、どの店も行列だ。一番行列の短かっ

たのが、ここ「マトリョーシュカ」。前回でこの店のポイントカードにマトリョーシュカ人形のスタンプが10

個溜まった。500円のデザート2回、あるいは千円の金券となる。太っ腹だよなぁ。残りの180円払う。

2時からアーユフベーダ。ゴッドハンドS戸さんがリンパの流れを良くすべく強くマッサージすると、特に

膝下に溜まった毒がドクドクと流れていくような気がする。パンパンに浮腫んでいた膝下がすっきり!!

遅い夜 舟町 「山灯」 2635円のミニコース(前菜5種盛り合わせ、サゴシの菜花焼き、米沢牛ロー

スのたたき、桜井温麺)+吸い物(澤煮椀)、生ビール 2杯、麦焼酎「壱岐」 @4940円

  

  

帰宅したら6時過ぎだった。明日は朝から夕方まで歌舞伎で夜は宴会。イランのパクパクを殆んど今日

作っておかないとな。夢子倶楽部はもう12年にもなるが、シチメンドクサイことを始めちゃったものよの

ぉ。これさえ無ければ、ホントに「極楽バーさん」でいられたのになぁ。ブツブツ言いながらパソコンの前

に座って作業をしていたが、9時過ぎ指が止まった。「腹空いた!喉渇いた!疲れた!」。「山灯」に電

話するとカウンターが空いていた。ラッキー!もう遅いからミニコースにしよう。具だくさんの汁と麺だ。

                       ______________

【今週の振り返り】

  

  

  

イスラム教を大別すれば、スンニ派とシーア派に分かれる。イランはシーア派である。サファヴィー朝創

始者イスマーイール1世が16世紀始めにシーア派十ニイマーム派を国教とするぞ!と宣言したことか

ら、イラン国内はもとより周辺地域のアゼルバイジャンやイラクの一部にもシーア派十ニイマーム派が

広がって行った。「シーア」とはアラビア語で「党派」という意味だから、シーア派は「派派」ってことになっ

てしまうが、ハハ、いいか。イスラムの最大勢力はスンニ派で、シーア派はイラン、アゼルバイジャン、

レバノンを中心に10%〜20%の教徒がいると推測される。

イランは「イラン・イスラム共和国」と国名にもイスラムを付けているくらいだから、よほど厳格で過激な

のではないか。これまでもイスラム教の国には15ヶ国程行ったことがあるが、外国人観光客にも禁酒

を強いるわ、女性にはスカーフ着用やゆったりした服装を強要するわでイランって厳しいなぁと思ってい

た。全国民が敬虔なイスラム教徒なんだろうなぁ、とありし日のホメイニ師の厳しいお顔を思い出してビ

クビクしながら行ったわけさ。ところが。イスラム圏の街で日に何度も聞くお祈り時間を告げるアザーン

があまり聞こえない。一日のお祈り回数スンニ派は5回なのに対して、シーア派は3回なんですって。イ

スファハーンのエマーム寺院の金曜日。1979年に起こったイラン・イスラム革命から数年間は、祈りの

人で溢れて、エマーム広場まで祈る人々で一杯になった写真を見たことがある。ところが今はエマーム

寺院だけで十分みたいね。

エマミ・シュン・サラミ著「イラン人は面白すぎる!」という本によれば、スンニ派がシーア派を批判する

要因の1つとして、シーア派が「捌け口」を認めていることがあるらしい。つまり、忙しすぎてお祈りする

暇が無い時は心の中ですればいい、とか、やむをえない行事でお酒を飲まねばならない時は飲んでも

良い、とか、正月とラマダンが重なってしまった時はちょっとだけ食べてもよい、とか・・・。まさにジェジェ

ジェ〜!の連続である。イランに行く前にこの本読んでいたら、「やむをえない行事があるので」と酒を

入手出来たかもしれない。いや、出来なかったかな。より厳しいのがシーア派かと思っていたら、ナンだ

か穏健なのだなぁ。とはいえ、スンニ派アラブ諸国の中にはもっともっと世俗的な国あるけどねぇ。

1980年から約8年間続いたイラン・イラク戦争では、スンニ派アラブ諸国も欧米各国もイラク側を支援

した。君主制中心のアラブ諸国にすれば、国王を追放して革命を起したイランを許せない。この際、シ

ーア派根絶を大義名分にして、イラクのスンニ派アラブ民族主義者のサダム・フセイン大統領を応援し

よう、ということだったのだろう。アメリカは革命後、大使館人質事件もあって反米運動が盛り上がって

いるイランを支持は出来ない。ソ連や欧州諸国もイスラム革命精神がアラブ諸国に拡大することを恐

れた。イラクの圧倒的有利な戦況であったが、イランは驚異的な踏ん張りを見せて、力は拮抗。国連の

調停でようやく停戦となった。しかし、この戦いで両国は100万人を超える死者を出した。革命後のイラ

ンの人口は3500万人であったが、この不幸な戦争で更に減る。しかし、それから急増して今は7500

万人になった。世界一若い人の割合が多い国である。もっとも、この30数年でイラン国内はとんでも無

いインフレが続いて、当時の500600倍になっちゃったのよね。

そんな国に住むイランの人々。とても面白い。面白い上に、日本人がとっても好き。街を歩いていても、

宮殿を見学していても、ペルシャ式庭園を歩いていても、私らを見れば人々がわらわらと寄って来る。

「写真撮って良いか」「一緒に写真撮らせてください!」「握手して!」「日本を知っているよ」「イラン好き

ですか?」「イランのどこが好きですか?」「イランのどこに行きましたか?」・・・・。中学生や高校生の女

性集団などに出くわすと、もうキャーキャーと叫ばれる。触られる。写真を撮られる。私らはイランでは

みんなタレントになったような気分になってしまうのだ。一度大きな寺院のトイレに1人で行った時のこ

とだ。寺院も大きければ、トイレも大きい。そこに1歩入った私はパニクる。ジェジェジェ〜!広いトイレ

にいたのはっざっと30人の女子校生。その1人が私に気づいて指を指すと彼女達が一斉にこちらに

やって来た。私は・・・もちろん逃げましたよ。あ〜人気者はツライ!なんてね。

美しい橋の麓でピクニックしていた家族は、大きな風呂敷大のナンを「これ食べて」と私らにくれた。遺

跡で休んでいると、「食べない?」とお菓子を差し出す。夜10時頃広場に絨毯を敷いた家族は、「一緒

に座っていかない?」と誘ってくれる。空港で話しかけて来た若い女性に日本のキャンデーをプレゼント

したら、手作りの皮製のお財布をお返しだと差し出された。搭乗口に並んだ私に彼女は追いかけて来

て、「アドレスの交換しましょう」。世界130カ国を悠に超える国に行っている私だが、こんなフレンドリー

な国民を知らない。イランの国土が座った猫の形であることも気に入っているが、それより何よりこの愛

すべきイランの人々が素晴らしい。惚れてしまう。今回イラン旅に参加した皆で約束した。「このメンバ

ーでこのガイドでこの添乗員で西イランを旅しましょう」。禁酒はツライが痩せるし。

そうそう、「ちゃらんぽらん」はペルシャ語だそうですよ!

              西イランはいつ行くかニャ

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     * 旅の始まりは 4月 2週  をご覧ください。

      サンデー毎日の私ではありますが、大型連休というので、ちょいと出かけて

まいります。次回更新は 5月 15日頃かな。もっと早いかも・・・ないか。