パクパク日記16年10月1週
熱海から帰って週末には秋深いドイツに飛んだ
八代芝翫襲名披露 ベートーヴェン音楽祭
10月 3日(月)熱海は一日雨
朝 熱海・東急ハーヴェストクラブ熱海伊豆山「オリーヴァ」朝食ヴュッフェ2052円
熱海は生憎のお天気なので朝からカレーだ
昼 東急ハーヴェストクラブ熱海伊豆山「ラウンジ」ミックスサンドイッチ864円、コーヒー540円
ホテルランチはサンドイッチのみ
昨夜から熱海に来ている。4日前に膝の手術をしたのでドクターから温泉は禁止!と命じられた。温
泉無し熱海なのある。海が一望に出来る客室なのだが、カーテンを引いてみるとどんよりした曇天。
ふ〜ん、天気までそう来たか。いいもん、今日はどこにも行かず本でも読んでいるからさ。ゆっくり
朝食会場に行ったら「満席なので名前書いて待っていなさい」。「はい」。野菜や豆腐などをオカズに
納豆カレーを主食にしようか。え?いつもそんなもんでしょ、って?否定はしない。カレーは工夫の
余地ありありだな。もっと美味しいカレーを頼む!ランチは「ラウンジ」でミックスサンドイッチだ。
夜 東急ハーヴェストクラブ熱海伊豆山「コート・エ・シェル」ジュイールコース1万2960円(ア
ミューズブーシュ、オードブル盛り合わせ:セップ茸のサラダ仕立て・蕪のムース・ほろほど鶏
・バイ貝のソティ、コンソメスープ茸のロワイヤル添え、グラニテ:バタフライピートトロピカ
ル、3週間熟成群馬牛ロースステーキ、ガーリックライス、カラメル風味のムースグラッセ、カ
モミールティ、プチフール、誕生祝いチョコ)、生ビール、赤ワイン:シャトー・ラグランジュ
(ボルドー)1万6200円
マンプクじゃ!
ハーヴェストクラブの売店はなかなかに充実している。どこに行っても買ってしまう。今日もどっさり。
夕食はフレンチの「コート・エ・シェル」。夏の熱海名物の花火がよく見えるロケーションにあるレス
トランだ。今夜はカラダの半分ほどが足という羨ましいソムリエS谷氏はいなかったが、修行中という
若い女性が応対してくれた。過去私が飲んだワインの記録があるらしくあれこれとアドバイスをしてく
れる。残りはあなた飲みなさい。こちらでも誕生日祝いをして頂き恐縮した。ガーリックライス旨し!
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10月 4日(火)晴れ 気温32度!10月では37年ぶりの暑さ!
朝 東急ハーヴェストクラブ熱海伊豆山「㐂楽」うどん膳2052円
昼 東京駅大丸「THE TOKYO PHOENXE」五目そばのランチセット(五目そば、点心2種、杏仁豆腐)
@1940円
この店の常連みたいになっちゃったよ
今日は見事に晴れた。人間面白いもので、晴れた日と雨の日では気分が全く違う。朝から♫ルンルン。
朝食はお気に入りの「㐂楽」の和定食。4種ある中でどれにしようかいつも迷うが、今朝はうどん定
食にした。「二日酔いの朝に最適」と書いてある。焼酎ボトル1本飲んだけど、別に二日酔いという
ことではないけど。毎回思うのだが、魚の開きって、ホント食べにくい!箸だけではムリだよねぇ。
熱海から帰って、ランチはいつものように「大丸」レストラン街で中華だ。好きだねぇ、あなたも!
夜 舟町「おちあい」お任せ(いろいろ茸のおろし和え、玉こんにゃく、揚げ銀杏、和風しゅうまい、
カンパチのかま焼き、イカ揚げ、よもぎ蕎麦、チータンタン、タカミちゃんの秋映りんご)、ビ
ール小、麦焼酎 @4500円
皆さんとタカミりんご
帰宅すると、カタカナ会社時代秘書をしてくれたK澤さんから誕生日プレゼントが届いていた。働
きながら育てられたお嬢さんからのお手紙も添えられていて、随分大きくなられたことがうかがわ
れる。毎年ありがとうございます!金曜日から出かけるドイツの旅の添乗員から電話があった。私
だけ一人別ルートで行き、フランクフルトで待ち合わせることになっている。今日は家食のつもり
でデパ地下でお弁当を買って来たのだが、急にビールが飲みたくなって「おちあい」に行く。お弁
当は明日の朝ご飯と歌舞伎座のお弁当にすればいいや。タカミちゃんの秋映りんごもオミヤで持参。
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10月 5日(水)曇り 夜半に凄い風!
朝 家食 RF1の野菜いろいろ弁当、豚汁
昨夜食べる予定だったお弁当
昼 歌舞伎座客席にて RF1の野菜と海老サンド
10、11月と2ヵ月に渡る八代中村芝翫以下親子4人の同時襲名披露公演が始まった。昼の部に行
くと新芝翫夫人の三田寛子が大勢の人に囲まれて笑顔を振りまいていた。あのお灸すえ事件ってのは
この興行のパブリシティではないかと思ってしまうよね、やっぱり。先ずは、中村国生改め四代目橋
之助、宗生改め三代目福之助、宣生改め四代目歌之助の三兄弟襲名を寿ぐ新作舞踊。次は新芝翫の甥
で三兄弟には従兄弟にあたる七之助の「女暫」。お兄ちゃんの勘九郎は真田芝居の方で多忙らしく出
演していない。もう1人の三兄弟の従兄弟の児太郎は女鯰若菜役で出演している。その児太郎は3つ
目演目でも「お染久松」のお染。久松は松也、猿曳は今回オジサンではなく美しい女猿曳で菊之助。
最後は新芝翫の襲名演目の「極付 幡隋長兵衛」。長兵衛は当然新芝翫。女房お時に雀右衛門、水野
十郎左衛門に菊五郎。大きな長兵衛ではあったが、力み過ぎなのか大時代的だから観る方は少々肩が
凝るぞ。襲名披露が続くが、その度に観劇料がボンと上がる。一等席は1万9千円、昼夜で3万8千
円。そうこうしているうちに年が明け新年価格は1万9千円になったり。松竹さん、これってどうよ。
夜 家食 玉ねぎ揚げと九条ネギと卵の関西風うどん、RF1野菜十種のカツ、トマト、秋映りんご
「おちあい」風にりんごの皮ちょっと残して
舞台がはねてから銀座三越の地下に行く。たまには夕食もカンタン家食+無酒日にしようと思ってね。
ご飯は炊かないからいつも具だくさんのうどん系になってしまうけど。「三越」で売っている玉ねぎ揚
げが好き。カツの中身は野菜。これでは蛋白質不足の食事。夕方熱海から送った荷物が届いた。無酒日
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10月 6日(木)台風一過の晴天 今日も暑い!
朝 家食 玉ねぎ揚げと九条ネギ卵の関西風うどん、RF1の桜島鶏唐揚げ、トマト、秋映りんご
昼 無し!
遅い夜 舟町「仙水」お通し:小松菜・菊花・松茸と粒蕎麦、釧路の牡蠣フライ2000円、卵豆腐と
舞茸の揚げ出汁2400円、ハタのお頭酒蒸し3800円、生ビール2杯、麦焼酎 @1万2890円
昼食も抜いて、朝から旅支度とパクパク日記作成に没頭した。集中してやった甲斐あって午後8時過
ぎようやく9月3週を作り終えた。アップは明日朝だ。それから何と来年3月の国内宿の予約を始め
た私。気が早いんだわ。人気旅館2軒を2泊ずつ。楽しみ楽しみ。サッカーイラク戦。前半原口がシ
ュートを決めて1−0でリード!たぶん勝利出来るだろう、と遅い時間「仙水」に出掛けた。ビール
を飲んで暫くしてネットでチェックすると、あれまぁ、イラクに1点返され引き分けじゃないか。ダ
メじゃん、それじゃあ。今の監督になってから何だか代表チームに覇気が感じられんなぁ。それはそ
れとして、牡蠣フライの季節になった。これから半年は楽しめるぞ。ハタのお頭酒蒸しが豪華である、
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10月 7日(金)日本は曇り ドイツフランクフルトも曇り気温13℃
第1食 羽田空港ANAスィートラウンジ きつねうどん、お稲荷さん
第2食 ANA羽田=フランクフルト ファーストクラス機内食(和食)
第3食 ANA羽田=フランクフルト ファーストクラス機内食 一風堂味噌ラーメン
第4食 ANA羽田=フランクフルト ファーストクラス機内食 サラダ、ANAオリジナルスープ、ANA
オリジナルカレー
6時起床。シャワーを浴びてから、昨日作成し終わったパクパク日記をUPした。いい加減なところ
も多い性格だが、基本はマジメなんだよね、私って(笑)。しかし、大ボケでもある。迎えに来てく
れた日交の運転手さんに「羽田空港第2ターミナルまで」と目的地を伝え、第2ターミナルに到着し
た時は「なるべく先の方に停めて下さい」なんてお願いしている。その途端、私は気がついたのだ。
(遅いんだよ!それじゃぁ)私はドイツに行くのだから、国際ターミナルに行かねばならなかった。
すみません、ホントすみませんと運転手さんに平謝りしながら国際ターミナルへ。早めに出たから
間に合ったけど。ツァーの皆さんは成田空港かオランダのアムステルダム経由でフランクフルトに
向われる。私は「直行便があるんだから」と別行動で一人ANA利用してフランクフルトに向かう。
ダイヤモンド会員の権利アップグレードポイントを使ってファーストクラスを予約している。チェッ
クイン時、フランクフルト空港到着時、車椅子の手配+第1ターミナルから第2ターミナルの移動ア
シストまで依頼しちゃった。乗り継ぎでも無いのにこんなお願いしてスミマセンね。ファーストクラ
スは8席あるが、乗客は私1人。1K席だったが、全部空いているので1Aに変更。食事は和食にし
たらコースのように料理が運ばれて来る。映画「シン・ゴジラ」を観た。怪獣モノというより、縦割
り行政における高級官僚の仕事の仕方って感じの内容だった。無人の新幹線やJRの電車がゴジラに
向かって突進していく様がカンドー的だった。隣席にベッドを作って貰ったがたいして眠らないで起
き出した。起きていると腹が空く。味噌ラーメン食べたのにカレーまで食べてしまって。ダメだよん。
第5食 ドイツ・ボン 「ヒルトン・ボン」客室にて おにぎり、ウィスキー
ジュニアスィートにアップグレードしたら、ムダに広過ぎる部屋で・・・
予定より40分も早くフランクフルト空港に到着した。機内を出たところに屈強な男性が車椅子と共
待機していた。出国手続きして、スーツケースをピックUPし、第2ターミナルのアライバル口まで
送ってね、というリクエストを英語→ドイツ語で依頼し、質問がドイツ語→英語→日本語に訳される
からヤタラ時間がかかる。ようやく希望を理解して貰うと彼は走るように私の車椅子を押す。ピュ〜
〜ッ!風切って〜〜。彼の手は塞がっているからピックUPしたスーツケースは私が持つことに。あれ
よあれよと第2ターミナルへ。これでビール飲んで、とチップを渡すとニッコリ笑った。ありがとう!
ここで2時間待ったところで現地ガイドのキヌコさん登場。二人でお喋りしているうちに、グループ
本隊が到着。添乗員T沼さんと参加者9名の方々だ。大型バスでボンに移動。客室は広過ぎだわなぁ。
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10月 8日(土)ドイツ・ボンは晴れ 1€ユーロ=約120円
朝 ボン「ヒルトン・ボン」朝食ヴュッフェ
客室窓からライン川と橋が見える 大聖堂前のワンちゃん
630年かかって完成したケルン大聖堂 3人の賢者の聖遺物宝庫 美しいステンドグラス
大聖堂横にある「ローマゲルマン博物館」では、ローマ時代のガラス工芸展が開かれていた
西暦2世紀、3世紀にこんなセンスの良いガラス工芸が作られていたとは!
大聖堂横の広場にローマ時代あった屋敷 床の豪華なモザイク細工 宝飾品も豪華
昨夜は遅く寝たのに、今朝は5時半に目が覚めた。海外に到着した翌日はいつもこんな感じだ。昨夜
手続きをしたのにWi-fiがすぐ切断されてしまう。ドイツのホテルでは客室内利用は有料だったりで、
Wi-fi環境は決してよくない。特段美味しくもない料理が並ぶヴュッフェで朝食を済ませ、今日の観
光場所ケルンに向かった。ライン川の河畔に位置するケルンは紀元前のローマ時代から開けた街だ。
暴君で知られるネロの母親アグリッピーナはケルン出身。世界遺産の大聖堂は以前も来たことがある
ので「そうだったねぇ」と軽く見学し、その隣にある「ローマゲルマン博物館」に興味津々である。
果たして現在開催中の「ローマ時代のガラス工芸展」が素晴らしかった。ホントに紀元2世紀とか
3世紀にこれほどのガラス工芸が作られていたなんて信じがたいよ。ただただ溜息ついて見入った。
昼 ケルン ビアホール「Fruh am Dоm」コンソメスープ、サラダ、ソーセージとポテト、テ
ィラミス、ケルシュビール2€
1725年から建設が始まったアウグストゥスブルク城は世界文化遺産
城には見事なバロック様式のシュロス庭園があり、たくさんの花々が咲き乱れていた
豪華な城内の写真はあり物を拝借。昨年エリザベス女王が訪問された
土曜日とあって結婚式カップルも 城の真ん前にはブリュール駅 この大型バスで移動
ランチはケルンの地ビールであるケルシュビールのビヤホールで摂った。ビヤホールとはこんなも
のかもしれないが、予約してある席を違うグループに明け渡してしまうわ、山のようなジョッキを
抱えるスタッフは客とぶつかっても知らん顔だし・・。だからというわけではないが、ケルシュビ
ールは好みではない。スープ塩辛く、デザートは甘過ぎ。ここケルンはオーデコロン発祥の地。ド
イツ語でケルンはコロンなのだ。午後はブリュールにあるアウグストゥスブルク城に行く。選帝侯
でありケルン大司教によって建てられたロココ式の宮殿で、かつては国賓をもてなした。世界遺産。
夜 ボン「DIM SUM」(自由食・7人で)腸粉、焼き平米粉、空芯菜炒め、チャーハンなど、
白ビール、赤ワイン @20€
マルクト広場で希望者は中華料理の夕飯あるよ
5時半ボンのホテルに帰る。今夜の夕食は自由食。希望者は添乗員のT沼さんと中華料理を食べよう
ということになった。徳島県から参加されたI井さん&М尾さん母娘と男性旅友のK崎さん。お母様
は足が不自由なので、タクシーで行かれるという。じゃ、私も乗っけて!と4人でマルクト広場まで
行った。2階の店だったのは誤算だったが。7人だからテキトーに料理頼んでシェアしましょう、と
話がまとまったところにトイレから帰って来たT橋さん。「自分で好きなモノ食べればいいじゃない」。
これでプランはぶち壊しだ。ハハハ。じゃ5人でひっそりシェアしましょうか。ご飯モノが旨かった。
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10月 9日(日)ドイツ・ボンは晴れ
朝 ボン「ヒルトン・ボン」朝食ヴュッフェ
ホテルのすぐ裏はライン川がたゆたゆと流れる ヒルトン・ボンの外観
ボン市内のベートーヴェンの生家 現在は博物館になっている 右側アパート建物の屋根裏部屋で誕生
生家の庭にあるベートーヴェン胸像 昭和天皇陛下訪問記念の銀杏の木がこんなに大きくなって
昼 ボン「Em Hoettch」ブロッコリーのクリームスープ、サラダ、ローストチキンほうれん草包み、
コンポートデザート、コーヒー3€
今日は徒歩でボン市内観光する。I井さん&М尾さん母娘と私の3人は、徒歩観光はシンドイので、
後刻ベートーヴェン博物館で待ち合わせすることに。それまで少し時間があるのでライン川沿いをし
ばらく散歩。15分で到着すると考えたベートーヴェン博物館は存外遠く、5分遅刻してしまった。
ピンクの家が生家だ。もっとも道に面した建物は大家が住み、店子であったベートーヴェン一家は裏
のアパートに住み、その屋根裏部屋で1770年に誕生した。博物館内はどの部屋も狭く、大きな荷物
は持ち込みを禁じられている。ベートーヴェンが使ったビオラや小さなオルガンなど展示されていた。
昨夜夕食を摂ったマルクト広場にあるレストランで昼食。ボンの中で一番古い歴史を持つ店だそうだ。
ボンのベートーヴェン・ホール前のベートーヴェン像 ホール内部にもベートーヴェン
ロンドンフィルの指揮はケンブリッジ大卒のサー・ジョン・エリオット・ガーディナー
今夜はベートーヴェン音楽祭の最終日。その演奏を聴きにベートーヴェン・ホールに行く。例の4人
組はタクシーで。演奏前に今日の演奏曲目についての懇切丁寧な説明会があったが、ドイツ語なので
何を言っているのかサッパリわからん。7時から演奏が始まった。曲目はベートーヴェン・序曲「レ
オノーレ」第3番、ベートーヴェン・カンタータ「静かなる海と楽しい航海」、メンデルスゾーン・
交響曲第2番「讃歌」の3曲。オケはロンドン交響楽団、指揮者はケンブリッジ大で音楽を学んだと
いうサー・ジョン・エリオット・ガーディナー氏だった。何だかとてもアカデミックな感じ素敵です!
カンタータにはモンテヴェルディ合唱団、メンデルスゾーン「讃歌」には合唱団とソプラノ始めソリ
ストも加わって大熱演。ファーストカテゴリーの席で大迫力の演奏に酔いしれた。来て良かったなぁ!
遅い夜 ボン「District Моt」(自由食・6人で)揚げ春巻3,5€、フォーボー9,5€、
ビール大3,9€ @20€
音楽会が終わってホテル前のベトナム料理屋に希望者が集まったのは、夜10時を過ぎた頃だった。
お腹空いたぁ。とはいえ夜も遅いので、揚げ春巻とフォーで軽くしましょうか。ザラザラした感触の
ちょっとヘンテコなフォーだったが、スープは美味しい。3泊したボンとも明日の朝でお別れである。
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【今週の振り返り】
昨年は、6月にドイツ・ライプチヒでバッハ音楽祭の2つのコンサートを楽しんだ。今年は同じドイ
ツのボンで開催されたベートーヴェン音楽祭に行った。この音楽祭はベートーヴェンの生誕75周年
にあたる1845年に初めて開催された。以来断続的に開催され、1999年からは毎年開催されている。
9月から10月にかけて、ベートーヴェンの生誕地ボンを中心に各地で大小60から70のコンサート
が開かれると聞いた。私が鑑賞したのは、音楽祭の最終日10月9日のクロージングコンサートであ
った。場所は1959年に完成したベートーヴェン・ホールである。
日本では「楽聖」とも讃えられるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、1770年12月16日ド
イツのボンで生まれた。バッハ一族ほどではないが、祖父、父いずれも音楽家だった。祖父はフラ
ンドル地方からボンにやって来て、アウグストゥスブルク城を建造した選帝侯に認められてケルン
宮廷楽長として活躍した。名前のヴァンvanは、ベルギー(フランドル)出身であることを示して
いる。ほら、画家のゴッホもヴァン・ゴッホでしょ。貴族の身分を表わすvonは一字違いで間違い
やすい。だから後に過ごしたウィーンでベートーヴェンを貴族と思っていた人もいたらしい。父親
も宮廷歌手(テノール)だったが、酒飲みで生活は荒んでいた。財政的な援助をしてくれた祖父が
亡くなるとたちまち生活は困窮。ここで飲んだくれのお父っつぁんは思いついた。「そうだ、モーツ
アルト式だ!」音楽の才能がありそうな長男のルートヴィヒに虐待に近いスパルタ音楽教育を施し、
モーツアルトの父親がやったように「音楽の天才」として売り出して稼ごうとしたのである。そん
な風に音楽を強制された少年は、一時音楽そのものにイヤケがさしてしまったことさえあった。そ
して8歳のルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンはケルンの演奏会に出演した。
16歳の時、ウィーンに旅行して憧れのモーツァルトに会うことが出来た。よっしゃー!モーツァ
ルトに弟子入りするぞー!と張り切ったルートヴィヒだったが、ボンから悲しい知らせが届いた。
最愛の母親が危篤と言う。あぁ〜〜。絶好の機会を泣く泣く手放して、彼はボンに帰った。結核
を患っていた母親はその数日後亡くなってしまう。自暴自棄の父親はアル中で宮廷歌手を失職。
それからは幼い弟妹の面倒から生活費を稼ぐ役割までが16歳のルートヴィヒの両肩に課せられ
たのだ。ここまでの彼の人生、何て悲しくムゴイのでしょうか。涙がホロホロ流れます。しかし、
そんな彼にもようやく幸運がやって来た。ホッ。ロンドンからウィーンに戻る途中で、交響曲の
父と言われたハイドンがボンに立ち寄った。キミ、なかなか才能あるねぇ、ウィーンに来て僕の
弟子になりたまえ。ルートヴィヒは11月ウィーンに引っ越す。22歳の時だ。
こんな調子でベートーヴェンの生涯を書いていると、いつ終わるかわかんないからこの辺で止め
るけど、ウィーンに移ってから、新進気鋭のピアニストとして人気を博し、多くの女性にブイブ
イ言わせた時代もあったと知ればちょっと安堵する。しかし、それはほんの短い時間のことであ
って、彼は音楽家として致命的とも言える「聴覚」を無くしてしまうのだ。聞こえる音がどんど
ん弱くなって、やがて全く聞こえなくなった。自殺も考えた。遺書も書いた。それでも、ルート
ヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは絶望の淵から立ち直って、あれだけの名曲の数々を生み出す
ことになる。彼の音楽に対する情熱は、これほどの困難をも乗り越えさせたということだよなぁ。
凡人にはわからん。
3番「英雄」、5番「運命」6番「田園」、9番「合唱付き」などの9つの交響曲、今回音楽祭で演
奏された「レオノーレ」序曲など管弦楽曲、「皇帝」などの協奏曲、「春」、「クロイツェル」などの
ヴァイオリンソナタ、「悲愴」、「月光」、「テンペスト」などのピアノソナタなど、素晴らしい作品
を残したルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。家族の生活を支える苦難の少年時代を送った
彼だったが、晩年まで苦労は続くのだ。非行に走ったり、自殺未遂事件を引き起こしたり、問題を
起こし続ける弟の息子甥カールの後見人としても悩み多い日々を送っている。息子だった時も兄と
しても、そして伯父としてもルートヴィヒは苦労が絶えないわなぁ。彼は1827年肝硬変で56歳の
生涯を閉じる。ウィーンで行なわれた彼の葬儀には、2万人もの人々が弔問に押し寄せたという。
苦難に満ちた生涯であったが、ルートヴィヒの音楽は多くの人々に届いていた。作曲家として尊敬
されていた。彼の作品と業績は社会に認められていた。そのことが、彼の人生をカンタンに振り返
った身としても報われたような気がするのだ。
「良かったね、ルートヴィヒ。ゆっくり休んで。ありがとう!」
いがっだニャス ニャまってニャ?