パクパク日記15年10月2週
ノーベル賞受賞ラッシュの今週は今年2度目のポルトガルへ
ドウロ渓谷ピニャオン 「ヴィダゴ・パレス」
10月 5日(月)晴れ 大村智氏ノーベル医学・生理学賞受賞!
朝のおめざ 「夢のまた夢」の栗の宝石箱、オニオンスープ
「栗の宝石箱」は美味!
昼 荒木町「宇な米」うな重特上(ご飯少な目)4200円
近所のМ医院に薬を貰いに行く。しばらくご無沙汰していた「宇な米」にうなぎを食べに行く。ウシシ
である。待ち焦がれたうな重が来た!たっぷり山椒を振っていざ。先ずはうなぎ1片を縦に切り離す。
細長くなったうな重を3つに分けてうなぎとご飯を一緒にガブリ。こうして食べると18口のうなぎと
ご飯になる。18回、「旨い!」と言っているのだ。銀行に寄り、次は地下鉄の駅でスイカをチャージ。
夜 舟町「無門」 お通し:ミズと舞茸の和え物、秋刀魚のなめろう700円、おつまみパイ(チーズ
味噌漬け)580円、牡蠣フライ800円、黒豚旨辛しゃぶしゃぶ鍋1800円、レタスお替り500円、
雑炊、生ビール2杯、麦焼酎「佐藤」ボトル @1万4700円
パクパク9月1週完成したがアップは明日にして、引き続き9月2週に取り掛かる。随分追い上げて
はいるけどね、追い付くのはムリだろうな。夕食は「無門」に行く。そろそろ牡蠣フライがメニュー
に載る頃かな、と期待して行ったら、あった!あった!牡蠣フライに興奮する人間である。これまで
「特大」牡蠣という文字が入っていたが、今年は普通サイズらしくしかも値上げもしているぞ!この
店に旨辛鍋(別名豚辛鍋ぶーひーなべ)がメニューに加わってから食べなかったのはたった1回。必
須アイテムという感じね。以前は軽くお替りしていたが昨今はね、ちょっとね。レタスだけ下さい!
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10月 6日(火)ぼんやりした晴れ 梶田隆章氏ノーベル物理学賞受賞!
朝のおめざ 「夢のまた夢」の栗の宝石箱、オニオンスープ
昼 四谷三丁目「東京風月堂」ハンバーグランチ(サラダ、デミグラスソースハンバーグ、小ライ
ス、コーヒー)972円
薬と本を買うついでにランチ。方向から「東京風月堂」かな。あれれ〜今日もまた「よつやこくてい
る」のお母さんに会っちゃった。野菜ごろごろカレーがメニューから消えたので今日もハンバーグ。
地球の歩き方「ポルトガル」買うために書店に行ったら、あれもこれもと本を買ってしまう。私は本
を読むことも好きだが、本屋に行くことと本を買うことがもっと好きなのである。変な人間だしょ?
夜 舟町「仙水」お通し:雑きのこと大和芋の伽羅和え、もみイカ900円、原木舞茸バター焼1300円、
無花果と天然しめじ・平目の揚げ出汁1300円、ぶり照り焼き 里芋添え2800円、稲庭うどん、生
ビール2杯、麦焼酎 @1万4620円
昨日の大村智氏ノーベル医学・生理学賞受賞に日本中が大いに沸いたが、何と2日続きで嬉しいニュ
ースが入って来た。梶田隆章氏がノーベル物理学賞受賞したというものだ。受賞数は世界ではアメリ
カに次ぐのが日本だ。頼もしく嬉しいな!明日出発なので午後はせっせと旅支度。よし!終わった!
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10月 7日(水)晴れ
第1食 「夢のまた夢」の栗の宝石箱、オニオンスープ
出掛けるのはゆっくりだが、出発日なので早めに起きる。晴天!とんでもなく大きな台風が北海道に
明日あたり近づくらしい。日曜日のI親ビンの喜寿のお祝いで頂いて来た「夢のまた夢」の栗の宝石
箱。毎朝大事に頂いて来たが今日でオシマイ。美味しかった!昨日作成したパクパク9月1週アップ。
第2食 羽田空港ANAスィートラウンジ サラダ、きつねうどん
第3食 ルフトハンザ航空羽田=フランクフルト ファーストクラス機内食(和食)
ファーストクラスは8席 パジャマ上下が配られる シャンパンとナッツ
ルフトハンザ航空ファーストクラスはキャビアを出すのがお約束
何だかよくわからない和食が出る。よくわからない味である
8月インスブルックに滞在している時、10月のポルトガル旅行について旅行会社から連絡が来た。ア
ルタリア航空のビジネスクラスの席がどうしても取れない。グループの本隊はミラノ経由でポルトガ
ルのポルトに行くが、夢子さんは一人でフランクフルト経由のルフトハンザ航空でポルトまで来てね、
という内容だった。しかもファーストクラスで。ある意味ラッキー?ノン!ファーストクラス代金は
自分でキッチリ払うんだとさ。な〜んだぁ。日本館が長蛇の列で大人気というミラノ万博がラスト3
週間ということでチケットがタイトになったらしい。ま、そんなことでグループの皆さんは成田に集
合してミラノに向かわれたらしいが、私は一人羽田からフランクフルトに飛ぶということなのだよ。
第4食 ルフトハンザ航空羽田=フランクフルト ファーストクラス機内食(和食)
フランクフルト空港ルフトハンザ航空のファーストラウンジ
第5食 ポルトガル・ポルト パラシオ・ド・フレイショ客室にて おにぎりとウィスキー
明日になった時間に、部屋でおにぎりと濃いウィスキー
羽田空港でチェックインする時ステッキを持っていたら、「カートでゲートまでお送りしましょうか」。
「送って、送って!」音楽付きで楽ちん楽しいぞ。フランクフルトでは誰もそんなこと言ってくれる
人がいないから連絡通路トンネルをトボトボ歩いた。何たる違い。ファーストラウンジでも、機内で
ヘンテコな和食機内食を食べたせいか食欲わかず、フィジー島の水(懐かしい!)を飲んだだけ。飛
行機が30分遅れてポルト空港に着いたのは午後11時。出口にポルトガル人のガイドが待っていてく
れた。タクシーでホテルに到着。あら!ここ今年の1月も泊まったよ。添乗員のМ田さんよろしくね。
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10月 8日(木)ポルトガルは晴れ
朝 ポルト・パラシオ・ド・フレイショ 朝食ヴュッフェ
18世紀半ばの司教館を本館に、隣の製粉工場を客室棟にしたポサーダに1月に続き宿泊
ポルトから北に向かうと「祈りの町 ブラガ」がある
ポルトガル随一の宗教都市ブラガのカテドラルと荘厳なカテドラル内部
ポルトガルの町はどこも独特の甘いお菓子が売られている
昨夜遅く寝たにも関わらずほとんど眠ることが出来なかった。到着の時間が遅かったこともあり、ちゃ
んとした確認を怠ってしまったのだが、どうやら寝具に羽毛が入っていたらしい。私は羽毛のリトマス
試験紙のような人間なのだ。朝食レストランで、同じグループらしい方々に挨拶。あら、どこかの旅で
ご一緒しましたよね、という方がお二人いらした。午前中は北に向かい、先ずは「祈りの町ブラガ」へ。
「リスボンは楽しみ、コインブラは学び、ポルトは働き、そしてブラガは祈りの町」と言われるブラガ
だ。街を散策してからブラガの誇りカテドラルに入る。ほぉ〜とシゲシゲと見学しようとした頃から、
お腹がぐる〜っと鳴いて・・あとは・・深刻さを・・増すばかり・・こうしてはいられないとカテドラ
ル飛び出し、カフェを探す、さがす・・ぐる〜・・サガス・・ぐるるぅ・・汗・・大汗・・あった!入
口でオロオロしていたら店のオバサンが指で方向を示した。あっちがトイレね・・間に合ったぁ!!!
昼 ブラガ郊外「HOTEL DO ELEVADOR」アスパラガスのクリームスープ、タコの
リゾット、リンゴのオーブン焼き
ホテルの前をサッカーのスペイン代表のバスが!
バロック式階段で有名なボン・ジュズスの丘 敬虔な信者は膝をついて登ってくる
突然トイレ探しで不在にしたのは15分位だったと思う。カテドラルに戻ると出て行く時とグループの
皆さんとガイドの位置は余り変わっていなかったので何くわぬ顔で見学の列に加わった。見学が終わっ
て「ここでトイレ休憩にします。カテドラル横のカフェを借ります」。え?隣にカフェあったの!遠く
の店に行ってしまったよ。郊外のボン・ジェズスの丘に行く。ここに来たのは21年前だ。行きは車で
上り、帰りは長い長いつづら折りの階段を歩いて下りた。五感の階段、三徳の階段などと名付けられて
山一つ分の階段だ。敬虔な信者は、膝をついて祈りながら下から上って来ると聞いたが、今回帰りもポ
ルトガル最古のケーブルカーに乗ってしまった。すんません。膝痛めているもので。そうそうここで摂
ったランチ、タコのリゾットのタコがとても柔らかくて美味しかった。ポルトガル人もタコ好きだよね。
何でも売っているバルセロスの大露天市 ボクはどこに売られるのピヨ 細長いキャベツ!白菜みたい
バルセロスは雄鶏伝説で知られる ヴィラ・ノヴァ・ガイアからポルトの町を眺める
夜 マトニージョ「OS LVSIAPAS」蟹・ハマグリのワイン蒸し・細切りポテト・海老の
前菜、鰯のグリル、生野菜、タコのオーブン焼き、チョコレートムース、ビール3€、白ワイン3、
5€、赤ワイン5€×2杯
午後は雄鶏伝説で知られるバルセロスの町に寄った。毎週木曜日に大露天市が開かれるというので行っ
てみたが、まぁいろいろありますなぁ。安物の衣料などは買う気にもならないが、みずみずしい野菜や
果物、生きたままのニワトリなどジロジロ見ながら歩く。帰りにドウロ川とポルトの町を撮影してホテ
ルに戻った。夕食は、ホテルから車で30分程走った漁港の町マトニージョのシーフードレストランで。
蟹、貝、海老、鰯とここまででお腹が苦しくなったのに、タコまで?!もう十二分でございますよ!!
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10月 9日(金)晴れ
朝 ポルト・パラシオ・ド・フレイショ 朝食ヴュッフェ雄
アマランテの教会とタメガ川 しばしばタメガ川は氾濫し床上浸水した
縁結びの聖人ゴンサーロは未婚女性にチョー人気だった
2泊したポルトを出発してアマランテへ。紀元前4世紀にはローマ人が住んでいたアマランテの街歩き
の途中でМ田添乗員はパン屋へ案内すると女性販売員に「●×?◇□!」。パンの名前らしい。意味は
金槌らしいが、紙袋から出て来たパンのカタチを見て皆唖然のちガハハ!この町で一番有名なのは縁結
びの聖人ゴンサーロさん。そのゴンサーロさんに因んでこうゆうパンを売っているのだそうよ。これを
食べれば嫁に行けるってか。毎年6月開かれるサン・ゴンサーロ祭りには良縁を求める女性が集まる!
昼 ラメーゴ「VINDOURO」スモークハムハニー入りリンゴサラダ、スズキのフィレ、ワイ
ルドフルーツケーキ アイスクリーム添え、コーヒー2€
ボン・ジュズスを小型化したような聖レメディオス教会はバロック様式
今日のランチはラメーゴのレストランで。オシャレで広々とした店なのにお客がほとんどいないのが不
思議。料理もオッシャレだなぁ。食後はバスで近くにある聖レメディオス教会に向かう。昨日行ったブ
ラガ郊外のボン・ジェズスの小型版という感じだ。異教徒でもあるし、膝も痛いので往復バスで失礼し
た。元気印3人は階段を降りられましたけどね。教会の下には名産の生ハムやソーセージの店もあって。
ドウロ川に沿ったドウロ渓谷は丘の上までぶどう畑
ポートワイン「SANDEMAN」のワイナリーを見学し、試飲
ラメーゴを出て暫く走るとドウロ渓谷に入って行く。ドウロ川に添った山や丘が続くのだが、傾斜の
緩いところも急なところも斜面にぶどうの段々畑が大昔から作られ延々と受け継がれて来たのだ。こ
んな傾斜地での労働はさぞやキツカロウなぁと働く方に思いを寄せる。ポルトガルはワイン生産では
世界5位だが、ドウロ川上流のぶどう畑は25万平方メートル。サッカー場は約1ha だそうだから、
25万のサッカー場全部がぶどう畑ということだ。今夜の宿ピニャオンの少し手前の丘に畑を持つ「S
ANDEMAN」に見学と試飲に立ち寄る。ポルトの「SANDEMAN」は今年の1月にも行った。
夜 ピニャオン・ヴィンテージ・ハウス 干鱈のカルパッチョ、ポークロイン、洋梨のチョコレー
トソース、ビール3.5€、ドウロ白ワイン9€、赤ワイン7€と11€
今夜から2泊する「ヴィンテージ・ハウス」は5ツ星のプチホテル。ホテルがあるピニャオンはかつて
積み出し港として大いに栄えたと聞く。ホテルはドウロ川に架かる橋と港のすぐ近くで静かな川を見下
ろすロケーションである。建物はワイン倉庫をリノベーションしたものだ。夕食はホテルで。前菜は干
鱈のカルパッチョ。ポルトガルの人はこの鱈が大好きで、鱈料理のレシピは365通り以上あるという。
つまり、毎日違った鱈料理も可能ということだわね。クリスマスイブにも鱈食べちゃう国民性だからね。
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10月 10日(土) 晴れのち雨
朝 ピニャオン・ヴィンテージ・ハウス 朝食ヴュッフェ
朝は良い天気だったが・・
レグアのドウロ博物館の見学の〆はポートワインの試飲
レグア〜ピニャオンのドウロ川クルーズはランチを含めて約2時間半 ダム内のロックで水位を調節
今日の出発は10時半とゆっくりなので寝坊しようと思っていたが6時には目が覚めてしまう。朝良いお
天気と喜んでいたら、朝食を終えて歯磨きしている間に早くも崩れて雨が降って来てしまった。今日はク
ルーズなのに残念。昨日通過して来たレグアまで戻りドウロ博物館に行く。ドウロ渓谷のぶどう作りやワイ
ンの歴史などの展示を見てからポートワインの試飲。やっぱ甘いわ。ボート乗り場まで歩いて船に乗り約
2時間半のドウロ川クルーズだ。途中のダムでは上下流の水位を均すためのロックに入る。今年の7月南
仏のミディ運河でお馴染みの光景だった。ミディ運河の時より数倍大きな船だからロックに注ぐ水も厖大。
昼 ドゥーロ川クルーズ船内レストラン 干し鱈・ミミガーなどの前菜、ビーフステーキ、ライス、
フルーツムース、白ワイン、赤ワイン
ランチも船で。3種出た前菜の中にバカリャウ・ア・ブラスがあった。干し鱈と茹でてほぐし、揚げた
ポテトと炒めた玉ねぎと和え、最後に溶き卵でとじるポルトガル料理では大定番の前菜だ。メインのス
テーキは固くて噛み砕くには一苦労。各テーブルに白赤ワインボトルごとついて来るのだが味が・・・。
夜 ピニャオン・ヴィンテージ・ハウス 鴨のパイ、サーモンフィレとトマトリゾット、マンゴー
アイスとフルーツスープ、ビール3.5€、ドウロ白ワイン9€、赤ワイン7€
クルーズは午後3時前、ホテルの近くに着岸した。夕刻希望者は、アズレージョが美しいピニャオン
駅から特別列車でトゥアまで往復されたが、私はパスして読書していた。7時半からホテルで夕食。
参加者8名のうちK藤夫妻以外は女性の一人参加。とはいえ、この旅行会社は異様にリピーターが多
く、K藤夫妻も3年前シンガポールで、H川さんとはやはり3年前ハンガリーで、どこの旅かは失念
したがK藤さんともご一緒した。7人のうち4人知っているって相当だわ。そして今夜K藤さんとご一
緒した旅を思い出した。去年9月旧サヴォイア公国を回る旅だった!最高齢者はY田さんで88歳。銀
座で働いていた頃2軒隣の洋菓子喫茶の会長さんですって。店名の由来は最初西銀座に店があったから。
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10月 11日(日)曇ったり降ったり
朝 ピニャオン・ヴィンテージ・ハウス 朝食ヴュッフェ
アバーデ・デ・バザル司教が収集した民芸品やこの地方の品々が展示されているアバーデ・デ・バザル博物館
博物館はかつての司教館の中にある
朝食後、ポルトガルの北東部に向かった。ノゲイラ山地標高660メートルの地点に築かれた城塞都市
ブラガンサは、東に22キロ行けばスペインという場所にある。後にポルトガルで最初の王となりブラ
ガンサ王朝を開くことになるジョアン4世だが、この地はそのブラガンサ公爵家の領地に15世紀にな
った。今は歴史に取り残されたような静かな城塞都市だ。雨の中をバザル博物館まで歩く。アバーデ・
デ・バザル司教がトランス・モンタナ地方から収集した発掘品や民芸品、寄贈品など展示されている。
昼 ブラガンサ「O GEADAS」 地元の美味しい前菜(生ハム・チーズ・オリーブ・サラミ、
トランスモンタナスープ(大盛り)、バカリャウ・ア・ブラス、ポルトガルプリン、コーヒー2,5€
ランチを摂ったレストランは、今日洗礼式披露宴がこれから開かれるとかで42席がぴしっと作られ
ていた。地元の美味しい前菜は上質な生ハム・チーズ・オリーブ・サラミ。そして何より気に入った
のはトランスモンタナスープ。思わず、「もっと入れてよ!」と大盛りにして貰った。大盛り2杯食べ
ても良かったなぁ。そしてメインはまたもや大定番の名物料理のバカリャウ・ア・ブラスだった。デザ
ートは大きなポルトガルプリン。美味しいけど満腹で一口だけ。店主は嘆く「日本人こんな小食なの」。
ベルエポック様式の「ヴィダゴ・パレス」正面 パレスの内部もなかなか素敵でしょ
夜 ヴィダゴ「ヴィダゴ・パレス」ザ・ワインセラー タパス料理:イベリコ豚各種、チーズ各種、
ミートパイ、ビーフステーキポルトガル風、レモンメレンゲパイ、カモミールティ、ビール5€、
白ワイン6€。赤ワイン6€
午後4時半ヴィダゴ・パレスに到着。100年ちょっと前に出来た豪華宮殿風ホテルだ。先月のフラン
スの宮殿ホテルのように「キミ達はあっちの建物に泊まりたまえ」なんて冷たいことは言わない。本館
だけど、その代わり部屋は思いっきり狭い。ウェイクアップコールなどかかって来たら、椅子を倒し杖
に躓きながら受話器に突進せねばならん。ま、広すぎるよりはいいか。ハエがずっと2匹飛んでいるの
もちょっとね、雰囲気がね。今夜の夕食は、ホテル地下1階にある「ザ・ワインセラー」を貸し切って。
イベリコ豚各種やチーズ各種、そしてミートパイなど、ビールやワインがガンガン進んでしまいそうな
料理が並んで困るよ。レモンメレンゲパイがさっぱり旨い。沸きに沸いたラグビーW杯だが、今夜日本
対アメリカ戦が。28対18で快勝し3勝1敗としたが、決勝リーグに行けないなんて、そんな無慈悲な。
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【今週の振り返り】
ポルトガルは4回目だが、今年1月も来たから今年だけで2回目となる。一年で複数回訪れたくなるよう
な国だっけ、と聞かれると、そうであるとも、そうではないとも答えづらい。今回のツァーで私の気を引
いたのはポルトガルでも回る地方は「北部」だけということ。これまで北部というとポルトとブラガしか
行っていなかったので、バルセロス、アマランテ、ラメーゴ、ドウロ渓谷、ピニャオン、レグア、ブラガ
ンサ、ヴィダゴ、そして来週訪れるヴィア・レアル、ギマランイスなど未知なる土地や町に行くことに魅
力を感じた。
そしてもう一つ。宿泊ホテルがポサーダとか宮殿ホテルとかだとホテル好きはワクワクするのだ。ポサー
ダはご存知と思うが、ポルトガルにあって古い城や修道院などを改装した国営の宿泊施設のこと。歴史的
建造物を改修してポサーダとして最初にオープンしたのは、王妃の町として知られるオビドスの「ポサー
ダ・ド・カステロ」である。今ポルトガルには45軒のポサーダがある。因みに隣国スペインにおける国
営の宿泊施設はパラドールである。同じように古城、宮殿、修道院といった文化財を国家で買い受けて修
復したものだ。そんな魅力的なホテルに4つ泊まれるなら、いいなぁ、行こうかなぁ・・・。ってわけ。
まずは、ポルトの「パラシオ・ド・フレイショ」に2泊したが、ここは今年1月に来た時も泊まったポサ
ーダだった。次はドウロ渓谷ピニャオンの「ヴィンテージ・ハウス」。ここはワイン倉庫をリノベーション
した5ツ星ホテルだった。そして日曜日にチェックインした「ヴィダゴ・パレス」。この宮殿ホテルは歴史
的な意味合いからも興味深い。そのへんのところをチョー短縮版でチラッと書いてみたい。
ポルトガル王朝の始まりは1143年スペインに対して断固「独立するもんね!」と宣言したアフォンソ1世
から。それからいろいろ〜いろいろ〜あって数百年が経ち(早過ぎ!)、最後の王となったのは、在位が僅
か2年で終わったヌマエル2世(1908〜1910)。この話の主役はその父親のカルロス(別の名をカルルシュ
1世)である。カルロスの父はルイス1世、母はその王妃で、サルデーニャ王にしてイタリア統一後イタ
リア王国の初代国王となったヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の次女マリーア・ピーアである。え?ミ
ラノにあるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世ガッレリアなら知っている?それは初代国王に因んで命名
されたショッピング・アーケードですよ。1889年「大衆王」と呼ばれた父王の死去に伴い、26歳のカルロ
スは王位に就いた。短縮版だから先を急ぐが、カルロスは王としてダメだった。財政運営が放漫で即位後
3年経たないうちに「国家財政破綻しちゃいましたぁ!」と宣言。その10年後にも「また財政破綻です」
と2度目の財政破綻。あの国王ダメなんじゃないの、なんて自分の悪口を言う共和派には徹底的に弾圧す
るわ、借金の肩代わりにイギリスに擦り寄るわ、不倫はするわで王政への批判、不満が充満。すると彼は
首相に銘じて「議会を解散してしまいなさい!」。そんな時代は長く続くハズもなく長男の王太子ルイス・
フェリペと次男マヌエルと一緒に馬車に乗り王宮に向かっている時、急進的共和主義者の市民に狙撃され
カルロスは即死した。王太子ルイス・フェリペは瀕死の重傷で20分後に死去。1908年2月1日のことで
ある。次男のマヌエル2世が即位する前の20分間長男ルイス・フェリペはポルトガル王だった。最短在
位期間20分間は「ギネスブック」に認定されていると言う。
こんなカルロスが在位中、地下から炭酸を含有したミネラルウオーターが湧きだすヴィダゴに宮殿を造ろう
と計画する。ヴィダゴの地下からは飲んで良し浸かって良しのカラダに良い鉱泉がんがん湧いているのであ
る。「ヴィダゴに豪華な宮殿を造れ!」とカルロス王は命じた。・・・トントン(地下杭打っている音)・・
・・ガシガシ(レンガ積んでいる音)・・・カンカン(内装の釘打つ音)・・・完成!立派に出来たぁ。それ
は1910年10月のことだった。カルロス王は2年前暗殺されてもういない。どころか同じ年の10月4日革命
によって王政も廃止され、最後の王マヌエル2世は王位を追われ、イギリスに亡命した。出来たヴィダゴの
宮殿はどうするの。国営ホテルとして市民が楽しんで使えばいいじゃないか。皆大喜びで泊まったらしいよ。
しかし施設や建物が老朽化しても修理等は行われず、荒れ果てて行く国営宮殿ホテル。その時リゾート会社
も経営するビール会社がホテルを国から買い受ける。数年かけて徹底的に修理・改修を行い、「ヴィダゴ・
パレス」として再オープンしたのは2010年10月。実に竣工した100年後に「ヴィダゴ・バレス」は再生を
果たしたのである。どんとはれ!
アタクシだって世が世ニャれば・・・ ニャンだよ!