パクパク日記16年5月3週

             スペインとフランスのバスク地方は美食とワインの宝庫

 

            

 

5月 16日(月)曇りのち晴れ   夜9時過ぎ震度3の地震!

朝 家食 「プルマンベーカリー」の男爵カレーパン、キャベツとベーコンのさらさらスープ

 

   スープに黄パプリカたっぷり追加!

 

昨日の朝は何も考えず、Y子ちゃんから貰ったカレーパンをただムシャムシャ食べた。美味しかった。

今朝食べる前に調べてみると「プルマンベーカリー」って札幌のパン屋さんで、この男爵カレーパン

は2度もテレビチャンピオンで優勝したのだそうだ。スープには黄色のパプリカたっぷり加えてみた。

昼 無し

午後のおやつ 恵比寿「Segatredo」ステッキチーズ170円、コーヒー330

正午、乃木坂にある歯科医院でインプラントの二次オペを受ける。麻酔の注射が痛いじゃないか!と

言ったら、注射の前に薬を塗れば痛くないそうで。あっ、ホントだ。1時間後「お食事は麻酔が覚め

た1時間半後にね〜」と言われて医院を出る。そのままヨタヨタ歩いて狸穴近くの家具ショールーム

へ。う〜ん、低くてふかふかのソファはダメだよん。すっと立てないもん。タクシーで恵比寿と広尾

のまん中辺りのショールームに移動。見学検討前に、同じビルのカフェで昼食代わりのステッキチー

ズと茶。これだけ!寂しくて泣きたくなるぞ!5時からK村税理士先生来宅。あぁ〜、腹ぺこぺこだ。

夜 家食「サボテン」の唐揚げとサラダ、キャベツとベーコンのさらさらスープ、ふすまパン

 

  

  

昼も抜いたんだから、夕食はチョー豪華に行きたい!ところであるが、家食+粗食+無酒が予定され

ているのである。え〜ん、ホントに泣いちゃうよ〜。あのね、ユメちゃん、ちょっといい?あなたは

ね、気がついていないみたいだけど、もう十二分に食べたのよ。普通の遥かに超えた量をね。ちょっ

と自分の身体を眺めてご覧なさい。食べたものが全部身についているじゃない。それだけたっぷりあ

ったら、一日一食でもいいくらいじゃないのかな、ね、ユメちゃん。知るかぁ!誰だお前は!無酒日

               _______________

5月 17日(火)雨 夕方止む   母の祥月命日

朝 家食「サボテン」のメンチカツとマカロニサラダふすまドッグ、千切りキャベツ、キャベツとベ

ーコンのさらさらスープ

 

   薬飲むためにも朝食は必須となりました

 

昨夜夜9時23分関東地方で地震があった。震源地は茨城県南部で震度5弱。東京では震度3だった。

ちょうどパジャマに着替えようとズボンを脱ぎかけた時で「報知器」や携帯が「地震です!地震です!」

と叫ぶ中、脱いで良いやらちゃんと履いた方が良いやらかなり迷った。震度3の1回だけでこんなに怖

いのに、熊本の人達は2週間で1000回以上!想像出来ないぞ。最近徐々に報道が減っているよなぁ。

母の命日である今日は雨だ。36年前に母は亡くなった。そんな日長兄から今月退社すると連絡があった。

 家食「サボテン」のメンチカツとマカロニサラダふすまドッグ、千切りキャベツ、オニオンスープ

夜 荒木町「よつやこくている」ポテトサラダ500円、野菜炒め500円、冷奴500円、ナポリタン

750円、生ビール、麦焼酎「和ら麦」@3510

 

  

 

パクパク日記の制作に先週来取り組んで来た。先週の日曜日、今週月曜日と2日連続家食無酒日にし

て頑張った甲斐あって5月1週、2週も完成。今が5月3週だからまさに「リアルタイムパクパク」

が達成したのだぁ〜!!最遅(こんな言葉はニャイ!)時期は2ヶ月遅れだったものなぁ。それが

2年位続いたんだっけ。信じられないかもしれないが、日曜日の夕食を食べて後片付けをしてから、

その写真を取り込んでパクパクの完成。そのままUPしたなんて信じられない時代があった。すると

「原則月曜日更新」とあるのに、毎週日曜日の夜10時頃もう見に来る人がいましてね、びっくりで

しょ。感想「今が近過ぎて気持ち悪い!」。アハハ。午後明日からの旅支度ちょっとしてご飯に行く。 

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5月 18日(水)東京は晴れ

第1食 羽田空港ANAスィートラウンジ カレーと大根おろし

 

   いつものたぬきうどんの代わりにカレー(小)だよん

 

第2食 ANA羽田=フランクフルト ビジネスクラス機内食(和食)

 

  

 映画をたくさん観たよ

 

第3食 ANA羽田=フランクフルト ビジネスクラス機内食(ガーデンサラダ、一風堂の味噌ラ

  ーメン、ウーロン茶)

 

 味噌ラーメンになってから匂いが減った

 

8時半迎えのタクシーで羽田空港国際ターミナルへ。今日からスペインとフランスに跨るバスク地

方の旅に出る。ANAラウンジでは、たいてい朝食として(朝食2というパターンも多々あり笑)、

たぬきうどんを食すのだが、今日はキッパリ止めてカレー。しかも小盛りだ。エライ!フランクフ

ルトまで全く眠ることなく、週刊誌3誌読み、映画やビデオをずっと楽しんでいた。映画は「の・

ようなもののようなもの」。「の・ようなもの」は、2011年急逝した森田正光監督のデビュー作で

1981年の製作。その後のことを杉山泰一監督が描いた。それほど楽しめない。「グランド・フィナ

ーレ」も京都紹介の短編も幾つか観たが、やっぱり面白いのは「マツコの知らない世界」と「水曜

どうでしょう」。「マツ知ら」はポテトサラダとミニュチュアの世界。ランラランラ・・の歌好き!

第4食 ドイツ・フランクフルト空港ルフトハンザ航空セネタラウンジ 苺とハムチーズ 

 

         

  

第5食 スペイン・ビルバオホテル客室にて おにぎりとウィスキー 

ドイツのフランクフルト空港で4時間近く過ごして、スペインのバスク地方のビルバオに向かっ

た。午後115分ビルバオ空港に到着。翌日知ることになるのだが、丁度この頃パリを離陸した

エジプト航空の飛行機が夜中に消息を絶ち、その後地中海に墜落したと伝えられた。クワバラク

ワバラの話である。深夜ホテル客室で一人ウィスキーをグビっと飲みながらおにぎりをパクつく。

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5月 19日(木)スペイン・ビルバオは晴れ  1ユーロ€=約128円

朝 スペイン・ビルバオ・ホテルロペスデハロ 朝食ヴュッフェ

 

  

   

       リオハワイナリー「マルケス デ リスカル」はスペイン王室御用達ワイナリーでもある

       発酵樽と熟成樽 樽はアメリカオークが多い        1862年〜お宝の年代ものワインがズラッと

      テイスティングは白赤2種                 フランク・ゲーリー設計のホテルとレストラン

昨夜は洗濯などして午前2時に寝たのだが、今朝は3時に起き出す。ここはホントーに5ツ星?と

何度も確認するようなホテルであるが、朝食ヴュッフェの内容とサービスも「ちょいサビもの」で

あった。10時20分スペイン北部にあるリオハに向かう。やがて葡萄畑の真ん中にチタンで出来

た2色のウネル波のような屋根を持つ建物が見えて来た。滞在しているビルバオにあるグッゲンハ

イム美術館の設計で知られるカナダ生まれのアメリカ人フランク・ゲーリーの作品だ。スペイン王

室の御用達ワイナリーでもある「マルケス デ リスカル」が2つのレストランを含む5ツ星ホテル

(ホントの)の建物で2009年にオープンした。部屋数は43室。発酵樽や熟成樽保管庫、お宝の部

屋、ボトリング、ラベリングの現場を見学して2種類の手―スティングをした。サッパリと旨いね。

昼 リオハワイナリー「マルケス デ リスカル」 山羊チーズのテリーヌ蜂蜜ソース、マッシュ

ポテトピューレとフォアグラ・きのこ・黄身のせ、鱈のリオハ風、2種のアイスクリーム(チ

ーズと蜂蜜)、コーヒー、赤ワイン4杯

 

 

今回の皆さんと一同に揃っての最初の食事は、ワイナリーホテル内のレストランで。今回の旅の参加

者は9名と添乗員のI川さん。9名中1人参加は私だけで4組のご夫婦。名前も4種覚えればいいか

ら楽ちん。旭川、東京、岡崎、そして大阪とお住まいはバラバラだが、年齢は似通ったもの。この私

が一番年上という残念な結果(何が残念なのよ!えぇ!)であった。いつかこんな日が来るのだねぇ。

それだけなら良いのだが、今朝ホテルのロビーで突然声をかけられた。「あんたユメコさんでしょ。

本名だって、パクパク日記だって知ってるんだから〜」。ひぇ〜〜!どうしょう〜〜!麺じゃなくて

面が割れておる〜〜!爆弾発言したのは中K子さんである。昨日のフランクフルト空港からまるで探

偵のようにこのババを観察していたらしい。「そんなことは・・ムニャムニャ」と胡麻化したものの、

そんなことで怯むような中K子さんじゃないし。はいはい、仰る通りです、白状いたします。その上

添乗員I川さんは高校の後輩だって。この旅では大人しくしてしよう。今日のランチボリューム満点!

午後のお茶 ビトリア・ガスティス「カフェビトリア」コーヒー1,3€

 

  

       バスク州の州都、アラバ県の県都であるビトリア=ガスティスは落ち着いた街

 

夜 ビルバオ「Etxanobe・エチャノベ」 鰯のクリップ、フォアグラのフラン、ロブスタ

ーサラダ、カタクチイワシを浮かべたラザニア入りガスパチョスープ、鮪の炙りほうれん草ソー

ス、オックステールのグリル、フェンネルのカップライスとストロベリーチップ、マンジャニー

ア(カモミールティ)、カバ(旅行会社のゴチだった)、セルベッサ(ビール)5€、白ワイン(N

村さんにゴチになった)

 

  

 

スペインのバスク州の中心都市はビルバオであるが、州都はビトリア=ガスティスである。人口24

万人余りの静かな街だ。皆さん散策に出かけられたが、私はカフェで本を読んでいた。因みに「ガ

ステイス」はバスク語で「豆を食べるヤツ」という意味なんですってさ。オマケに「ビトリア」だ

けをググると「小顔骨盤矯正サロン」と出て来てビックリする。ビルバオに戻って、再び夕食レス

トランへ。ミシュラン1ツ星レストランなのに、昼食べ過ぎて全く腹が空かん!全く!そんなこと

で、ドライアイス朦々のフォアグラのフランやまるでルージュのような鰯から始まったせっかくの

コースもなかなか喉に通らない。もったいないよねぇ。このレストランは造船所跡に建設されたエ

ウスカルドゥナ国際会議場の中にあって9時過ぎには満席になった。ハンサムシェフが挨拶に来る。

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5月 20日(金)ビルバオ・ゲタリア・サンシェバスチャンも晴れ

朝 スペイン・ビルバオ・ホテルロペスデハロ 朝食ヴュッフェ

 

   朝には腹ぺこに。タイミングが悪い!

 

 1997年10月18日オープンしたビルバオ・グッゲンハイム美術館。美術館前に座る子犬パピーは花を植え替えたばかり

  美術館はネルビオン川に隣接している。カナダ生まれのアメリカ人フランク・ゲーリー設計の美術館は船のイメージ

 ビルバオは世界的著名な建築家の作品が多い。エウスカルドゥナ国際会議場、イベルドローラ・タワー、イソザキアテア(磯崎新)

      ネルビオン川最下流に架かる世界最古の運搬橋ビスカヤ橋。ゴンドラで往復した

 

鉄鉱石が発見されことから、ビルバオは製鉄業や造船業が盛んな工業都市であった。しかし、競争の

激化などによって工業は衰退し、それに伴って町も貧しく荒れて行った。その時、町の再興策として

上がった案は、ここに新しいビルバオの象徴となるような美術館を造ること!早速アメリカのグッゲ

ンハイム協会に美術館分館の建設を依頼する。ちょうど欧州に分館があってもいいな、と思っていた

協会はビルバオに「承諾」の返事をする。1997年10月18日ビルバオ・グッゲンハイム美術館

がオープンするとその波及効果もズンズン出て来るではないか。ビルバオ市は、空港を整備し、地下

鉄や市内トラムなどインフラを整備。製鉄工場や造船所跡には世界的著名な建築家がこぞって腕をふ

るった建築物が完成して行く。フランス人フィリップ・スタルクによるエウスカルドゥナ国際会議場、

アルゼンチン建築家のシーザー・ぺリのイベルドローラ・タワー、磯崎新のイソザキアテア、メキシ

コ人リカルド・レゴレッタのメリア・ビルバオホテルなど、建築物好きで無くてもきょろきょろ眺め

ていたいビルバオではある。次に向かったのは世界遺産に登録されているビスカヤ橋へ。ここは4

前も来た。世界最古の運搬橋で、ネルビオン川最下流に架かる。8分毎にゴンドラが行ったり来たり。

 

            家族経営のチャコリワイナリー「タライベリ」を見学する

            ぶどう畑と巡礼の道を眺めながらワイナリーのテラスで試飲

 

ビルバオの市内見学を終えてゲタリアに向かう。ゲタリアは海辺だが、小高い山を登ったところに、

家族でひっそりと営むチャコリのワイナリー「タライベリ」を訪ねた。チャコリはバスク地方の特産

ワインでアラバ産、ビスカイア産、そしてゲタリア産の3種あり、ゲタリアチャコリは微炭酸。4

目夫婦の長女次女の姉妹が生産経営に当たっていた。ゲタリアチャコリを注ぐ時はちょっと上からね。

昼 ゲタリア「メイフラワー」ミックスサラダ、海老の炭火焼き、鯛の炭火焼き、アイスクリーム、

コーヒー、ビール

 

               左に見える島は「ネズミ島」。サン・サルバドール教会

        世界で初の世界一周に成功したエルカーノはこの村の出身。  レストラン「エルカーノ」は昨年星を獲得した

 

4年前ゲタリアに来た時は、特上のランチを食べた。この小さな村が生んだ英雄の名前を冠した「エ

ルカーノ」で魚介類の炭火焼きを食べたのだが、ナゼあれだけ美味しかったのか不思議な程美味しか

ったのだ。あの店昨年ミシュランの星を獲得したらしいよ。でも今日は「エルカーノ」ではなく海に

面した「メイフラワー」で。スペイン人シェフのご主人を持つ日本人ガイドKさんの話が面白かった。

 

  

          サン・セバスチャンを代表する名門ホテルマリア・クリスティーナに2連泊

         4年前はサン・セバスチャンに3連泊したんだったなぁ。海辺をぷらぷら散歩する

           ホワイトアスパラガスや杏茸、スイカより大きなパパイアが店頭に並んでいた

夕 サン・セバスチャン ホテルマリア・クリスティーナ・テラスバー セルベッサ

 

  

           夕食前にテラスでアペリチフタイム。私はドラフトビールを貰います

 サン・セバスチャン ホテルマリア・クリスティーナ・メインレストラン ポロ葱のクリーム

  スープ イカのタリアテッレ状添え、牛の頬肉の赤ワイン煮込み、パイナップルカルパッチョ

バナナアイスクリーム、マンジャニーア(カモミールティ)、白ワイン、赤ワイン

 

  

 

4時半サン・セバスチャンの町に入る。スペインバスク地方のみならず、スパイン全土の中でも飛び

切り人気の高級海岸リゾート地で「ビスケー湾の真珠」と称されるサン・セバスチャン。9月には国

際映画祭が行われるが、映画祭に参加する著名な監督や俳優達が宿泊するホテルマリア・クリスティ

ーナに私達も投宿するのだ。羨ましいだろ、ふふふ。ところが、チェックイン時から部屋番号は間違

われるし、ステッキ持った婆さんの私に一番遠い部屋をあてがったりするしで、「あ〜ぁ」ってな感

じなのだった。気を取り直して散歩に行くことにする。歩くのがキライな私が散歩なんて珍しい話だ

が、4年前海岸に面したホテルに3泊したこともある懐かしい町でもあるのだ。小1時間で小回り街

歩き終了。今日はこのホテルの食事で、ディナー開始30分前にはアペリチフタイムが準備された。

昼試飲したチャコリやスペインのスパークリングワインのカバなど飲まれているが、私はいつだって

ビールという色気の無さだ。中K子さんが早速参加ご夫妻に渾名をつけている。北のメディチ家代表

とか池田城主の末裔、ロスチャイルド家若頭なんてね。午後8時半メインレストラン(たぶん。でも

他に客はいない)で食事となったが、イカを浮かべたスープはともかく、メイン料理の牛の頬肉の赤

ワイン煮込みはお世辞にも旨いとは言えない。10人中完食者ゼロ。何だかなぁ、楽しみだったのに。

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5月 21日(土)サン・セバスチャンは曇り夕方から雨

朝 サン・セバスチャン ホテルマリア・クリスティーナ 朝食ヴュッフェ

 

  

  朝食ヴュッフェはグッド!   写真左側の丘の上が「モンテ・イゲルド展望台」      貝の形のコンチャ湾

写真真ん中に見えるのがミラマール宮殿    で、ここがミラマール宮殿       夏は海水浴客で賑わう海岸

 

9時現地日本人女性ガイドのO川さんと観光に出発。4年前はフニクラに乗って上った「モンテ・

イゲルド展望台」にはバスに乗って。山の上に下り立つと風がびゅんびゅん。その上展望台に行く

ゲートが閉まっていて、随分迂回して歩いて行った。ここからの眺めはスンバラシイ!バスク地方

の旅なら、表紙の写真は決まってコレ!っていう眺めはここから撮影したものなんだよん。湾の左

側の奥はフランス。国境に近いサン・セバスチャンなのだ。湾の中央部辺りに緑の庭園と茶色の建

物が見える。あれは王妃マリア・クリスティーナが愛したミラマール宮殿だ。それにしても風強い

で〜すぅ!山を下りてミラマール宮殿に行く。今は宮殿はサン・セバスチャン市の所有で公開され

ていないが、庭園は自由に出入り出来る。コンチャ湾を真正面に見渡せる気持ちの良い庭園で、こ

こで王妃マリア・クリスティーナが楽しんでいたかと思うと「チッ!」と舌打ちしたくなる。この

庭、誰と歩いたんだよ!ってね。あとで今週の振り返りを参照くださいな。これから旧市街見物。

昼 サン・セバスチャン ホテルマリア・クリスティーナ客室にて 持参した天ぷら蕎麦、ハワイ

島のクッキー

 

  

 

 サン・セバスチャン ホテルマリア・クリスティーナ「Ca‘fe Saigon」(2人で)

カフェサイゴンインペリアル春巻12.5€、点心3点セット135€、クリスピー北京ダッグ23€、

フォーボー12€、カフェサイゴンンフライドライス10€、ビール、白ワイン43€、赤ワイン

45€ 2人で176€(チップ込み)

 

  

 やっぱりお箸を使う料理は美味しい!

 

最後の旧市街観光を前に一旦ホテルに帰ったところで私は失礼する。旧市街は以前歩いたことがあ

るし、朝から何となく調子が良くないので休むことにしたのだ。添乗員のI川さんから、ランチは

皆さんとバル巡りしてピンチョスでもつまみませんか?と電話を頂いたが、お断りして天ぷら蕎麦

をニカニカ顔で食べた。午後何をしていたかと言えば、湊かなえの「高校受験」を読み、7月大阪

松竹座に行くべくホテルや飛行機の手配をし、数人にメールしそして時々窓から町を見下ろしては

たまに居眠り。至福の時じゃないか!気がつくと、外は雨。あらあら〜、中K子さん夫妻とS夫妻

がレストランに出かける時間には土砂降りになったじゃないか。日頃の心がけか?アハハ。皆さん

を送って来られた添乗員のI川さんとホテルにある「Ca‘fe Saigon」に行く。サイゴ

ンというヴェトナムの地名がついているが、ヴェトナム料理以外中華もタイもあるアジア全般のレ

パートリーを持つ。肉がたっぷりついた北京ダッグには驚いたが、点心もフォーもまずまずの味。

炒飯が一番旨かった。同じ高校の卒業生だから共通の話題も多い。立川の「来々軒」?懐かしい!

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5月 22日(日)フランスバスク地方は午前中雨と強風 午後から晴れ

朝 サン・セバスチャン ホテルマリア・クリスティーナ 朝食ヴュッフェ

 

  

 

午前のお茶 フランス・サン・ジャン・ド・リュズ「何ちゃらいうカフェ」アメリカンコーヒー

 1,7€

 

  

サン・ジャン・ド・リュズにあるフランス王ルイ14世の館               こちらは王妃の館

ルイ14世とスペイン王女マリア・テレサの結婚式が行われたサン・ジャン・パティスト教会   引出物のマカロン

  

     サン・ジャン・ド・リュズの港       茶色の建物は作曲家のラヴェルが生まれた家だ   

 

昨夜降った雨は止まずに今朝も降っている。風も強い。2泊したサン・セバスチャンを後にフラン

ス国境に向かう。すぐフランスに入った。フレンチバスク地方のサン・ジャン・ド・リュズも夏場

は観光客が押し寄せる人気の海辺リゾート地だ。しかし、この街が有名になったのは、ヴェルサイ

ユ宮殿を造り、太陽王として知られるフランス王ルイ14世とスペイン王女マリア・テレサの結婚

式が行われた町でもあるのだ。結婚式が行われたサン・ジャン・パティスト教会のミサでは「初聖

体式」に参加するたくさんの子供達の姿を見ることが出来た。雨風が強くて町歩きや海岸散歩なん

てもっての他。集合場所近くのカフェでアメリカンコーヒーをチビチビ舐めながら雨をやり過ごす。

昼 フランス・サン・ジャン・ド・リュズ「lEphemere」イカとパプリカ炒め、北イタリア

米のシーフードリゾット、アイスクリーム、コーヒー

 

    フレンチバスクのエスプレット村。バスクらしい建物に唐辛子がぶら下がっている

 

サン・ジャン・ド・リュズのレストランでランチ。イカもシーフードリゾットも味は悪くない。しか

し、私は半分も食べられない。蒲柳の質(たち)だから。ってなことも無いが、ちょっと食べるとす

ぐお腹が一杯になってね。しかし、痩せない・・・。ラヴェルの生家を見学してからエスプレット村

に行く。4年前も来たがバスクらしい建物と唐辛子で有名な村だ。唐辛子入りのチョコレートを買う。

 

パラドールに行くにはエレベータに乗って     10世紀ナバーラ王が建てた要塞がパラドールになっている  

要塞は16世紀カルロス5世によって修復された       一般の人も利用可能なカフェの天井も高い!

     客室内部はリノベーションされ近代的。ただ要塞だから窓が狭い      ビダソダ川の向こうはフランスだす

 

夜 スペイン・オンダリビア「arrka berri」(2人で)フレッシュフォアグラのサラダ、

メインチョイス:ポークのサーロインチーズソース、盛り合わせデザート、マンジャニーア(カ

モミールティ)、ビール、白ワインボトル、赤ワインボトル

 

  

 おいしゅうございました

 

今夜の宿は公営ホテルである「パラドールデオンダビリア」である。今朝せっかくフレンチバ

スクの2つの町に行ったのに、またスペインに引き返したってわけだ。スペインのパラドール

は3ツ星から5ッ星まで国内で94あり、ここ「パラドールデオンダビリア」は4ッ星パラド

ールである。10世紀にナバーラ王が築いた要塞を、16世紀カルロス5世が修復したという

建物をリノベーションして1928年からパラドールとして営業している。今朝行ったサン・

ジャン・ド・リュズで1660年挙式したルイ14世とスペイン王女マリア・テレサの二人だが、

パラドールから見えるサンタ・マリア教会でも16606月3日結婚式を挙げたと言うのだが、

一度もしていない私を差し置いてズルいじゃないか。ズルいと言えば、スペイン王フェリペ

4世は、莫大な持参金(50万金エキュ)を支払う条件でフランスとの30年戦争を終わらせ、

娘のマリアを嫁がせたのに、持参金を支払ないまま死んでしまうのだ。閑話休題。パラドー

ルの中には夕食サービスが無いホテルが2カ所あって、何とここがその2つの一つ!ったく

もう!なのである。またゆるゆる動くエレベータで地上に降りてバスに乗り、住宅街にある

レストランに行った。地元民に人気の雰囲気の良い店だった。ここならいいわ。スペインの

レストランはワインがつく所が多いが、ここはテーブル(2人づつ)ごとにボトルで持って

来る。白でも赤でも両方でもいい。こういう店に私は毎日来たい。メイン料理はチョイス。

私は厚切りポークのチーズソースを選択。添乗員I川さんは鮟鱇料理を選ぶ。前菜のフレッ

シュフォアグラサラダもデザートも良い。遅く始まるスペインの夕食。やっと日が落ちた。

             _______________

【今週の振り返り】

マリア・クリスティーナは23歳でスペイン王フェルナンド7世と結婚してスペイン王妃と

なった。夫のフェルナンド7世は、マリア・クリスティーナの母の兄、つまり伯父さん。そ

の上父親の妹が嫁いだ相手でもあった。伯父であり、義理の叔父に嫁がされたのだよね。昔

はそんなことよくあったらしいが。フェルナンド7世は3回結婚しても後継ぎに恵まれず、

4人目の嫁マリア・クリスティーナに望みをかけた。しかし、彼女が生んだ2人はどちらも

女の子だった。

 

結婚から4年後に夫のフェルナンド7世は死去し、娘のイザベルがイザベル2世として即

位する。そこに「待ったぁ!」をかけたのが、フェルナンド7世の弟のモリナ伯カルロス

だったからタイヘン。それから国を二分するカルリスタ戦争に突入していく。マリア・ク

リスティーナは娘の摂政を務めながら巧妙に立ち回り、娘の王位を守ることに成功した。

ま、こう言った王位継承を巡る争いは古今東西老若男女にゴマンとあるが、私がここで書

きたいのは違うこと。マリア・クリスティーナのシタタカさというか大胆不敵というか言

語道断の振る舞いついてだ。

 

マリア・クリスティーナは夫フェルナンド7世が亡くなってから僅か3ヶ月後、かねてか

らの愛人であった宮廷警護官のムーニョスと再婚してしまう。何と大胆な!私ならそんな

ことトーテー出来ん!(キミはこの際どーでもよろしい。はい)。しかもしかも、ムーニョ

スとの間にポンポンポンと子供を産む。7人も!!!あれだけ男子の誕生を願って叶わな

かったフェルナンド7世が墓下で怒り狂ってしまこと必至。7人の中には4人も男の子が

いたのである。昔の子供は夭逝することが多く、19世紀の前半でも成人することを有難

いと思う時代だったが、この7人は揃って成人(17歳と18歳で亡くなった男子もいた

が)した。

 

もう一つ驚くことに、マリア・クリスティーナは自分の再婚も7人の子供の出産も隠した

ままにしておこうとしたのであーる。そんなことムリだべ、マリア。で、やっぱりバレた。

当たり前だのクラッカーだ。人々は怒る。軽蔑する。王妃が王の死去3ヶ月後に平民出身

の近衛兵を愛人にしたばかりか、結婚までしてうじゃうじゃ子供産んじゃったというのだ

から。マリアは摂政の地位から引きずり降ろされる。その時「そんなセッショウナ」と言

ったかどうかは知らない。夫と共に追放されたマリア・クリスティーナだったが、14歳

になった娘イザベル2世が実権を取ると許されてスペインに戻ることが出来た。イザベル

2世は継父のムーニョスと腹違いの弟妹達全員を貴族に列した。何て心の広いイザベル!

彼女の狙いが何だったのかは知らないが。

 

しかし、スペイン国内でのマリア・クリスティーナの不人気はイカンともしがたい。さし

ものマリアも、これはイカンと夫と7人の子供を連れてフランスに亡命することにした。

フランスのル・ア―ブルで72歳の波乱に満ちた人生を閉じる。サン・セバスチャンでは、

そのマリア・クリスティーナが命じて造られたミラマール宮殿の庭園を散歩し、彼女の名

前を冠されたホテルで飲み、食べ、風呂に入り、眠ったのだよ。

 

           みんニャ好きに生きるがよい!

 

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