夢子の地球大好きシリーズ 

シチリア・パレルモ覗き見 

 パレルモに8泊した。アメフットW杯の観戦が唯一の目的だ。日本戦が無い日は、せっか

くシチリア島に来たのだからと、タオルミーナ、アグリジェンド、カターニャ、シラクーサ

などの都市に遠出したり、ローマやベネツィア、フィレンツェ、ミラノ等イタリア本土に行

く人も多かったのだが、私はずっとパレルモに居座った。シチリア島(シチリア州)の人口

は5百数十万人を超えて、イタリア人口の十分の一に相当する。豊かな北に比べて、収入水

準は2分の1、失業率は2倍の貧しい州である。その州都パレルモは百万人近くが住む大都

会。人と軽自動車に溢れ、喧騒と排気ガスが充満している。あのゲーテが「世界一美しいイ

スラムの都市」とノタモウタと何かに書いてあったが、う〜む、という感じである。このパ

レルモ、歩くのがひと苦労。すばしっこい軽自動車もクセものだが、一番のワルはバイクで

ある。50CCから125CCくらいのバイクとスクーターの数が夥しい。北京や広州など中国

に行った人なら目撃した自転車の数を十分の一にした台数をイメージするとちょうど良い。

ほとんどが2人乗り。しかも無帽。そして運転無謀。すべて「ムボー」なのである。信号な

ど、もちろん守らない。歩道を歩いても通りを横切る度に胆を冷やす。車もこうなら歩行者

も信号や横断歩道など当たり前のように無視。どこでも渡ってしまう。どうなっているんだ

ろうね、この国って。「おい! イタリアと中国!!」 思い出したがタイのバンコックもそ

うだった。

     考古学博物館の内部と中庭

暑い。天気予報では、パレルモの気温は28度とか29度とか言っているのだが、とても

そんな気温なんかじゃない。日向に立っているとじりじりと太陽が肌を刺し、痛いほどだ。

1時間も歩いていると全身汗にまみれる。暑さが大の苦手なのに、去年といい、今年といい

何で暑いイタリアに2年連続で来てしまったのかと天を仰ぐ。そんな訳で、シチリアの歴史

やパレルモの事前勉強もある程度やって来たのだが、結局は島のあちこちに行くのも、街を

歩くのもおっくうになってしまった。毎日、午前と午後「お勤め」と称して、その辺をちょ

っと一回りして来るだけ。8日間で見たのはクワトロ・カンティ、プレトーリア広場(工

事中)、サン・カタルド教会(モノの本では、サン・ジョヴァンニ・デリ・エレミテ教会と

いう記述も)、マルトラーナ教会、サンタ・チータ祈祷所、ポリティアーマ劇場、マッシモ

劇場、考古学博物館。これっぽっち。この中でサンタ・チータ祈祷所は素晴しかった。「漆

喰のパガニーニ」と称される(何故パガニーニなのだろうか。感じはわかるが)ジャコモ・

セルポッタの漆喰装飾「レパントの海戦」始め、小さな祈祷所内部を見事な漆喰が飾って

いる。こんなにすごい装飾があるにも関わらず、訪れる人が少ないことと、一人で感動して

いる私にずっとついて回って傍に立っている係のおじさんの存在がとても不思議であった。

これからパレルモに行かれる方、必見!

教会の裏手で犬の昼寝かな

 

サンタ・チータ祈祷所 ジャコモ・セルポッタの「レパントの海戦」

   

マッシモ劇場       赤いクーポラが印象的なサン・カタルド教会 マルトラーナ教会

一番の遠出は、市内から8キロの山の街モンレアーレ。タクシーで出かけ、小さな街だが

モンレアーレの大聖堂(ドゥオーモ)と隣りの旧ベネディクト派修道院の回廊キオストロを

見学した。回廊キオストロの中庭を囲んだ列柱にはそれぞれ違った模様の彫刻がほどこされ、

あるいはきめ細かな素晴らしいモザイクに飾られて美しい。1本づつ丁寧に見ながら回廊を

一周する。モンレアーレとは「王の山」という意味なのだそうだが、パレルモから近く、涼

しい気候と山のてっぺんからの大パノラマの景色が望めることから、貴族の別荘地だったと

か。ポルトガルに歴代王妃に愛されたオビドスという街があるが、丘の上の静かな小さな街

ということで何となく似ている。ドゥオーモの黄金のモザイク画を口をあんぐりと開けて見

とれていたら、突然パイプオルガンがメンデルスゾーンを弾き始めた。真夏の夜の夢。そう

結婚式が始まったのだ。水曜日の午前11時? いいなぁ、平日結婚で。これから結婚する

皆さん、結婚は平日の夜にしてね。

     

          ドゥオーモの黄金のモザイク  回廊と彫刻が素晴らしい列柱

 

ドォーモ前広場の観光用馬車 モンレアーレの丘からコンカ・ドーロ(黄金盆地)を眺める

出発前に食通の友人から「シチリアの料理で気に入ったのはウニスパよ」聞いて以来、ウ

ニスパゲティが頭から離れない。パレルモに着いて、行った店で聞いたらリッチデマーレは

無いという。リッチデマーレって海の栗の意味。ウニが海の栗とはネーミングうまいねぇ。

ガイドさんを通じて調べて貰ったのが、ここでもウニの乱獲で年々減り続け、7月1日から

禁漁になったという情報。今日は6月30日ではないか。ムムム、困ったぞ。日本の優勝と

ウニスパだけを楽しみに来たのに。

日本戦を3戦、他の国同士の試合も見に行ったから、夜の食事をリストランテでまともに

取ったのは2回だけ。ちゃんと昼食の2回を加えて4回何を食べたか。パレルモは港街だか

ら魚介類が豊富。一番有名なシチリア料理は、鰯のパスタである。パスタも南イタリア独特

のブガティーニというマカロニのように穴の開いた太麺に鰯を絡めると「ブガティーニ・コ

ン・レ・サルデ」となる。鰯に松の実、干しぶどう、フェンネルの葉、サフランが入ってい

て、何ともうまい。ブガティーニは歯応えがある。コッツェとはムール貝のこと。日本で見

るものより余程小ぶりで、身は柔らかくてウニに似た味もする。これをズッパ・デル・コッ

ツェという料理名で、トマト味の少なめのスープ仕立てにして貰ったが、テンコ盛りのコッ

ツェは絶品であった。魚(ペーシェ)は、イカ(カラマーリ)、蛸(ポルポ)等は覚えられて

も、鮪(トンノ)、鰹(トンネット)、すずき(スピゴーラ)とかは何だかわからなくなって

しまい、店のショーケースで指を差して注文した。ただ網の上で焼いてオリーブオイルをか

けてあるだけだから、格別うまいというものでもない。

決勝戦の日の昼食。言わばパレルモでのちゃんと食事を出来る最後の機会である。やっと

念願のウニスパにありついた。待ちに待っているうちに、ウニスパの虜になり、イメージは

どんどん膨らむ。礼文島で獲れる大きな馬糞ウニを一箱丸ごとスパゲティの上に乗っけて海

苔を散らし、わざび醤油をたらしてある、なんてイメージまで出来てしまって。んな訳ない

か。で、実際違いました。西日本で獲れるような、甘みのある赤い小さなウニで、さっとオ

リーブオイルに絡めたものがスパゲティの上に乗っていた。ボ〜ノ!美味しかった。この店

を最初から知っていたら毎日来たのにな。シチリアは物価が安い。夜、ビールやワインをた

くさん飲んでお腹一杯食べても、1人4千円〜6千円位。お金の心配をしないでパクパク安

心して食事が出来る。

イタリア最後の晩餐はミラノで。数々の野菜の大皿料理を自由に取るアンティパスト(前

菜)、プリモピアット(第一の皿)は、パルメジャーノ・レッジャーノのリゾット、セコン

ドピアット(第二の皿)は、コットレット・アラ・ミラネーゼ(ミラノ風カツレツ)という

洒落た内容で、値段は高いものの洗練され、栄養のバランスも良い食事に多いに満足をした

のだが、何だかシチリアの素朴な味を懐かしく感じたのであった。

         茹で立てのパスタを飾る紅きウニ

シチリア=マフィアのメッカ。行く前のイメージはまさにこれであった。「観光客には手

出しをしない」、「人通りの多い昼間は安全」なんて本の注意書きを読んだりして、よくよく

用心しなくっちゃと考えていたのだが、いざ恐る恐るパレルモを歩いてみると、田舎くさい

シチリア人がいっぱい歩いているだけで危険は感じない。そりゃそうだよね、真っ昼間に

「マフィアです」なんて名札をつけているわけないもん。そのうちすっかり慣れてしまって、

緊張感の無いぼーっとした滞在客になり下がってしまった。ミラノに行く日「マフィアは聞

いた程じゃないじゃん」などと思いながら空港に向かうバスに乗る。車中で現地の日本人ガ

イドから衝撃的な話を聞いて驚愕。街中を走っている軽自動車を運転している人の中には大

金持ちも多い。何故ならマフィアから目をつけられることを恐れて皆小さな車に乗っている。

店舗は殆どミカジメ料をマフィアからしぼり取られていて、払わないと店が爆破されること

もある。一方通行の道には一車線だけ対向方向の特別のレーンがあるが、それはバスやタク

シー等の公共車用でもあるものの、主には警察、消防、救急車用に設置されている。警察車

はそれほど多くは無いが、マフィアに狙われ易い要人には数台の護衛車がつくから結果多く

なる。要人と護衛車には、信号無視が認められていて、いつも時速80キロ位でぶっ飛ばし

て走る。1992年にあったテロは凄かった。反マフィアを表明していたファルコーネ判事は、

空港から市内に続く高速道路下にダイナマイトを仕掛けられ、道路ごとふっとばされて爆死。

そのわずか3ヵ月後に同じくボルセリーノ判事が暗殺されたと。パレルモ市は両判事の死を

悼み、空港名を「ファルコーネ・ボルセリーノ空港」と改めたが、一般市民は元々の空港の

名前「プンタ・ライジ空港」と今も呼んでいるんですって。いやはや、パレルモを離れる直

前に聞いて良かった。着いた時に聞いたんじゃ、こんなにのんびり過ごすことは出来なかっ

たと思うし。知らないことは良いこともある。

 この日、パレルモ市内で誰かが車に乗ったままマフィアに襲撃されて死亡するという事件

があったとミラノのホテルで見たテレビが報じていた。

 

         パレルモや誰ぞマフィアか夏日陰

表通りを1本入ると クワトロ・カンティ ペルージャ中田#7のユニフォーム   パレルモ駅

帰国前のたった1日だけだったが、ミラノで過ごす。特に記すことも無いのだが、空港に

出迎えてくれた日本人ガイドの話があまりに面白かったので記録する。

日本人ガイド風貌:身長152センチ、体重39キロ、年齢45歳前後(いずれも推定)

声:低音で音程は一定。念仏みたいな早口で感情を交えず、厳かに、しゃべりまくる。表現

に繰り返しが多い。

「皆さん、ミラノにようこそ。はい、皆さんは暑い暑いパレルモで暑さの練習をして来られ

ました。イタリアは確かに暑いのですが、湿度が低くからっとしていると言われています。

でも、ここミラノは違います。湿気が非常に高く、この時期は60%。日本で蒸し暑いとい

うのは80%位でしょうから、言わばミラノは日本に帰るための身体の練習をする所と言え

ばいいでしょう。

 しかも、他のイタリアの都市と違うことがもう一つ。 蚊。 蚊です。蚊がうじゃうじゃ

います。昼間はそれほどでもありませんが、夜は暑いからと屋外のテーブルで食事をします

と100%蚊に喰われます。100%です。100%。刺された時は、ちくっとするだけで

すが、やがて猛烈に痒くなり大きく腫れます。大きく腫れます。日本にいるやぶ蚊とは種類

が違いますが、大きな蚊です。蚊避けのスプレーをお持ちでしたら、お出かけの際には、是

非スプレーを肌にかけていかれることをお勧めします。

 はい。お客さんは観光客を狙わないマフィアのパレルモでしたから、ご無事でしたでしょ

うが、ここミラノで一番狙われるのはお客さん達、そう観光客です。ドゥオーモの前当たり

に行かれますと、ジプシーの子供達がうじゃうじゃいます。段ボールなどを持って数人で近

づいて来て、バッグに手を入れます。あるいはバックを刃物で切り裂き盗みます。置き引き

、すり、かっぱらい、乞食だらけがミラノだと思って下さい。物乞いをしているのがいっぱ

いいますが、私が長くここに住んでいての経験では、フィリピンやタイなどアジア系の人で

物乞いをしているのは1人も、ひ と り も見たことがありません。そう考えればお金な

どやる必要がないことは自明の理なのであります。朝食のブッフェで日本人は確保した椅子

にバックを置いて食べ物を取りに行きます。日本人のサガです。テーブルに戻ってみると、

バッグはありません。いいですか。バッグはありません。椅子の後ろも気がつくとバッグは

ありません。パスポートは命の次ぎに大事なものです。自分のお金でミラノに残って、パス

ポートの再発行を待たなければなりません。ばかげたことです。

 はい。皆さん、ミラノでお買い物をしようと思っているんでしょうね。私がここに長く住

んでいるうちに、徐々に、じょじょに、段々、だんだん考え方が変わって参りました。気が

ついたのであります。高いブランド品なんか買っても、持って行く場所が無いということに

です。ブランド品とは、運転手つきの高級車で買い物をされるごく一部の貴族や大金持ち用

にあるものであって、地下鉄やバスで買い物に行くような人のものではないのであります。

だ か ら、だから皆さん、くれぐれもグッチやプラダ等の袋をたくさん、たくさん持って

地下鉄などに決して決して乗らないで下さい。「私はお金を持っているのよ、盗んで」と言

っていることと同じことなのであります。災難に会いたいと言っているようなものです。

…………………………………えんえんと…………………………………。」

どこが「ミラノに よ う こ そ」なんだ!!!

         ミラノっ子蚊に喰われしも洒落ていて

 

                                   おしまい

データ:旅した日/1999年6月27日〜7月5日   書いた日/1999年7

 

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