パクパク日記14年6月1週
金曜日からでかけたフランス南西部も毎日暑くてねぇ
ロートレック美術館
カルカッソンヌ
6月 2日(月) 晴れ
朝 家食 「成城石井」の麻婆豆腐、笹かまぼこと野菜たっぷりスープ、ふすまパン、ヨーグルト
朝10時から内装工事。ワサワサと4人の方々がやって来て家の不具合を直してくれるって嬉しい。暫
くの間、カーテンレールがヒシャゲてみっともなく垂れ下がっていたリビングの黄色のカーテンもシャキ
ッとした。洗面台下の扉も直して貰ったし、トイレの手洗い蛇口も取替え完了。職人さんてカッコイイ!
昼 家食 牛肉メンチ勝つふすまドッグ、笹かまぼこと野菜たっぷりスープ
夜 荒木町 「さかもと」 お任せコース(もずく酢、胡麻豆腐、鶏のつみれ汁、お造り:アイナメ・蛸・甘海
老・イカ・カツオ、茶豆の白和え黄身酢がけ丸丸、姫筍とわらび・牛蒡と豚角煮、鰆の味噌焼き 空
豆とプチトマトの詰め物、蟹とコノワタと穴子の茶碗蒸し、湯葉こんにゃくと新じゅんさい、ぶっかけ
蕎麦、オレンジ)、ラガービール 700円、酒粕焼酎「吟香露」デカンター1300円×2
@1万780円
今週金曜日からフランスだ。未だ数日あるが、今日を除くと毎日出かけてばかりのスケジュール。なら
ば今日出来るだけやってしまおう。私は年間いったい何回旅支度をしているのだろう。今日やっている
ように出かける前の旅支度が一番タイヘンだが、海外周遊の場合は移動の度に何度もパッキングをす
る。慣れているから準備は速い。しかし、好きではない。一仕事終えて、夜は新規の店に行く。小っちゃ
な津の守弁財天金丸稲荷の裏にそれこそ隠れるようにある「さかもと」。コノ字型のカウンターでは、派
手なギョーカイの方々達の接待の夕べが開かれていた。煙草スパスパ吸いながら、旅先でのキワドイ
話やエロイ話が声高に語られ、同じカウンターに座る女性客(私のこと)や年若い女性スタッフの存在
など無視しまくるセクハラオヤジ達であった。対照的な店のご主人は、寡黙で、料理の説明もしなけれ
ば、質問にも最小限の言葉で答える。しかし黙々と料理を造って供する毅然とした姿勢は良いのかも。
茶碗蒸しが出た時、私は思わず「おっ、蟹とコノワタの茶碗蒸しですね」と言ったら、「お客さん、コノワタ
わかるんですね」と感心された。いやいや、それほどでも。酒粕焼酎初めて飲んだ。これからも来よう。
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6月 3日(火) 晴れ 今日はちょっと涼しい
朝 家食 卵サンドトースト、アーモンド
寝つきが悪かったりトイレに何度も行ったりで眠りの浅い人間だが、昨夜は珍しくよく眠れた。今日は涼
しいからだね。W杯日本代表、アメリカでの強化試合コスタリカ戦が朝10時から中継があった。遠藤、
香川、柿谷がゴールを決めて3−1で日本代表の勝利。その調子で頑張るように。マンションの鍵の電
池交換をしようと昨夜から取り組むも巧く行かず。1階のコンシェルジェの方にお願いした。交換完了!
昼 新橋 「末げん」 かま定食(ご飯少な目) 1080円
新橋の美容院に行く前のランチは一番のお気に入り店「末げん」。昔から文豪に愛された店でもあるが
三島由紀夫が市ヶ谷にある陸上自衛で割腹自殺した前の夜、食事したのが、ここ「末げん」だった。三
島由紀夫の最後の晩餐が「末げん」の鶏料理だった。ついでに言えば、三島由紀夫の本名は平岡公
威(きみたけ)で、生まれたのは我が家がすぐ近くの四谷4丁目だった。その「すえ玄」のランチメニュー
は末げん流親子丼のかま丼と龍田揚げ、唐揚げの3種だが、私はこのかま丼が大好き。幸せになる。
午後のお茶 銀座 「タリーズ」 アイスコーヒー
三代目尾上左近初舞台!
「末げん」での美味しいランチの後は、新橋の美容院へ。カット&ダイの後、たっぷり肩と背中を揉んで
貰うのが何よりの楽しみだ。次はタクシーで歌舞伎座へ。ちょいと時間ガあるので、地下の木挽き町広
場にある「タリーズ」でお茶。暫く広場を見ていて気付いたのだが、今やここは観光コースになっている
んだね。次から次へと旗を持ったガイドに連れられて団体さんがエスカレーターに乗ってやって来る。6
月の歌舞伎座夜の部は「蘭平物狂」、「素襖落」、「名月八幡祭」。「蘭平物狂」は松緑長男の藤間大河
クンが蘭平の一子繁蔵を演じて三代目尾上左近としての初舞台でもある。小さい頃から芝居好きの大
河クンはこれまでも客席を沸かしていたからこれからが楽しみ。父親の松緑が蘭平を熱演して我が子
の晴れ舞台を支える。「素襖落」は太郎冠者が幸四郎だったので正視出来ない。最前列で下向いて、
里長さんの唱を聞き、栄津三郎さんの三味線を聴く。「名月八幡祭」はポツポツとしか上演されないが、
縮屋新助は吉右衛門、芸者美代吉は芝雀、船頭三次錦之助、魚惚歌六の配役だ。「マノン・レスコー」
のマノンを彷彿させる美代吉は福助が演じれば、もっとアクドイ女になっただろうが、芝雀だと気のいい
女になる。吉右衛門の素朴な惚れっぷりと落胆が切ない。最前列だから最後の本水の迫力が凄い!
遅い夜 銀座 「麹也」 お通し:きのこと青菜の煮浸し、鯵のなめろう 700円、鶏わさ 500円、鮎の干
物 800円、冷奴 500円、豆腐の味噌漬け 500円、手打ち蕎麦 800円、ハートランドビール、
麦焼酎 2合
芝居が終ったのは夜の9時半だった。5時間の上演時間は長過ぎるよ。2番目の「素襖落」が無ければ
ちょうど良かったのに。「麹也」に行った。空きっ腹にビールがジワッと沁みる。空腹を抱えた客が3人
いて、誰かが「鯵のなめろう」と注文すれば、「私も」。私が「鮎の干物ちょうだい」と言えば、隣の男性が
「ボクも」という具合であった。あぁ、もうこんな時間だ。遅く飲み出すと真夜中になっちゃうよ。蕎麦ね!
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6月 4日(水) 晴れ
朝 家食 パストラミふすまパンドッグ
昼 銀座 「銀之搭」別館 ミニセット(ミニグラタン、ミックスシチューセット) 3800円
そこが「ミニ」なんだろう。3800円のランチ!
午後のお茶 銀座 「タリーズ」 アイスコーヒー 310円
昨夜に続いて歌舞伎座。昼の部「春霞歌舞伎草紙」、「源平布引滝 実盛物語」、「大石最後の一日」、
そして「お祭り」の4本。「春霞歌舞伎草紙」は時蔵の出雲阿国とその恋人菊之助の名古屋山三、そし
て亀寿以下若手の群舞だ。若手の中で歌昇は長い襲名披露の中で大きく成長、米吉も進捗目覚しい
し、右近は美しさを増した。「実盛物語」は切られた女性の腕を死体にくっつけたら息を吹き返したなん
て妙ちくりんな場面もあるのだが、観た後は意外に爽やか。実盛の菊五郎が安定感抜群で見せれば、
九郎助の家橘、女房小よしの右之助、葵御前の梅枝も地味ながらしっかり演じる。先月幹部昇格した
橘太郎が小悪党を演じた。ここで昼休憩。今日は外に食べに行こう。歌舞伎座工事で以前あった場所
から移転して本店と別館になった「銀の搭」。別館に行く。歌舞伎役者にもファンが多い「銀の搭」のシ
チュウだが、エラク高い。小さなグラタンとシチュウのセットというちっともミニで無いミニセットは3800円
もする。ご飯と味噌汁、小鉢をお箸で食べるのだ。ゆっくり食べて、「タリーズ」でお茶して歌舞伎座に帰
ると、大石内蔵助を幸四郎が演じた「大石最後の一日」がちょうど終わった時鑑だった。最後は最大の
お目当て「お祭り」。肩の手術を受け昨年の11月から休演していた松嶋屋仁左衛門の復帰舞台だ。20
年前大病から復帰した時も「お祭り」で復帰したし、勘三郎も一度はこの演目で復帰した。「待ってまし
た!」と声がかかれば、「待っていたとは有難てぇ」と復帰役者が返すお約束だが、久々の仁左衛門の
登場に万雷の拍手が続き、声も聞こえないほど。孫の中3千之助君が若い者として登場し祖父と踊る。
遅い夜 舟町 「おちあい」 お任せコース(醤油大豆、じゅんさい入りとろろ汁、刺身盛り合わせ、銀
杏、イカの唐揚げ、和風しゅうまい、よもぎ蕎麦、チータンタン)、ビール(小)、麦焼酎 @4500円
夕方帰宅してからパクパク日記5月3週を仕上げる。夜は「おちあい」に行く。夏になるとじゅんさい入り
とろろ汁が登場する。子供の頃からとろろ汁が好きだった。夕食がとろろ汁というメニューの日もあって
大きな摺り鉢いっぱいのとろろ汁がドーンと食卓の真ん中に置かれて、各自好きなようにとろろ汁をか
け回して食べたものだ。我が家のとろろ汁は、とろろと出汁、それに粗い大根おろしを混ぜた。とろろの
ヌルヌルに大根おろしのシャリシャリ感が混じりあって楽しい食感だった。〆は久々のよもぎ蕎麦だよ。
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6月 5日(木) 降ったり止んだり 夜大雨 関東地方も梅雨入り
朝 無し
遅い昼 市ヶ谷 「上海ブギ」 野菜麺セット(ミニ麻婆丼、ザーサイ付き) 1000円、遅い時間ドリンク
サービス: アイスコーヒー
目覚ましをかけずに昨夜ベッドに入った。どうせトイレに1,2度起きるのだし、いいや、ってことで。で、
例によってトイレに行きたくなって目が醒めた。ゲェ〜〜!9時50分!そんなに長く眠っていたこともビ
ックリだし、トイレに行かなかったのはもっと驚きだ。昼前に内容証明が届いた。ゲロゲロである。明日
出発だし、帰国後だと「1週間以内に返答せよ」との要求に応えられない。ええい、メンドーだ。市ヶ谷の
弁護士事務所に急遽雨の中向かうことにした。担当の弁護士さんが昨年退社されたとかで、新しい弁
護士さん2人と打ち合わせ。遅くなったランチは近くにあるハンバーグの「らいむらいと」に行こうと思っ
たが、道に迷って探せず。代わりに「上海ブギ」という店で野菜麺セットなんて炭水化物だらけの昼食。
夜 荒木町 「やくみや」 (2人で) ポテトサラダ 500円、ゴーヤポン酢 500円、トマト塩糀マリネ
500円、ピータン冷奴 600円、谷中生姜豚巻き焼き 700円、鶏腿肉 柚子胡椒焼き 900円、海
老と空豆かき揚げ、極小梅おにぎり 200円、しじみ汁 200円、(オジョーが食べた餡かけ和風オム
ライス 700円)、生ビール 2本、麦焼酎 2人で1万1100円
先週私が予想し通り(笑)、関東地方は今日梅雨入りしたそうだ。やっぱりね(失笑)。明日朝出発だが
何とか準備も出来たのでオジョーを無理やり誘う。ラファ・ナダルを夜中じゅうコーフンしながら応援して
チョー寝不足だからと辞退する彼女を、「いいじゃん、いいじゃん。ラファの故郷マヨルカ島で買って来た
イベリコ豚生ハムのお土産あげるし、ご飯食べようよ」と誘ったワケ。すると夜になって大雨になりまし
てねぇ、悪かったなぁと思った次第で。お互いビショ濡れで「やくみや」で集合。彼女は初「やくみや」で
ある。モリモリ食べながらお喋り。ひょんなことから、先日京都で体験した症状についてオジョーから有
益な情報を聞くことが出来た。京都のホテルで目を覚ました直後テレビを点けた途端、視野の半分以
上に異常が!太陽を直接見た後の残像みたいなピカピカの白いものに占められて、テレビ画面が見え
ない!目を瞑ってもそれは消えない。そんなことが2日続いて、東京に帰ったら眼科に行かねばなぁな
んて不安に思っていたのだ。「閃輝暗点」(せんきあんてん)、英語名は「偏頭痛オーラ」の意味の「ミグ
レイン・オーラ」と言うのだそうだ。普通は激しい偏頭痛を伴なうらしいが、私は無かったなぁ。調べてみ
たら、中年で頭痛を伴なわない場合は、まれに脳梗塞、脳腫瘍、血栓による脳循環障害が原因って?
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6月 6日(金) 東京は雨 フランスは晴れ ノルマンディ上陸作戦70周年
第1食 羽田空港ANAラウンジ きつねうどん(小)、お稲荷さん
6時半にオジョーにウェイクアップコールを頼んだ。6時半の5分前、4分前、3分前の3種類セットした
時計を枕元にセットして寝たら気になって5時過ぎに起床。オジョーありがとねー。お願いしただけで起
きられるのだ。ふすまパンを焼いて冷まし、ラップに刳るんで準備完了。雨の中、スーツケースを持って
迎えのタクシーに乗り込む。羽田空港出発だから定額タクシーを予約した。約30分で到着するから羽
田出発はいいよなぁ。チェックインを済ませてANAラウンジできつねうどんなどの朝食を摂っていると、
見たことのある人が座っていた。姿勢がいい。狂言師の野村萬斎だった。同じ飛行機でミュンヘンへ。
第2食 ANA羽田=ミュンヘン ビジネスクラス機内食(和食)
第3食 ANA羽田=ミュンヘン ビジネスクラス機内食 (うどん)
第4食 ANA羽田=ミュンヘン ビジネスクラス機内食 (和食)
第5食 フランス・トゥルーズ・ラディソンBLU 客室にて バナナ、アーモンド、ウィスキー
ANAミュンヘン行きのビジネスクラスは、私が大好きなスタッカード式の座席だ。しかも窓側のA席だ
から大きな荷物以外は座席付近に置けてチョー便利。和食は、今回「辻留」とのコラボでなかなか美味
であった。この座席は映画を見やすい。先ずは今年度アケデミー賞外国語映画賞を受賞した「グレー
ト・ビューティ 追憶のローマ」を観た。イタリア・フランス合作映画だが、「65歳になったらやりたくないこ
とに時間を使わない」と主人公の作家の言葉だが、私はもっと前からそーしているよ。「偉大なるしゅら
らぼん」は万城目学の小説が原作。面白い本だったので映画も楽しく見た。濱田岳、岡田将生、渡辺大
はどう見ても高校一年生には見えないけど、ま、そうゆうことはいいか。岡田将生可愛い!3本目は
「武士の献立」。上戸彩、高良腱吾が主演。上戸彩はどんな役でもそこそこ演じるがどれを演じても同じ
ような印象だ。料理ベタの高良腱吾がいくら奥さんから特訓受けてもあんなに巧くなるわけ無かろうに。
ビデオ観たり、週刊誌読んだりしているうちに一睡もしないでミュンヘン着。ルフトハンザに乗り継ぎフラ
ンスのトゥルーズに到着したのは午後9時前。空港近くのホテルでやれやれ。ウィスキー飲んで就寝。
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6月 7日(土) フランス南西地方は晴れ 1ユーロ=約142円
朝 フランス・トゥルーズ・ラディソンBLU 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン
W杯開幕はもうすぐ!
アルビにあるロートレックの生家 聖セシル教会内陣手前ジュベという仕切り壁
眠れる聖セシル
庭の美しい司教館ベルビー宮が1922年からロートレック中心の美術館になっている 趣きあるアルビの街
旅行一夜目は眠りが浅い。飛行機で一睡もせず超寝不足のハズなのに、5時半には起床。一番で朝
食を食べた。アメフットチームから春のパールボウルトーナメント準決勝に勝利したメールが入る。大雨
の中での試合だったらしい。これで2年ぶり決勝進出。決勝戦も海外にいて私は応援出来ないが、チケ
ット希望のアンケートメールを数人の友人に送る。観光一日目。バスで1時間のアルビへ。画家ロート
レックを輩出した町であり、13世紀カトリック界で異端とされたカタリ派(アルビジョワ派)を受け入れた
町でもある。趣きのある静かな街の一角にロートレックの生家があった。伯爵家の邸宅とは思えない建
物だが、奥行きがある家らしい。聖女セシルを祀った聖セシル教会。大きな要塞のような外観だが、内
部は煌びやかだ。その教会の前には司教館ベルビー宮。1922年からは美術館として使われていて、
アルビが生んだロートレックの作品を中心に展示されている。タルン河をも見下ろす庭が実に美しい。
昼 アルビ 「La Lautrec」 カスレ、パスティスとアイスクリーム、持参のふすまパン、紅茶
ランチはフランス南西部の郷土料理、カスレだ。ロートレックの生家の真ん前にあるレストランで、その
店名もズバリ「La Lautrec」。カスレは、白インゲンとベーコン、鴨、玉葱などが材料で熱々が出て来る。
汁けが多い店もあるようだが、ここは乾燥タイプ。かなり塩気が強いかな。今回は何と参加者は全員女
性。母娘2組、一人参加3名の7名と添乗員のK野さん。K野さん「女子会旅だぁ!」と気勢を上げる。
「シテ」と呼ばれる城塞都市カルカッソンヌ入口 サン・ナゼール教会ではロシアの男性コーラスの歌声が響く
コンタル城上から見る城の敷地
城内の彫刻
町の機能はすべてオード川の向こうに
2時間かけてカルカッソンヌに移動。強風でバスが何度も揺れた。オード川右岸の高台にある中世の
城塞(シテ)が残るカルカッソンヌ。ヨーロッパ最大規模の城塞で長さ3`に渡る二重の壁には52もの
搭がある。バスを降りると強風に煽られてヨロメいた。クラシックカー愛好者のイベントがあるのか、見
事な車が並んでいる。2つある出入り口の一つナルボンヌ門からシテに入り両脇に商店が並ぶ石畳の
道を歩く。ちょっとモンサンミッシェルの中の雰囲気に似ているなぁ。シテ内のホテルに手荷物を預けて
サン・ナゼール教会へ。11世紀から13世紀南フランス・ラングドック地方で盛んになったキリスト教異
端の一派カタリ派。禁欲・菜食・非暴力を訴えて信者を増やした。午前中行ったアルビを中心に活動し
たことからアルビジョワ派とも呼ばれる。脅威を感じたカトリック教会は13世紀始めアルビジョワ十字軍
を派遣して「異端」の撲滅に躍起となる。ここカルカッソンヌのトランカベヴェル家はカタリ派を容認した
ため十字軍に攻められて城を追われた。約50年の間に100万人のカタリ派信者が殺戮された。サン・
ナゼール教会にはカタリ派と十字軍との戦いの石碑が残されていた。う〜む、と思っている時、教会の
中に突然美しいハーモニーが。ロシアの男性合唱グループの素晴らしいアベマリアだった。11世紀か
ら13世紀にかけて建造されたコンタル城。要塞として使われた城だから、階段を上ったり降りたりでタ
イヘンだよ。足ガクガク。天守閣から見るオード川とカルカッソンヌ城外の町の眺めがなかなかである。
夜 カルカッソンヌ 「Le Donjon」 帆立と海老サラダ、川カマスのホワイトバターソース、フォンダン
ショコラアベクレメ、カモミールティ、ビール 5ユーロ、白ワイン(サービス)、赤ワイン 5ユーロ
宿泊するのはシテ内にあるベストウェスタンホテルLe Donjon。アメリカのホテルチェーンの経営では
あるが、由緒ある落ち着いた建物で落ち着く。夕食は道を挟んだ隣のレストランで。日本人の大きなグ
ループが食事中であった。旨くも不味くも無い食事だったが、アルコール3点セットをゆっくり飲んでゴキ
ゲン。世界遺産カルカッソンヌのライトアップされた城壁を眺めようと元気女子4名は出かけて行った。
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6月 8日(日) 快晴! 暑かったぁ!
朝 カルカッソンヌ ベストウェスタンホテルLe Donjon 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン
午前3時過ぎ枕元の携帯がメール着信音を奏でる。マキコだった。30分後また別の人からメール・・・。
時差に気をつけて貰うということがなかなか出来ない。朝食後メールの返事を送るとそのまた返事が。
便利な世の中になったものだ。8時50分シテ内を歩きシテ外のバスへ。カオールに向けて9時出発。
昼 カオール 「レストラン LA CHARTREUSE」 鱈のアーモンドのせ、胡桃チョコレートパイ、持参
のふすまパン、紅茶
聖エチエンヌ聖堂全景の模型 ヤコブのシンボル帆立貝は巡礼のシンボル 聖堂内の美しいステンドグラス
カオールの象徴ヴァンタレ橋
ロット川ではボート競技が行われていた 力強いワインカオールワイン
11時45分ロット川のほとりに建つカオールのレストランに到着した。レストランのオープンは正午。川を
眺めるテラス席ではレストランのスタッフ達が悠然として賄い飯ちう。12時過ぎても悠然と休憩ちう。私
らがテーブルに着いて待っていても何人かは悠然と煙草吸いちう。全くもってフランスであることよ。ま、
食事がまぁまぁ美味しかったから許そうか。今日は雲一つない晴天で、しかもかなりの暑さだ。ここカオ
ールは中世から栄えた町で、サンティアゴ・デ・コンポスティーラへ向う巡礼路でもある。フランスで最大
のドームがある聖エチエンヌ聖堂に入った時衝撃が走る。太陽燦々の暑い外から、超ヒンヤリしたほの
暗い堂内。余りの気温の差に鳥肌が立った。暑くてタマラン時はいつだってここに来たくなるな。カオー
ルはヴァン・ノアール(黒いワイン)の名で有名な赤ワインの名産地。14世紀に造られたヴァンタレ橋の
たもとにあるワイン店へ。タンニンの強い赤は私の好みだが、試飲すると・・・ふ〜ん。他の食材を買う。
急な斜面に貼り付いているサン・シル・ラポピーは「フランスで最も美しい村」の一つ。大勢の観光客が押し寄せていた
最後の観光は「フランスで最も美しい村」の一つサン・シル・ラポピーを訪ねた。157もの認定された「フ
ランスで最も美しい村」があるから「最も」と最大表現されても困るんだけどね(笑)。しかし、ここサン・シ
ル・ラポピーはその中でもかなり人気の村とかで、急坂にヘバリつく村を大勢がゾロゾロと歩いていた。
夜 フィジャック HOTEL Le Pont D‘Or」 砂肝サラダ、豚肉のソティ、フルーツサラダ、持参のふ
すまパン、ビール 4ユーロ×2杯、白ワイン 5ユーロ、赤ワイン(サービス)
夕方フィジャックの町に到着。ここフィジャックは1799年エジプトのロゼッタで発見された石碑ロゼッタ
ストーンを解読したジャン=フランソワ・シャンポリオンを輩出した町である。今夜の宿はドイツから来た
ジーさんバーさんの大きな団体が入っていてレストランに席が無い私達は小さな宴会場で食べたのだ
った。カオールワイン赤がサービスされたが昼の試飲でも感じたようにどうもタンニンの深みを感じんの
だよ。砂肝のサラダ。サラダの砂肝が柔らかい。豚肉に添えられたキャベツがドッサリあって嬉しい!
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【今週の振り返り】
ここ数年毎年のように訪れているフランス。昨年などは5回もフランスに行った。いつだって楽しいパリ
も含めて、フランスの地方は個性に満ち溢れている。イル・ド・フランス、ブルゴーニュ、フランシュ・コン
テ、ロワール、アルザス・ロレーヌ・シャンパーニュ、ピカルディ・ノール、ノルマンディ、ブルターニュ、大
西洋岸、プロヴァンス、コート・ダ・ジュール、ローヌ・アルプ、オーヴェルニュ・リムーザン、そして今回の
旅の訪問先南西部。地方によって気候も違えば文化も違う。景色も食べ物も住んでいる人の気質もそ
の地方地方で別の顔を持っている。だから一年で5回行っても飽きないのだよ。とは言え、ちょっと行き
過ぎましたかな。ということで、今回はフランス南西部とパリの旅でーす。
フランス南西部は、西はボルドーなどの大西洋岸、南はピレネー山脈を越えてスペインに続き、東は地
中海と中央山脈という位置関係で、金曜日に宿泊したトゥールーズが中心である。世界三大ブルーチ
ーズの一つロックフォールチーズや山羊乳チーズのロカマドゥール、鴨のコンフィ、ペリゴール地方ペリ
グーのフォアグラとトリュフなど美味しい食材にこと欠かない美味しい地方。ゴクっと生唾がわく地方な
のだ。そしてサンティアゴ・デ・コンポスティーラへ向うフランスの4つの巡礼路のうち、「ル・ビュイの道」
と「トゥールーズ」の通過点に当り、巡礼路沿いの教会も見どころ。このサンティアゴ・デ・コンポスティー
ラへ向う巡礼路も含めて、南西部には世界遺産が6つもある。土曜日に行ったアルビもカルカッソンヌ
も世界遺産に登録されている。
そうそう、アルビと言えばアルビが生んだロートレックのことを少し書きたい。正式な名前はエラク長い。
アンリ・マリー・レイモンド・ド・トゥールーズ=ロートレック=モンファ。さすが、フランスの名門トゥールー
ズ伯爵のボンである。アルビのトゥールーズ伯爵の従姉弟同士の結婚で生まれたのがロートレック。血
の濃さが原因だったのかどうか生まれつき虚弱体質で、特に骨が弱い子供だった。入学した中学だが
体力的について行けず退学して家庭教師に頼ることになる。13歳の時転倒して左大腿部を、翌年散
歩中溝に落ちて今度は右足大腿部を骨折。その結果、脚の成長が止まり、足の大きさ長さは子供の頃
のままであった。だから成人してもロートレックの身長は152センチだった。折角合格した大学検定試
験ではあったが、彼は勉学より、子供の頃から得意だった絵画の道を目指すことにする。ロートレック
はアルビからパリへ出た。
パリのロートレックは、「ムーラン・ルージュ」などのダンスホールや酒場、娼婦街に入り浸り、踊り子や
娼婦など夜の女達を優しい視線で描き続けた。父親は家名が穢れると絵にサインすることを禁じた。
「ムーラン・ルージュ」のポスターは大評判になり、次々と名作を生み出す。ポスターを芸術の域にまで
高めたのはロートレックの功績である。しかし、彼は深酒に溺れて健康を害して行く。母親によって強制
入院させられ、一時は禁酒に成功したが、またも浴びるように酒を飲み始め・・・。母親が住むマルロメ
城で僅か36歳の生涯を閉じることとなった。両親は長らく不仲だった。最後まで愛情を注いでくれた母
親と違って、作品の価値を認めなかった父からは蔑まれ疎まれ、彼も父を憎んだ。ロートレックの最後
の言葉は父親に向けた「馬鹿な年寄りめ!」だったそうだ。哀しい話。
ロートレック 「ムーラン・ルージュ」にて
ニャロメの年寄りでごぜーます