♪秋のリヒヴィエラ海岸・黒と白トリュフ・ドジャースャンピオン・コードダジュール海岸・発熱・・
巨大な白トリュフ ロスチャイルド邸
10月 28日(月)雨のち曇り
肩を負傷した大谷翔平選手ニューヨークでチームに合流
朝 明石町「ダイニングルーム」A定食(塩鮭の焼き物、じゃが芋の煮物、キャベツおかか、ご飯、味噌汁、
飲むヨーグルト、キウイ)770円、納豆220円、「封印」わさび漬け、コーヒー165円
昼 明石町「ダイニングルーム」A定食(鯵フライ、南瓜饅頭、小松菜の磯辺和え、ご飯、お吸い物)1210
円、大判焼き270円
大判焼きサービスが始まった
夜‐@成田空港「エミレーツ航空ビジネスラウンジ」トマトクリームスープ、野菜スティックとチーズ、シーフードカレーと野菜、ビール
深夜便なので夕食はラウンジでごく軽く
エミレーツ航空のファーストクラス 扉を締めれば個室になる。 22時20分成田発
ファーストクラス14席に対し、トイレを兼ねたシャワールームが2室ある。メンドーだから私は入らんよ
今日からイタリアに行く。とはいえ、深夜便だから家を出るのは夕方。それまでは旅の準備の続きと
か、フツーの生活ね。ダイニングに食事に行くと、朝と昼どちらも「あら?今日からお出かけでは?」
と聞かれ、「夜便なので出かけるのは夕方です」と言い訳というか返答しておった。日本交通の
空港定額タクシーを予約している。午後6時荷物を積んで出発。ようやくね。道路は渋滞もなく1時
間強で成田空港第2ターミナル到着。4年間コロナでお休みしていた海外旅行を年末年始の台湾から再開
した格好だが、7月ロスへ行くシンガポール航空に乗るために4年9ヶ月ぶりに成田空港を利用した。
だから今日は今年2回目の成田となる。添乗員は初めてご一緒するTさん(女性)。よろしくお
願いいたします。車椅子でエミレーツ航空のラウンジへ。出発は10時20分で離陸後はすぐお休みタイムに
入るだろうから、夕食はラウンジで摂っておく。缶ビール飲みながらスープと野菜スティックとチーズ、シーフード
カレーなどを軽く食べた。インド系のスタッフが迎えに来てくれて出発ゲート66まで移動したのだが、遠
いのなんのって。奥の方に行くに従いどんどん気温が下がって行く。ようやく着いて、ビジネス
クラスとファーストクラスは2階エプロンから機内へ。今回は奮発してファーストクラスを予約した。4×4で16の個
室だ。1番前にシャワールームが付いた広々としたトイレが2室ある。座席は眠る時とか着替える時とか
ドアを閉めれば個室になる。面白いなぁと思ったのは、リュックだのバッグだの杖だのの手荷物をど
こに置くのかとCAに聞くと「座席の前の方にテキトーに」って言うのだ。ANAなんて杖も含めてゼ
ッタイ席周辺に荷物を置かせてくれないから航空会社によって随分違うのだなとビックリだ。軽くだ
が夕食は済ませたから、赤ワインとナッツを注文したら熱々のナッツが運ばれて来た。じゃ、映画を1
本観てからベッドを作って貰って寝ますか。飛行機ではファーストクラスでフルフラットのベッドを用意して貰
ってでも眠れないことが多いのだが今日は間もなく眠りに落ちた。ドバイまで12時間強のフライト。
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10月 29日(火)イタリア・ジェノバは晴れ
1ユーロ€=約170円
MLBワールドシリーズ第3戦 ドジャース対ヤンキース4勝2敗でドジャース3連勝!
怪我を押して出場の大谷翔平選手3打数1四球1得点
朝‐@ エミレーツ航空 成田=ドバイ ファーストクラス 懐石膳
朝食のつもりで懐石膳なんてのを食べたら ファーストクラスでも恐ろしく不味い!ほぼ残した
朝‐A ドバイ空港ファーストラウンジ ケーキと水
12時間飛んで5時半ドバイ空港着 だだっ広い空港を移動し、3時間半乗り継ぎタイム
NYのヤンキースタジアムに舞台を変えて。大谷17とジャッジ992人のホームランキングが揃う
肩を釣るバンド姿が痛々しい・・それでも笑顔
バッターボックスに立つだけでヤンキースにプレッシャーを与えられる MVPトリオ夫人お揃いで(真美子さんのプロポーション!)
昼 エミレーツ航空 ドバイ=ミラノ ファーストクラス機内食 オードブル2種、キャビア、オニオンスープ、トマトサラダ、牛の炭
火焼き、シャンパン、コーヒー
エミレーツ航空ドバイ=ミラノ7時間強のフライト ヤケになって苦手なシャンパンとキャビア
ミラノからバスで2時間半。やっとジェノバに到着。
夜 イタリア・ジェノバ 「Zefferino」名物ペスト・アッラ・ジェノベーゼトレネッテ、ムール貝のワイン蒸し、サラダ、ミルフィー
ユケーキ、カモミールティ)
老舗リストランテ「ゼッフェリーノ」で名物ペスト・アッラ・ジェノベーゼトレネッテを食べる
12時間のフライトでやっとドバイ空港到着。昨夜は22時20分飛行機が動きだしたらすぐ映画を観た。
「倒産大名」はなかなか面白く、神木隆之介はこうゆう役で良い味だすね。席をベッドに変えて貰
って午前1時から3時間程ウトウトしただろうか。昨夜予約しておいた懐石膳というメニューを朝食代わり
に食べたのが、恐ろしい程に不味かった。食品ロスはイカンなぁと思うもの、ほぼ残してしまった。毎
朝シャワーを浴びるので飛行機で出来るなんて凄いじゃん!と喜びそうなものだが、それでも長い時間
独占するとトイレを使いたい人が困るかもな、なんて思っているうちに面倒になり使わなかった。き
っと帰りも同じだろうね。ドバイに着くまで映画「はこぶね」を観る。将来が明るいとは言えなそ
うな港町で事故によって視力を失った青年西村が淡々と生きて行く。西村を演じる木村知貴始め、
これまで知らなかった人ばかりの地味〜な作品なのだが、スルリと人の心に静かに入ってくる映画だ
った。外国の航空会社ではエミレーツは日本語映画の本数をかなり揃えているところはいいね。早朝の
ドバイ空港。ここには過去、主にアフリカに行く時の乗り継ぎ場所として何度も来た。来る度に拡大し
ているイメージがあり、飛行機の2階出口から乗った車椅子で次のフライト便のゲート近くのラウンジまで延々
と移動していく。途中電車にも乗ってたぶん20分以上はかかったぞ。3時間半の待ち時間後、同
じエミレーツでミラノまで。成田からはずっと夜を抜けてきたからようやく明るい機内で過ごせるが、ま
た6時間以上乗らねばならん。あぁ〜あ、飽きて来たなぁ〜。なんかヤケになって苦手なキャビアとシ
ャンパンなんか行っちゃう?えーー!!キャビアそんな山盛り持って来たりしてぇ。食べられんよ。塩
分摂り過ぎじゃ。シャンパンはドンペリだったが、やっぱり好きじゃないね、私は。映画「あまろっく」
を観る。鶴瓶と江口のりこと中条あゆみが出演。鉄工所の老職人に扮した佐川満男が良い味を出
していたのだが、映画の先行上映初日に84歳で亡くなった。午後1時過ぎミラノ空港着。ここから
はバスに乗って約200`離れたジェノバに向かった。ホテルに着いたのは午後5時。昨日家を出たのが
午後6時だから23時間+8時間=31時間かかったワケね。7時半から徒歩10分ほどの老舗レストランへ。
2階にある入口までの石段を避けてエレベータに乗ると、何と厨房の中を歩いて客席に行くのだよ。用
意している料理を横目で見ながら濡れた床を転ばないよう気をつけて歩く。ジェノバと言えば、パ
スタのジェノベーゼだ。この店は人気店でローマ法皇もフランク・シナトラもこの店のペスト・アッラ・ジェノベーゼトレネッテが
お気に入りだったとか。それが最初に出て来る。確かに濃厚!しかし濃厚過ぎて3口目くらいか
らくどくなって来る。次はムール貝のワイン蒸し。塩味が濃過ぎじゃないか。ドバイ空港で「またお会い
しましたね」と声を掛けられたK澤さんと味の感想を言い合う。彼女は料理研究家なのだよ。6年
前フランスのブルゴーニュ地方の旅でご一緒し、贅沢な食事を楽しんだ。K澤さんこの旅が楽しくなりそう!
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10月 30日(水)ジェノバは晴れ
MLBワールドシリーズ第4戦 ドジャース対ヤンキース4対11でドジャース大敗 3勝1敗に
怪我を押して出場の大谷翔平選手4打数1安打
朝 ジェノバ ホテル・ブリストル・ホテル 朝食ヴュッフェ
朝食ヴュッフェ品揃えは平凡
午前中ジェノバ市内観光 コロンブスが若い頃住んだ家がここ
外野フライを捕球したムーキーベッツのグローブからボールを奪おうとするヤンキースファン!!
写真日刊スポーツ
ジェノバ駅が正面に
建築家レンツォ・ピアノにより新しく整備された旧港
カステレット展望台から港町ジェノバの街を一望できる
昼 ジェノバ ミュシュラン☆「サン・ジョルジョ」フォカッチャのアミューズ、干しタラ、ジェノバの真珠(ジェノベーゼソースを包
んだニョッキ)、柑橘と3種の肉を包んだラビオリ、イカグリル、カシスシャーベットとチョコと生クリーム、ミニャルディーズ)
ミシュラン☆の「サン・ジョルジョ」でランチコースを頂く。ニョッキの中からジェノバソースがトロリと出て来て
夜 ポッレンツォ アルベルゴ・デッラジェンツィア ピエモンテ州名物ヴィテッロ・トンナート、黒トリュフのせチーズリゾット、3種の
アイスクリーム、カモミールティ、
5時半起床。バスルームまで歩く時、足の爪が食い込む痛みが走った。何指?っていうか左足は3本が、
右足も3本の指の爪が肌に食い込んでいる感じで痛いの何のって!いちいち「イテテ!」と口に出し
て言うのも面倒なので心の中だけで「イテテ!」「イテテ!」「イテテ!」。シャワーを浴びてから痛い1番と2
番の指にバンドエイドを巻きつけて応急措置。それでも痛みはあまり変わらんなぁ。朝食でお会いし
た添乗員のTさんに足の指の話を伝え今日の観光を殆どパス出来ないかと相談。殆ど覚えてはいな
いのだがジャノバは昔来たことがある街だし、こんな足では歩けないからね。結果、ジェノバ近郊出
身とされているコロンブスが若い頃住んでいたコロンブスの家を見学した後はバスの中で待機することに。
待機時間は丁度ワールドシリーズの試合時間だったので、私としてはムチャ嬉しいのだった。ただね、試合
は珍しくヤンキースが頑張ってドジャースは大敗。まぁ本拠地ニューヨークで1勝くらいしないと市民が暴動起
こしかねない、ってことも無いだろうが、ムーキーベッツが外野フライを捕球したら熱狂的なヤンキースファンがグ
ローブからボールを掻きだそうとする一幕があった。ヤンキースファンはかなりフラストレーションが溜まっているみた
いだ。ま、ドジャースとしても3勝挙げているから心理的にはかなり余裕がある。明日勝てば敵地で
の優勝となるドジャースに対して、残り全勝しなければ優勝の目が無いヤンキース。う〜〜明日が楽しみ
!!皆さんがバスに戻って来て、旧港や素晴らしい眺めのガステレット展望台に行ってからランチを摂るレ
ストランへ。ミシュラン1つ☆の「サン・ジョルジョ」でコース料理を頂いた。ご一緒したのは九州から参加された
ご家族。お母様と2人の息子さんだった。これまでたくさんのツァーに参加して来たが、こうゆうご
家族構成は初めてだな。この旅は気をつけないと「本当の豚」になる恐れがある。朝も昼も夜も
ご馳走。すべて完食などしたら恐ろしいことになりそう、ってことで適度に残し、デザートのカシスシャ
ーベットも2口ほどで止めたのだが、K澤さんに後刻聞いたら「その下にあったクリームが絶品だったの
に!」とのことだった。ふん、いいんだ、甘いモノ苦手だし。そうそう、フォカッチャはジェノバが発祥の
地なのだとか。食後はバスでひたすらピエモンテ州のアルバ近郊のポッレンツォを目指す。距離にして155`。
夕暮れが迫る中、バスの左手にずっと見えている印象的なカタチの山はモンヴィーゾ(仏語でモンテ・ヴィーゾ)
という名前なのだそうで標高は2900b。どこかで見たことがあると思ったらパラマウント映画の最初
に出て来る山だった。午後6時「アルベルゴ・デッラジェンツィア」に到着。サヴォイ家の所有地の建物を改装
したという歴史的なホテルなのだそうで。え?世界文化遺産?心して泊まらねばと少し緊張したが、
客室に行ってみると超シンプルで足りない物だらけでホテルとしては何だかなぁという感じもしてね。
7時半からホテルのレストランで夕食。前菜とメインとデザートの3コースで先ずぱエモンテ州名物ヴィテッロ・トンナート。ヴ
ィテッロは仔牛肉、ツナにアンチョビやマヨネーズなどを和えたトンナートソースと食べる料理で、これまで何度か食べた
ことあるなぁ。豚回避のため半分残す。メインは黒トリュフをたっぷりかけたチーズリゾット。ホテルのお兄さん
が黒トリュフを削りながらかけてくれるのだが、ナゼか香りがあまりしない。トリュフに食傷気味の私には
丁度良かったんだけどね。楽しみにしていた方々は「え〜〜なんでぇ〜」って感じで、首を少し
傾げながらの黒トリュフのディナーとなった。今回も旅の間基本酒は飲まないことに決めている。無酒日
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10月 31日(木)ピエモンテ州は晴れ
MLBワールドシリーズ第5戦 ドジャース対ヤンキース 7対6 ドジャース大逆転勝利で優勝!!!
MVPはフリーマン! 大谷翔平選手4打数無安打
始球式は松井ゴジラ
5点差を5回で5得点で追いつき、2点加点して逃げきり勝利!!!
おめでとう!ドジャース!おめでとう!大谷翔平選手!おめでとう!フリーマン!
朝 ポッレンツォ アルベルゴ・デッラジェンツィア 朝食ヴュッフェ
この建物はホテルの他にスローフード協会や食の学校のキャンパスも兼ねている
毎朝完熟の柿を朝食で食べた。甘い!イタリアでもカーキというらしいよ
トリュフハンティング犬のザーラちゃん。今朝大きな白トリュフを掘り出したばかり
見渡す限りぶどう畑が広がる
遅い昼 アルバ近郊「igusti」数種チーズ、サラミ、黒トリュフかけ生チーズ、オリーブなど、みんなで作ったパス
タ・タヤリンの白トリュフがけ、ラグーソース、自家製ケーキ
チーズにも黒トリュフをふんだんにかけて
希望者は手打ちパスタ作り教室に参加。私も参加したが散々で・・💦
今朝ザーラちゃんが掘り出した大きな白トリュフを出来たてパスタにたっぷりかけて
ラグーたっぷりタヤリンが旨い! 塔がある場所がバルバレスコ。2回行ったことがある
午後のワインティスティングバローロ村「CANTING DEI MARCDESI DI BAROLO」赤ワイン3種(香り嗅いだだけ)
バローロ村の散策をしてからワイナリー見学とティスティング
通訳フジモトさんを介してバローロの作り方の話を聞く 3種のバローロワインティスティング
夜 ポッレンツォ アルベルゴ・デッラジェンツィア 野菜のフラン、仔牛のタリアータ(薄切り)白トリュフがけ、ボネ(チョコレー
トプディング)、カモミールティ
今回のイタリア旅行前から悩みがあった。MLBのポストシーズンも大詰めでワールドシリーズが始まっているのに、
イタリア始めヨーロッパではYahoo!を見ることが出来ない。それでは大谷翔平選手の夢であるワールドシリーズの
試合プロセス、結果をチェック出来ないじゃないか。どーするんだ!旅に行くのを止めるのか!ってね。ホ
テルでWi−Fiを切って5Gで受信すれば入るとか、街中に行けば入るとか、いろいろトライなどしておる。
ニューヨークのヤンキースタジアムでの3試合目、ワールドシリーズの第5戦はヨーロッパ時間の真夜中に始まるのだ。A美
さんにも事情はお伝えして出来る限り試合経過を教えて欲しいとお願いしている。試合が気になっ
てなかなか寝付かれず、何度もスマホを覗く。アッ、Yahoo!入った。ナヌ?3回裏0−5で負けている?別
人のように打てなくなったジャッジがホームラン打ったとか・・う〜む。暫く繋がらなくなり真夜中のベッ
ドの中なのでうとうと。また目が覚めると5回の表で何とドジャースは猛攻をしかけ5点取って同点
に追いついた!6回にはヤンキースが1点返し・・・中断・・・A美さんから「勝った!!!涙でる!」
「優勝!嬉しい♥」そうか、勝ったんだ!MVPはフリーマンだって。異存無し!あぁ〜やれやれ、と涙を
流し、明け方少し眠った。MLBは大詰め終了したが、イタリアのツァーは今日がハイライト的日程。「美味しいリヴ
ィエラ海岸」という旅のテーマの通り、毎日美味しいモノを食べているのだが、今日はトリュフ・ハンティング体験と
か手作りパスタ体験とか面白い企画がたくさん用意されているのだよ。とはいえ、トリュフ犬と一緒に林
を抜けて悪道を歩いていくなんて真似は私には無理。汚れても良い靴は用意しては来たが、皆さん
がトリュフハンティング犬ザーラちゃんと出かけて行くのを見送って一面に広がる葡萄畑を眺めていた。1時間
もしないうちに帰られ、今回の成果は小さな白トリュフ1個だった由。でも朝早くザーラちゃんはとても
大きな白トリュフを掘りあてたらしいから、もう仕事は終わった気分だったのかも。バスでぶどう畑の中
の素朴なレストランに移動。田舎家のような「ペル・トッティ・イ・グスティ」でチーズやハム・サラミ・トマト・オリーブなどに
地元の主婦達が手造りしたジャムやソースなどをつけて軽くつまむ。チーズには黒トリュフを削ってね。希望
者は奥のキッチンで手作りパスタであるアニュロッティ・ディ・プリンやカッペレッティ、それにタヤリンなどをベテラン女性の指
導の元チャレンジした。私も前半は参加したのだが、余りの下手さに途中でリタイア。アハハ、情けない。暫
くして出来たて手作りパスタの茹で立てが皿に配られ、その上に今朝取れた大きな白トリュフたっぷり!
トリュフ食傷気味なんてゼータクをほざいていた私も「旨い!」「お替り!」続いて自家製ラグーをたっぷ
りかけた細いタヤリン。これがまた旨い!ワインは全く飲まずに美味しい水を飲みながらの素晴らしいラン
チだった。私的にはこれでホテルに帰っても良い程だったのだが、午後はワインの王様と称されるバローロ
へ。バローロも3回目となるが、先ずはバローロ村の散策、そしてワイナリーの見学とティスティングが。3種のワイン
が供されたが、飲まないと決めているので香りを嗅いだだけ。もう帰ろうよーと叫びたいのだが、
皆さんはこの後アルバの街でのお買い物にイソイソとお出かけだ。私はとても疲れてバスの中で本を読ん
で待つことに。昨日が黒トリュフだったホテルでの夕食は、今日は白トリュフ。昼手作りパスタを食べ過ぎてち
っともお腹が空かない。肉もデザートのケーキも半分以上残してしまった。高齢の方もいらっしゃるの
に皆さん完食されて健啖家揃いで驚くよ。部屋に帰って、今日朝方の優勝の興奮を反芻。無酒日
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11月 1日(金・イタリアはトッティサンティ万聖節の祝日)サンレモは晴れ
朝 ポッレンツォ アルベルゴ・デッラジェンツィア 朝食ヴュッフェ
庭園の一角にあるのはローマ時代の城壁の一部らしいよ
昼 サンレモ・ロイヤル・ホテル・サンレモ「BAR」(自由食)スパゲッティラグーソース28€、クラッシックティラミス18€、カプチーノ8€、ミ
ネラルウォーター7€ 計59€
太陽が燦燦と降り注ぐサンレモ
夜 ロイヤル・ホテル・サンレモ「Ristorante Fiori di Murano」サラダ、茄子のテリーヌ スパイシーガスパチョソースとポ
テトピューレ、シーフードとアスパラのフライ、季節のフルーツ、カモミールティ
老舗のホテルなのにちっとも美味しくないディナーだった
優勝してすぐニューヨークからロスアンゼルスに帰り、翌日には大々的な優勝パレード!
イタリアに来てから全く酒を飲まないでいるのに、昨夜はお腹を壊して何度もトイレに通った。原因?まっ
たく思い当たらん。強いて言えば、水が美味しくて昼も夜も水をガブガブ飲んだことか。んなこと無
いわなぁ、やっぱりわからん。足の爪は相変わらず指に食い込んで歩くのがツライ程痛いし、それに腹
壊しって踏んだり蹴ったりである。2泊したポッレンツォを後にしてサンレモに向かう。今日11月1日はイタリア
の祝日、トッティサンティ(万聖節)でお休みなのだそうだ。日本で言えばお盆のようなもので多くの人はご
先祖様のお墓参りに行くとか。今日は金曜日だからイタリアは3連休。その初日ということだ。サンレモまで
は左手にリヴィエラ海岸を眺めながら走るのだから風光明媚なハズなのだが、陽ざしが強過ぎて皆カーテンは
閉めっぱなし。しかも3連休の初日でドッと車で出かける人が多く、悪いことに、高速道路の工事な
んかやっているから大渋滞が発生。最初のトイレ休憩は出発して3時間半後経過してからだった。従っ
て昼前に到着する予定だったサンレモにも相当遅れて到着し、しかも悪い時は悪いことが重なるもので
ホテル入口の坂道に違法停車中の車があってバスは立ち往生。バスが動かないのでその後ろには延々と渋
滞が発生して・・ようやくその邪魔車が動いて坂道を上って行ったら、今度はバスが大き過ぎてコーナー
を回り切れない。アハハハと笑ってしまい程のアクシデント続きでね。仕方なく上り坂の途中で皆バスを下り
て、ホテルの入口まで歩いたのだよ。皆さんは丘の上にあるホテルから階段を下りてサンレモの旧市街にランチと
甘いモノの食べ歩きに出かけられた。私はひとりホテルに残り、バーでランチ。時間も遅いので軽くスパゲッテ
ィラグーソースと食後にクラッシックティラミスとカプチーノを注文。スパゲッティは超アルデンテで噛むのがタイヘン。半分残した。
ティラミスはクラッシックという名前がついていたが、超大型でこれも半分で降参した。そうこうしているうち
に「お部屋の準備が出来ましたよ」と言われ、客室に行く。海側の部屋でバルコニーからは地中海を見
渡せる。南国ムードに溢れて熱海と姉妹都市と聞いて「然り」。プールや海で泳いでいる人こそほぼいな
いが、水着姿で日光浴している人達で溢れていた。ロスアンゼルスでは優勝したドジャースが早くも優勝パレ
ードを賑やかに開催。4勝1敗の成績で敵地ニューヨークにおいて優勝を決めたばかりなのに、2日後に実
行。ドジャースとロスアンゼルス市の手回しの良さというか素早い対応にビックリだ。日本なら優勝パレードには
3週間とか4週間とかかかるよね。デコピンと真美子さんも、選手の家族も揃ってパレードに参加して
いた。皆さん、嬉しそうね。夕食はホテルで。ここは1872年開業し、欧州各国の王室や貴族・上流階
級の人々に愛されて来たホテルと聞いている。ホテルの設備やインテリアなどはそれに相応しいものと思うが、
この日の夕食の料理はというと・・どの皿も含めて、ちっとも美味しくないのである。不思議だ。
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11月 2日(土)サンレモは晴れ
朝 ロイヤル・ホテル・サンレモ「Ristorante Fiori di Murano」朝食ヴュッフェ
ロイヤル・ホテル・サンレモの内装は豪華でセンスが良い
内陸のタッジャに行く。中世の雰囲気が残る小さな街
鍵を差したままの家が多い。留守中訪ねて来る人用の配慮だって
オリーブ栽培の街タッジャにある「奇跡のマリア教会」は荘厳な教会だった
坂道が多いタッジャ タッジャ伝統のスナック「カネストレッリ」を売る店
小さな手造りパスタの店はワンオペ 市場が開かれていた
タジャスカ・オリーブ・オイルでオリーブオイルのティスティング
昼 バダルッコ「Ca Mea」フレッシュポルチーニのフルコース(ブルスケッタ、ズッキーニのトルタ、パルチーニパルミジーナ、茸とチーズ
のマリネ、チロポット入りリコッタチーズ、ポルチーニのオムレツ、トーマ・ピエモンテーゼチーズのトルタ、乾燥トマト、ポルチーニポテ
トグラタン、ポルチーニクリームソースパスタ、ポルチーニリゾット、ポルチーニパン粉焼き、ポルチーニのソティ、レモンアイスクリーム、コ
ーヒー)
皿数が多過ぎ、メインの頃には満腹。最後4、5皿だけで良かった
夜 無し!
サンレモ2日目。早起きしてシャワーを浴びてからカーテンを開けたら、地中海に朝日が光っていた。朝食は7
時から。もちろん1番に入る。昨夜のディナーは肩すかしをくった感じだったが、朝食ヴュッフェは高級リ
ゾート地の老舗ホテルらしい品揃えだった。問題は自分にあまり食欲が無いこと。何だかよくわからん
が、絶好調でワシワシと食べるって感じでは全然ないのだよ。今日は海に面したサンレモから内陸の小さな
街タッジャに行く日程だ。オリーブ栽培が盛んな中世の趣きが残る街には少し小さなバスで。山に向かって
いるから気温が下がっているのだろう、盛んにクシャミが出る。街の真ん中のカフェ近くで下車し、ガイド
のロベルタさんの案内で調理器具の店を覗いたり、伝統的なスナックの店で味見したりゆっくりと散策。昔
母方の新潟の親類の家に行った時、どこの家も出かける時鍵をかけないと知ってビックリしたことがあ
ったが、ここタッジャも同じだった。開けっ放しというより、鍵をさしたまま出かけるのだそうで。帰
って来ると、友人や近所の人が自分の家でお茶しながらお喋りしているなんて日常なのだそうだ。
闇バイトで強盗横行なんてどこかの国と違っていいなぁ。外出がままならなくなったお年寄りが窓から
いつも街を見ているので事件は起こらないのだとか。そんな話を聞いて上を見たら、5階の窓から覗
いていたお婆さんと目が合ったという人も。そんな素朴な小さな街に不釣り合いとも思える立派な教
会があった。「奇跡のマリア教会」で、ガイドのロベルタさんも病気の家族を救ってとマリア様にお祈りしたら
15年も元気でいられた、まさに奇跡を起こしてくれるマリア様だと真剣な表情で話してくれた。私もお
願いしましたよー!オリーブ屋さんでトイレを借りたら、鍵が開かなくなって中からドアをバンバン叩いて開
けて貰ったなんてこともあった。バスで暫く走ってバダルッコという川に面した一軒家のレストランへ。ここ
は茸のシーズン3ヶ月間だけ開店しているという店だ。店頭に大きなフレッシュポルチーニが飾られ、60〜70人
程入るだろう店内は満員。次から次へとポルチーニ料理が出て来るのだが、最もポルチーニを味わえるポルチ
ーニクリームソースパスタやポルチーニリゾット、ポルチーニパン粉焼き、ポルチーニソティなどは最後に出て来る。その頃には満
腹でロクに食べられない・・・ぐやじい!それにしても尽くしのコースを食べる時間は3時間と長かった。
座っているのが何だかツライなぁ。この点数の料理を作り、この多人数に飲み物と共に料理をコースとし
て出しているスタッフが家族3人だけというのだから凄いね。ホテルに帰って来たら、もう午後も遅い時
間。今夜は自由食でホテルのバーで軽くという人もおられるようだが、私はそれどころではない。行き
のバスでクシャミをしていたが、観光している間も昼食を摂っている間も鼻がツーンとして涙がポロポロ。そ
れに熱っぽいし。風邪引いたらしい。こんな日は早くベッドに入るの一番だ。客室に帰って熱を測っ
たら37,9度。いつも持っている解熱剤なのに出発前に薬入れの整理をして捨ててしまった。漢
方薬のツムラ29麦門冬湯を飲んで午後7時半には寝た。どうか明日熱が下がっていますように!!
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11月 3日(日)サンレモも南仏も晴れ
朝 ロイヤル・ホテル・サンレモ「Ristorante Fiori di Murano」朝食ヴュッフェ
熱は・・38度!チェッ!である
コート・ダジュールの高級別荘地サン・ジャン・キャップ・フェラにあるロスチャイルド邸を見学
20世紀始めにベアトリス・ド・エフルッシ・ロスチャイルドによって建てられた。特に庭園が素晴らしい
昼 フランス サン・ジャン・キャップ・フェラ グランド・ホテル・ドゥ・キャップ・フェラ フォーシーズンズホテル「Le Cap」サラダ、クラ
ブハウスサンドイッチ、フレンチフライ、お好み2種アイスクリーム(チョコレートとレモン)、アールグレイ
夜 部屋食 豚汁風らーめん、ドライケーキ
憧れのパラスホテルでのディナーがこんなことに・・😢
昨夜7時半にベッドに入った。2度目に目が覚めても、未だ「今日」だった。熱のために寝苦しくっ
てね。それでも5時過ぎに起きた時は「これだけ寝たのだからもう平熱だろ」と期待して体温計を
見る。ゲゲ!38度!昨日より上がっているじゃん!咳も出るなぁ。痰も絡む。鼻をかむのが忙しい。
昨夜何も食べていないから朝食に行こう。咳が出るので今日からマスク必携だ。朝食会場に行ってグル
ープの人に発熱したことを伝えると、昨夜体調を崩した人がおふたりいらしたそうだ。私より2日
前に発熱して今は平熱に下がったご家族の方から解熱剤を2袋頂いた。有難い。半熟卵とヨーグルトだ
けの朝食とした。今日は移動日だから寝てはいられない。移動と言っても距離は短い。それでもモナ
コ経由してフランスまでね。フランスに入るとコート・ダジュールの高級別荘地サン・ジャン・キャップ・フェラへ。午前中はこ
こに建つロスチャイルド邸を見学する。気温20度、体温38度だけどもちろん見学参加しますぜー。マスク
してね。20世紀初めにベアトリス・ド・エフルッシ・ロスチャイルドが7年の歳月膨大な資金と並々ならぬ情熱をも
って作り上げたピンクの外観のロココ様式の大邸宅だ。贅沢極まりない荘厳なお屋敷だが、ここに住み
たいかと問われれば、NON!だけどね。広過ぎるし、お掃除タイヘンそうだし。お掃除云々なんて考え
る人はそもそも住む資格無いんだよなぁ。しかし、庭園と眺めはスンバラシイ。熱は下がらなくとも目
の保養になった。その邸宅からバスで少し走って、サン・ジャン・キャップ・フェラの岬の突端にある憧れのグラ
ンド・ホテル・ドゥ・キャップ・フェラ フォーシーズンズホテルに到着。フランスに31ある5ツ星ホテルの上の最高級ホテル「パラス」
ホテルの1つで1908年の創業。チェックインには早いので先ずは庭園レストランでランチを摂る。軽食と聞いてい
たが、サラダとフレンチフライがついたクラブハウスサンドイッチで量はたっぷり。美味しいサンドイッチだったが、豚も
頭にチラつくし体調イマサンなので半分食べただけ。デザートは選べる2種のアイスクリーム。たーくさんのアイス
から好みのアイスを2種選ぶ。私はチョコレートとレモンをお願いした。部屋の準備が出来た人から客室に移
動していく。体調絶不調の私はほぼ最後。トホホである。部屋は快適でまずまずの広さ。テーブルには
氷で冷やされたロゼワインが。しかし、ベッドがねぇ、とても高いのだよ。以前お気に入りでアチコチ泊
まったアマンホテルのバリ島だったかなぁ、もっと高いベッドで走り高跳びの要領でベッドによじ上った
ことを思い出した。今夜はメインレストランが定休日なのでバンケットルームでの食事になるらしいが、楽しみ
にしていてもシンドくて起きていられない。添乗員のTさんに連絡して食事欠席を伝え、寝るこ
とに。ホテルのサービスで置いてあったドライケーキを半分と豚汁風らーめんのスープを飲んだ。明日は帰国
だから熱下がってくれないと困るぞ!飛行機に乗れないなんてね。解熱剤、頼んだぞ!無酒日
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【今週の振り返り】
大谷翔平選手は、日本ハムを退団してロスアンゼルス・エンゼルスに入団した。2017年12月9日(日本時間
10日)のことだった。その頃はかなり細身で、細かな白黒のチェックのシャツの上から赤いエンゼルスのユニ
ホームを羽織ってカメラに収まっていた。笑顔にはあどけなさも残るムチャ可愛い23歳だった。
その日から遡ること5年前の2012年12月9日には、高校時代から宣言していたメジャー行きを断
念し、記者会見を開いて日本ハムに入団することを発表している。大谷翔平18歳。
そして、エンゼルス入団から6年。フリーエージェントになった大谷翔平選手がどの球団を選ぶのかと日米の
ファンやメディアが待ち侘びた2023年12月9日(日本時間10日)、ロスアンゼルス・ドジャーズと10年間総
額7億円の超大型契約を結んだのだ。大谷翔平選手の大きな節目はいつも12月9日。なんで?
どうして?わからんのだよ。でも、彼にとって「12月9日」は大事な日なのは間違いないだろ
うね。
その5日後、日本時間12月15日午前8時からドジャース入団会見があった。私は鹿児島のホテルで
それを観ていた。ロスアンゼルスの丘の上にあるドジャースタジアムに350人ものメディアが押し寄せた。テレビ
カメラは50台である。長年見慣れて来てエンゼルスの赤は翔平選手に実に似合った。1年だけだが、
松井ゴジラ選手がエンゼルスに在籍した時の赤ユニの写真は、失礼ながら笑ってしまい程に似合わな
過ぎだった。見慣れた赤のユニから、青へ。彼は青のスーツと青のネクタイ姿で会見会場に登場したが、
ドジャースのオーナーから青の新たなユニホームを着せられ、フリードマン編成部長から青の帽子を受け取った。
モデルになっても一流と言われるほどの大谷選手だからもちろん青のユニホームもよく似合った。そ
の後、大谷翔平選手は見事なスピーチを行った。
強く残留を願ったエンゼルスファンやチームの同僚・スタッフを意識したのだろうエンゼルスに丁寧な謝意を述べ
た。エンゼルスに未だ愛情を持っていることを感じさせる内容だった。そして新しく選んだドジャー
スについて。全員が勝つ方向に向いているチームで戦いたい!という大谷選手の強い意志がヒシヒシと
伝わって来る。勝利をなし遂げるため無くてはならない存在だったと言われる活躍をしたい、
とも。6年間のエンゼルス時代、彼がいかに「勝利」に飢えていたかを改めて思い出させるスピーチだ
った。大好きなエンゼルスに引き留めて貰いたい気持ちもありながら、やはり彼は勝利の可能性の
大きさを選んだ。彼が高校3年の時から注目している私は「翔平君、その選択は正しいと思う
よ」と母心で賛成した。会見中、飼い犬の名前を記者から聞かれ「デコピン」と答えた。以来、
デコピンは世界で一番有名な犬の名前になって行く。この会見は世界で7000万人が観たらしい。
岩手県から北海道に渡った18歳は、11年後世界のスーパースターになっていた。
翌年、アリゾナで開かれていたドジャースのスプリングキャンプ中に、大谷翔平選手は結婚したことを発表
した。世の女性は揃って「えぇ〜〜〜!!!!」と大ショックを受ける(笑)しかも記者が「ど
んな女性か」とシツコク質問しても「フツーの人」なんて木で鼻をくくるようなツレナイ返事。名前も年
齢もどうやって知り合ったかも何もわからない。世界中で泣いた人多かったと思うよ。それか
ら週刊誌やらテレビなどで大谷嫁探し騒動が始まって(笑)やがて、どうもアスリートの女性らしい、
とか、バスケの元選手らしい、とか。田中真美子さんじゃないか、とか。3月中旬、MLBアジアで
の開幕戦のためソウルに出発するため特別機に乗り込む直前の写真が突然発表された。そこには
麗しい真美子さんの姿が。この時は通訳夫婦も一緒に写真に納まっていたのだが。写真解禁に
なってからは、ホテルでくつろぐチームメンバーの写真や客席で大谷両親と応援する姿など真美子夫人
の写真を多く出回るようになった。NHKBS放送でも客席で観戦する真美子夫人を何度も映し、
「現地映像を利用しておりますので・・」と度々釈明したりしてね。
偶然、私もソウルに試合を観に行っていたのだが、3月20日の真夜中から21日早朝にとんでも無
い事件が明らかになっていた。長い間通訳以上のことをこなして、終始大谷選手に影のように
ピタリと張り付くように行動していた通訳の裏切りである。余りにも酷い話なので改めて書くつ
もりも無いが、新しいチームで「さぁこれから!」という時のタイミングでこんな事件が明るみになっ
て驚きと共に大谷選手の不運を多くの人が嘆いた。当然ながら、大谷選手は通訳の違法なこと
に全く関係が無かったし、世間からの疑いもやがて晴れた。これまですべてのことにチームとの
窓口になっていた通訳が突然不在になったことで、大谷選手はチームメイトや監督、コーチ、スタッフなどと
自らコンタクトを取る必要に迫られた。後任にはアイアトン氏が通訳となったが、彼は必要な時だけスッと
登場するような気遣いのある人物だった。新しいチームで、新しいチームメイト、コーチ、スタッフに自分のこ
とを知って貰い、親しくなっていく上で、それが大きく功を奏し、ドジャースの一員として溶け込
むための時間を早めたように思う。長年の通訳が消えてことが結果的に大谷選手には好材料と
なった。怪我の功名ってヤツだ。
昨年秋には右肘に2度目のトミー・ジョン手術を受けたから、当面彼は投手を封印せざるを得ない。
DH専任となる今季、大谷翔平選手はそんな自分が最大限貢献出来る方策を考えた(に違いな
い)。野球の動作は投げて・打って・守って・走ること。投げることが出来ないなら打つ以外
に走ることで貢献出来ないか。盗塁だ。それを念頭にキャンプではトップスピードが出るまでの時間
の短縮などの練習に力を入れた。スミスコーチがつきっきりで指導していた。MLBのルールが変わってベ
ース自体が従来より大きくなったり、牽制球数が制限されたりしたことも追い風となった。これ
までの一番多い盗塁は2021年の26だから今年の59は2倍以上の盗塁数となる。これがホームラ
ンとセットで50−50の大記録を達成し、3度目のMVP(発表は未だだけどゼッタイ取る・笑)獲得に
も繋がるのだ。
常勝ドジャースとは言われているが、実際チーム事情に詳しくなってくると怪我人が多く特に投手陣
が総崩れ状態になることもあり、首位を保つにはタイヘンな思いをしているのだなぁと初めて知っ
た。MVPトリオと言われてもベッツは死球で手首骨折して離脱、フリーマンが家族の病気や自身の怪我で
戦列を離れ、プリンスことグラスノーや大いに期待されて入団した山本由伸投手も数ヶ月離脱・・。
リハビリ中ではあったが、大谷翔平選手は殆ど休まずに出場し、獅子奮迅の活躍を披露した。古
巣エンゼルスが最下位に沈む中、ドジャースはナ・リーグ西地区首位でレギュラーシーズンを終了。まさに大谷選
手が数年間待ち侘びた「ヒリヒリする9月」であった。エンゼルス時代はここでシーズンは終わっていた
のだが、今年は夢に見たポストシーズンがここから始まる。ディビジョンシリーズではダル率いるパドレスに
3勝2敗で勝利、リーグチャンピオンシップシリーズではメッツに4勝2敗で勝利、そしていよいよワールドシリーズ
でニューヨーク・ヤンキースと相まみえた。地元ドジャースタジアムで2勝挙げたが、第2戦で大谷翔平選手は盗
塁を試みて肩を亜脱臼(後に脱臼と診断される)する負傷。3戦以降ヤンキースタジアムに戦いの場は
移ったが、大谷はチームに遅れてニューヨーク入り。肩を庇いながらでも出場を続けた。痛み止めを打っ
ての強行出場ではあったが、野球人の最高の舞台に居続けたい!という執念だったのだろう。
このシリーズでMVPを受賞したフリーマンもまた肋骨骨折をしたままの出場であったことを後刻知るこ
とになる。そしてドジャースは4勝1敗でワールドシリーズ堂々と優勝した。私は真夜中イタリアのホテルで優
勝を知って、涙した。移籍1年目で獲得したとてつもなく大きなモノを大谷翔平選手と共有した
い気持ちで一杯だった。おめでとう!大谷翔平選手!おめでとう!ドジャース!でも、ホントいろい
ろあった1年だったね。
で、イタリアは? 来週ね
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