パクパク日記13年7月2週
アラスカ・インサイドパッセージをクルーズ中。ブルブルッ!寒いぞぉ!
アイランドプリンセス号
アラスカクルーズ
7月 8日(月) アラスカ洋上は曇り 1j=約100円
朝 シアトル・ラディソンホテル 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン
広大なボーイング社航空機組み立て工場 イチローはもういないセーフコフィールド
昨日の夕刻シアトルに到着し、空港近くのホテルに1泊した。眠るのが下手な私は、トーゼンのように
昨夜も何度も目が覚めた。1時27分、2時27分、3時27分、4時27分。キッチリ1時間おきに目が覚
めるってどうゆうことだべ。悔しいから5時25分に起きることにする。シャワーを浴び、朝食を摂ってか
らバスでカナダのバンクーバーに向かう。ここからは180`しか離れていないんだよ。バスのドライバ
ービルさんは今朝4時半にバンクーバーを出て迎えに来てくれた。陽気なオッちゃんだ。シアトルと言え
ば、航空機のボーイング社とスターバックスの本社、それに今はイチローに去られたシアトル・マリナー
ズだ。そうそう20年以上前だがNFLシアトル・シーホークスのサマーキャンプに来たことがあったなぁ。
選手達はマジメにアメフットを学んでいたようだが、私は毎食クラムチャウダーを食べてご機嫌だった。
昼 カナダ・バンクーバー港停泊中アイランドプリンセス号 「ホライゾンコート」 ランチヴュッフェ、持参
のふすまパン
午後4時半アイランドプリンセス号出航 7泊過ごすミニスィート
車は順調にドライブを続け、10時42分カナダとの国境に到着。下車して税関申告書を提出し、パスポ
ートにスタンプを押して貰って終了。バスが再び発車するまで僅か12分しかかからなかった。バンクー
バーノダウンタウン。この町に来るのはこれで3回目だなぁ。シアトルに較べると大きな街だ。港でアイ
ランドプリンセス号の乗船手続き。これまで何度も大きな客船に乗っているが、えらく待たされることが
多くてね。と思ったら、スルスルッと進み、昼過ぎには船に乗れてしまった。私の船室は9階D622号室
のミニスィート。お隣はやはり一人参加のO頭さんだ。ランチは14階のカジュアルレストラン「ホライゾ
ンコート」に行った。レストランは他にもあるのに、乗船したばかりの人々は全員ここに来ちゃったって感
じで押すな押すなの大混雑。サクッと食べて船室に引き上げる。スーツケースを届けに来た客室係の
マーロウさんと挨拶。シャンパンを持って来てくれた。さて、スーツケースを開けて荷物の整理をしよう。
今日からこの船に7泊する。午後4時避難訓練。どんな船に乗っても必ずある。以前はオザナリにやっ
ていた感もあったが、何件か事故が起きたからかエラク真剣に熱心に訓練するんだね。4時半出航。
夜 アイランドプリンセス号 「プロヴァンス」 カリッと揚げた野菜の春巻き、ポルチーニ茸入りクリーム
スープ、じっくりローストしたプライムリブ、ソルベ、ベックスビール 4,95j、白ワイン 7,95j、
赤ワイン:カベルネソーヴィニオンロベルトモンダビ ボトル 27j
アイランドプリンセス号にはメインのレストランは2つある。5階の「ボルドー」と6階の「プロヴァンス」。
私達グループ18名(添乗員のK村さん含む)は、「プロヴァンス」のファーストシーティングに3つのテー
ブルを指定されている。ファーストシーティングは午後5時15分からのジェジェジェの早さだ。そんな早
くからの夕食はイヤヤって人は「ボルドー」に行って順番待ちする。あるいは「ホライゾンコート」でヴュッ
フェで済ませるとかね。ま、今夜は最初の夜だから全員「プロヴァンス」で。ちゃんと日本語メニューもあ
るんだよ。飲み物は飲み物担当に、料理は料理担当に注文。毎晩飲むんだから、赤ワインはボトルを
入れてしまおう。料理は何品頼んでも良い。食べられるなら。メインはじっくりローストしたプライムリブ
にした。フルコースが終わっても未だ7時20分。セカンドシーティングの客の食事は7時半からだ。外は
昼間のような明るさ。これから歌やダンスのショーを観たり、カジノに行ったり、映画を見たりのお楽しみ
が始まる。のだが私は自分の部屋にマッシグラ。パジャマに着替えて濃い水割り飲みながら読書だよ。
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7月 9日(火) 曇り
朝 アイランドプリンセス号 「ボルドー」 パイナップルジュース、プレーンヨーグルト、マッシュルームオ
ムレツ&ソーセージ、持参のふすまパン、コーヒー
朝起きるとテレビを付けて船内チャンネルで現在位置を確認。ほう、今日はバンクーバー島を左に見な
がらインサイドパッセージと呼ばれる内海を航海するのだな。波も静かみたいだから、揺れないだろう。
旅行社Wではクルーズ中添乗員が毎日新聞を作って参加者に配ってくれる。この新聞作成作業は夜
中になるので気の毒でならない。今朝新聞が入ったのも午前3時半だった。この船室には大きなバスタ
ブもある。もっとも私はバスタブがあってもシャワーしか浴びないんだけどね。7時半「ボルドー」で注文
式の朝食。昨夜あまり眠っていないK村添乗員も一緒だ。落ち着いて良いが、特に美味しくも無いよ。
昼 アイランドプリンセス号 「ホライゾンコート」 ランチヴュッフェ、持参のふすまパン
船の中では朝から晩まで、スポーツ系やら文化系やらたくさんの講座や教室ヤプログラムが開かれている
今日は終日航海だ。時折り太陽も顔を見せるが、風があって外はエラク寒い。いつもクルーズではデッ
キ何周か歩く運動を毎日欠かさないのだが、寒いから止めにした。9時15分から小さなチャペルで自
己紹介タイム。北から旭川、宮城、山形、水戸、大阪、和歌山と地方から参加された方が10人、首都
圏が7人だった。いつも圧倒的に女性が多いのだが、珍しく男性も17人中7人と健闘している。自己紹
介の後は船内見学ツァー。途中まで一緒だったがどうもお腹の具合が悪いので離団して客室に帰る。
夜 アイランドプリンセス号「プロヴァンス」 (今夜のドレスコード:フォーマル) 蟹肉と門トレージャック
チーズのキッシュ、フレンチオニオンスープ、フェットチーネアルフレッド、持参のふすまパン、ピン
クグレープフルーツのソルベ、カモミールティ、グロシュビール 6,84j、赤ワイン:カベルネソーヴ
ィニオンロベルトモンダビ
夕食後、吹き抜けのアナトリウムでは名物のシャンパンウォーターフォールが始まる。船長も挨拶
今日は一日体調がすぐれなかった。昼食はスープとゼリーとスイカをちょっと食べただけで、あとは部
屋で静かに休んでいた。どうもお腹の具合が良くなくって。眠り、本を読み、トイレに通い・・・を繰り返し
ているうちに、早くも夕方。今晩はフォーマルナイト。プリンセスクルーズはプレミアムタイプではあるが
カジュアルっぽい雰囲気もあるからギンギンのオシャレはしなくても良い。料理の注文はお腹のことを
考えて、キッシュとスープとパスタ。消化に時間がかかりそぷな肉はヤメダ。夕食後、5階から8階まで
吹き抜けになっているアナトリウムに行く。プリンセス号ではクルーズが始まった2日目シャンパンウォ
ーターフォールで祝うのが恒例だ。船の主要スタッフが紹介され、船長がチョー短い挨拶をして乾杯。
シャンパンを1杯ご相伴に預かってから今日も部屋にすぐ帰る。夜中に時差が16時間から17時間へ。
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7月 10日(水) 雨のち曇り
朝 アイランドプリンセス号 「ホライゾンコート」 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン
最初の寄港地は、アラスカの最南端の町ケチカン。アメリカで最も降雨量が多い町だ
トーテムバイト公園のトーテムポール。先住民が育んだ独自の文化の象徴であった
樹齢1500年以上の杉を利用してトーテムポールを造り、立てる過程を撮影した写真が展示されていた
今回のクルーズで最初の寄港地はケチカンの町。アラスカ最南端にあって、人口1万5千人ながらアラ
スカでは第4の町だ。午前9時に集合して下船しようと思ったら、「予約したバスが間違えて他のお客乗
せて行ってしまいましたぁ!代替車来るまで1時間待って下さい」って。アメリカで一番降雨量が多い町
と聞いたが、10時前出かける時は雨ジャージャー。「世界のサーモンの首都」とも呼ばれるほど以前は
鮭の漁獲量が多かったそうだ。郊外のトーテムバイト公園に行く。アラスカ各地から集められたトーテム
ポールが豊かな緑の中に十数本展示されていた。ワタルガラス、サンダーバード、イーグル、太陽、月、
シャチ、酒、カエル、クマなど掘られているモチーフは、先住民の種族・部族に伝わる象徴であった。こ
こに来るまでトーテムポールにはさして興味も無かったのだが、面白いなぁ。霧女伝説の話が面白い。
昼 アイランドプリンセス号 「ホライゾンコート」 ランチヴュッフェ、持参のふすまパン
午後のお茶 プリンセス・アイランド 「ル パテスリー」 カプチーノ 2,88j
船に戻ってから一人参加のO頭さんとI藤さんを誘って「ホライゾンコート」でランチ。乗客は下船した人
が多いらしく空いていた。ランチは、ここ以外では「ボルドー」でしっかり注文料理を食べるか、逆にピッ
ツァやホットドッグなどでカンタンに済ませる方法もある。午後2時船は出航して明日の寄港地ジュノー
に向け出航。5階「ル パテスリー」。ここでたっぷりのカプチーノを飲みながら「小さいおうち」を読む。
夜 アイランドプリンセス号 「サバティーニ」 アミューズ、冷たい前菜盛り合わせ、カラマリとソフトシェ
ルクラブ、ビスク、パパラペーレとミートボール、ロブスターテール、持参のふすまパン、ラズベリー
ムース、カモミールティ、グロシュビール 6,84j×2杯、白ワイン、赤ワイン
プリンセスクルーズのどの船にもイタリアンの「サバティーニが人気である。料理は他のレストランと同
じでクルーズ代にインクルードされているが席料チャージが1人25j。そして予約しなくてはならない。
今夜は旅行社のW社が参加者全員をその「サバティーニ」に招待してくれた。冷たい前菜盛り合わせ
から始まって、魚介類の揚げ物、スープ、パスタ数種、メインととにかく量が多い。最初はワーイワーイ
と浮かれていたが、だんだん箸を持つ、じゃなかったフォークも重くなり・・・。もう食べられまへーん!!
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7月 11日(木) 曇り 午後から小雨
朝 アイランドプリンセス号 「ホライゾンコート」 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン
ジュノー郊外のメンデルホール氷河は今もどんどん後退している 白頭鷲(の剥製だよん)
朝5時に起きてシャワーを浴び、6時に「ホライゾンコート」に行くとガラガラだった。昨夜も夜中新聞を作
っていた添乗員のK村さんが資料を読みながらお茶を飲んでいた。今日はアラスカの州都ジュノーに
寄港。ジュノーとは金発見者荒くれ者2人のうちの一人の名前で、州都とは言うものの人口3万2千人
のちょっと寂しい町だ。確かに人口の多さではアンカレッジやフェアバンクスがずっと上だ。日本語を話
す青年コディさんの運転で郊外のメンデルホール氷河に行く。陸地から行ける珍しい氷河だ。ビジネス
センターで展示に寄れば、他の地域と同じで氷河の後退が止まらないらしい。以前氷河だった場所に
は大きな湖が出来ていた。1.6キロ離れたナゲット滝まで足を伸ばしす人が多かったが、私は湖の周辺
の花を撮影しながら過ごした。帰り道はコディさんのヘンな日本語を聞きながら船に帰る。記念撮影も。
昼 アイランドプリンセス号 「ホライゾンコート」 ランチヴュッフェ、持参のふすまパン
午後のお茶 プリンセス・アイランド 「ル パテスリー」 カプチーノ 2,88j
数年日本で過ごしたコディさんの大好物はお好み焼き。お好み焼きを思い出すとまた日本に行きたくな
るそうだ。アハハ。午後希望者はK村さんと一緒にマウント・ロバーツ展望台や町に出かけて行った。
私も船から降りてそのヘンをブラブラ。サーモンジャーキーなど買った。ずっと雨がシトシト降っている。
夜 アイランドプリンセス号 「バイユーカフェ&ステーキハウス」 牡蠣のシュリンプクリーム焼き、ザリ
ガニのクリームスープ、牛フィレステーキとベーコン、付け合せの温野菜とライス、ソルベ、カモミー
ルティ、グロシュビール 6,84j、赤ワイン(I藤さんにご馳走になった)
昨夜ご招待頂いた「サバティーニ」の他に、もう1軒席料チャージが有料のレストランがある。「バイユー
カフェ&ステーキハウス」で、今夜O頭さんとI藤さんの3人で予約している。席料は@20jである。
春日部でご家族とホテルを営むI藤さんはおっとりした美人だが、毎夜カジノで大金とまでは行かない
が負け知らずの勝ちを続けているそうだ。しかもブラックジャックは初めてで、旭川から参加されている
T田さんのご主人に教わったのだそうだ。皮肉なことに師匠のT田さんは一度も勝ったことは無いそう
で(笑)。「今夜は稼いだお金でワインのボトル入れましょうね」とご馳走して貰っちゃった。前菜は牡蠣、
スープはザリガニ、ならばメインは80オンスの牛フィレステーキにしよう。80オンスはグラム?調べた
ら224グラムだった。メインレストランは人数が少なかったのですぐ終わったとK村さんが来られた。
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7月 12日(金) 午前中曇り 午後から快晴!
朝 アイランドプリンセス号 「ホライゾンコート」 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン
スキャグウェイには大型船が続々と
5両編成のオワイトパス&ユーコン鉄道でホワイトパスまで往復した
深い渓谷にかかるかつて使用された橋
カナダ国境を通過 標高879bで列車は折り返す
レトロな車両が行き来する 再び列車は坂を下って行く スキャグウェイの町
明日の下船時間は早いぞ、ということで昨夜は9時半に寝てしまった。船に乗ると、ショーも見ず、カジ
ノにも行かず、バーにも行かない私は早寝早起きなんである。ところが。眠ってから僅か1時間後の10
時半には目が覚め、以降11時半、12時半、1時半と例の「1時間おき目覚め人間」になってしまった。
そして午前1時半からは全く眠れなくなり、その上足は攣るしで泣きたくなるよ。えぇい!と午前3時に
はベッドから置き出して本を読んだり、シャワーを浴びたり。5時ちょっと前に「ホライゾンコート」に行くと
ぶっちぎりの1番だった。7時45分集合して下船。船の近くに停車している列車に乗り込む。ゴールドラ
ッシュを機に建設が始まったホワイトパス&ユーコン鉄道。とうに役割を終えたが、今は観光用に夏の
5ヶ月だけ走っている。ヒートテック下着を上下2枚づつ着込んでも寒いので全車両に備えられている
ストーブの真ん前に座った。トイレも付いている。ディーゼル2台で15両を引っ張って8時20分発車。
1898年に着工し、延べ3万5千人が工事に携わった。資金は英国が、技術はアメリカが、施工はカナ
ダが担当して全工程178`が完成したそうだ。どんどん列車は上って行きカナダとの国境を過ぎた標
高879bで列車は折り返した。こんな場所での工事は大変だったろうなぁ。帰りはゴールドラッシュ当
時の面影が残るスキャグウェイの町で降りた。ウェスタン映画に出てきそう。帰り道間違えてヘトヘト。
昼 アイランドプリンセス号 「ホライゾンコート」 ランチヴュッフェ、持参のふすまパン
夜 アイランドプリンセス号 「プロヴァンス」 シュリンプカクテル、ワイルドマッシュルームクリームスー
プ、帆立貝のソテー3種のシトラスソース、持参のふすまパン、ソルベ、カモミールティ、グロシュビ
ール 6,84j、白ワイン、赤ワイン
汽車の旅を終えて船に帰り、昼食を摂った後の眠かったこと!今朝午前1時半からずっと起きているん
だものね。それじゃあ昼寝でもすれば良いようなものだが、昼寝なんかすると夜眠れなくなっちゃうから
なぁ。必死でガマンしたのでござるよ。それでも堪らず20分位派ウトウトしてしまった。ビールは1つ、ワ
インなら2つ、ワインのボトルは6つ。ドリンクカードが30まで行くと抽選でクルーズ中のドリンクがすべ
て無料になるそうだ。その私のドリンクカードがめでたく満杯となった。T田さんとN田さんも?あら、あ
なた方夫婦じゃないの。なんて対抗心燃やしてどうするんじゃ。午後7時15分に部屋に帰ってウィスキ
ーを飲み始めた途端に、どうやらうたた寝を始めたらしい。10時半に目が覚めてベッドで本寝に入る。
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7月 13日(土) 晴れ
朝 アイランドプリンセス号 「ボルドー」 パパイア、プレーンヨーグルト、ハムチーズオムレツ、ソーセ
ージ、持参のふすまパン、コーヒー
世界自然遺産の氷河湾でマージェりー氷河やランプルー氷河の迫力を満喫
今日は4日ぶりの終日航海日。何となく「下船しなくて良い」って嬉しい。今朝は5時50分まで寝ていた
から昨日の寝不足は解消した。アラスカの東南部の内海水路・インサイドパッセージを北に向かって航
行中のアイランドプリンセス号は今日の午前中いよいよグレーシャーベイ(氷河湾)に入る。昔私が吸
い続けた煙草、旅のハイライトやね。ナニ言うてんねん、アホ!グレーシャーベイは世界遺産に登録さ
れてるんだジョー。注文式の朝食を「ボルドー」で食べてから、厚着して14階に上る。サブッ!毛糸の
手袋もしなくっちゃ。海面に細かな氷が増えて来たなぁと思ったら、左手に大きな氷河が見えて来た。マ
ージェりー氷河だ。グレーシャーベイにはたくさんの海岸氷河があるが、マージェりー氷河は湾の最深
部にある巨大な氷河だ。大迫力。船は氷河の崩落を見たい乗客のために停泊してチョーゆっくり旋回。
昼 アイランドプリンセス号 「ホライゾンコート」 ランチヴュッフェ、持参のふすまパン
急いでランチをかっこんでから、引き続き氷河見学&撮影。正午にはランプルー氷河に到着。この頃に
は空は真っ青、太陽もギラギラと良い天気になってきた。名前はI知らないが高い山々が迫って来るよ
うに聳えている。深く抉れた氷河湾260年前までは氷河で埋め尽くされていた。それが後退したのだ。
午後のお茶 アイランドプリンセス号 「ル パテスリー」 カプチーノ 2,88ユーロ
夕方の一杯 アイランドプリンセス号 「Wheelhouse Bar」 シャンパン
添乗員K村さんは美人!
今夜は2度目のフォーマルナイト。その前に旅行社W社主催のプライベートサヨナラパーティが開かれ
た。添乗員K村さんの挨拶に続き、シャンパンで乾杯。K村さんとは縁がある。M上夫人とお喋りした。
夜 アイランドプリンセス号「プロヴァンス」 (今夜のドレスコード:フォーマル) 蟹肉と帆立貝と海老の
重ね、エンダイブボストンレタスとトマトサラダ、ロブスターテイルと網焼き大海老、持参のふすまパ
ン、ソルベ、カモミールティ、グロシュビール 6,84j、赤ワインボトル Ferrari corano 40j
下船は明後日だが、最後のフォーマルディナーのお約束はベイクドアラスカ。メインのロブスターテイル
と大海老を食べ終わるとデザートタイム。レストランの照明が消えて暗くなると、厨房のスイングドアか
らクルー達がベイクドアラスカのアイスクリームケーキに灯りをつけて行進してくる。厨房からは調理ス
タッフが全員出て来て整列し挨拶。客は拍手して大喜びという儀式だ。どこの海を航行していても、この
ベイクドアラスカパレードは行われるが、考えてみればここはアラスカ!まさにアラスカ海上でのベイク
ドアラスカパレードじゃないか。味は甘くてたいして美味しく無いんだけど。ボトルをまた入れちゃった。
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7月 14日(日) 曇り
朝 アイランドプリンセス号 「ホライゾンコート」 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン
昼 アイランドプリンセス号 「ホライゾンコート」 ランチヴュッフェ、持参のふすまパン
昨日グレーシャーベイを出ると船はアンカレッジに近いカレッジフィヨルドに向かった。この5日間航行し
てきたインサイドパッセージを出たことになる。インサイドパッセージは氷河の力で形成され、約1000
もの島々がある。白頭鷲や鯨、イルカなど多数の動物が生息している。私は鯨2頭と遠くで飛ぶ白頭鷲
を見ただけだったけどね。見所のカレッジフィヨルドに着くのは夕食後だから、終日航海の今日は下船
の準備だ。クローゼットにぶら下げてあった洋服をはずしてヒタスラ畳む、畳む。そうそう、どの船に乗っ
ても下船は朝。1泊分の荷物を分けて前日の夜にはスーツケースを出すことになっている。夜中にスタ
ッフの方々がホイサッホイサッと運んでくれるのだ。プリンス・ウィリアム湾に入り、左手に島が見える。
午後のお茶 アイランドプリンセス号 「ル パテスリー」 カプチーノ 2,88ユーロ
夜 アイランドプリンセス号「プロヴァンス」 冷製カレー風味カボチャクリームスープ、フィットチーネア
ルフレッド、黒ムール貝白ワインソース、持参のふすまパン、ソルベ、カモミールティ、グロシュビー
ル 6,84j、赤ワイン
クルーズ最後の見所はカレッジフィヨルド。ラッコは見逃したが、アザラシ3頭発見!
クルーズ最後のディナーであるが、カレッジフィヨルド見学優先の人達は別の時間に食事を摂るらしく
て集まった人数は少ない。午後6時にはカレッジフィヨルドに入る予定なのだ。メイン料理はムール貝に
したが、ベルギーやフランスで食べる時とは違ってバケツでは出て来ない。上品にお皿に盛られただけ
だからあまり腹の足しにはならない。しかし、同じムール貝を注文したN田夫人の他のオーダーを見て
ビックリするやら感心するやら。彼女はスープ、パスタ、ムール貝を食べ、その後でステーキを食べた。
つまりメインは2つ選ぶ。その上、ソルベ1つを私が舐めている時彼女はケーキを2種ペロッと平らげて
いた。「食べ物はガマンしない」ということらしい。食事途中でも、素晴らしい景色がチラチラと目に飛び
込んで来る。急がねば。午後7時食事が終わったら急いで着替えて14階へ。う〜む、素晴らしい景
色!あちこちに見える氷河は調査に資金を提供した大学の名前が付いている。割れた氷に動物を発
見。わぁ〜!3頭のアザラシだぁ。ラッコをたくさん見た人もいたようだが、私は見られなかった。残念!
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【今週の振り返り】
かつて私にとってのアラスカと言えば、アンカレッジだった。今のようにロシア領空を飛んでノンストップ
でヨーロッパに行けるようになる前は、アンカレッジ経由でヨーロッパに行ったものだ。当時の冷戦時代
のソ連は、ソ連内に着陸することなく領空を飛行することに多くの制限を設けていて、ヨーロッパまでの
最短のシベリアルートは飛ぶことが出来なかったのだ。仕方なくアラスカのアンカレッジを経由して給油
して日本とヨーロッパを往復していたのだよ。北回りである。
ヨーロッパからの帰り道、洋食の機内食は不味くて「日本食が恋しい!!」と悶える。そんな時アンカレ
ッジに給油のため着陸するわけさ。重大なことを思い出してハッとする。このアンカレッジ空港には、例
のうどん屋があるじゃないか。高くて不味いけど、正真正銘のうどんだ。急いで降りる。走る。あらら、お
父さんもお兄さんも皆走っている。「うどん」と大きく書いた店に向かって走る。アッという間に行列が出
来た。高くて不味いけど、ジルジルっと飲み干す汁があって、ズルズルッと啜る麺があるのが何とも嬉
しかった。こうしてアンカレッジを経由する度に食べた高くて不味いうどんは、上空から見下ろした名山
マッキンレーより、私の記憶にしっかり刻み込まれている。今はもう無い「アラスカうどん」。
1959年アメリカの48番目の州に昇格したアラスカ州。その前は何だった?1912年から1959年ま
ではアメリカの自治的領域のアラスカ準州だった。じゃ、その前は何だった?1884年から準州になる
1912年までアラスカ地区と呼ばれていた。じゃじゃ、その前は何だった?1867年アメリカに購入され
てから1884年アラスカ地区創設まではアラスカ県だった。じゃじゃじゃ(シツコイ!)、その前は何だっ
た?ロシアだよ、ロシア。1799年からはロシア領アメリカだった。
ベーリング海峡は2度の氷河期地続きで・・・なんてところから話すと、エラク長くなるので18世紀のピョ
ートル大帝時代から始めよう。ピョートル大帝はロシアを世界的な存在にすべく、領土の拡大を図って
いた。オホーツク海極東探検計画を立ててベリタス・ベーリング大佐を隊長に命じる。その後ピョートル
大帝はコロッと死んでしまうのだが、計画は実行された。ベーリング大佐がそこで見たものは、ラッコ、
オットセイ、レッドフォックスなど良質な毛皮を持つ動物の大群だった。狂喜乱舞したロシア人達は毛皮
を求めてアラスカに進出。獲りに獲りまくる乱獲で毛皮資源は極端に減少していく。アラスカに食指を伸
ばして来たイギリス(カナダ)とアメリカとの争いに勝つために、アラスカをロシア領とした。
ロシアはクリミア戦争で国力は疲弊していた。か、か、金が無い。どこかにか、か、金は無いか。あのア
ラスカ売ったらどうなの。もう動物も減って寒いばかりのアラスカ。あそこをアメリカに売って金を作ろう
よ。「もしもし、アメリカさん、アラスカ買ってくれませんかぁ?」 「えっ、アラスカ?ちょっと待ってよ。うち
はねぇ、今南北戦争やってんの!内戦なの!それどこじゃないの!」とふられた。1859年のことだっ
た。ロシアがっかり。しかし、南北戦争が終わってからロシアとアメリカの間で売買の協議が始まった。
その結果、ロシアはアメリカにアラスカを720万jで譲渡することになった。720万jといえば、当時
のアメリカ国家予算の3分の1。アメリカ国内では、交渉役だったスワード国務長官を「スワードの愚行」
とか「愚かな愚行」とか「巨大な冷蔵庫を買った男」などと非難ゴーゴーだったのに対し、ロシアではアメ
リカにアラスカを売りつけたことに大喜びで、ロシア政府は交渉代表のステックル公使とボディスコ参事
官には報奨金を与えたほどだった。
アラスカ購入費用720万jは、1エーカー2セントにしか過ぎない。1平方kmあたり5jだ。不毛の地
であれば、これでも高いと思うかもしれない。しかし、宝の山だったら、こんな安い買い物は無かった。
そしてアラスカは宝の山だった。あちこちから砂金鉱床が発見され、膨大な金を産み出す。ゴールドラッ
シュだ。銅も見つかった。一攫千金を夢みた男達がアメリカ、カナダから押し寄せた。ロシア人は臍を噛
んだだろうねぇ、よくは知らないけど。そして20世紀半ばには石油が発見され石油開発は本格化する。
その後プルドー・ベイ近くの海底からは大規模の油田と天然ガスが発見され、その輸送手段には自然
保護の問題も解決するため全長1280kmのパイプラインが敷設された。国防上重要な役割もあるア
ラスカ。金に困ったロシアが売ったアラスカを入手したアメリカ。その恩恵は測り知らないわなぁ。スワー
ド国務長官、オメ良くやったよ。
ボク豚っぽいって言われるクマ