夢子のニッポン大好きシリーズ

信州・そばと温泉湯けむり 

 長野市内のそば屋「二本松」に行く。初めての店。そば屋に来るとそばやそばつゆのうま

さはもちろんだが、量がとても気になる。長い時間待ってようやくそばが運ばれて来たのに

たった3〜4口で終ってしまうなんて寂し過ぎる。だから大盛そばを注文したのだが、それ

程の量はなくあっという間にたいらげた。善光寺に急ぐ。急ぐからタクシーを待たせてのお

参りだ。バチ当たりだわね。善光寺さんに来たのは小学校5年生の修学旅行以来だから40

年振りになる。当時長野県大町市の小学校に通学していたが、その学校の修学旅行は、4年

生が大糸線で1時間余りの松本市、5年が松本で乗り換えて長野市まで、そして6年生にな

ると2泊3日で中央西線に乗って名古屋・東海方面に行くのだ。5年生9クラス500名弱

で来たが「牛に曳かれて善光寺参り。牛はおまえズラ〜」などと、ワイワイガヤガヤ騒いで

いた。その時は、とてつもなく大きな寺という印象があったが、今こうして見ると大きさは

感じない。現在この善光寺で、以前部下だった人がお坊さんをやっている。彼は肩揉みがと

ても上手で、私の岩のような肩をよく揉んでくれた。

 長野駅から新幹線ひと駅で上田に到着。ここから鹿教湯温泉に向かう。旅のバイブル・J

R時刻表でバスの時刻も調べて来たが、駅前のバス乗り場で確認すると、ちょっとずつ違っ

ている。まぁいい、待とう。時刻表(大版)は実に便利だ。次の旅先を考えるために地域別

に分かれた地図を見る。主要目的地を決めたら周辺にも目を移して大体のコースを決定。次

に路線ごとにつけられたページを探すと時刻表が出ている。何本かの列車の候補をメモし、

乗り換えの場合の列車も控える。バス便の場合の時刻も載っている。巻末のホテルや旅館を

調べ、良さそうなところが見つかれば予約する。現地まで飛行機に乗る場合も時刻が出てい

るし、飛行場からのアクセスも調べられる。さらには、定期観光バスのコース、時間、料金、

予約先まで入っているから、これも活用。暇な時は、この時刻表のあちこちを見ていると飽

きることがない。旅の情報源には国内なら「じゃらん」や「いい旅見つけた」も熟読します。

鹿教湯温泉を知ったのは、親しい友人夫婦が随分前に休暇で訪れ、「鄙びているというか、

情緒があってとにかく良い」と繰り返し褒めたからだ。「いつかクラウン」ではないが「い

つかカケユに」と頭に刻み込んだ。カケユというので、初めは「掛け湯」と書くのかと思っ

たが、鹿教湯温泉なのだった。9月下旬ということで、バスの窓には、明日にも刈られるの

か黄金色の田と稲刈を終えたばかりの裸の田が代わりばんこに登場する。上田駅から1時間

余り走ると人家もまばらになりさらに奥深く入っていくと、そこが鹿教湯温泉だった。上田

市と松本市のほぼ中間に位置する。

 今日泊まるのはSホテル。1人客OKというので予約した。ひとり旅をしていて困るのは、

シティホテル、ビジネスホテル以外の旅館は1人客を嫌がる。はっきり断わられたことが何

度あったことか。「お一人さまは扱っていません」なんて断わり方をした旅館もある。扱う?

失敬な。平日なら、とかオフシーズンなら、という条件つきで宿泊可能なところもあるが、

旅館で「どうぞ」と言ってくれるところは極めて少ない。鹿教湯温泉は湯治場としてつとに

有名で、昭和31年に環境庁指定国民保養温泉地に指定されている。一つ前の停留場には温

泉療法の病院もあった。湯治場で、ホテル? ちょっと違和感もあるが、きっとホテルとい

っても名ばかりなのだろう。下車したがホテルの場所がわからない。自炊長期湯治客のため

の商品を並べている商店や土産屋が何軒かあって、西陽を避けて日除けを下ろしている。湯

治客は昼寝でもしているのか、空白の午後とも呼びたいほどシーンと静まりかえっていた。

1軒の雑貨屋で聞いてホテルの場所がやっとわかった。店を除くとほとんどが木造かモルタ

ル作りの古い2階建ての旅館が建ち並ぶ。そんな中、川に向かって坂を降りて行くと右手にぬ

っと立つSホテルがあった。驚いた。信州弁でいえば、びっくりこいた。10数階建てのビル

なのである。しかも真新しい。む、む。こ、こんな立派なホテルなんだ。それも鹿教湯温泉で。

正面エントランスから入っていくと、黒服のフロント係が満面の笑顔で出迎える。チェック

インの手続きが終ると、ホテルの仕組みの説明があった。

「当ホテルは、ご宿泊頂くお客さますべての方に、この1階突き当たりのブッフェ(このヴ

ッフェの「ヴッ」の部分を発音する時は爆発音で)でお食事をとって頂いております。ご夕

食、ご朝食すべてこのヴッフェでおとり頂きます。時間は予約制となっておりまして、ご夕

食の場合、5時、5時半、6時………………。それでは、神山様の今晩のご夕食は5時半で

よろしいですね?」

「5時半? いえ、ちっとも良かーないです。2時におそば食べたばかりだし、大盛りだっ

たし・・・・、一番遅い時間にしてください」

「さようでございますか。はい、かしこまりました。それでは6時ということに。テーブル

の方のご用意が出来ましたら、お部屋の方にお電話申し上げますので、その頃にはご在室を

お願い申し上げます」

 何だ、たった30分遅らせただけじゃないか。ぶつぶつ言いながら部屋に向かう。ベッド

2つの洋室と8畳の和室を組み合わせた間取り。小さいがキッチンもついている。テーブル

にSホテルの連泊の料金表があった。2泊目は部屋代3割引き、3泊目5割引き、4泊目全

額引き、5泊目は割引き無しで1泊目に同じ。つまり4泊を基本セットにして連泊のメリッ

トがある。食費に割引きは適用されない。但し、この連泊割り引きは、4日間ベッドシーツ

や枕カバー、タオルなど一切取り替えないという条件になっている。連泊のお客には毎月1

回無料のバス旅行があるのだそうで、長野県下の木曽福島や上高地、美ヶ原などに出かける

のだとか。午後には、女将が「お茶にしましょ」と呼びかけてお茶を楽しむ会もあって「現

代の湯治サービス」を随分研究した結果と見た。

 水着に着替えて、地下のプールに行く。男女別の大浴場に隣接してプールがあるのだ。4

コース、15メートル位か。プールに行くと丁度水中ウオーキングの講習会をやっていた。

7〜8人の老若男女がコーチの後についてプールの中を歩いていた。私も自宅近くのスポー

ツクラブで講習を受けたことがあるので、水中ウオーキングの基本は知っている。腰痛にな

らないよう、姿勢を正しく歩く。この水中ウオーキングが大好きになって、週に3回、40

分〜1時間もやっていたのだが、やり過ぎたらしく膝を痛めた。針治療で痛みは和らいだが、

当面水中ウオーキングは禁止と言い渡されて半年になる。そろそろいいのではと、今日久々

のプールだ。再発するのが怖いので、後歩きを中心に30分歩いてから、水着のまま大浴場

に行った。透明なお湯で匂いも無い。これが湯治に有効な温泉なのかと不思議なくらいだ。

しかし、暫くお湯に浸かっていると肌がすべすべして、部屋に帰ってから時間が経っても身

体に残ったぽかぽかは続いている。「うん、いいお湯だった」。そういう思いが後になってじ

わじわ感じられる。

 部屋に電話があったのは5時40分だった。6時より20分も早い。お腹も空いていない

が、仕方なく1階のヴッフェに行く。小さなテーブルに「〇〇号室神山様」という案内が置

いてある。席につくと、目敏く私を見つけて近づいて来た男性。リュウとした身なりから副

支配人か料飲部長という感じ。

「ようこそ、当ヴッフェへ。当ヴッフェのお料理は、すべてバイキングスタイルとなってご

ざいまして、あちらの方にずら〜っと並んでおります豪華なお料理を好きなだけ召し上がっ

て頂けるようになってございます。はい。本日お泊まりになっていらっしゃるお客さまは大

変幸運な方々でいらっしゃいまして、今まさに松茸シーズン。この地域は、松茸の名所でも

ございまして、松茸をふんだんに使ったお料理を多数ご用意いたしましてございます。ほら

っ、あの柱の下当たりが松茸のコーナーとなってございますです。どうぞ、たっぷり召し上

がって下さいまし。あっ、お酒の方は、このメニューに書いてある銘柄の他にも日本各地の

名酒を多数ご用意いたしましてございますのでお好みをお申しつけ下さいまし。ごゆるりと」。

ほんとに良く説明するホテルなのだった。

それではと、柱の下の料理を目がけるとしようか。松茸を使った料理は、6種類あった。

松茸ご飯、松茸のお吸い物、松茸入り茶碗蒸、松茸スライスを射込んだ白身魚のフライ、松

茸スライスを挟んだ天ぷら、松茸スライスと中華食材の炒めもの。ご飯や吸い物、茶碗蒸は

いいのだが、あとの料理は松茸をようようここまで薄く切れると感心する程薄くしたものが

ちょこっと入って、しかも全部油モノなのでクドイ。1つ食べたらもういいわ、ということ

で松茸コーナーに2度3度とは行かないのだった。周囲を見ると、家族連れは別として私な

ぞ若い方。足を引きずったお爺さんや腕を三角布で吊ったお婆さん等、治療を必要とする高

齢者が圧倒的に多い。だから、松茸コーナーの他にも豪華な料理が並んでいるのに、松茸ご

飯、松茸のお吸い物、松茸入り茶碗蒸の松茸3点セットに、野沢菜漬けを食べてさっと終え

てしまう。再び信州弁で「それっきゃ食べねーだら、もったいねーずら」。最初に頼んだ生

ビールを飲み干す頃、最初に案内・説明してくれた副支配人ないしは料飲部長風の彼が走っ

て来て

「夢子様、だいぶイケルおクチと拝見致しました。冷酒など如何でしょう。えっ?辛口のさ

っぱりタイプ? はいはい、ございますとも。…………この4合瓶の大吟醸なぞ如何でし

ょう。5千円となってございますが、大変おいしゅうございます。はい、こちらをお開けし

ておつぎしましょう。……ドボドボ…… はっ? 灰皿? 申し訳ございません。当ヴッフェ

は、禁煙とさせて頂いてございます。はい」。

 禁煙なので大吟醸4合を急いで飲み干し、地下のバーに走って行った。ただただ煙草を吸

いながら酒を飲みたかったから。酒は1杯か2杯でいいんだ、煙草が吸えれば。バーにはお

客が誰もいなかった。上田市内の会社で働きながら、夜はこのホテルのバーでアルバイトを

しているという30代後半のバーテンダー氏と話しながら、ジントニックを飲む。彼が寂し

かろうと、次の客が来るまで飲み続けていたが、何と3時間も誰も来ないのだった。ジント

ニック8杯。ヴッフェの酒代とバーで1万円以上飲んでしまったことになる。10時半に部

屋に帰ったが、何だか寂しい。これが長年来たいと思っていた鹿教湯温泉なの? 豪華だけ

どイメージが違うのよね、全然。で、思いついた。温泉のハシゴをしよう。別所温泉が近く

にあるじゃないか。でも、明日は土曜日で松茸シーズンだしなぁ。今からの予約じゃ取れん

だろうな。ましてや旅館に嫌われる1人だし。まっ、ダメ元って言葉もあるし、と別所温泉

のある高級旅館Kに電話をかける。

「明日、1人ですが泊まれますか?」

「はい、お1人様1泊2食つきでご料金の方が2万円、2万5千円、3万円とご用意できます

が、どういたしましょうか?」

「その料金の差は、お部屋の差ですか? お料理の差ですか?」

「お部屋の差も若干ございますが、主にお料理の差でございますね。ただ2万円でも、松茸

料理を十二分にご満足頂けるかと存じますので、お差し支えなければ2万円で如何でしょう」。

この電話の主は、若い男性の声だった。折り目正しく、しかも良心的なのであった。

よし、明日は別所温泉だぁ。きっとぶ厚い松茸だぁ。ニカニカして寝たのでありました。

 ホテルの送迎用バスは利用しないで、上田駅行きのバスを待つ。かけそばを食べに行った

ら鍋焼きうどんを食べさせられたような、不思議な鹿教湯温泉の一夜だったが、停留所のあ

る近辺をぶらっと歩くと、そこはやっぱり鄙びていて昔ながらの湯治の街並だった。お爺さ

ん、お婆さんが泊まっている旅館の浴衣を来て、ゆっくり散歩したり、小分けにして売って

いる食材の買い物をしている。松葉杖を使っている人が多く、中風に特効がある湯だという

ことがわかる。やっぱり鹿教湯温泉は湯治のメッカの鹿教湯温泉なのだ。

   

      湯治場に忘らるる杖ヘチマ垂る  

 上田駅の観光案内場に行く。「刀屋」というそば屋の場所を教えて貰いに。池波正太郎さ

んは「真田太平記」や忍者モノも多数書かれたが、その時の取材でよく上田に来られたのだ

そうだ。そんな折、上田市役所の担当の方が刀屋にお連れしたことで、池波さんはすっかり

お気に入りとなってしまう。食通でもいらした池波さんは、食べ物に関する本を何冊か書か

れているが、この刀屋もきまって登場する。コシのあるそばと一緒に供される野沢菜漬けが

お好きだったようだが、そばの量の多さを絶賛されていた。観光案内場で教えられた通り上

田駅から10分も歩くと、目立たない通りに刀屋はあった。午前11時20分というのに、

店の前には数人が並んでいる。さすがだ。10分も待つと前に進み、開け放した入り口から、

壁に貼ったメニューが見える。盛り並500円、その左に大800円。ふと並の右を見ると

中400円、小300円。えっ? 並の下に中も小もあるの? ほんとうのところ、朝食を

とってから未だ2時間ちょっと。お腹は全然空いていないのだ。素直に注文すれば中という

ところだが、10数年間、池波さんの本を見る度に食べたいと思っていた刀屋にようやく来

たのだ。やっぱり並にしょう。ようやく座れて「並」と注文。すると刀屋のおばさんが「並? 

だめだめ。食べられない。中にしな」。私むっとして「並を下さい」、「ダメ、中」、「い

いえ、並」。並を押し通した私に最後には「後悔するから!」と言い放つ。何て店なんだ。

初めて来た客の胃袋の大きさがわかるのか。確かに朝ご飯食べたばっかりだよ。お腹空いて

ないよ。でも空腹なら、迷わず大を頼むよ。むむむ。

かなり腹を立てて下を向いていた私の目の前に並がど〜んと置かれた。す、す、すごい! 

手打ちゴン太の黒々としたそばが、超大盛り。今まで怒っていたが、もう笑い出しそう。

私の横に座っていた中年のご婦人が、私の前の並を見て慌てて

「さっき、大と並と注文しましたが、並と中に変更できますか?」というと、店のおばさん

「初めから並と中で調理場には通してあるから」とニコリともしないで言うのだった。

コシがある。噛んで噛んでこめかみが痛くなる。そば粉の香がする。噛んで噛んで。減

らない。でも残せない。女の意地だ。うまい。汗が流れる。噛んで噛んで。ようやく最後の

太い1本を口に入れた。こめかみが痛い。500円の代金を払う時、「ご馳走さまでした。

お陰でお腹いっぱいになりました」と感謝の言葉を素直に述べると「だから中にしな、って

言ったでしょっ!」。うまいが、怖い刀屋であった。

 刀屋 午前11時20分にはもう行列が

 上田駅から別所温泉まで電車に乗る。上田電鉄。土曜日の午後とあって、学校帰りの高校

生がたくさん乗っている。都会の高校生と外見はほとんど一緒で、茶髪やピアスで電車の床

にじかに座り込んでいるスタイルなど渋谷センター街の彼等と変わりがない。3人の不良っ

ぽい男の子ととても美人の1人の女の子が、私の前に座っていて気になる。不良っぽい男は

女を引きつけるということは昔からあるが、この男の子ら、悪そうというだけでちっとも色

気が無いし魅力が感じられない。どうして、こんな男の子と親しくしているんだろ。自分を

安売りするなよ、と女の子に伝えたい。30分程で別所温泉駅に到着。電車に乗っている間

に、雨がぽつぽつ降り出して駅の外に出ると霧のような小雨になっていた。重いリュックを

しょったまま「常楽寺」に向かう。この別所温泉は「枕草子」にも登場する程古い温泉で、

今は「信州の鎌倉」と言われているとか。ここに奈良時代僧行基が常楽寺、安楽寺、長楽寺

を建立したが、のちに長楽寺は廃寺となったのだそうな。石段を登ってようやく常楽寺に着

いたが、重要文化財に指定されている「石造多宝塔」は寺の裏手にある。苔むした可愛らし

い多宝塔を見てから、隣の「安楽寺」に。ここには国宝の「八角三重塔」がある。また長い

長い石段を登り、安楽寺の裏手の石段を登り、ようやく八角三重塔に到着。説明文によれば、

三重塔の初重に「もこし」をつけた珍しい形式なのだそうで、どうみても四重塔に見える。

その屋根が八角だから、まるで四段が波うっているように見え、美しい塔だ。温泉街の方に

戻って「北向観音」にお参りしてから、K旅館に向かった。

         秋雨やヤマトタケルが見つけし湯

          

常楽寺の重要文化財「石造多宝塔」  国宝の「八角三重塔」と安楽寺

K旅館の入り口に立った私の姿はといえば、重いリュックが肩に食い込み、雨で全身ずぶ

濡れ、汗でぐちゃぐちゃ、お寺の階段の登り降りで膝はがくがく。浮浪の民のようだっただ

ろう。あれは流浪の民か。品の良い和風喫茶ルームで、お抹茶を立ててくれると言うが、一

刻も早く濡れたものを脱いで汗を流したい。丁重にお断わりして客室に案内して貰った。あ

いにく3階の部屋でエレベーターが無いので階段を上がるしかないのだった。着替えを用意

して、やっと登った階段をまた1階まで降りて、大浴場に向かう。お湯は硫黄泉で色も黒い。

昨日の鹿教湯温泉とは、そう距離が離れてもいないのに、全くお湯の性質が違う。疲れ切っ

た足をさすって長湯をした。入浴を終えて、3階まで階段を登ろうとしたら足に異変を感じ

た。登ろうにも登れないのだ。膝が痛くて重心をかけられない。昨日の水中ウオーキング

と重い荷物を背負ってあちこち歩き廻った上お寺の石段の昇り降りが、未だ完全に直ってい

ない膝にトリプルのダメージを与えたのだろうか。善光寺さんを簡単にお参りした罰も当っ

たか。原因はともかく、自分で階段を登れないという事態に泣きたくなった。誰もいないの

をいいことに、腕と腰を使って3階までよじ登ったのだが、部屋に着いた時は、力尽きてし

ばらく入り口でつっぷしてしまった。あ〜しんどかった。明日はどうやって降りるのだ。

このK旅館、食事は「部屋出し」してくれる。こんな膝の状態で「お食事は1階のヴッフ

ェで」と言われたら、食事抜きになっちまう。足はそんなでもお腹は別で食欲もある。次々

と運ばれて来る松茸料理。ここ別所も松茸の産地。射込みなんてケチくさい料理とは全く違

って、備長炭をおこした七輪でまるまんまの松茸を焼いたり、天ぷら、吸い物、酢の物、松

茸鍋等々、松茸がこれでもかとたっぷり出てくる。感動である。足が痛くなければ、小踊り

したいくらいだった。食後マッサージを頼んで足の症状を伝えると、そういう時は風呂もマ

ッサージも良くないと言われた。もう10時過ぎなのに、フロントに電話して氷やタオル、

湿布薬などを頼んでくれ、宿側も早速用意してくれた。初めて来た宿で、親切が身にしみる。

K旅館さん、ほんとにありがとうございまいした〜。

 得意の定期観光バスに乗って大法寺、中禅寺、前山寺など、この塩田平(しおただいら)

をぐるっと回るつもりだったが、前夜よりはかなり良くなったとはいえ、膝が痛むので諦め

る。一番行きたかった「無言館」に行くことにしよう。タクシーに乗って15分ほど、丘の

頂上に無言館はあった。少し前にNHKスペシャルでこの美術館の番組が放映された。太平

洋戦争で死んでいった画学生・若き画家達の作品だけを展示している。戦没画学生31名の

「祈りの絵」。同館の窪島誠一郎館長が中心になって寄付を呼びかけ完成した。コンクリー

ト地が剥きだしの建物で左右対称の教会風である。それぞれの作品には、画家・画学生の氏

名、作品名、出身地、出身校(在籍を含めて)、死亡した年が記されている。番組で作品を

あらかた紹介していたから「あぁ、この絵が」という感じで見ていく。作者はもう何も言わ

ないからか、見る者が無言でいるから無言館なのか。館内はたくさんの人がいるのに、シー

ンと静まりかえっている。こんなに印象的な絵を描いて、それからもたくさんの作品を描く

筈だったのに、叶わなかった若き画家の無念さが気持ちを沈ませる。でも、こうして作品が

残って後世の人に見て貰えることが、せめてもの救いか。館長は、若死にした画家の実家を

訪ねて歩き、蔵や押し入れに仕舞ってあった作品を集めたのだそうだ。と、その時、入り口

当たりが騒がしい。職場の慰安旅行の2日目とおぼしき団体がドヤドヤと入って来た。その

大声でがなり立てる不遠慮なモノ言いから、ここがどんな美術館か全く理解していないこと

が知れる。仲間うちのウケを狙って下品な話題を争って言っている。朝食でビールでも飲ん

だのか、酒の臭いまでぷんぷんする。50代から60代。無言館の画家達が存命なら70代

から80代だろう。その一回りか二回り下の世代が、若い命を奪われた者の絵の前で、傍若

無人ぶりを発揮している。いたたまれず、無言館を出た。たまの旅行ではしゃぐのはわかる。

朝酒を飲めるのもこんな時だけだからいい。ただこんな状態になることは予想がつく筈だか

ら、旅行のコースに無言館を入れてはいけない。旅行会社か幹事の責任かは知らぬが。無言

館の外に出て眺めた塩田平ののどかな景色が尖った心を慰めてくれた。

    無言館塩田平に秋意かな

 

教会のような外観の無言館      塩田平

 旅の終わりは、上田駅近辺の昼食。一昨日が善光寺近くでそば。昨日が刀屋のそば。2日

そばが続いているのなら3日目もそばだろう。刀屋に行きたい。今日はお腹も空いているか

ら、並も余裕で食べられそうだし、大だっていけるかもしれない。しかし。おばさんの顔が

浮かぶ。怖い。喧嘩という程ではないが、気まずい。それもたった24時間前だし。行きづら

い。気持ちが乗らない。うじうじと考えて、結局駅構内のそば屋に行った。おばさんは愛想

がとても良かった。味については言うまい。そば3回に温泉を2つ挟んだ2泊3日の旅だっ

た。驚いたり怒ったり痛かったり感動したり。ツルツルぽかぽかの信州そばと温泉。 

                                    おしまい                                                   

データ:旅した日/98年9月  書いた日/00年3月

 

  旅日記国内編のトップに戻る   夢子倶楽部のトップに戻る