パクパク日記14年6月2週

            フランスを暑い暑いと旅している間にブラジルW杯が開幕した

        ラスコー2   ジベルニーの「水の庭園」

6月 9日(月) フランス南西部は晴れ 34度!  1ユーロ=約142円

 フィジャック HOTEL Le Pont D‘Or」 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン

    フィジャックはセレ川沿いの市場町

  

        山あいのコンク村のサント・フォア教会          最後の審判が彫られた正面のタンパン      聖遺骨を納めた黄金の聖女像

先週金曜日からフランスの南西地方を旅している。4日目の朝はフィジャックで迎えた。ドイツ人団体の

数に負けて、昨夜は小さな宴会場で夕食を摂った8人の女子会(参加者と添乗員全員が女性なので、

添乗員のT田さんはグループをこう呼んでいる)は今朝は何とバーで朝食を摂ったのだ。オジョーからメ

ールが来た。先月行ったマヨルカ島出身のラファ・ナダルが全仏オープンでV9だって!5連覇だよ。凄

いなぁ。アメフットチームにも来年正月5連覇して貰おう。出発して1時間もすると山あいにひっそり佇む

コンク村に到着。サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路「ル・ピュイの道」にあって、僅か12歳で

殉教した聖女フォアに捧げたサント・フォア教会がある。教会正面タンパンには最後の審判の大きな彫

刻があり、聖女フォアを含めて214体が彫りこまれている。宝物館には聖遺骨を胸部に納めた黄金の

聖女像が。この聖遺骨は近郊の別の町にあったのだが、9世紀コンク村の呼び物として修道士が10

年計画で盗み出したものだと言う。盗んだ物でも今はコンク村の宝だと堂々と展示し人を呼んでいる。

昼 グラマ 「Le Centre」 ポークソティポルトソース アリゴ(チーズと生クリームとマッシュポテト)添

え、クレープ塩バター生クリーム添え、紅茶

  

  

             絶壁に貼り付くようなロカマドゥール     ガイドは可愛らしいマリーナさん            数々の奇跡を起して来た黒い聖母像 

ランチはコンク村から80`離れたグラマという街で。月曜日だが、今日は「精霊降誕祭の翌日」という

フランスの祝日だから道は空いていた。レストランの地下にあるトイレに行ってビックリ。女子トイレの便

器がよじ登らねばならない程便座が高い!ご丁寧にトイレの隅には台まで置いてある。フランス人は

男女とも意外と小柄なのに、何でこんな使いづらい便器を作るのか!シルブープレ!であるよ。ポーク

に添えられたアリゴはチーズと生クリームとマッシュポテトを混ぜたような不思議な食感の料理だった。

可愛らしい猫がいて猫好きは狂喜乱舞。猫とお別れして午後はロカマドゥールに向う。1166年初期の

キリスト教徒だった聖アマドゥールの遺体が発見されたが数百年前の遺体にも関わらず腐敗していな

かったという伝説がある巡礼地ロカマドゥール。絶壁に貼り付くように7つの聖堂と礼拝堂がある。中世

の巡礼者達は216段の石段を膝だけで上って来たという話だ。ノートルダム礼拝堂には黒い聖母像。

夜 レゼジー 「オテル・デュ・サントネール」 フォアグラのテリーヌ、鱸のソティ ラタトイユ添え、ショコ

ラと苺のデセール、カモミールティ、ビール(フューガルデン) 6ユーロ、白ワイン 4ユーロ、赤ワ

イン 4ユーロ×2杯 

    

  

6時半レゼジーのホテルに到着。「オテル・デュ・サントネール」という「ルレ・エ・シャトー」加盟ホテルだ。

「ルレ・エ・シャトー」はもてなし・魅力・個性・静寂・料理のフランス語の頭文字Cを満たす会員組織。日

本にも伊豆の「あさば」とか箱根「強羅花壇」とかが会員で世界60カ国で500数十のホテルとレストラ

ンが加盟している。このホテルのレストランは少し前までミシュランの1つ星を持っていたそうだ。女子会グ

ループはちょっとお洒落して夕食。ペリゴール産のフォアグラのテリーヌはネチッこくて旨いねぇ。大好

き!魚料理はフツーだったがチョコと苺のデセールはお洒落で美味しい!大満足の夕食でありました。

                       ____________

6月 1O日(火) 晴れ

朝 レゼジー 「オテル・デュ・サントネール」 美しい朝食ヴュッフェ

  

昨夜ホテル客室数室のクーラーが作動しない騒動があった。オカシイと思ったのよ。正常化してやれや

れ。「ルレ・エ・シャトー」の「オテル・デュ・サントネール」の朝食は美しい!一番にレストランに入って、

思わず写真をパチリ。ジュースのおき方、ジャムの並べ方、フルーツの盛り方、すべてが美しい。その

わりに料理数が多いわけでもなく朝食ヴュッフェとしては中の上くらいかな。連泊だからゆったりの朝。

  

      1万7000年前にクロマニヨン人たちが描いた動物達。馬や鹿、牛、鳥などがイキイキと描かれている

1940年犬が穴に落ちてしまった。犬を助けるために穴に入った4人の少年は、そこに17000年前

の洞窟に描かれた壁画を発見する。有名な話だよね。劣化しないよう保存のため1963年洞窟は閉鎖

され、数百b離れたところに11年の歳月をかけて洞窟の複製が造られた。英語グループと一緒に洞

窟に入ったが、内部は13度の寒さ。複製とはいえ、クロマニヨン人達の素晴らしい芸術に舌マキマキ。

 サルララカネラ 「オーベルジュ・ド。ミランドル・サルラ」 砂肝とリンゴのサラダ、鴨のコンフィ ポテ

ト添え、持参のふすまパン、紅茶

  

       博物館のような街サルラ                    名物はフォアグラで店先でもフォアグラが並ぶ!

  

サルララカネラの街。ちょっと早めに着いて予約のレストランに行ってみると、お約束のように店のスタ

ッフはまかない飯の最中だった。それじゃ散歩して来ましょう。歴史的街並保存のための法律「マルロ

ー法」の第一号が適用され博物館のような街並である。美味しいものも揃って皆早速カヌレの店で引っ

掛かっている。4日しか持たないのに大丈夫?私は見事なナイフの店に魅了された。市場に行けばフ

ォアグラの嵐!フォアグラ入るカヌレなんてのも売っているのだよ。ランチメインは鴨のコンフィだった。

  

ラ・ロック・ガジャックからドルドーニュ川のクルーズ                     ドルドーニュ渓谷のベイナック城

ドルドーニュ川渓谷のラ・ロック・ガジャックも「フランスの最も美しい村」の一つである。絶壁に貼り付い

ているような村である。この村からドルドーニュ川のクルーズ。一旦下流に行ってから遡り、また下って

くる変化の少ないゆったりしたコースで、日本語解説もあったが30分を過ぎる頃には皆さんコックリコッ

クリ。ゆったり出来て良かったかな。その後はベイナック城を見学に行く。それにしても今日の暑いぞ!

夜 レゼジー 「Passeur」 (自由食) ペリゴールセップ茸のスープ フライフォアグラ入り 9,6ユー

ロ、海老とアーティチョークのリゾット 24ユーロ、ビール 4,2ユーロ、赤ワイン 7,8ユーロ

  

レゼジー2泊目の夕食は自由食である。希望者は元気印添乗員K野さんと近くのレストランに出かけ

た。屋外のテーブルに案内されて全員慌てて「NONNON」。ヨーロッパ人は屋外席が異常に好きだが

日本人はイヤだよねぇ。夕食なのに未だカッカと陽が照っているし、それだと暑いし日に焼けるし、道路

に近くて埃っぽいし、だいたい落ちつかないし!K野さんは添乗員先輩からお勧めのフォアグラと鴨入

ろの豪華サラダにすると言う。それもかなり魅力的だがペリゴールセップ茸のスープ フライフォアグラ

入りと海老とアーティチョークのリゾットにもそそられる。それにした。旨い!美味しい!ベストな選択!

                        ______________

6月 11日(水) 晴れ

朝 レゼジー 「オテル・デュ・サントネール」 美しい朝食ヴュッフェ

 

  

                               サンテミリオンはワインの町です!

美しい朝食を食べてから8時出発。先週から旅したフランス南西部から大西洋岸に移動する。約2

間半のドライブでワインで有名なサンテミリオン到着。約2年前ワインの旅で2泊した思い出の町だ。試

飲しようと行ったシャトーはやる気が全く感じられない。店番の若い女性は「地下の瓶熟庫は勝手に行

って」と言うし、試飲のワインも1杯だけは注いでくれたが2本目は自分達でね。ワインの味も一緒だ。

昼 サンテミリオン 「Me‘dieval」 コックオンバン(チキンの赤ワイン煮)、桃とカシスのシャーベット、

     赤ワイン(ゴチになった)、コーヒー

  

 ボルドー駅とTGV

サンテミリオンで1時間のフリータイム。ワイン関連の小物と犬の人形を買う。ランチが今回の女子会

グループとしての最後の食事。パリは全部自由食だからね。添乗員のK野さんと飲み物50ユーロを

使うことにしていたので赤ワインボトルを飲めることとなった。昼酒は飲まない主義の私も「そうゆうこと

なら」と頂くことに。ご馳走さま!と3杯も飲んじゃった。ランチのメインは名物のコックオンバンだった。

遅い夜 パリ 「カプシーヌ」(自由食) フレッシュホワイトアスパラ アロマティックソース 9,8ユーロ、

自家製魚のスープ ルイユとクルトン添え 12,5ユーロ、生ビール大 13,6ユーロ、赤ワインコ

ートドローヌ 6,6ユーロ 計@45ユーロ

  

バスでボルドーに移動し、ここまでずっと運転してくれたバスドライバーのベルナールさんとお別れ。物

静かだが、暑い時は陽が当る側のカーテンを閉めておいてくれたり、疲れている時はギリギリ近くまで

迎えに来てくれたり、ホントに優しい人柄で、「フランス人とは思えない」と皆ベルナールさんの大ファン

だった。最後にベルナールさんは、私達を手持ちのカメラで撮影した!オフヴォワーフ ベルナール。今

日フランスの鉄道はストライキ実行中で国内の鉄道網はズタズタらしい。しかもパリではタクシーもス

トライキに便乗しているとか。その影響で私らが予約しているTGVはかなり遅れ、かつ停車駅で続々

と乗客が乗って来て通路まで一杯の満員状態になった。遅れてパリ・モンパルナス駅に午後8時17分

到着。インターコンチネンタルパリ ルグランにチェックインしてから、6人でホテル近くの「カプシーヌ」に

遅い夕食を食べに行く。もう夜も遅いし軽いものにしようか。今シーズン最後と思われるホワイトアスパ

ラに間に合った!ソースがイマイチであったがアスパラは旨い。そして大好物スープデポワソン。魚の

スープだ。添えられたルイユやクルトンを入れて食べる。日本人はもっと熱いのが好きなんだけどな。

                        ______________

6月 12日(木) パリもジヴェルニーも晴れ 暑い!!!

朝 パリ・インターコンチネンタルパリ ルグラン 「カフェドラペ」 朝食ヴュッフェ

  

パリのような大都会の高級ホテルでは日本語テレビ(JSTV)が映る。昨夜は12時前に部屋に戻った

のだが、久々だったので午前2時まで観ていた。ベッドに入っても何だか眠れない。5時頃までゴロゴロ

して朝方ちょっこし眠ったが6時半には起きた。このホテルのレストラン「カフェドラペ」の朝食が楽しみ。

ヴュッフェ料理の中には和食も中華もあるのだよ。あら?味噌汁の味が格段に落ちたぞ。鮭の切り身も

小さくなったなぁ。添乗員K野さんはフォンテンブローに出かける皆さんをマイバスまで送って行った。

昼 パリ 「金太郎」 味噌ラーメンと餃子セット 11,5ユーロ

  

JSTVでは日本と同じように午前8時から朝ドラ「花子とアン」が始まる。1週間分観ていないからなぁ、

そこまで進んだか。「おはよう日本」を挟んで、次は「朝イチ」が始まる。パリでいつまでもテレビを観て

いても仕方がないので外出。あ、そうそう、明日の夕方までずっとフリータイムなのだ。外に出ると暑

い!ムッチャ暑い!暑い暑いと歩いていたら小腹が空いた。こうゆう時は「金太郎」だな。前回うどんが

旨いことを発見したのだが、クセで味噌ラーメンと餃子を注文してしまった。そこにO橋さんからメール

が入る。荒木町で懐かしい人3人と飲んでいる?合流したいけどパリからでは行けません!M浦さん

にラーメン餃子の写メ送る。ご夫妻も「金太郎」ファンだから。隣のフランス人男子2人焼き肉定食と餃

子、たぬき蕎麦を食べていた。普通のフランス人が普通に食べるランチ。スープ飲み干して大汗かく。

午後のお茶 パリ 「スターバックス」 カフェラテ 4,5ユーロ

  

             モネが造った「水の庭」日本庭園には竹林があり、大きな池にはあの「睡蓮」が咲いていた

  

                       モネが8人の子供とアリス夫人が住んだ家とアトリエの前には「花の庭」が広がる

午後2時マイバス社からジヴェルニーに向う。ノルマンディ地方の入口に位置する小さなジヴェルニー

に村には、モネが後半の43年間を過した家とあの庭園がある。大型バスの駐車場からモネの家まで

暑い暑いとテクテク歩く。先ずは地下道を潜ってモネ自慢の池と睡蓮の「水の庭」へ。せせらぎの向こう

には竹林、そしてその向こうの池には睡蓮が!ちょうど睡蓮が花を咲かせて良い時期に来たと感謝。

「日本の橋」と知られる緑色の太鼓橋は意外と小さい。旅に出た3ヶ月を除いて、モネは晩年の20

余りこの睡蓮を描き続けた。家の中には膨大な浮世絵のコレクション。食堂は黄色に統一されていた。

夜 パリ 「Le Drouant」 (自由食) アミューズ・ブーシュ、ポートワイン風味のフォアグラのコン

     フィ、牛肉のソティ 温野菜添え、ショコラタルトとガラナショコラのシャーベット、カモミールティ、キール

     ドロワイヤル、ビール、白ワイン(シャルドネ)、赤ワイン(ボルドー) @96ユーロ

  

今日もフランスのJRはストライキをやっているらしい。昨日はタクシーがストライキに加わってパリの町

は一日混乱したと聞いた。それに懲り人々はマイカーで通勤&通学したので今日はパリ中が大渋滞。

ジヴェルニーの行きも帰りもその渋滞に巻き込まれて予定より15分遅れてパリに帰って来た。7時から

「Le Drouant」を予約している。フランス文学の最高峰「ゴンクール賞」の審査会場になる老舗レスト

ラン。日本で言うならば、芥川賞・直木賞の選考会場となる築地の「新喜楽」って感じかな。行ったこと

無いけど。アペリチフとアミューズに続く前菜とメイン、デセールはチョイス制。特製のオードブルよりフ

ォアグラ好きはポートワイン風味のフォアグラのコンフィだよ。ネットリ!メインはホロホロ鳥OR鱈料

理?他の料理無い?牛肉のソティも出来るならそれね。デセールショコラタルトと太るものばかり選択。

                        ______________

6月 13日(金) パリは晴れ

朝 パリ・インターコンチネンタルパリ ルグラン 「カフェドラペ」 朝食ヴュッフェ

  

昼 パリ 「金太郎」 牛丼セット(牛丼と味噌汁と漬け物) 13ユーロ 

  

昨夜ホテルに帰るとW杯ブラジル大会が始まっていた。開幕戦はA組のブラジル対クロアチア。審判

は西村主審以下3人の日本審判が加わっている。ブラジルがオウンゴールでクロアチアが先制するも

ブラジルがPKを得て同点。この時のクロアチア選手のファウルを取った西村主審の判断がミスだと試

合後もクロアチア代表や応援団と揉めることとなる。PKを含めネイマールの2ゴールを決めてブラジル

が3−1で勝利。日本の初戦コートジボワールは帰国翌日だ。ゆっくり朝食を食べ、買い物に行く。オペ

ラ座近くの「ユニクロ」を覗いてみると日本はSMLXLのサイズラインナップなのにフランスはXSSML

何でよ!ギャラリー・ラファイエットである人の記念品を時間かけて選ぶ。なかなか良い物が見つかって

ホッとする。次は食品館に移動して食料品の土産を何品か。ホテルに荷物を置いてと。次は姪のカオ

ルのためにお菓子を買いに。汗びっしょりだ。冷やし中華を食べたい!たまには「札幌ラーメン」に入っ

てみっか。日本人経営かと思っていたら店員は中国人ばかり。ガラガラなのに、そこは座るな、ここに

座れと命令口調。値段も高いし、感じが悪いので早々に引き上げて「金太郎」に行った。やっぱりこの

店に来てしまうなぁ。牛丼と味噌汁と漬け物のセット。味噌汁「カフェドラペ」よりもずっと旨いのだった。   

遅い夜 ANAパリ=羽田 ビジネスクラス機内食(和食)

    コンコルド機とネイマール

  

5時に集合して空港に向かう。今回のコースは、出発ギリギリ夕方5時まで客室が使えるのが良い。汗

びっしょりかいても、シャワーを浴びて着替えられるしね。午後9時過ぎのNH216便で羽田空港へ。

ビールに続いて麦焼酎のダブルで和食の遅い夕食。引き続き焼酎飲みながら週刊誌を読んでいると

眠くなって来た。普段飛行機の中ではめったに寝ない人間だが、眠れる時は素直に寝てしまおうZZZ

                         ______________

6月 14日(土) 東京は晴れ

第1食 ANAパリ=羽田 ビジネスクラス機内食(和食)

第2食 四谷3丁目 「鮨処 のがみ」 お通し:山口のおきゅうと酢味噌、鴨川の赤イカ 970円、福岡

の白イカ 970円、加島の生とり貝 1290円、愛知の小々鰯 650円、卵焼き、屈斜路湖のチッ

プ 1290円、ハダガリ、生ビール 2杯、ミグ焼酎 @7850円

  

  

羽田空港には夕方4時頃到着した。羽田空港国際ターミナルは飛行機を降りてからの距離も短いから

イミグレもすぐ近く。スーツケースが早めに出てくれば、帰宅までの時間も成田に較べて格段に短縮出

来る。嬉しいぞ。そんなことで楽して帰宅した今夜は「のがみ」で美味しい肴を食べよう。女将の達筆お

品書きには、赤イカと白イカ。ご主人どっちが美味しい?どっちも食べてください、ということで「イカ紅白

の戦い!」。ネットリさ加減で赤の勝ち!生とり貝も旨いなぁ。フランスも旨いが、日本は負けないよ!

                     _______________

6月 15日(日) 晴れ 暑い! W杯日本代表コートジボワールに1対2で惜敗・・・

朝 家食 牛肉メンチ勝ふすまバーガー、ヨーグルト

昼 曙橋 「Coco壱番屋」 野菜サラダ 185円、印度カレーライスチキン 820円−小ライス(100g)

+3辛63円、アイスチャイ 150円 計1167

  

今日は日本代表の初戦コートジボワール戦である。しかし、ソワソワとテレビの前に座ってハッと気が

つく。今日はうっかりプラズマ治療の予約をしていた!!!途中で出かけなくてはならない・・・馬鹿だ

なぁ、私って。幸先よく本田がゴールを決めた!素晴らしいゴールだ!その調子で行け行け!ところが

その後は一進一退で。治療中に1−1に追いつかれ、その上もう1点失って初戦敗退。ガッカリだ。「Co

co壱番屋」で季節メニューの印度カレーライスチキンを黙々と食べていたら隣にアルゼンチン人らしき

男性と日本人男性がずっとサッカー談義中。最後には「あ〜ぁ、良いよなぁ、強い国は」と男は呟いた。

夜 舟町 「山灯」 2500円の山灯ミニコース(前菜5種盛り、えびのすり流し汁、鱸の山椒焼き、鱧の

       柳川風)、干し貝柱と湯葉の梅仕立て桜井麺(60g)、香のもの付き 1500円、生ビール 2杯、麦焼酎 

  

  

敗戦の溜息をつきながらパクパク日記5月4週を仕上げてアップ。遅くなった夕食は「山灯」で摂る。珍

しく店長のW鍋さんはお休みだった。ははぁ、そうゆうことか。遅い時間なのでミニコース。お造りをお

椀に変更して貰い、食事に桜井麺を注文。鱸の山椒焼きはふっくらと焼かれてとても美味しい。鱧の柳

川風というのは鱧にポーチドエッグを絡めて食べる。発想が面白いよね。桜井麺湯葉の梅仕立てだ。

                   _______________

【今週の振り返り】

モネが長く過したジヴェルニーに行きたいと長年思いながら、果たせず今回一人でマイバスのジヴェル

ニーツァーに参加した。ジヴェルニーはパリから北西に約70`、車でざっと1時間半の距離にある。パ

リ生まれのモネはセーヌ川流域に何箇所かに住んだが、ここもセーヌ川に程近い。

ノルマンディー地方の入り口にあるジヴェルニーを私は何度も通過していたのだが、いつも通過したま

まであった。1840年生まれで43歳になったモネは、1883年4月ジヴェルニーに移り住み、5年後に

土地を購入して家を建てた。あちこちに移り住んだモネであったが、以後生涯ジヴェルニーを離れるこ

とはなく、人生後半の43年間をここで過したのである。

モネの最初の妻はカミーユであった。貧しさの中で知り合い、家族は彼女との結婚をなかなか認めな

かった。扇子を手に赤い着物を着て微笑む「ラ・ジャポネーズ」の絵なら皆さん思い浮かべることが出来

ると思うが、あの金髪のモデル女性はカミーユ・ドンシューである。私は、モネの作品で言えば、この最

初の妻カミーユと長男ジャンを描いた「ひなげし」や「散歩、日傘をさす女性」や「ヴェトゥイユの庭園」な

どの作品が」好きである。長い間モネはずっと貧しかった。モネの厳しい生活を支えてくれたのは、パト

ロンの一人にオルネスト・オシュデがいた。しかし、このオシュデが破産してしまい、債権者から追われ

る身となってしまう。オシュデはモネの家を訪ねた。「必ず再起して恩を返すから、それまで家族を頼

む!」とオシュデはモネに頭を下げた。モネは貧しい身ながら、世話になったオシュデの頼みを断るわ

けには行かなかった。しかし、オシュデがモネに託した家族とは、アリス夫人と5人の子供、そしてアリ

ス夫人は6番目の子供の臨月間近なのであった。病弱のモネ夫人のカミーユだって、ついこの前2

目の息子ミシェルを生んだばかり。つまり、貧しい画家モネは2人の女性とまもなく生まれた赤ん坊含

8人の子供、計10人を食べさせねばならなくなったのである。あ〜〜ぁであるが、モネは承諾した。

そして間もなくカミーユ夫人は病死。32歳の若さであった。1879年のことである。

1883年ジヴェルニーでの生活が始まった。「必ず再起して迎えに来る。恩には報いる」と約束した例の

パトロン・オルネスト・オシュデは願いも虚しく1891年死去。翌年1892年、モネとアリス夫人は正式に

結婚した。当り前だが、再婚同士であった。

モネは1890年ジヴェルニーに家を建て、3年後買いました土地には池を掘り始める。ジヴェルニーで

のモネは画家というより、庭師に変身したようであったらしい。池を掘って近くの川から水を引き、数種

類の蓮を植え、竹を植えて竹林を造り、橋を掛け・・・創作以外のほとんどの時間は庭造りに打ち込ん

だモネ。買い増した「水の庭」と本館モネの家の間には、モネ生存中鉄道が走っていたそうだ。今は車

が激しく走る道路でモネの家&「花の庭」とは地下通路で結ばれている。モネはこの庭自体が「自分の

最高傑作」と自慢していたそうだ。

モネほど連作好きの作家を知らない。自宅近くの農園で描いた「積みわら」は30点、エプト川沿いポプ

ラ並木23点、「ルーアン大聖堂」ファサード連作30点、そしてロンドンで描いた「国会議事堂」、「チェリ

ング・クロス」、「ウォータールー橋」などの連作もある。天候、季節、時間、光線で刻々と変わる対象物

を描き分けた。しかし、モネの連作と言えば、何と言っても1890年の終わりから1926年亡くなるまで

描き続けた「睡蓮」である。その数なんと200点以上!1年前にフランス・ノルマンディ地方を旅したの

だが、ルーアンという街で「ノルマンディー印象派フェシティバル」特別展示を鑑賞した。ゴッホやルノワ

ール、シスレーなどの作品と共にエトルタの断崖などを描いた40点ほどのモネの作品が展示されてい

たが、自宅庭園で睡蓮を描くモネの映像がほんのちょっと公開されていて、それがとても面白かった。

咥え煙草しながら気短な性格のようで睡蓮とキャンバスを忙しく観ては描くモネの姿が意外に映った。

これだけ同じ対象を描き続ける情熱というか執念というか・・・何と言えばいいのでしょうね。多くの睡蓮

の作品は世界中で観るころが出来るが、パリのオランジェリー美術館に寄贈された睡蓮の大壁画の製

作に当ってジヴェルニーの自宅アトリエでは収まりきれず、離れに「睡蓮」特別のアトリエが設けられた。

今では睡蓮の壁画と共にお土産売り場になっている。

毎年4月から10月一杯までの半年間、ジヴェルニーの「モネの家と庭園」を見学することが出来る。パ

リからクルマで1時間半、モネという画家と庭園に興味のある方には是非お勧めでーす。冬季はお休

みですからね〜。

            モデルやってもいいいけどニャ     結構!

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      2日後でかけるまでにもう1週アップ出来るか・・・・わからん・・・

ダメだったら、次回更新は七月19日頃かな。