パクパク日記16年11月1週
エディット・ピアフ生誕100周年。秋のパリでシャンソン
エディット・ピアフ 夜のエッフェル塔
10月 31日(月)晴れ
朝 家食 卵ときゅうりトーストサンド、トマトスープ
京都で買って来たサンドイッチをトースト
昼 家食 カツトーストサンドと卵ときゅうりトーストサンド、オニオンスープ
朝からせっせと働く。明日の朝には出発だと思えばさすがの私もお尻に火がつく。こういう時(だけ)
は自分に厳しくする。決して休憩させず集中させること!その甲斐あって昼前には旅の準備は8割が
た出来た。ヨシ!やれば出来るじゃないか!ハイ。こんな日になることを予想して、昨日京都駅新幹
線ホームにあるサンドイッチ屋で2食分を買って来た。これがあれば、外に行く必要が無いからね。
夜 荒木町「やくみや」お通し:牛肉とモロッコ隠元の山椒和え、ポテトサラダ500円、蕪とクレ
ソンサラダ700円、ピータン冷奴700円、特大キャベツ焼売400円、牡蠣フライ700円、キーマ
カレーと味噌汁、生ビール2杯、麦焼酎1、5合 @6800円
やった!午後7時半パクパク10月2週完成!旅準備が出来たらこれに取り掛かった。私の人生でこ
んなに集中するってめったにないからなぁ。朝準備した3通の郵送物を投函してから「やくみや」に
夕食を食べに行く。ポテトサラダ、牡蠣フライ、キーマカレーと私の大好物がメニューに並んでいて
嬉しいぞ!旨い!ここ暫くはリーグ優勝だ、クライマックスシリーズだ、日本シリーズだとプロ野球
ファンでも無いのに、試合経過をウォッチングして来たから、終わってみると何だか腑抜けのようで。
_______________
11月 1日(火)東京は午前中雨 パリは晴れ 1€(ユーロ)=約118円
第1食 羽田空港JALラウンジ
「朝からカレー」嬉しいな ♫
第2食 JAL羽田=パリ ビジネスクラス機内食(和食)
和食はあの「くろぎ」が監修したメニューですってさ
第3食 JAL羽田=パリ ビジネスクラス機内食(醤油ラーメン、フルーツ)
あまり旨く無い・・
5時半起床。短い睡眠時間の上、夜中に何度も足が攣って全然熟睡出来なかった。寝る前に「ツム
ラ」の68を飲み、冷えるのが攣る原因と昨夜はスパッツもソックスも履いたまま寝たのになぁ。シ
ャワーを浴びてからパクパク日記をUPした。出発の日なのに生憎の雨。羽田空港からチョー久々
のJALに乗る。ANA派だから。新しいJALのビジネスシートは今回が初めて。JALスカイ
スィーツっていうシートらしいよ。ふーん、まぁ、なかなかの出来かも。指定するなら断然AかK
の窓際席がいい。数年JALを避けていたのは機内食が美味しくないからだったが、改善は見られ
た。映画は「シン・ゴジラ」も「君の名は。」も観てしまったので、大竹しのぶ主演の「悪妻業の
女」を観る。直木賞受賞作家黒川博行氏の原作だが、ほぼ同じような事件が実際京都であったよな
ぁ。あの事件より、原作が発表された方が早いんだってさ。大竹しのぶは巧い、やっぱり。多くの
映画にちょいちょいと出演している鶴瓶。彼はどの作品でも堂々の存在感があるからたいしたもの
だ。アニメ「ペット」を暫く観たところで機械の故障で画面が消えた。いつの間にかうたた寝。目
が覚めると機械が直っていた。じゃビデオ観よう。「ためしてガッテン」はコーヒーの巻。この頃
はマミちゃんが出演していたから安心して観ていられた。「YOUは何しに日本へ?」ではチリの
ラーメン好き青年セバ君が20万円持って日本中のラーメンを制覇する最後の会だった。彼のラー
メン食べっぷりが小気味よく、番組を観終ったら無性にラーメンを食べたくなった。そうだ、こ
こは飛行機だからラーメンもすぐ食べられるじゃないか。「すみませーん、ラーメンくださーい!」
夕暮れ時のパリ市内 何度も泊まっているインターコンチネンタルホテル ル・グラン
オペラ座ビューの客室を指定すると、こんな部屋に
第4食 パリ「カプシーヌ カフェ」(9人で 自由食)フランス南西部の鴨の自家製フォアグラトースト21、
5€、オニオングラタンスープ11,6€、生ビール大⒑,5€、白ワイン10,5€、赤ワイン13、2€
@75€(チップ込み)
2階はこんな照明だから料理がピンクに!
午後3時15分、予定より30分早くシャルル・ドゴール空港に到着した。車椅子をお願いしていたのだ
が、エコノミー席に客もぜーんぶ下りてから出口に行ったのにも関わらず「あと15分程お待ち下さい」
なんて言われてしまった。そんなにグループの方を待たせるわけに行かないので、トボトボ歩くことに。
幸い近いゲートで助かった。今日からオペラ座隣のインターコンチネンタルホテル ル・グランに5連
泊。大のお気に入りのホテルだから嬉しい。しかもオペラ座ビューの客室を依頼したら、バルコニーか
らバッチリオペラ座を拝める景色でね。ルンルン♩ 希望者は夕食に出掛けることになり、どこに行くか
添乗員のK木さんに相談された。「そりゃすぐ近くのあそこがいいわよ」。成田でおにぎり買って来たけ
ど私も行くかな。定休日は無し!午前1時半まで営業、しかも日本語メニューありなので私はタイヘン
重宝するこのカフェに度々来ているのだ。ホテルから近いってのもいいし。ビールグビグビ、プッハー!
_____________
11月 2日(水)パリは曇り午後から晴れ
朝 パリ・インターコンチネンタルホテル ル・グラン「カフェドラペ」朝食ヴュッフェ
ウェスタンにジャパニーズにチャイニーズ料理が揃ったカフェドラペの朝食ヴュッフェ
シテ島にあるノートルダム寺院 パリの空の下にセーヌは流れる なんちゃって
コンコルド広場のオベリスク 遠く凱旋門が見えるシャンゼリゼ通り 凱旋門
パリのシンボル、エッフェル塔も完成当時は鉄製ということでパリっ子に不人気だった
ニコライ2世からパリ万博に合わせて寄贈されたアレクサンドル3世橋は美しさで有名
昼 パリ「グランカフェ カプシーヌ」ランチセット(山羊のチーズのラザニア仕立て、サーモンフ
ィレのグリル)24€
5時半起床。寝ながらも足の痙攣と戦っていた。今日は11月2日。亡き父の誕生日だ。生きていれば
109歳かぁ。この客室、眺めは最高だがシャワーのお湯の出がちょろちょろと頼りない。久々の「カ
フェドラペ」の朝食。かなり前から日本食コーナーはあったが、数年前から中国料理コーナーも出来
た。日本食は味噌汁の味が安定しないのが難。その点、シーフード中華粥は生姜が効いていて旨い!
クロワッサンは大した事無いがマンゴーやパパイアがドカンと置いてある太っ腹なヴュッフェである。
今日の午前中はパリ市内観光。時には一年に何度も来てしまうようなパリだが、市内観光というのは
数える程しかしていないなぁ。ノートルダム寺院は37年前初めてヨーロッパを一人で回った時に来て
以来だ。しかし寺院までかなり歩くと聞いて断念。今日は膝が痛くて。それでも陽気なバスの運転手
さんが停車出来る場所を探してあちこち走ってくれたからドライブ気分を楽しんだ。観光名所どころ
を回り、エッフェル塔の撮影タイムには朝からの曇天に青空も見えて来た。ホテルで解散して希望者
はランチへ。昨夜の「カフェカプシーヌ」とはオペラ座を挟んで反対側にある「グランカフェ カプ
シーヌ」。こちらの方がレストラン風のせいかちょっと融通がきかない面もある。2コースのプリフィ
クスランチ。長い名前にラザニアとついていたから熱々の料理をイメージしていたら似ても似つかぬ
料理が登場して注文した人はビックリ!食欲があまり無くサーモンは2口食べて隣の人に差し上げた。
100年前の12月19日、エディット・ピアフはパリ東部20区ベルビルのこのアパートで生まれた
エディット・ピアフの熱狂的ファンのムッシューが管理する私立「エディット・ピアフ博物館」
ピアフが眠るペール・ラシェーズ墓地 在りし日のエディット・ピアフ
午後は「エディット・ピアフゆかりの地を巡る」というオプショナルツァーに参加した。車はパリの
東部に向かって先ずは数奇の運命を辿るエディット・ピアフが誕生した場所へ。ベルビルは今やチャ
イナタウンの様相となっているが、100年前坂半ばのアパートで彼女は生まれた。アパートの前の階
段で産み落とされたなんて一説もあるらしい。生後すぐ母に捨てられ、母方の祖母、そして父方の祖
母に預けられたからベルビルの記憶は無いだろうが。次は18歳の時1年間住んだアパートの一室が
保存された博物館へ。狭い室内なので事前予約制だ。4階、日本式なら5階の一部屋は熱狂的ファン
のムッシューが個人的に管理公開している私設の博物館だ。所狭しとピアフの遺品が陳列されている。
黒しか着なかったというステージ衣装、イブ・モンタンなど親しかった人々との写真、数々のゴール
ドディスク・・・。部屋には小さく、エディット・ピアフが歌うシャンソンが流れて。良い時だった。
最後は彼女が眠るペール・ラシェーズ墓地へ。墓地を1万歩歩くと言われもちろんバスで待つ。彼女
が葬られる日、パリ中の商店が店を閉め、数万人の人々がこの墓地に集まって別れを惜しんだと言う。
夜 セーヌ川クルーズディナー:アミューズ、鴨のフォアグラのテリーヌ、小鴨のフィレのロースト
野菜添え、チーズ、ライムとココナッツ風味のパイナップル、シャンパン、白ワイン、赤ワイン
シャンソン歌手ナディーヌ 特別ゲストの加藤登紀子さんも熱唱 ♪ 百万本のバラの花を〜
「オペラ」の作詞者と談笑中 1時間毎にキラリンコのエッフェル塔 セーヌ川シャンソンディナークルーズ
加藤登紀子さんの特別コンサートは明日の夜だが、今夜は前夜祭ともいうべきセーヌ川シャンソン
ディナークルーズである。セーヌ川には昼も夜も多くの船が行き交い、多くの人々がクルーズを楽
しんでいる。ただ航行する船、食事付きの船・・。その中で私達が乗り込んだBateaux Mouchesは
この夜セーヌ川で最も贅沢だったのではないか。参加した旅行社主催のディナーコンサートに申し
込んだ60人位の貸し切り!コース料理に2人に1本ワイン付くが誰も飲まないから私ひとりガブ
飲みする(笑)。8時前出航。一昨年の大晦日ギックリ腰に泣きながらカウントダウンクルーズと
ほぼ同じコースだ。シャンパンで乾杯!特別ゲストの加藤登紀子さんともカチンと乾杯したぞ!
フランス人シャンソン歌手ナディーヌさんの歌が始まった。「パリの空の下で」「男と女」「つむじ
風」「枯葉」「ラボエム」・・・後半はいよいよ加藤登紀子さんの登場だ。「ミラボー橋」「オペラ」
「愛の讃歌」「百万本のバラ」。「明日もあるので今夜はこのへんで」って。メインの鴨料理は一口
だけ。硬くてナイフでも切れないから噛み切れない。下船してお登紀さんも同じバスでホテルへ。
_____________
11月 3日(木)快晴
朝 パリ・インターコンチネンタルホテル ル・グラン「カフェドラペ」 朝食ヴュッフェ
オペラ座ガルニエ宮第一ファサードの2体の黄金の彫像。左は「ハーモニー」、右「詩情」。シャルル・ギュムリー作
昼 パリ「金太郎」味噌ラーメン8€、餃子4€
「金太郎」近所のレストラン「Le Drouant」の前にはプラカードを掲げた人々とテレビ中継車が7台!
修復終えたヴァンドーム広場の円柱が見える
今日は夜のコンサートのための早い夕食までフリータイムである。希望者でモンマルトルと美術館に
誘われていて朝まで行くつもりでいたのだが、出かける時間になってお腹が痛くなり、急遽不参加。
私ってこんなんばっかりだ。11時頃ようやくお腹が落ち着いたので散歩に行こう。良い天気だなぁ。
何も決めずに歩き出したのに、私の足は「金太郎」の方に向かっているぞ、勝手に。朝食は早く食べ
たから空腹は良いとしても、さっきまで油汗流してトイレ通いしていた人が味噌ラーメンと餃子って
注文するかなぁ。私はするんです!早い時間だから空いていた店内も正午過ぎ続々と客が入って来た。
相変わらずの人気店だ。「金太郎」を出て20歩ほど歩いたところにある「Le Drouant」の前にはプ
ラカードを掲げた人だかり。それ程多い人数ではないが、驚くのは集まってテレビ中継車の数。7台
もいるではないか!ははぁ、今日は「ゴンクール賞」の選考・発表があるんだな。ミシュラン☆のレ
ストラン「Le Drouant」はフランス文学界で最も権威がある「ゴンクール賞」の選考会場でもあるの
だよ。私も2年半前夕食摂りに来たことがある。プラカードの彼らの取材にテレビ中継車来ないわな。
午後のお茶 パリ「スターバックス」コーヒー3,5€
夜 パリ「パスケード」ポロ葱のスープ、チキンソティサラダ添え、4種パイのデセールとコーヒー
食事の後、今夜のコンサートチケットの抽選があった
「サル・ガヴォー劇場」正面 スポンサーの1社「大関」による日本酒試飲会
コンサートポスター 「サル・ガヴォー劇場」内部 あぁ、良いコンサートだった
午後はスタバでコーヒー飲みながら本を読んだり、お気に入りのチョコレート屋(と言って私が食べ
るわけではないが)でお土産を買ったりして好天のパリをまったり過ごした。ホテルに帰ると明日か
ら一人になるので添乗員のK木さんが書類などを持って来られた。5時集合してチョー早い夕食。夜
のコンサート前にササッと軽く食べるつもりだったが、スープもサラダもメインも、そして凄いボリ
ュームのデセールで皆さん目をシロクロ。しかも、昼のラーメン&餃子がお腹に残っていてほとんど
残してしまった。かなり美味しい食事だったのでもったいない。バスで「サル・ガヴォー劇場」に向
かう。パリ8区にあるこの劇場は1905年に完成したクラッシック音楽中心の1000席の大ホールだ。
何社かのスポンサードを受けたからと入場料は何と無料!早々と完売(というのかどうか)してしま
ったそうだ。1部は加藤登紀子今年歌手生活50周年を記念した曲目で映画「紅の豚」挿入歌「さくら
んぼの実る頃」から始まった。大ヒットした「ひとり寝の子守歌」はギターを弾きながら。当時学生
運動で逮捕され獄中にいた彼を思って25歳のお登紀さんが作詞作曲した曲だ。「愛のくらし」は私の
得意曲でもあったなぁ。9曲の中には私のお気に入り「空を飛べたら」が無かったのがちと寂しい。2
部は生誕100周年を迎えたエディット・ピアフに因んだ曲だ。「愛の讃歌」「私は後悔しない」などに
混じって、ピアフの親友だったマレーネ・デートリヒの「また恋しちゃったの」「花はどこに行った」
などもあった。アンコール曲は3曲。最後は「百万本のバラ」大合唱。72歳加藤登紀子21曲熱唱!
_____________
11月 4日(金)一日雨
朝 パリ・インターコンチネンタルホテル ル・グラン「カフェドラペ」 朝食ヴュッフェ
毎朝「日本経済新聞」が届けられる
昼 パリ「中国飯店」卵スープ5.5€、シンガポール焼きビーフン9€、ジャスミンティー3€
雨だからホテル近くの中国料理店でランチ。ホテル裏手にある「ギャラリー・ラファイエット」でちょっと買い物
昨夜のコンサートの終演は午後10時近かった。コンサートの後、お登紀さんやスタッフを含めた懇親
パーティがあったのだが、多くの皆さんは明日出発なので熱烈ファン理系のUさんを覗いてホテルに
帰った。今回のツァーは、加藤登紀子さんコンサートin Parisを楽しんだ後ボルドーとバスク地方を
旅する内容。私は今年5月にバスクもボルドーも行ったばかりなのでツァーから離団してパリに残る
ことにした。8時45分TGVでボルドーに向かわれる皆さんを 見送る。「お気をつけて旅してね」。
明後日日曜日の夕方まで全くの自由だ、パリで。わ〜い、嬉しいなぁ。でも今日は一日雨だ。いつも
観光客で賑わうオペラ座の前にも人はまばら。雨に濡れるオペラ座をときお時折眺めながら本でも読
むか。昨日の「ゴング―ル賞」騒ぎで読む気になったわけでは無いが、平成生まれの初直木賞受賞し
た朝井リョウの「何者」を読み始めた。読む気は無かったのだが、映画化された登場人物の写真が帯
に巻き付いていたので買ってしまった。50年近く前の就職活動もなかなかにシンドイ思いをしたが、
イマドキの「就活」って絶対やりたくねぇ!って感じ。なるべく近い所で食べようと雨の中外を歩い
ていたら、こんなところに中華料理屋が!スープと焼きビーフン、なかなかの味でいいではないか!
夜 パリ「カプシーヌ カフェ」生牡蠣「ジラルドー」スペシャル6個 24,8€、オールブラック牛
ランプ肉ステーキべアルネーゼソース ポテトグラタン添え25.8€、カールスバーグビール7,
5€、白ワイン(シャブリ)10、5€、赤ワイン(サンテミリオンン)13,2€×3杯 @120€(チッ
プ込み)
満足の行く夕食だった!
夕方小ぶりになったので、ホテル裏手にあるデパート「ギャラリー・ラファイエット」に行った。ひ
と頃ほどには中国人客はいなかったが、ある時は占領された感があったものなぁ。今日から夕食も一
人。店を決めてK木さんに予約して貰ってある。今夜は初日も行った「カプシーヌ カフェ」。ホテル
から近いのと日本語メニューがあるのが嬉しい。階段の上り下りがシンドイので1階の席をお願いし
た。メニューをシゲシゲ眺め、生牡蠣とステーキを注文。これが大正解でワイン飲みながらご機嫌!
_____________
11月 5日(土)曇りのち晴れ
朝 パリ・インターコンチネンタルホテル ル・グラン「カフェドラペ」 朝食ヴュッフェ
このホテルもオペラ座を設計したガルニエの作品。▽の左側がオペラ座側、右側がスクリーブ側
ヴァンドーム広場のホテルリッツは4年の大修復を終えた コラム(円柱)も長く修復工事していた
コラム(円柱)の上にはナポレオンが南を向いて立っている
昼 パリ「野田岩」鰻重定食(あけぼの)52€、煎茶3€
開店前にもう客が
52€の鰻重(あけぼの)
今日はぐんぐんお天気が良くなって来たから、本当は昨日の昼行こうと思っていた店に向かうこと
にする。長らく改修工事をしていた広場中央に建つコラム(円柱)の覆いが取れて久々に間近で見
られるのでヴァンドーム広場を通って行こう。広場には、「天皇の料理番」がパリ時代働いたホテル
リッツも4年余の大改修工事を終えて今年オープンした。4月に来る筈だったのに、工事現場でボ
ヤがあり完成が遅れたためにツァーキャンセルになった因縁つきのホテルだ。ゼッタイ来ますから!
ここまで宝石屋がズラズラと並んでいたが、サントノーレ通りに入るとオシャレな店が続く。暫く
歩いていると店の前に人が数人。おっ!こんなところに「野田岩」が!なんちゃって。ここを目指
して来たのだよ。一度来たことがあるのだが、運悪く日曜日で定休日だった。かなりお安い鰻丼か
ら特上の鰻重までいろいろあるが、どうせなら一番高い鰻重定食(あけぼの)にすっか。52€(約
6千円)もする。「ご飯少なくしてね」。運ばれて来たお重。オランダ産の鰻はかなり柔らかく、箸
で持ち上げると崩れて落ちる。ご飯はごく少量でタレがたっぷりかけられているので白いところが
無い。箸で食べるのは苦難の作業だ。そのタレが醤油が立った塩辛く、意地で完食したら喉が渇い
て溜まらなかった。これからは余り来ないだろうが来ても安い鰻丼にしよう。ならば腹も立つまい。
世界最大級のルーブル美術館はこの奥 金色に輝くジャンヌ・ダルクの騎馬像 チェイルリー公園入口
並木道も色づいたチェイルリー公園では多くの人々が憩っていた
「食べるは恥だが箸が出る」と思ってる? セーヌ川向こうはオルセー美術館
午後のお茶 パリ「アンジェリーナ」タルトシトロン、ダージリンティ
タルトシトロンはさっぱり旨い!
カーテン越しにオペラ座が見える!
夜 パリ・インターコンチネンタルホテル ル・グラン「カフェドラペ」 カフェドラペフォアグ
ラ35€、クラッシックビーフタルタルステーキ34€、リンゴのタタン16€、生ビール大14€、赤
ワインボトル(サンテミリオンン・グランクリュクラセ2007)104€、エヴィアン6€
@237€(チップ込み)
一人で散財しました!
「野田岩」で食べた鰻重は鰻だけの量が410gあったらしい。いくらご飯があんなに少なくても甘辛
タレをたっぷり纏った鰻をそんなに食べたのだ。運動せねば。幸い「野田岩」からチェイルリー公園
はほど近い。天気も良いことだし、公園内を散歩しよう。公園からの眺めが美しい!気持ちも良い!
つくづくパリに残って良かったと思う。トイレ休憩を兼ねて「アンジェリーナ」に行く。以前は午後
になると数十人の行列だったが、今は数人。5分で入ることが出来た。帰りももちろん歩いたので、
この日の歩行数は1万5千歩近かった。鰻のカロリー帳消しになったか。ならん!パリ最後の夕食は
ホテルの「カフェドラペ」で。毎朝朝食を食べているが、夜になると雰囲気がガラリと変わるのだよ。
メニューと格闘してさんざん悩み、3度目のフォアグラとタルタルステーキを注文。自分でもウソ〜!
って内容の注文だ。フォアグラは高いだけあって、他の2店に比して一番美味しい。クラッシックビ
ーフタルタルステーキはとにかく量が多くて食べきれん。70近い婆さんの夕食として多過ぎるよねぇ。
_____________
11月 6日(日)晴れ
朝 パリ・インターコンチネンタルホテルル・グラン「カフェドラペ」 朝食ヴュッフェ
昼 パリ「中国飯店」海老ワンタンのスープ9€、海老入りチャーハン8、5€、プーアール茶3€
パリ最終日。特に予定が無いからゆっくり起きる。オッとその前に膝運動でしょ!毎日必ず100回は
やらねばならない膝の運動。忘れないように起床時に行っているのだ。それがプレッシャーになって
いるのか、昨日など体操終えて電気を付けて時計を見たら午前1時半!寝惚けても膝運動なのだよ。
「カフェドラペ」に朝食を摂りに行くとロビーに日本人グループが。聞いてみると私がよく参加する
旅行社の大阪支店のグループだった。「夢子はんやねぇ。お久しぶるですぅ。ほら、今年の2月ご一緒
した」と男性から声をかけられる。3秒後「あぁ、ウィーンの音楽の旅で。大阪のK林母娘さんとご一
緒にいらしたんですよね」。思い出して良かった。昨夜パリに着いて、これからルーブルに向かう由。
JSテレビを観ながら午前中かかってだらだらとパッキング。ランチには初めての「オペララーメン」
を食べようと出かけたら、日曜日でお休みだった。隣の「中国飯店」はやっている。日本人は休む。
中国人は働く。スープもチャーハンも量多過ぎて半分で断念。「持って行くか」と聞かれる。まさか!
遅い夜 JALパリ=羽田ビジネスクラス機内食(和食)
午後3時過ぎ、アシスタントの方が迎えに来た。やはりパリに残られたK林さんと一緒に空港に送っ
て貰う。K林さんはご高齢だが、ガルニエ宮でモダンバレエを観たり、ガイドを雇ってルーブルに行
かれたりされたそうだ。「食べると気持ちが悪くなる。一日朝食だけで十分」という方だから、一度も
食事はご一緒しなかった(笑)。19:00発のJAL羽田行き。和食をつまみながらグビグビ飲んだ酔い
で少しウトウトしたが起き出しても映画を観る気にはなれずぼんやり眺められるビデオ番組をいくつ
か見た。「芸能人格付けチェック!お正月スペシャル」、「ぐるナイのゴチになります」、マツコの「夜
の巷を徘徊する」ではふかわりょうが住む自由が丘を徘徊していた。避けていたJALもまぁいいか。
_______________
【今週の振り返り】
エディット・ピアフ。本名はエディット・ジョヴァンナ・ガシオンという。因みに「ピアフ」はパリ
ジャンの俗語で「雀」の意味だ。そう言えば、美空ひばりも小鳥だわね。1915年12月19日、大道芸
人の父とカフェで歌うイタリア系の若く貧しい両親の元に生まれる。父親は砂漠の民ベルベル人の血
が4分の1入っていたらしい。生まれてすぐ母親は赤ん坊を捨てて家を出た。困り果てた父親は母方
の祖母に預けるが嫌われて、次は父方の祖母に預けられる。その祖母はノルマンディーで売春宿を営
んでいた。そんな環境で育ったピアフは3歳から7歳まで失明してしまうが、この間音に対する感性
が磨かれたと考えられている。やがて角膜炎は治癒しピアフの目は見えるようになった。
14歳で大道芸人の父と働くようになるが、翌年には父に反発して別れ、ストリートシンガーとして生
きていこうとする。16歳で御用聞きの少年と恋に落ちて女の子を出産。マルセルという名をつけたが、
2歳でこの世を去ってしまう。20歳でナイトクラブのオーナーに見出されて彼の店で歌うようになる。
「ピアフ」の芸名もオーナーが付けてくれた。この年ピアフの最初のレコードが録音されたが、ナイ
トクラブのオーナーが殺害され、ピアフにも共犯者としt容疑がかけられた。証拠不十分で無罪とな
る。ピアフの歌声は人々の心を揺さぶり、彼女は世界中でひっぱりだこの人気歌手となった。歌手、
作詞家としての活躍と共に、実に多くの男達と浮名を流した。名前を挙げていたらキリが無い程だが、
中でもイブ・モンタンと妻子あるカサブランカ出身のボクサーのマルセル・セルダンとの恋はつとに
有名だ。
「谷間に三つの鐘が鳴る」、「バラ色の人生」、「愛の讃歌」、「パリの空の下」、などエディット・ピア
フが残した曲は数多い。この素晴らしい曲と共に、彼女は数多くの歌手をも育てた。シャルル・ア
ズナブール、イブ・モンタン、ジルベール・ベコー、ジュルジュ・ムスタキ・・・。凄いよなぁ、こ
んな人達を見出し、育て、デビューさせたなんて。イブ・モンタンは弟子でもあり、2年間恋人でも
あった。ピアフはやがてイブ・モンタンから去って行った。彼との別れを決意した時に生まれた曲が
「バラ色の人生」である。その翌年、ピアフはボクサーのマルセル・セルダンと出会う。ピアフにと
って最も幸せな日々がセルダンと過ごした時だった。ニューヨークで公演中のピアフの元へ、セル
ダンは船で来ることになっていたが、ピアフは「とても待てないの、飛行機で来てよ!」とせがむ。
「いいよ。愛しているよ」と答えて、飛行機に乗ったマルセル・セルダン。しかし、セルダンを乗せ
た飛行機はアゾレス諸島で墜落。帰らぬ人となった。彼の死から2ヵ月後、1950年1月ピアフは作
詞作曲した曲を歌う。「愛の讃歌」である。
その翌年交通事故に遭ったピアフはモルヒネ中毒になって行く。アルコール中毒とモルヒネ中毒だ。
何度も入退院を繰り返すがピアフの小さなカラダは蝕まれ、1963年10月10日、エディット・ピア
フは47歳の生涯を閉じる。彼女の訃報を聞いた友人のジャン・コクトーは「何ということだ!」
と言いながら寝室に入り、そのまま心臓発作を起こして亡くなった。身長147pの「小さな雀」だ
った。今年の12月18日までエディット・ピアフ生誕100周年である。
女子だけど「メルシーボーク―」