パクパク日記14年2月3週
中国とオーストラリアを経由して世界3番目に小さなナウルに行った
ナウルの少年
リン鉱石の国
2月 17日(月) 晴れ
朝 家食 野菜どっさりスープ、ふすまパン+フランスバター
昼 曙橋 「Coco壱番屋」 野菜サラダ 180円、グランドマザーカレー800円−小ライス50円+3辛
60円+納豆トッピング150円、持参のふすまパン、アイスコーヒー 100円
4日前に降った雪は道路脇や日陰などに未だ残っている。新坂をそろそろと歩いてプラズマ治療に行っ
たのだが途中80歳くらいのお婆さんに抜かれてガッカリした。治療院に着いたところで携帯が鳴った。
水曜日から行く海外旅行の添乗員S井さんだった。出発日の水曜日も雪の予報が出ている。当日では
空港に来られない恐れもあるから前泊せよ。ホテルは確保した。スーツケースの託送会社が集配出来
ないと言って来た。自分で運ぶように。はぁ〜。昨年1月の欧州旅行の前日(成人の日)も大雪で往生
したが、今年もいろいろあるなぁ。治療して貰って膝も軽快になった。これで旅に行ける。ランチ今日も
カレー。ココイチの前を黙って通過出来ないのだよ。婆カレーにO本先生オススメの納豆もトッピング。
夜 築地 「うまいもんや」 白子の会特別コース(惣菜4点、ふぐ刺し、ふぐ皮、ふぐ唐揚げ、カボチャ
煮、ふぐちり鍋、ふぐ白子焼き、鱈白子雲子鍋、ふぐ雑炊、苺)、ビール、麦焼酎
6人で7万7700円 若者は@1万1000円、非若者は@1万7000円
明日のホテルは旅行会社が確保してくれたが馴染みのホテルがいい。帰宅してから日航成田を予約。
もう料金が高い広い部屋しか残っていないのだなぁ。明後日出発の予定が、前泊することで明日の出
発になるということは・・・旅の準備に加えてパクパク日記のアップも1日早めねば!あぁ、忙しい。でも
今夜は名門「白子の会」の旬の宴会だ。7時半一年ぶりの築地「うまいもんや」。白子の会は年2度ある
のだが、今シーズンは走りの部を向島の店でやったので1年ぶりとなった。名門「白子の会」と自分達
だけで言っているが、いつから始まったからは誰もピシッとは覚えていない。十年以上であることは確
かなのだが。年2回走りの部宴会と旬の部宴会、そして2年に1度は「大人の修学旅行」に出かける白
子の会。今年はその修学旅行の年だ。ナヌ?いつもの九州でなく違う場所に行こう?って提案したの
はワタスだった。ヌハハ。お惣菜数点の後はふぐ皮、ふぐ唐揚げ、ふぐちり鍋、ふぐ白子焼き、鱈白子
雲子鍋、ふぐ雑炊と続くいつもの特別コース。ご馳走さま。明日出発だから2次会カラオケは行かんよ。
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2月 18日(火) 晴れ 男子ジャンプ団体16年ぶりメダル獲得(胴だ!)
朝 家食 「美濃吉」の飯蒸し(鰻と穴子)、オニオンスープ、ヨーグルト
昼 四谷三丁目 「ANTENDO」 海老カツドッグ、野菜とハムサンド、コーヒー
7度目のオリンピックソチオリンピックラージヒルジャンプで銀メダルを獲得した41歳の葛西選手は「レ
ジェンド」と呼ばれるようになっているようだが、今度は彼を入れた4人の選手が団体銅メダルを獲得し
た。団体でのメダル獲得は16年ぶりのことと言う。4人の男が大泣きだ。こっちまで大泣き。昨日から
ガンバッたパクパク日記は1月5週が完成してのでアップした。これでようやく南米のギアナ三国から帰
国したことになる。心配した雪は降りそうに無いが、旅行会社は前泊を決めてしまったしホテルも予約し
たから今日成田に行くしかないな。スーツケースも宅配会社が引き取りに来ないというので自分で持っ
ていくしかない。じゃあ成田までタクシーで行ってしまおうということで日本交通のタクシーで出発した。
夜 成田・日航ホテル成田 「サンセットラウンジ」 野菜スティック、三種冷菜盛り合わせ(小) 1880
円、彩り野菜炒め(小) 1000円、麻婆豆腐(小) 1000円、春巻 400円、生チョコ(サービス)、生ビ
ール 2杯、麦焼酎 2杯 @7350円
日本交通の運転手さんが意外にとろく道間違えるわ遠回りするわで、しかも大雪降るかもと言うことで
急遽前泊することにしたのにお日様が眩しくて、成田のホテルに着く頃には相当不機嫌な私だった。っ
ていうか笑っちゃうわね。じゃ飲みますかぁ。いつもの「サンセットラウンジ」に入っていくと「お久し振りで
す」と挨拶された。そういえば・・・羽田発だったり、午後出発のアメリカ方面だったり、他のホテルに泊ま
ったりなんてことが重なって4ヶ月ぶりだった。彩り野菜炒めがすっかり気に入って毎回注文している。
部屋に帰ってノルディック複合ラージヒルの試合を観る。ノーマルヒルで銀メダルだった渡部暁斗選手
はジャンプでもいまひとつ、ノルディックスキー終盤で転倒する場面もあって6位に終わった。残念!!
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2月 19日(水) 成田は晴れ
第1食 成田・日航ホテル成田 「セリーナ」 朝食ヴュッフェ
今日は午後1時集合だから昼まで寝ていても良いくらいだが、そうも行かんわね。7時起床。良い天
気!大雪が降るかもしれないからと前泊したハズなのにこんな天気で恨めしいぞ。シャワーを浴びて
から「ごちそうさん」を観る。娘のふ久ちゃんには驚かされる。この後どうなるのか是非観たいけど旅か
ら帰るまで10日間はお預けだ。朝食ヴュッフェ。ごく少量ご飯に納豆を乗せ、そこにカレーを掛ける。納
豆カレー完成。2倍旨いぜ。11時チェックアウトした後もインターネットで調べ物などして時間を潰した。
第2食 成田空港第一ターミナル 「スープストック東京」 カレーとスープセット(チキンとトマトカレー、
たらこの北海道クリームスープ、持参のふすまパン、アイスコーヒー) 1100円
昼前に成田空港第一ターミナル北ウィングに到着。集合時間まで1時間半もあるのに、添乗員のS井
さんも他の参加者も既に来られていた。あまりに早くて航空会社のカウンターも空いていない。じゃ昼
食でもして来ますわぁ。スープストックでさくっと食べて6月、7月の海外旅の申し込みを空港でやった。
第3食 成田空港 デルタ航空ラウンジ スープ、餃子、ウーロン茶
第4食 中国南方航空成田=広州 ビジネスクラス機内食
第5食 中国南方航空広州=ブリスベン ビジネスクラス機内食
今回は太平洋上の国に行くのに、ナゼか中国の広州、そしてオーストラリアのブリスベンを経由して向
う。こんな国際情勢の時だから抵抗感もあるのだが、中国南方航空に乗って広州に向った。中国南方
航空に乗るのは初めて。ビジネス席は広々としていて座席を倒せばフルフラットになる。立派なスリッ
パと靴入れ袋があった。日本の新聞は読売のみ、日本の雑誌はおいていない。ビジネス席の客は少な
いがCDは大勢いる。馬鹿丁寧。日本人CDが1人乗っていて「食事は何時がいいですか」と聞いてき
た。ビールを頼むとグラスについだものを持って来る。缶ごとちょうぢよ。ワイングラスが小さいので、大
きなグラスに注ぐよう注文。酒飲み婆さん!定刻に離陸したが、50分遅れて到着した。時差−1時間。
広州空港では乗り継ぐ飛行機の搭乗が既に開始されていた。急いで乗って午後9時20分テイクオフ。
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2月 20日(木) オーストラリア・ブリスベンは晴れ 1豪j(Aj)=約102円
朝 中国南方航空 広州=ブリスベン ビジネスクラス機内食
ブリスベン行きのビジネス席もガラガラだった。グループでビジネスに乗った人は4人だったが、皆さん
2人分の席でゆったり座った。広州から時差+2時間、日本とは+1時間、約9時間のフライトだ。1食
目の夜の機内食はほとんど食べなかったが、朝食に当たる2食目に「汁緬」の文字を発見して注文。う
どんのようであった。それにしても寒い!冷凍室のような機内だった。午前8時半ブリスベン到着した。
昼 オーストラリア・ブリスベン フードコート「FantAsia」 海老わんたん麺、焼き餃子、水
いろいろ揃うフードコートで私は中華 ブリスベンのミル跡
高層ビルも聳えるブリスベンの町
氷室のような機内から降りたブリスベンは暑かった!南半球だから今こっちは夏なのだよね。イミグレ
を待つ間、オジョーに依頼したメールが到着。女子フィギャアスケートソートプログラムの結果だった。
ゲェエッ!!!真央ちゃんまさかの失敗続きで16位だって!両膝から力が抜けて行く。同じグループ
の皆さんにもお伝えすると、全員ビックリ!そして溜息・・・。オーストラリアは税関が厳しい。特に食べ
物関係ね。迎えの車でホテルに向う。中心街を抜けた丘の上にあるミル跡にある簡素なホテルだった。
トイレで来ていたものをどんどん脱いで夏バージョンに。チェックインは1時からというので、暑い中ブリ
スベンの町をぶらぶら。ゴールドコーストまで車で1時間なんですってね。ランチはフードコートで各自
好きなものを食べることに。寿司5人、天丼2人、そして私だけ海老わんたん麺と焼き餃子の中華だ。
夜 オーストラリア・ブリスベンメトロホテルタワーミル シーフードミックスフライ 21Åj、持参のふす
まパン、生ビール3,5Aj×2杯
ホテルチェックイン。休憩だけだけど。希望者はコアラ保護区の動物園に出かけられた。私は汗いっぱ
いかいたのでシャワーを浴びて休憩。本を読んでいると睡眠不足でついこっくりこっくり。午後6時半か
ら希望者はホテルのレストラン(というか食堂という感じ)で夕食。シーフードミックスフライは揚げたてだ
ったからビールのつまみによくあった。8時半今朝着いたばかりの空港に向かう。ナウルまでは初めて
のOurAirline。その昔鹿児島との直行便も飛ばしていたナウル航空が実質破綻し、台湾が支援して
社名をOurAirlineとしたんだそうだ。午後10時20分搭乗開始。4時間半のフライトだがエコノミー席、
しかもBという真ん中の席だ。どんどん客が乗って来てほぼ満席!23時定時離陸した。眠れんよ・・・。
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2月 21日(金) ナウルは曇ったり降ったり
朝 ナウル メネンホテル「Anihare」 朝食セット(目玉焼き、ベーコン、煮豆、トースト、コーヒー)、持
参のふすまパン
3日間9食すべてこのレストランで食べた 国営のメネンホテル
10分くらいとろ〜としただけで5時35分早朝のナウルに到着してしまった。2晩続きの機中泊はツライ
ですなぁ。「どんなところでもすぐ眠れる!」という人なら良いが、私のような「眠り下手」人間には睡眠
不足が重なってシンドイ。ナウルのビザ代は何と100Ajと聞いていたが、イミグレ係官のオジサンが
「ここでは作成出来んから午後1時事務所に金持って取りに来い」とパスポートを取り上げられてしまっ
た。6時からホテルの迎えの車を待つ。来ない・・・外は未だ真っ暗。6時半になった。添乗員は既に何
度も電話でプッシュしている。「そのうち行くから」と言うらしい。車来ない・・・明るくなって来た。7時にな
た。「え?車出発したらパンクした?」ウソっぽいなぁ・・・ボロボロ車が来たのは7時半!しかも小さくて
乗り切れないから空港の車も借りることになって・・・。それなら始めから空港の車で二往復してもらえ
ば良かったじゃん。10分で国一番のメネンホテル(2軒しかないけど)は国営だそうだ。スタッフも公務
員だからかチェックインにエラク時間がかかる。朝食を摂りにレストランに行くと待たされること1時間!
ようやく出て来た朝食セットを食べ終わったら既に10時過ぎ!時間がヨメナイ国、ナウル。恐るべし。
ナウルは周囲19kmの小さな国 初代大統領ハマー・デロバート リン鉱石を運ぶブリッジ・カンティレバー
長々待たされたチェックインの間にオジョーからソチ速報メールが来た。SPで誰もが予想しなかった16
位だった真央ちゃん。フリースタイルで素晴らしい演技で高得点を得だが6位に終わったと・・・。キム・
ヨナは2位。真央ちゃん、それでも自分の演技に納得出来たようだと。何かなぁ、4年間の努力も失敗し
ちゃうとねぇ。それはともかくここはナウルだ。そんなこんなで10時半観光に出発したが、がソリンスタ
ンドで給油したら車の調子がオカシクなったと引き返し、別の車が来ての出発は11時40分だった・・・。
30分で一周できてしまう小さな島ではあるが、ナウル共和国。国会もあるし大統領府も行政府もある。
1968年の独立と共に就任した初代大統領ハマー・デロバートの肖像画が飾ってあったが、50年足ら
ずの間に数多くの大統領交代劇があったようだ。10回大統領に就任した人もいれば、前大統領のよう
に5日で退任した人も。政権交代がめまぐるしい。他人事じゃないね。ブアダラグーンーを見てリン鉱石
積載港にあるブリッジ・カンティレバーを見に行く。イギリスが造ったリン鉱石を船に積む機材で、小さな
国を削って掘ったリン鉱石はここから輸出されて行く。ナウルはリン鉱石だけで暮らしている国なのだ。
昼 メネンホテル「Anihare」 中華コース(コーンスープ、牛と生姜と玉ねぎ炒め、野菜炒め、鶏肉と豚
のチャーハン、酢豚、水
たいした見学していないのにもう昼食になっちゃった。食事はホテルで。島には他にもレストラン(中華)
があるが、ホテルのレストランが「国1番!」ということで、滞在中の食事は全部ここで摂るんですって。
昼食は誰も予想していなかった中華コースだった。ナウルの食事の中心は中華料理ということで、それ
を食べて働かない、動かないナウル人は皆とても太っているのだった。人参は大きいけど味は良い。
やる気の無いビザオフィス カイセル大学 海岸にはこんな光景が
食後1時間休憩して3時から午後の観光。希望者は郵便局に行く。切手の種類が多い。海の生物の切
手を探して貰って4枚購入。近くにビザオフィスがあるというので、今朝空港で「それまでに作っておくか
ら午後1時に取りに来い」と言われたビザを受け取りに行く。ところが、というかやっぱりというか、われ
われのパスポートは積んであるだけで何もやっていない。やっていないことを悪びれもしない。えぇ?こ
れ全部はやるのぉ?明日じゃダメぇ?って感じで。明日から週末で休むクセに何言うてんの!さっさと
やれ!10人分作るのにたっぷり1時間待たされて、100Aj払ってパスポートを受け取ったら夕方5
時近かった。隣にあるカイセル大学を見学したが、小・中・高・大を併設しているというが、あまりの小さ
さとボロさに廃校と間違えてしまった。国一番のスーパーに行くともう今日の観光はオシマイ。はぁ〜。
夜 メネンホテル「Anihare」 ビーフステーキオニオンソース、ライス、アイスクリーム、ビール 3Aj、
白ワイン 8Aj、赤ワイン 7Aj
アニバル湾の屹立する岩を撮影してからホテルに帰る。K井さんの部屋で洗面所もシャワーもトイレも
水が一切出なくなり添乗員S井さんと部屋の交換をした。この国の水は雨水に頼っている。電力も不足
しているから停電もあると行く前に注意を受けていたが、今のところ電気は消えない。夕方行ったカイ
セル大学では午後3時に授業は終わったらしいが、教室の電気も扇風機もつけっぱなしであった。節
電の教育はされていないようで不思議だ。夕食はチョイスだった。ビーフステーキか魚バーベキュー焼
きかポ―クバーベキューか。私はステーキ!世界どこに行っても注文するビール、白ワイン、赤ワイン
のアルコール3点セットはここでも注文可能だった。ワイン大盛りね!と言ったら大盛りに。ラッキー!
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2月 21日(土) 晴れ時々雨
朝 メネンホテル「Anihare」 朝食セット(ハムと卵のトーストサンド、スパムと卵のスープヌードル、持
参のふすまパン、コーヒー)
客室に電話はあるが「飾り」で使えない(笑)。だからS井添乗員はモーニングノックをして歩く。幸いシ
ャワーからお湯が出た。こうした「秘境の国」では貴重なことだ。朝食は7時半からというので5分前に
行ってみるとレストランには鍵がかかっていてスタッフは誰も来ていない・・・。ナウル2日目だが、もうす
っかり慣れたから皆淡々としている。8時に出直すとレストランは開いていた。40分待たされて出て来
たのはスパムと卵のスープヌードル!「ナウル版煮麺」って感じでワタシ的にはかなり嬉しい。麺残す。
リン鉱石の採取跡地
リン鉱石の断面(一番上白い部分がリン鉱石) 旧日本軍が残した砲台
昨日のナウルチンタラぶりのお陰で観光していない場所が残った。今日は終日フリータイムの予定だっ
たが、午前中はそこに行くことになった。海に面した狭い平地に人々は住み、最高標高60b程の島中
央部ではリン鉱石の採掘が行われた。イギリスとオーストラリアに採掘された跡地。自らの身を削って
の一時の繁栄だったのだなぁ、と荒涼とした風景を眺める。近くには繁栄した頃島を走り回ったという超
高級車の残骸が無残に捨てられ積み上げられていた。車の墓場だ。そこから悪路を進んで行くと、リン
鉱石を採掘した残土の山が見える。リン鉱石を初めて採掘した1890年代のものだから、養分たっぷり
の残土には樹木が生えてその緑にホッとした。1942年8月ナウルを占領したのは日本軍であった。当
時3千人だった島民のうち1200人を強制移住させ、トラック諸島の労働力にしたのも日本軍だった。4
割が亡くなってしまった。申し訳ありません!!日本軍が造った燃料庫や砲台が2台放置されていた。
昼 メネンホテル「Anihare」 添乗員S井氏プロデュースの納涼流しソーメン大会
納涼流しソーメン大会
昼食は自由食であったが、添乗員S井氏がとんだ仕掛けを考えていた。納涼流しソーメン大会をやろう
というのだ。秘境の旅でソーメンを出す旅行会社はある。しかし、流しソーメンは初めてだなぁ。1人がソ
ーメンを樋に入れ、もう1人が水(ミネラルウォーター)で流す。食べる1人が待ち受けてソーメンを掬い
取る。この一連の動きが結構楽しくてね、「〇〇さん、取り方上手!」とか「S井さん下手くそ!」なんて
皆わぁーわぁー楽しそう。あっという間に準備されたソーメンが終了。旨いが栄養的には偏っているか。
夜 メネンホテル「Anihare」 中華コース(牛のマッシュルーム炒め、魚のミートボールとブロッコリー、
ポークリブロースト、春巻き、イカと野菜炒め、海老の素揚げ、チャーハン、焼きそば、魚釣り隊の
釣果素揚げ、ビール 3Aj、白ワイン 8Aj、赤ワイン 7Aj
昼食後の午後はフリータイム。3時に近くの港に釣りに行こうと誘われたが、暑い中での釣りはツライ。
資料を読んだり本を読んだりウトウトしたりでのんびり過した。夕食は、土曜日とあって、ナウル人の大
人数家族連れがレストランで賑やかに食事していた。小さい子供が4、5人が走り回っていると、同じ具
ループのO野さんのご主人が大声で怒鳴りつけたので、皆びっくり!昨日の昼に続いて中華コースだ
った。牛のマッシュルーム炒めと春巻きと揚げた海老がとても美味しいぞ。レストランに併設されている
バーと屋外席ではパーティが行われているらしく、生のバンド演奏と歌でそれはそれは賑やかである。
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2月 24日(日) 雨
朝 メネンホテル「Anihare」 朝食セット(ベーコンとスクランブルエッグ、トースト、コーヒー)
カトリック教会では地域ごとにお揃いのシャツを着た子供達が歌の練習
ガイドのタニア(右)とご主人と娘さん
貧しい国と聞くが子供達はオシャレをし、親はアイパッドで撮影
旧日本軍に強制移住させられトラック諸島で亡くなった人達を祭る慰霊碑
今日は終日フリータイム。どうして何も無いこの国に3泊もしているかというと、明日行くキリバスには2
週に1便しか飛行機が無く、その飛行機が飛ぶのが明日月曜日というワケ。いつも食事しているレスト
ランは日曜日の朝食はお休みということだった。添乗員が拝み倒したら「じゃあ日本のお客のためにや
るかぁ」と言ってくれたそうだ。8時出勤して9時にオープンすると。で5分前に行ってみると、やっぱり
鍵がかかって誰も出勤していなかった。添乗員のS氏はコックの自宅の電話番号を聞き出しずっと電話
していたが電話に誰も出なかったそうだ。寝ていたんだね、きっと。ようやく電話が繫がって「これから行
く」って。まぁそんなことで10時にカンタンな朝食を終え希望者はカトリック教会のミサを見学に行った。
ミサをやっているかと思いきや、黄色や赤や緑の「We are One」Tシャツを来た子供達が賛美歌や聖
書劇の練習をしていた。貧しい国のハズなのだが、子供達はピカピカの靴を履いていたり、母親はアイ
パッドで練習中の写真を撮ったりで何だかよくわからない国なのだった。ホテルへの帰り昨年1月末に
完成したというトラック諸島強制移住で亡くなった463名の慰霊碑に立ち寄った。申し訳ありません!
昼 メネンホテル「Anihare」 サンデーランチビュッフェ 15Aj、コーヒー 2Aj
こんな部屋です
島内1周ドライブの途中で立ち寄った美しいビーチ 港では子供達が遊んでいた 軍艦鳥
今日の昼食は自由食だった。日曜日の昼だけ行われるヴュッフェを食べることに。たいした料理は並ん
でいないが、15Ajとバカ高い。それでもお客は結構入っていて、やっぱり不思議な国だ。希望者は午
後3時から島内一周ドライブに行く。教会に行った女性ばかり6人が参加した。O野夫妻は、歩いて一
周すると雨の中を出発されたそうだ。普通に走ったら30分で帰って来てしまうが、途中渋滞(!)があっ
たり、美しいビーチや港では写真ストップしたので1時間かかった。巨体のガイド・タニアさんは、助手
席にお喋り要員の女性を乗せ終始大声マシンガントークをされていた。公務員と思うが、不思議な人。
夜 メネンホテル「Anihare」 ビーフTボーンステーキ、(海老フリッター)、ライス、持参のふすまパン、
フルーツ(スイカ、りんご、オレンジ)、ビール 3Aj、白ワイン 8Aj、赤ワイン 7Aj
いよいよこのレストランで食べる食事もこれが最後。なかなか味の良いコックがいてグッドだった。オー
プン時間を守って、料理をそう待たさなければね。今夜も料理はチョイス。Tボーンステーキ3名、海老
フリッター7名と海老有利。私はTボーンだよ。料理が来るまで45分。すきっ腹にアルコールが沁みる。
海老のフリッターの皿が運ばれて来ると、うわぁ〜という歓声ともウメキとも言えない声があちこちから
ら。大きなフリッターが20本は乗っているだろうか。隣のK井さん「食べても食べても無くならない。手
伝って!」と言うから5尾貰った。Tボーンも大きいが半分以上骨だから食べるところは少ない。78歳N
亀氏は大盛りご飯を含めて海老のフリッターを完食して健啖ぶりを見せ付ける。歩いて島内一周され
たO野夫妻は7時間半かかったそうだ。アイスクリームもコーヒーも紅茶も切れたということでフルーツ
が出た。食料はすべてを輸入に頼っているから次回運ばれて来るまで無いらしい。明日はキリバスだ。
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【今週の振り返り】
太平洋にはミクロネシア、メラネシア、ポリネシアという地域分けがある。ミクロネシアは赤道北の西側
でミクロネシア連邦、キリバス、マーシャル諸島、パラオ、そしてナウルの5ヶ国、赤道南の西側がメラ
ネシアでパプアニューギニア、フィジー、ソロモン諸島、バヌアツがあり、ポリネシアは赤道南北にかか
る東側に散らばるトンガ、サモア、ツバル、クック諸島、ニウエの国や地域がある。因みに、ミクロネシア
はギリシャ語で「小さな島々」、メラネシアは「黒い人々の島」、そしてポリネシアは「多数の島々」という
意味だそうだ。
ナウルは南緯0度32分。つまり赤道のほんのちょっと南(40`)に位置する。周囲に島は無く、ナウル
も大昔は珊瑚礁の浅瀬に過ぎなかったようだ。渡り鳥、特にアホウ鳥が長旅の疲れを取るために浅瀬
で休憩し、落し物(糞)を落として行く。1羽、2羽じゃない。相当の数のアホウ鳥が数百万年落として行
った糞が積もり積もって出来たのがナウルである。つまりナウルは鳥の糞で出来ていることになる。ゲ
ェ〜なんて言っているの誰?そのお陰でナウルはJ繁栄出来たのだから世の中不思議なのだよ。鳥の
糞の堆積は珊瑚礁と化学反応(かな?)してリン鉱石になったのだから。リンは肥料になるのだ。ナウ
ルにリン鉱石が発見され、イギリスが大量に採掘していく。そのお陰でナウルには短い間だが繁栄時
代がやってくる。税金なんて取りません!病院無料です。教育?もちろんタダです。高齢者だけなんて
言わずに国民全員にお金支給します。働きたくないなら、中国や近隣のミクロネシアからの出稼ぎに任
せましょう・・・。人々はベンツやフェラーリを購入して小さな島を走り回り、ガス欠やパンクしただけで、
車を置き去りにして買い換えるなんて信じられないことまでしたらしい。その残骸らしい物をリン鉱石採
掘跡近くに見て、深い溜息が出た。ナウル人は食事を作ることをしなくなり、出稼ぎ労働者相手に出来
た中華料理の食堂で3食済ませるようになる。ほんの一時だが、ナウルは国民1人当たりGDPが世界
一を記録したことだってあった・・・。
やがてリン鉱石は枯渇する。リン鉱石にだけ頼っていたナウルの経済、国家財政は一挙に破綻する。
国営のナウル航空は財政危機で旅客機をオーストラリアに差し押さえられたりして破綻し、中華民国
の援助を求める。オーストラリアから援助を引き出すために、アフガニスタンの難民を受け入れたりした
が、アフガニスタン難民はオーストラリアに行きたいと抗議してオーストラリアに引き渡されたこともあっ
た。中国料理の食堂のいくつかはナウルに見切りをつけてキリバスに行ってしまった。現在の失業率
は90%。人口は約1万人だから、働いている人は1000人にしか過ぎない。そのうち950人が公務員
で50人がその他。実に9000人が働かずにぶらぶらしているのだ。大人全員がデブ。子供の頃から働
いたことが無い人々は、親が働いているところを見ていないのだろう。「勤労精神」とか「労働の喜び」と
か「働かざる者喰うべからず」なんて言葉はジェンジェンご存知ないのだ。では、どうして国家は成り立
っているか。オーストラリアとニュージーランド、そして日本の支援。
ほぼ無くなったと思われたリン鉱石は掘り尽くした下にもうちょっとあるらしいということが最近の調査で
わかったらしい。チビチビ掘れば30年くらいは持つんじゃないか、と考えているのだと。日曜日の教会
で大勢の子供達と会ったが、彼らがこの国を引っ張る頃にはそのリン鉱石も無くなる。何も無いと言うこ
とだ。漁業やれよ、海だらけなんだから。島のゴミキレイにして観光客に来て貰えるようにしなよ。暑い
国なんだからフルーツ育てたらどう?言いたいことはたくさんある。国民の30%以上が糖尿病で人口
比の羅患率は世界一と聞く。ヴァチカン市国、モナコ公国に続いて世界で3番目に小さい国ナウル。あ
のキラキラした瞳を持つ子供達の未来のために、一つ太った体を動かして働いてみてはどうかね、ナ
ウルの大人諸君よ!「ナウル」はナウル語で「私は砂浜に行く」という意味。是非「私は働きに行く」とい
うことになって欲しい。
おいちいニャ 食べてばかりいると太るよ!