パクパク日記15年12月3週

           木曜日スペインから帰国。思いがけずギエムの引退公演に

 

   アディオス!パエリア  さようなら、ギエム

        

12月 14日(月)スペインは曇り

朝 スペイン・トレド「アルフォンソY」 朝食ヴュッフェ

 

  

 

午前中のおやつ チンチョン「何とかというカフェ」コーヒー2€とアニス味のクッキー

 

   闘牛場に変わるマヨール広場        チンチョンは、アニスとニンニクが名産。アニス味のお菓子も売っている

 

先週水曜日からスペインの中央部アランフェスとトレドに滞在。スペインお臍辺りの両都市は世界

遺産に登録されている。今朝3泊したそのトレドともお別れし、曇り空の下チンチョンに向かった。

マドリッド近郊の小さな町で、アニスとニンニクが名産とか。広場を囲むお菓子屋にはアニス味の

クッキーを、カフェではアニス酒を売っていた。もう一つの名物は、町の中心にある円形マヨール

広場が年に2回闘牛場に生まれ変わること。あちこち行くと面白いことに出会える。カフェで休憩。

昼 マドリッド「パエリアレアル」ミックスサラダ、シーフードパエリア、フルーツケーキ、コ

ーヒー2€

 

 写真はもういいっですかぁ?

  

  

     正面は1761年建造の宮殿                   12994bの長方形のマヨール広場

  

               足元が危ういので、部屋をグレードアップして貰った(上下とも)。ここならいい!

 

バスはマドリッドに入った。地下駐車場でバスを降りて、ランチを摂るレストランへ。スペイン

名物のパエリアの専門店だ。今ではスペイン全土で食べられているパエリアだが、元はといえば、

イスラム時代アラブ人が稲作をもたらしたことに由来するらしいが、スペイン東部のバレンシア

地方が発祥とされている。パエリアの意味は、バレンシア語で「フライパン」。その前に出される

サラダだが、スペインではナゼかレタス+トマト+ホワイトアスパラガス(水煮)。どの店もだい

たいそう。スーパーでホワイトアスパラガスの瓶詰めを買おうかとラベルを読むと、時々メイド

インチャイナってこともあるので注意。食後は徒歩でマドリッドの町をぶらぶらと観光。王宮を

ぼんやり眺めながら進んでサンミゲル市場やマヨール広場。マヨール広場はどこにでもあるよね。

夜 マドリッド「LA TAURINA」ミックスサラダ、魚介のスープ、牛テールの煮込み、

  チョコレートブラウニーとアイスクリーム、ビール小3€×2杯、白ワイン、赤ワイン

 

 

今日から2泊する「ヴィジャ・レアル」は5ツ星ホテルで、スペイン国会の建物の真ん前にある。

最初に割り振られた部屋は寝室が下、浴室が上と階段で分かれている。何度も夜中にトイレに行く

身としては、寝ボケて階段でけつまづく恐れが十二分にあり、部屋を替えて貰うことに。幸い近く

にジュニアスィートの部屋が空いていたので移って一安心。何人かはピカソの「ゲルニカ」を鑑賞

しにソフィア王妃芸術センターに行かれたようだ。あそこは明日休館だからね。夕食は歩いて数分

のレストランで。オーナーが元マタドールだったそうで、現役時代の写真やら衣装、牛頭部の剥製

などが飾られている。メインの牛テール煮込みは柔らかで歯不要。魚介のスープがとても美味しい。

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12月 15日(火)マドリッドは晴れ

朝 マドリッド「ヴィジャ・レアル」 朝食ヴュッフェ

 

  

 

  

         歴代スペイン王室コレクションを展示する「プラド美術館」。ゴヤの銅像もある

 

今日も終日自由行動日である。寝坊していても良いのだが旅に出た時の癖で6時に起床。香港のK

岩から嬉しいメールが届いていた。次女のアミちゃんが、何とアメリカ・アイビーリーグのコーネ

ル大学建築学科に合格したという嬉しい知らせ。わずか55名の定員の一人に選ばれたってアミちゃ

ん凄いよ!お祝いの返信をする。朝食は一見豪華そうなヴュッフェだったが、食べてみると大して

美味しくも無いのだった。ホテルから「プラド美術館」まで500bの距離。945分S釜さんと一

緒に行く人が集合して美術館に向かった。65歳以上の人はパスポートを掲示すると14€が半額の7€

になるのだよ。10時開館。以前は無かった日本語のイヤホンガイドを35€で借りた。残念ながら

館内は撮影禁止だ。上階に上がって先ずは16〜19世紀のスペイン絵画のベラスケス、ムリーリ

ョ、ゴヤ、グレコなどを観て、後はイタリア、フランドル派、ドイツ絵画などいろいろ。フラ・ア

ンジェリコ、ティッツィアーノ、デューラー、ラファエロ、ブリューゲル、レンブラント・・・。

ここに来るのは3度目だったかなぁ。それにしても凄いコレクションだ。印象深い作品を強いて言

えば、ゴヤ「カルロス4世の家族」と「マドリード」それにムリーリョ「無原罪の御宿り」かなぁ。

昼 マドリッド「鮨 銀座」(自由食・1人で)お通し:刺身、ほうれん草の胡麻和え6€、天ぷら

うどん⒙5€、サッポロビール43€、日本茶16

 

  

           R・マドリッドの選手も来る(らしい)店で、天ぷらうどんなどを食べた

        これはカウンターを回っていた料理のサンプルです!食べたわけではありません!

 

            午後は一人でティッセン=ボルネミッサ美術館に行った       男爵夫妻の肖像画

       モネ           ドガ「緑の服の踊り子」  ギルランダイオ「ジョヴァンナ・トリブナオーニの肖像」

        館内は撮影OK(フラッシュ無し)で名画を鑑賞できる。お勧めの美術館です!!!

 

プラド美術館見学後、希望者は12時半に集合してランチに行く予定だったが、私が観終わったの

は1時半。一人でランチにイソイソと出かけた。というのも、美術館近くに日本食レストランがあ

るのを知って狙っていたのだ。レアル・マドリッドの選手達も訪れると言う「銀座」。回る鮨屋で

もあるが、丼もの、麺類のメニューも多数ある。あれこれ迷ってほうれん草の胡麻和えと天ぷらう

どんを注文。日本人の板さんが刺身のお通しをサービスしてくれた。さて、午後行こうと思った隣

の美術館に元気を出して行こうか。ティッセン=ボルネミッサ美術館。英国のエリザベス女王に次

いで世界第2位のコレクションを持つティッセン・ボルネミッサ男爵の2代に渡る個人コレクショ

ンを公開したもので、現在ではスペイン政府が買い取った。男爵は元ミススペインのカルメン・セ

ルベーラと結婚し、2004年にはカルメンのコレクションも新館に展示されている。こじんまりして

いるかと思ったらどうしてどうして、厖大な作品に足も目もくたくた。これ個人のコレクションっ

て凄いぞ。撮影OKで嬉しい。ギルランダイオ「ジョヴァンナ・トリブナオーニの肖像」に釘付け!

夜 マドリッド「ZERAIN」ソーセージ、サラダ、焼きピーマン、鱈入りオムレツレッドペ

ッパー添え、骨付きステーキ、シュークリーム、カモミールティ、カバ、ビール×2杯、白ワ

イン、赤ワイン(旅行社からゴチになりました!)

 

  

 

早くも今夜は旅最後の晩餐。ホテルから数分歩いた場所のレストラン「ZERAIN」のオーナー

は日本語ペラペラ。最初の奥さんが横浜(だったかな)出身で、今の奥さんは大阪出身なんですと。

だからヘンな大阪弁を喋る。料理の数が多くてどれも美味しい。特に焼きピーマンの甘さとデザー

トのシュークリームは甘いもの苦手な私でも思わず「旨い!」と褒めるほどだった。酒もサービス!

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12月 16日(水)晴れかなぁ

朝 マドリッド「ヴィジャ・レアル」 朝食ヴュッフェ

昼 フィンランド航空マドリッド=ヘルシンキビジネスクラス機内食

 

  

 

今回の帰国日の朝は早い。出発が7時半だから5時半にはシャワーを浴びた。朝食サービスは7

から。出発が早いから、ちょっと早めにオープンしてくれませんか?とS釜さんが前日にお願いし

ても「ダメ!」って言われたらしい。5分前にレストラン前に数人で並んでも、知らん顔。ったく!

注文する卵料理なんか要らん!と言って10分で朝食を済ませた。通勤ラッシュとぶつかって空港ま

での移動はちょいと時間が余計にかかった。フィンランド航空チェックイン担当のオジさんが頑迷

な人で(あっちはこっちをそう思っていたかも)、通路側を希望する私にA席を強要する。Aも通路

だと言い張る。それはヘルシンキからの遠距離機材の話で、欧州内の小さな機材は窓側なんだとい

くら言っても「NON!」。一旦搭乗券を貰ったが、やっぱり「換えてよ」と交渉しC席をゲット。

乗ってみれば、やっぱりA席は窓側でそれより何よりビジネス席はガラガラでどこに座ってもOK

なのだった。アハハ。マドリッドからヘルシンキまで4時間。ビジネス席は機内食が出るからいい。

夜 フィンランド航空ヘルシンキ=成田ビジネスクラス機内食

 

  

   スープお替り下さい!

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12月 17日(木)東京は曇り

朝 フィンランド航空ヘルシンキ=成田ビジネスクラス機内食(和)

 

  

 

ヘルシンキ午後520分発の成田行き。往路機内食のスープがとても美味しかった。お替りしたい

と思った。復路でちゃんとお替りしました!そんな客は私だけらしく、フィンランド人CAが驚い

ていた。スペインにいる間ずっとお腹をこわしていたが、結局治らないまま飛行機に乗っていたよ。

昼 四谷三丁目「うつけ」桜海老かき揚げうどん 850

 

   サクッと揚がったかき揚げ

 

皆さん、お世話になりました〜!と午前10時過ぎ成田空港からタクシーで帰宅。洗濯片付けちゃ

っちゃっとやってお昼は「うつけ」の桜海老かき揚げうどんを食べに行った。季節限定メニュー

とあったので、いつまであるのだろう。かき揚げのサクッと揚がった感じが何とも美味しいのだ。

午後のお茶 四谷三丁目「ドトール」アイスコーヒーМ270

夜 舟町「山灯」 前菜5種(ほうれん草と椎茸のお浸し、インカの目覚め葱胡椒、牡蠣南蛮揚

  げと玉葱、う巻ときゅうり短冊、蕪とパブリカ和え柘榴、鰆の塩焼き、鮟肝の油焼きとポーチ

ドエッグすき焼き風、煮麺(20g)キンキ頭のスープで、生ビール、麦焼酎 @3430

 

  

 

夕食は「山灯」に行った。この店はリーズナブルな料金設定もあり、いつも賑わっている。店長の

Wさん宅で赤ちゃんが誕生した由。男の子ですって。年末だけど「めでたい!」。今夜はあまり食欲

が無い。ミニコースにして貰ったのだが、いつもは一緒盛りの5種前菜が別々の皿で。いつもより量

が多くね?鰆の塩焼きを食べる頃にはかなり満腹だ。〆の煮麺はたった20gにして貰う。少なくね?

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12月 18日(金)晴れ

朝 無し

昼 家食 納豆アボガドサラダフスマバーガー、豚汁

iPadにiPhoneまで持つようになった昨今携帯電話をチェックし忘れることが多い。今朝

そうそうチェックしなくちゃと見たら、ールがどっちゃり!電話の着信もあった。イケネ、イケネ。

午前中消防施設の点検に来る予定。ご飯なんか食べていると食卓の横通られるから朝メシは抜きね。

夜 荒木町「の弥七」(2人で)9000円コース(紅芯大根と帆立の和え物、中華前菜3種:よだれ

鶏、焼き胡麻豆腐、腸詰め・チャーシュー・さつま芋・黄ニラとモヤシ湯葉巻・竹の子・出汁

巻卵、氷見の寒鰤のしゃぶしゃぶ鍋 紅芯大根葱生姜と共に、〆鯖と泥鰌の甘酢和え、カラス

ミ餅と山羊チーズとマスカット、ローストビーフ、口直しのミントティ、鶏の白湯麺 トリュ

フ塩と共に、漬物、熊本のばんぺい柚とあまおう、自家製杏仁豆腐)、ビール、麦焼酎 

2人で26700

 

  

 

明日急遽出かけることになったので昼間は集中してパクパク作成に励んだ。「よくやるねぇ、アン

タ」「いえいえサボってばかりいるので周回遅れなんです」「周回遅れって1周だろ?え?3周?

とっととやんな!」「へい」。ここまでやれば、明日午前中でアップ出来るな。今夜はIマリちゃん

と「の弥七」でご飯。彼女とはホントウに久しぶりだ。彼女とは長いつきあいで、入社の時面接し

たのが私だが、私の歌舞伎の先生でもある。大昔小平市に住んでいた頃は家も近所で、バスの定期

代はいつも彼女に聞いた会社に申請していたっけ。そうだ!最後に食事を共にした日を思い出した。

先代の歌舞伎座の公演最終日、しかも3部制の3部の「助六由縁江戸桜」を一緒に観た後築地に行

ったんだった。あの舞台には、團十郎も勘三郎も三津五郎も元気で出演していた。話は尽きないよ。

今夜の「の弥七」の料理も力が入っていた。氷見の寒鰤のしゃぶしゃぶ鍋と鶏の白湯麺!満腹だ!

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12月 19日(土)晴れ

朝 無し

昼 家食 納豆アボガドサラダフスマバーガー、鶏肉と蓮根のつくね入り野菜和スープ

 

   ギエムの引退公演

 

夜 舟町「仙水」(3人で)6000円コース(香箱蟹の茶碗蒸し、お造り:大間の鮪・平鱸・白イカ、

比内地鶏の焼き物、(牡蠣フライ)、ふぐの唐揚げ、塩豚・聖護院大根・海老芋・茄子の煮物、も

ずく酢、牡蠣雑炊)、生ビール、麦焼酎ボトル 3人で32440

 

  

 

ひょんなことから今日の午後上野の東京文化会館でシルヴィ・ギエムの引退公演「ライフ・イン・

プログレス」を観に行くことになった。シルヴィ・ギエムというえば、100年に一人と呼ばれる現代

バレエの女王。その彼女は今年250歳を迎えたが、今年限りで引退を表明。東京公演は明日が最

後であり、まさにプラチナチケットというものなのに棚ぼたで手に入ってしまった。久々の文化会館

に行ってみると前から6列目の素晴らしい席だった。「テクネ」「ヒア・アンド・アフター」、「バイ」。

50歳とはいえ、こんなにカラダが柔らかく、全身で表現するのに何の問題も無さそうなのに、そして

観るものを深い感動を与えるのに、引退してしまうのかぁ。もったいないとしか言いようが無い。終

演後は昨夜に続きIマリちゃんと「仙水」へ。程なくギエムの楽屋でサインを貰って来たセーコさん

も駆けつけて3人で乾杯!セーコさん暫く会わないうちに大きくなったねぇ。来年3月に卒業する由。

 

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12月 20日(日)晴れ

朝 無し

昼 家食 野菜サラダ、「WAKIYA」の担々麺、お茶

昨夜帰宅して玄関に入るなり杖に躓いてバランスを崩した結果転んで立ち上がるのに往生した。もとも

と膝が悪いのに、転んだ時したたかに大理石の床に打ちつけたから膝立ちが痛くて出来ないのだよ。苦

労してようやく起き上がれたが、顔もぶつけてモーレツに痛いんであります。あらら〜鍵が・・・。玄

関用の鍵はあるのに、鍵束が消えている・・・。寒い中あちこち探しているうちに風邪まで悪化。もう

踏んだり蹴ったりとはこうゆう状態を言うのだな。そんなことを予感していたわけではないが、今日行

く予定だった歌舞伎座の昼の部は、セーコさんにチケットを差し上げた。彼女は2つ演目を歌舞伎座で

観終ったら東京文化会館に移動して昨日と同じシルヴィ・ギエムの公演を観る。私も歌舞伎座で咳を我

慢するのはツライから良かった。ミホちゃんから送って貰った「WAKIYA」の担々麺を食べる、ピリ辛!

夜 家食 イタリア・クノールのシーフードリゾット

 

   15分かかるリゾット

 

風邪の症状(咳と痰と全身のだるさ)に加えて膝と頬の痛み。頬は今日になって青く変色して腫れて

来た。だから今日は外出しない。昨夜からずっと行方不明の鍵束を探している。エレベーターやエレ

ベーターホールも見に行ったし、コンシェルジェに落ちていなかったか聞いてもみた。無い。家のど

こかにあるのなら良いのだが、誰かに拾われて悪用されたら・・・心配。鍵のシリンダーごと変えて

しまおう。鍵メーカー代理店に工事依頼のファックスを送る。高くついた転倒だったよなぁ。無酒日

            ________________

【今週の振り返り】

バレエは好きだが、それほどの多くの舞台を観ているわけではない。せいぜい20回程か。それでも、

英国・ロンドン・コヴェントガーデン「ロイヤル・オペラ・ハウス」、ロシア・サンクトペテルブルク

のマリンスキー劇場やドイツ・ドリスデンの「ゼンパーオペラ」なんて有名な劇場でもバレエを観て

いる。

 

かなり長い間、グルジア(現ジョージア)出身のニーナ・アナニアシヴィリのファンだった。ニーナは

1963年生まれだから現在52歳。シルヴィ・ギエムの2歳上だが、二人とも1980年代後半から2000

代バレエ界を風靡したバレリーナである。ボリショイバレエ団のプリマ・バレリーナを20年以上、ア

メリカン・バレエ・シアター(ABT)でプリンシパルを16年務めた。彼女の踊りを観ることが目的

だったのにニーナは来日しなかった。妊娠したのだ。プリンシパルが出産?皆驚いた。しかし、もっと

驚いたのは、娘を産んでから来日したニーナの公演だった。彼女の全身、そして踊りには全く妊娠・出

産の影響が見られなかった。相変わらず美しいニーナだった。「子供産んだと聞いたが、あれは間違い

だったか」と多くの観る者が思ったに違いない。それほど素晴らしい舞台だった。カーテンコールの最

後の最後に、ニーナは娘を抱いて現われた。客席のあちこちから悲鳴が上がる。泣いている人が多い。

私も思わず涙が流れた。その後彼女は男の子も産んで、一男一女の母となったが、それでもバレエは止

めない。ボリショイとABTからは引退したが、グルジアの大統領から依頼されグルジア国立バレエ団

の芸術監督と付属バレエ学校校長を務めながら現役バレリーナとして踊っているのだ。今年(2015年)

も横浜で「瀕死の白鳥」を踊った。

 

アンヘル・コレーラも好きだった。スペイン人で、ABTでは21歳でプリンシパルになった。バレエが

ムチャ巧いし、何と言っても顔が可愛い!てへっ。近年はエリザベス女王やアメリカ大統領の前でも踊っ

たコレーラだが、いつのバレエ・フェスティバルだったか、宿泊先の池袋のホテルから山手線に乗って上

野の東京文化会館に通っていたりする。後輩のT永君がバッタリ車内で会って話しかけたら「いつも山手

線だよ。便利だし」って言ったそうだ。ニーナ・アナニアシヴィリの相手役を長く務め、ニーナのABT

引退公演「白鳥の湖」でも共演した。

 

ニーナも踊っているのだから、シルヴィ・ギエムにももっと踊って欲しいとファンは思っている。ギエム

は、フランス生まれで、体操選手からバレエに転向した。わずか19歳で「白鳥の湖」の主役を初めて踊り、

終演直後にパリ・オペラ座の当時の芸術監督であったヌレエフに最高位であるエトワールに任命された。

「100年に一人の逸材」と称された人は違うね。しかし、束縛が窮屈になったギエムは、その4年後パリ

・オペラ座を電撃退団してイギリスのロイヤル・バレエ団のゲスト・プリンシパルとして、その後はフリー

で活躍した。彼女はエトワールになった翌年ヌレエフと共に来日し、東京バレエの「白鳥の湖」に客演で踊

ったが、その来日公演が彼女にとって初飛行機搭乗、初外国訪問だった。以来、数十回来日するほど日本が

気に入ったギエムは、引退ツァーで世界を回り、一番最後の公演国は日本を選んだ。彼女の言葉を借りれば

「日本で始まって日本で終わる」ということだ。「さようなら、ありがとう。シルヴィ・ギエム」

 

今回このプラチナチケットが手に入ったのは、公演に行く予定だったある方が病気になったからだ。彼女は

3週間経っても入院中である。だから、シルヴィ・ギエムの引退公演を観ることが出来たことを「ラッキー!」

とカンタンに言うワケにはいかない複雑な気持ちだった。一日も早く全快されるよう祈っている。

 

             早く良くにゃって!

 

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