パクパク日記14年12月1週

                 クリスマスシーズンのウィーンとリンツに行った。寒かった!

シシィことエリーザベト皇后   リンツのクリスマス市

12月 1日(月) 雨

朝のおやつ 「鎌倉小川軒」 のレーズンウィッチ

昼 荒木町 「の弥七」 油淋鶏ランチ定食(海老入り焼売と蒸し餃子、たっぷりの油淋鶏、もずくス

       ープ、ご飯、漬け物) 1200円+税=1291円 、鰤刺身と辛し大根(サービス)

  

今日から師走。先生は12月だけ走ればいいって楽だなぁ。私なんか一年中「忙しい!忙しい!」と走り

回っているぞ。7月オープンしたばかりなのに、既に夜のコース料理を3回も食べてしまった「の弥七」。

実はランチもやっているのだ。2500円+税の幕の内弁当と1200円+税のランチ定食が日替わりで

2種類。1回転終ってからの時間だったので、ランチは油淋鶏のみ。蒸し点心に続いて出て来た油淋鶏

は凄いボリュームだ。ご飯半分で済ませようと思っているのに、これでは3杯食べてしまいそうじゃない

か。その上若きオーナーシェフの山本さんが「これサービスです」とそっと鰤刺身と辛し大根を。嬉涙!

夜 向島 「平岡」 8400円のとらふぐコース+3000円の白子焼き+2500円の飲み放題(前菜3

種:カラスミ大根・蟹もずく酢・きのこ和え、すっぽん碗、ふぐ刺身、焼きしらこ、ふぐ唐揚げ、ふぐの

ちり鍋、雑炊、柿)、ビール、麦焼酎 @1万3500円

  

           

          

明日成田前泊日なので、半分だけ荷造りして新橋へ。4時半からカット&ダイをして貰う。年と共に髪の

毛って痩せるのだ。細くなる。キミキミ、痩せる場所間違えてないかい?髪なんかどーでもよろしい。ム

シロそこは太らせて。髪じゃなくてカラダ全体をどーんと痩せささてくれないかなぁ。美容院が終ったら

次は向島だ。地下鉄で終点まで行ってそこからタクシーかぁ。メンドーだ、ここからタクろう。今夜は名門

「白子の会」の走りの部宴会。昨年からY社のO橋さんに教えて頂いた向島の「平岡」で開催している。

ちょっと早く着いたので、すごそこに見える東京スカイツリー(この名前をちょくちょく忘れてしまうのは私

だけでしょうか)を撮影した。さて、白子の会。ワラワラと会員が集まって乾杯!去年は「久し振り!」と

言ったが、今年は10月下旬このメンツで京都修学旅行に行ったからね。この店の焼き白子は大きい!

その大きくて熱々白子をハフハフ言いながら食べる。至福の時だ。3千円が一瞬×3回で消える。唐揚

げも旨いですなぁ。このメンツで2500円の飲み放題って店はゼッタイ迷惑。私らゼッタイ得。アハハ。

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12月 2日(火) 晴れ

朝 家食 「ふすぼん」のふすまパン、大きな種無し柿

    名前を忘れがちな東京スカイツリー

昼 荒木町 「宇な米」 うな重(特上) 4200円

  

昨夜は恒例のように女子チームは3人タクシーで帰り、男子チームは近所の置屋さん飲み屋に出かけ

て行った。大S子さんに頂いた「ふすぼん」のふすまパン、カタチはベーグルのようだが、ちょっとお菓

子感覚で甘い。調べてみたら糖質が20%前後だから、糖質制限者向けのふすまパンということだね。

1個食べて、1個を半分にスライスしてオーブントースターで水分を抜いて旅に持参しよう。午前中は旅

支度ラストスパート。午後スーツケース取りに来るからね。昼は日本食のお別れに(何をオオゲサなこ

と言ってるんだい)うな重を食べに行った。こんなにうなぎ好きなのに、25歳位まで大嫌いだったのだ。

夜 成田・日航ホテル成田 「サンセットラウンジ」 野菜スティック、冷菜三種盛り(小)2450円、彩り野

菜の炒めもの(小) 1300円、春巻き 550円、麻婆豆腐(小) 1300円、生ビール 3杯、麦焼酎

ロック 2杯 @8168

  

  

出かけるまでにパクパク11月1週を作り上げてアップして行きたい。しかし、なかなか終らなくてね。新

宿西口からのリムジンの最終に乗るためには5時半には出発しなければならないが、間に合わなかっ

た。他の移動手段を講じなくてはな。そんなことでホテルに着いたのは午後8時過ぎていた。いつもの

「サンセットラウンジ」のカウンターに座る。次兄から兄嫁のお父さんが入院して心配というメールが来

た。次にアメフットチームのヘッドコーチから「負けてすんません」と電話があった。長兄からも電話があ

っておちおち酒飲んでいられないのだった。日本食お別れなのに中国料理の出前?いつものことだ。

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12月 3日(水) 成田は晴れ フランクフルトは曇り ウィーンは小雨

第1食 成田・日航ホテル成田 「セリーヌ」 朝食ヴュッフェ

    納豆カレー好き

第2食 ルフトハンザ航空 成田=フランクフルト ビジネスクラス機内食、持参したフスボン

  

第3食 ルフトハンザ航空 成田=フランクフルト ビジネスクラス機内食

  

第4食 ルフトハンザ航空 フランクフルト=ウィーン ビジネスクラス機内食

第5食 ウィーン・ロイヤルホテル客室にて 鮭おにぎり、ウィスキー

参加予定者の方々にいろいろあって、何と成田から出発したのは3名。参加者2名と添乗員I葉さん。

私らはルフトハンザでフランクフルト経由でウィーに向かうが、あと2名の参加者はパリ経由でやって来

るのだそうだ。個人旅行並だわね。いつもきつねうどんを楽しみにしているANAラウンジではお腹がい

っぱいでコーヒーしか飲めなかった。こんなこと初めてだ。ルフトハンザのビジネス席は改良型でフルフ

ラットにはなるが、エンターテインメントは大したことないなぁ。じゃあというワケで、ずっと本を読んで過

ごす。角田光代の「紙の月」。宮沢りえの主演で映画化されたばかりだわね。フランクフルトでは乗り継

ぎ時間が短く、ラウンジに行く間もなくウィーン行きに乗り込む。ビジネス席はガラガラでCAが「どこに

座ってもいいわよ」と言っていた。ようやく到着したウィーンは雨だった。そして寒い!ホテルにチェック

インして午後7時客室。アイパッドと携帯電話に兄嫁のお父さんが亡くなったことを知らせるメールが。

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12月 4日(木) ウィーンは曇り    1ユーロ=約155円

朝 オーストリア・ウィーン・ロイヤルホテルのレストラン 朝食ヴュッフェ、持参したフスボン

  

6時起床。昨夜パリ経由でいらしたH部母娘は午後11時到着された由。長兄がメールで次兄兄嫁の

お父さんのご葬儀日程を知らせて来た。う〜む。昨夜から帰国してご葬儀に参列する可能性について

考えたが、航空券の手配や帰国して準備してから上諏訪まで向うことを考えると無理のようだ。お世話

になった方なので申し訳ない。昨日フランクフルト行きの飛行機が離陸した頃亡くなったそうだ。合掌。

  

宿泊しているホテルはシュテファン大聖堂のすぐそば   ハイドンは聖歌隊の一員として、80年後ショパンもウィーンに住んだ 

  

 ハプスブルグ家が600年住んだホーフブルグ宮殿       エリーザベト皇后をテーマにしたシシィ博物館は人気!

  

        ホーフブルグ宮殿の最も古い建物にある王宮宝物館。皇帝の帝冠や杓、豪華な宝石が一杯!(下段も)

  

  

10年間ウィーンに暮らしたモーツアルトは何度も引越し。「フィガロの結婚」を作曲したモーツアルトハウスに行く

午前中ウィーン観光。先ずはホーフブルグ宮殿まで歩いて。何度か来たことがあるシシィ博物館に行く。

姉の見合い相手だった従兄弟の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に見初められ、16歳で思いがけなく皇后

になってしまったエリーザベト。身長172cm、体重50`(信じられん!)、ウェスト50cm(バカな!)と

いう驚異的なプロポーションを維持した欧州宮廷一の美貌を誇ったシシィだったがウィーンと宮廷生活

を嫌って旅ばかりしていた。なのに贅沢三昧を尽くして最後はスイスで暗殺されちゃった女性である。

ハプスブルグ家がどんなに贅沢だったかを見るなら王宮宝物館が良い。溜息ばかり出る宝物館だよ。

王宮宝物館見学の後は宿泊ホテルの方にズンズン戻る。つまりシュテファン大聖堂のすぐ近くにある

モーツアルトハウスに行ったのだ。約10年間に何度も引っ越したモーツアルトであるが、建物が現存し

ているのはここだけ。撮影禁止が残念。ここに住んだモーツアルトは家族に恵まれ幸せな時期だった。

昼 ウィーン 「KUCKUCK」 ミートパイとキャベツの前菜、ウィンナーシュニッツェル、ザッハトルテ、

コーヒー、大生ビール 5ユーロ、白ワイン 5ユーロ

  

  

ウィーンでの最初のランチ。午前中案内してくれたガイドさんの言を借りれば、「皆さん、随分上等なお

店で食事されるんですね」って。で、彼女は悔しそうに帰って行った。私ら以外に客はいない。昼の客は

5名ってことね。昼は飲まない主義だが、この後は予定も入っていないからビール飲んじゃおうか。つい

でに白ワインも。今日のメインはいきなりウィンナーシュニッツェルだから。これが美味しかったんだよ。

良い肉と良い油使うとね。デザートはいきなりザッハトルテですかぁ。いいねぇ。今回は女子5名です!

夜 ウィーン・ロイヤルホテルのイタリアンレストラン (自由食) トマトクリームスープフレッシュバジル 

5,9ユーロ、タリアテッレサーモンとチェリートマトクリーミーソース 14,5ユーロ、パン代 1,9ユー

ロ、オーストリアビール 3,6ユーロ、ブルネッロディモンタルチーノ 9,8ユーロ

  

  

               会場のカールス教会               深夜行われたモーツアルトレクイエムコンサート

今夜の夕食は自由食。というか、今回の旅はほとんどが自由食なのだよ。ホテルの朝食レストランは

夜になるとイタリアンレストランになる。Y谷さんと添乗員M里ちゃんの3人はそこで軽く行こうということ

に。7時半にレストランに行ってみると、タイヘンなことに。Y谷さんがパスポートを紛失してしまったとい

うのだ。ご本人は全く覚えは無いそうだが、どうやら市庁舎前のクリスマス7市で掏られたらしい。じゃ、

一日フリータイムの明日お二人は警察と領事館ですね。タイヘンだぁ。それはそれとして、イタリアンい

いね。実は今日のメインイベントはこれからあるのだ。深夜のモーツアルトレクイエムコンサート。午後

10時半集合して寒い中を歩いてカールス教会へ。寒いのに、30分歩いたら汗びっしょりになった。午

後11時10分、既に教会は開場されて多くの聴衆が詰めかけていた。Y谷さんと私が座った固定ベン

チ席は幸いなことに暖房が。他の3名の方は暖房無しの補助席で痺れる位に寒かったそうだ。11時半

過ぎ教会前部の照明が付いてオケ楽団員が入って来た。次に混声合唱團が続々と入って最後に4人

のソリストが。午後11時57分、モーツアルト「レクイエム」演奏開始。アルトが上手だ。兄嫁のお父さん

の冥福を祈りながら演奏に耳を傾ける。このコンサートはモーツアルトが亡くなった12月5日の午前0

時55分に演奏を終了すると聞いていたが、終わったのは0時50分。彼は223年前の「今」亡くなった。

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12月 5日(金) ウィーンは曇り 夕方から小雨  

朝 ウィーン・ロイヤルホテルのレストラン 朝食ヴュッフェ

  

       マリア・テレジア像                  恐竜ホールは大迫力!           私等の祖先?類人猿は小柄だ

  

           マリア・テレジアの宝石の花束      2万5000年前の人類文化の曙を感じさせる「ヴィレンドルフのヴィーナス」

昨夜は深夜のコンサートが終わってから2台タクシーを捕まえてホテルに帰って来た。日本とは8時間

の時差があるから、日本の長兄とメールでご葬儀関連の相談をしたりで寝たのは午前3時になってい

た。7時起床。今日は夜のオペラまで一日フリータイムだから寝坊してもいいのだが、やはり目は覚め

てしまう。ゆっくり朝食を摂って、さてと今日はどう過ごそうか。Y谷さんと添乗員M里ちゃんはパスポー

トの件で警察と領事館に行かれたようだ。そうだ!自然史博物館に行こう。ホーフブルグ宮殿近くにマ

リア・テレジアの像を真ん中に左右に全く同じ建物がある。左手に美術史博物館、右手に自然史博物

館。多くの人は左手の美術史博物館に吸い込まれて行く。これまで私もそうだった。自然史博物館にも

行かねばね、と思いながら左手の美術史博物館に何度も行った。今日こそ自然史博物館だ!シニア

料金で8ユーロ。イヤホンガイドはドイツ語と英語だけというので「要らん」。絶滅危惧種、絶滅種を含む

動物の剥製コレクションが凄い!昆虫、鳥類からアフリカ象までよくも集めたとビックリ。恐竜ホールに

は恐竜、翼竜、始祖鳥などがドカーンと展示され、中にはアロサウルスが吼えたりしてね。宝石展示室

には117`のトパーズやマリア・テレジアが愛する夫君に贈った宝石の花束、そして博物館が誇る「ヴ

ィレンドルフのヴィーナス」もあって暫し見惚れる。私だって、世が世なればヴィーナスと呼ばれたかも。

昼 ウィーン 「日本橋」 (自由食)天丼(ご飯半分)10.9ユーロ、きつねうどん 7,9ユーロ、お茶 3,6

ユーロ  計チップ込みで25ユーロ

  

自然史博物館の見学を終えて外に出てみると、Y谷さんと添乗員M里ちゃんが待っていてくれた。無事

警察と領事館の手続きが終わり、明日新しいパスポート受領にいかれるそうだ。もっとも千葉の息子さ

んが弘前まで飛んで戸籍抄本を取りに行かれるとのこと。親孝行の息子さんがいらして良かったです

ね。3人でランチ。「私日本食食べたーい!」「私も」「私も」ということで「日本橋」に行った。以前ウィー

ンで和食と言えば、「天満屋」だったが、今年1月撤退してしまった。涙。旧全日空ホテル(現グランドホ

テル)には「雲海」があるけど高いからなぁ。「日本橋」はオペラ座近くで、以前は「千駒」という名前だっ

た。さて、何を食べるか。丼も食べたい!うどんも食べたい!天丼ご飯半分とくつねうどん下さい!!

夜 ホテル客室にて(自由食) サンドイッチ半分、ウィスキー

    さよならオペラ座・・・

天丼はツユだく過ぎでご飯はビシャビシャだった。うどんはまぁまぁ。ウィーンの目抜き通りとなるケルン

トナー通りをぶらぶらしてホテルに帰る。睡眠不足と歩き過ぎて疲れた・・・本を読んでいたらいつの間

にか・・・・うとうと・・・。今夜はオペラ「フィガロの結婚」を観にオペラ座に行くのだった。着替えて出かけ

る準備をしていたのだがどうもお腹の調子がイケナイ。痛い。トイレに行く。なかなか治らない。う〜む、

どうしよう。添乗員M里ちゃんに電話する。「あなた私の席で観ていいわよ。私行けそうにないから」。

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12月 6日(土)  ウィーンは小雨のち曇り     中村勘三郎丈命日

朝 ウィーン・ロイヤルホテルのレストラン 朝食ヴュッフェ

昼 ウィーン 「日本橋」 (自由食) すきやき定食(牛肉180g、和風サラダ、ご飯) 34ユーロ、なめこ

椀 3.5ユーロ、ほうじ茶 3ユーロ 計45ユーロ(チップ込み)

  

  

昨夜は調子悪かったので、買置きしておいたサンドイッチを三分の一ほどとウィスキーを1杯でチョーカ

ンタン夕食を済ませて寝てしまった。私は普段あまり寝ない。睡眠時間が短く、その上眠りが浅い。チョ

ー久し振りに10時間も寝てしまったよ。ま、トイレには3回起きたけどね。朝食でH服さんにお会いす

ると、昨夜のオペラは4列目の真ん中で素晴らしい舞台だったそうだ。それはようございました。9時過

ぎY谷さんと添乗員M里ちゃんが帰って来られ、新しいパスポート発給されたそうだ。ようございました。

今日は移動日だが、集合出発は午後3時だ。それまでフリータイム。出発前にしたかったクリスマスデ

ィナーの予約。店の定休日で出来なかった。ウィーンから電話して3人分予約した。3泊した荷物をまと

めてパッキング。チェックアウトして荷物を預けて一人で出かける。ホテルの隣にあるシテファン大聖堂

は土曜日のクリスマスシーズンとあって、中に入るだけで長蛇の列だ。一年で一番混む時だものなぁ。

いくつかの店に入って、1つだけ気に入ったものを買う。違う店に行こうと思っていたのに、足が勝手に

「日本橋」に向かってしまう。で、悩みに悩んでアホな選択。「すき焼定食ください!」。予め煮てあるの

が来ると思ったら、ガスコンロを持って来たぞ。ここで自分で鍋やるってこと?エーン、そんなことメンド

クサイよー。仲居のお姉さんの作り方が変わっていた。炒めた玉葱を入れた鍋。カレーですか?次に

野菜を投入して炒める。野菜炒めですか?そこにジャボジャボと甘ったるい割り下を入れて、「あとはご

自分でどうぞ」。脂ゼロの薄い肉と豆腐など入れて食べる。旨くは無い。日本以外で生卵は食べない。

夜 オーストリア・リンツ シラパークホテルレストラン ダンプリング入りビーフスープ、七面鳥スライス

とマッシュルーム ピラフ添え、シュトルーデル、生ビール(小) 4ユーロ×2杯、白ワイン 4,6

ーロ、赤ワイン 5ユーロ×2杯

  

  

ヘルムート氏が9人乗りの車で迎えに来てくれた。午後3時、ウィンナーワルツを聞きながらウィーンを

後にした。一路リンツに向かう。すぐ暗くなったのでウトウトしているうちに午後6時リンツに到着。7時

からホテルのレストランで夕食。4日目の夜にして初めて全員(たった5人だけど)顔を揃えての夕食だ。

グビグビグビ ブッファ〜 生ビール旨いねぇ。M里ちゃんが中東やアフリカで働いた頃の話を聞いて

一堂口をアングリ。本当に行動的な女性なんだなぁ。語学力があって勇気がある。未だ若いのに凄い。                      

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12月 7日(日) リンツは一日中小雨

朝 オーストリア・リンツ 朝食ヴュッフェ

    

朝食レストランに行くと、H服さんのお嬢さんと添乗員M里ちゃんが欠席。お嬢さんはお腹をこわし、M

里ちゃんは吐き気がするそうだ。年寄り3人は元気にモリモリ食べる。朝から冷たい雨が降っている。

今日は歩いての観光と聞いているが車があるなら乗って行けばいいじゃないか。ということでヘルムー

トさんに大聖堂まで送って貰った。ブルックナーはリンツ時代、この大聖堂でオルガンを弾いていた。日

曜日の今日、ここでアドヴェント(降待節)特別ミサが行われると聞いて来たのだが、誰もいないよ。暫く

待っていたら、ミサが行われるのはここではなく近所の教会で9時15分から行われることが判明した。

なーんだ。行ってみると高齢者ばかり60人程の信者の皆さんが座っておられた。やがてアドヴェント特

別ミサが始まった。聖ニコラスが登場して全員に胡桃を配った。1時間で終了。クリスマス市に行った。

昼 リンツ 「KLOSFERHOF」 白身魚のフィレ アーモンドソースライスとブロッコリー添え、アップル

ケーキとアイスクリーム

  

  

     アンスフェルデンにあるブルックナーの生まれた家              隣にある教会でブルックナーはオルガンを弾く

  

        ザンクト・フローリアン修道院      ブルックナーは弾いたオルガンの下で眠る      有名な図書館は今も現役

ランチはリンツで一番美味しいというレストランだった。「これがぁ?」と不味くはないが旨くもない料理を

食べながら皆で頭を傾げる。H部さんのお嬢さんは今日一日寝ておられるそうだ。午後はブルックナー

の生まれ故郷アンスフェルデンに行く。教会に併設されたように建つクリーム色の建物は学校であり、

ブルックナーの生家でもあった。父親は学校長とオルガン奏者を務めており、幼少時より才能を発揮し

ていたブルックナーは10歳で父親の代理で教会のオルガンを弾いていたそうだ。しかし、12歳で父親

が亡くなると、車で15分程のザンクト・フローリアン修道院の聖歌隊に入る。成長してからリンツ、ウィ

ーンと活躍の場を変えたブルックナーだが、この修道院での生活が音楽家としての心の故郷となった。

ウィーンで亡くなるが、墓はザンクト・フローリアン修道院で弾いたオルガンの下にして欲しいと願った。

夜 オーストリア・リンツ シラパークホテルレストラン (自由食) グヤーシュスープ 4,2ユーロ、ニョ

ッキと野菜添え 9,9ユーロとウィンナーシュニッツェル 16,3ユーロ2人でシェア、ビール大 3,8

ユーロ、白ワイン 2,4ユーロ、赤ワイン 3,2ユーロ 計チップ込みで30ユーロ

  

    メイン料理は2人でシェアする

それにしても、ザンクト・フローリアン修道院の教会は美しかった、図書館も大理石の間も素晴らしかっ

たねぇとカンドーしながらリンツに戻る。今夜も自由食。雨が降って出かけるのは億劫だから、ホテルの

レストランでY谷さんと添乗員M里ちゃんの3人は夕食を摂った。相談の上、メイン料理はY谷さんと2

種類の料理をシェアすることにした。ニョッキ野菜添えとウィンナーシュニッツェルね。その前に食べた

グヤーシュスープ。ハンガリーの名物料理で私の大好物。ドイツやポーランド、オーストリアなど近隣諸

国にも似たようなものはあってもどれもホンモノとは大違い。ところがここはホンモノに近い。旨いぞ! 

                       ______________

【今週の振り返り】

チョーカンタンな西洋音楽史。ビバルディなどが活躍したバロック音楽は1750年の音楽の父バッハの

死去で終わり、交響曲の父ハイドンやモーツアルト、ベートーヴェンなどの古典派音楽へ。そして1800

年から約百余年のロマン派音楽に入って行く。初期のシューベルト、ウェーバー、盛期のシューマン、メン

デルスゾーン、ショパン、後期のリスト、ワーグナー、ヴェルディ、ブルックナー、ブラームス・・・。世紀

末にマーラー、プッチーニ、リヒャルト・シュトラウス・・・。

この中のオーストリア出身の作曲家は、ハイドン、モーツアルト、シューベルト、ブルックナー。小さな句

になのに、凄い数じゃないか。ベートーヴェンはドイツ人、マーラーはユダヤ系のチェコ人だが、いずれ

もウィーンが活躍の舞台だった。意外とクラッシック音楽好きの人間だが、あまり馴染んでいないのは

ブルックナーだ。とはいえ、今年の3月末アムステルダムのコンセルトヘボウでマリス・ヤンソンス指揮

でブルックナーの交響曲7番を聴いたし、8月にはザルツブルグ音楽祭でリッカルド・ムーティ指揮でウ

ィーンフィルの交響曲6番を聴いた。少々豚に念仏のようでもあったが。

ウィーンのベルヴェデーレ宮殿に初めて行ったのは8年半前だったか。その時、敷地内のある建物を

ガイドが指して、「ここに作曲家のブルックナーが晩年住んでいて亡くなったのもここです」と言っていた

のをよく覚えている。当時はブルックナーにはツユほどの興味も持っていなかったから、「さよか」と軽く

答えただけであったが。そんな私が今回の旅で、ブルックナーの生家から心の故郷、青年時代オルガ

ン奏者を務めた旧大聖堂にまで行ってしまったよ。

72年間のブルックナーの人生は、大雑把に言えば3期に分かれる。サングト・フロリアン時代(前期)は

誕生からオルガン奏者や教師として成長するまでの30年。12歳で父を亡くすも、聖歌隊に入ったサン

グト・フロリアン修道院は素晴らしい環境だった。キリスト教の布教に音楽が重要と考える修派で、「音

楽家ブルックナー」を育てたと言っていいだろう。ここで「レクイエム」や「荘厳ミサ曲」を作曲した。リンツ

時代の10年は(過渡期)と位置づけられ、旧大聖堂のオルガニストとして、またアマチュア合唱団の指

揮者としても活躍した。第3期のウィーン時代(後期)は、大学の教授や名誉職を務めながら交響曲の

作曲に集中した32年だ。ブルックナーは、自分の作品が不評だと非常に落ち込んで作品の大幅改訂

に着手してしまう。交響曲1番、2番、3番、4番は2度も大幅改訂された。生真面目な性格だったんだ

わね。かなり年を取ってからも大勢のの若い女性にプロポーズしては断られたので、生涯結婚すること

は無かったブルックナー。愛してやまないサングト・フロリアン修道院のオルガンの真下で彼は静かに

眠っている。

今週は兄嫁のお父さんが亡くなってガックリ来たが、先週東映時代高倉健さんと共にスターだった菅原

文太氏まで亡くなった。そして私にとってガックリ来る訃報が2つもあった。国弘正雄氏83歳で死去、英

国作家PD・ジェイムズ女史死去、享年94歳。国弘正雄氏は同時通訳の草分け的存在で後に国会議

員にもなられた方だが、35年前にアメリカの研修旅行をご一緒したことがある。駐日米大使を務め、当

時ハーバード大学教授に戻っていたライシャワー教授や、東アジア研究の第一人者で当時コロンビア

大学教諭だったエズラ・ヴォーゲル教授を国弘さんの案内で訪れた。もったいない機会であったが、楽

しい旅だった。PD・ジェイムズ女史のことは、いつだったか「振り返り」に細かく書いたことがあるので

割愛するが、長らく愛読させて頂いた作家の大往生に落胆している。合掌。

来週はドイツだ!

                      元気で生きようぜ!  そうだね

                 バックナンバーのトップへ        夢子倶楽部のトップに戻る

      9日朝から出かけます。もう1週作って行きたいところですが、

海外ものは時間がかかる。間に合わなかったら次回更新は1月21日頃かな。