パクパク日記16年3月4週
今年もイースター音楽祭に行った。テロにもめげず、感涙の音楽。
2016年イースターは 3月27日です
3月 21日(月・振り替え休日)曇り 東京開花発表
朝 家食 「やくみや」のせんざんき、牡蠣フライ、ポテトサラダ、鯛の土鍋ご飯、豚汁
「やくみや」のオミヤ料理で家食
昨夜は2時間以上寝付かれずにぐだぐだと寝返りばかり繰り返していて、すっかり寝不足である。そ
んなことで、朝から欠伸ばかりしている今日。平年より6日、去年より3日早い本日東京で開花発表
があった。靖国神社の標本木に5輪咲けば「開花」と認めるルールだ。先日ハンガリーで行われたフ
ィギャアスケートのジュニア大会で優勝した本田真凛ちゃんがテレビの各局情報番組で取り上げられ
ている。タレント本田望結ちゃんの姉としてこれまでも知られていたが、僅か14歳にして艶めかし
い魅力的な容姿で、真央ちゃんの後継者はこの人かもという予感がする。ジュニアは星だらけだけど。
昼のおやつ 高知「ジョエル」の焼き菓子、コーヒー
夜 家食 「やくみや」のせんざんき、牡蠣フライ、ポテトサラダ、鯛の土鍋ご飯、漬物、茄子のご
ろっと味噌汁
洗濯してちょっと掃除、それからは荷造り。だって、明日の朝ドイツ(ちょっとフランスも)に出発
だもんね。ドイツとフランス東部でコンサート2回で・・・チャチャチャ、ハイ、お仕舞い!だって
先月はイタリアとオーストリアどっちも音楽の旅だったものね。似ているから、持って行くのもほぼ
一緒だし。おやつに先日小田急デパートの四国物産展で買って来た高知市の洋菓子屋さんの焼き菓子
を食べたが、「鄙には稀な」美味しさであった。こういうこと言うと、香港にいるK崎に叱られちゃ
うね。家でたくさん働くために、夕食も「やくみや」持ち帰り料理でそそくさと済ませたよ。無酒日
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3月 22日(火)東京もドイツも晴れ 1€ユーロ=約130円
第1食 やくみや」鯛の土鍋ご飯
第2食 羽田空港国際ターミナルANAスィートラウンジ お浸し、きつねうどん
やっぱりきつねうどん美味しおすな(なんで!京都弁なん!)
第3食 ANA羽田=フランクフルト ファーストクラス機内食(和食コース)
今日からベルリンフィル・イースター音楽祭の旅である。本隊は成田空港からJALで出発するのだ
が「それもなんだよなぁ」と思った私は一人羽田空港からANAでフランクフルトに向かうことにし
た。ビジネスクラスを予約していたら「ダイヤモンド会員の特典のアップグレード権、3末で消えち
ゃうよ」メールが来たので「それじゃあ、ファーストクラスにアップグレードしてね」ってことで。
ヌハハである。ピッカピカの新パスポートで出国。8席あるファーストクラスに乗っていたのは私含
め2名だった。食事は和食を選んだら料亭にいるような感じでコース料理が出て来た。映画は「グラ
スホッパー」を観た。伊坂ファンだから、もちろん原作の小説は読んだが、かなり前だからストーリ
ーは覚えていない。元教師の鈴木、鯨、蝉。こんな話だったっけ。轢き逃げされ死亡する鈴木(生田
斗真)の婚約者は「あさが来た」の波瑠だったから、これこそビックリポンだよ。「マツコの知らな
い世界」は相変わらず面白いよ。温泉の話だった。座席空いているから隣の席にCDがベッドを作っ
てくれる。寝室ってわけさ。せっかくのファーストクラスだったが、2時間程眠っただけだったけど。
第4食 ANA羽田=フランクフルト ファーストクラス機内食(ガーデニングサラダと「一風堂」
の味噌ラーメン)
またラーメン食べちゃった
第5食 ドイツ・ハイデルベルク クラウンプラザ・シティセンターホテル客室にて おにぎりと
ビールとウィスキー
約1時間でハイデルベルクに到着。いつものようにおにぎりとウィスキー、それにビールで夕食
本隊より30分ほど早くフランクフルト・マイン空港に到着した。ANAは第一ターミナル、対して
JALが到着するのは第二ターミナルだ。このターミナル移動が今回の旅の一大ネックであった。と
にかく、この空港はヨーロッパでも3つの指に入る程広いので有名だ。ましてやスーツケースを持っ
た上での移動だからステッキ持った婆さんとしてはかなりツライのだ。第一ターミナルのAとB間を
移動する場合は長い地下通路を使用するが、ターミナルの移動となるとスカイラインに乗らねばなら
ない。で、私は考えた。羽田でチェックインする時、「ターミナル移動するのがタイヘンそうなので、
フランクフルト空港でアシストしてくれる方つけて頂けませんかね?」と弱々しく、老婆らしく、お
願い申し上げたのだよ。ふっふっふ。飛行機を一番に下りたら「夢子さま」という看板を持った男性
が立っておるぞ。よしよし。何人かはわからないが日本語OK。イミグレを通過し、バゲージクレー
ムでスーツケースをピックアップ(彼が)して、転がしてくれる。エスカレーターやエレベーターに
乗ってスカイライン乗り場へ。DEまで一駅。ここからエレベーターで地階に下りれば、JALなど
の乗客が出て来る場所だ。ダンケシェーン!これで美味しいビール飲んでね!ミラノから来られたS
原さんと合流して本隊を待つ。ネットでニュースを検索。ブリュッセルの空港と地下鉄で大規模なテ
ロ勃発して死者負傷者多数!!!パリの同時多発テロから未だ4ヶ月というのに、何てこった!あっ、
ここも空港だぞ!テロは私の飛行中に起きている。本隊が到着してバスでハイデルベルクに向かう。
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3月 23日(水) ドイツ・ハイデルベルクは曇ったり降ったり
朝 ハイデルベルク・クラウンプラザ・シティセンター 朝食ヴュッフェ
ビスマルク広場 この先にネッカー川が流れている ハイデルベルクは学生の町だ
昼 ハイデルベルク「BACKMULDE」ビーフコンソメスープ、仔牛のクリーム煮、アップルシュトゥル
ーテルとアイスクリーム、コーヒー3€
ネッカー川はライン川の支流だ。ドイツ最古のハイデルベルク大学がある
午前4時枕元に置いてあるガラケーの着信音が高らかに鳴る。ヴェト7だからね。飛び起きたところ
で電話は切れた。某旅行会社だった。起こすなら用件言って欲しいぞ!今日午前中はフリータイム。
希望者は添乗員のU松さんと旧市街やハイデルベルク城などの観光に出かけられたが、私は行かない。
丁度一年前も、バッハが最初の結婚式を挙げたアルンシュタットから移動して1泊し、翌日午前中だ
け観光してバーデンバーデンに向かったのだ。もっとも私はお腹をこわして(しょっちゅう)ホテル
の部屋でウロウロしていたんだけどね。ま、今朝も同じようなもので(苦笑)。そんなことで2度も
来ているのに殆どこの街のことを知らないのである。ランチ摂るレストランに行く時道に迷った(全
員で)ことで結構歩き回ったけど。食後バスでメッスに向かう。走り出した途端お腹がグルグル!!
夜 フランス・メッス「メルキュール・メッス・サントル」 西洋ネギのパイサラダ添え、鰈のフィ
レマッシュポテト添え、洋梨のタルト、ビール大8.5€、白ワイン8€、赤ワイン8.5€
ハイデルベルクや金曜日に行くバーデンバーデンはドイツの西側に位置してフランスに近い。メッス
はフランスの東側にあって、ドイツに近い。ハイデルベルクとメッス間は3時間である。「ストッパ」
を2錠飲んでトイレ休憩まで何とか耐えた。スッキリしてからは最後尾の席で本を読む。井上章一著
の「京都ぎらい」。これ面白い!シェンゲン協定で国境では検査など無いのだが、昨日のテロを警戒
してかフランス側で1台1台車を停めていた。「チャイニーズ?」「ノン!ジャポネーズ!」じゃ、
行っていいよ。メッスのホテルに夕方5時到着。シャワーのみのメルキュールに2泊する。夕食時に
自己紹介タイムがあった。一番びっくりしたのはU松添乗員夫人のI田さんが来月下旬出産予定とい
うこと。I田さんとは去年6月イギリスにご一緒して、彼女の誕生日を共に過ごした。おめでとう!
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3月 24日(木)晴れ
朝 メッス「メルキュール・メッス・サントル」 朝食ヴュッフェ
午前中は徒歩でメッス観光。先ずはサン・マキシマン教会
小さなサン・マキシマン教会にはジャン・コクトーのステンドグラスがある
今週日曜日27日はイースター 街中がイースターの飾り付け 13世紀から建築が始まったサンテチエンヌ大聖堂
欧州最大総面積を誇るサンテチエンヌ大聖堂のステンドグラスの中にはシャガールが手掛けた作品も
メッスは日本では殆ど知られていない街だし、私も初めて来たのだが、ロレーヌ地域圏の首府であ
り、モゼル県の県庁所在地なのだそうだ。ローマとランスを繋ぐ街道にあることから古くから栄え、
19世紀の後半から40年弱ドイツに併合された歴史もある。街の中心には、驚くほど立派な大聖堂
があって美しい街である。線路を挟んで向こう側には、日本人建築家の坂茂氏の設計になるポンピ
ドゥー・センターだってあるのだ。そしてコクトーとシャガールがデザインしたステンドグラスが
あるというのだから凄いじゃないか。先ずはコクトーのステンドグラスがあるサン・マキシマン教
会に行く。小さな教会で何も知らなかったら通り過ぎてしまいそうな地味な佇まいだ。その教会の
祭壇左右にあるステンドグラスがコクトーの作品だ。ジャン・コクトーは詩人にして、小説家、劇
作家、評論家、画家、映画監督にして脚本家という多才な人だったが、この街に親戚が住んでいた
ことが縁で滞在して製作に当たったようだ。次はサンテチエンヌ大聖堂に移動したが、道々イース
ターのお祝いのウサギや卵やチョコの飾り付けが可愛らしい。サンテチエンヌ大聖堂は欧州最大総
面積を誇るステンドグラスを持ち、その一部がシャガールのデザインによるステンドグラスだった。
昼 メッス「ASSIETTE DU BISTROT」ミックスサラダ、ポークフィレミニヨン、ミラベルのソルベ、
コーヒー3€
午後皆さんは美術館やルクセンブルグへ
夜 メッス「BRASSERIE L’EDEN」チョイスメニュー:自家製フォアグラ・ミ・キュイ、ビーフ、
モワルー・オ・ショコラ、ビール大6.5€、白ワイン4€、赤ワイン4€
午後はフリータイムだった。実はこのツァー好評につき満席となり、追加グループと併せて2グルー
プ編成なのだが、私は追加グループのU村組で17名である。最初のグループはY口添乗員率いる20
名のY口組。まるでヤクザみたやね、と皆で笑う。そのY口さんはポンピドゥー・センターの見学、
U村さんは隣の国ルクセンブルグ半日観光のリーダーとなった。例によって私はどこにも行かないよ
。今朝I親ビンからメールを頂いて「連句は夢子の番だよ。三春(晩春)の短句作りなさい!」との
指令を受けた。そうなると私は落ち着かない。ステンドグラスを観ても、街を歩いていても指を折り
ながらぶつぶつ・・。立派な大聖堂に座っても作句に励み、ホテルに帰って投句した。夕食は徒歩15
分程のレストランで。前菜、メイン、デザートともチョイスメニューで、フォアグラとフォンダンシ
ョコラがとても美味しかった。1万歩越えた一日。ホテルに帰ると宗匠から「一発治定」の知らせが!
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3月 25日(金)メッスもナンシーも雨
朝 メッス「メルキュール・メッス・サントル」 朝食ヴュッフェ
聖金曜日の卵チョコ
エミール・ガレを中心としたナンシー派美術館はガレやドーム兄弟の作品が展示されている
エミール派のパトロンだったコルバン氏の私邸を改造して美術館としている このテーブルの下の彫刻を見よ!
ナンシーはロココ美術に続いて、アール・ヌーヴォーが生まれた街である
朝から生憎の雨だ。今日一日止まないらしい。早めに出発してナンシーへ。途中渋滞に会いナンシー
派美術館に到着したのは10時15分だった。初めての海外旅行と緊張していた20歳のS勢君がダウン
してしまった。ナンシーはアール・ヌーヴォーを代表するエミール・ガレを輩出した街であり、ハプ
スブルグ家のマリア・テレジアの夫となったローマ皇帝フランス1世シュテファンもこの地の出身だ。
パトロンだったコルバン夫妻の私邸を改造したナンシー派美術館には、エミール・ガレやドーム兄弟、
ガレに賛同した芸術家達が生み出したガラス工芸、陶器、家具などが展示されている。見応えあるぞ!
スタニスラス広場の門と噴水、スタニスラスの銅像。広場に面した市庁舎前には半旗のベルギー、フランス国旗が
凱旋門 スタニスラス広場と隣り合ったカリエール広場とアリアンス広場まとめて世界遺産
昼 フランス・ナンシー「FLO EXCELSIOR」キッシュ・ロレーヌ、カワカマスのオモニエール、ク
レームブリュレ、コーヒー4€
アール・ヌーヴォーの内装が楽しめる1911年開店のエクセルシオール お菓子屋でナンシーマカロン購入する人も
バスで移動して世界遺産の広場へ。スタニスラス広場とカリエール広場、リアンス広場の3つ纏めて
世界遺産なのだそうだ。ポーランド皇帝だったのに、ロシア軍に追われてフランスに亡命したスタニ
スラスはロレーヌ地方を統治するようになったが、18世紀中頃彼が命じて造らせた広場がここスタニ
スラス広場だ。広場に面して市庁舎、ホテル、歌劇場、そして2つの広場がある。ここから雨の中を
トボトボ歩いてレストランに向かう。1911年開店という老舗「エクセルシオール」は内装がアール・
ヌーヴォー調。ブルターニュ地方の入り口にあるナントの街でもアール・ヌーヴォー調「LA CI
GALE」に行ったことがあるが、あそこは料理が大したこと無かった。ここは出来立てのキッシュ・
ロレーヌなどなかなか美味しかった。隣のお菓子屋でナンシーマカロンを買う人多し。素朴な味だね。
バーデンバーデン郊外のブラームスハウス 若き頃のブラームス 「青いサロン」で使われたピアノ
西側の窓に面した小さな机 小さなベッドと洗面台 窓から見える風景はこんな
髭を生やしたブラームス 自筆の楽譜 尊敬してやまなかったクララ・シューマン
クララ・シューマンの別荘とブラームスハウスはすぐ近所だった 左ブラームスのデスマスク右クララの手
ナンシーから国境のライン川を越えてまたドイツに帰った。今日からバーデンバーデンに3泊する。
ホテルに行く前に、3`手前のリヒテンタールにある「ブラームスハウス」を見学する。亡くなった
ウィーンを含めてブラームスが住んだ家で実存するのはここだけ。多くの芸術家からも愛された温泉
リゾート地バーデンバーデンだが、ブラームスが長い間この家に通った理由はクララ・シューマンだ
った。彼女の夏の別荘がすぐ近所なのだ。青い壁に囲まれて「青いサロン」で名曲が次々と誕生した。
夜 ドイツ・バーデンバーデン・ホテルツム・ヒルシュ 林檎とカレー風スープ、ビーフサーロイン
ステーキ、バニラパンナコッタブルーベリーソース、ビール大5€、白ワイン5€、赤ワイン(ゴ
チになった)
屋根裏部屋のような客室で3泊
バーデンバーデンの中心にあるホテルツム・ヒルシュにチェックイン。3泊もするので客室のアップ
グレードをお願いしていたが「イースターの繁忙期だからムリです」って。エェ!そんなこと始めか
らわかっていることじゃないの!期待しただけ損しちゃったよ。代わりの部屋は屋根の梁が斜めに出
ている一番遠い部屋。ガッカリだ。夕食はホテルで。ここサービスも良い、料理も美味しくてグッド!
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3月 26日(土)バーデンバーデンは晴れ
朝 バーデンバーデン・ホテルツム・ヒルシュ 朝食ヴュッフェ
イースターの卵が色鮮やかです ホテルは老舗で坂の途中にある
午前中祝祭劇場の特別に舞台裏を見学 バーデンバーデン駅の駅舎を利用して劇場となった
もうすぐベルリンフィルのリハーサルが始まる 2500名収容する劇場 舞台裏から
ギリシャ風の建物は「トリンクハレ」。源泉水が飲めるのだが、注意書きに「飲んではダメ」って。??
「クーアハウス」にはカジノ、劇場、レストランなどが併設されている
この街に来るのも3度目だなぁ
朝から気持ち良く晴れた。午前中はバーデンバーデンの見学である。10時出発する時連絡があって
「ベルリンフィルのリハーサルが早まったので特別プログラムの舞台裏見学今すぐ来て下さい!」。
急ぎ足で祝祭劇場まで行く。Y口組が泊まっているラディソンホテルは劇場に近い。でも、私達の
ホテルは街の中心街に近い。かつてのバーデンハーデン駅の駅舎を利用して造られた祝祭劇場は収
容人数2500名という欧州でも有数の劇場である。大きさもさることながら、音響が良いことでも知
られている。昨年のイースター音楽祭ではオペラ「バラの騎士」を観たっけな。普通なら入ることが
出来ない舞台裏の見学。オペラ上演の際のオケピッドの場所にコンサート時舞台床をせり上げる仕組
みなどをジロジロと見学して面白かった。その後は温泉地ならではのトリンクハレやクーアハウス、
そしてカラカラ浴場、フリードリヒス浴場。今後に備えて、水着着用とか裸の混浴とか覚えないとね。
昼 バーデンバーデン「LOEWENBRAEU」サラダ、七面鳥のキノコクリーム煮シュペッツレ添え、チョ
コレートクリーム、ビール小4€、コーヒー4€
ランチを摂ったのはビアホールレストランだった。イースターのご馳走、七面鳥がメイン料理だった。
シュペッツレという太いパスタが添えられていた。午後2時過ぎ解散となった。温泉に入るためホテ
ルに水着を取りに行く人が多いようだが、私は街をぶらぶら。東側には南北にオース川が流れている。
流れに沿って歩いていくと、1年前宿泊したブレンナーズ・パーク・ホテルがある。あちらこちらで
花が咲いて美しくあるぞ。明日から2日間商店はほぼ休みとなる。買い物は急げ?買うもの無いもん、
夜 バーデンバーデン「LATERNE」(自由食・6人で)トマトクリームスープ6.2€、ウィンナーシュ
ニッツェル23.5€、ビール大、白ワイン、赤ワイン 計51€(チップ込み)
ウィンナーシュニッツェル好き! 皆さんに愛されたY家母息子 午前2時に1時間進めてサマータイム
先日午前4時に某旅行会社からかかって来た電話の用件は何だったのか。たぶん4月の旅の件だろう。
パリの豪華ホテルに滞在する旅に行く予定だったが、そのホテルが火事になり延期。ならば、ブダペ
ストに滞在しようと思ったら、申込者がゴソッと他に回ってしまい催行出来ず。催行が決まっている
イタリア東海岸縦断の旅に行く予定だったのだが、これはいろいろあって私の方からキャンセル。で
某旅行会社の国内旅2泊3日を申し込んだ。せっかくだからと前泊と後泊は自分で宿を手配し、前泊
の夕食は某名店で4人で会食しようと予約もしてある。その2泊3日の国内旅はあと1名で催行と聞
いていた。ネットで調べると、その旅が消えていた・・・。はぁ〜〜。一度躓くと何度でも躓いちま
う典型だわな。仕方ない、気を取り直して前泊と後泊の間の2泊を予約しよう。ドイツにいながら、
関西の宿を調べ、無事予約!これはこれで楽しい旅になりそうだ。夕食は自由食。添乗員のU島さん
と6人で旧市街のレストランに行った。一昨日からずっと具合が悪く寝たきりだったS勢君が復帰し
て参加されたのが嬉しい。国立H大の歯学部の学生で愛媛県のD後温泉に住むお母さん(若いのよ)
と参加されている。トマトスープもウィンナーシュニッツェルも旨い!明日からサマータイムだよ。
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3月 27日(日)午前中雨 午後から晴れたり曇ったり
朝 バーデンバーデン・ホテルツム・ヒルシュ 朝食ヴュッフェ
昼 バーデンバーデン「皇城酒家」(自由食)ワンタンスープ3,6€、カレー味のナシゴレン10.2
€、ミネラルウオーター3,2€
今日は夜のコンサートまで一日フリータイム。U島添乗員はフライブルク、Y口添乗員はトリベルク
へ希望者と共に公共交通機関を使って近隣の町に出かけられた。私は、ホテルから坂を上っていくと
ある教会で11時から始まるイースターミサに出席するつもりだ。朝から雨で、杖ついて傘さして坂
を上り下りするのはツライけどね。準備して10時半ホテルを出ようとすると、モーレツな膝の痛み!
な、なんなんだ!ロビーで膝を摩っているうちに痛みは減じたが、もう11時半だ。こんな遅くなっ
ては教会には入れまい。諦めてランチに行くことに。ミサがメシになった瞬間(笑)。雨だから近
い店がいい。出来たら箸を使う店がいい。あった!中華とタイ料理だって。旨くは無いが、久々に
箸の食事が嬉しい。イースターミサをお勧めした方に後刻伺ったら、ギッシリ満員で盛況だった由。
遅い夜 バーデンバーデン・ホテルツム・ヒルシュ客室にて きつねうどん、オレンジ、ビール、
ウィスキー
いよいよこの旅のハイライト、イースター音楽祭鑑賞である。皆さん、おめかししてテクテク劇場ま
で歩く。旅行会社が用意したチケットは今夜第3カテゴリーで3階。私は今夜はどうしても良い席で
聴きたかったので第1カテゴリー席にUPグレードして貰った。5万2千円かかったけど、2列目の
ほぼど真ん中の席だ!先ずはモーツアルトのピアノ協奏曲22番、ピアニストは内田光子さんだ。あ
らら、指揮者のサイモン・ラトルさん随分太ったみたい。曲目が私の一番好きな23番だったら文句
無しだったが、22番もちょっと似ているような。休憩を挟んでベートーヴェンの交響曲第9番「合
唱」である。ソプラノ:ゲニア・キューマイヤー、メゾ:サラ・コンノリー、テノール:ティーブ・
ダヴィスリム、バリトン:フロリアン・ベッシュ、それにチェコプラハの合唱団だ。樫本大進氏もい
るね。演奏が始まった。これまで何度か9番は聴いたことがある。しかし今演奏している曲とは違っ
ていたような気がする。初めて聴く第九みたいだ。第3楽章では涙がにじんで来て困るぞ。そして、
第4楽章。テノールがいい、合唱団がいい、そしてベルリンフィルが素晴らしいぞ!あぁ感動の嵐!
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【今週の振り返り】
ベルリンフィルのイースター(復活祭)音楽祭って、ザルツブルクじゃなかったっけ?そう仰る方、
「正解」です。でも、それは過去のことであって、今は「ブー」なのですよ。そもそもの始まりは、
あのヘルベルト・フォン・カラヤンが1967年に創立した。カラヤンをご存知ない方のために申し添
えれば、1955年から1989年までの34年間ベルリンフィルの終身指揮者・芸術監督を務め、日本で
は「楽壇の帝王」と称され、世界のクラッシック音楽界で圧倒的な存在であったのだよ。合計11回
来日しているが、ベルリンフィルと共に3回目の来日となる1970年5月東京文化会館でのコン
サートに私は行ったのだ!次兄が当時新宿伊勢丹横にあったプレイガイドで徹夜して並んで(麻雀し
ながらね)買った貴重な1枚を大学合格のお祝いとしてプレゼントしてくれた。演目はベートーヴェ
ンの交響曲第3番「英雄」だった。
閑話休題。ザルツブルクイースター音楽祭の話だった。そうしてカラヤンは1967年から1989年まで、
その後はゲオルグ・ショルティ(彼も好きだった!)、クラウディオ・アバド(この人も大好きだっ
た!特に顔が)、そして2003年からサイモン・ラトルが指揮者と芸術監督を務めていた。ところが、
理由はわからないが、開催場所がオーストリアのザルツブルクから、ドイツのバーデンバーデンに移
された。今年がバーデンバーデンで開かれるイースター音楽祭としては4回目だ。イースター音楽祭
は、2つのオーケストラコンサート、そして合唱入りオーケストラコンサート、そしてオペラという
4日間連続演奏会(ツイクルス)を、間に2日間の休日を挟んで繰り返す。日曜日の今日が合唱入り
オーケストラコンサートだったから、明日がオペラで最終日となる。昨年は最初のツイクルスのオペ
ラ「バラの騎士」を観たのだった。明日は大の苦手なワーグナーだよ(涙)。
バーデンバーデンの中心地から3`程離れたリヒテンタールで、1865年から1874年にかけて9年間
夏の数カ月を過ごした音楽家がいる。ヨハネス・ブラームスだ。彼が32歳から41歳までの夏の数ヶ
月をここで過ごした。木造の小さな2階建ての家で2階の二間がブラームスの居住空間だった。「青
いサロン」と呼ばれた青壁の居間兼仕事部屋。ここで、交響曲1番、交響曲2番、ピアノ五重奏曲、
ホルン三重奏曲、チェロソナタ第一番、弦楽六重奏曲、ドイツレクイエムなどの作品の全部あるいは
一部が創られていった。バーデンバーデンには、ビスマルク、ヴィクトリア女王、ナポレオン3世、
ドストエフスキー、バルザック、ヨハン・シュトラウス、フルトベングラーなど各国王侯貴族や政治
家、作家、音楽家などが訪れ、愛したが、ブラームスはホテル住まいから家を借りてしまう程の熱の
入れようだった。
理由は明白。親しかった女性がすぐ近くに夏の別荘を持っていたからである。亡きシューマンの妻で
あったクララ・シューマンだ。クララはロベルト・シューマンとの間に8人の子供を産んだが、46
歳でロベルトが亡くなると、7人の子供を抱えてピアニストとして働かねばならなかった。彼女は女
モーツアルトと呼ばれる程幼い頃からピアノに優れ、著名なピアニストでもあったのだ。子供はあち
こちに預かって貰いながら、演奏旅行で各地を飛び回わる多忙な生活だったが、夏の間だけは大きな
別荘で家族揃って過ごすことにしていた。それがリヒテンタールだった。不倫関係かどうかは不明で
あるが、ブラームスはクララと大の仲良し。クララの別荘の近くに家を借りて、後に「ブラームスハ
ウス」と呼ばれるようになる。生涯独身で通したブラームスは、毎日クララの家に食事に行った。14
歳年上のクララは「食事をご馳走する代わりに、曲が出来たら一番に楽譜を見せてね」とブラームス
に約束させていたそうだ。クララの意見を聞き、推敲してからブラームスは曲を仕上げた。
クララが亡くなると、後を追うようにブラームスは63歳で亡くなる。ブラームスにとって、リヒテ
ンタールでクララや子供達と過ごした何回かの夏が安らぎに満ちた時間と空間だったのだと、私は信
じている。
あのニャツの日々・・・