パクパク日記14年7月 3週

            アンゴラ共和国2週目はキッサマ国立公園で動物を探して

牡のクドゥー  アミメキリン

7月 14日(月) アンゴラ・キッサマ国立公園は曇り午後晴れ

朝 キッサマ国立公園 「クワンザ・リバー・ロッジ」 朝食ヴュッフェ

  

      鏡のようなキッサマ川の流れ          フィッシュイーグル               両岸は緑が豊か

先週からアフリカのアンゴラ共和国に来ている。6日目の朝はキッサマ国立公園の中にある「クワンザ・

リバー・ロッジ」で迎えた。ロッジとレストランの真ん前はキッサマ川の静かな流れ。テラス席で朝食を終

えて、9時からリバークルーズに出かけた。3日前に見たキッサマ川の上流はラフティングをやりたい!

と誰かが叫んだ程の急流だったが、海まで数十`のここでは大河となって水面は鏡のようでもある。フ

ィッシュイーグル、ブルーモンキー、ナイルワニの赤ちゃんなどを見かけた。船から降りるのが大変!

昼 キッサマ国立公園 「クワンザ・リバー・ロッジ」 ランチヴュッフェ 

  

  

          動物を保護している区域            アフリカ象を2頭見つけた!

  

    威風堂々としたクドゥーの牡               バオバブの木の下で                           キリンファミリー  

ランチを摂っていると、ベランダにカワセミが遊びに来た。午後1時からゲームサファリに出かける。内

戦時公園内の動物を捕獲して毛皮や象牙を売って戦費にしたり、心ない兵隊達がゲームで動物を撃ち

殺したりしたので、キッサマの動物は激減してしまった。内戦終了後国立公園化され、動物の「ノアの

箱舟」プロジェクトがスタートした。南アフリカ、ボツワナ、ザンビアなど近隣諸国から動物を譲り受け、

公園内の保護地域で育成繁殖させている。動物が増えて来たら保護地域はドーンと広くする計画なの

だとか。とはいえ、ガイドの案内で保護区を走り回るものの30分位はなーもいなくって。ところが、象を

2頭見つけてから次々と。ヌー、ブッシュバック、芸術的とも言える見事な角を持つクドゥーなど。「アン

ゴラBIG5」(そんなの無いけどね)ならキリンも見なくっちゃ。いました!数頭いたね、と皆熱くなった。

夜 キッサマ国立公園 「クワンザ・リバー・ロッジ」 ディナーヴュッフェ+添乗員S藤さん特製のち

     らし寿司、ハイネケンビール 3j×2杯、ポルトガル赤ワイン(フルボトル) 25j

  

ホテルに帰る時の夕陽がとても美しかった。早くも全員で夕食を摂るのは今夜が最後となった。旅行社

から飲み物1つがサービスされる。そして!添乗員S藤さんが特製ちらし寿司を作ってくれた。海苔が

たっぷりでとっても美味しい。ビール飲んで、ポルトガルワイン飲んでちらし寿司食べて、満足満足!!

                  _______________

7月 15日(火) アンゴラ・ルアンダは晴れ

朝 キッサマ国立公園 「クワンザ・リバー・ロッジ」 朝食ヴュッフェ

     

    キッサマ川を眺めながら朝食              レストランからロッジまでの通り         2泊したロッジはここ

  

               長い間に侵食されたミラドールは凄い景観                              奴隷博物館は改修中だった 

  

                   首都ルアンダの最も近代的な場所はここ                            アンゴラの国旗

     

          ジンガ女王を描いたアズレージョ                   港に連れて行かれる奴隷達          要塞跡は今武器博物館

2泊した「クワンザ・リバー・ロッジ」で最後の食事を摂って8時半に出発。キッサマ国立公園ともお別れ

だ。実はこの公園、首都のルアンダとは80`しか離れていない。途中で侵食された海岸線のミラドー

ルに立ち寄った。9時45分には早くもルアンダ郊外に。2億円とか3億円の邸宅がずらっと並ぶ高級住

宅地街を走って奴隷博物館へ。丘の上の教会跡にあって、数百万人いたアンゴラの奴隷達は港から

船に乗せられる前最後の祈りをこの教会に向ってしたのだという。残念ながら博物館の中は現在修復

中で入れなかった。高級住宅地にある高級スーパーを覗く。さすが「世界一物価が高い都市ルアンダ」

らしい値付けであった。最後の観光地であるポルトガル時代の要塞はルアンダの最も近代的な海岸地

区を見下ろす丘の上にある。今は武器博物館になっていて、たくさんのアズレージョタイルにアンゴラ

の歴史が描かれていた。要塞敷地内には社会科見学なのだろう小学生の子供達が大勢訪れていた。

昼 ルアンダ 要塞駐車場にて ハムチーズサンドイッチの具のみ、コーラゼロ 

夜 エミレーツ航空 ルアンダ=ドバイ ビジネスクラス機内食

  

要塞の駐車場でカンタンなランチ。ハムチーズサンドイッチだったので、ハムとチーズだけを食べた。す

ぐ空腹でお腹がぐ〜。渋滞を警戒して空港に早めに向う。意外や意外、かなり順調に走る。ちょっと渋

滞すると、どこからともなく商品を手に持った物売りが車の両脇に現われる。水、菓子、電気スタンド、

ポンプ、大きな壁かけ時計、椅子・・・ホントにこんなものを渋滞の時アンゴラの人達は買うのだろうか。

午後2時過ぎ空港着。ここまでずっと走ってガイドしてくれたポールさんとキカスさんとは握手してお別

れした。エミレーツ航空にチェックインし、セキリュティチェックもイミグレも通過して、ラウンジにでも行く

か、というタイミングで、男女別にちょっとした行列が出来ている。カスタマーチェック何ちゃらと書かれ

た小部屋があり、そこに一人づつ入らねばならない。国外に大金(100万円とか)を持ち出さないようチ

ェックすると一応言うのだが、持ち金を全部出せと言って紙幣を数えるふりをし、10jちょーだい!だっ

て!60ドルくれと言われた人もいた。「NO!」ときっぱり言う。どうゆうことだ!午後6時ドバイに向う。

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7月 16日(水) ドバイは晴れ とんでもなく暑い

朝 ドバイ 「パノラマ・グランドホテル」 朝食ヴュッフェ

  

午前5時過ぎ到着予定だったが、4時半にはドバイに着いた。ビジネス席客は違う場所に着いて右往

左往。空港ビル内をうろうろオロオロしてようやく皆さんと合流。ほっ。シャトルバスで空港から15分程

の「パノラマ・グランドホテル」へ。長いチェックインを終えて客室に入ったのは6時半。飛行機での朝食

機内食は食べなかったから腹ペコである。7時からホテル朝食ヴュッフェ。トースト4分1だけ食べた。

昼 ドバイ 「パノラマ・グランドホテル」 ホット&サワースープ 1ディルハム、スパゲティボロネーゼ 

22ディルハム、ミネラルウォーター大(4人で) 計12j

    ドバイのアラカルトもなかなか

パジャマに着替えてベッドに入るも、1,2時間トロトロしただけで目が醒める。添乗員のS藤さんから日

本のニュースやらアフリカの現状の資料を頂いたので、それに目を通したり本を読んだり。午後1時希

望者は再びホテルのレストランへ。いつの間にか客はほぼインド人になっていて、ランチヴュッフェもイ

ンド料理ヴュッフェに変わっていた。集まった4人で、インド料理ヴュッフェも何だからアラカルトにしまし

ょうと相談がまとまる。私は辛〜くて酸っぱいホット&サワースープとスパゲティボロネーゼ。なかなか。

夜 ドバイ 中華レストラン「SIZZANGWOK」 (7人で) 中華レストラン春巻き、卵とチキンのス

     ープ、野菜の煮込み、肉だんご、酢鶏、チャーハンなどいろいろ  生ビール大10j  計35j

  

  

現在イスラム圏はラマダンである。ラマダン(断食月)は私らが使っている太陰暦より11日早く、しかも

閏月の補正を行わないから毎年約11日早まって行く。33年で季節を一周する勘定である。これまでも

何度おラマダンの時期にイスラム圏を訪れたことはあったが、今年は今なんだねー。中国料理を食べ

に行きましょう、というS藤添乗員野呼びかけで7人がロビーに集まった。2台のタクシーで某ホテルの

中国料理レストランに行く。ラマダンの規制に従い、外国人も料理は頼めるがアルコールは午後8時か

から!ラマダンの間は外国人であってもイスラム教徒に敬意を表して腕や足を剥き出しにする服装は

控えるものなのだが、アジアの某大国の若者達はそんなこと「無問題」って感じでしてね〜。海外旅行

をする時は、訪問する国のルールを尊重するのが最低限のルールだべ!料理はどれもほぼ同じ味で

あったが、午後8時過ぎに運ばれて来た生ビールをゴクゴクと飲んだ感激を忘れられない。旨かった!

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7月 17日(木) 東京は曇り 暑い!   マレーシア航空機ウクライナ上空で撃墜

早−い朝 エミレーツ航空 ドバイ=成田 ビジネスクラス機内食

  

夕食を終えホテルに帰り部屋の前でU野夫妻のご主人が「それではまた明日」」と挨拶をされた。うっ

かり「お休みなさい」と言いそうになったが、そうではない!私ら夜中の12時にチェックアウトして午前3

時前のエミレーツ航空に乗るのであーる。この便には何度か乗ったことがあるが6年半前に「のだめ」

人気沸騰直後の上野樹里ちゃんが通路を挟んで隣の席に座りコーフンして眠れないこともあったな。ア

ハハハ。こんな夜中だから、食事は要らん!と思っていたが、「焼きうどん」を注文したらこんなのが。

昼 エミレーツ航空 ドバイ=成田 ビジネスクラス機内食

  

夜 舟町 「無門」 お通し:鴨と鶉卵・万願寺唐辛子・魚鱗揚げなど、水茄子浅漬け 620円、とうもろこ

しと春菊のかき揚げ 680円、豚炎なべ(黒豚) 1800円、お替り 1850円、おじや 400円、

生ビール 2杯、麦焼酎 @9687円

  

  

    豚炎鍋後はおじやが旨い!

午後5時半、成田空港到着。相変らず第二ターミナルの80番台ゲートに到着するから、イミグレとバゲ

ージクレームに到着する頃には大汗だくだくである。やっぱりこれからは暑い季節成田第二空港発着

便は避けるようにしょう。皆さーん、お世話になりましたぁとご挨拶してタクシーで帰宅。メールチェック、

洗濯、写真取り込みなどを終えて「無門」。数年勘お替りが出来なかったのだが、肉も野菜もお替りす

る自分にビックリ!それにしてもお替りすると高くなる値段構成に疑問が残る。おじやがムッチャ旨い!

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7月 18日(金) 曇り 夜一時雨

朝 無し

昼 家食 卵トーストサンド、ヨーグルト

昨日ウクライナ上空を飛行中のマレーシア航空機が墜落したというショッキングなニュース。私が飛ん

で来て数時間後のことで、機材も同じボーイング777だった。親ロシア側の誤射で撃墜されたのではな

いかという憶測がもっぱらである。私が成田空港に到着した頃、この不運な飛行機は撃墜されたのだ

からなぁ。数ヶ月前北京行き旅客機が失踪したのもマレーシア航空だった。何てツイテいない会社だ。

夜 荒木町 「さかもと」 6千円のお任せコース(白瓜と茗荷・へしこ和え、茹で茄子のごまだれ、炙り

鮎ときのこのお椀、マコカレイと岩手の蛸・剣先イカ・カンパチのお造り 醤油と煎り酒と共に、まな

カツオの西京焼き、新牛蒡・人参・穴子・絹さやの炊き合わせ、とうもろこしとかぼちゃの冷製スー

プ、海老と白バイ貝・若布・豆乳こんにゃくの酢のもの、ぶっかけそうめん、オレンジとぶどう) 

@1万780円

  

  

  

ひところ、「隠れ家」という言葉が飲食店に流行ったことがあった。大通りの雑居ビルに「隠れ家ダイニ

ング」なんて看板が堂々とあったりね。お洒落っぽいと思っていたのかなぁ。その点荒木町のさかもと」

はまさに「隠れ家」的店舗である。荒木町の小さな小さな津の守弁財天・金丸神社に隠れているのだか

ら。年に一度お誘い頂いた渋谷の鮨屋「小笹」もそう。本当に隠れているから、何度行っても迷ってなか

なか辿りつけなかった。そうそう「エルミタージュ」ってフランス語で「隠者の庵」とか「隠れ家」って意味だ

ったね。で、今夜の「さかもと」。相変らず何の説明も無いまま料理が次々と出され、何かな、何かなと

考え考え食ベる。どうしてもわからないと寡黙のご主人に聞く。とうもろこしとかぼちゃの冷製スープを

食べた後、「これ5杯くらい食べたいです!」と言ったら、愛想無しご主人ほんのちょっと笑顔になった。

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7月 19日(土) 降ったり止んだり

朝 家食 「マルちゃん」のホットワンタン、ヨーグルト

昼 恵比須アトレ 「新宿中村屋」 印度カリーセット(サラダ、ライス付き) 1404円−小ライス54円、

ドリンク206円、持参のふすまパン

  

月に一度の恵比須ランチ。基本的に駅ビルアトレのレストラン街で食べることにしている。いつだって混

んでいるのに今日土曜日は行列が少ない。どの店も。選り取りみどりであったが、やっぱり「新宿中村

屋」のカレーがいい。何十年も変わらぬ味って、考えてみれば素晴らしいことだよね。このインドカリー

が好き!本屋を覗いてから、アーユルベーダ。「どうしてこんなに足が浮腫みますかね」と呆れられる。

夜 荒木町 「やくみや」 お通し:ピリ辛蒸し茄子(お替り)、だし冷奴 600円、とうもろこしかき揚げ 

800円、トマトの塩こうじマリネ 500円、ゴーヤチャンプルー 800円、黒酢長芋酢豚 900円、

温麺 600円

  

  

札幌に荷物を送った。姪のキリコへのお土産がどんどん増えて持って行くにはタイヘンそうになったか

ら。「私が行くまで開けてはならぬ」と本人にはメールをしてある。夜は「やくみや」。昨日だったか「今夜

は満員だから入れないよ、と断られたっけ。「今夜も満員ですか?」と電話したら、「空いてます」って。

お通しのピリ辛蒸し茄子が美味しいのでお替りした。これだけで生ビール1杯飲んでしまう。冷奴に載っ

ているのは「山形のだし」。きゅうりや茄子、茗荷、大葉、生姜などを荒みじん切りにして醤油や酒など

で味つけたもの。山形県村山地方の夏の郷土料理だ。新潟県人の母は夏になると油で炒めた茄子、

ピーマン、茗荷、大葉などをどっさり入れた甘辛い味噌を作った。これを炊き立てのご飯に塗って食べ

ると何杯でもご飯が進んでねぇ。母を懐かしく思う気持ちももちろんあるが、何杯もご飯を食べても良か

った頃の自分が懐かしい・・・。夏のご馳走いろいろがあるが、とうもろこしのかき揚げも目が無いのだ。

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7月 20日(日) 曇り 夕刻激しい雷雨(だったらしい)

朝 無し

昼 四谷三丁目 「ぐーばーぐ」 クリーミーコーンスープ 178円、緑黄野菜とほうれん草 390円、ベ

ーコンとモッツァレラチーズのリングイネトマトソース 797円、アイスコーヒー 154円

  

パクパク日記作っていてグズグズしていたら普通の店のランチタイムが終わってしまった。2時過ぎ「ぐ

ーばーぐ」に行く。ハンバーグ専門店だが、パスタもあるんだね。スープもあるじゃないか。らしからぬ品

ばかり選んで注文。お腹が一杯になってパスタは3分の1残した。この店で1500円以上使うとはなぁ。

午後のおやつ 歌舞伎座にて 小倉最中アイス 310

午後4時歌舞伎座。7月大歌舞伎夜の部である。「悪太郎」は市川右近。数年前正月の浅草公会堂で

猿之助(当時は亀治郎)で観た。2つ目は「修善寺物語」。面作師夜叉王は市川中車、姉娘は笑三郎、

妹娘に春猿、源頼家に月乃助。昼の部では「夏祭浪花鑑」の義平次を務め、歌舞伎座初出演の中車

だが、夜叉王は合格点だった。最後は玉三郎の「天守物語」。昭和52年に富姫を演じてから36年間

玉三郎以外の人が富姫を演じる人はいない。図書之助もここ5回は連続海老蔵だ。いろんな人が演じ

た亀姫は初めて尾上右近が演じたが、これがまさにハマリ役で今まで観た誰よりも亀姫らしかった。舌

長姥役の門之助は3回目だが、嬉々として演じていて笑いを誘う。薄役上村吉弥も地味ながら見せる。

遅い夜 四谷三丁目 「酒月」 お通し:海老の鬼殻焼き、ポテトサラダ、アボガド納豆和え 海苔添え 

550円、高座豚ソーセージ(ポークとバジル入り) 480円、本鰆の西京漬け焼き 580円、特製

牛スジカレー、なまビール 2杯、麦焼酎ロック 4杯 @5180円

  

  

日曜日の午後9時過ぎ舞台が終わると食事場所に困る。開店している店も日曜日は9時か10時に閉

店してしまうからだ。そんなことでタクシーを飛ばして四谷三丁目の「酒月」へ。先客が3人いらした。ヤ

スコちゃんが作るポテトサラダは美味しい。「やくみや」のポテサラも好きだ。最近ちっともメニューに上

らないが、「宮わき」の焼きポテサラもとても旨い。残り少ないポテサラを4人の客で分け合って食べた。

前回気に入ったアボガド納豆和え 海苔添えをアンコール。納豆好きだからね。えっ!今日もカレーあ

るの!!!やったぁ!温めているうちに狭い店内はカレーの香りに包まれる。幸せな気分だ。お隣り

になった方とヤスコちゃんとカレーに纏わる話で盛り上がる。そこへ牛スジカレー登場。ホント旨いぞ!

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【今週の振り返り】

アンゴラの旅は9日間だったが、往復に4日かかったからアンゴラを観光したのは5日間だけであった。

あっけ無さ過ぎてもっといろいろ観たかったことも事実であるが、長い内戦で多くのインフラを失った国

であるから、道路事情や宿泊施設、今も撤去されていない地雷の危険性などを考慮すると、今回のコ

ースと日数が現在のアンゴラを観光する上では適切だったのかもしれないなぁと思ってもいる。

アンゴラは1975年11月11日ポルトガルから独立を果たしたが独立するまでも後も茨の道であった。

1961年から独立に向けて武力闘争が激しくなった。MPLA(アンゴラ解放人民運動)FNLA(アンゴ

ラ民族解放戦線)、そしてUNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)という3つの独立運動組織があった。最

大組織で首都ルアンダを掌握しているMPLAは独立後も社会主義を目指していて、ソ連やキューバ

が支援した。FNLAを支援したのはザイール(現コンゴ民主共和国)で、南アフリカは反アパルトヘイト

を提唱したMPLAに対抗してUNITA支援に回る。そんな状況であったが、独裁政治を続けていたポ

ルトガルでカーネーション革命が起きた際、海外植民地を手放すと宣言した絶好の機会を得て、モザン

ビークなどの国と一緒にアンゴラは独立した。しかし、独立直後から対立する大国諸国の代理戦争の

様相を帯びて来るのである。アンゴラは東西冷戦に完全に巻き込まれて行くのだ。

東側がMPLAを支援するなら、西側のアメリカと欧州諸国はFNLAを支援する。アメリカがFNLA

肩入れ始めるとキューバは本格的にMPLAを支援するため5万人もの兵士をアンゴラに送った。ソ連

は大量の武器や物資を供与する。中国やルーマニアは当時ソ連との関係が冷えていたからソ連の敵

FNLA側に回る。アンゴラが社会主義国になっては困る欧州、アフリカ諸国もFNLAを支持。アメリ

カは更にFNLAから分かれたジョナス・サビンビが指導者になったUNITAを支援し、南アフリカと共

に社会主義に対立する諸国もこちらに回る。こんな事情でキューバと南アフリカの兵士達が闘っている

完全な代理戦争時代もあった。自分達の国をどうするかの戦いだったハズのアンゴラ。今や大国の勢

力争いに翻弄され続ける泥沼の内戦となってしまった。

内戦は2002年まで続いた。27年以上にも渡ったのである。これほど長く続いた背景に、アンゴラが豊

かな資源に恵まれていたこともあった。FNLAは既に降参してアンゴラ内戦はMPLAUNITAの闘

いとなっていた。MPLA側には石油があった。石油で得た利益でキューバ兵の謝礼としてカストロに大

金を支払った。対してUNITA側にはダイヤモンドがあった。石油とダイヤモンドを売っては武器を買い、

他国の兵士に金を払う。潤沢な資金があるからこそ、長引いてしまったとも言える。世界のダイヤモンド

をほぼ抑えているあのデ・ビアス社もUNITAに資金援助をしたのだ。しかし、国連でUNITAのダイ

ヤモンド取り引き禁止(紛争ダイヤモンド)が決まってUNITAは資金源を失い、さらにジョナス・サビン

ビが死んだことから内戦は終わった。

27年間の内戦で、360万人が亡くなった。幹線道路も何千もの橋も上下水道も社会生活を営むインフ

ラがことごとく破壊された。200万人が生まれた地を捨て難民となって大都市に流れ込んだ。カンボジ

アの4倍もの地雷2000万個が敷設され、今でも撤去が進んでいない。事故が起こっている。そのせい

で農業生産性がなかなか進んでいない。教育に力を入れたいが教師がいない・・・アンゴラは解決すべ

き問題が山積している。しかし、アンゴラの石油は現在アフリカで生産量は2位だが、近くトップのナイ

ジェリアを抜く勢いと聞く。ダイヤモンドを産出する国はいくつもあるが、品質が高いことで認められてい

る装飾用のダイヤモンドもまだザクザクある。長い間奴隷として売られて苦しめられ、ポルトガルの植

民地として苦しめられ、そして長い内戦で殺し合った。もう苦しいことは十二分に味わったアンゴラだか

らこそ、これからの時代に平和で穏やかで希望に満ちた国になって貰いたいと切に願うものである。そう

思いませんか。

              アタイも願ってましゅ〜ニャ

                バックナンバーのトップへ       夢子倶楽部のトップに戻る   

         * アンゴラの旅の始まりは 7月 2週 をご覧ください。  

         * お暑うございます!毎日熔けるような暑さです。

           そんな中申し訳ありませんが、東京よりちょっこし涼しい場所に

           出かけてまいります。次回更新は8月24日頃かな。

           くれぐれも熱中症にお気をつけくださいまし。台風にもご注意!