夢子のニッポン大好きシリーズ          

阿波徳島クリスマス           

 1999年12月23日正午前、徳島空港の外に出る。よし!やったぞ。この1歩で日本全県制覇

だ。随分前だが、ある時飲み友達と酒場で「日本で行っていない県はいくつあるか」という話

になった。仕事や旅行であちこちに行っているが、そんな風に数えたことはなかった。日本地

図を頭に浮かべ、北から数えていく。北海道行ったでしょ、青森も行ったね、秋田行った……。

その時行っていない県は鳥取、島根、和歌山、高知、そして徳島の5県だった。鳥取、島根、

和歌山はほどなく行き、高知、徳島の2県になってから5年が経つ。この2県に仕事で行くよ

うな機会は無く絶対行くぞ!という意志を持たないと行けないと悟り、高知には今年10月、

広島出張のついでに足を伸ばして行った。そして徳島だけが残り。ならば1900年代に是非果た

そうとこの時期の徳島行きとなる。さ〜てと、2泊3日徳島の旅の始まり始まり。

 先ずは鳴門へ。渦潮と大塚国際美術館、ドイツ館、一番札所霊山寺、大谷焼などを見たい。

30分以上も待ってバスに乗る。乗った途端「次は鳴門」のアナウンス。えっ?30分も待っ

て乗ったばかりで、しかも260円も払うのに、次に降りるの? まごまごしているうちに看

板で鳴門市に入ったことを知る。すぐ近くじゃん。このバスは徳島=高松間を走る長距離高速

バス。乗客は4人。次の停留所という割にはかなり走って、鳴門郵便局の前で降ろされた。駅

を探してまっすぐ歩いていくと左手に鳴門線の鳴門駅が現われた。荷物をコインロッカーに入

れて観光案内所へ。1人であちこち旅をしていると観光案内所は強い味方である。地図を貰っ

たり相談したり教えて頂いたり。是非利用すべし。

「あの〜、渦潮を見たいのですが」

「鳴門公園に行かれれば、下に見えます」

「観潮船に乗って観るのもいいですよね?」

「船は大きいのと小さいのがありますが、どちらになさいますか?乗り場が違います」

「いきなり大きいの、小さいのと言われてもねぇ」

「小さい方はかなり揺れますが迫力はあります。大きい方はその反対です」

「じゃ、お、お、大きい方を」

「今日は大潮で5分前が干潮でした。早く行かないと渦潮が見られなくなります。1時6

分に鳴門公園行きのバスがあります。それに乗って下さい」

「あの〜、大塚国際美術館は?」

「このバスの観光港の手前にあります。でも今日は木曜日ですから休館日です」

テキバキと親切な案内所のお姉さんなのであった。

 鳴門公園行きの市営バスに15〜16人乗り込んだので「やっぱり大潮の日は客が多いのだ」

と納得したのだが、半数は2つ目の競艇場前で降りてしまい、鳴門観光港まで行ったのは私1

人だけだった。しかし、このバスから見る景色は素晴しいもので、右手に鳴門の広々とした海、

その向こうに淡路島が横たわる。その淡路島と鳴門公園のある大毛島の突端を白い吊り橋の大

鳴門橋が繋いでいる。天気は良いし、バスも独り占め。そしてこの独り占めは鳴門観光汽船「わ

んだーなると号」の大型船でも続いたのである。定員70人。1時40分発の船には乗客私1

人。1530円で乗務員3〜4人。何とも豪勢ではないか。若い頃は、こんな状況におかれる

といたたまれない心境になったものだが、今はそんなこともない。私がいなかったらゼロだっ

たのだから、あちらもきっと感謝していると思うようになった。それに自分も贅沢だと思える

ように。だけど、1日12便で1人も乗客がいなかったら船を出さないことも考えられるなぁ。

まっ、いいや、船は動き出したんだから。揺れが少ない筈の大型船が結構揺れる。波が大きい。

酔わないように遠くの島などを見ているうちに船は大鳴門橋にどんどん近づいていく。鳴門海

峡は、大鳴門橋がかかっている真下を言い幅は1300メートル。西側が瀬戸内海で東側が紀

伊水道。干満潮時にこの2つの潮位の差が生じて早い潮流となり渦潮が発生するんだとか。干

満潮後1〜2時間に渦潮を見られる。一番見頃の春先には直径20メートルの渦が出来ること

もあるらしい。2等客室でたった1人で気持ち悪そうに座っている私に係のおじさんが窓の外

から合図を送っている。渦潮の本場に着いたから見なさい、ということらしい。外のデッキに

出ると海の表面あたり一面が泡だったように逆巻いている。まるで波同士の喧嘩だ。あっちで

もこっちでもワチャワチャといさかい、小競り合い、ぶつかり合い、言い争う。しかし、決し

て渦を生じしめる程の大きな戦いは無い。風が強いため波が大きく、渦が出来そうになっても

つぶれてしまうのだ。だから、渦潮を見ることは出来なかった。それでもたった1人の乗客私

のために、船は右に左に旋回を繰り返して波の戦いを見せてくれた。「わんだーなると号」の皆

さん、ありがとう。鳴門駅までのバスを30分待って乗り込むと、若い男が運転手さんに盛ん

に話しかけている。「もちろん、小型船に乗りましたよ。迫力満点で、波がバシッバシッてかか

って来ましてねぇ。大型船に乗るなんてバカな真似はしませんでしたよ〜」だって。悪かった

ねぇ、だけど貸し切りだったんだもんね。

波高き冬の鳴門に舟を出し

 私が唯一の客だったわんだーなると号     渦潮の真上は大鳴門橋

遅いお昼は3時になってしまった。鳴門の駅周辺を歩いてもはかばかしい店が無い。駅の真

ん前には「ラーメン大学」。ラーメンもあるが、親子丼もチキンライスも何でもあるような店。

3分位歩くと「札幌ラーメン」。せっかく徳島に来たなら、ラーメンは「徳島ラーメン」だろう。

自宅近くに徳島ラーメン「うだつ」という店が出来て2度食べたのだが、スープが甘じょっぱ

い感じで、未だ正体がつかめない。ここは本場の徳島ラーメンを、と思っていたのだが、結局

3日いて出会うことは出来なかった。タクシーの運転手さん達に聞いても「どっかの製麺所が

作ったという話だけど、土地の人は殆ど知らない」と言うのである。ご当地ラーメンで無理や

り作ったものなのかなぁ。うどんの看板。しかし「讃岐うどん天一」とある。しかもセルフの

店。テレビで見て讃岐うどん屋にはセルフサービスの店があることは知っていたが、ここは阿

波徳島ではないか。先ずは三段の棚にうどん玉が入った丼。上から大盛り、中盛り、小盛りで

うどんとそばがある。中盛りを選んでうどん玉を釜の熱湯の篭に入れて暖め、トッピング棚に

進む。さつま芋の天ぷらときつね油揚げ、とろろ昆布を乗せる。ねぎとかつお節は無料。ここ

に薄口と濃口のスープを選んで蛇口をひねると熱い汁が出て来る。これで430円。薄口の汁

はだしが効いているし、うどんもコシがあって、なかなかうまい。この後何度もうどんを食べ

たが、圧倒的に讃岐うどんが多かった。土産物屋でも讃岐うどんが幅をきかせている。10月

に松山でうどんを食べたが、普通のうどんにじゃこ天を乗せただけで讃岐うどんとは一線を画

していた。土産屋にも讃岐は1種類が置かれていただけ。同じ隣県でも、愛媛は讃岐うどんを

無視し、徳島はどっぷる受け入れる。うまいものはうまい!と素直に認めてしまう県民性なの

だろうか。この旅行で泊まったホテルの客室に「直送!四国うまいものガイド」というパンフ

レットが置いてあった。パラパラと見ているだけでも、4つの県の出てくる頻度が違うように

思えて数えてみた。トップは香川県で37、2位僅差で高知の36、ガクンと下がって15の

愛媛、ドンジリは徳島の11であった。徳島名産は伊勢海老を別格として、祖谷そば、田舎こ

んにゃく、鮎甘露煮、ちくわ、味噌、若布、ちりめん等地味な食べ物が多い。トップの香川に

は讃岐うどんが多いに寄与している。さて。ドイツ館、一番札所霊山寺は鳴門線でどっかまで

行って乗り換え、更に駅から随分歩くという。もう疲れたし、徳島市に向かおう。鳴門線に乗

って40分、小さなワンマンカーは徳島駅に着いた。

 ホテルのコンシェルジェに夜の盛り場の場所を聞き、夜の徳島を歩き出す。ホテルは駅の複

合ビルの中にあり、経営はJR四国のホテルクレメント。予約した時「ホテルの場所はどこで

すか?」と聞く私に、呆れたように「駅と同じビルです」と言われたが、来てみて合点が行っ

た。東日本ならメトロポリタン、西日本ならアルカディア。で四国はクレメントということな

のだが、知らないで予約してしまった。言ってくれればいいのにぃ。駅の正面から眉山が黒い

影となって見える。新町橋を渡る。地図を見て気がついたのだが、徳島駅、徳島城址、市役所

などがある中心地は四方を川で囲まれている。つまり島なのである。周囲6キロの島。嘘かほ

んとかひょうたん島と言われているようだ。そう思ってみればひょうたんに見えないことも無

い。中心地が島といえば、ニューヨークのマンハッタン島ではないか。まさかマンハッタンと

は名付ける訳にはいかないにしても、ひょうたん島と名乗っているところに徳島の素朴な県民

性をまた感じてしまう。東新町のアーケードを抜け紺屋町当りに行くと飲食店が増えて来た。

徳島の味を小体な店のカウンターで味わいたいと店を探す。見知らぬ街で良い店を探し当てる

ことにはいさかか自信があったのだが、この夜は失敗。粋な店構えとうまい日本酒がたくさん

あるような看板に騙されてしまった。中に入ると、若い客対象のチェーン店風。ままよ、と料

理を頼む。刺身盛り合わせ、若布酢、あん胆、レンコンの和風ハンバーグ、自家製さつま揚げ、

焼たらば。うまかったのは若布酢だけだった。酒を140ミリリットル入りグラスを5杯飲んで、

8400円。1時間で出て来てしまったが、何だかこれで徳島1日目を終えてしまうのはもっ

たいない。ホテルのフロントに置いてあった券を思い出した。宿泊客に限って「ナイトキャッ

プサービス」として1200円で2杯まで、1800円だと際限なく飲めるという結構な割引

券である。私に飲み放題券は危険である。早速ホテル最上階のバーに向かう。ゴードンジンで

ジントニック2杯、ビーフィーターで1杯、マルガリータ1杯、それにバーテンダー氏が「日

本制覇のめでたい日」だと話したら祝いに作ってくれたアラウンド・ザ・ワールドというカク

テル1杯。飲み放題とはいえ、段々眠くなってしまったので、そこで許すことにして部屋に帰

る。マッサージをして貰って、10時過ぎには夢の世界に入った。

 徳島に行くことを友人に話したら、暫くして友人のご主人からぶ厚い封筒が届いた。中には

とくしま神山町のパンフレットと手紙が入っていた。ご主人のご両親が徳島県名西郡神山町の

出身で、現在父上は近畿神山会の会長をなされている由。毎年近畿圏で募った花嫁候補を引率

して神山町に赴き、地元の若者と交流会を開く隊長を勤められているのだと。いやいや恐れ入

った。鮎喰川で泳いだり魚を捕ったりした幼い頃の思い出に星がとてもきれいな場所だった、

とある。う〜む、これでは行かずばなるまい。前日からバスの路線を調べ、2日目の午前9時

35分発の徳島バスに乗り込む。神山温泉往復切符と温泉入場料セット券2000円がお得に

思えて買った。徳島市は人口16万人というが、30分以上走っても人家が途切れることがな

く、結構大きな町であることを窺わせる。しかし、少しうとうとして見た風景は一変していた。

山が深い。道も細く、深い谷を縫ってバスは進んでいた。工事中の箇所が多く、更に心細くな

る。既に神山町に入っているようで、神山町警察鬼篭野(おろの)駐在所という看板を見た。

次が阿保坂。後で聞いた話だが、神山町は5つの村が合併して出来た大きな町で、南北の幅は

16キロだが、東西は直線距離で40キロもあるという。「木のふるさと神山町にようこそ」の

大きな看板。山が幾重にも取り囲み、まるで山々に抱かれている、そんな町だ。乗ってから1

時間経ち、5〜6人のおじいさん、おばあさんに混じって神山温泉の停留所で降りる。神山温

泉保養センターとホテル四季の里が隣り合って建っている。入場料大人500円、住人200

円。温泉は含重曹食塩泉で冷泉。余りに塩分が濃いので薄めて沸かしている。お湯は少しぬる

ぬるして肌に気持ちが良い。一緒に入っているのは全員おばあさんで、挨拶を交しておしゃべ

りしている。地元の人達が圧倒的に多いようだ。

子供の頃から暑がりで、寒い信州の冬でも裸足でいた程だった。ホテルに泊まれば、先ずベ

ッドのシーツを引っぱがして足の先を出せるようにする程。そういえば、父も冬以外は食事時

上半身裸で汗をかきかき食べていた。遺伝か。それが40代半ばから下半身だけ冷え性になっ

てしまった。とにかく腰から下、それも足首が異常に冷たい。上半身は首と手首を除けば従来

通りの汗かき暑がり。その日も、下半身にいろいろ身につけていたのだが、一緒に着替えをし

たおばあさんが、ベンチに座りながらじーっと見て、

「それなぁ、タイツ? しゃれとるなぁ」

「それなぁ、足首のサポーター? いろんなものがあるなぁ」

と私が脱ぐ度に質問するので参った。そのおばあさんは寒さの刺激が大好きなのだそうで、そ

れを自慢したかったのかもしれない。

 地下1階のお風呂の隣には食堂。そこだけスリッパに履き変えることになっている。神山町

の特産を食べられそうな「こひえ定食」を注文する。ご飯が稗や粟と一緒に炊いてあり、煮物

とそば米汁、漬物がついて850円。そして定食にはクリスマスサービスとしてケーキがつい

て来た。そうなのだ!今日はクリスマスイブ。そんなロマンチックなというか敬虔な日に、私

は徳島の神山町でじいさん、ばあさんと一緒に温泉に浸かって、こひえ定食を食べている。ハ

ハハ。痛快である。そのこひえ定食はバカうまかった。ここで次の行動を考える。実は神山町

のパンフレットを貰うまで、脇町に行こうと思っていた。JR徳島線で阿波池田方面の穴吹で

下車し車で10分位の場所である。徳島から真西に1時間10分。この神山町は徳島から西南

西に1時間。神山町からどうやって脇町に行くか。方向だけ考えれば、神山町から北に向かっ

ていけば徳島線に出る。しかし交通手段が無いし、山越えしなければならない。保養センター

のフロントの方は「危険だから止めた方がいい」と言う。厳寒の地で生死を賭けての山越えみ

たいに聞こえる。バスで徳島まで戻ってJRに乗り換えて向かうには時間がかかり過ぎるしな

ぁ。とにかく寄井観光タクシーを呼ぶ。

 当りだった。そのタクシーの運転手さんの見事なプロ精神につられて、結局山越えして徳島

線の石井の駅まで行くことにしたのである。その前に「どちらまで?」と聞かれて、「取り敢え

ず宮分というところへ」。宮分と聞いて運転手さん、何でそんなところへという感じで驚かれた

が、そこは友人のご主人のご両親のご実家がある場所なのだ。地図上に「ココが私の両親の故

郷です」と付箋を貼られた場所は、車一台ぎりぎり通れる細く急激な坂道をぐりぐり登った山

のテッペンに近い地だった。「多分、その方のお家はここかと思いますよ」と赤い屋根の家の前

にタクシーは止まる。車から降りると、今登って来た山から遥か下に景色が広がっている。運

転手さんが、「あれが鮎喰川、あそこが小野の部落」と指差して教えてくれる。山の上に来ても、

見えるのは山また山。木の故郷とはよくこの景色を表現している。徳島から一番近い本格的田

舎、というのが売りなのだとか。すっかり満足してタクシーに戻ったが、未だ徳島にただ戻る

か、戻って脇町に向かうか、それともJR徳島線の駅に向かって山越えするか決心がついてい

ない。「下りは違う景色をお見せしましょう」と、先ほどと違う細い道を行きながら神山町のこ

とを色々話してくれる運転手さんともっと話しをしていたくて、石井駅まで行くことにする。

現在神山町は住民票をおいている人は8千人弱だが、徳島市などに実際は住んでいる人も多く

実人口はもっと少なく、高齢者が多いのだという。何故住民票の移動をしないかの質問には「弟

もそうですが、面倒くさいということと、選挙権をここに持っていたい。それとやっぱりここ

が好きなのでしょうね」と説明してくれた。奈良の友人のご両親にしても、住民票をここに置

き続けている人達にしても、神山町に寄せる気持ちが尋常ではない強いものを感じさせる。過

疎の故郷をどう再生させて発展させるか。神山町の政治は同じ目標を持ってはいるが、方法論

で揉めていて運転手さんは反主流なのだと。こんな神聖ともいえる程山深い牧歌的な町の、生

臭い政治の話は何だか似合わない感じもするが、生き残るために皆一生懸命なんだと納得する。

山越えをしたなんて感じでもなく平穏に徳島線の石井駅に到着。6060円。6100円でお

釣は要らないと言ったものの、チップには少ない気がして、徳島=神山温泉までのバスのチケ

ット復分を差し上げた。ちっともお得で無くなったセット券だが、まっいいや。

山々に神護られて冬深む

        

徳島県はこんな形。徳島線は右から真横に進む  神山町を山の上から。鮎喰川が見える

 前日徳島駅で調べておいた時刻表によれば、1時26分の電車はもうすぐ来る。やがて阿波

池田行きの電車が来て乗り込む。徳島線は吉野川に沿って走っており、沿線には和三盆の工場

や藍染め、和紙などの産地が点在している。吉野川がぐんと線路に近づいて来た頃穴吹駅着。

特急も止まるのに、思っていたよりずっと小さな町だ。タクシーに乗って脇町に向かう。吉野

川を渡る。大きな川だ。利根川を坂東太郎といい、この川は四国三郎。どうして川に強そうな

男の名前をつけるのだろうね。今度調べてみたい。運転手さんから「土柱は見なくていいんで

すか?」と尋ねられ、せっかく来たんだからと行くことにする。阿波の土柱は、非常に柔らか

な地層が長い年月の風雨によって削られて柱状になって林立している。運転手さんの「子供の

頃見た時はもっととんがった柱が一杯あったけど、どーも丸くなってしまって」の言葉通り、

年齢と共に丸くなって小さくなってしまったお年寄りの奇勝という感じか。脇町に向かって、

うだつの街並を見る。南町通りがそれで、藍染めが盛んだった頃、ここは吉野川を使っての交

通の要所で、藍商の商家の街並がそのまま残っている。うだつとは卯建と書き、隣家との延焼

を防ぐための袖壁のこと。卯建を作るにはお金がかかったことから「うだつが上がる」「うだつ

が上がらない」という言葉が出来たそうだ。脇町郷土歴史館を覗いてみると、建て換えには大

変な金額が必要なようで、この街並を保存するための努力の跡が展示されている。脇町が生ん

だ第12世将棋名人小野五平のコーナーがある。将棋のことなら少々知識があるが小野五平の

名前は聞いたことが無い。92歳で亡くなったのが大正11年とあり、これで知らない理由が

わかった。他に映画「虹をつかむ男」が撮影された時の写真を展示する建物もあった。街並を

抜けて大谷川を渡った所に、映画の舞台となった映画館オデヲン座があり、映画で見た人達だ

ろうか数人が記念写真を撮っていた。街並の途中に時代屋という土産屋があった。店の窓ガラ

スに「竹炭で漉した水で煎れたコーヒーをどうぞ」とある。飲んでみたい、と店の中へ。どう

ぞどうぞと奥の座敷に通されると、囲炉裏が切ってあり、鉄瓶のお湯がちんとんと沸いている。

静々と運ばれて来たコーヒーが、冷えた身体に暖かく有難い。800〜1200度で焼いた白

炭形式のこの竹炭は備長炭よりも2倍のパワーがあるんだそうで、水の濾過に、ご飯を炊く時

に入れてふっくらと、お風呂に入れてお湯を柔らかに、米弼に入れて虫除けに、冷蔵庫に置い

て除臭にと、竹炭の威力をこう並べられては買わない訳には行かない。そういえば、高知の龍

河洞に行った時も、竹炭がたくさん売られていた。いつも備長炭でご飯を炊いているが、帰っ

て来てから炭が残り少ないことに気ついて、買って来なかったことを後悔したのがついこの前

だったしな。1袋500円。2袋買う。無くなったら電話下さい、すぐ送りますからと、どこ

までも親切な脇町の人であった。脇町は人口2万人程で、穴吹の町とは比較にならない程大き

いが、松下の工場が縮小されてから少し寂しくなったと、帰りに乗ったタクシーの運転手さん

が言っていた。私はずっと穴吹工務店がこの穴吹から出た企業だと思い込んでいたのだが、そ

れは香川県なのであって、全く関係ないことを運転手さんが教えてくれた。一人旅をしている

と、一番の情報源はタクシーの運転手さんとマッサージの方。結局ある時間を買っているとも

いえ、その時間の範囲なら落ち着いていろんなことを聞かせて貰うことが出来る。飲み屋の方

も含めて、ほんとお世話になっています。但し国内旅行の場合ね。

 脇町のほの暗き部屋大炉かな

   

丸くなったと言われる阿波の土柱  脇町の立派な「うだつ」   映画館オデヲン座

クリスマスイブのディナーは、ホテルクレメントの鉄板焼。1人の夕食は、和食なら飲み屋

か鮨屋のカウンター、洋食なら鉄板焼が似合っていていい。店の人と話すのも良し、手酌も自

然だし、黙って食べていてもサマになる。この鉄板焼、12月だけで3回目であることに気づ

く。初旬は石垣島全日空ホテルで、中旬はホテル日航大阪で、そして今晩。クリスマスイブな

んだからと奮発して、ボジョレーの赤ワインボトルと、徳島牛のフィレ肉に加えて鳴門の鯛を

注文。「鳴門の鯛はうまい!」と友人に聞いていたので、こんな鉄板焼の形ではどうかと思いな

がら頼んだのだが、実にうまかった。鯛は春先が一番うまいらしいのだが、それでも身が引き

締まっていて甘く、絞ったすだちの香が鯛を引き立てる。カリカリに焼いたニンニクチップを

いつものことだけど山のように貰い、ステーキむしゃむしゃ、ニンニクかりかり、ご飯をぱく

ぱく頂いた結構なディナーでありました。

 徳島最後の日。初日に定休日で見落とした大塚国際美術館のことが気になっている。しかし

未だ徳島市内を殆ど見ていない。クリスマスケーキを朝食代わりにしながら今日の行動を考え、

先ずは眉山(びざん)に向かうことにする。眉山は駅の正面に見える標高290メートルの山。

タクシーで行くことにする。この運転手さんの奥さんも神山町出身なんだと。山はすぐそこに

見えるのだが、随分左手に回り込んで登って行く。紅葉が途中で終ってしまったように赤や黄

色の葉がそのままくすんで枯れかけている。桜の木が多く、春の桜の季節には大変な人出にな

るそうだ。奇麗だろうなぁ、ここの桜は。簡保の宿があって、安さと眺めの良さで人気の宿だ

と言う。山頂手前の駐車場から先は車では進入出来ない。ここからの登りがきつくて、ぜいぜ

い、はぁはぁ。山登りを趣味でする人の気がしれない。汗がぽたぽた出て来た頃、ようやく頂

上の展望台に到着した。風がきつい。万葉集に歌われた眉山だが、その歌の石碑がある。徳島

市360度の大パノラマが風に揺れている。徳島の小泉八雲と言われたポルトガル人のモラエ

ス館や戦没者慰霊塔パコダもある。が寒い。もう1回町を見渡して徳島市を全部見たことにし

て、今登って来たばかりの眉山を下りることにする。帰りはロープウエイ。工事中だったが、

今年から運転再開したそう。片道で600円。高い!ここでもやっぱり客は私1人。しかも運

転は自動で行われるから、本当の1人なのである。2つの丸い篭で1セットなのだが前の方に

乗せられてしまい、柱にしがみつく。高所恐怖症では無いが、何とも心細い5分間だった。こ

のロープウエイ、新設された阿波踊り会館の5階に到着する。ロープウエイから下りた客を、

4階阿波踊りミュージアム、3階阿波踊り博物館などでちゃっかり取り込もうという作戦のよ

うだ。だが私は素通りして1階の土産物屋へ。大谷焼きのぐい呑み2つと和紙の封筒を購入。

 11時6分の鳴門線に乗って大塚国際美術館に向かう。鳴門の駅から12時6分のバスに乗

り、美術館に着いたのは12時半だった。入場料、大人3150円(消費税含)。エントランス

で切符の半券を切って貰ったが、そこは地下4階。地下鉄新日本橋の駅を思わせる長いエスカ

レーターに乗る。上下のエスカレーターに挟まれて階段があるのだが、数えると16段×7=

112段あった。地下3階で荷物を百円でロッカーに預け、1階の食堂に向かう。大塚食品だ

からメニューはボンカレーだったりして、なんて冗談と考えながら向かうと、果たしてそうだ

ったのだ。カレー、カツカレー、うどん数種類。松茸ご飯と若布うどんのセットが650円だ

ったのでそれにする。自動販売機の飲み物はもちろんポカリスエット、オロナミンC、ジャワ

ティー。受け付けで食堂の場所を聞いた時「簡単な軽食ですが……」と少し恥ずかしそうに言

った意味がわかった。ここは大塚製薬グループが創立75周年を記念して作った美術館で、地

下4階から地上2階まで、山一つ分をくりぬいたように建設されている。世界中の美術品から

選んだ作品を原寸大で陶板に再現して展示している。古代の壁画から現代画まで1000余点

を時代別に展示し、美術史を辿って見ることが出来る。しかも陶板だから2000年以上変色

をせずに保存可能である。特に環境展示というのが売りで、ポンペイの秘儀の間やヴァチカン

のシスティーナ礼拝堂などが現地そっくりに再現されている。行ったことの無い人でも行った

気持ちを味わえる作りである。館内にはクリスマス音楽が低く流れていて、ちょうどパドヴァ

のスクロヴェーニ礼拝堂のベンチに腰掛けて天井画を見ている時、一番好きな歌「あぁベツレ

ヘムよ」が聞こえて来た。♪あぁ〜ベツレヘムよ、などか歌わん………。低音部の自分の歌声

と館内放送の音楽のハーモニーが誰もいない礼拝堂の高い天井に響いていく。合唱部でクリス

マスソングや賛美歌を沢山歌って来たし、低音部担当だからどんな歌でもハモれるのが自慢だ

が、こんなシチュエーションをクリスマス当日に迎えることが出来ることをつくづく幸せに思

う。ここは西洋美術ばかりだが、結局西洋美術の主要テーマはキリスト教であり、多くの絵画

がその教えを描いている。クリスマスにキリスト教絵画を見て歩くという偶然に感謝の思いが

広がる。

          クリスマス絵に描かれし子生まれけり

 地下1階から古代、中世、ルネッサンス、バロック、近代、現代と展示されているのだが、

何せ3万uの広さである。この美術館を作った大塚社長の挨拶を読むと、学生時代にここで名

画を見て新婚旅行で本物を見ることを願っています、とあったが、幸か不幸か、私は海外に行

くとニワカ美術ファンになってあちこちの美術館に行っている。だから「あぁ〜これ見たぞ」

「あった、あった」という感じで見る名画も多い。最初に食堂に行ってしまったので、地上1

階、2階の現代とテーマ展示を先に見てしまったのだが、ピカソのゲルニカに出会った時には

とても懐かしく感じた。ひょっと外を見ると、そこには大鳴門橋の手前の道路に車がスピード

を上げて走っており、その向こうには鳴門の海が。どちらの世界が現実かわからなくなる。す

べてが実物大というのは大変なことで、やはり大きな絵になると、一枚の陶板では焼けないた

め何枚かの組み合わせとなり、絵に継ぎ目の線が出てしまうのが残念だが仕方のないことか。

しかし、世界中の美術品を一堂にするということは色々な企画が出来、それがテーマ展示とな

って実現している。食卓の情景というテーマで食卓を描いた絵を纏めて展示したり、家族、運

命の女などのテーマもある。一番面白いと思ったのは、レンブラントの自画像で15点の自画

像が年代別に並べられていた。こういうことは現実には、いくつかの美術館に分かれているか

ら出来ない訳だ。これまで海外の美術館巡りで、自分の好きな画家はラファエロとベラスケス、

それにミケランジェロだと思っていたが、果たして答えは同じだった。1フロアー見終わる度

に、足をさすりながら休憩コーナーで一服するが、疲れがとれるまでの時間が段々長くなる。

最後の地下1階になる頃には、見始めて3時間が過ぎており、疲労もピークに。だから歩く速

度がどんどん早くなり、マネ、マネ、マネマネ、モネ、モネ、モネモネ、ドガ、ドガ、ドガと

ドガドガ進む。最後にはゴッホ、ゴッホ、ゴホゴホゴホと咳込むように見ている。巨匠には失

礼な話なのだが、もう足が痛くて痛くて。結局4時間、西洋美術の世界に浸ったことになる。

「必見!」と勧めてくれた方の言葉を信じ見ることを諦めなくて良かった。大塚製薬さん、良

いものを作って下さいました。

 美術館にタクシーに迎えに来て貰い、空港に向かう。日本の県で最後に来た徳島。夏の阿波

踊りの時だったら、全く違う徳島が見られたかもしれない。観光シーズンだったら、大好きな

観光バスに乗って、もっと便利に効率的に回れたかもしれない。しかし、観光客など殆どいな

い冬の旅は普段着の徳島を味わえて良かったように思う。空港で、鳴門金時とじゃこ天、すだ

ちを買って飛行機に乗り込む。徳島の灯がどんどん遠くなっていく。また来るからね。来るか

もしれないからね。                  

おしまい

データ/旅した日:1999年12月23〜25日  書いた日:1999年12月30日

 

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