夢子のニッポン大好きシリーズ 

唐津・呼子エスケープ  マンホールにも唐津焼

東松浦半島の旅一日目                 

 平成11年2月19日。昼、中州川端より地下鉄「唐津行き」乗車。約1時間半。途中姪

浜よりJR築肥線に乗り入れる。だいにゅう(大入)、しかか(鹿家)なんて面白い駅名の

あたりから車窓の外は海になる。よくある話で、サラリーマンが通勤電車の中でムラムラと

出社拒否症になり、突然「旅」に出るなんてシチュエーションがあるが、この電車はそんな

失踪希望人にぴったり。博多駅や天神で降りないで、そのまま乗ってさえいれば「旅」にな

ってしまうのだから。とっても便利。ただし、その日、まわりにそれらしき人は乗っていな

かった。 

駅前の唐津シティホテルチェックインしてから、中里太郎右衛門窯見学。唐津焼の中では

一番高価な作品を作るらしい。だから作品はやっぱり高い。三島唐津、朝鮮唐津、絵唐津、

粉引唐津、斑唐津。中でも、三島唐津と粉引唐津に心が惹かれる。別棟に伊万里や有田も混

じる古い佐賀県下の作品や、高価な唐津の作品を展示している。展示のガラスケースに鍵が

かかっていないどころかあけっぱなし。人が出入りしてはいるが、私が1人になった時もあ

る。何たる鷹揚さよ。100万、200万、300万、500万円なんてのもあるのに。小さなものなら、

一つくらい無くなっても気がつかなかったかもしれない。惜しいことをした。            

大陸の伝えて冴ゆる今唐津 

多くの唐津焼の窯元があるというので、買い物は全部見てからにしよう。川島豆腐店。呉

服町のアーケード手前を右に。自宅用のざる豆腐(3540円)の発送依頼と明日の朝食予約。

用事は無事済んだが、接客態度はなっていない。従業員が同店の人気にあぐらをかいている

のかどうか。客の私が店に入っても、おしゃべりが一段落するまで無視するのだから。った

く。アーケードをぶらぶら歩く。やっぱり唐津焼の町らしく、たくさんの窯の店がある。日

常食器や安い陶器を店先に並べている。市役所の傍の小物を売る店に入る。たくさん置いて

ある「唐津くんち」の人形は見送り、友人に猫の土産と自分用に猫の箸置2つ(有田焼)を

買う。人の良さそうな店主のおばさんが猫の箸置を包みながら「有田は高いのよね〜」と大

きな声でつぶやく。唐津焼に対してということなのか、単に高いと思っているのか。曳山展

示場。入場料200円。14の曳山(15あったが1つ破損)が展示されていて、祭りの様子をビデ

オで見ることが出来る。「唐津おくんち」(11月2〜4日)はつとに有名だが、ビデオからも

迫力が十分感じられる。本物を是非見たい!「エンヤ〜エンヤ〜」ですかぁ。曳山といえば、

日田も長浜も飛騨高山のそれも見たいと思いながら実現していない。 

唐津神社。「おくんち」は産土神である同神社に奉納される祭。由緒ある神社だと畏まっ

てシズシズと本殿に近づいていくと、突然犬を散歩させている人が前を横切る。な〜んだぁ、

そんなことしてもいい神社なんだ。しかも犬は放しっぱなし。でもやっぱり良くないと思う。

西の門館。新しい堂々とした和風建物で入場無料。昔掘り起こされた物が展示されているが、

価値を感じられず真面目に見学する気になれない。売っている産物も数少なくて買う気には

ならないのだ。建物は立派なのに中身の無いものをどうして作ったんだろう。いわゆる行政

の「箱もの」のムダか。しかし、奥にゆったりした休憩場があり、お茶の無料サービスがあ

る。煙草を吸ってお茶を頂く。悪口言いながら気は引けるがご馳走さま。    

町のあちこちに観光客向けの看板が整備され、観光行政に力が入っていることが伺われる。

唐津焼の唐津だからか、石畳に埋め込まれた唐津市の模様も唐津焼。そういえば、JR唐津

駅の駅舎出入り口の把手も唐津焼だった。一軒、一軒の家が比較的大きく、庭にたわわにな

った柑橘類など庭もよく手入れがされている。住みやすい町に思える。 

時の太鼓。唐津はふるさと創生1億円をこれに使ったわけか。毎時からくり人形が出てく

るらしいが、正時まで待てなかったので見ることは出来なかった。唐津城が見えてきたが、

ここから700メートル。帰りの距離を考えるとかなり歩くことになる。疲れた。帰ろう。大

名小路を歩いたら、由緒正しき宿「綿屋」があった。ほんに由緒正しきだなぁ。いつか泊ま

ってみたい。ホテルに帰って7階の部屋から窓の外を見ると、唐津の街の向こうに明るい海

が広がっている。日が伸びて来たとはいえ、この時間でこの明るさ。やはりここは西国だと

思う。           

日脚伸ぶ唐津の海の明るさや

 

     

唐津の住宅街           唐津神社の鳥居   時の太鼓    

発見。ホテルの5階に大浴場がある。しかし「自然湯」とある。温泉と違うのか。早速行

くと、年輩の女性が帰るところで、従って貸し切り。温泉の含有物の表示があり、どう見て

も温泉のようだが、あくまで「自然湯」と書いてあるのは何故か。髪を洗って身体を洗い、

浴槽の真ん中にぼこぼことジャグジー風に湧いている上で疲れた脚を癒す。今日見かけた犬

が5匹。猫はいない。その犬が皆きれいでいかにも可愛がられているという風情だった。唐

津では「お犬さま」なのか。徳川五代将軍はここの出では決っしてないが。8時前、昼間見

つけておいた「大連水餃子菜館」に行く。宴会客2組8人。若いカップル。おじさん1人。

桐島洋子さんと親しいのか、彼女の筆による「料理のうまい女性は頭がいい。大連水餃子菜

館さん江」と書かれた色紙や、桐島さんのインタビュー新聞記事の黄色くなった切り抜きが

貼ってある。メニューを見て悩む。結局大連水餃子、もやし韮炒め、大連チャーハン、生ビ

ールを注文。チャーハンは普通だが、他は皆うまかった。2450円。ホテルに帰ってマッサー

ジ。40分3700円。安い。目の不自由な人だったが、来月東京永田町の参議員会館で行われる

会議に出席することで頭が一杯で、羽田から永田町までの道順、所要時間など質問攻めにあ

った。「shall we dance?」を見て寝る体制に。早く寝る筈が羽毛蒲団のせいで暑くて眠れない。

暑くて蒲団を剥いだり、寒くて掛けたりを繰り返し、寝たのは4時過ぎだったか。

 

東松浦半島二日目

 6時45分に起きる。川島豆腐店へ。10人限定なのに前日予約出来たのでラッキー!な

んて思っていたのだが、客は私1人だった。主人の川島義政さんといろんな話をする。キリ

ンビールの一番しぼりのCM・中山美穂のシリーズで、同店の「ざる豆腐」を食べている場

面で撮りたいという話が進んいるのだとか。他の店でもじゃんじゃん使っていたような気が

するが、「ざる豆腐」は川島豆腐店の登録商標なんですって。知らなかったぜ。先日亡くな

った山岡久乃さんが、ここのざる豆腐の大ファンで、中田喜子さんから教えて貰ってからす

っかり気に入り、400人の手書きリストを渡して順番に送ってくれと依頼したのだそうだ。

森繁久弥、和田アキ子等芸能人がずらりと並んでいて、どうしてこんなに沢山の人を知って

いるのだと驚いたという。川島さんにも山岡さんが亡くなったことは随分ショックだったよ

うだ。先日東京に行かれた時、築地見学とそばを食べた話。神田というので「まつや」か

「神田やぶ」当たりかと予想したが「松翁」。銀座の鮨屋「きよ田」の話など。さて、料理。

熱〜い豆乳。ざる豆腐。お代わり自由。そのまま食べても甘く大豆の味がする。ほとんど醤

油をつけずに食べる。朝の8時に来れば、まだ暖かいざる豆腐が食べられる。おから。しっ

とりしていて、だしと塩味だけの味つけ。ねぎと椎茸が入っている。うまい! 厚揚げ。大

豆油で揚げているが新しい油がうまいと思う。大きな豆腐を入れた味噌汁、麦と豆腐を薄い

だしで煮たうずみ豆腐。山葵が添えてある。漬物。いける。1500円+消費税。これに刺身・

焼き魚をつけると2000円とか2500円になるらしい。彼も積極経営で販路も広げ、知名度も上

がり順風万帆のようだが、早朝起きての豆腐屋商売にマンネリというか、疲れがにじんでい

るようにも思う。何の証拠もないけど、私が勝手に感じたこと。後日、唐津出身の方に聞い

たところ、この川島豆腐店はフツーの豆腐屋だったのだが、文化人にして食通の中里太郎右

衛門当主から指導を受けて、現在の商品作り、店作りが実現したんですって。唐津市は川島

豆腐店を「街おこし」の成功例として、他にも普及させたいようなのだが「昔ながら」にコ

ダワルおじさん達の反発も結構強いらしいよ。「唐津はだからダメなのよ〜」と唐津女性は

言っていた。そうなのかなぁ。 

チェックアウト。シングル7000円に昨日の昼食代を入れて9000円くらい。安い!荷物を駅

のロッカーに預け、9時40分のバスで呼子に向かう。空いている。大きなバスで運転手さんと

2人きりだったらいやだな、と心配したがバスセンターで3〜4人乗ってきて安心する。ゆ

うべ数時間うつらうつらしただけなので、ほとんど居眠りしていたら呼子に着いた。670円。

随分前からたくさんの資料を集めたのに、全部忘れて来てしまうという大ポカを演じてしま

い、改めて情報入手のために喫茶店に入る。経営者らしい母と娘がいる。世間話を始める。

雪が舞っている。風花? 「海が荒れているから舟に弱い人は乗らない方がいいよ。七つ窯を

舟から見ると景色がよいが、今日のような日舟は出ないのではないか。朝市は安いものが多い

が送って貰うことは出来ない」。食事をするなら河太郎はどうかと聞いてみれば「いろいろあ

るけど無難かも」。「げその天ぷらがイチ推し」だと。450円のコーヒー代は、呼子では高い

と思ったが、たくさん教えて貰ったので気持ちよく払う。外は雪が激しくなっていた。なの

に雪の上には青空も見え、そして太陽も見える。やっぱり風花か。 

朝市。狭い商店街の両端にずらりと商品を直接地べたや台の上に並べている。野菜系と魚

介類系。野菜はじゃがいも、大根、ブロッコリー、蓮根等。魚介類は海鼠、さざえ、うに、

烏賊、鯖などナマモノもあるが、圧倒的に干物が多い。烏賊の一夜干し、鯵の干物と味醂干

し。一軒のおばちゃんが、「同じように見えても味は一軒、一軒違うとよ〜。味見しちょっ

て〜」。東京に持って帰るには匂いもあって大変だが、買うことにする。やたらおまけして

くれる。味醂干しが11枚500円、烏賊一夜干し2枚と鯵1枚500円。       

           風花や客少なくて朝の市        

かじかみて小魚を売る呼子かな

朝市の露店が終ったところにタクシー会社があった。昭和タクシー。一番前に停車してい

た運転手さんと目が合ってしまったので乗ることにする。

「どこまでば行かれますっか?」

「どこに行きましょうかねぇ」

「はぁ〜?」。

時間が無く、車の足が欲しい時によくやる。ぐじゃぐじゃ言いながら、結局自家用運転手に

してしまうにはこの手が一番。しかも「半日いくら」なんて言い出す雰囲気にならぬよう。

波戸岬に向かう。名護屋橋を渡り、名護屋城跡を左手に見ながら約10分。風が強い。立

っていられないくらいの強風。東松浦半島最北端の岬というので、断崖絶壁を予想していた

ら砂浜が広がったりして平地なのである。馬渡島の向こうには隠岐も見える。運転手さんが

写真を撮ってくれる。今来た道を戻って名護屋城跡へ。膝が悪いというと、運転手さん「し

っかりつかまっとって下さいよ〜」。狭い急な坂道を登り出す。ど、どこに行くんだ〜! 

曲がりくねった坂道がやっと終わったと思ったら、そこは天守閣跡の広場であった。丘に登

ったせいか風の勢いはいや増す。波戸岬で見て来た景色を上から見た格好になり、大パノラ

マ。呼子大橋もくっきり。ここで秀吉は、大陸制覇の無謀な夢を描いて6年以上も海を眺め、

野望を募らせていたのか。日本の天下を取ったら次は明。「仮道入明」。明をとるために朝

鮮に道を貸せといい、断わられたので朝鮮半島侵略。文禄・慶長の役。無益な戦い。                       

北風やおろかなる役城の跡            

太閤も丘より眺む冬の壱岐

波戸岬はフツーの海岸だった         名護屋城跡

平成5年に作られた名護屋城博物館に行く。運転手さんに待っていて下さいと言うが「い

えいえ、私もお供させて頂きます」「!!」。しかも私のバッグを持ちましょうか、なんて

言う。早くも、お抱え運転手になってしまった。入場無料。テーマは、「日本列島と朝鮮半

島の交流史」。おろかな戦いから400年経ってから(もっとも20世紀の始めから約50

年間の日韓併合というとんでも無いことがあったのだが)両国の新たな交流を願って作られ

たのだとか。展示も日本語とハングル語で書かれている。ただ秀吉が侵略時、朝鮮人の鼻を

削いで戦利の目安にしたという最も残酷な紹介にはハングル語の訳は無かった。やるならち

ゃんとやれ! もう十数回目という運転手さんだが、いやに熱心に展示を見ている。初めて

来た私だが、史学科卒(ぐわっはっはは)のなけなしの古びた知識で運転手さんに説明など

をしてしまう。30分のつもりが1時間になった。 

加部島に向かう。呼子大橋を渡る。89年に完成した728メートルの白い優美な橋で、

橋の入り口には「新佐賀百景」で一番という表示があった。橋からの眺めも素晴しいが、島

の山頂ともいえる「風の見える丘」からの見晴らしはまさに絶景。今渡って来た呼子大橋が

遥か下に見下ろせ、複雑な湾内が一望出来る。この加部島は悲恋の佐用姫伝説で有名なのだ

とか。田沢湖の竜子伝説、千葉の手古奈姫伝説……。美しい女性の悲恋と悲劇というワンパ

ターンのストーリーばかりでうんざりだが、マッチョタイブのたくましき王子の明るい恋で

は伝説にならんのだろうなぁ。この島は柑橘類の産地でもあって、甘夏ジュレーを土産に買

っていけと運転手さんが熱心に勧める。この島だけで人口は800人で加部小学校もあるの

だとか。もうこの頃には、運転手さんはすっかり「シモベぶり」が板について、車を停める、

さっと外に出てドアを開け、傘を差し出す、荷物を持つ、先導する、写真を撮る、といった

一連の動きが流れるようにこなせるようになって来た。私も最初の頃は「まぁ恐れいります」

「ありがとうございます」なんて殊勝に言っていたが、途中からトーゼンという態度に変わ

っている。どこに行こうかしらねぇ、と乗り込んでもう2時間以上経ったのか。そろそろ昼

食も取らねばならないし、見るところも無くなった。昼食場所に決めた河太郎に送って貰っ

たところで料金が7400円。1万円を出し「お釣は要らない。いろいろご親切にありがと

う」と言うと運転手さん驚愕し絶句して、その上、うるうると涙が盛り上がってきてしまっ

た。慌てて降りる。最後まで名前は聞きそこなってしまったけど、とてもとても人の良い運

転手さんだった。

加部島から呼子大橋を見下ろす。絶景でしょ?

河太郎。呼子に数多くある活イカ料理屋で一番の知名度と集客数を誇っているらしい。も

う1時を廻っていたが、店内は大混雑。立って何人もの人が順番を待っている。普段は番号

札を渡しているらしいが、今日はそこまで行かない。団体客らしい一団がどっと出て来たの

で、それほど待たずに座れた。店の真ん中に池のような大きな水槽。元気なイカが泳ぎ廻っ

ている。30分に一度位店の旦那風の人が出てきて網で泳ぐイカを何バイもすくっていく。

メニューはシンプルで活イカ定食2300円を中心にイカの刺身と天ぷら。定食は両方付く

ので、ほとんどの客は活イカ定食を頼んでいる。私もそれ。まずは、お吸い物、刺身、お弼

に入ったご飯、漬物。呼子の活イカは何度か福岡で食べたことがあるが、透明のイカの身が

少し硬いものの甘くてうまい。しかし、何と言っても刺身をあらかた食べたところで一旦回

収されて熱々で供されるゲソの天ぷらが圧巻。回収していったゲソだけではこんな量がある

かい、という程のてんこ盛りである。塩を振って食べたり、天つゆにつけて、もりもりと食

べる。ご飯も進む。ゴハンガゴハンガススムスム。お弼にあったご飯をお茶碗3杯全部食べ

てしまった。あ〜、幸せである。朝入った喫茶店のお母さんが「天ぷらがうまかよ〜」と言

っていた意味を実感する。満腹、大満足で、ぷらぷらと港に沿って歩く。バス停のある呼子

まで20分位だが、腹ごなしにちょうど良い距離だ。湊経由のバスで唐津へ戻る。 

 

河太郎 行列覚悟で        呼子の港 民宿や活イか料理屋などが並ぶ

唐津でやり残したこと。唐津焼を買うこと。昨日いろんな窯の店を覗いたが、一堂に見ら

れて物色出来るところに行きたかった。駅の近くにあるふるさと会館アルピノの2階に唐津

焼共同組合の合同店舗があるのは知っていたのだが、昨日の金曜日は定休日。観光に力を入

れているらしい唐津に好感を持ったが、金曜日の定休日は無いだろう。唐津最後の時間はア

ルピナに。あるある、いろんな窯の作品がずらと並ぶ。でももっと数が多い方がいいのに。

ゆっくりと2周して畳の休憩場所で一服。買い過ぎを戒め、買うものを絞る作業。冷静にな

らないと、かたっぱしから買ってしまう悪い癖がある。で、4つの窯から、中鉢、平中皿、

湯呑み、飯茶碗2、高杯盃、ぐい呑みを買う。絞ってこれだけ買うのか。ヒマしていた店員

の3人がやにわに忙しく立ち働く。急いで包装する彼女達に「全部送って」。

26時間ほどしかいなかった唐津、呼子だが、面白い旅だった。帰りの電車は逃避行旅の

サラリーマンが日常に戻っていく逆バージョンとなって、築肥線がやがて地下鉄となり博

多空港に着いた。                                  

 

おしまい

データ/旅した日:1998年2月      書いた日:1998年5月

 

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